あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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福崎とその周辺・3

2008-06-10 22:55:29 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典
名残惜しい気持ちを抑え、『李歐』のp261~264の名場面を飛ばしつつも朗読しながら、来た道を戻ります。

最初のドン突き(関西の方言で「突き当たり」のことと思って下さい。「ドーンと行った突き当り」の略・・・らしい)まで来ると、またもや合田刑事のように目敏いタカサカさん、

「この梯子で護岸壁に上がりましょう!」

平林の護岸壁と同様に、梯子があるではありませんか! (ああ、これも写真撮れば良かった・・・)
しかし平林の梯子よりも、更にボロッチイ・・・。私の体重で大丈夫か?

『マークスの山』とは逆に、先に身軽な合田さん(=タカサカさん)がすいすいと梯子を上り、その後をへっぴり腰のお蘭(=私)が上ります。

おお! この三十間堀川は、今にも李歐や一彰が出てきそうな昭和40年代の香り(?)が漂っています。
「昭和」にしては、マンションや高速道路や観覧車などがありますが、一切無視して下さいね(笑) 皆さんの心のフィルターで取り除いて下さい(←無茶なお願い)

これだけ船があったなら、李歐の 「夢かと思った……!」 (『李歐』p259) と手放しで喜ぶのも分かりますね。




雨の下にビニールシートのかかった艀が四艘。木造のろかい船が二艘。艀ほどの動力船が二艘。「あれだ」 (『李歐』p260)





「とにかく降りて来いよ、どうして降りて来ないんだ!」 (『李歐』p262~263)

「惚れた?」 (『李歐』p263)




上記の3枚は護岸壁から撮影しましたが、一彰が見送ったのは、この周辺の方がふさわしい気がします。

3枚目写真の真ん中を横切る歩道橋から撮影したのが、次の2枚。
三十間堀川の上流方向。




そして三十間堀川の下流方向。良い雰囲気で、暮れなずんできました。
ど真ん中の水門の向こうが、天保山運河。そして大阪湾へ。きっと李歐は、その先にあるものを見据えていたに違いない。




海も陸も李歐が進んだところが道になり、李歐の体内時計が時を刻み、世界の時間の進み具合も関係ない。さあ行くぞと言ったら、李歐はほんとうに行くのだ。 (『李歐』p261)



4 コメント

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八幡屋 (からな)
2008-06-15 23:57:56
sougennさん、こんばんは。
おまけですが、ひのタイトルそのものの「八幡屋」の写真なんですが、あまり期待しないで下さいね・・・(苦笑) 「八幡屋」も広いから、一彰が察したところとは違うかも、です。

>最後の写真の赤い橋は「港大橋」でしょうか?

(確認してみた) はい、そうですね。ちっとも意識してなかったんですが(苦笑)

>最も南(下流)の写真ということになりますか。

天保山運河と尻無川の交わるところですから、下流ですね。
ご指摘の写真の右側が大阪湾、左側が尻無川の方向です。・・・あとで記事に注釈入れておきましょう。

>新福崎橋から写したものですか?

はい、そうです。
その新福崎橋そのものを撮影するのを忘れましたね、私・・・。

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福崎3 (sougenn)
2008-06-14 09:02:02
からなさん、こんにちは。おまけがあるんですね。楽しみです。
 最後の写真の赤い橋は「港大橋」でしょうか?「福崎とその周辺・2」の五番目千歳橋と尻無川から見た千歳橋は角度のせいかまるで違う橋のように見えますが、鮮やかな青が特徴ですね。
「福崎とその周辺・2」の五番目の写真が結局、最も南(下流)の写真ということになりますか。これはどこから写した写真でしょうか。新福崎橋から写したものですか?方向オンチの私の頭では、これらの橋と川の位置関係がしっかりと収まらないのです。
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写真にふさわしい表現 (からな)
2008-06-12 23:14:20
sougennさん、こんばんは。
楽しんでいただけましたでしょうか? まだおまけもありますので・・・(といってもたいしたことないので期待せぬよう)

>「海も陸も李歐が進んだところが道になり、李歐の体内時計が時を刻み、
>世界の時間の進み具合も関係ない。
>さあ行くぞと言ったら、李歐はほんとうに行くのだ。」 
>何か胸にジーンときました。

実際に地どり場所に行かれていない方々のために、その場所を身近なものにする役目を果たすには、小説の文章を引用することが最も解りやすいのではないでしょうか。
今回の最後の写真を見たら、「これしかない!」と思いました。

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福崎とその周辺・3 (sougenn)
2008-06-11 16:12:03
福崎レポートも今回で最後ですか、さびしいです。
三枚目の写真、後景のビル群が少し邪魔ですが、李歐と一彰の雰囲気に合っています。さすが地どりの神様、ぴったりの場所をみつけましたね。慣れない私はこの眺望に辿り着けず、李歐が船を隠した場所、一彰が李歐を見送った場所が掴めずにいました。したがって、二人の別れのシーンもいまいち実感できずにいました。この三十間掘川に、夜中の十二時に、できたら大雨の日に来てみたいものだと思いました。
 李歐はそこから船出してあの水門をくぐり「天保山運河へでていき、ゆっくり旋回して尻無川の方向へ船首を向け」大阪湾に乗り出していったんですね。

 李歐と一彰の世界は自分とはまったく異質だからこそひかれるのでしょうか。尻無川、三十間掘川、天保山運河…今回はトボトボと歩いて平面的にしか捉えられませんでしたが、気球にでも乗って一目してみたいものです。
「海も陸も李歐が進んだところが道になり、李歐の体 内時計が時を刻み、世界の時間の進み具合も関係な い。さあ行くぞと言ったら、李歐はほんとうに行く のだ。」 
何か胸にジーンときました。

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