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斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

ミスコンの件

2024年02月02日 | ザ・日本人の気持ち

ミスコンの件

 

ミス日本に選ばれた人、日本人とのハーフですらないウクライナ人だった🇺🇦

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/db7144b9e6cba5dfa7491c1afad1b612977fe5d8

 

「日本女性に相応しい心と健康的な美しさを競う」と謳うミス日本コンテスト。

 

彼女は椎野カロリーナ氏といい、現在26歳。

 

「多様性や人を見た目で判断しない社会づくりに貢献したい」と言っている。

 

しかしこれは一週間程前に物議になっていた。

 

国籍的には日本国籍だから、「日本人」である事に間違いはない。

 

カロリーナ氏は何も悪くはない。「多様性の社会づくりに貢献したい」という考えで参加する事は良い事だと思う。

 

ミスコン側がもしカロリーナ氏の出場を拒否したら差別行為になる。ミスコンは出場を許可した。

 

物議になったが、誰もカロリーナ氏を責める人はいなかった。ミスコン側に100%,120%責任があると言う

 

出場を許可した事に対して苦言を呈する人もいれば、ミスコンが彼女を選んだ事に対して苦言を呈する人もいる。

 

後者が圧倒的に多かった。後者の言い分は「不平等」であるとのこと。

 

後者の言い分の最も多い「不平等」は、カロリーナ氏が西洋人である事。

 

多くの日本人参加者が努力して努力して手に入れるスタイルや美貌を、カロリーナ氏はウクライナ人であるために、生まれながらにして美貌であり、努力無くそれらを手にしているという意見が多かった。

 

カロリーナ氏だって、努力して手に入れた美貌や品格かも知れない。

 

これがミスコンではなく「陸上競技」だと黒人などに比べてアジア人は筋肉量が劣り、骨格も陸上向きではないため、黒人の数倍の努力が必要である。

 

「不平等」以外の不満意見があって、それはアイディンティーの問題。

 

日本人の血が入っていない人に対して、選んだミスコン側の神経が理解出来ないという意見も多かった。そして、「日本人らしさとは?」という問題に発展していった。

 

いずれにしても、彼女に対して失礼過ぎるだろう。

 

ラグビーなどのスポーツだと、日本代表の選手は外国人だらけである。

それも、日本国籍など有していない選手ばかりである。

彼らはラグビー日本代表にもこんな苦言を呈するのだろうか?

 

スポーツは勝たなければならない。戦力になる者に対して、外国人だから排除しようなどと言ってる場合ではない。

 

ミスコン側が「日本人女性に相応しい」と謳わなけらば物議にはならなかったと思う。

 

和と洋は見た目が違う。自分でも洋を見て日本らしい容姿だとは思わない。

 

日本人の8割型、東洋(和)顔である以上は、日本人らしい容姿といえば、和だろうと一般的には思う。差別とかそういう問題ではなく、数の問題。

 

ミスコンも毎年、謳い文句を変えるべきだと思う。

 

 

ということで、ご精読ありがとうございます。

 

 

ここから先の記事は、日本人のアイデンティティーについてくだらない長文をダラダラと書くので、忙しい方や、読むのが面倒くさい方や、民族的なアイデンティティーという物をさほど重要ではないと思われる方は、時間を割くだけなので読まなくても構いません。

 

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こんなツイート(ポスト)を見かけた。

「国籍が日本であるにもかかわらず生まれ育ちや「血」の要素で純度100%の「日本人」を要求するの、端的に言ってニュンベルグ法と紙一重であり最悪だが、それはそれとして「血」や民族的な日本人らしさに回収されない「日本らしさ」って何なんだろう、ということをずっと考えている。」

《引用: 副主席氏ツイート》

 

このツイートにリプはしなかったが、自分はこう答える。

 

「教育」と「制度」

 

西欧の教育を受けた人間は、日本人であっても西欧的な考え方になる。

国の制度は国民の行動や生き方に多大な影響を及ぼす。制度も日本在住の人間が考えたとも限らず、外国の制度をそのまま真似して施行する事もあり得る。

 

これらは「血」でも「民族性」でも何でもない。

 

ほとんどの国の国民性は国家戦略の「教育」と「制度」の影響を受ける。その他にもプロバガンダや情報統制やマーケティングの影響も受ける。

 

寧ろこれらの方が大きく「日本らしさ」に貢献していると思う。

 

副主席氏のツイートのリプに最も多いと感じたものは「日本語・言語」

 

確かに、国の公用言語と民族・部族は全員が一致するとは限らないが、日本が一つの「日本民族」として定義する為に「言語」というのは最も重要な条件である。

 

「日本語」を話すので「日本民族」である。人間というのは言語によって自分の帰属を決める。

 

民族定義というのは非常に難しい。これは学者でも頭を痛める問題のようだ。

 

中東や旧ソ連圏や東欧や遊牧民族や欧米などに比べると、日本人は「民族的アイデンティティ」という概念はないのか?と思える事がある。

 

旧ソ連圏出身のYouTuberの話などを聞いていると、日本では考えられない程、民族的アイデンティティを持っている。

 

戦時中の日本も国民に対して、民族教育をしていたらしいが、現在では戦争の反省もあって、日本人としての民族教育を排除してきたらしい。

《参照: 今西きんじ氏ツイート》

 

海外在住の日本人のSNSを見ていると、海外の日本人コミュニティーはあっても存在しないようなもの。と高頻度で書かれている。

 

日本人の結束が弱いどころの問題ではなく日本人同士、同調圧力、足の引っ張り合い、マウントの取り合い、仲間ハズレばかりが横行し、タワマンのママ友がやっている事と同じで糞の役にも立たない。大の男ですら、タワマンのママ友化している。挨拶しても返さない人が多いらしい。

 

日本人同士なのにとっても意地悪な人が多いらしい。

 

意地悪な日本人は、現地の白人などにはヘラヘラして外面が良いようだ。

 

そういう日本人は、タワマンに住む感覚で海外移住し、日本本国にいる人にマウントを取るような人種ではないかと。

 

日本人同士の軋轢はなくとも、世間での薄っぺらい付き合いに留まり、緊急時や本当に困った時などは徹底した「我関せず」の態度を取られ、完全に無視されるケースもとても多くあるという。

 

