風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

与那国探訪 2

2008-12-10 17:10:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
祖納を見渡せるティンダバナを離れ、東崎に向かう。
展望台に行ったら、遠方に西表島がうっすらと見えた。
展望台にある地図。
与那国はこんな姿なのか。


海がきれいだった。
深い蒼だった。
とても良い天気だ。

フェリーで、カメラマンの女の子が、
「私がいれば絶対晴れるから。」
と言っていたのを思い出す。

与那国の景観を楽しむ。
軍艦岩


立神岩(たちかみいわ)


宇良部岳に行く。
頂上近くまでは急勾配だったが、車で行く事ができる。
頂上へは、階段を少し上るとすぐに着く。
そこからは、久部良岳と祖納の町が見渡せた。
ヨナグニサンという超大型の蛾がいるらしいが、自分は見なかった。

祖納の町まで戻り、「サンアイ」というお土産屋に寄って、少しばかりお買い物。
店の名前はおそらく、15世紀に与那国を治めていた女酋長「サンアイ・イソバ」から取っていると思われる。
最西端証明書というのがあって、400円で手書きの名前入りで発行してくれる。


さらに近くのスーパーに寄って、食糧調達。
与那国の泡盛、「どなん」が売っている。
3合瓶でアルコール度数30度が500円。
45度以上になると瓶がわらで包んである。
45度が1150円、60度は2400円だった。
嵩張るし、飲めないから買わなかった。

この後、空港に行き、16:05着のYS-11を撮ろうと思い待機する。
ほぼ予定通りに飛行機は来て、写真に撮った。
国内線では全て退役してしまったので、貴重な写真だ。


この後ダンヌ浜に再び言ってみたら、怪しい(?)波動をぷんぷんさせた軽のバンが止まっていた。
タイヤは丸坊主状態。
家財道具を一式、車にギッチリ積んで旅をしている人だった。

話してみたら、北海道の人で、髪はボウボウ、けっこう年もいっているようだ。
このスタイルで旅を2年近くやっているらしい。
ここ2ヶ月与那国で釣りにハマッて、島をなかなか出れないらしかった。
大物が釣れるらしい。

車の寝床は、上下わずか30cmもない隙間。
「圧迫感は感じないのですか?」
と聞いたら、
「慣れてしまえば何でもないよ。」
と平然と答えていた。

日も暮れてきたので、テントに戻った。
こうしてたった2日の与那国探訪は終わる。
最後の夜はジャガイモを煮て食べた。
風が強くてテントがバタバタしてうるさかった。

与那国探訪 1

2008-12-09 11:53:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
与那国島に到着し、船で話していた2人と別れる。
噂に聞いていた、カレー屋「ユキさんち」へ行ってみたが、閉まっていた。

腹が減っていたので、港の近くの売店で、アイスとパンを買って食べた。

与那国のテントポイントの比川に向かう。
防波堤の向こうは砂浜になっている。
砂浜でたそがれていたら、防波堤の上に人がいた。

「こんにちはー。」

と言ったら、向こうも返してきた。
話を聞いてみると、長く与那国に住んでいるらしかった。
群馬の人だった。

テントを張れる場所を教えてくれた。


その場所に行ったら、2張りほどすでにテントがあった。
自分もテントを張り、まだ明るかったので、最西端の碑に行った。
んで、恒例の記念撮影。


このすぐ近くにある展望台で、夕焼けを待っていたが、あまりきれいに焼けなかったので帰る事にした。

比川に戻る途中に、南牧場がある。
ここには天然の馬がいて、「与那国馬」と呼ばれている。
宮崎の都井岬にいる岬馬に似て比較的小さかった。
けっこうな数がいて、のんびりと草を食んでいた。


