(略)
>○ 日本人化する中国人と、中国人化する日本人
> 2001年、私は中国に渡った。>中国が現在のように発達し巨大な経済力を示すようになるとは、大半の日本人はまだ信じていなかった。 >中国の人も、当時、日本人に敬意を抱いていた。 >その旅先で、興味深いことを聞いた。
> 「中国人は会社に勤めると、自分の功績を大きく見せるため、『自分がいないと仕事が回らなくなる』ようにしてしまう。 >そのせいで、その人がいなくなると、どうしたらよいのかさっぱり分からず、大混乱する。
それは中国人の困った性質ですね。中国人の処世術でしょうね。
>その点、日本人は、自分が異動しても問題なく仕事が回るように引き継ぐ。>自分にしかできない仕事にするのではなく、誰が取り組んでもそれなりの結果が出る仕組みに変えていく。 >これを中国人も見習うべきだ」
そうですね。日本人は序列人間ですからね。自分が移動する時には、先輩にも後輩にも迷惑が掛からないようにして去らないと序列仲間のうちで評判を落とします。
「中国人1人では龍であるが、3人集まると虫になる。日本人1人では虫であるが、3人集まると龍になる」 (中国の諺)
三人の中国人は、足の引っ張り合いに熱中するが、三人の日本人は、序列協力に熱中する。
> 私はへええ、と驚いた。>そして、記憶に刻み込まれた。>というのも、それからしばらくして小泉政権がスタートし、「トップダウン」という言葉が流行すると、優秀な人間が「既得権益」を守ろうとする暗愚な凡人たちを怒鳴り散らし、「俺がいなけりゃ回らない」というリーダーシップ(?)を振るう人が日本に増えていったからだ。
日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。
日本人には意思がないのであるから、責任もない。とかくこの世は無責任。責任のないリーダーシップを振るわれては困ります。
イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について次のように述べています。
、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、 (引用終り)
>もしかしたら、今世紀に入って以降は、中国人が日本人化(自分でなくてもシステムが回るようにする)し、日本人が中国人化(自分がいないとシステムが回らないようにする)していった歴史だったのかもしれない。 > その証拠に、「『指示待ち人間』はなぜ生まれるのか?」という文章をTogetterにアップする直前、指示待ち人間の多さを嘆く上司やリーダーが世にあふれていたからだ。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思がない。仕方がないから日本人は無為無策でいる。これでは指示待ち人間となる。優柔不断・意志薄弱に見える。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
昔から日本人は ‘指示待ち人間’ でしたのでしょうかね。
>「指示されるまでボーっと突っ立ってるんだよ? 信じられる?」「ちょっとは自分の頭で考えて動いてほしいよ」「なんでこんなことくらい、分からないのかねえ」「所詮、自分の頭で考えられる人間なんて、ほんの一握りなんだよ」と、部下が指示待ち人間ばかりなのを嘆くリーダーや上司たちの飲み会が花盛りだった。
日本人には意思がない。だが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。恣意はバラバラな単語 (片言・小言・独り言) のままで存在し、文章を構成しないから意味も無い。恣意が腹の底にたまると腹芸の原動力になる。
意思疎通 (相互理解) がなくて、その代わりに恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) がある。意思決定 (理性判断) がなくて、その代わりに恣意決定 (盲目の判断) がある。理性判断の内容がないから説明責任が取れない。だから、人災もうやむやのままに終わる。けじめがつけられない。節操のなさが放置されているところがいかにも日本人らしいところである。
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