人生ブンダバー

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9/23ワグネル・ガラコンの長い一日 9/22墓参 週間フォト日誌

2013-09-30 05:00:00 | 音楽

9月23日(月・祝) 「畑中良輔先生追悼 ワグネル・ガラコンサート」が蒲田
の大田区民アプリコ大ホールで開催された。

このガラ・コン(ステージ上の同窓会)は今回が5回目。いつも思うが、どなた
がお考えになったのかしらん。原則、卒業年次4年ごとのグループで男声合
唱を演奏するという見事な企画である。

私もこれだけは、第1回(H5、1993年)以来、毎回参加している。

今回はとくに、各グループ、畑中先生への想いのこもった「熱演」を繰り広
げた。演奏会を成功に導いた幹事、マネージャーさんにこの場で感謝。



蒲田駅東口 
東急蒲田駅改札口から東口に出るにはちょっとしたコツがいる。


9:11 大田区民アプリコ大ホール入口


9:15 H24卒~現役の「運命の歌」のステージ練習中 
正面に畑中先生の写真 (開場3時間前)


9:30 客席で集合・待機の、わがS48~51年卒 33人
(プログラムメンバー[-]1人)
ピアニストの佐藤美佳先生のお顔も見える。


9:37 ステ練前、舞台袖待機


10:41 スタジオAでの通し練習 
口を閉じているのはハミング。フォームはいいカナ?


11:16 S56~59年卒のステ練(ステリハ) 「Merry Widow」


11:22 S26~39年卒のステ練 「秋のピエロ」、「最上川舟歌」 約65人
ソロをされる下田さん(S36)は、私より一回り前後上なのに私より声が出る。


11:34 関西ワグネルのステ練 「過ぎし日」、「富士山」より


11:52 合同演奏「草野心平の詩から」のステ練

その場での立ち位置を決め、私は「3列目-D」の「場所札」をもらう。この
「場所札」を考えた人は相当かしこい!?


12:40 ちょっと狭い楽屋風景

楽屋前のホワイトボードに
「本番前のトイレを忘れずに!チャックも確認!」
と書いてあった。


13:02 S48~S51年卒 スタジオAでの本番前練習


13:26 本番前の舞台袖(下手)待機 (静粛に!)

前ステージが終了し、退場された谷池先生と境田先輩に、静かに拍手。

私たちの演奏曲目
1.R.シュトラウス「Allerseelen」
2.S.ロンバーグ「Softly as in a Morning Sunrise」
どちらかというと、2は思ったより難しい曲である。


13:48 本番を終えた後の「男の背中」? 文字どおり舞台裏 

本番後は弁当で昼食。その後は客席でみなさんの熱演をのんびりと鑑賞。


14:20 関西ワグネルのステージ 32人の合唱  遠路、お疲れさま!! 
指揮;高田俊吾 多田武彦の曲を2曲。いかにも合唱が好きな方々。
S26年卒の武田先輩(80ン歳)は終始暗譜で。


14:39 S56~59年卒 「Merry Widow」 指揮;藤尾和巳
ソプラノ;小泉恵子 ヴァイオリン;本庄篤子 ピアノ;小野村季恵
このあたりのグループはいつもいい演奏をする。期待どおり、だった。


14:47 同上 小泉恵子さんと踊る須田さん。


15:04 H元~4年卒 「ふり売り」 指揮;稲田憲彦
稲田さんははるばる松江市から上京。忙しい世代だが、約40人、よく集まっ
た。40代、声が一番いいころかしらん。

(「ふり売り」をやり直したのは「ご愛嬌」だが、やり直してよかった。)


15:12 H5~16年卒 「東京景物詩」、「水のいのち」、「ヒロシマにかける虹」
吉川貴洋さん指揮による本格的な演奏。

久々に聴きに来た、私の妹(--女声合唱歴ン十年??)が「(グループ演
奏では)指揮[者]も冴えていて、気に入りました」と。叔母や家内も拍手喝采。

私には、しっとりした「東京景物詩」が聴けてうれしかった。北原白秋と畑中先
生を思い出す。畑中先生の「東京景物詩」の名演を生で聴いたのは、もう17
年前になる。ついこの間のことのようだ。


15:28 同上
前田先生のピアノ前奏(伴奏)は(さすが)一味違う。


15:54 H21~23年卒 「柳河風俗詩」より 指揮;伊藤旬太郎
少人数合唱の味を出していた。


16:06 H24~現役 「運命の歌」 指揮;村山俊介 ピアノ;豊福裕亮
この曲は、私も畑中先生の指揮で歌ったことがあり、CDも何枚か聴いている。
意外と演奏が難しい。学生指揮者と学生ピアニストによる演奏は、それ自体
常識では考えられないのだが、なかなかよかった。

ちなみに昭和48年六連の演奏(指揮;畑中先生、ピアノ;久邇先生)はなかな
か・・・カナ。後奏のハミングはなく、直立不動であった。(定演はいま一つ。)