比川に戻り、シャワーがあるので、浴びようかなと思ったが、蚊が多過ぎてダメだった。

夕食はソーメン。
ところが水を切るザルがないから、チョロチョロと水を流そうとしたらソーメンごと流れてしまい、ムダにしてしまった。

ああ、貴重な食糧がぁ~~!ase

これ以来ザルがキャンプアイテムに加わった。

さすが最西端の島だ。
とても蒸し暑い夜だった。
蚊が多いから外で涼むわけにもいかず、テントの中で、マットの上にバスタオルを敷き、パンツ一丁でウチワを扇ぎながら暑さをしのぐ。
シュラフは出さず、コートをかぶせるだけで十分だ。


1997年5月11日
島一周観光。
昨夜の暑さであまり眠れなかった。
のんびりと朝を過ごし、11:00頃出発。
まず、久部良バリ(クブラバリ)へ。

琉球王朝時代、人頭税という不当に高い税率を背負わされていた人々は、人口制限と言う名目で、妊婦をこの断層の割れ目から飛び越えさせ、成功した者のみ生存を許したとされる場所らしい。

伝説に近い話しなので、実際の所はどうなのか分からない。
しかし、けっこうな幅がある。
自分も飛び越えてみろと言われたらひるむ。
深いから、落ちたらケガでは済まないよこれ。
妊婦さんが、飛び越えに成功したとしても、ショックで流産する事だってあったでしょう。


複雑な思いでそこを去り、それから、ダンヌ浜、トグル浜と見る。
その後祖納(そない)の町に入った。

久部良より大きい集落のようだった。
切り立った崖があり、坂道を上るとティンダバナという天然の展望台があった。




さらにその上は牧場になっていて、かなり古いコンクリート製の立ち見台のようなものがあった。
そこから祖納の町が一望できる。


立ち見台の前には柵も無く、真下は崖なので、けっこう足がすくむ。


ここで写真を撮っていたら、フェリーで一緒に話していたカメラマンの女の子が歩いてきた。

「着いた・・・すごい所だ・・・」

とつぶやくように言った。
軽く会話をし、ここで昼食をとるという彼女と別れて自分は東崎へ向かう。

手回しオルガンキット

2008-12-08 21:07:59 | オルガン
大人の科学No20の手回しオルガンキットを作ってみました。


用意する物は、小さいプラスドライバーと、プラスチック用グリス(無ければサラダ油で代用可能)、そしてハサミかカッターナイフ。

組み立てはとても簡単で、本の説明書を良く読んで作業を進めれば、まず失敗する事はないでしょう。
メカニズムなどの説明は面倒なのでやりませーん。
ここでは組み立てのみ楽しみます。

グリスはギヤや軸に塗り、特に気密が大事なピストンには、多めにつけた方が良いでしょう。
ただ、付け過ぎるとはみ出たり、飛び散って指がベトベトになるので量は適当に。

 


部品は全てはめ込みとねじ止めなので簡単です。




閉管なので、ウレタンスポンジのフタで音程の調律。
音程は、学研のHPから聴く事が出来ます。
サンプル音のリンク
まあ、厳密にやる必要もないので、それっぽく聴こえれば良いでしょう。
30分ほどで形になります。


付属のパンチングハサミは、そのままではギシギシいうので、これの軸にもグリスを付ける。
本に付属のカードを切り取り、印通りに穴あけ。


送風は単気筒なので、ハンドルを回すと、ピロピロピロ・・・と言った感じの音になります。
これにて完成。


小さいので、演奏する時の保持が意外と難しい。
高さ10cm位の木の台などに載せた方が演奏しやすいです。

これを元にして、おもちゃの自動オルガンが作れるかもしれませんね~。

与那国へ

2008-12-07 21:32:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年5月10日

与那国へ向けて出発の日。
いつものように荷物をまとめ、バイクにくくりつける。
荷物が多くて困る。
余計な物を早く家に送り返さなくては。
8:30頃キャンプ場出発。
いつものトンネルの道ではなくて、名蔵の方を走った。

八重山巡りで、船に良く乗るから、切符を買うのも慣れてきた。
与那国行きのフェリーに乗る。
船にバイクを入れ、ギヤを入れて車輪をロックする。
あとは船員さんに任せて、船室に入り、出航を待つばかり。

