→(1)からの続き
この地域におけるクルグズ人とウズベク人の間の民族紛争は、実は今回が初めてではありません。ソ連時代の1990年にも、大規模な衝突がありました。
当時、ソ連の民族共和国の一つだったキルギス・ソヴィエト社会主義共和国(現在のクルグズスタンの前身)が、オシュの北東にある小さな町オズギョン(ウズベク語“オズゲン”)で、水利上有利な農地をウズベク人のコルホーズ(集団農場)から取上げ、そこにクルグズ人農民を移住させようとしたのが発端でした。
source:wiki
ちょうどペレストロイカの時期で、ソ連各地で民族感情が高まっていたのもあったでしょう。両者の衝突はソ連中央が軍事介入するまで続き、300人以上が犠牲になったといわれます。
とはいえ、この時の紛争の範囲があくまでオズギョン(オズゲン)近辺のみだったのに対し、今回のは南部のオシュ州からジャララバード州に至るウズベク人居住地域のほぼ全域です。オシュを始めとする主要都市(ジャララバード、オズギョン、バザルコルゴン等)はほとんど巻き込まれているし、その規模は比較にならないほど大きい。
また、死者の数が推定2000人以上(現時点で保健省が確認しているのは300人ほど)、難民の数が合わせて40万と、被害者の数も桁違いですね。
その背景には、前回の紛争で用いられた武器がせいぜい石や棍棒、自作の銃程度のものだったのに比べ、今回の場合はカラシニコフや猟銃などの大量の火器が、色んなルートで出回っていたという事情があります。
しかし、最大の違いは、何よりも両者の対立を実力で抑えるべき“治安機関”にあったのではないかと思われます。
1990年の紛争時にソ連中央から派遣された軍隊は、少なくともクルグズ人にもウズベク人にも属さない、中立的な存在でした。これに対して、今回の紛争を鎮圧したのはソ連ではなく“クルグズスタン”国家の軍と警察です。その大部分はクルグズ人からなり、南部の出身者も多い。
その中立性は、明らかに怪しい訳ですよ。
というのも、前回の紛争における犠牲者は、結果として双方とも同じくらいで、ほぼ“痛み分け”に近い状態だったとか。
それに比べると、今回、略奪や放火にあった住宅や店舗の大半はウズベク人の所有であり、焼け出されて生じた難民40万も、ウズベク人ばかりだと言われています。死傷者数の内訳はまだ出ていないとはいえ、被害がウズベク人側に偏っているのは明白でしょう。
軍や警察が、クルグズ人側に“肩入れ”したのではないか?と疑われるのは仕方がありません。
というか、“肩入れ”も何も、軍や警察関係者の中には、ウズベク人居住地への襲撃に“積極的に”参加した人間がいたことが、既に人権団体や海外メディア(露も含む)によって指摘されています。
------------------------------------------------------------------------
キルギスの民族衝突、避難民らが軍の関与示す証言
http://www.cnn.co.jp/world/AIC201006200008.html
ウズベキスタン・ヨルキシュロク(CNN) 中央アジアのキルギス南部で今月10日に起きた民族衝突で、ウズベキスタン国境付近へ逃れた避難民らから、住民の殺害にキルギス軍が関与したことを示す証言やビデオが続出している。
息子を亡くしたという女性(48)はCNNとのインタビューで、
「息子は路上で、戦車に乗った兵士に撃たれた。キルギス人が戦車を取り囲んでいた」
と述べた。
「息子はまだ23歳だった。妻は妊娠していたのに、もう子どもの顔を見ることもない」
と嘆く。戦車を所有しているのは軍しかないと、この女性は強調する。
別の避難民は、住民らを守っていたはずの兵士らが突然、平和的に行動していた非武装のウズベク系民間人を銃撃したと語る。激しい衝突が起きた南部の主要都市オシで、キルギス軍部隊が群衆に銃を乱射した、と話す男性もいた。
避難民らは、民家や店が放火され、路上に遺体が散乱し、家族らが殺害された状況を口々に語りつつ、携帯電話で撮影した映像を取材陣に示した。
ある映像は、ウズベク系住民とにらみ合うキルギス系グループの間から「やった、彼らが来る」とキルギス語で声が上がり、装甲車が到着する場面をとらえていた。「空砲ではない、実弾を使っているぞ」と叫ぶ声も聞こえた。
オトゥンバエワ暫定大統領の側近はCNNの取材に対し、軍がウズベク系住民への銃撃に関与したとの報告があることを認めた。
ただ一方で、これは政府としての見解ではないと強調し、報告はうわさやかく乱工作にすぎないとの見方を示した。そのうえで、当局が調査を実施し、正式なコメントを発表すると述べた。
避難民らに向け、国連や米国、ドイツ、ロシアが支援に乗り出している。世界食糧計画(WFP)は20日以降、ドバイの貯蔵庫から高エネルギービスケット110トンを空輸し、20万人余りに配布する計画だ。また国連は、被害を受けた住民50万人のために、7100万ドルの緊急支援を呼び掛けた。
-----------------------------------------------------------------------
アウトだろう、これは。
臨時政府の側は、最近だと、
“軍の兵器や車輌が襲撃に用いられたのは事実だが、それらは全てクルグズ人暴徒が軍の基地を襲撃して盗んだもの。彼らが着ていた軍服も、同じく盗まれたものだろう。つまり、軍は関与していない。”
みたいなことを言っているのですが、
民間人の集団に制圧される軍事基地って何?
