昭和44(1969)年12月、ワグネル(男声合唱団)は定期演奏会においてOBと合同
でワーグナーの「タンホイザー」第2幕、第3幕ハイライト(福永陽一郎編曲、畑中
良輔先生指揮、独唱;長野羊奈子、平野忠彦--一部敬称略、以下同じ)を初めて
演奏した。
それ以来、何年かに一度現役、OBが一体となって同曲を演奏するのが恒例とな
り、その4年後の昭和48(1973)年、私が責任学年だった定期演奏会でも、畑中先
生(当時51歳!)の指揮、独唱瀬山詠子、工藤博で再演している。
その後、昭和53、58、平成3、8、13年(--H13年の演奏は聴いていて感動に打ち
震えた。)と、ソリストは変われど畑中先生の指揮で繰り返されてきたが、今年の
定期演奏会では久しぶりに「タンホイザー」を取り上げる。定期演奏会で畑中先生
が「タンホイザー」ハイライトを演奏するのは、今度で8回目、その「初演」から
40年目になる。
私事ではあるが(--ブログはみんな私事かな?)、私は前述した昭和48(1973)
年、ワグネル4年の定期演奏会には参加できなかった。定期演奏会の数日前にイン
フルエンザにかかり、当時はタミフルとかリレンザなるものはなく、当日も高熱に
うなされていたのである。私はそのリベンジ(リレンザではありません。)として
昭和53(1978)年の定期演奏会でOBの一員として「タンホイザー」を暗譜で歌っ
た。
あれから31年!今年の「タンホイザー」には、一念発起、オンステしようと現役
(とOB)の練習に毎回参加している。ステージ用のブレザーも注文した。インフ
ルエンザには、手洗いとうがい、十分注意している(笑)。
既に学生指揮者の練習に2回、畑中先生の練習に2回参加したが、「言うは易く、行
うは難し」、まったく腹筋も声帯も衰えているのが分かる。なんとか本番にピーク
を持って行きたいと考えている。
さて練習であるが、日頃「ドイツ語のワグネル」などといっているが、最初からで
きるわけもなく、畑中先生もドイツ語の発音は一人ひとりができるまで、うるさく
指導される。アマチュア合唱団の「第九」などを聴いているとカタカナに近いドイ
ツ語で歌っているが、練習では「カタカナになるなよ~」とお叱りが飛ぶ。
「Freudig begru(uウムラウト)ssen」(喜んでおじぎをする。)、ここまでで8
つくらいの注意が出てくる。「Fr」は拍の前に出して。「ei」はやや明るめ。
「i」は横開きにならず。「be」は「ベ」ではない、「バ」でもない。「○」(表
記不能。耳で覚えるしかない。)等々。発音がよくなってくると「意味を考えない
で歌っている。そんなんじゃ心に響かない」。
老いたる巡礼の合唱;「Beglu(uウムラウト)ckt darf nun dich, o Heimat,
ich shauen」(おー故郷よ、喜んで私は今あなたを見るのです。)--「巡礼から
帰った来た『今!』、おー『故郷』よ!一語一語に意味があり、感動がなければだ
めなのっ」
「Su(uウムラウト)hn'」贖罪を重く。「Erlo(oウムラウト)sung」はハッキ
リ!ワーグナーの救済の思想!キーワードなんだから。
ユニゾンで泣かせてくれ。ピッチをそろえて、下がらないように。
--単に「そこはfとかpとか」ではなく、感性にあふれた先生の言葉が練習会場
に響き渡る。
練習に没頭し、畑中先生の棒にくらいついているうちに36年前の現役時代が甦って
きた。普段の先生(87歳!)は少し背が小さくなられたように思うが、練習となる
と36年前と少しも変わらず、萎縮してこちらの声が出なくなりそうなほどとてもお
っかないし(ナニクソ負けてたまるか。)、指揮をしているお顔もお声もまったく
当時のままだ。私もきっと36年前と同じ顔で歌っているのだろう。
「『タンホイザー』は4、5年ごとにやっているけれど、ただ繰り返せばいいっても
んじゃないの。OBもぼくもその間、成長があってしかるべきでしょ。人生が深ま
ってる」
「OBは何人乗るの?(60人です。)OBには期待しています。足をひっぱらない
でネ(笑)。(譜面に目を落としながら)OBがたくさん乗ってくれるとぼくも嬉
しいです・・・・・・」
これだけで泣いてしまった。練習後、私は先生に「新人のつもりで頑張ります」と
言おうと思っていたが、言いそびれてしまった。
今年は畑中先生がワグネルの指揮者になられてから50年目になる。同じ合唱団を50
年指揮するのは、ムラヴィンスキー/レーニングラード・フィルに匹敵する。
帰りの電車でS55年卒のFさん、Sさんと一緒になる。「ぼくは31年ぶりなの」と
いうと、Sさんは「その時(31年前)ぼくらは現役の3年生でした。ぼくは今度で6
回目(!)の『タンホイザー』です。」(--後輩ながら尊敬!実践はやはり尊
し!)
