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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

孫正義会長兼社長  

2024-06-30 23:24:38 | 文化

>日刊スポーツ   >孫正義氏、円安根源は日本の保守的経営と分析新技術を「まがい物と言いすぎた」と熱弁   >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・   。9時間・   

>ソフトバンク孫正義会長兼社長(66)が30日放送のTBS系報道番組「サンデーモーニング」(日曜午前8時)にコメンテーターとして初出演し、米大統領選、円安など時事問題についてコメントした。   

>青いジャケット姿でスタジオに座った孫氏は、冒頭に膳場貴子キャスターから「今朝は新しい、初めてのお客さまをお迎えしています。   

>孫正義さんです。   

>ご存じですね、ソフトバンクグループの会長兼社長でいらっしゃいます」と紹介されると、ほほえみながら「よろしくお願い致します」とあいさつした。   

37年半ぶりに1ドル160円を突破した円安加速についてもコメント。   

>「テクニカルには金利だとか、その他いろいろあると思いますけど、構造的問題だと思いますよね。   

 

そうでしょうね。   

 

>この30年間、日本の経済の底力、これがだいぶ弱まっているんだと思いますね」と語った。   

>続けて、身ぶりをまじえながら「30年前は、日本の自動車だとか、エレクトロニクスが世界最先端でね。   

>新しい技術をリードしてました。   

>半導体もそうでした。   

>しかしこの30年間、新しい技術が日本からほとんど出てこなくなった。   

>世界をリードするモノがね。   

>その間、アメリカはものすごく進化して、これから進化するんですね。   

>さらなる成長エンジンを国内に持っているかどうか、それが一番重要なファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)だと思いますね」と熱弁した。   

>この30年間の停滞の理由については「日本でバブルが弾けましたね。   

>不動産、その他ありました。   

>それで羹に懲りて(なますを吹く)…」と、ことわざをあげながら分析。   

>「保守的な経営が日本の主流になっちゃったんです。   

>インターネットだとか、そういうものが出てきた時に『これはまがい物だ』と言いすぎたんですね。   

>『若い者が何言っているんだ』みたいな感じで、昔の重厚長大な大経営者とか、メディアも含めてですね。   

>新しいモノを低く見すぎたんだと思う」と語った。   

>孫氏は「それで若者が萎縮しちゃったんですね。   

 

そうですね。若者は優柔不断・意志薄弱に見えますね。

日本人には意思が無い。それで皆が指示待ち人間になっている。

上からの賃上げ、上からの昇進、上からの補助金など、何でも上からの指示を心待ちにしている。自主性が無い。思考停止の人間が多すぎる。これで国がやっていけるのか。

やって見せ 言って聞かせて させて見せ 褒めてやらねば 人は動かじ (山本五十六)     

もはや我々は思考停止ではいられない。 ‘天は自ら助くる者を助く’と知るべきである。     

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

>大企業も設備投資を…半導体の設備投資を萎縮しちゃった。   

>これはやっぱり構造問題だと思いますね」と繰り返し「もう1回、立ち直らせるためには、最先端の技術を真っ正面から取り組まなければいけないと思います」と持論を展開した。   

 

自由とは意思の自由のことである。日本人には意思が無い。だから、自由そのものにも意味がない。不自由を常と思えば不足なしである。   

 

 

 

 


吉田統幕長  

2024-06-30 21:56:46 | 文化

>読売新聞   >「我が国周辺でもウクライナと同様の深刻な事態が起きる可能性は否定できない」吉田統幕長インタビュー要旨   >読売新聞によるストーリー・   >11時間・   

> 吉田統幕長の書面インタビュー要旨は以下の通り。   

>◇   

>――国際社会は70年で幾度となく歴史的な転換を経験し、自衛隊の態勢も拡充されてきた。   

>所感は?   