一人の頼れる日本人に一方的に、過度に依存する日本人もいるという。頼られた側はある程度までは許容出来ても、許容範囲を超えて負担になっているという。

 

せっかく日本人同士の友達が出来ても、相手がやたら自分に対して支配的だったりする事が多いらしい。

 

日本人海外移住者は、同じ海外移住の日本人と適切な距離で付き合えなくて非常に悩んでいるという人が多くいる。

 

それでいて日本企業で働く日本人は、プライベートは無関係でも、組織では非常に団結力があるという。

 

日本にいる日本人とは全く違うという。

 

だからといって日本人は外国人コミュニティーに入れてもらえない。外国人同士は、よほど仲が悪い民族や国でなければ入れてくれるらしいが、何故か日本人は入れてくれないらしい。外国人同士といっても、国は違えど同じ言語圏や同じ語族圏はつるむと言っていた。

 

そこで海外移住者の日本人だけポツンとなる。日本人はおかしい奴ばかりだ。かといって色んな外国人の群れには入れてくれない。特にアメリカではそういう傾向が強いらしい。

 

英語が流暢に喋れても、非英語圏にしてみれば、母国語で話せる人やそれと近い語族の人と付き合いたい。母国語英語話者は、日本の拙い英語の人と話すより、細かいニュアンスまで意思疎通の出来る母国語英語話者同士と付き合いたいと考えるらしい。

 

どこの国の人も、細かいニュアンスまで意思疎通が出来る人と付き合った方が楽である。

 

そこで日本人は、自分のアイディンティを自覚する事が多い。日本人だけは独特だと。日本人同士で日本語が通じるはずなのに、意思疎通が難しい人が海外移住者には多いと聞く。

 

他の外国人コミュニティー、例えば中国人、インド人、アフガン、中央アジアなどのコミュニティーは結束が非常に強く、中央アジアコミュニティーは、住居から車から就職から何から何まで世話をする。そしてたまに広い公園などでプロフ(中央アジアのピラフ)パーティーなどをやったりしている。

 

日本人コミュニティーではそういう事はまずあり得ないという。

 

中央アジアの人は、古来より民族ベースで動く事が多かった為、このようであると考えられる。

 

中央アジアのタタールは、この戦争中、ロシアとウクライナのタタールに中央アジアに来られるように手を差し伸べる。

 

テュルク系民族は同胞には優先的に手を差し伸べる。日本人はこの仲間には入れない。例え手を差し伸べられたとしても、日本人側が拒否する可能性がある。日本人はこの手の付き合い方には慣れていない為、距離を置いて自ら離れていくだろうと思われる。

 

日本人は「日本民族」という民族ベースで動く事は歴史上あり得なかった。

 

日本は島国で、周辺の大陸や島嶼からの寄せ集め、烏合の衆。だから海外での日本人コミュニティーの意味が無いのはしょうがない。

 

元はバラバラだった。それを纏めるたった一つの共通するものが「日本語」。

 

それに比べ、大陸では国を持たなくても民族ベースで動いていた。日本とはまるで違う。

 

日本語には、英語の「ネイティブ」に相当する言葉は存在しない。これはロシア語にもタタール語にも存在する。

この「ネイティブ」というのは、「祖先の故郷を想う。」 「血に刻まれた懐かしさ。」 「遠祖から自分に伝わる想い」などのニュアンスである。日本語にはこの概念がなく、日本人にもこの概念は無い。

 

日本人の多くは自分の民族的ルーツに関心がない。眼中にないというか、発想にない。

 

自分の両親をはじめとして、幼馴染みや、懇意にしていた人などに、民族的ルーツについて話をした事があるが、返答が「カルガリー氏はとっても変わった事を考える人だね」と鼻であしらわれたり、それに答える事なく、違う流れに変えられたりした。

 

真面目に答えてくれた人でも、家業の話をしたり、田舎の話をする。日本人に民族的ルーツについて話すのは意味がないのである。

 

そもそもそんなものはない。そんなものは日本人には理解出来ない。自分も旧ソ連圏や、遊牧民族に興味関心を持つ迄、そんな概念は無かった。

そういうものに触れてみて、目新しい概念だったので初めの頃は面白かった。

 

自分が異国と血縁的な繋がりがあるのではないか?という事を大半の日本人は考えもしないのでそれは仕方のない事だ。

 

「国が破滅や追い込まれると自分たちのアイデンティティを確立するのは、バビロン捕囚のユダヤ人もそうだし、南宋での朱子学成立もそう。タタールのくびき後のモスクワ大公国が第三のローマ論もそうよね」

《引用: 耶律阿保機氏ツイート》

 

「日本民族」として、国が破滅に追い込まれた事は第二次世界大戦で敗戦した事以外にはかつて無かった。

 

「日本人らしさ」を形づくっているのは「民族性」などではなく、「教育」や「制度」や「情報統制」や「マーケティング戦略」ではなかろうか?と考えている。

 

日本に移民して来た様々な民族は、国を追われた経験がある者が多いと思う。彼らの民族的アイデンティティや、文化や慣習、精神性など、それこそ「ネイティブ」があったはずだが、日本にはそれらの面影や痕跡が全く見当たらない。

 

欧州や英米諸国から日本は「孤立文明」と言われ惑星扱いをされ馬鹿にされている。

 

日本には大陸に影響を受けた文物、建築物はあるが、世界と共通する慣習などの痕跡がないと言う。

 

よく、「日本の常識、世界の非常識」と言われるのは、世界と共通する慣習などがなく、日本独自の慣習で生きているからである。

 

これは以前からとても不思議に思っていた。

 

 

ミスコンは、毎年決まって日本人らしい容姿の女性と表向き謳うが、実際にいかにも日本人の容姿が選ばれた試しがない。

 

日本人が考える日本人らしい容姿。ミスコンは160cmから出られる。

 

身長160cmでミスコンの中で一番背の低い、短足で直毛黒髪、一重瞼、下ぶくれの顔形、まるで源氏絵巻きから出てきたような顔立ち。

 

そんなにくびれてもいないし、貧乳であるが、努力してシェイプアップのおかげで身体が引き締まっていて姿勢も良い。

 

馬に例えると「日本古馬」といった感じ。

 

知性も品性もあり、内面の美しさも滲み出ている完璧な女性であるが、ミスコンには選ばれないと思う。

 

ミスコン側としては、日本古馬より「サラブレッド」のような女性ばかりを選ぶ。

 

ミスコンは、表向きとはだいぶ違うように思う。

 

女性本人の努力以外の部分の、身長や瞼やプロポーションなどの、どうにもならない特徴がある。

 

それが、日本人が考える日本人の特徴である。特に西洋人と比べた場合に顕著にでる。

 

結局、ミスコン側の美意識に当てはまる女性が選考される。その美意識というのが、西洋の美意識。

 

だから「日本人女性として相応しい」と謳う以上は、ミスコンの美意識を改めなければならないと思う。

 

いつか「日本古馬」ばかりが優勝するミスコンを見てみたいものだ。

 

この「日本古馬」のような女性、日本人男性から見ると、安心出来る女性のような気がします。

 

知らんけど。

 

そして教養も品格もある。最高じゃないですか。

 

*普通、やまとなでしこというが…..

