つい一週間ほど前、TVを見ていたら、
村上春樹氏の新刊が出たとのことで、
並んでその発売を待つ人たちのニュースがあった。
その前の評判になった『1Q84』も読んでいない。
はるか昔、『ノルウェイの森』を読んで、
なんだか居心地の悪い感じ…お尻むずむずみたいな。
といっても、はっきり覚えていない
(う~む、村上春樹氏の愛読者の方々には、申し訳ない)
でも、あの赤と緑の表装は当時、非常にインパクトがあった。
それでも、何の雑誌だったか、
コラムを読んでいて面白いなぁって思って、
改めてを見ると、村上春樹の名前。
図書館に行った折に
「村上春樹」検索…いっぱいあるあるぅ~
行きあったりばったりに一冊借りたのが
『村上春樹雑文集』。
これが、結構わたし的にBingo
少々、飛ばした箇所もあるけど、
〈Norwegian Wood〉が「ノルウェイの森」ではなく
「ノルウェイ製の家具」という解釈とか、
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の翻訳のこととか、
ふんふんと読めちゃう。
なかでも気になったのは、
トルーマン・カポーティの『最後の扉を閉めろ』の最後の一節、
「そして彼は枕に頭を押し付け、両手で耳を覆い、こう思った。
何でもないことだけ考えよう。風のことを考えよう、と」
"think of nothing things, think of wind."
についての雑文…
何かつらいことや悲しいことがあると、
村上氏はこの一節を思い起こすことになったらしい。
人が、ほんとうに風について考えられるのは、
人生の中のほんの一時期。
誰でもいつでもできるわけではない。…と。
つらい時なんて、ほんとうはないに越したことはないけど、
もし万が一、そうなったとき
負のスパイラルから逃れるための手段かもしれない。
そして、そこからはい出せたときに
つらいときを振りかえって、自分自身をほめてやりたいな、
できれば、ニンマリしながら。
この雑文集を読んでいると
いろいろ読み返したいと思う本やらが出てくる。
そう考えると、処分した本がいとおしい
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村上春樹氏の新刊が出たとのことで、
並んでその発売を待つ人たちのニュースがあった。
その前の評判になった『1Q84』も読んでいない。
はるか昔、『ノルウェイの森』を読んで、
なんだか居心地の悪い感じ…お尻むずむずみたいな。
といっても、はっきり覚えていない
(う~む、村上春樹氏の愛読者の方々には、申し訳ない)
でも、あの赤と緑の表装は当時、非常にインパクトがあった。
それでも、何の雑誌だったか、
コラムを読んでいて面白いなぁって思って、
改めてを見ると、村上春樹の名前。
図書館に行った折に
「村上春樹」検索…いっぱいあるあるぅ~
行きあったりばったりに一冊借りたのが
『村上春樹雑文集』。
これが、結構わたし的にBingo
少々、飛ばした箇所もあるけど、
〈Norwegian Wood〉が「ノルウェイの森」ではなく
「ノルウェイ製の家具」という解釈とか、
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の翻訳のこととか、
ふんふんと読めちゃう。
なかでも気になったのは、
トルーマン・カポーティの『最後の扉を閉めろ』の最後の一節、
「そして彼は枕に頭を押し付け、両手で耳を覆い、こう思った。
何でもないことだけ考えよう。風のことを考えよう、と」
"think of nothing things, think of wind."
についての雑文…
何かつらいことや悲しいことがあると、
村上氏はこの一節を思い起こすことになったらしい。
人が、ほんとうに風について考えられるのは、
人生の中のほんの一時期。
誰でもいつでもできるわけではない。…と。
つらい時なんて、ほんとうはないに越したことはないけど、
もし万が一、そうなったとき
負のスパイラルから逃れるための手段かもしれない。
そして、そこからはい出せたときに
つらいときを振りかえって、自分自身をほめてやりたいな、
できれば、ニンマリしながら。
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