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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

洗脳 1/5  

2021-05-31 03:28:13 | 文化

 

>謎ルールがやめられない日本の小学校 | メイン | 「遊びが育ててくれる子どもの能力」~まねっこあそび  >20210521日   

>あなたは洗脳を受けている   

>自己啓発セミナーとか聞くと、ちょっと怪しいかも・・・と感じる人がいるかもしれません。>でも“学校”と聞いて怪しいと思う人はほとんどいないでしょう。 >学校は基礎的な知識を身につけるところ、集団活動を通じて社会性を身につけるところだと思っている人が大半です。>ところが、もっと巧妙に、だれにも疑われずに全国の子供たちをマインドコントロールしているのが学校だと言われたらどう思いますか?  

 

それは逆説的に聞こえますね。   

 

> にほんブログ村 子育てブログへ >以下(https://jin-k.link/mind-control/)より引用します。

>———————————

>見えない同調圧力を作り出し、僕らを生きにくくさせているもの。>その正体は「常識」。>僕らが共有している世間の常識というものが、僕らの思考・行動に規制をかけ、まさに僕らの人生さえもコントロールしている。>僕らを支配するこの「常識」とは、一体何なのか…?   

 

それは良く分かりませんね。何やら便利な物らしいですね。       

 

>ここでひとつ、確認しておきたいことがある。>それは「知識」と「常識」の違いだ。>知識と言っても、正しい知識もあれば間違った知識もある。>一口に知識と言ってもいろいろあるが、基本的に知識とは事実に基づいたもの。>主観の入り込まない事実に基づいたもの。>それが知識。  

 

そういう事になりますかね。知識を世界に求め・・・・・。   

 

>それに対し常識とは、その場で共に生きる複数の人間が共有する価値観・感覚や暗黙のルール。  

 

嘘も百回言えば真実になる’。(ヨーゼス・ゲッベルス)    

 

>つまり常識とは、その時代・その国・その地域・その世代の人たちだけが単に共有しているにすぎない価値観やルールのこと。

 

そういうことになりますね。  

 

>まとめると、すなわち知識とは基本的に変わることのない事実。 >それに対して常識とは、その時代の情勢や置かれている状況・環境によってコロコロ変わってしまう不確実なもの。  

 

私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。   

 

>特にIT・インターネットの普及した現代では、驚くほど速いスピードで常識が書き換えられていく。>そして常識とは自然に形成されることもあれば、実は意図的に人の手によって加工されることもある。>いや、むしろ常識とは、その時代の権力者などによって都合よく加工され続けてきた。>僕らは、時代の権力者たちの手で都合よく加工された常識を刷り込まれ、知らず知らずの内にマインドコントロールされているのだ。

 

そういう事も考えられますね。   

 

>例えば戦時中。>戦時中の日本の学校と言えば、まさにマインドコントロールの場と言える。>男の子を、国にとって従順な兵士に育て上げるために、敵国であるアメリカ・イギリスを鬼畜と呼んで憎ませ、天皇を神格化し、「お国のため天皇陛下のために命を投げうつのが日本男児のあるべき姿」だと、学校教育を使って子供たちに刷り込んでいった。  

 

思考停止と暗記力の世の中でしたね。これは今も昔も変わらない。大規模な洗脳が起こり筋金入りの皇軍兵士が沢山出来上がりましたね。忠勇無双の我が兵ですね。            

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。     

 

 

 

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