犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

あんぬいな、あさのおさんぽ。

2012年03月23日 | おせわがかり日誌


「うぅ~ん・・・おぅちゃん、いまちょっと、そういうきぶんぢゃ、ないのにぃ~」(おみみがすいへいせん)

まだまだ気温が低くても太陽の光がさんさんと降り注ぎ、春めいてきたこのごろ。

だって、イヌフグリはたくさん咲いているし、梅の花は満開のところもあるし、桜のつぼみは、徐々に膨らんでるもんね。

だからして、おれこの散歩は、雨でなければ、毎日行く。

最近、おれこの体調を見ながら、ほぼ、1日2回ペースになった。

おれこ、喜んでるかなあ?と思っていたら、それが実は、そうでもないようである。




朝の散歩「さあ、いきましょうね」と声をかけて『身支度』をはじめると、とたんに、上の表情になる。

まるで「いやだ」といってるみたいではないか。






「しかし、することは、する」(おかーさんもとるものは、とる)

支度を整え「さ、いこう」と、玄関のドアを開けても「ぃやあだ~」といって、戻ってしまう。

「おじいちゃんにあいにいこうよ」「おそとたのしいよ~」などと声をかけ、抱っこしてしまう。

マンション内は抱っこ移動が基本なのだ。

そうなるとおとなしいものだが、

「(エレベーターやマンションの入り口などで)ああ、また、あのこたち、いっぱいいるのかな?」

と不安な気持ちでいる、オレコの心の波動が伝わってくる。

ちなみに『あのこたち』、というのは、集団登校をする小学生たちのグループのことである。

マンモスマンションが立ち並ぶゆえ、おびただしい数のこどもたちが移動するが、ピークのときには、数百人規模での移動となり、さながら小さな群衆である。

オレコはこの群集に出会うのが、いやなのである。

だから朝の散歩は憂鬱なのだった。

その集団を突破できれば、いつもどおり、なんてことはないのである。





「ちかれたびー」


そういう緊張があってか、散歩から帰ってくると、朝はとくに、ぐったりしているというか、疲れている。

よく眠れるようだ。

仕事などで長い時間外出するときは、そうして眠っていてくれる時間が長ければ長いほど、助かる。

待ってる時間が短いように感じるだろう、と、飼い主の勝手な思い込みというか、待たせる負い目や気持ちの負担が少なくなるのである。

オレコはよく夢を見る。

うちに来たばかりの頃は、夢で悲鳴を上げることがあったが、最近は、違う。

なんだかとっても幸せそうというか、野原を走ってる夢なのか、手足が走る格好をしていたり、

小鳥たちと出会ってるのか、ぱうぱうぴゆうぴゅう、ちょっと変な、小さな鳴き声をあげながら、しっぽの先がふりふりしていたり。

寝顔が「笑顔」なことが多いのだ。

ずっと以前は、眉根を寄せて、苦悩する表情のことが多かった。

だけど今は、大体、笑ってる。

その笑顔を見ると、こっちまで、あったかい気持ちで、胸がいっぱいになる。

そういうことが、オレコと暮らしていて、いいなあ、幸せだなあ、と思うことである。

猫と暮らしていたときは、猫たちが、季節季節で、家中の一番あったかいところや涼しいところを知っていて、

そのお気に入りの場所で屈託なく眠っている時、おなかのふかふかのところに顔をうずめて、ふーと息をふきかけたりすると、

もう、世の中の一切のことは、どうでもいいや、と思えるくらい、至福の気持ちになる。

こういうのは、相手と気持ちが通じ合わないと、なかなか実感のわかないことで、気持ちが通じることが、最大の喜びだ。

目を見ただけで、ことばなどなくても、通じるのである。

寝姿を見守るだけで、何も言わなくても、相手が幸せかどうか、わかるのである。

これが相手が人間だと、そんなふうに単純にはいかないのだけれど。

動物は、言葉を持たない分、素直な部分はとても素直だ。

だから、うれしい。