> 自衛隊創設後の70年間は、〈1〉米ソ冷戦期(~89年)〈2〉ポスト冷戦期(90年代~2010年代)〈3〉新たな大国間競争期(20年代~)の三つに区分されていると考えている。   

> 18年に米国の対中政策が協調から競争へ転換したのを契機に、多極構造の下、米中の戦略的競争を主軸とした大国間競争の時代が始まった。   

>この時代は21世紀半ばまで続くだろう。   

> 大国間競争の主要な正面であるインド太平洋、中でも、力による現状変更を試みる中国、北朝鮮、ロシアに隣接する我が国は、最前線に位置する。   

>我が国周辺においても、ウクライナと同様の深刻な事態が起きる可能性は否定できない。   

> こうした危機感から、新たに安全保障関連の3文書が策定され、防衛力を抜本的に強化するとともに、日米同盟の抑止力を強化することとなった。   

>――国際社会は力による現状変更を試みる動きへの対応に苦慮している。   

>自衛隊はどんな役割を担うべきか?   

> 70年間、政府、国民、そして自衛隊の諸先輩の努力により、我が国への武力攻撃事態は一度も起きなかった。   

>戦後最大の試練に直面している現在、我々の最も重要な使命は、引き続き我が国に対する武力攻撃を起こさせないことだ。   

>加えて、インド太平洋地域の平和と安定にも最大限寄与することだ。   

> インド太平洋地域の安全保障上の枠組みは、米ソ冷戦時代には、米国を中心として2国間同盟を放射線状につなげる「ハブ・アンド・スポーク」だった。   

>現在は日米豪を中核としつつ、フィリピンなどの東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国、インド、英国やカナダなどの北大西洋条約機構(NATO)諸国、韓国など、法の支配に基づく国際秩序を維持しようという諸国と格子状の連携を深める方向に変わってきている。   

> 3国間、4国間などの「ミニラテラル」の多層的ネットワークを強化し、共同演習においてできる限り多数の同盟国・同志国を結集することが、法の支配に基づく国際秩序を維持する「力」となる。   

>自衛隊として積極的な役割を果たしていく。   

>――自衛隊の任務は増大している。   

>超高齢社会では隊員の確保が一層難しくなる。   

>難局をどう乗り切るか?   

> 少子高齢化が進む中で、自衛官の採用に関して抜本的な改革を行わなければならない。   

>その1つが女性自衛官の登用。   

>現在、全自衛官に占める女性の割合は8・7%。   

>これを30年度までには12%以上に上げていきたい。   

> 女性が出産や育児で退職せざるを得なかった環境を改善し、男性の育児休暇を奨励するなど、働きやすい環境を整備していく。   

> 人工知能(AI)や無人化装備などを積極的に導入する。   

>民間企業の能力やOBなどの活用によって、現役の自衛隊員でなければできない業務に隊員を集約させていく。   

>――入隊からの数十年間を振り返り、隊員としての信念ややりがい、自衛隊の組織風土や思考、肌で感じる国民からの視線や期待をどう感じているか?   

> 入隊した86年頃は、自衛隊に対する社会的な認知度は必ずしも高くなかった。   

>(防衛大学校ではない)一般大から就職先として自衛隊に決めた時、周囲からは、やや奇異の目で見られた。   

>この頃の自衛隊の広報は、自衛隊の認知度を上げることに重点が置かれていた。   

> 状況が大きく変わるのは11年の東日本大震災。   

>直後の世論調査で、自衛隊に対する国民の支持は9割を超えた。   

>ただ、災害派遣や国際任務への認知度が高まる中、本来の任務である「防衛」に対する理解度は必ずしも浸透していなかった。   

> 中国や北朝鮮の軍事活動が活発化し、次第に防衛に対する国民の関心が高まってきた。   

>決定的な転機は22年のロシアによるウクライナ侵攻だろう。   

>21世紀においてもこのような侵略戦争が起きるという衝撃が我々も含めて走った。   

 

そうですね。   

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相     

我が国は平和国家である。だから我が国は敵国には戦わずして勝つ必要がある。それに見合った抑止力を持つことが必要である。

'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)   

 

