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香柏だより

福岡市東区の香椎バプテスト教会です。
聖書の言葉には、ひとを生かす力があります。
礼拝では手話通訳もあります。

主に信頼する者

2011年02月20日 | 説教要旨・ペテロの手紙連講
Ⅰペテロ2・1~12/ペテロの手紙(4)/冬季学び会「東アジアと日本」

今日は冬季学び会の日です。私たちKBCでは以前より2/11に近い主日に、この日本で、キリスト者として召され、生かされていることについて学んできました。今朝は小アジア(トルコ)各地「に散って寄留している・・・・・・イエス・キリストに従うように選ばれた人々へ」(1・1~2)、ペテロが書き送った第一の手紙の2章前半を通して学びたいと思います。

傷もなく、汚れもない小羊のようなキリストが十字架に流された尊い血によって贖われ、また死者の中からよみがえらされたことによって新しく生まれさせられたキリスト者に、ペテロは、キリストに従い、倣い、互いに愛し合いなさいと勧め(照1・3、19、22)、この新しい生において成長するために、「ですから、あなたがたはすべての悪い生き方、欺瞞、偽善、ねたみ、悪い噂話を脱ぎ捨てなさい」と言います。こうした神の民でなかった時代のものに支配されていると、キリスト者の一致は傷つけられ、破壊されるからです。そして「生まれたばかりの乳飲み子のように、混りけのない霊的な乳を慕い求めなさい」と勧めます。神のことば・聖書を慕いあえぎ(照 詩篇42・1)摂取し、養われることによって、キリスト者は成熟へと成長し、最後に完成される救い(照1・5)を得るのです(1~3)。

つぎにペテロは多くの旧約聖書に言及しながら、新約の神の民キリスト者が与っている大きな祝福について記します(4~10)。ペテロは「この主のもとに来なさい。主は、人には捨てられた(考 十字架の主)が、神の目には選ばれた、尊い、生ける石(考 復活の主)です」と、信仰ゆえの困難の中にある人々を、この主の許に招きます。そして、新しい霊の神殿は、主が堅く据えられた尊い礎石キリストの上に、イエス・キリストを信じる人々(石)によって築き上げられていくのですと記し、「このキリストに信頼する者は、決して失望させられることがない」と励まします(照イザヤ28・16/考マタイ16・18)。一方このキリストを家を建てる者たちの捨てた石(詩篇118・22、マタイ21・42)妨げの岩として拒否するイエスに信頼しない人々は自ら躓き倒れて、神の道を見失ったのだと言います。しかし、キリスト者は神によって選ばれた新しい霊的な祭司、イエス・キリストへの忠誠に基づく霊的国民、神の所有とされた民です。そのような神の民としての祝福に与ったのは、神の天地創造の大能よって闇から光へ、死よりいのちへ招いてくださった神・キリストのすばらしい御業(福音)を宣べ伝えるためです。

天に国籍を与えられ、この世界で、この日本の各地に散っている旅人、寄留者である私たちキリスト者はどう生きていくべきなのか。ペテロは勧めています。神の民でなかった以前の魂に戦いを挑む肉の欲を遠避け、脱ぎ捨て、神を知らない人々の中にあって、キリストに信じ従う者として、立派にふるまいなさい。互いに愛し合い、新しい生に適しく生活しなさい。そうすればあなたがたを悪人呼ばわりする人々も訪れの日に神をたたええるようになります(11~12)。




キリストの尊い血によって

2011年02月06日 | 説教要旨・ペテロの手紙連講
Ⅰペテロ1・13~25/聖餐式/ペテロの手紙(3)

手紙の著者ペテロは3~12節において、受取人のキリスト者に、〝あなたがたはイエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、新しく生まれさせられ、生ける望みを持つ者とされ、魂の救いを得、天にある資産を受け継ぐ者とされている〟と書きました。きょうの聖書箇所でこのような大いなる救い・恵みに与かっている彼らに、神を畏れ、聖く生きるように勧めます。

