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内山節氏

2019-08-15 02:37:50 | 教育

(略)
> 以下、富山高教組のおすすめ:「子どもたちの時間と現代社会」内山節著より。
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> 私たちは、子どもたちがより良い大人に育つために教育を行っているが、「子どもが大人になる」とはどういうことなのか。

それは、自己の哲学を持つことでしょうね。

>著者は「自分がかかわっていく関係の世界が広がることだ」(7頁)と述べる。>正にその通りであろう。

哲学の内容は、グローバル (global: 全世界的) であり、ユニバーサル (universal: 普遍的) ですからね。世界が広がりますね。

> しかし、現在の教育でそれが保障されているか。

それは無理でしょうね。日本語一本やりの教育では無理なところが諸処あると思いますね。

>著者は「日本の子どもたちに与えられているものは、未来との関係である。 >(中略) >未来のために現在の時間を効率的に消費することがここでは求められている」(8頁)と述べる。

現実の時間を非現実 (考え) の内容育成のために使うことが大切でしょうね。非現実の内容を現実の世界で実現できれば、それは創造力を発揮したことになります。

>ここで言う「未来」とは「自己の未来との関係のなかでいまの自分の時間を消費する」(9頁)という意味であり、「この構造のなかでは、他者はやせ細って」おり(8頁)「自己との関係だけが絶対化されてしまう」(9頁)。

そうですね。それは、自己中心主義ですね。他者のいない世界観は、実に奇妙なものですね。’あるべき姿’ になっていないでしょう。

>つまり、現在の子どもたちは「未来の立派な大人の自分」に成長するためにのみ「いま」の時間を使っているーという指摘が為されているのだ。

そうですね。日本人には、非現実 (考え) の世界というものがない。現実だけの生活には、処世術だけが対応するでしょう。

> さらに、その結果を著者は次のように述べる。 >「(その結果は)いまの多くの大人たちの姿をみればわかる。 >何歳になっても自分のことにしか関心のない人間が大量に生まれ、それゆえに高齢者となって仕事をとおした他者との関係がなくなると、孤立と孤独が襲ってくる。 >個人がバラバラになった社会と、誰にも関心をもたれずに生きることから生じる苛立ち、それがこのような生き方の結論になってしまった。

そうですね。無哲学・能天気の人間には、未来社会の建設は、想定外になっていますね。’我らは何処に向かうのか’ という哲学的命題は、日本人の頭の中では棚上げされた状態にありますね。だから、孤立と孤独が襲ってきます。

>いわば今日の教育は、この方向に向かって子どもたちを「成長」させているようなものだといってもよい」(9頁)。

そうですね。今日の教育は、’読み・書き・算盤’ の教育の延長上にありますね。

> 私たち教員は「子ども自身の未来のために」と子どもたちを学習に駆り立てている。

そうですね。日本人の未来というのは、現実の延長線上にある ‘将来’ のことですね。

>しかし、それによって子どもたちが他者との世界を拡大する機会を奪い、子どもたちの成長そのものを阻んではいないだろうか。

そうですね。日本人に世界観は無いですね。
非現実 (考え) の内容は頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。 話の内容を理解するためには、文法を知らなくてはならない。文法に従って文章内容を理解する。すると、話の内容がわかる。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。矛盾を含んでいない文章は、全て正しい考えを示している。考えは、人それぞれである。だから、正解は一つではない。幾らでもある。
非現実 (考え) の内容は、時制 (tense) のある文章になる。時制のある文章は、それぞれに独立した三つの世界 (過去・現在・未来) を表すことができる。それぞれの世界は各人の脳裏において、何処までも展開が可能である。
三つの世界は、はじめは白紙の状態にある。しかし、思春期になって言語能力が増すと白紙の状態の世界を青年は自分なりの内容で埋めようと考える。これで、考える人になる。これは、大学進学の適齢期である。自己の世界観の内容に従って現実を批判すれば、彼は批判精神を示したことになる。
英文法には時制というものがあり、英米人には世界観がある。だから、彼らには批判精神もある。
日本語の文法には時制がなく、日本人には非現実 (考え) の世界がない。だから、批判精神もない。有るのは、現実対現実の上下批判だけである。’それで、どうした’ の問いには、答えが出せない。だから、日本人は無哲学・能天気である。各人に、哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.

>子ども時代における、より広い関係性の構築の重要性を痛感した。

そうですね。我々日本人にも世界観は必要ですね。そうでなければ、日本人は、子供のような大人のままでいる。
‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)
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> (リンク)



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