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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

西村博之氏  

2023-01-06 22:48:33 | 文化

>中日スポーツ   >ひろゆきさん、実質賃金減少で「働き続けても生活がどんどん苦しくなっていく国が…」と強烈な皮肉   >2 時間前   

 

働けど働けど我が暮らし楽にならざり。     

 

> インターネット掲示板2ちゃんねるの開設者で実業家の「ひろゆき」こと西村博之さん(45)が6日、ツイッターを更新。   

>日本の昨年11月の実質賃金が3.8%減と約8年ぶりの下げ幅となった報道に「働き続けても、物価が上がって給料が上がらないので、生活がどんどん苦しくなっていく国が先進国で一つだけあるそうです」と強烈に皮肉を込めた。   

> ひろゆきさんの添付したNHKのニュースによると、厚生労働省の「毎月勤労統計調査」で報告された今回の実質賃金減少幅は、消費税率が引き上げられ大きく落ち込んだ2014年5月以来のもので、物価上昇を背景に直近8カ月連続で減少が続いている。   

 

残念なことですね。   

 

> 「ほかの国は、働き続けると生活がよくなります。   

 

そうですね。    

 

>その国の労働者が悪いのかな?   

 

そういうことになりますね。求めよ、さらば与えられんという教えありますね。日本人には自主性が必要ですね。社畜・指示待ち人間には自主性がありませんね。            

 

>政治家が悪いのかな?」とのひろゆきさんの問いにフォロワーは「両方」

 

そうですね。政治家は国民の代表ですからね。悪いのは政治家と国民の両方ですね。       

 

>「給料は現状維持。   >物価は上がる。  >という事は給料が下がってる」  

 

そうですね。   

 

>「漫画や小説になる悪政だと思います」   

 

我が国は漫画・アニメの大国になりましたね。まともな考えは哲学になる。デタラメな内容は空想・妄想になる。      

 

>「希望も何も無い」   

 

我が国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。日本人には世界観がないから (きた) るべき世界の内容は想定外になっていますね。       

 

>「革命でも起きない限りこれが変わる事無さそう。   

 

そうですね。伝統的な打ちこわしでは世の中は変わりませんね。    

 

>てかまともな政治家が誰なのかわからん」   

 

政治哲学のない政治家が多いですからね。まともな政治家は見つけるのが難しいですね。    

 

>「結果それが少子化に繋がる」などの憤りや感想が寄せられた。  

 

国民によるあるべき姿の追及がなおざりにされていますね。少子化は我が国民のノンポリ・政治音痴のせいでしょうね。      

わが国は資源小国である。天然資源は不足しているが、人口は一億以上ある。決して小国ではない。この人口の頭脳を活用すれば、わが国は衰退途上国から脱することができる。

我が国には人手不足はあるが、頭脳不足の話はない。日本人は思考を停止しているが、それが当たり前のことになっていて頭脳不足とは考えられていない。

わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。バラバラな単語ばかりの歌詞には意味がない。だから議論がない。ただ、気分・雰囲気を伝えることにより満足している。 

日本語は写生画の言葉である。現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。問答無用である。だから、日本語はご唱和の内容になる。

非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。だからその内容は理解できる。文にならないものは考えではない。

矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っているから、正解は無数にある。考えの優劣を競い合う議論も可能になる。

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

体系のない日本人の発想は哲学には成らずして、空想・妄想になる。これを白昼夢というのかな。おかげさまでわが国は、漫画アニメの大国になりました。  

体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  

日本人には自己の考え (非現実) がない。だから、わが国のインテリは受け売り専門の人になる。思考を停止している人は、つかみどころのない人間になる。     

つかみどころのない人間の批判は愚痴・わがままとなり、議論は単なる言い争いに終始する。’和を以て貴しとなす’ の教えと事なかれ主義の圧力により人類の進歩は期待できない。   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

 

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)    

 

 

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