16:31 合同演奏「草野心平の詩から」 指揮;佐藤正浩
オンステ人数は、この写真を数えると190人。(誤差±1人?)
(撮影 Aさん)

本番を客席で聴いてみたかった気持ちも少々。どんな演奏だったかしらん。

私の経験則では本番2回前の仕上げ練習が「いい演奏」であることが多い。

一般に本番は異常な「アドレナリン」が出るために、結果としての多少のミス
が出がちだが、だからそれが悪いとも限らない。一人ひとりが完璧を目指せ
ば、若干のミスがあっても、ライブらしい高揚感のある、「一期一会」の演奏
となる。バーンスタイン、ベルリン・フィルのマーラー9番ライブとはレベルが
違う話かもしれないが・・・・・・。
(ミスのない「安全運転」の演奏ほどつまらないものはないのカモ。)


「草野心平の詩から」はワグネル、関学の演奏CDを4枚持っている。
今回の佐藤先生による「草野心平の詩から」は、無論、いずれの演奏とも違
った。

<個人的には>「Ⅰ.石家荘にて」の「茫々の」のゆったりした出だしと「石
家荘」のゆっくりした撥音表現に大きな「音楽的満足」があった。そして随所
に現れる楽譜にないdim.にも!(音楽はdim.?)また、「Ⅴ.さくら散る」の
解釈も衝撃的だった。
現役の定演では(規模も違うので)また違った演奏を聴かせていただけるだ
ろう。
佐藤先生には、東奔西走、お忙しい中、感謝!

余談だが、私の妹は、「草野心平の詩から」は一緒に歌えたという。私が二十
歳の頃、家で毎日練習するのを聞いて、耳タコになったようだ。


最後には、客席のOBも一体となり、須田さんの指揮で、藤浦洸作詞、畑中
良輔作曲「クラブ・ソング」を歌い上げた。いい曲なので歌いついでいきたい。
これからも毎回、ガラコンで歌いましょう!
一般に、曲は、いくらいい曲でも、印刷され、演奏されなければ忘れられてし
まう。


客席のOBも起立してクラブ・ソングの大合唱
(撮影 Aさん)


当日のプログラム 「追悼文」(p24~29)に涙を禁じえず。


17:21 レセプション風景 於大田区産業プラザ4階

ステージに乗った人も乗らない人も、お客さまも、文字どおり「和気藹々」。「和
気」は穏やかな気分。「藹々」は和やかな様。


17:27 畑中先生ラストステージのDVD放映 定演2011のアンコール演奏
にレセプション参加者全員から大きな拍手が起こった。


17:36 畑中貞博さん「どれもがブル(先生)が指揮をしているような演奏で
した」


私は体調第一で、18時ごろには「失礼」した。


        *        *        *        *


週間フォト日誌

9月22日(日) 10月3日、東急剣山スポーツガーデンがあざみ野ガーデン
ズに生まれ変わると聞き、最終工事中を下見に行く。

詳細は→こちら


田園都市線の広告








Unidy、マクドナルド、上島珈琲店などが見える。


上島珈琲店


彼岸花の季節


9/22(日)<鎌倉へ>
午後から友人と鎌倉霊園へ畑中先生の墓参。


10:48 鎌倉駅


10:59 小町通り いつ来ても混んでいる。


お昼は 二楽荘の中華 
二楽荘は、中島京子『小さいおうち』(文春文庫)に登場。(映画化決定)





名物のシュウマイ


鎌倉霊園行きバス 5番乗り場


お墓の場所は事務所で尋ねれば教えてくれる。


9/22 13:59 畑中先生のお墓に花を供える。

「先生、明日は先生の追悼に、みんなして先生が指揮した曲を歌いますよ~」




先生のお墓の前で


ワグネルの2年上級、病に倒れたM先輩のお墓参り。没後20年である。




クラウス・プリングスハイム(1883~1972東京、89歳没)のお墓にもお参り。

生誕130年、没後40+1年。K.プリングスハイムはマーラーの直弟子であり、
クレンペラーと同世代。日本に西洋音楽を普及してくれた。ヨーロッパにいたら、
戦後はクレンペラー同様の活躍を見せてくれたかもしれない。

東京音楽学校に作曲科ができたのは、プリングスハイムが来日(S6、 
1931年)してからである。

ご参考「タイムカプセルに乗った芸大」→こちら

ベルリン・フィルとは戦前マーラーの交響曲演奏会を開催。戦後もベルリン・
フィル、チェコ・フィル、イスラエル・フィルを振ったようだ。

戦後は、一時米国のトーマス・マン宅に身を寄せていたが、昭和26(1951)
年68歳でみたび来日、東京にあって、武蔵野音大教授になり、その後も音
楽評論家として東京文化会館の演奏会をよく聴きに来ていたという。
平素は和服を好んでいたようで、そのような写真も残っている。

