クリスマスに定番の「もろびとこぞりて」や
「螢の光」のメロディでも有名な
賛美歌370番「目覚めよわが霊」の作詩も手がけた
フィリップ・ドッドリッジによる作詩の讃美歌です。
18世紀イギリスで、組合派の牧師でした。
当時、非国教であることは辛い立場でありました。
既製の曲に、説教毎に詩を考えて作りのせたのだとか。
作曲はエドワード・F・リムボールトで19世紀の人。
元々世俗の曲であった曲をこの詩にのせたといいます。
この讃美は、ゴスペルとしても歌われますが、そのとき、
歌詞を一部変えて「fight」とし、
差別と闘うアメリカの意志を表したと言われています。
なお、機会があれば英語の原詩を味わってみてください。
邦訳歌詞にない深みがあります。

――いやしき身をさえ
「卑し」「賎し」と書きます。
厳密な使い分けはないと思いますが、
人格的に、あるいは身分的に劣るさまを表します。
使い方によると差別的な響きをもちます。
――すくわせたまえり
お救いになった。
「す」は使役・尊敬の助動詞。
元は使役の意味であったであろう助動詞が、
「給ふ」などの補助動詞の上に付き、
尊敬の度合いを強めます。
「り」は完了の助動詞です。
――きみにむつぶ
君はここでは主、身分の高い方、主人です。
「睦ぶ」は親しみあうこと。
仲むつまじい、と今でも言います。
しかし、この折り返しは、原詩と大きく異なります。
原詩では、「主イエスが私の罪を洗い去った日」が
繰り返されています。
これを抜いた訳は、なんだか骨抜きのようです。
――いずこへなりとも
どこへ、という語は体言でも活用語でもありませんが、
断定の助動詞「なり」は、元「にあり」で、
助詞や副詞にも付くことが可能です。
「とも」は逆接の接続助詞ですので、
どこへであるとしても、のように場所を問わない様子を表します。
――みむねのまにまに
御旨とは、神の思いを表す用語です。
「随に」と書く「まにまに」は「まにま」と同じで、
事の成り行きに従うことを意味します。
神の思いの通りに任せる様子です。
――くすしきみむねを
「奇し」「霊し」は、不思議で霊妙なこと。
御旨は神の意志や計画。
――日に日にさとれば
毎日毎日、一日ごとに進んでいく様子。
「悟る」「覚る」は深く理解すること。
「さとれば」は、悟ったら、ではなく、
已然形なので「悟るので」を意味します。
もし悟ったら、ではなく、分かるのです。
信仰が身についたら、ではなく、信仰によって、です。
――いかなるときにも
どんな時でも。
――君よりはなれじ
主イエスから離れません。
「じ」は打ち消し推量・意志の助動詞で、
これから離れないだろう、さらには
離れません、という意志を表しています。
このフレーズは原詩にもあります。
折り返しの最初が歌詞の代表となっていますが、
その始まりは「O happy day」です。
映画で有名になったゴスペルは、
この讃美歌の歌詞の一部を繰り返した形になっています。
「螢の光」のメロディでも有名な
賛美歌370番「目覚めよわが霊」の作詩も手がけた
フィリップ・ドッドリッジによる作詩の讃美歌です。
18世紀イギリスで、組合派の牧師でした。
当時、非国教であることは辛い立場でありました。
既製の曲に、説教毎に詩を考えて作りのせたのだとか。
作曲はエドワード・F・リムボールトで19世紀の人。
元々世俗の曲であった曲をこの詩にのせたといいます。
この讃美は、ゴスペルとしても歌われますが、そのとき、
歌詞を一部変えて「fight」とし、
差別と闘うアメリカの意志を表したと言われています。
なお、機会があれば英語の原詩を味わってみてください。
邦訳歌詞にない深みがあります。

――いやしき身をさえ
「卑し」「賎し」と書きます。
厳密な使い分けはないと思いますが、
人格的に、あるいは身分的に劣るさまを表します。
使い方によると差別的な響きをもちます。
――すくわせたまえり
お救いになった。
「す」は使役・尊敬の助動詞。
元は使役の意味であったであろう助動詞が、
「給ふ」などの補助動詞の上に付き、
尊敬の度合いを強めます。
「り」は完了の助動詞です。
――きみにむつぶ
君はここでは主、身分の高い方、主人です。
「睦ぶ」は親しみあうこと。
仲むつまじい、と今でも言います。
しかし、この折り返しは、原詩と大きく異なります。
原詩では、「主イエスが私の罪を洗い去った日」が
繰り返されています。
これを抜いた訳は、なんだか骨抜きのようです。
――いずこへなりとも
どこへ、という語は体言でも活用語でもありませんが、
断定の助動詞「なり」は、元「にあり」で、
助詞や副詞にも付くことが可能です。
「とも」は逆接の接続助詞ですので、
どこへであるとしても、のように場所を問わない様子を表します。
――みむねのまにまに
御旨とは、神の思いを表す用語です。
「随に」と書く「まにまに」は「まにま」と同じで、
事の成り行きに従うことを意味します。
神の思いの通りに任せる様子です。
――くすしきみむねを
「奇し」「霊し」は、不思議で霊妙なこと。
御旨は神の意志や計画。
――日に日にさとれば
毎日毎日、一日ごとに進んでいく様子。
「悟る」「覚る」は深く理解すること。
「さとれば」は、悟ったら、ではなく、
已然形なので「悟るので」を意味します。
もし悟ったら、ではなく、分かるのです。
信仰が身についたら、ではなく、信仰によって、です。
――いかなるときにも
どんな時でも。
――君よりはなれじ
主イエスから離れません。
「じ」は打ち消し推量・意志の助動詞で、
これから離れないだろう、さらには
離れません、という意志を表しています。
このフレーズは原詩にもあります。
折り返しの最初が歌詞の代表となっていますが、
その始まりは「O happy day」です。
映画で有名になったゴスペルは、
この讃美歌の歌詞の一部を繰り返した形になっています。