先週後半、弊社専務が宮城県の被災地情報収集に団体参加しました。
もともと、弊社と東北は深いつながりです。高度成長期に東北地方の各地に電子部品関係の工場、そしてその協力会社などが次々出来て、その各地を定期便にて毎日、運行し、埼玉・東京を結んでいました。その運行の殆どを、宮城県の乗務員さんが担当し長年、安全に運行を遂行されたのです。時代が変わり、今度は次々に工場の閉鎖などが相次ぎ、取扱量も減り、昨年の震災の前年の終わりに定期の運行は終了していました。
以前に運行していたルートには大変な被害を受けている地域が多く、皆さんがどうされているかも今となってはわからない状況でした。
初日は石巻・南三陸方面でした。
南三陸の合併前の旧志津川町にもお客さんの工場がありました。もちろん、そのあたりは現在は何も残っていません。
幸い、県議でいらした元社長さんは健在でしたが、同じ地域の議員さんの多くが、震災時、丁度会合で集まっており、避難先が防災庁舎で、避難を呼びかけながら命を落とされた女性と同じ建物で多くの方が亡くなられたということでした
助かった方の話では、一回目の津波が引いた後、家に戻ってしまい、次の津波で亡くなれれた人も多いとのこと。明け方まで津波は繰り返したようです。
復興に関しては、一言で言えば、まだ何も始まっていないという事です。特に、被災した中小企業に対しての救済は何もなされていない状態です。
そのような中、だからこそ自力で立ち上がっている経営者の姿が大変印象的だったとの事です。
2012年4月11日、第二創業を始められた会社
丸平木材株式会社
自宅・会社が流されていくのを目の当たりにしながら、すでに営業再開された鮮魚店
株式会社ヤマウチ(山内鮮魚店)