 

自分が思うに、ミスコン自体が馬の品評会のようだ。

 

馬の品評会みたいな事を女に対してやる事自体が、非常に田舎くさく、今の時代に適してはいない。

 

 

椎野カロリーナ氏は日本人である。

詳しく言えば、ウクライナ系日本人である。

 

ツイッターXでバズっていたのが、「日本人らしさ」とは何か?国籍(制度)以外で、何をもって「日本人」と判断するか?という議論ばかりが流れて来た。

 

それが、どうやら「日本人」という品種の外見、内面的特徴とはなんぞや?

 

から始まって「日本人」という品種は他の東洋人と顔立ちの区別は出来るか?出来ないだろう?

 

という話になり、「日本人」は周辺の色んな民族が渡来して出来上がった品種だから、様々な種が交雑して現在に至っている為、「日本人」という固有の種は元々存在していなかった(日本人の原種は存在しない)というツイート(ポスト)も見かけるようになる。

 

これを要約すると「日本」は「アメリカ」っていうものと同じだと言っているようである。この人はどうやらアメリカ在住である。

 

アメリカは言うまでもなく、多民族国家である。そして公用語は英語(事実上)である。

ロシアや中国も多民族である。

 

ロシア、中国は地続きで包括的に支配している為、結果的に多民族国家になってしまった。

 

アメリカは、色んな所からの渡航者による寄せ集めでアメリカという国が成り立っている。ロシアや中国と違うのは、大陸(ユーラシア大陸)と地続きではなく、海を渡り、理屈上「島」のような環境の大陸に渡り、先住民と移民で出来上がった多民族国家である。

 

その点、日本も米国と似たような環境であった。日本との決定的な違いは、米国が植民地であった事。

 

学校🏫の教科書が言うのには、日本人のアイデンティティは、縄文人と弥生人が交雑して現在に至るという設定である。

 

これは冷静に考えなくても、明らかにおかしいデタラメであると分かる。

 

それを信じる大人が多い。縄文顔、弥生顔という冗談を本気で言う大人が多い。酷い話になると関東は縄文で関西は大陸と二分する人までいる。

関西は関東よりも比較的、大陸的な文化の特徴が強いように思えるが。

 

日本人はオールドカマー、ニューカマーなど、いつの時代にも人が渡航して来ていた。

 

大まかに分けると。

 

アンシェントカマー(太古)

氷河期→石器時代→縄文時代

 

オールドカマー(古代)

弥生時代→古墳時代→飛鳥時代→奈良時代→平安時代

*奈良・平安は古代か中世か意見が分かれるが、大和朝廷が絶対権力を握っていた時代までを古代とする説が多い。

 

ミドルカマー(中世)

鎌倉時代→(南北朝時代)→室町時代→安土桃山時代→江戸時代、鎖国まで

 

ニューカマー

開国・明治維新→大正→昭和、戦前まで

 

戦後カマー

昭和戦後→昭和が終わるまで

 

近現代カマー

平成→令和

 

カロリーナ氏は、近現代カマーのウクライナ系日本人という定義づけで宜しいかと思います。

 

縄文人自体が単一民族であるはずがない。縄文時代にも、一日あたりなん人かは分からないが絶えず外から渡来していたと考えられる。

 

あまり信憑性は無いが、ある人のYouTube では縄文時代で一番人口が多かった時期は日本全土で26万人いたという話をしている。

 

江戸時代の鎖国までは、一日あたりなん人というレベルで常に渡来はあったと言われる。

 

それを考えると「本当の日本人とは何か?」という質問がアホらしく思える。

 

縄文人と弥生人が交雑して、現在に至るとは?縄文人を先住民、弥生人を移民とする概念で語れば、その通りである。人種的な違いではない。

 

縄文人も弥生人もそれぞれ単一民族ではない。縄文時代は15,000年程続いた平和な時代だった。それは人種的な遺伝子のせいではなく、自然環境のせいである。縄文時代は温暖な気候で、食物が豊富で、土地の所有もなく、人口も過密ではない為、戦争をする理由が無かった。

 

弥生時代に入ると、気候がやや寒冷になり、食物が安定的に手に入らなくなる。そこで大陸からの移民で稲作に詳しい人間が食糧問題の解決の為、米作りを始めたらしい。

稲作にあたって土地の所有が始まり、大陸から鉄器文化が入って来た。つまり、武器が入って来たのである。農具は鉄の平和利用であったが領地を所有して武器を手にすれば人は戦争を始める。

 

縄文人だったものが、弥生人になったと考えた方が自然であると近頃言われはじめている。

 

縄文人が先住民、弥生人が移民という概念で語れば、日本にはそれだけしか存在しない設定になる。

 

日本はいつの世も、次の移民が入って来れば、かつての移民は先住民になり、さらに移民が来ればまたかつての移民は先住民になる繰り返しの歴史である。

 

 

そんな偉そうな事ばかりを書く自身は昔、英国白人から「カルガリー氏は大陸のアジア人と顔立ちが全然違う、まさに日本人の顔立ちをしている!」

と日本語で言われた。だから日本人特有の骨格はあると思う。

 

日本人からは「東南アジア」とか「ポリネシア」寄りの顔をしていると言われる。

 

確かに、ベトナム人かインドネシア人で、総務が自分とその人をよく間違える人がいる。

 

昨年、マイ・ヘリテージ社のキットで興味本位で自分の先祖のルーツを調べた。

 

自分は100%日本人でした - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

純度100%の日本人である事を自慢するわけではない。自分は全く他の現存するいかなる民族とも血縁関係に無いと断言されてしまった。

 

自分はどうやら純度100%のアンシェントカマーの日本人。つまり「日本固有種」「日本人の原種」「日本の原住民」であるようである。5万年から3万年前に日本に渡航し、全くその後の移民とは交雑をせず、現在に至るという。

 

純度100%の日本人である事のメリットは何もない。第一自分の家系は王族でも皇族でも何でもなく、なんにもない家系である。ただの無能な原始人である。これのどこが人様に誇れるものがあるのか?