それと、兵器や車輌はともかく、わざわざ軍服まで強奪して集団でそれに着替える暴徒って、何それ??
マニア???
こうした話を聞いて、大抵の人の頭に浮かぶのは、かつてのルワンダやボスニアの例でしょう。“国家権力=治安機関と民族主義者が手を結んで、少数民族を組織的、計画的に抹殺する”といった感じのイメージです。事実、欧米メディアの中には、今回の事件を“民族浄化”に近い形で報道しているところもありますね。
しかしながら、最近その南部からビシュケクに戻ってきたばかりの知人、ジャーナリストのN氏によれば、そういうのはちょっと偏った見方なのだそうです。
N氏は、紛争真っ只中のオシュに単身乗り込み、その郊外のF地区におけるクルグズ人とウズベク人の両武装勢力の戦闘を取材中、棍棒で武装したクルグズ人数人の襲撃を受けて負傷。病院送りになったという猛者ですが、その氏が間近で目撃したF地区での戦闘では、ウズベク人の側は銃を持った人間が何人かいたのに対し、クルグズ人側は何と“石と棍棒”のみで戦っていたのだとか。
建物の中に立て篭って銃を撃つウズベク人たちに向かって、棒を持ったクルグズ人の集団が突撃を繰り返していたそうです。
一体どこの二百三高地ですか。。。。
N氏は米国の大学でジャーナリズムを学んだ後、主にあちらの媒体で仕事をしているのだそうで、これまでイラクやグルジア等、世界の色んな地域を取材に訪れたことがあるとの由ですが、石と棍棒で銃に立ち向かい、かつ自らをその棒で滅多打ちにしたクルグズ人たちを評して、
“死を恐れないですね。あんなに強いアジア人は初めて見ましたよ......。”
と、何だか不思議な感心の仕方をしていました。
それはともかく、氏が数日の間入院していたKの町(町のすぐ横がウズベキスタン国境。ここのバザールは、紛争前は中国人が多かった。)の病院に続々と運ばれてくる負傷者はクルグズ人ばかりで、いずれも銃創を負っていたとのこと。
つまり、地域によってはウズベク人の側にも銃は出回っており、完全に丸腰ではなかったということでしょう。
また、軍や警察についての臨時政府の言い分は、“半分は本当”なのだとか。
騒乱の規模の大きさに対し、南部にあった治安機関側の装備や人員は、まったく不十分だったと言うのです。
独立以来、クルグズスタンは周辺のウズベキスタンなどとは一線を画して民主化・自由化を標榜し、それによって欧米日などの金持ち国からより多くの支援を受けてきました。治安機関はさほど強化せず、軍事的にも、領域内に米露双方の基地の設置を認め、軽武装路線をとってきたのです。
この5年間で、2度も簡単に政権が転覆し、その度に首都ビシュケクで大規模な暴動・略奪が起きたのは、その警察と軍の脆弱さが災いしたとも言われているほどで。
だからといって、その警察が周辺諸国のそれに比べて格別“民主的”ってわけでもないんですけどね。連中の腐敗と遵法意識の無さは相変わらず酷いもので、2回の革命と今回のゴタゴタを通して、自分の中では、
“クルグズスタンの警官=平時には一般人をカツ上げして酒代を稼ぐなど職権を濫用、非常時には真っ先に制服を脱いで行方をくらますダメ人間たち”
というイメージが完全に定着してしまいました。
で、N氏は別件の取材もあって、5月の半ばごろから南部にいたらしいのですが、そこで目にした軍の装備もやはり貧弱で、士気は極めて低そうに見えた、と言います。
それが、数百、数千の、しかも同じクルグズ人の群集と対峙したとして、とても発砲できたとは思えない。そのまま装備を奪われた基地や部隊があったとしても、何ら不思議ではないとのこと。
人権団体“HRW(ヒューマンライツ・ウォッチ)”のレポート“Kyrgyzstan: New Evidence Emerges on Brutality of Attacks International Inquiry Needed(クルグズスタン:襲撃の残虐性に関する新たな証拠が出現。国際的な調査が必要。)”にも、同じ南部のジャララバード州高官の、以下のような発言が記録されていますね。
-----------------------------------------------------------------------------------
“....(クルグズ人暴徒によって)ジャララバードの軍事基地から、少なくとも59丁の銃とグレネード・ランチャー、それに2輌の装甲車輌が持ち出されました。流血を避けるため、諸部隊は基地を放棄したのです。”
-----------------------------------------------------------------------------------
ただ、問題なのは、
彼らが本当に“奪われた”のか?