明徳幼稚園における練習風景
ピアニストは前田先生
畑中先生の指揮ぶり OBは座っている方もおられるが、先生は2時間立ちっぱなし
絶対風邪をひかないように、アスコルビン酸(原末)を購入(11/1)
でワーグナーの「タンホイザー」第2幕、第3幕ハイライト(福永陽一郎編曲、畑中
良輔先生指揮、独唱;長野羊奈子、平野忠彦--一部敬称略、以下同じ)を初めて
演奏した。
それ以来、何年かに一度現役、OBが一体となって同曲を演奏するのが恒例とな
り、その4年後の昭和48(1973)年、私が責任学年だった定期演奏会でも、畑中先
生(当時51歳!)の指揮、独唱瀬山詠子、工藤博で再演している。
その後、昭和53、58、平成3、8、13年(--H13年の演奏は聴いていて感動に打ち
震えた。)と、ソリストは変われど畑中先生の指揮で繰り返されてきたが、今年の
定期演奏会では久しぶりに「タンホイザー」を取り上げる。定期演奏会で畑中先生
が「タンホイザー」ハイライトを演奏するのは、今度で8回目、その「初演」から
40年目になる。
私事ではあるが(--ブログはみんな私事かな?)、私は前述した昭和48(1973)
年、ワグネル4年の定期演奏会には参加できなかった。定期演奏会の数日前にイン
フルエンザにかかり、当時はタミフルとかリレンザなるものはなく、当日も高熱に
うなされていたのである。私はそのリベンジ(リレンザではありません。)として
昭和53(1978)年の定期演奏会でOBの一員として「タンホイザー」を暗譜で歌っ
た。
あれから31年!今年の「タンホイザー」には、一念発起、オンステしようと現役
(とOB)の練習に毎回参加している。ステージ用のブレザーも注文した。インフ
ルエンザには、手洗いとうがい、十分注意している(笑)。
既に学生指揮者の練習に2回、畑中先生の練習に2回参加したが、「言うは易く、行
うは難し」、まったく腹筋も声帯も衰えているのが分かる。なんとか本番にピーク
を持って行きたいと考えている。
さて練習であるが、日頃「ドイツ語のワグネル」などといっているが、最初からで
きるわけもなく、畑中先生もドイツ語の発音は一人ひとりができるまで、うるさく
指導される。アマチュア合唱団の「第九」などを聴いているとカタカナに近いドイ
ツ語で歌っているが、練習では「カタカナになるなよ~」とお叱りが飛ぶ。
「Freudig begru(uウムラウト)ssen」(喜んでおじぎをする。)、ここまでで8
つくらいの注意が出てくる。「Fr」は拍の前に出して。「ei」はやや明るめ。
「i」は横開きにならず。「be」は「ベ」ではない、「バ」でもない。「○」(表
記不能。耳で覚えるしかない。)等々。発音がよくなってくると「意味を考えない
で歌っている。そんなんじゃ心に響かない」。
老いたる巡礼の合唱;「Beglu(uウムラウト)ckt darf nun dich, o Heimat,
ich shauen」(おー故郷よ、喜んで私は今あなたを見るのです。)--「巡礼から
帰った来た『今!』、おー『故郷』よ!一語一語に意味があり、感動がなければだ
めなのっ」
「Su(uウムラウト)hn'」贖罪を重く。「Erlo(oウムラウト)sung」はハッキ
リ!ワーグナーの救済の思想!キーワードなんだから。
ユニゾンで泣かせてくれ。ピッチをそろえて、下がらないように。
--単に「そこはfとかpとか」ではなく、感性にあふれた先生の言葉が練習会場
に響き渡る。
練習に没頭し、畑中先生の棒にくらいついているうちに36年前の現役時代が甦って
きた。普段の先生(87歳!)は少し背が小さくなられたように思うが、練習となる
と36年前と少しも変わらず、萎縮してこちらの声が出なくなりそうなほどとてもお
っかないし(ナニクソ負けてたまるか。)、指揮をしているお顔もお声もまったく
当時のままだ。私もきっと36年前と同じ顔で歌っているのだろう。
「『タンホイザー』は4、5年ごとにやっているけれど、ただ繰り返せばいいっても
んじゃないの。OBもぼくもその間、成長があってしかるべきでしょ。人生が深ま
ってる」
「OBは何人乗るの?(60人です。)OBには期待しています。足をひっぱらない
でネ(笑)。(譜面に目を落としながら)OBがたくさん乗ってくれるとぼくも嬉
しいです・・・・・・」
これだけで泣いてしまった。練習後、私は先生に「新人のつもりで頑張ります」と
言おうと思っていたが、言いそびれてしまった。
今年は畑中先生がワグネルの指揮者になられてから50年目になる。同じ合唱団を50
年指揮するのは、ムラヴィンスキー/レーニングラード・フィルに匹敵する。
帰りの電車でS55年卒のFさん、Sさんと一緒になる。「ぼくは31年ぶりなの」と
いうと、Sさんは「その時(31年前)ぼくらは現役の3年生でした。ぼくは今度で6
回目(!)の『タンホイザー』です。」(--後輩ながら尊敬!実践はやはり尊
し!)
明徳幼稚園における練習風景
ピアニストは前田先生
畑中先生の指揮ぶり OBは座っている方もおられるが、先生は2時間立ちっぱなし
絶対風邪をひかないように、アスコルビン酸(原末)を購入(11/1)
演奏会が楽しみです。
本番で感動いただくためには一人ひとりがもっと努力しなければなりません。--これからモルト・クレッシェンドが必要です。私なんか本番が終わったら倒れないか、ちょっと心配です(笑)。「学級閉鎖」にならないよう気をつけます。
今年は現役40人+OB60人です。当時とはバランスが逆でしょうか。練習はいよいよ大詰めです。
またいつでも気楽にお立ち寄り下さい。