 

純血より混血の方が優秀な子孫が出来ると思う。様々な複雑な要素を人格の中に取り入れる事が出来る。複雑な要素を持つ人は性格が複雑な人が多いかも知れないが、優秀であり、懐も深いと思う。多様な歴史の歩みが刻まれているのだから。

それが羨ましい。

 

単血って、面白くもなんともない。原始的な順風満帆な歴史を延々歩んで来ただけであって、人格が薄っぺらい気がする。人の苦労も分からなければ、深みもない。

 

そんな事を書くと人種差別だと言われそうであるが。

 

ここまでの単血は日本ぐらいにしか残っていないとも書類に書いてあった。

 

これは冗談ではない。初め、マイ・ヘリテージ社が冗談を言っているのかと思った。

 

信じたくはない!!

 

不愉快な真実を突きつけられてしまった😱

 

その後日談。役所や寺などに一人で赴き、戸籍などを調べて家系図を作った。衝撃‼️の事実が分かった。

 

辿れる範囲内のご先祖様の全てが、氏族内婚である。(親戚同士でしか結婚をしていない)

父と母は両方とも違う内陸県の出身だが、両親の家系とも氏族内婚しかしていない!!!

 

皇族でなくてもこんな事あるのか?!

 

両親の出身地は、両方とも深い山の中の隔絶的な孤立集落である。そしてそれを更に深掘りしてみた。両方ともかつては被差別部落であったとネットに書いてあった。

 

自分は両親の田舎に行った事があるが、被差別部落の独特な雰囲気を肌身で覚えたのではないだろうか?と思う。

 

だから自分と全く無関係な被差別部落に足を踏み入れる事があっても、ここは部落だとすぐ解るのではないか?

 

部落民は部落民としか結婚出来ないとよく聞くが、部落の垣根を超えても被差別部落民同士であれば婚姻は可能なのか?

 

今は両方とも解放され、部落婚の制度から解き放れている。いつ制度から解放されたのか、それが明確にわからない。

 

それとも「差別」などがまだ酷い時代だった為、部落解放後も移民日本人との結婚を自らしなかったのか?

 

移民日本人と結婚しても差別されるから。

 

しかしそれらはネット上の情報であって郷土資料などに依るものではないので、「部落」という事が事実かどうか分からない。

 

被差別部落でも何でもなく、日本の歴史とも世界の歴史とも全く関係なく、山奥で外との接触も皆無でただただ順風満帆に生きて来た家系だとすれば、本物の「平和ボケ」である。

 

だから自分の両親は、順風満帆で何も問題のない家庭が築けたのではないか?と思える。他人の家庭の内情を聞くと複雑で色々あるなーと思う。

 

自分は両親の口から直接、自分は「部落民」だったという話を一度も聞いた事がないが、自分は親戚の顔をろくに知らない。父方の実家は山深過ぎて非常に遠い為、最後に行ったのは自分が小学2年の時以来である。

 

母は実家と絶縁しているので、自分が知らない間に祖母が亡くなっていたらしい。

 

正月や盆に親戚全員で集まるという感覚が自分には全く分からないのである。親戚とか、血縁同士という感覚が全く理解出来ない。親戚との繋がりが全く無い。

 

孤立核家族家庭で育ったが、家庭環境は順風満帆だった。両親と自分と妹の4人家族だが、父は定年まで平社員だったが、問題も起こさず勤勉に働き続け退職し、現在は静かに穏やかに余生を送っている。母は自分達が高校を卒業するまで専業主婦だった。母はやたら世間の目を気にする。妹は兎に角糞マジメで、真っ直ぐな性格で、曲がった事は大嫌いで冗談も通じない。妹とはふざけた話は出来なかった。自分としては大ザッパで、他人からはおっとりしてる。マイペース、気が効かないと言われている。変に愚直でマニュアル的なものがあればそれに従順に従う。義務的な事さえ終わればあとはどうでも良い性格である。

 

家族全員、誰も特定の宗教など信じてなく、だからと言って無神論者というわけでもなく、彼岸には墓参りに行くし、正月にはイベント感覚で初詣に行く。クリスマスなども普通にやる。

とにかく順風満帆だった。それで今でも実家が居心地が良い。逆に実家にしか自分の居場所がない。

家から一歩でも外へ出ると敵ばかりの人生だったので、家族と本当の幼馴染以外誰にも心を開けない。だから身内がもっと欲しい。親戚が欲しい。

 

欲を言えば、大陸や島嶼に血縁があって、大陸の人間のように氏族同士が密な環境下に生まれたかった。

 

自分が他人とのコミュニケーションが、幼い時から全く上手く出来ないというのも、孤立核家族家庭という生育環境の影響もあると思う。

 

大陸に憧れがあるものの、自分は全くそれに相応しくはない。

 

大陸と自分との違いが、逆にとても新鮮で面白い為、大陸に魅了されるのではないか?と思う。

 

大陸や島嶼との血縁に恵まれた多くの日本人は、先祖帰りをすべきだ。自分のルーツを知り、自分のルーツのある国を訪れる事や、その国を愛でる事を勧める。

 

自分はそういう理由で特定の国を訪れるなどという事は不可能なのだから。

 

大陸とか島嶼など異国にルーツがある人が非常に羨ましい。

 

マイ・ヘリテージから送られて来た書類やDVD、何処かにしまいこんで、探しているが出て来ない。

 

先日、その懇意にしていた人から

 

「チャットGPTと会話してるみたい。」

 

と言われたきり、連絡が取れなくなりました。

 

 

長文の駄文のご精読、本当にありがとうございました。私事をつまびらかにしてしまい、デリカシーなく申し訳ございませんでした。

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職場での発言の線引きと色々思う事

2023年12月15日 | ザ・日本人の気持ち

先日ラジオで、どこからどこ迄がセクハラ・パワハラなどのハラスメント要素を含んだ発言の境界線か?

