>日本は過労を美徳とする社会
>日本社会は疲労や過労に不寛容な社会で、「過労は甘えだ!」と怒鳴りつける人が出世し、過労死を続出させた。
それはわが国の伝統的な精神主義ですね。
'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである' (昭和天皇)
>スポーツトレーニングでも「水を飲むな!休むともっと疲れるから休むな」と指導した時期があったそうです。>それほど昔ではなくある有名なマラソンのオリンピック選手を育てたトレーナーが「選手が思考力をなくして従順になるまで練習させる」と言っていました。>余裕を持った練習をさせると選手が自分で考えて反抗するので、疲労で思考力を喪失するまで体力を消耗させるのだそうです。
徹底的に選手を服従させるのが当時の手段ですね。
>まあ女子マラソンはそれで(たまに)メダルを取れるのかも知れないが、他の競技では通用しないでしょう。 >トップクラスのスポーツ選手で主流なのは、なるべく練習せず効率よく向上するような手法です。 >グランド100周や砂浜を走ったりせず、試合時間が90分なら「90分以上のスタミナは余分」としてつけない。 >練習時間も短くてハードではないのに、長時間過酷な練習をする人よりいい結果を出しています。
それは賢い人の練習法ですね。ゆとりのある教育法に通じますね。
>世の中全体が楽して効率よくやる方に傾いていて、思考力を奪うまで練習させるのは流行らない。
そうですね。時代の進歩ですね。特に思考力を失うのは良くない。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
>ところが会社などでの仕事の仕方はいまだに「長時間労働するほど、過酷な労働をするほど評価される」日本式のままです。>日本企業の考え方は戦前から基本的に変わっておらず、月月火水木金金休まず働くと「よく頑張った」と評価され出世します。
そうですね。頑張ると周囲の日本人から評価されますね。評価は昇進につながります。昇進に張り合いが出てやめられない。
>仮に1週間分の仕事を3日で終えるスーパーマンが居て、4日休んだら間違いなくその人は会社で村八分されるでしょう。
そうですね。日本人から彼は恨みを買いますね。出る杭は打たれます。
>倒れるまで働くのは恥
>日本は倒れるまで働いたり、病気でも出社して働くと評価されるような国です。
そうですね。日本は出世のできる国ですね。
‘木口小平は死しても口からラッパを話さなかった。’ (修身教科書)
>スカパーではアメリカのドキュメント番組をやっているが、そこで驚くのは考え方の違いでした。
考えかたは国によってちがいますからね。それを知ったらカルチャーショックですね。
>「子供を送るから数時間遅刻する」なんてのは当たり前で、会社側も「あっそう」程度の反応です。>午前中は医者に行くから午後から出社とか、子供が風邪ひいたから休むなども非難はされないようです。
ほんとうにアメリカは結構な国ですね。労働が金に直結していますからね。昇進は自分自身の努力でやる。それは転職である。求めよさらば与えられん。Ask, and it will be given to you.
>日本だったら表向きは理解を示しながらも、陰湿なイジメが始まったり、リストラや見えない処罰の対象になります。>日本社会では疲れているのに限界を超えて働くと評価されるので、「しぬまで働く」という発想が出てくる。>自分はしぬまで働いているんだというのが評価されるので、本当に過労死する人が多い。>もうこんなばかな社会はやめようと言うと、皆賛成しながらも言った人をいじめたります。
そうですね。日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。
日本人には意思がない。だから意思決定はできない。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。
>こんな風なので日本企業が欧米や中韓にも負けるケースが続出したが、それでも歪んだ「頑張り」を辞めようとしない
日本人は思考を停止していますからね。それで、わかっちゃいるけどやめられない。
>野球の投手ですら100球投げたらやめる時代に、残業時間を評価したり自慢するのが謎です
それは日本語に原因があるのでしょう。
日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していない。
日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。
日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。
日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。
我が民族の序列メンタリティは国がひっくり返った後にも変わりませんでしたね。新憲法の前文には、 ‘・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。’ と高らかに宣言しています。地位とは国際社会の序列順位の事で、国際問題に関する問答には関心を持たずにひたすら順位の向上を待ち続ける奇異な民族の代表として存在します。序列メンタリティが邪魔になって問答ができないのか、問答ができないために序列メンタリティから離れられないのか。英語の習得力が不十分なためか。
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