(略)
>表面的には情報を調べ現状の危機を認識しているふりをして、自覚したふりをしますが自分も社会も何も結果が伴っていることを、あえて無視している自分に目を向けないことこそ自覚の欠如です。
そうですね。上辺だけの解釈が多いですね。個人主義がないですね。
>あなたがもし真の意味で危機感を自覚していれば、きっと今の仕事などやめてしまうくらいに行動するでしょう。
そうかもしれませんね。
>真の意味で「社会を守るために行動しているとうそぶく自分」に気付けた人は、恥ずかしくて休みを取ることさえできなくなるでしょう。
そうかもしれませんね。
>自覚と行動と結果が重要とあなたが真に気付いていれば、自分たちが嘘つきでなくなるのは日本がよくなった時だけだと気付くことでしょう。
それは、難しいことですね。
>しかしネット住民は自分の正義に現在は酔いしれているだけのようです。
誰しも自分だけは例外ですからね。
>人間が真に行動すれば結果は100%です。
それは、どうですかね。失敗しないということですかね。
>これは様々な反体制運動にも共通することです。
>それらのすべては現状で全く成功していない、ということを受け入れている人を見かけることはほとんどありません。
それは、そうですね。
>我々は常に失敗しており何も言う資格がないくらいに負け続けています。
そうですね。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
>経過がどうとか一歩ずつとかそんな言葉など本質的に必要ないものです。
そうですね。本質は、意思の問題でしょうね。
>FBのウォールにはいろんな社会問題の記事であふれていますが、社会が何一つ変わっていないのは、私たちの自覚がまだまったくないからなのです。
そうですね。
意思のあるところに方法・仕方がある。Where there’s a will, there’s a way.
日本人には、意思がない。
意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思がない。英文法には時制がある。だから、英米人には意思がある。方法がある。
仕方がないから、無為無策でいる。座して死を待つか。情けない。
意思があれば、加害者意識もある。罪の意識も獲得できる。深い反省に陥ることもある。教訓を得て、以後の生活態度が一変する。意思がなければ、加害者意識もない。アニマルと同じである。被害者意識ばかりがある。無哲学・能天気な人間のままでいる。罪を知らない大人を見るのが実に恨めしい。
我々日本人は、日本語と英語を学んで、意思の使い方を覚えよう。理解が自覚になる。さすれば、我々は社会変革の手段を得て世界の先頭に立つことができる。だから、両言語の研鑽は我々にとって極めて重要な課題なのであります。
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