言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

読めない漢字

2018年06月17日 | 歴史探偵

   
  
 ちょっとむかし(昭和5年)に書かれた記録簿が資料館にありました。真宗の‘講’の記録簿です。山田のうち一丸、別府、岩ヶ野と球磨村高沢との交流が平成22年までは行われていました。2年越しの‘お取越し’といわれた行事のことです。昭和5年のそのときの記録が残されていたのです。
 まず、表紙が「昭和五年九月拾八日 髙澤同行送迎〇 山田同行中人名簿 相続講」とあります。送迎の後の字が読めないのです。俗字が異体字なのでしょうが読めないのです。意味合いからして(帖とか簿)という字だろうと漢字辞典を探しまくりましたが見つけることはできませんでした。
 昭和5年時は77戸がこの講に参加しておられました。(別府村)(桐木村)(岩ヶ野)(湯原)(下拂村)(辻村)(石原村)と分れて名簿が作成してあります。平成22年時には34戸に半減してしまって解散となったようです。
 昭和5年のときは会費が1戸当たり(米 2合5勺、金30銭)を集めて賄っておられたようです。収支決算書も書かれていて、どんなものに支出したかもあきらかにしてあります。(わからない文字を残して)すべてをワープロに打ち直しました。‘やまえの遺産展’で紹介したいと思っています。

 今日は孫ムスメ⓶の子守をさせられて一日中、いっしょにいました。母親も祖母さんもいなかったのです。あんまり外に出たがらないので外に引っ張り出すのにたいへんな子どもです。一日、たいへんでした。

 今日の天気(
 

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