6日(土)の 『照柿』(講談社) は、第三章 転変 のp379から 第四章 燃える雨 p435まで読了。
今回分を読んで再確認。『照柿』 は、8月2日から8月8日までの物語なのですね。読んでいるうちに「この展開では、どうもおかしい」と思ってたの。他のブログ記事で、「6日まで」とか「7日まで」とか書かれてあったので、混乱してしまった。(←他人のせいにするな)
『照柿』 の記事をアップした方で、たまたまこの記事を読んで、日にちが間違っていた方は、こっそり記事を訂正しておきましょう(笑)
今回のタイトルは、なつめ(大浦みずき)さんか、たかこ(和央ようか)さんの歌声でどうぞ♪
***
★☆★本日の名文・名台詞 からなのセレクト★☆★
「合田さんも達夫さんも荒れてます」特集。
★階段を上がりながら、この右足は憎悪、左足は未練だ、などと雄一郎は考えた。一段ごとに入れ替わる。憎悪、未練、憎悪、未練。 (p380)
ドラマ版「照柿」 ではこの場面、実際に「憎悪、未練、憎悪、未練」と口にしながら、三浦友和さんが演じられてました。階段上る時に、皆さんもやってみましょう。(私はやらんけど)
★『某所より入手。問答無用。君の罪を、小生が代わりに負うことがかなうものなら』 (p380)
義兄、久々の存在感の示し方は、メモ用紙で。(ネタバレ)
合田さんの不正を知った、 加納さんの心境。これを記しておかないと、以下の引用が要領得ないと思います。
★雄一郎は続いて《問答無用》の一語を咀嚼した。普段の中傷には耳を貸さずとも、たまたま目の当たりにさせられた義弟の不実に驚き、憤った男の一語だという気がした。遵法の精神と、社会に対する清廉潔白だけは守りぬくことを肝に銘じ、義弟も然りと信じてきた男の驚愕と動揺が伝わってくる。不正に大小はなく、身内の感情もないと言い切る男が、実は個人的な感情に駆られて、雄一郎の不実を激しく責めている一語でもあった。 (中略)
《問答無用》はむしろ、なぜなのだ、なぜなのだと自問し、うろたえ、思い余った末の一語かもしれない。 (p380~381)
★そして、最後の一文。雄一郎はそれを長い間見つめ、何なのだこれはと独りごちた。義兄の言う《罪》は、職権濫用そのことより、不実に落ちて生きている人間の弱さを指していた。あえて悪事と言わずに《罪》と言い、事を抜き差しならないところまで突き詰めて、あんたは何が言いたいのだと、雄一郎は虚空に呟く。人を罪人と断罪しておいて、その罪を自分が代わりに負うことが出来たらというのは、いったいどういう了見なのだ。何の権利があって、そんなことが言えるのだ。罪といえば、どちらも腐るほど背負っている者同士、誰が誰の罪を贖うというのだ。 (p381)
上記二つの引用。わずかな語句の書置きで、加納さんがこれほどまでに怒りを表明していることに、驚愕する合田さんと、私。ここまで「怒り」を読み取るのは、さすが合田さんですよ、と感心もする私。音信不通に近い状態もあったとはいえ、十六年の付き合いは伊達ではないな、と変に納得する私。
義兄の言動は、たとえわずかでも見逃せないですよ!
