言わなければよかったのに日記

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相良神社へ

2022年12月04日 | 歴史探偵

 2日に宇城市豊野の(相良神社)に行ってきました。この日が(相良神社例大祭)だったのです。〝例大祭〟ですが相良家18代義陽公の命日にもあたる日です。豊野のこの地(響野原)で戦いがあってこの地で戦死し、この場所に神社が作られているのです。それは天正9年(1581年)12月2日のことでした。441年前のことです。

 

       

 この場所で義陽公が打ち取られ、家臣は首は取られまいと八代に首だけは持ち帰ったとあります。響野原に神社が作られ、豊野の人たちが400年以上に渡って守り抜いておられます。長い間、遠い人吉の殿様の弔いを続けてこられたことに驚きです。義陽公が善政をされたからではないのでしょうか。

 祭日の日は多くの地元の人たちが集まっておられました。祭日には人吉からも‘参加しておられ、私どもが着くのを待って神事がはじまりました。コロナのこともあって久しぶりの開催だったようです。

 神事が終って、義陽公の関連史跡を廻って帰ってきました。豊福の長傳寺跡(阿弥陀堂)には16~18代の義慈、晴廣、義陽の供養塔がありました、すぐ近くの豊福城は相良家の北の最前線だった所です。

 それから八代古麓の義陽公の首塚へ。ここまで首を運んで埋めたと伝えられるところです。

 義陽公の命日(例大祭)に参加して弔うこともできてよかったです。朝から寒くなってⅠ2月らしい季節の1日になりました。

 今日の天気(

 


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