それとも“形式的には奪われたことにして、単にクルグズ人暴徒に武器を横流しした"だけ?
という点でしょう。
この国の南部、特にジャララバードの辺りは、4月の“革命”によってその座を追われ、現在は海外に逃亡しているバキエフ元大統領とその一族の地盤であり、旧体制の支持者は大勢います。また、南部の行政機関や、警察、軍の高官には、バキエフ時代に任命されて、そのまま留任している人間も多い。
そして、彼らバキエフ支持者たちは、臨時政府を支持する一部のウズベク人勢力と激しく対立しており、5月中には銃撃戦を含む小競り合いを何度か起こしていました。
南部の軍や警察内に、武器をクルグズ人側に引き渡したり、また自らその武器を持って紛争に参加するようなシンパがいた可能性は大いにありうる訳です。
いずれにしても、治安機関が組織的に民族浄化を行ったという形跡は“今のところ”見られないものの、本来であれば治安を維持すべき彼らが事態を傍観したこと、そればかりか、クルグズ人暴徒に武器を大量に流出させたことがウズベク人の側により大きな被害をもたらしたのは、ほぼ間違いないと思われます。
→(3)に続く
この地域におけるクルグズ人とウズベク人の間の民族紛争は、実は今回が初めてではありません。ソ連時代の1990年にも、大規模な衝突がありました。
当時、ソ連の民族共和国の一つだったキルギス・ソヴィエト社会主義共和国(現在のクルグズスタンの前身)が、オシュの北東にある小さな町オズギョン(ウズベク語“オズゲン”)で、水利上有利な農地をウズベク人のコルホーズ(集団農場)から取上げ、そこにクルグズ人農民を移住させようとしたのが発端でした。
source:wiki
ちょうどペレストロイカの時期で、ソ連各地で民族感情が高まっていたのもあったでしょう。両者の衝突はソ連中央が軍事介入するまで続き、300人以上が犠牲になったといわれます。
とはいえ、この時の紛争の範囲があくまでオズギョン(オズゲン)近辺のみだったのに対し、今回のは南部のオシュ州からジャララバード州に至るウズベク人居住地域のほぼ全域です。オシュを始めとする主要都市(ジャララバード、オズギョン、バザルコルゴン等)はほとんど巻き込まれているし、その規模は比較にならないほど大きい。
また、死者の数が推定2000人以上(現時点で保健省が確認しているのは300人ほど)、難民の数が合わせて40万と、被害者の数も桁違いですね。
その背景には、前回の紛争で用いられた武器がせいぜい石や棍棒、自作の銃程度のものだったのに比べ、今回の場合はカラシニコフや猟銃などの大量の火器が、色んなルートで出回っていたという事情があります。
しかし、最大の違いは、何よりも両者の対立を実力で抑えるべき“治安機関”にあったのではないかと思われます。
1990年の紛争時にソ連中央から派遣された軍隊は、少なくともクルグズ人にもウズベク人にも属さない、中立的な存在でした。これに対して、今回の紛争を鎮圧したのはソ連ではなく“クルグズスタン”国家の軍と警察です。その大部分はクルグズ人からなり、南部の出身者も多い。
その中立性は、明らかに怪しい訳ですよ。
というのも、前回の紛争における犠牲者は、結果として双方とも同じくらいで、ほぼ“痛み分け”に近い状態だったとか。
