>私たち日本人には共同体意識が色濃く残っており、それは現代でも多くの人が日本人の長所として実感するところであろう。
‘和をもって尊しとなす’ ですね。
>しかし一方で、外交や国際競争では他国に遅れを取り、官僚の暴走を眺めるだけで何もしようとせず、マスコミに支配されて思考停止している日本人の状況を見ると、このままではダメになってしまうという強い危機感を覚える。
日本人には、意思がない。優柔不断・意志薄弱に見える。意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思がないので、仕方もない。無為無策でいる。
>そもそもこれらはどういう構造にあるのだろうか?
これらは、我々の言語構造にあるのだと思いますね。
>日本は島国という特性から、外国から侵略されることがなく、共同体が破壊されずに残り続けてきた。
だが、アメリカさんにはやられました。言語構造は、守られていますね。
>従って、今でも(西洋人と比べて)警戒心が少なく、思いやりとか謙虚さといった性格が残っている。
そうですね。相手に騙された時は、ただ、’相手を信じた’ と誇らしげに言う。その信じる根拠を述べることはない。どこか、抜けている。
>(※ちなみに「出る杭は打たれる」というのは序列社会・私権競争社会でこそ見られる現象で、武士や商人階級などでは日常的であっただろうが、大半の村落共同体社会においてはあまり発生しなかったのではと推測される。)
序列秩序を励行すれば、出る釘は見あたらないでしょう。
>しかし明治~戦後にかけて取り入れてきた、或いは押し付けられた、西洋の価値観や制度(その中心は個人主義)によって、共同体は破壊され、同時に共同体が持っていた規範も解体が進んでいった。
そうですね。思考停止の国民に個人主義を教えたら、それは利己主義と間違えられますね。利己主義の蔓延で、共同体は破壊されますね。
>さらに70年以降、社会の統合原理が序列原理から共認原理に転換したのを背景に、マスコミが第一権力化したことで、大衆はマスコミが垂れ流す西洋由来の「権利」や「個人」といった価値観に染まっていった。
無哲学・能天気の国民に権利と個人 (考えの単位) を教えることは難しいですね。
>個人が第一になれば、当然周りのことより自分の私益が優先され、社会秩序は崩壊していく。>これが現在に至る、日本がガタガタになった背景である。>(尚、現在の西洋社会の行き詰まりを見ても、個人主義ではこれからの時代は適応できないことは明らかであろう。)
個人は、考えの単位でなくてはなりませんね。ところが日本人は、無哲学・能天気で思考停止に陥っているために、個人が考えの単位にはなりにくい。個人が利益の単位と考えられていると、私利が優先され、社会秩序が乱れます。
>西洋文化に見られる「自己主張」や「個性」が実現しようとしたものとは、この私益(私権)獲得に他ならない。
自己主張も個性も、考えに関することでしょう。世界観の内容に関する考えでしょう。思考停止の人間たちには、関係がないことの実現でしょう。
>つまり西洋文化を取り入れてきた帰結がこのガタガタ現象であり、むしろこれからはそのような個人主義観念を封鎖し共同体性を再生していくことによってしか、生き残ることはできないと考えられる。
西洋文化の取入れに失敗した結果が、このガタガタ現象でしょうね。言語構造の理解が進まないと、個人主義の理解も進まない。
>とは言え、確かに日本人は戦えないし、社会のこともあまり考えたことが無いというのも事実であり、これらの壁を突破していくことがこれからの日本人に求められている。
そうですね。無哲学・能天気の思考停止の状態では、壁の突破は考えられませんね。
>但しこれからの戦いとは、自分の私益のためではなく、仲間や社会を守るための戦いである。
そうですね。新しい社会の建設は、考えられませんか。
>社会が共認原理に転換し、同類圧力(周りからの期待)が最大の活力源となった現在、日本人が持つ共同体性を再生していくことで、初めて日本人は頭を使い出すのではないだろうか。
個人が自分の頭で考える。あくまで個人対個人の競争ですね。民主的な方法で最も人気のある個人を選び出す。選ばれた個人の内容に従って新しい社会を作ります。この方法がよろしいかと思いますがどうでしょうね。
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