> 組織風土について。   

>自衛隊幹部の主流は防大卒で、私のような一般大卒は傍流だった。   

>自衛隊が一般大から採用していたのは、組織が同質性に偏らないようにとの配慮だと思う。   

> 将官(将・将補)における女性の比率が2%に満たないことは深刻だ。   

> 「心理的安全性」が確保され、多様性のある「自由で開かれた自衛隊」こそ、これからの戦略環境に対応できると考えている。   

> 最後に、やりがいについて。   

>「現場感覚をしっかり持った上で、安全保障戦略の策定に関与したい」という入隊の動機は、部隊勤務や国家安全保障局(NSS)勤務を通じてかなった。   

>中隊長、連隊長、師団長、方面総監、陸上総隊司令官という指揮官職は、自衛官でしか得られない貴重な経験だった。   

> 現在、(自衛官の)最終ポストとして統幕に配置され、〈1〉複合事態への同時対処〈2〉統合運用体制の抜本的強化〈3〉同盟国・同志国との防衛協力の推進――という、防衛戦略の骨幹となる職務をやりがいあふれる仲間と果たしていける喜びは、何物にも代え難いと感じている。   

>◇   

>  よしだ・よしひで  86年東大卒。   

>北部方面総監、陸上総隊司令官、陸上幕僚長。   

>東京都出身。   

 

 

 

 

 

 


日本哲学入門  

2024-06-30 14:49:30 | 文化

>現代ビジネス   >仏教はなぜここまで日本で受け入れられたのか…私たちの根源に埋め込まれた「空」というメッセージ   >藤田正勝の意見・   >1日・   

>明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。   

>「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。   

>そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。   

>『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。   

>※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。   

>「空」とは何か   

>「空」という概念をめぐって、西谷啓治が「空と即」(『講座仏教思想』第五巻、一九八二年)という論文のなかで興味深いことを記している。   

>西谷によれば、「空」の概念はインドで──たとえば先ほど見た「色即是空」の場合のように──すべての事物がそれ自体として存在しているのではないということを言い表す理論上の概念として成立したが、それが日本に伝えられたとき、純粋に理論的な概念としてではなく、むしろ感情や情緒と結びつく仕方で受け入れられた。   

>その背景には、そもそも日本では「死」というものが、「はかない」とか「むなしい」といった感情と深く結びついたものとしてとらえられていたことがあったと考えられる。   

>もちろん人間の有限性、あるいはすべてのものが移ろいゆくということは、日本でも、インドでも、あるいはヨーロッパでも同じであって、日本においてだけとくに人間の有限性ということが言われるわけではない。   

>無常感、そしてそれを基礎とした無常観という世界観は、どこにも共通して見られる。   

>たとえば、よく引用されることばであるが、『旧約聖書』の「伝道の書」には、「空の空、すべては空なり」ということばがある。   

>しかし西谷は──これは別の論文「芭蕉について」においてであるが──東洋と西洋とでは、無常というものが感じられる地盤は同じではないと言う。   

>西洋においては、すべてが移ろうと言われる場合にも、その根底に、何らかの意味で移ろわぬもの、永遠なものが考えられているというのである。   

 

そうですね。西洋人には現実(事実)と非現実(考え・哲学)がありますからね。  

 

>たとえばイデアというような考え方もそうであるし、キリスト教の神もそうである。   

>西洋の無常というのは、そういう永遠なものに支えられた、あるいはそれに基礎づけられた無常である。   

 

そうですね。西洋には永遠 (考え・哲学) もあれば無常 (現実) もある。   

 

>それに対して東洋の場合には、そういう移ろいゆくものの背後に永遠なるものが見られず、そのために、その無常感、あるいは心の「むなしさ」といったものがどこまでも深くなっていくところがあると西谷は述べている。

 

そうですね。日本語は写生画の言葉ですからね。万物は流転しますね。   

 

>私たちはたとえば自然の諸事物を見たり、聞いたりする場合でも、それを単なる知の対象としてではなく、むしろ情意の対象として、つまり気分的なものと結びついたものとして受けとっている。   