それに比べると、今回、略奪や放火にあった住宅や店舗の大半はウズベク人の所有であり、焼け出されて生じた難民40万も、ウズベク人ばかりだと言われています。死傷者数の内訳はまだ出ていないとはいえ、被害がウズベク人側に偏っているのは明白でしょう。
軍や警察が、クルグズ人側に“肩入れ”したのではないか?と疑われるのは仕方がありません。
というか、“肩入れ”も何も、軍や警察関係者の中には、ウズベク人居住地への襲撃に“積極的に”参加した人間がいたことが、既に人権団体や海外メディア(露も含む)によって指摘されています。
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キルギスの民族衝突、避難民らが軍の関与示す証言
http://www.cnn.co.jp/world/AIC201006200008.html
ウズベキスタン・ヨルキシュロク(CNN) 中央アジアのキルギス南部で今月10日に起きた民族衝突で、ウズベキスタン国境付近へ逃れた避難民らから、住民の殺害にキルギス軍が関与したことを示す証言やビデオが続出している。
息子を亡くしたという女性(48)はCNNとのインタビューで、
「息子は路上で、戦車に乗った兵士に撃たれた。キルギス人が戦車を取り囲んでいた」
と述べた。
「息子はまだ23歳だった。妻は妊娠していたのに、もう子どもの顔を見ることもない」
と嘆く。戦車を所有しているのは軍しかないと、この女性は強調する。
別の避難民は、住民らを守っていたはずの兵士らが突然、平和的に行動していた非武装のウズベク系民間人を銃撃したと語る。激しい衝突が起きた南部の主要都市オシで、キルギス軍部隊が群衆に銃を乱射した、と話す男性もいた。
避難民らは、民家や店が放火され、路上に遺体が散乱し、家族らが殺害された状況を口々に語りつつ、携帯電話で撮影した映像を取材陣に示した。
ある映像は、ウズベク系住民とにらみ合うキルギス系グループの間から「やった、彼らが来る」とキルギス語で声が上がり、装甲車が到着する場面をとらえていた。「空砲ではない、実弾を使っているぞ」と叫ぶ声も聞こえた。
オトゥンバエワ暫定大統領の側近はCNNの取材に対し、軍がウズベク系住民への銃撃に関与したとの報告があることを認めた。
ただ一方で、これは政府としての見解ではないと強調し、報告はうわさやかく乱工作にすぎないとの見方を示した。そのうえで、当局が調査を実施し、正式なコメントを発表すると述べた。
避難民らに向け、国連や米国、ドイツ、ロシアが支援に乗り出している。世界食糧計画(WFP)は20日以降、ドバイの貯蔵庫から高エネルギービスケット110トンを空輸し、20万人余りに配布する計画だ。また国連は、被害を受けた住民50万人のために、7100万ドルの緊急支援を呼び掛けた。
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アウトだろう、これは。
臨時政府の側は、最近だと、
“軍の兵器や車輌が襲撃に用いられたのは事実だが、それらは全てクルグズ人暴徒が軍の基地を襲撃して盗んだもの。彼らが着ていた軍服も、同じく盗まれたものだろう。つまり、軍は関与していない。”
みたいなことを言っているのですが、
民間人の集団に制圧される軍事基地って何?
それと、兵器や車輌はともかく、わざわざ軍服まで強奪して集団でそれに着替える暴徒って、何それ??
マニア???