宛先人の小アジアの各地に寄留している異邦人キリスト者たちは、以前、神についてもキリストについても「無知であった」。そして「さまざまな欲望にひきずられて」、「先祖から伝わったむなしい生き方」をしていました(考ローマ1章、ポンペイ)。「イエス・キリストが死者の中からよみがえられたこと」(3/比ルカ24・34)を知らない、キリストの福音なしの人生は、死でもって終る人生であります。死の向うから差し来る光がなければ、人は短いこの世を刹那的に、快楽を求めて生きることになります(照Ⅰコリント15・32)。それは儚く、虚無しいことです。

しかし、私たちキリスト者は神の憐みとキリストの恵みにより、こうした空しい生き方から贖い出され、新しいいのちに生きる者とされました。「ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われの時にあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい」。ひたすら待ち望む生活とは、神によって選ばれ、大いなる恵みに与っているキリスト者として聖なる神から「あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい」と求められていることを知り、聖なる神を映し出す生き方をすることです。そして、人それぞれの行為(わざ)に従って公平に裁かれる神を恐れ、地上に寄留しているしばらくの間を、敬虔に過ごすことです。神の求めである律法を守り、神の父としての訓練・懲らしめを恐れて、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を信じて信仰生活を送ることです。そこに神のこどもである兄弟姉妹が互いに愛し合う聖なる教会生活も現われてくるのです。

私たちが「空しい生き方から贖い出され」キリスト者とされたのは「傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの尊い血によったのです」。〝キリストは人類の堕落の前に、天地創造の前から、贖いのわざを遂行することが予定されていました。そして、この終わりの時に、あなたがたのために現われてくださいました〟(20/照 黙示録13・8別訳)。19節の言葉は、エジプトの奴隷であったイスラエルの解放の夜の言葉に連なります(照 出エジプト12・5)。弟子として従った頃「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1・29)とのバプテスマのヨハネの言葉を伝え聞いたであろうペテロは、亦あの過越祭の夜の最後の晩餐の時の主イエスとそのお言葉を想いつつ、さらには私(たち)を贖い、罪の滅びから救うために、十字架に磔にされ、血を流し、死なれた小羊のようなキリストを想いつつ、この言葉を記したのではないでしょうか。

私たちも今、キリストの十字架を想起しつつ、贖いの御業を感謝しつつ、主の招いてくださる主の食卓に列しましょう。




信仰によって、神の御力によって

2011年01月30日 | 説教要旨・ペテロの手紙連講
イエス・キリストの使徒ペテロは、小アジアの各地に市民権を持たない在留異邦人のように、散って寄留している、選ばれた人々にこの手紙を書き送りました。挨拶(1~2)の後、神の御計画に基き、御霊により、主イエスに従うように召された彼ら、唯一の創造主なる神を「私たちの主イエス・キリストの父なる神」と呼び、ほめたたえるキリスト者とされた彼らの新しい生き方について記します。

私たちが決定的に新しく生まれさせられるのは、人間のいかなる能力や功績によらず、ひとえに神の大きな憐みによることです(照5・10、ヨハネ1・13、3・3)。神は、ただキリストの十字架の「尊い血」によって私たちを「むなしい生き方から贖い出」し(18)、「イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました」。ペテロは私たちキリスト者の新しいいのち、生は、主イエスの復活より始まる、と言っているのです。キリストは十字架に死に、墓に葬られ、三日目に復活された。それは私たちの救いのためであり、私たちがキリストの復活に基づく「生ける希望」に生きるためなのです(照ローマ4・25、6・4/考ペテロの否認・復活の主の顕現)。この復活の生に生きるようにされた私たちは「天に蓄えられている、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産」、即ち「終わりの時に現わされるように用意されている救いをいただくのです」。キリストの再臨・終わりの時がいつ到来するか、誰も知りません。それはある人にとっては審判の時、恐怖の時ですが、復活のキリストによって救われ、生ける望みに生きているキリスト者にとっては、完全な罪からの解放と救いの時です。ペテロは、試練・困難の中にある人々にそのことを確約するため「あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られています」と記します。「守られている」は軍隊用語で、「安全に守られている、注意深く見張られている」ことです。神はその力を、キリスト者の個人的信仰を通して働かせ、守り、保ってくださるのです(考ルカ22・31~34)。

