(1/2より)
日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。
英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)
>しかし、今後の国際政治リスクを考えれば日本はチャイナリスクというものをもっと真剣に考える必要があるだろう。>中国側も日本が米中対立の中で難しい立ち位置にいることは分かっており、習政権はその中で“柔”と“剛”の両輪で日本に対応してくるだろう。
そうですね。脅したり・すかしたりですね。わが政府も大いに彼らのやり方を取り入れて外交すべきですね。
>場合によっては2010年のレアアースの対日輸出制限のように、今後日本へ経済的な揺さぶりを掛けてくる可能性は十分にある。 > 筆者周辺では、対中依存をできるだけ減らしてその分ベトナムやインドネシアなどASEANシフトを模索する動きが増えてきている。
それは良策ですね。
>当然ながら、各企業によって諸事情は異なることから、日中間における完全なデカップリングは難しい。
金は目的にはならないが手段にはなる。だから、金は非常に大切である。しかし、目的なくして金ばかりをため込む者は吝嗇家 (けちんぼう) と呼ばれ人望が得られない。手段の目的化が起こっているから人生がむなしいのである。
日本人は現実肯定主義者である。金は現実の中にあり、目的は非現実 (考え) の中にある。だから金にばかり囚われて目的を忘れることになる。そして、わが国は先進諸国の中の異端児になっている。
>しかし、今後の国際政治の行方を予想し、被害を最小化できるリスクヘッジは日系企業にとって重要な選択肢だろう。
そうですね。’治に居て乱を忘れず’ ですね。政治家には時代を先取りする才能が必要ですね。
非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。
世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。
自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。
意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。
わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。
>◆治安太郎(ちあん・たろう) 国際情勢専門家。
>各国の政治や経済、社会事情に詳しい。
>各国の防衛、治安当局者と強いパイプを持ち、日々情報交換や情報共有を行い、対外発信として執筆活動を行う。
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