こうした話を聞いて、大抵の人の頭に浮かぶのは、かつてのルワンダやボスニアの例でしょう。“国家権力=治安機関と民族主義者が手を結んで、少数民族を組織的、計画的に抹殺する”といった感じのイメージです。事実、欧米メディアの中には、今回の事件を“民族浄化”に近い形で報道しているところもありますね。
しかしながら、最近その南部からビシュケクに戻ってきたばかりの知人、ジャーナリストのN氏によれば、そういうのはちょっと偏った見方なのだそうです。
N氏は、紛争真っ只中のオシュに単身乗り込み、その郊外のF地区におけるクルグズ人とウズベク人の両武装勢力の戦闘を取材中、棍棒で武装したクルグズ人数人の襲撃を受けて負傷。病院送りになったという猛者ですが、その氏が間近で目撃したF地区での戦闘では、ウズベク人の側は銃を持った人間が何人かいたのに対し、クルグズ人側は何と“石と棍棒”のみで戦っていたのだとか。
建物の中に立て篭って銃を撃つウズベク人たちに向かって、棒を持ったクルグズ人の集団が突撃を繰り返していたそうです。
一体どこの二百三高地ですか。。。。
N氏は米国の大学でジャーナリズムを学んだ後、主にあちらの媒体で仕事をしているのだそうで、これまでイラクやグルジア等、世界の色んな地域を取材に訪れたことがあるとの由ですが、石と棍棒で銃に立ち向かい、かつ自らをその棒で滅多打ちにしたクルグズ人たちを評して、
“死を恐れないですね。あんなに強いアジア人は初めて見ましたよ......。”
と、何だか不思議な感心の仕方をしていました。
それはともかく、氏が数日の間入院していたKの町(町のすぐ横がウズベキスタン国境。ここのバザールは、紛争前は中国人が多かった。)の病院に続々と運ばれてくる負傷者はクルグズ人ばかりで、いずれも銃創を負っていたとのこと。
つまり、地域によってはウズベク人の側にも銃は出回っており、完全に丸腰ではなかったということでしょう。
また、軍や警察についての臨時政府の言い分は、“半分は本当”なのだとか。
騒乱の規模の大きさに対し、南部にあった治安機関側の装備や人員は、まったく不十分だったと言うのです。
独立以来、クルグズスタンは周辺のウズベキスタンなどとは一線を画して民主化・自由化を標榜し、それによって欧米日などの金持ち国からより多くの支援を受けてきました。治安機関はさほど強化せず、軍事的にも、領域内に米露双方の基地の設置を認め、軽武装路線をとってきたのです。
この5年間で、2度も簡単に政権が転覆し、その度に首都ビシュケクで大規模な暴動・略奪が起きたのは、その警察と軍の脆弱さが災いしたとも言われているほどで。
だからといって、その警察が周辺諸国のそれに比べて格別“民主的”ってわけでもないんですけどね。連中の腐敗と遵法意識の無さは相変わらず酷いもので、2回の革命と今回のゴタゴタを通して、自分の中では、
“クルグズスタンの警官=平時には一般人をカツ上げして酒代を稼ぐなど職権を濫用、非常時には真っ先に制服を脱いで行方をくらますダメ人間たち”
というイメージが完全に定着してしまいました。
で、N氏は別件の取材もあって、5月の半ばごろから南部にいたらしいのですが、そこで目にした軍の装備もやはり貧弱で、士気は極めて低そうに見えた、と言います。
それが、数百、数千の、しかも同じクルグズ人の群集と対峙したとして、とても発砲できたとは思えない。そのまま装備を奪われた基地や部隊があったとしても、何ら不思議ではないとのこと。
人権団体“HRW(ヒューマンライツ・ウォッチ)”のレポート“Kyrgyzstan: New Evidence Emerges on Brutality of Attacks International Inquiry Needed(クルグズスタン:襲撃の残虐性に関する新たな証拠が出現。国際的な調査が必要。)”にも、同じ南部のジャララバード州高官の、以下のような発言が記録されていますね。
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“....(クルグズ人暴徒によって)ジャララバードの軍事基地から、少なくとも59丁の銃とグレネード・ランチャー、それに2輌の装甲車輌が持ち出されました。流血を避けるため、諸部隊は基地を放棄したのです。”
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ただ、問題なのは、
彼らが本当に“奪われた”のか?
それとも“形式的には奪われたことにして、単にクルグズ人暴徒に武器を横流しした"だけ?
