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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

不気味な沈黙 2/4  

2021-04-13 20:15:45 | 文化

 

>2010年代ぐらいから、個人的に日本というのは「課題先進国」として見てきているのですが、その延長で、ついに日本というのは、機能としての政治権力が成立しない、そんな不思議な「未来国家ニッポン」に変容しつつある、そんな評価をしないといけないようです。

 

そうですね。我が国では政治権力は成立ませんね。日本人には意思がない。そして意思の無い人間達には効果のある権力は生じませんね。 

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜くのが日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎>の中の <とらえどころのない国家> で、次の段落のように述べています。

国会両院以外に、国家の中核として権力を持っているらしく見える組織は、官僚と大企業である。だが、この両者のどちらにも、究極的な権力はない。ボスはたくさんいるが、ボス中のボスといえる存在はないし、他を統率するだけの支配力のあるボス集団があるわけでもない。首都が国の経済、文化の中心だという意味では、日本は高度に中央集中型の国と言える。東京は、パリやロンドンに負けず劣らず、”すべてのものがある”大都市である。大企業は、中央官庁の役人から離れないよう、本社あるいは重要な支社を東京に構える。主要教育機関も、ここに集中している。予算陳情のためには、地方自治体も国の中央官僚に取り入らなければならない。東京以外には、重要な出版産業も娯楽産業もほとんど存在しない。ところが、この地理的中心地には、政治の中核がないのである。どの国についても、国家の実態をとらえるのは容易ではないが、日本の場合はとくに、バケツの中のウナギを素手でつかまえる、ということわざのたとえそのものである。指令の流れる経路、責任の中心、見え隠れする政策決定上の実際の動きなどが、すべて気が変になるほど、とらえどころがない。(引用終り)    

 

>五輪に関してがまずそうです。>東京の高齢者などには「これ以上、騒がしい国際行事はイヤ」という感情があり、更に「国と都の税金が浪費される五輪には反対」という意見、そして「外国人観光客ばかりで町が荒らされるのはイヤ」という感情論も乗っています。>そうした「オリジナルのアンチ五輪」が、今回のコロナ禍によって「外国人観客はイヤ」となり、それを政府に呑ませたら、次に想定されるのは「役員、選手団、スポンサー枠の入国反対」となるに違いありません。>そんな中で、日本でのプレ五輪の国際大会に「ビザを出すな」とか「14日の監禁検疫とPCR陰性は絶対」「日本の住民との接触禁止」などの条件が競技別に炎上して行く可能性があります。>そして、どこかの時点でポイントがゼロになると、五輪としては全体がゲームオーバーになる、そんなストーリーが見えます。>では、そんな面倒なことをしないで、サッサと中止してしまえばいいのですが、主権者はそうした委任もしていないようです。

 

ああでもなければ・こうでもない。あれではいけない・これではだめだという。しかし、主権者は自分がどうであるかを断言しない。これは駄々っ子の態度である。こうした態度は受け入れ難い。       

 

>中止したならしたで、「自民党の失政だ」とか「安倍内閣の官房長官だった菅氏は共犯」だと叩くでしょうし、そうした圧力を感じていると、内閣も官僚組織も「中止の場合のコスト」を正直に国民に説明する勇気もなくなるでしょう。

 

それは内閣総理大臣の自由意思により決まるはずですね。   

 

 

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