 

という話題をやっていた。昨今では○○ハラという言葉が次々と出来て、大変窮屈になってるということでした。

 

この回を聞いた感想-

 

随分世知辛い世の中になった。そして今の日本狂ってる。と思った。

 

太ったはハラスメントだけど反対にダイエットして「やせたね!」はハラスメントに当たりますか?

女性から女性でも何らかのハラスメントになりますか?

 

更に極端な例を挙げると、髪を切った同僚がいて「髪切ったんだ。似合うね」も言ってはいけないのか?

こちらは男性から女性だ。セクハラにならないかとても心配している。

 

ラジオへの意見で、自称太りたくても太れない男性がいて彼の言い分によると、「やせたね」とか身体の事は絶対に言ってはいけません。というのもあった。

 

ひとつだけラジオパーソナリティがパワハラを指摘していたものがある。

 

それはこれから有給を取ろうとしている部下にわざわざ「有給取って何するの?」と聞く。

こんな事を言って部下に有給を取りにくくする圧をかけている。

 

パーソナリティは北米暮らしをしたことがあり、米国では宗教と性的趣向は絶対に聞いてはいけないが、それ以外は大丈夫という。銃社会だからなのか、良い事と悪い事の白黒がハッキリとしている。

 

ラジオパーソナリティが言うには日本社会は、「和」を大切にしたいと思っている。

 

日本社会は「察し」を和の精神のひとつとしている。基準を明確にせず、なんとなく空気読んで「察し」てね。という。

 

その為、線引きや境界線が定まらないらしい。

 

日本でもかつては「政治」と「宗教」と「野球」の話はするなと言われていた。

 

日本の「和」の精神について長く考えているが、それも明確な答えが出ない。

 

私が考える日本の古くからの和の精神は、「和を持って距離を取る」に行き着くんですが↓まで行き着くと人と人とのコミュニケーションが出来なくなる。

 

ラジオの内容で、「ある会社では「トラブル防止の為、互いに最寄駅、生年月日、血液型、家族構成、趣味、推しの球団(スポーツチーム)などを聞いてはいけません」という趣旨の規則があるという。

 

その為、派遣は話の輪に入れません。どのようにコミュニケーション取って良いか分かりません。」

 

 

この会社。。。コンプライアンスを意識し過ぎて結構なところまで行ってしまった。そこまでやるなら「氏名」や「顔」なども伏せたら良いと思う。話題が上司の悪口か一緒に働く人の悪口しか無くなる。名前も顔も分からんならポジション名で言う。

 

トラブルってどんなトラブルを懸念しているのだろう?個人情報を全て隠せばトラブルにならないのかしら。

仮にトラブルが起きた時に対処したくないから、よくわからない「トラブル防止」を掲げる。

 

和の精神と基礎は同じだが、何事もやり過ぎると、及ばざるが如し。

 

日本人の古くからの「和を持って距離を取る」

というのは、「個人の責任やプライドや信条を尊重して、闇雲に手出しや口出しをしない。」

 

本人を信頼して「任せる」という精神。

 

そういうのを「我関せず」という。日本人独自の美徳の一つです。

 

「我関せず」には他人の目や世間体を意識しないという意味合いもある。

 

↑の会社は、トラブルを未然に防止するために互いのプライバシーに踏み込まないように個々に境界線を引いたケースだと思う。境界線を引けば確かに喧嘩は起こりにくい。互いに距離を置くように会社側から仕向けたのか。日本人はそこまでされなくても、自然に境界線を引き、距離を取り、トラブルを未然に防止するタチなので、そこまで気にしなくても良い。

 

「和を持って距離をとる」の「距離」の意味を履き違えたケースだと思います。○○ハラとかコンプライアンスに引っかかるとか言われると、今まで出来ていても、些細な事にも異常に注意深くなってしまう会社があっても、今の時代おかしくはない。

 

「我関せず」もまた、履き違えやすい言葉だ。

目の前で溺れている人を見殺しにする事に美徳を感じる人はいない。

 

自分には関係ない人なので助けません。という意味ではない。

 

日本人はまた、「個」の領分を尊重したがる。逆に言えば他人の「個」の領分を極力侵害したくはない。それで「自分の頭で考えてね。」文化になって、トップからの線引きが曖昧になる。まぁ、ヘンな気遣いだと思われるものの一つ。

 

日本人は他人からあれこれ指図されるのが大嫌いなので、お上もそれが分かっていて口出しをしない。上から言われなきゃ分かんない米国人のように、お上が白黒決めなくてもよい。

 

 

ラジオの内容ではなくて、半年程前ツイッターで「うちの会社はパワハラなのか?」という記事を読んだ覚えがある。結構印象深かった。それは誰かの引用リツイート「こう言う奴に限って結局会社を辞めない。」のコメントと一緒にあった。その人のツイートをつぶさに読んでみた。覚えている限り書く。

 

その会社はコネ会社で零細企業でアットホーム。人数も少ない。コネ会社というと聞こえが悪いが、ツイートを読む限りでは悪徳企業では無さそうだし、待遇面でもブラックでは無さそう。上司の暴言・暴力等、無さそう。コネとは、一般求人を一切行っておらず、100%知人、友人などによる紹介のみのようだ。

 

そして彼女は何が気に食わないかというと、従業員の誕生日パーティー、企業内パーティーなどと口実をつけては飲みの席へ強制参加させられる事。これがパワハラ。もう一つは、毎週月曜日に、「休みの日何してた?」と聞かれる事や、時々「家族はどう?」と聞かれる事も干渉だしパワハラだと言い、仕事とプライベートをキッチリ分けたい人はこんな会社で働かない方が良いという言葉で締め括っていた。

 

随分と昭和な会社だなーと思った。年中○○パーティーという名の飲み会だの食事会だのをやってるバブリーさ(羽振りのよさ)

 

ここは都内なのか?地方なのか?彼女自体今どこに住んでいるかの情報は「日本。以上。」

 

この会社をジャッジするのは難しい。

 

一つ目の「飲み会(食事会)への強制参加」は強制力を伴うので、パワハラである。強制力は無くとも、親しき仲にも礼儀ありというような同調圧力が働く。まぁ、パワハラの類いでしょう。。。