★雄一郎は今、ふいに自分を池だと思った。自ら自然に湧き出す泉ではなく、どこからか流れ込む水で潤ったり溢れたりするだけの池は、流れ込む源流を潤すことはない。細々とさまざまな人間の流れが注ぎ込み、退いていくだけで、何ひとつ与えることのない貧しい池だった。義兄が何と言おうと、人に何ひとつ与えることなく生きていること、そのことが自分の罪だった。
貴代子に限らず、すべての人間に対して、自分という男はそういう在り方しかできなかったのだった。 (中略) 昔から、自分には何か欠けていると感じ続けたその正体を、雄一郎は自ら戦慄しながら見ていた。誰もほんとうには慈しむことのない人間がここにいる。 (中略) 人なみの常識と欲情だけはあって、心のない男がここにいる。自意識の塊だけの、化けもののような男が。 (p384~385)
ああ、やっと気付きましたよ、合田さん! 幼馴染みの達夫さんが、刑事の一線を越えさせようと画策していた秦野組長が、そして大学時代からの付き合いで、一時は「義兄弟」でもあった加納さんが、手段は違えども、合田さんの作り出した強固な「壁」を壊そうとしていたことに。
『照柿』 の隠れたテーマの一つが、ここにあります。
★女の孤独は相手に向かって爆発するが、男の孤独は相手からの逃避になる。暴力をふるう女は、満たされないことで愛を知るという矛盾を生きているのかも知れないが、暴力をふるわれる男は、それを受け止める懐の深さはない。 (p390)
これも「男と女」の在り方の一つですね・・・。これも、「純愛物の美しさ」に涙している人たちに読ませてやりたいわ~(苦笑)
★「美の世界と言うのは、突き詰めると悪趣味に行きつくもんだよ」 (p413)
笹井画廊店主の「美談義」。それはいやだなあ。こうならないように、肝を銘じておこう・・・。
★この三十数年で初めて得た身軽さ。初めて感じる身体の解放感。東京へ出て十七年、迂回に迂回を重ねた末に、遂に元の場所に戻ったというのではない。不快が不快の形をしていた、情念が情念の形をしていた時代の、己の居場所に戻ったのでもない。人一人殺すことで、それよりはるかに遡った無明長夜のどこかに、いや、原始のどこかにまで戻ったのか。壮大な身軽さ。そこからすべてが始まり、この先の未来しかない身軽さ。 (p423~424)
高村さんの文体の特徴が良く出ている箇所ですね。
明日は8日。残り約60ページ。いよいよクライマックス。明日には読了します!
今回分を読んで再確認。『照柿』 は、8月2日から8月8日までの物語なのですね。読んでいるうちに「この展開では、どうもおかしい」と思ってたの。他のブログ記事で、「6日まで」とか「7日まで」とか書かれてあったので、混乱してしまった。(←他人のせいにするな)
『照柿』 の記事をアップした方で、たまたまこの記事を読んで、日にちが間違っていた方は、こっそり記事を訂正しておきましょう(笑)
今回のタイトルは、なつめ(大浦みずき)さんか、たかこ(和央ようか)さんの歌声でどうぞ♪
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★☆★本日の名文・名台詞 からなのセレクト★☆★
「合田さんも達夫さんも荒れてます」特集。
★階段を上がりながら、この右足は憎悪、左足は未練だ、などと雄一郎は考えた。一段ごとに入れ替わる。憎悪、未練、憎悪、未練。 (p380)
ドラマ版「照柿」 ではこの場面、実際に「憎悪、未練、憎悪、未練」と口にしながら、三浦友和さんが演じられてました。階段上る時に、皆さんもやってみましょう。(私はやらんけど)
★『某所より入手。問答無用。君の罪を、小生が代わりに負うことがかなうものなら』 (p380)
義兄、久々の存在感の示し方は、メモ用紙で。(ネタバレ)
合田さんの不正を知った、 加納さんの心境。これを記しておかないと、以下の引用が要領得ないと思います。
★雄一郎は続いて《問答無用》の一語を咀嚼した。普段の中傷には耳を貸さずとも、たまたま目の当たりにさせられた義弟の不実に驚き、憤った男の一語だという気がした。遵法の精神と、社会に対する清廉潔白だけは守りぬくことを肝に銘じ、義弟も然りと信じてきた男の驚愕と動揺が伝わってくる。不正に大小はなく、身内の感情もないと言い切る男が、実は個人的な感情に駆られて、雄一郎の不実を激しく責めている一語でもあった。 (中略)
《問答無用》はむしろ、なぜなのだ、なぜなのだと自問し、うろたえ、思い余った末の一語かもしれない。 (p380~381)
★そして、最後の一文。雄一郎はそれを長い間見つめ、何なのだこれはと独りごちた。義兄の言う《罪》は、職権濫用そのことより、不実に落ちて生きている人間の弱さを指していた。あえて悪事と言わずに《罪》と言い、事を抜き差しならないところまで突き詰めて、あんたは何が言いたいのだと、雄一郎は虚空に呟く。人を罪人と断罪しておいて、その罪を自分が代わりに負うことが出来たらというのは、いったいどういう了見なのだ。何の権利があって、そんなことが言えるのだ。罪といえば、どちらも腐るほど背負っている者同士、誰が誰の罪を贖うというのだ。 (p381)
上記二つの引用。わずかな語句の書置きで、加納さんがこれほどまでに怒りを表明していることに、驚愕する合田さんと、私。ここまで「怒り」を読み取るのは、さすが合田さんですよ、と感心もする私。音信不通に近い状態もあったとはいえ、十六年の付き合いは伊達ではないな、と変に納得する私。
義兄の言動は、たとえわずかでも見逃せないですよ!
