今年は昭和99年だ(来年は100年)。--昭和は遠くなりにけり。
今から80年前、昭和19年正月は戦時中だった。
父(25)は大学を卒業後、出征し、中国(「北支」)にいた。
母(20)は海軍省人事局に勤務していた。
現在、老健でお世話になっている、わが叔母さんは18歳。「チッ
ソ」人事部に勤務していた。
19年1月、「チッソ」の創業者(野口遵。70)が亡くなった。
その正月、誰がどんな日記を書いていたのか?
その一部だけを抜き出すのはいささか危険なことだが、冒頭部分
を抜き出してみよう。
『断腸亭日乗』(岩波文庫)永井荷風(65歳)
一月初一。曇りて瞑(くら)く正月元日は秋の夕暮の如し。小鳥
も鳴かず犬の声もせず門巷寂寥たること昼も夜の如し。・・・・・・
『暗黒日記』(岩波文庫)清沢洌(54)
一月一日(土)
重大なる年来る。歴史を決する日来たる。しかしそれにもかかわ
らず、全くそうした気がしない。形式が整わないからである。
玄米の餅を食う。笠原清明兄弟来たる。・・・・・・
『太平洋戦争日記』(新潮社版)伊藤整(39)
一月 旅順にて
旅順に来てから四日目である。小さな(私の目にはそうとしか思
えない)美しい湾に面したこの古い町はひっそりと静まりかえっ
ている。・・・・・・
(注)伊藤整の次男、文学者の伊藤礼(90)は昨年9月亡くなった。
『戦中派虫けら日記』(ちくま文庫)山田風太郎(22)
一月二日
日が暮れて、夜があけて、ただ寝ることと食うこと。--おまえ
は一体何になるつもり?と心配気に尋ねる伯母に、茫漠と薄暗い
微笑をむけて、まあ寝ていて食える商売がいいなあ、と答えるの
み。・・・・・・
( )内は昭和19年の満年齢。
これから80年の後、「人生ブンダバー」は読まれるかしらん。
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こんな暗い時代の中で生まれたのかという複雑な思いです。
珍しい日記をありがとうございました😊
いつの時代であっても、無事のご誕生、ご成長にご両親の喜びはひとしおだったのではないでしょうか(^o^)👍️