飲酒を強要されたらアルハラだし🍺

 

もう一つの、休みの日の件と「家族はどう?」という声掛けについて。

 

これは、挨拶のひとつだろうと思うので、パワハラというには無理があり過ぎる。

 

休みの日🎌の件は、休みが終わった後だし、有給休暇と関係のない土日とか三連休、ゴールデンウイーク、お盆、年末年始などの事ではないかと思われる。有給休暇明けたらそれはそれで、どうだった?と聞かれると思うし、それは至って普通の会話だとしか思えない。

 

家族はどう?というのも、コネ会社のアットホームな非常に近しい関係性においては当然の挨拶であって、これをパワハラだの干渉だのと言うのは、どうなんですかね。

 

干渉という言葉の定義がよく分かりません。

 

彼女にしたら「干渉」に思えるのでしょうか。

 

こういう声を耳にする機会が増えたから、多くの企業や、上司が色々悩んだり考え込んだりするようになったかと思える。

 

しかし彼女はZ世代でもなんでもない。けっこういい歳。

 

Z世代ぐらいなら、「干渉」と言ってもおかしくない気がします。

 

こういうのは当人にしか分からないのでしょう。

 

上司が迂闊に休日や家族のことを言ったら、会社側からお叱りを受けたり、説教される時代になっていくのでしょうか。

 

世知辛い。。。

 

その彼女というのは、自称隠キャと言い、「人との交流」を「納税」や「加齢」と同じように苦痛だと感じているそうです。

 

もともと人との交流が苦手なのか、それとも飲み会や食事会の強制参加によって人との交流が苦痛になってしまったのでしょうか。

 

度重なる飲み会や食事会を苦痛。面倒くさいと感じているのは他の人も同じだと思うが。

 

彼女は距離感が近過ぎるのが苦手な性分なのでしょう。知らんけど。ガチの昭和世代なら、もっともっと近い距離感だった。社員旅行とかもあったし、社内恋愛、結婚もあった。上司が仲人を勤めて嫁を紹介したなどの話もあった。あの時代にセクハラだの干渉だのと言っていたら何も成立しなかった。

 

時代は変わりゆくものだ。

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コロナ禍の後遺症

2023年06月28日 | ザ・日本人の気持ち

コロナの後遺症ではなく、コロナ「禍」の後遺症のネタです。コロナが5類に引き上げられ1ヶ月半以上が経ちました。ラジオのネタでもコロナ禍から変わらないもの、変わったものについて話していて、マスクを着用するしない問題、オフィスでアクリル板が付箋貼る場所などに実用化されて今更、撤廃出来ないなど。

マスクについて言えば自分は外さない派。これから第九波、第十波、第十一波が来る懸念と、マスクを外した顔晒すのが非常に恥ずかしいため。

 

自分がコロナ禍が治まりつつあるにも関わらず、コロナ前には戻れないもの。それはソーシャルディスタンス。

 

コロナ禍のソーシャルディスタンスのせいで、自分のパーソナルスペースが広くなり、コロナ前のスペースには未だ戻れない。駅とか社会全体が自分と同じように互いに物理的な距離を取り、互いのパーソナルスペースを尊重し合うようになればこんな悩みは全くなく、寧ろその方が良い。

 

市井の人間はコロナ前のパーソナルスペースに完全に戻ったのだった。戻るのは早いように感じた。

 

コロナ禍中に就職が決まった。駅や道など徐々に活気が戻ってくるにつれて、ここってこんな狭かったっけ?と変な違和感を覚える事がある。

コロナ前はどうだったのかよく思い出せない。

人混みでも割と気にせず歩いていた様な気もするし、満員電車にも乗れていた。

 

今コロナ前のパーソナルスペースに戻れないのは、感染が怖くて人に近付いて欲しくないのではなく、人、殊更他人に身体的に近づいて来られるのが非常に不快なのである。

 

自分から人に近づくのも困難で、1人しか通れない道に他人がいる所を無理やり通る事が以前よりずっと困難になった。

 

他人も自分と同じことを思っているのかと思い、接近したら相手も不快だと思い込んでしまう。

 

そうして狭い中で、ソーシャルディスタンスを維持しようとするのである。意識的にではなく、本能的に。

 

ソーシャルディスタンスの距離が心地よくなってしまい、そこから脱皮出来ない。

 

道や駅のホームなどが狭くなったような気がしたり、レジで並ぶ時、前の人と距離を置いて並ぶが後ろの人がやたら自分に近づいて真後ろに並ばれる。自分前に行くと、やたらと詰めて来られる。

 

バスで隣と距離を置いた場所に立つが、乗って来た人に詰めろと言われたり、広い場所であるにもかかわらず、ど突かれるかと思う程自分スレスレの所をもの凄い速足で追い抜かれたり、ガードレール内の細い道を歩いてたら自転車侵入して来て、自分スレスレの所を猛スピードで追い抜かれたりと、とにかく人の通行、車内などに関する事で不快になることがやたら増えた。

 

他人に不用意に接近されたり、こすられたりする事にもの凄い恐怖を覚える。

 

市井の人間からそんな悩みは聞いたことがない。

だからラジオにそんな悩みを投稿したら、非常に変わった人かと思われるのではないか。

市井でこんな事を言う人はいないのではじめから取り上げられない。

 

市井の人々の本音を聞きたい。そのように感じる人は多いのでしょうか?

 

もうひとつ思うのは、コロナ前に比べて人の挙動がガサツになり、無駄に焦っているようにも見えるし極端に追い込まれているかのような神経質な動きをする人が増えた気がする。

コロナ後、実際に社会全体が荒んで悪くなっているの事もあってこうなってしまったのではないかとも思える。

 

以前は人の挙動がもっと大ざっぱで、そんなに鼻につかなかった気がする。

 

以前に比べ道行く人々は他人のパーソナルスペースを配慮しなくなった気がする。きっとそこまでの心のゆとりが無い為だろう。歩きスマホをしていない正気な人間でも、配慮がない。

 

会社に大勢いる、私と唯一の海外との繋がりである実習生は他人のパーソナルスペースを配慮するという概念がない。会社が狭いからどうしようもない事だが、それにしても人にぶつからないように曲がる角では徐行するとか何も考えずにヘラヘラ走っている。心のゆとりの有無以前だ。

 

コロナ禍後のこういった後遺症について、メンタルクリニックやカウンセラーに行ってる人は多そうに思える。ラジオやマスコミや周囲の人からは、パーソナルスペースの悩みについて聞いた事がないが、実際には多いのではないかと。

 

昨年から考えているが、この原因はコロナ禍のソーシャルディスタンスに起因するのではないか?と答えらしいものは出た。

 

パーソナルスペースは、男女で生まれつきの違いはあるがそれ以外は環境次第で変わるらしい。

自分の場合、パーソナルスペースをもっと狭くして心理的苦痛を軽減したい。

 

自分でも駅などで人との物理的距離を縮めるように努力をしているが、気づくと距離を取っている。

 

これは誰に相談すれば良いのか?