>晴れ渡った青空を見れば、さわやかさを感じ、心も晴れ晴れとするし、無邪気にほほえむ赤ちゃんの顔を見れば、見ているこちらの心もおのずから和んでくる。   

>知るということと、気分、感情、情緒というのは深く結びついているのである。

 

そうですね。全ては気分・雰囲気・感情と結びついていますね。   

 

>西洋と東洋の違い   

>一般的にそのように言えるが、仏教の「空」という概念が日本に受け入れられたときにも、──蓮如の『御文章』の「はかない」とか、「あわれ」という表現に端的に見られるように──単なる理論的な概念としてではなく、情緒と深く結びつくような仕方で受けとられた。   

>そのように情意のレベルで受けとられた「空」を西谷は「情意における空」ということばで言い表している。   

>もちろん、「空」という概念は中国においてもすでに情意的なものと結びついて受けとられたということも言える。   

>空、つまりシューニヤ(śūnya)というインドで成立した概念が「空」という中国語に移されたとき、純粋に理論の上でというよりも、「空」ないし「虚空」のもともとの意味である「目に見えるそら」と結びつく形で受容されたと西谷は指摘している。   

>目に見えない永遠無限なものであるシューニヤが、人間にとって目で見ることのできる唯一の永遠なるものである「そら」と結びつけて受容されたのである。   

 

そうですね。目に見えない者は信じられませんからね。    

 

>概念の受容の歴史という観点から見たときたいへん面白い点である。   

>異なった文化のなかの新しい概念に接したとき、それをどのように受容するかというのは、つねに大きな困難を伴う作業であるが、中国の人たちは、目に見えない無限である「空」を理解するために、目に見える無限を手がかりとしたのである。

 

日本人も中国人と同じですね。国文法に時制がない。   

 

>「空」ということばは中国でも、いっさいは空であると観取することから生じる特有の「気分」をも言い表すことばとして使われた。   

>しかし日本ではより強く「はかなさ」や「むなしさ」、そういった気分と結びついたものとして「空」の概念が受け入れられていった。   

 

そうですね。日本人は感情的な国民ですからね。   

 

>西谷はそうした例の一つとして、次の西行の歌を挙げている。   

>「風に靡くふじの煙の空に消えて行方もしらぬわが思ひかな」という歌である。   

>ここでは自分の思いのはかなさ、あるいは自分の存在の虚しさが、空に消えていく煙のはかなさと、それを消していく空の虚ろさに重ねあわされている。   

>その背後には、もちろん仏教の「空」の思想がある。   

>それがここでは空に消えていく煙のはかなさと、そして自らの存在の不確かさと重ねあわされている。   

>そのように「空」が受けとめられたということは、本来なかったものがそこに付け加えられたということでもあるが、しかしそれによって教理がゆがめられたとは単純には言えないであろう。   

 

日本語は写生画の言葉である。現実 (事実) の内容は頭の外にある。

非現実 (考え・哲学) の内容は頭の中にある。日本語の文法には時制 (tense) というものが無いので文章にならない。だから頭の中のモノは意味をなさない。空にも意味がない。ただもやもやしたものになる。そして日本人の気分・雰囲気・感情にその効果を及ぼす。   

何事のおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる。 (西行法師  

 

>仏教の理論がこのように気分的なもの、情緒的なものと深く結びつく仕方で受けとめられたために、日本では仏教が人々のあいだに受け入れられ、深く浸透していったということも言える。   

 

そうですね。日本人には非現実はわからないが、気分・雰囲気・感情ならわかる。無哲学・能天気は治らない。      

 

>そうでなかったら、仏教は日本でこれほど深く根を下ろすことはできなかったかもしれない。   

 

そうですね。生まれた時には宮参り、結婚式はキリスト教会、葬儀の時は仏式のご厄介になる。これは、教義に依る効果ではない。良い気分・雰囲気を追及した結果ですね。   

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。   

 

(略)