クラウス・プリングスハイムの双子の妹カテリーナ(カーチャ)は、トーマス・マ
ン夫人となり、1980年96歳、スイスで亡くなった。

<参考図書> いずれもこのブログで取り上げている。


加藤子明『日本の幻想 芸術家クラウス・プリングスハイムの生涯』(乾元社)
(昭和25年2月15日刊)

本書p65より
「マーラーは練習日に、ちゃんと決った課目を教えるわけではなく、教授計画
も何も無い具合で、ただ弟子達との自由な談話でそれを行った。・・・・・・マー
ラーがこの教え方の中に、最も大きな課題として与えたのは、『人格』という
ことであった。すべて芸術家にとって、人格こそその制作を左右決定するもの
であり、成功は決して単なる技巧ではないことを、マーラーの周辺の人々は
身にしみて感じたのである。クラウスは、この人格が指揮者マーラーの場合
には、ある絶対的な支配力となり、その支配力が楽団に移り、聴衆は一体と
なって楽曲に陶酔するあの雰囲気となり、そしてこの名声となるのだと思っ
た。」



早崎えりな『ベルリン・東京物語  音楽家クラウス・プリングスハイム』
(音楽之友社)


『ヒトラー、ゾルゲ、トーマス・マン クラウス・H・プリングスハイム二世回顧録』
著者は、クラウス・プリングスハイムの次男(1923~2001)である。
今年はクラウス・プリングスハイムⅡの十三回忌、かな。
クラウス・プリングスハイムⅡは、日本語がペラペラで、戦時中母方の伯父(私
の母の兄)の知り合いとなり、家へよく遊びに来ていたという。その頃を知って
いるのは叔母(母の妹、大正14年生まれ)だけになった。(その頃、母方の祖
母は50代、伯父、母、叔母は10~20代だった。)

再び鎌倉

15:09 竹林の報国寺 拝観料200円+抹茶券500円


15:21 竹林を眺めながら抹茶をいただく。外国人の姿も見える。



報国寺から鎌倉駅まで約1.5kmをウォーキング。久しぶりの運動だった。


16:18 最後は長慶山大巧寺(おんめさま)へ出る。


16:22 鎌倉駅に戻る。


9月25日(水) 上司は休暇。

朝のベローチェ

加藤子明『日本の幻想』のメモを取る。本の紙質が悪い。







9月26日(木) 一日、二日前からのどが痛かったので、会社近所の神田キ
リスト教診療所へ。
「C型肝炎の治療はされたのですか?」
「はい。来年は新しい飲み薬が出るそうで」
「それは知りませんでした」

お医者さんいわく
「のどが真っ赤ですね~。ヴィールス性ののど風邪でしょう。
鼻水、せきが出てくるかもしれません。その後、高熱も。いま流行っている風
邪です。自分の免疫力でなおすのに2、3週間かかります」。
--え~、大変だ!「風邪は1週間」と見ているのに・・・・・・。

午後は、のどの痛みがさらにひどくなってきた。





終戦後の神田キリスト教診療所
昭和22(1947)年コンセットハット(カマボコ型兵舎)で開設。無料診療を開
始。


体温計は36℃ 熱は出ていないようだ。

かくしてOB定例練習は休んだ。OB練習には、やるからには意地でも「無遅
刻、無欠席」と思っているのだが、まことに残念!



経済産業省のキャリア官僚が匿名ブログに「震災復興は不要だ」など、もっ
とひどいことを書いて大騒ぎに。
そのような考え自体問題だが、匿名だから何を書いてもいいということでは
ない。

小泉信三博士は、「ペンは剣より強し」というけれど、ペンの濫用は人を傷つ
け、またかえっておのれ自身を傷つける。ペンをとるものは剣をふるうものよ
りも、さらにいっそう慎重でなければならいないと書いた。

福澤諭吉も「他人のことを論じ、他人の身を表するには、自分と其の人と両
々相対して直接に語られるようなことに限りて、それ以外に逸すべからず」
と論じている。
ちなみに匿名の際たるものは新聞である。


9月27日(金) のどがますます痛くなってきたので、後々のことも考え、会
社を休んだ。夏場とガラコン演奏会の疲れも出てきたのかしらん。いまや
のどがガラガラ・コンディションで、ガラコン状態だ。


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2 コメント

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さくら散る (sho)
2013-10-01 20:26:55
お疲れ様でした。最近は遠隔地からの参加が多いので、直前の練習で全て学ぶつもりが今回は時間がなかったのが残念です。もう1時間でも練習で歌いたかったです。現役の完璧バージョンを聴きたいですね。
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さくら散る (katsura1125)
2013-10-02 20:19:01
shoさん、お疲れさまでした!

本番もさることながら、もっともっと練習の時間を「共有」したかったですね~。

本番だけではなく、練習をそれ以上に大切にしたいもの、という教えはブル先生のものなのでしょうか。

51年組は「地方」勤務者が多いけれど、たまにはこちらからお尋ねしないといけませんね~(笑)。
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