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自分は100%日本人でした

2023年04月21日 | ザ・日本人の気持ち

これは「日本人には混血があってはならない?!」の記事の続きです

日本社会には混血があってはならない?! - カルガリーちゃんねる

 

遺伝子検査のマイヘリテージで自分の遺伝子を調べてみた。これは人種的なルーツとか、遺伝に依る疾患、性格(個性)や、肥満になりやすいかなりにくいかという事その他が色々と知る事が出来る。

綿棒で口の中(頬の内側)をこすって、返送する。約1ヶ月強後、結果が郵送された。

 

結果は、悲しいながら、100%アジア日本だった。周りとはちょっと違うという違和感をうすうす感じていた。それは自分が100%純日本人のせいなのか?

 

日本人の中でも100%日本人というのは本当に稀らしい。日本人の大半は、どこかしらと混交があり、現存する民族の誰かしらと親戚関係があるらしい。日本人の中で最も多いのが漢人(長江以南)、高麗人(南鮮)との混交。次に多いのが東南アジア、南太平洋、その次が漢人(長江以北)、高麗人(北鮮)、蒙古、北東アジア、中央アジア、フィンランド、ハンガリー等で、稀に東欧やロシア、コーカサス、イラン、インド。次に中東、中欧。本当に稀に、アフリカや西欧、北西ヨーロッパ、北米や中南米の部族、アボリジニの順らしい。

 

説明書に依ると、自分の祖先は約15万年から10万年程前の間(←アバウト)に日本列島に渡った、古代大陸の人であるという。

自分の遺伝子は日本特有で、太古の遺伝子のまま外との混交が一切なく温存され、現在に至る。

 

まさに日本固有種の原種ともいうべきであろう。

とお褒めの言葉なのか?そんな言葉が書かれていた。

他の現存するいかなる民族との繋がりもない。とも書かれていた。

自分は純血種の古モンゴロイドである。これは断言出来る。世界的に見てもかなり原始的な遺伝子である。

 

自分の憶測だが、大陸の戦争は皆殺しなので遺伝子が寸断されている。皆殺しにされる前に安全な日本に渡って来たせいで生き残る事が出来た。

大陸に残っていたら後から出来た、より進化した新モンゴロイドに殲滅させられていただろう。

こんな差別主義的発言はマイヘリテージは決してしていません。

 

自分の親類は血液型がRh-が数多くいる。

それも太古の遺伝子ゆえの事だろう。クロマニョン人時代、人は皆Rh-だったと言われている。

進化に従ってRh+となった。

 

Rh-が多い民族は、ジュンガル盆地に住む一部の先住民や、ハプログループDがほぼ100%のアマンダン人や北センチネル島の部族であると言われている。

それらの民族は太古の遺伝子のまま、他と混交なく現存する血統だ。

という事は、自分の親類がRh-が多い原因は、遺伝子が太古のままで、進化なく今まで生きて来た証だという説明がつく。

 

血液型がRh-の、全人類における構成比率は0.5%だと言われる。

 

Rh-は劣勢遺伝の為、新しい人種との混交が多ければ多い程、現れなくなってくる。

 

純血種の日本人とは一体どんな性格なんだろう?

と気になるかも知れないので載せる。

 

「穏やか」「おおざっぱ」「愚直」「マイペース」「調和を重んじる」「独占欲が強い」「執心が強い」

 

とあった。

 

マイペースで調和を重んじるとはどういう事やねん?!

 

自分としては、諍い事を好まず、*日和見主義に動き、自分のペースを守る性質だと思っている。

この心が理解出来る人は、原始日本人の心を持っている。自分に直接関係のない事は、自分にとってどうでもいいのです。これが原日本人。

 

*日和見主義 : ある定まった考えに基づいて行動するのではなく、形勢を見て有利な側方に追従しようという無定見な考え方のことである。

 

神経質な性質や同調圧力に弱いなどの性質は、ヨソから入って来た要素であると確認出来た。

 

自分は周囲のような神経質な要素を含んでいないので、長年の周囲との違和感を覚えて来たが、これでスッキリした。

 

本来の日本人は神経質ではない。同調圧力に屈せず、マイペースに生きて来た。

 

憶測の域を出ないが、原始日本人は、渡来人の神経質さと管理主義の性質に相当苦難して来ただろうと思う。

 

遺伝による疾患は、2型糖尿病と、高脂血症による動脈硬化、脳梗塞、心筋梗塞。

 

生活習慣病のように見えるが、純血種日本人は遺伝病なのかも。

 

肥満にはなりにくい。その代わりに2型糖尿病になりやすい。

 

「長生きをする」とも書かれていた。

 

パーソナルスペースを広く取る事や、人と距離を置くという性質は、先天的なものではなく、後天的なものであるという事もわかった。

 

パーソナルスペースを広く取るようになったのは、コロナ禍の後遺症であると思う。

人と距離を置く性質は、会社の環境に依るもの。多人種社会に投げ込まれたり、大量の他国人達に踏み込まれるようになると、人は人と距離を置くようになる。

 

遺伝子テストに、自分とアルタイ型言語族との繋がりや、スラヴ人との繋がりを期待していた。

スラヴ人はとても美人なので、自分にその要素があれば嬉しいと思っていた。ロシア音楽に非常に血が騒ぐので、もしかして自分にはロシアやウクライナなどの血があって、それが喜んでいるのだと確信していたが、血が騒ぐものと実際の血とは関係が無かった。大いなる勘違いだった。

トゥバ音楽にもハンガリー音楽にも血が騒ぐが、それらとも無関係だった。

 

