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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

思考停止 2/2

2019-09-06 23:27:45 | 社会

>■形骸化した大学教育と、選択肢を狭める“正社員信仰”
>そもそも、大学が果たすべき役割が明確に定義されていないんですよ。

大学の目的は、’考える人’ を作ることですね。’各人に、哲学は必要である’ 。 Everyone needs a philosophy. 高等教育の無償化は必要ですね。

>先ほどもお話ししたように、現状の教育システムだと、大半の子供は思考停止したまま目的もなく大学に進学することになります。

そうですね。それは、日本語の特性によるものが大きく作用していますね。

>学生側に目的がないので、教授側も何を提供すればいいのか分からない。

そうですね。
‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)

>大学が何を学ぶ場所なのか、定義づけができていないことが問題だと思います。

そうですね。’各人に、哲学は必要である’ の要求に、大学は答えていませんね。無哲学・能天気の国民の問題ですね。

>■新時代の評価指標は、学歴よりも“学習歴”
>ひとつ有効だと思っているのは、学歴ではなく“学習歴”を見ることです。

‘覚える’ と ‘考える’ のは、まったく別の精神作業ですからね。学習歴は、考える個人の歴史ですかね。

>先ほどお話ししたように、学歴や偏差値は基本的に高度経済成長期的な“記憶力”を測るものさしなので、そういったスコアリングの信頼性はどんどん低下していくと思います。

そうですね。

> 企業によって求めるスキルセットが変わるので、これまで何を学んできたか、学習履歴のポートフォリオを見た方が採用判断もしやすくなっていくでしょう。[portfolio: 一覧表]
>ここから20年くらいで、学歴ではなく学習歴を見るスタイルが王道になっていくと思います。

それは、どうだかわかりませんね。それは、序列社会の掟にかかわる問題ですからね。日本語の階称 (言葉遣い) に基づいた序列メンタリィティ (考え方) が解消するかどうかにかかっていますね。

>■学歴を追いかける時代は終わった。
>思考の深さとトライアンドエラーの数が、エリートへの道 > 大前提として、思考力、すなわち“アタマの良さ”に学歴との相関性はないです。

そうですね。思考力ですね。面接をしないと分かりませんね。

(略)
>結局、何度も行動を積み重ねながらやりきるしかないんです。>“数を打てば当たる”戦法で、何度も行動して改善していけば、そのうち成功します。

‘Practice makes perfect.’ (習うより慣れろ) ですか。思索の時間が必要ですね。

>学歴という分かりやすい価値基準が有効性を失いつつあるいま、自分の適性や身につけるべきスキルについて何度も考え抜き、トライアンドエラーを繰り返すしかないんです。

我々は、考える人になる必要がありますね。序列を見ると、一も二もなくありがたがる ‘序列メンタリィティ’ が最大の問題ですね。

> 今までのように、学歴さえ身につければエリートになれる時代は終わっていく。>思考停止して「言われたことだけやっていく」スタンスが一番危険だ。

そうですね。それは、ロボットですね。

>自分が何をしたいのか、そのために何をすべきなのか、一通りの正解はないので、自分のアタマで考え続けていかないといけない。

そうですね。我々は、’考える人’ になる必要がありますね。

>(一部略)
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思考停止 1/2

2019-09-06 23:04:25 | 社会

>346638 日本のキャリア教育が突きつける、18年間の“思考停止” 学歴が無効化する時代の優秀さとは  >匿名希望 19/06/09 PM09 【印刷用へ】
>現代の日本の大学は、無価値な記憶能力が身につくだけで「思考停止」に陥る場である。

そうですね。残念ながら日本の大学は、そのようですね。
‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)

>すべてが受験最優先のもとに収束し、現実に対応できない無能で不適合な人材を輩出する機関であるのだと認識できる。

そうですね。わが国には、受け売りばかりが専門の大学卒業生がいっぱいいますね。
イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。
評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)
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>日本のキャリア教育が突きつける、18年間の“思考停止”。>学歴が無効化する時代の優秀さを、“非大卒エリート”の可能性から考えたリンク

日本人が、大学を無効かしてしまった。

>■現代のキャリア教育が生む”思考停止”。
>身につくのは無価値な“記憶”能力

そうですね。

(略)
>生まれてから大学に行くまでの18年間、“受験が最優先事項”状態がずっと続いているので、人生やキャリア設計については思考停止せざるを得ない。

序列人間には、エスカレータが必要ですね。

>若くて吸収力が高いうちに幅広くインプットして試行錯誤した方が効果的なので、非常にもったいない状況です。

本当に、わが国の若者は無駄をさせられていますね。

> (中略)
> 受験で求められる能力と社会で求められる能力にズレがある点も問題だと思っています。>受験勉強を通して身につく「記憶能力」は、現代では価値がありません。

そうですね。序列争いの勉強は、世評ばかりが基準ですからね。

>たしかに、インプットしたものをそのままアウトプットするスキルが重宝されていた高度経済成長期には、人間に求められる能力は「記憶」でした。>ところが、テクノロジーが発達した結果、記憶装置的機能は機械が担ってくれるようになりました。

そうですね。人間の記憶力は、記憶装置にはかないませんね。

>そうした現状を受け、人間に求められる能力は、クリエイティビティと思考力、そしてコミュニケーション能力に変わったんです。

そうですね。
非現実の内容を現実の世界において実現すれば、それは創造力を発揮したことになりますね。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。矛盾を含まない文章は、全て正しい考えを示している。だから、正解は一つではない。考えは、人様々である。正解は、いくらでもある。
矛盾を含んだ文章も、その矛盾を取り除けば正しい考えを表すことになる。矛盾を取り除くためには、対話・議論が役に立つ。だから、コミュニケーション能力は大切である。

>しかし現代の受験をゴールとした教育は、高度成長期から変わらず記憶能力を育てるものとなっており、このギャップに根本的な問題があります

そうですね。日本人は、思考停止の状態にありますから、記憶能力を育てるしかありませんね。
非現実 (考え) の内容は、時制 (tense) のある文章内容になる。だが、日本語の文法には、時制というものがない。だから、日本人は、非現実 (考え) を内容とする文章を作ることが難しい。そして、思考停止の状態になっている。これが根本的な問題ですね。


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