という点でしょう。
この国の南部、特にジャララバードの辺りは、4月の“革命”によってその座を追われ、現在は海外に逃亡しているバキエフ元大統領とその一族の地盤であり、旧体制の支持者は大勢います。また、南部の行政機関や、警察、軍の高官には、バキエフ時代に任命されて、そのまま留任している人間も多い。
そして、彼らバキエフ支持者たちは、臨時政府を支持する一部のウズベク人勢力と激しく対立しており、5月中には銃撃戦を含む小競り合いを何度か起こしていました。
南部の軍や警察内に、武器をクルグズ人側に引き渡したり、また自らその武器を持って紛争に参加するようなシンパがいた可能性は大いにありうる訳です。
いずれにしても、治安機関が組織的に民族浄化を行ったという形跡は“今のところ”見られないものの、本来であれば治安を維持すべき彼らが事態を傍観したこと、そればかりか、クルグズ人暴徒に武器を大量に流出させたことがウズベク人の側により大きな被害をもたらしたのは、ほぼ間違いないと思われます。
→(3)に続く
政府だけでなく軍も警察も腐敗してるんじゃ、これは簡単に治まりそうにないわなー。治安維持を遂行する国家権力&武力装置が全く信用できないので有れば、信じられるのは己が力だけですもんね。
中央アジアの国々って封建時代から明治維新の様な経験を経て近代国家になったような国が無いようですし、潜在的には同様の民族紛争の火種を抱えている国が意外と多いように思えるのですが。
旧ソ連のような「帝国」が力で平定していた頃ならまだしも、とても今のロシアでは力不足なのではないでしょうか。流石に放置する事はないでしょうが、資源も無い「辺境」に積極的に関与する気は無いのでは?中国やアメリカ等がちょっかいを出せば別でしょうが。
・・・・なんか、昔読んだアイザック・アシモフのSF小説「銀河帝国の興亡」を思い出してしまいました。「帝国」の崩壊は、中央の関心と力が及ばなくなった「辺境」から徐々に始まり、次第に紛争が増えると共に分裂して荒廃して行ったんだったっけ。
考えていた以上に、ぐっちゃぐちゃのようですね。
オトゥンバーエワも大変なときに火中の栗を拾わされてしまいましたね。
投票結果の数字が本当なら、ものすごい国民の期待を背負ってるみたいですが・・・
暫定政権は、バキエフ政権下で組織された軍や警察をそのまま居抜きで引き継ぐ形ですか?
自国の警察が機能しない(信頼できない)から、暫定政権はロシアに支援を求めたとどこかで読みました。
でもメドベージェフは、国民投票の結果を受けて、キルギス暫定政権を突き放すようなコメントを出していましたね。
暫定政権は独力では治安を維持できないのでは・・・と思ってしまうと、バキエフ一派の思うつぼですかね。
今回攻撃対象になったウズベク人には、暫定政権支持者が多いと聞きましたが、バキエフ時代には、キルギス人的な政治が敷かれてていたのですか?
ウズベク人にも銃が出回っていたのですね。びっくりしました。
ほかにも「外国人狙撃主」が活動していたということですが、彼らはどこの国の人でしょうか。
○外国人狙撃手
でした。失礼しました。
IMU?マクシムに雇われた・・・
>まさしーっ
?????
>裸族-dono
>中央アジアの国々って封建時代から明
>治維新の様な経験を経て近代国家にな
>ったような国が無いようですし、潜在
>的には同様の民族紛争の火種を抱えて
>いる国が意外と多いように思えるので
>すが。
Nochi ni kuwashiku kaki masu ga, jibun to shite ha, kono kuni ga 1-ko no dokuritsu kokka to shite umarete shimatta koto ga somo somo no machigai da to omotte imasu.
>・・・・なんか、昔読んだアイザック
>・アシモフのSF小説「銀河帝国の興
>亡」を思い出してしまいました。「帝
>国」の崩壊は、中央の関心と力が及ば
>なくなった「辺境」から徐々に始まり
>、次第に紛争が増えると共に分裂して
>荒廃して行ったんだったっけ。
CCCP ni kanshite ha sou datta kamo shire masen.....Rossiya mo Afghan de mukashi itai me ni atte iru no de, kouiu no ni ha amari kubi wo tsukkomi taku nai no deshou.
Tokoro de, 銀河 to ieba...
Ima toubou-chuu no Bakiyev moto-daitouryou ha jissha-ban"JOB TRUNICHT" desu.
>マーシャ-dono
>でもメドベージェフは、国民投票の結
>果を受けて、キルギス暫定政権を突き
>放すようなコメントを出していまし
>たね。
Tsukihanasu to iu ka, shoujiki na kansou deshou. Ima no kono kuni no arisama ha
aa iwaretemo shikata ga ari masen.
アメリカも痛い目に有っているのに、こちらはちっとも懲りていませんね。なまじ”正義と自由&民主主義”を標榜しているだけに、更に性質が悪いかも。まぁ~彼らの国益に叶う、というだけの”正義と自由&民主主義”に過ぎないのでしょうが。
>jissha-ban"JOB TRUNICHT"
トンでもない奴ですねぇ。こんな連中が現実のロシア及び中央アジアの国々には、沢山居るのでしょうか。いつか、この世に実写版”Osker von ReuentalやWolfgang Mittermeyer”の様な英雄は現れないものなのか・・・。