それゆえ「あなたがたは大いに喜んでいます」。しかし、「今しばらくの間は、様々な試練の中で悲しまなければなりません」。神の深い計画、目的は私たちには不明ですが、この「信仰の試練」を通して、神は私たちを純化し、キリストの現われの時、称賛と栄光と栄誉をお与えになるのです。「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、言葉に尽くすことのできない栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である魂の救いを得ているからです」。「信仰によって歩む」(Ⅱコリント5・7)選ばれた彼らを「愛する者たち・・・・・・キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい」(4・12~13)と牧者ペテロは勧め励まします。




ペテロとその手紙

2011年01月23日 | 説教要旨・ペテロの手紙連講
Ⅰペテロ1・1~2/マルコ8・27~33/同14・22~31、66~71/ヨハネ21・15~22/ペテロの手紙連講(1)

初代教会は厳しい困難の中で拡大していった。その宣教の中心にいたのは「私は、本当に惨めな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか」(ロマ7・24)と呻き、また教会を迫害した罪人の頭と告白したパウロ(照ガラテヤ1・13、Ⅰテモテ1・15)と、三度も主を否認した〝弱きペテロ〟であった。

上ヨルダン川がガリラヤ湖に流れ込む所に位置するベツサイダの出身で、そこより5㎞ほど西にあったカペナウムに住み、漁師として一家を構えていたシモンが、主イエスに最初に出会い、ペテロと渾名されたのは、イエスがバプテスマを受けられた翌日であった(照ヨハネ1・35~44)。ガリラヤで宣教を開始されたイエスは、無学な、ただの漁師ペテロを「これから後、あなたは人間を取るようになる」と招かれた。彼は従った(照ルカ5・1~11)。ある夕方、湖上で嵐に遭った時、イエスが一言をもって嵐を静められると、「いったいこの方はどういう方なのだろう」と、ペテロは叫んだ(マルコ4・35~41)。そして、ピリポ・カイザリアの地方で、イエスが「わたしを誰と言いますか」と尋ねられると、ペテロは「あなたはキリストです」と告白した。ところが受難を予告された主を諫め、主イエスから「下がれ、サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と叱られた(マルコ8・27~33)。十字架の前夜、最後の晩餐(主の晩餐)の後、イエスがペテロに、「あなたは今夜、三度わたしを知らないと言う」と予告されると、ペテロは力を込めて、「決して申しません」と言った。しかし、捕えられたイエスの後をついて大祭司の館に入ったペテロは、館の女中他の言葉に恐れ戦き、イエスを三度否認した(マルコ14・22~31、66~71)。そのようなペテロに、復活された主は(弟子たちの中で)誰よりも早くお姿を現わされ(ルカ24・34、Ⅰコリント15・5)、また三度「わたしの羊を飼いなさい」と命ぜられた。そして、「あなたは自分の両手を伸ばし・・・・・・」とペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを予告された(ヨハネ21・15~22/照ルカ22・31~34)。

 このペテロはペンテコステの聖霊の満たしを受けてエルサレム、ユダヤ、アンテオケ、そして小アジア、ローマまでも、イエス・キリストの十字架と復活の福音、恵みの救いを伝えていった。こうして「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」(マタイ16・18)と言われた主のお言葉は、このようなシモン・ペテロにおいて事実となった。

 この「イエス・キリストの使徒ペテロからポント、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビテニアに流散して寄留している選ばれた人々、すなわち、父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように、選ばれた人々へ」、書き送られたのが、ペテロの第一の手紙です。ペテロの手紙の説き明かしを通して、ペテロに表わされた神の恵みを深く知り、この世界、日本に流散して寄留している神に選ばれた私たちも、信仰を深くされ、「恵みと平安をますます豊かにされ」ていきますように。