新聞を読んで

いろんな、新聞を読んで感じたことを書いて見たいと思います。

お盆も休めず、熱中症も続出

2013-08-16 19:20:43 | 日記

東京新聞「ふくしま作業員日誌」には泣ける…

【政治・経済】

お盆も休めず、熱中症も続出


猛暑での作業は過酷/東京電力提供
 15日付の東京新聞社会面に掲載されていた「ふくしま作業員日誌」には泣けた。

 福島第1原発で働く作業員たちに社会部の記者がじかに取材し、必死に収束作業に当たっている彼らの肉声をつづった不定期連載。11年8月に始まり、すでに60回を超えている。たとえば、こんな感じだ。
〈子どもに被ばくの影響が出るかもしれないと言っても、結婚してくれる人はいるだろうか。被ばくのことを話すと、みんな逃げる〉(29歳男性作業員=6月29日付)

 生々しい本音が語られていて、伝わるものがあるのだが、中でも、15日の44歳男性作業員の話は響いた。
〈今年もお盆は休めない。東京電力からは「急いで作業をしてくれ」と言われている。(中略)でも熱中症は続出しているし、工程表通りに進まないからと、現場を急がせるのはどうなのか〉
〈「休んでいる場合じゃない。とにかく世間にやっているのを見せろ」と言われてきた〉

〈俺も(津波で)親戚を失った。(中略)お盆には亡くなった人が戻ってくるかもしれない。お盆ぐらい仕事を休み、故郷で墓参りをしたい〉

 ふだん作業に当たっている約3000人の作業員たちも人の子。自然な感情だろうが、ひとつ、気になった。〈熱中症は続出〉のくだりだ。猛暑で過酷な作業を強いられたら、バタバタ倒れても不思議はない。東電広報担当者が言う。

「18日までお盆期間で、今は約1100人が作業に当たっています。一昨年に23人、昨年は7人が熱中症で医療行為を受けた反省を踏まえ、今年は午後2時から5時まで作業を休止するなど、熱中症対策も取っています。今年は7月24日までに2人。続出? それは作業員さんの感覚でしょう。8月のデータ? 7月24日までのものが最新です」

 44歳男性作業員の話とは、かなり違う。

ゲンダイネットより

今日のコラム

2013-08-16 05:59:24 | 日記


8月16日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

道徳は実利に結びつく

 社会全体の道徳意識 が高まれば、まずお互いの精神生活が豊かになり、少なくとも人に迷惑をかけないようになります。それがさらに進んで互いの立場を尊重し合うようになれば、 人間関係もよくなり、日常活動が非常にスムーズにいくようになるでしょう。また自分の仕事に対しても誠心誠意これに当たるという態度が養われれば、仕事も 能率的になり、自然により多くのものが生み出されるようになる。つまり社会生活に物心両面の実利実益が生まれてくると言えるのではないでしょうか。そう考 えるならば、私たちが道徳に従ってすべての活動を行なうということは、社会人としての大切な義務だということにもなると思います。



筆洗

2013年8月15日筆洗(東京新聞)
 

▼どんな国家や民族にも、目を背けたい歴史があり、それを正当化するための言い訳や理屈はいつか「神話」となり、過去を直視できなくする、と先日の小欄で米国の原爆神話のことを書いた

▼日本にも神話はある。「大東亜共栄圏」という理想を掲げた聖戦が、アジアの国々を植民地支配から解放した、というのはその一つだろう。確かに欧米の植民地政策に苦しんだアジア各国は太平洋戦争の後、次々と独立を果たした

▼その内実はどうだったのか。当初は「解放者」として歓迎された日本軍は、かつての支配者と同じか、それ以上の圧政を敷き、日本の占領地域には抗日組織が生まれる

▼「日本が白人の手からアジアを解放したのではなく、『黄色い白人』の占領・軍政・支配への抵抗をつうじて、第二次世界大戦以後の東南アジア諸地域の独立運動が成長していったのである」(黒羽清隆著『太平洋戦争の歴史』)という視点は説得力がある

▼フィリピンで捕虜になった大岡昇平さんは『レイテ戦記』にダバオの老人の言葉を引用した。「スペイン人はよくなかった。アメリカ人は悪かった。日本人は一層悪かった。しかし最低なのは二度目に来たアメリカ人だ」

▼生きる時代、土地を人は選べない。あの時代に生まれたらどう生きていただろう。自分の身を置いて想像してみる。きょうは戦後六十八回目の八月十五日。




2013年8月16日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル)

天声人語

▼映画の木下恵介監督といえば数多(あまた)の名作で知られるが、戦時中に撮った「陸軍」も忘れがたい。出兵の行進の中にわが子を見つけた母親が、横についてひた走りに走り、最後に合掌して見送り、立ち尽くす

▼軍の依頼で作りながら軍に睨(にら)まれた、伝説のラストシーンに重なる歌がある。〈わが生のあらむ限りの幻や送りし旗の前を征(ゆ)きし子〉。作者の小山ひとみさんは、戦死したひとり息子を詠んで、朝日歌壇によく選ばれた人だ

▼行商をして独りの暮らしを立てていた人という。「その痛哭(つうこく)のあまりのはげしさに、この人の名を記憶されている読者もいるだろう」と、40年前、8月15日の小欄は書いている。戦争が終わって28年、戦没兵の親もまだ多くご健在だった

▼きのう東京であった全国戦没者追悼式の参列予定者には、3年続けて戦没兵の父母の名はなかった。妻も16人で過去最少となった。戦後の時を死者と分かち持ってきた人が、いよいよ減りつつある

▼記憶する人も死に絶えたとき、死者は真に死ぬという。その謂(い)いに従えば、戦没者は続々と「真の死者」になりつつある。静かでたしかな追悼のかたちが、むしろこれから大切になる

▼ とともに、他国の犠牲者も忘れてはなるまい。〈遺棄死体数百といひ数千といふ いのちをふたつもちしものなし〉と戦時中、新聞人で歌人の土岐善麿は詠ん だ。これは日本軍の戦果を報じたニュースへの歌という。おごそかな真実の前に自国他国の違いはなく、母の痛哭に軽重はない。