スズキのMXという古いオフロード車のライダーさんと、頭を丸刈りにした一見巡礼者のような姿をした女の子がいた。
10:10頃だったか、出航。


MXの人は日本一周中という。
話し好きな人だ。
丸刈りの女の子は、元新聞社系のフリーカメラマンで、雑誌や新聞などに撮った写真が載っていたらしい。

最近仕事を辞めて、旅に出たという。
愛機はプラウベル・マキナの6×7とコニカのヘキサー。
マキナにはT-MAXを、ヘキサーにはコダクローム64を詰めていた。
僕はカメラが好きだから、話がけっこうはずんだ。

石垣島の裏の植木屋で買ったというクバガサをかぶり、これに杖でも持たせたら、本当に巡礼者だ。足はサンダルだし。

3人でなんやかんやと話していたら、途中揺れることはあったが船酔いの「よ」の字もなくてホッとした。
与那国フェリーは別名「ゲロ船」と呼ばれるほど、揺れて酔いやすい船らしいのだ。

海を見ると、飛び魚がヒラリと海面上を滑空している。
あいにく望遠レンズがないので、撮ることは出来なかった。

到着予定時刻はとうに過ぎているのだが、島は見えない。
「なかなか着かないね~。」
などと話しているうちにやっと島影が見えてきた。


まず、パッと見て感じたのは、「崖」というイメージだった。
これまでの八重山群島とは全く違った荒々しさがあった。

カメラマンの子はマキナを取り出し、パチリと撮っていた。

フェリーはゆっくりと接岸し、1時間遅れの15:30頃到着した。


臨時雇い

2008-12-06 15:15:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
仲間が去って、キャンプ場は静かになった。
自分もそろそろ移動しようかなと考える。

その時、軽のバンがキャンプ場に入ってきて、不精ヒゲを生やしたお兄さんが降りてきた。Eさんと言う。
なんだろう?と思ったら、人手不足で働き手を探しているという。
やる気はなかったが、他のキャンパーが「やればいいじゃん。お金ないんだし。」と言ってくれた。背中を押してもらった感じだ。

2日の臨時雇い。
2人一組で、コンクリートに穴を開けて、フェンスを張る柱の下準備の仕事。
円筒形をしたエンジンカッターで、水をかけながらガーッと切る。

機械は重いが、作業は比較的簡単だったように思う。

2日かけて21コの穴を開けて作業は終わった。
帰りの車の中でEさんは、自分が撮った山の写真を見せてくれるという。
自分も好きだから喜んで返事した。

家は300坪の畑の中にポツンと木に囲まれて建っていた。
犬と猫と1才の子供がいる。

子供は自然分娩だそうだ。
しかも産婆さんも呼ばず産婦人科があるわけでもなく、Eさんが自宅の手製のゴエモン風呂に水をはって、自ら取り出したのだと言う!
何と言う強さ。
いや昔は当たり前だったのかもしれないが、でもすごいなと単純に思ってしまった。

お二人は結婚という形はとっていない。
共に旅人でアジアをあちこち巡っていたようだ。

旅の写真を見せてもらった。
ポカラが写っている写真を見た瞬間に釘付けになった。
何度も何度も見返した。

「山、好きなの?」
「ハイ。」
「行ったら良いよ。こんな事できるのは体力のある若いうちだから。」
アジアにはあまり気持ちが無かったが、チベットやネパールなど、ヒマラヤのある所は別だ。
行って見たいな。
6×7くらいでリバーサルフィルムでジックリと腰を据えて撮ってみたかった。

夕食をいただいた。
西表の佐藤さんという人が作った無農薬栽培の玄米。ゴーヤちゃんぷる、トウガンのスープ、冷やっこなど。
とても健康に良さそうなメニューではないか。
美味しくいただいた。ごちそうさまでした。

自分のテントに送っておらう途中で犬の散歩。
この犬は賢い。
口笛一つ、フィンガースナップをパチンとするだけで機敏に反応する。

別れがてら、賃金をもらった。
旅の資金になった。

よし、与那国に行こう。
翌日に出発決定!