★雄一郎は今、ふいに自分を池だと思った。自ら自然に湧き出す泉ではなく、どこからか流れ込む水で潤ったり溢れたりするだけの池は、流れ込む源流を潤すことはない。細々とさまざまな人間の流れが注ぎ込み、退いていくだけで、何ひとつ与えることのない貧しい池だった。義兄が何と言おうと、人に何ひとつ与えることなく生きていること、そのことが自分の罪だった。
貴代子に限らず、すべての人間に対して、自分という男はそういう在り方しかできなかったのだった。 (中略) 昔から、自分には何か欠けていると感じ続けたその正体を、雄一郎は自ら戦慄しながら見ていた。誰もほんとうには慈しむことのない人間がここにいる。 (中略) 人なみの常識と欲情だけはあって、心のない男がここにいる。自意識の塊だけの、化けもののような男が。 (p384~385)
ああ、やっと気付きましたよ、合田さん! 幼馴染みの達夫さんが、刑事の一線を越えさせようと画策していた秦野組長が、そして大学時代からの付き合いで、一時は「義兄弟」でもあった加納さんが、手段は違えども、合田さんの作り出した強固な「壁」を壊そうとしていたことに。
『照柿』 の隠れたテーマの一つが、ここにあります。
★女の孤独は相手に向かって爆発するが、男の孤独は相手からの逃避になる。暴力をふるう女は、満たされないことで愛を知るという矛盾を生きているのかも知れないが、暴力をふるわれる男は、それを受け止める懐の深さはない。 (p390)
これも「男と女」の在り方の一つですね・・・。これも、「純愛物の美しさ」に涙している人たちに読ませてやりたいわ~(苦笑)
★「美の世界と言うのは、突き詰めると悪趣味に行きつくもんだよ」 (p413)
笹井画廊店主の「美談義」。それはいやだなあ。こうならないように、肝を銘じておこう・・・。
★この三十数年で初めて得た身軽さ。初めて感じる身体の解放感。東京へ出て十七年、迂回に迂回を重ねた末に、遂に元の場所に戻ったというのではない。不快が不快の形をしていた、情念が情念の形をしていた時代の、己の居場所に戻ったのでもない。人一人殺すことで、それよりはるかに遡った無明長夜のどこかに、いや、原始のどこかにまで戻ったのか。壮大な身軽さ。そこからすべてが始まり、この先の未来しかない身軽さ。 (p423~424)
高村さんの文体の特徴が良く出ている箇所ですね。
明日は8日。残り約60ページ。いよいよクライマックス。明日には読了します!
図書館で借りた単行本「照柿」を読んでいるのですが、
P438下段8行目にある「達夫」は「雄一郎」のことですよね?
突然「達夫」がでてきたので?????
記事と関係ないことでごめんなさい。
>P438下段8行目にある「達夫」は「雄一郎」のことですよね?
最悪の事態を予想しながら、達夫は無我夢中で公衆電話ボックスに駆け込んだ。
のところですね。これは結構有名な(?)間違いというか、誤植というか。
恐らく2~3版以降で、ご指摘のとおり「達夫 → 雄一郎」に正しく変更されている(はず)。
以上、遅くなりましたが回答でした。