アルタイ型言語族は、騎馬遊牧民なので格好いいので自分にもその要素があれば非常に嬉しい。

遊牧民の神事なども、日本の伝統的な競技、神事、武芸などと共通点が多く、親近感を覚える。

 

以前別の記事で

「日本は単一民族とされて来たし、孤立言語を話し、孤立文明である。外国人からよく「精神の孤児」と長年言われて来た。技術や政治や法律を学んでも、その精神は取り入れなかったという。世界中でこれだけ自己完結している国は日本しか存在しない。遊牧世界やアジアに覚醒して解った事だが、日本以外のヨソの国は他国と歴史的な深い繋がりがあり、同じ語族としての血縁関係がある。身内意識もある。

 

日本人の大半は、現存する外国のどの民族とも実際に繋がりのない非常に独特な孤立人種なのである。

 

遺伝子が精神構造などの内面にも影響しているという考えは持ってはいけない。思ってもいけない。

 

といつも自分に言い聞かせているが、うすうす遺伝子の影響もあるんじゃないかと思ってしまう。これは差別に繋がるから本当に良くないのだが、民族性は遺伝子で決まっているのではないか思える節もある。もちろん慣習や環境や歴史なんかもあるのだろうが、それらのものが遺伝子に刻み込まれていると、薄々思う。動物はそうなので、人間が例外という事ではないと思います。」と書いた。

内陸アジアに迷い込んだと錯覚する所を散歩 - カルガリーちゃんねる

 

 

更に別の記事で「自分の一族としての、現存する民族との明確な繋がりの証明が欲しいです。自分の一族はどう生きて来たのか?どういうメンタリティの傾向があるのか?

孤立人種ではなく実際に世界との繋がりの証明が欲しいと思っています。」と書いた。

日本社会には混血があってはならない?! - カルガリーちゃんねる

 

もし日本の有事の際、自分はどこの国へ移動すれば良いのか?の目安等、色々考えたが、この結果を見ると自分は日本以外には何処にも居場所がない。という事になる。

 

自分のいるべき所は日本だ。それ以外にはない。

 

自分が昔書いた事が、自分に降りかかって来た。自分の一族は、全くの単一民族であり、非常に独特な孤立人種であった。

 

カルガリーなどというテュルク系の名前が、いかに自分に相応しくないか

 

倭風な名前にした方が良いに決まっている。自分らしい。

 

ただ、それは自分が抱える問題なだけであって、日本人の大半は、他国と歴史的な繋がりがあり、血縁関係がある。

 

自分らしさとは、まさに原初の日本人らしさ。他の大半の日本人は他国との混交があり、神経質で口がうるさいが、自分は他とは違う、原始日本人。

これで自分の民族的オリジナルアイディンティティーか。自分の本来の性質がこれか。自認している性格は「大ザッパ。」それだけ。

 

世界中のどことも血が繋がっていないのは非常に哀しく思う。

 

以降、自分はにほんじんらしさを意識して行動している。自分はにほんじんだから無理して陽キャを演じていなくて良いんだ。無理して「要領・効率」を意識しなくて良いんだ。と自然体で行動している。

 

以前より物事が上手く行くようになった。

 

純血原始日本人である自分の容姿。女だが

身長が150cm未満で体重が46kg

豊胸、尻が大きい。若い頃は尻が上に上がっていた。短距離走者(スプリンタータイプ)

髪質は柔らかい天然パーマで髪色が真っ黒ではなく、濃い茶と赤毛の中間のような色。白髪体質。

長頭。目の色は微妙な色で茶色と金色の中間。

肌の色は浅黒い部類で、赤系の皮膚色。

顔は東南アジアやポリネシア寄りに見えるような骨格をしている。

足の形はエジプト型。

 

の特徴を見てみると、縄文人の特徴にとても良く似ている。

 

石器時代・縄文時代の人間は赤毛でアンバー色の瞳が多かったという話も聞いた事がある。

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新年明けましておめでとうございます

2023年01月05日 | ザ・日本人の気持ち

新年明けましておめでとうございます🎍

昨年はお世話になりました。今年も宜しくお願い致します。

昨年は充実した一年でありましたが、自分の計画など進めるのが非常に困難でした。

また昨年は戦争の勃発、元首相の暗殺、歴史的な円安、気候変動による記録的な異常気象など、とても困難を極める荒れた一年でもありました。

今年2023年は「癸卯」冬の門が開くと言われているように、冬に向かって準備をしなさいという年のようです。

私は冬に憧れがありますので期待していますが、冬というものを良く知らないので、何故冬を迎えるに当たって準備がいるのか?何をすれば良いのかよく解りません。

話が少しズレて、都市伝説では2025年問題というのがあって2025年から本格的な「氷河期」が始まるとのこと。「氷河期」というのは経済的な意味ではなく、地球規模で気候的な「氷河期」になるとの事。

まさに「冬来たる」です。ゲームオブスローンズのスターク家の家訓。

今年は平和と安泰が戻って欲しいと思っております。

 

ところで私は、まだ初詣に行っておりません。来週の休日にでも行こうかと思ってます。寒川神社もいいと思うし鈴鹿明神もいいと思うし、座間神社もいいと思うし金田神社もいいと思うし、全部初詣行っちゃおうかと思います。

その分ご利益があるのだから。

所で日本というのは「八百万の神」と言われている。

だからテングリ神社や拝火神社(ゾロアスター)があってもいい。

日本は「単一民族」のはずなのに「八百万の神」という矛盾がいつも不思議だった。

天照大神(アマテラス)に降伏さえしていれば、どんな神でも受け入れるという、神道の寛容さゆえ、日本は八百万の神という神様飽和状態になった。

一般の和人は、アマテラスに降伏するとか、神様同士の力の均衡とか、神様の由来など、そんなに深くは考えてない。

お社や祠があれば手を合わせる。

どんな神に拝んでるのか自分でも良く分かってはいないけど、ご利益があればいいか。ぐらいにしか思ってない。

縄文時代からの動物神などもいる。様々な所から渡来人が来ていて各々の信仰を神社という形で祀っているのもあるのかもしれない。

神様の由来も調べてみたら面白いと思う。神社なども和人社会で苦悩する渡来人たちの拠り所だったのかもしれない。

神の多様性は認めて民の多様性を認めない。この点だけは本当に不思議である。

 

 

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