新聞を読んで

いろんな、新聞を読んで感じたことを書いて見たいと思います。

KBS京都ラジオ|笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ|毎週月~金曜日6:30~10:00放送!

2013-08-05 10:11:07 | 日記

8月5日(月)放送予定

ほっかほか 噺の朝ごはん

~平和について考える~
今も残る戦争遺跡から平和を学ぶ大切さについて
戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会 代表 福林徹さん

あっちこっちほっかほか便り

あっちこっちの花火
第62回亀岡平和祭保津川花火大会 京都府亀岡市

都もはんなりおこしやす
ほっかほかふれあい広場

8月6日(火)放送予定

ほっかほか 噺の朝ごはん

~平和について考える~
被爆アオギリの初開花に平和を学ぶ
伊勢パールセンター 代表取締役 小西蔀さん

あっちこっちほっかほか便り

あっちこっちの花火
第53回宇治川花火大会 京都府宇治市

都もはんなりおこしやす
ミラクルピラティス
丹羽裕子さん

8月7日(水)放送予定

ほっかほか 噺の朝ごはん

~平和について考える~
建物強制疎開前の五条通住宅地図を復元し、平和を考える
「戦争と銃後のくらし展・しもぎょう」 代表 折場六三さん

あっちこっちほっかほか便り

あっちこっちの花火
第72回ドッコイセ福知山花火大会 京都府福知山市

都もはんなりおこしやす
12人の挑戦者たち:拡大版

8月8日(木)放送予定

ほっかほか 噺の朝ごはん

~平和について考える~
視覚障害者にレコードを聴かせ、防空監視員に
京都ライトハウス協会

あっちこっちほっかほか便り

あっちこっちの花火
第30回記念2013びわ湖花火大会 滋賀県大津市

都もはんなりおこしやす
あ~お腹いっぱい おかわり!

8月9日(金)放送予定

ほっかほか 噺の朝ごはん

~平和について考える~

あっちこっちほっかほか便り

あっちこっちの花火
吉野川祭り納涼花火大会 奈良県五條市

都もはんなりおこしやす
映画を観よう
京都シネマ 横地由起子さん
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昨日のカープ 勝ちましたよ

2013-08-05 06:28:38 | 日記

ヤクルト4-7広島 松山が3安打6打点

2013.8.4 21:56
4回 勝ち越しの本塁打を放つ、広島・松山竜平 = 神宮球場 (撮影・中井誠)

4回 勝ち越しの本塁打を放つ、広島・松山竜平 = 神宮球場 (撮影・中井誠)

 広島は松山が3安打6打点の活躍を見せた。一回に先制の2点二塁打を放つと、四回は勝ち越しソロを右中間へ運び、五回にも3点三塁打をマークした。ヤクルトはバレンティンの38号ソロなどで反撃したが、投手陣が精彩を欠いた。

      ◇セ・リーグ        

 ヤクルト-広島16回戦(ヤクルト9勝7敗、18時、神宮、24142人)    

広 島200140000-7     

ヤクル002010010-4     

▽勝 バリントン20試合5勝9敗    

▽S ミコライオ39試合2勝4敗17S  

▽敗 ロマン21試合2勝5敗1S    

▽本塁打 松山7号(1)(ロマン)バレンティン38号(1)(バリントン)        

msn産経ニュースより

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今日のコラム

2013-08-05 06:01:46 | 日記

8月5日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

政府を助ける心がまえ

 政府は、国民の人気を得なければならないから、なかなか国民に対してイヤなことは言いにくい。だから、だれに対しても、助けましょう、助けましょうと言いがちである。

 けれども、われわれは政府に頼りすぎてはならない。他をたのまずしてみずからの力で、自分でできる範囲のことを着実にやっていく。そういう気持なり態度というものが最も大切であると思う。

 そして、政府に救済してもらうというよりも、むしろわれわれ国民の方から政府を助け、社会の進展に寄与していく。そういう心がまえをお互いに持つことが肝要ではないかと思うのである。





2013年8月5日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル)

天声人語

▼それほどに戦(いく)さがしたい男らよ 子を生んでみよ 死ねと言えるか〉。そんな歌と反戦平和運動への献身を残して、沖縄の中村文子さんが亡くなったのは6月末のことだ。存命なら来月に100歳を迎えるはずだった。追想の夏、お聞きした話の数々が胸をよぎっていく

▼教師だった文子さんは、「ひめゆり学徒隊」と同じ世代を小学校で教えた。沖縄戦のときは出向して川崎市にいた。敗戦翌年に戻り、母や多くの教え子が戦火に消えたのを知る

▼軍国教育を担ったことを、生涯をかけて悔やんだ。米国の沖縄戦フィルムを買い取って上映する「1フィート運動」を切り回し、平和を語るどんな小さな集まりにも顔を出した。「口が動く限りは」と基地への異議を訴え続けてきた

▼国会の調査団が来たときは、〈痛かろう薬やろうかと調査団痛みを知らぬことばしらじらし〉と詠んだこともある。繰り返されてきた痛みの押しつけ。再びのオスプレイ配備に、泉下(せんか)で何を思うだろう

▼こんな話もうかがった。川崎に住んだ戦争中、沖縄からの移住が多かったサイパン島が陥落したとき、彼女の出身を知らずに言う人がいたそうだ。「玉砕したのはほとんど沖縄の人ですって。内地人の犠牲が少なかったのが救いだったんですって」

▼敗戦から68年、ヤマト(本土)の意識は根っこのところでどれほど変わっただろう。99%が1%に忍苦を強いる民主主義は正しいといえるのだろうか。追加配備によって、沖縄の怪鳥は24羽に倍増する。

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