斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

移民まみれのカオス(会社)

2024年07月06日 | ザ・日本人の気持ち

自分が今現在働いている職場は、会社というよりカオス屋といった方が適切なのではないかと思います。

 

自分の現在働いている所は国内の食肉会社の子会社。ここには全体の約20%が外国人従業員である。その中でも技能実習生といわれる人が多数を占めている。彼らは、ベトナム人、中国人、インドネシア人、マレーシア人、タイ人、ミャンマー人その他である。彼らは英語を喋れるが、日本語を全く喋れない状態で日本に渡航した。そして彼らは決して高度人材ではない底辺人材である。そして、不法移民並みに質が悪い。例えるなら、大量のクルド人と一緒に出勤し、そこらへんにクルド人がいるのと同じである。これが原因で辞める日本人が多数いる為、とても問題になっている。技能実習生の他にも日雇い外国人も働いている。

 

無法地帯

 

日本語通じない為、社員が注意しても彼らは何で怒られてるのか理解しない。

 

そして日本人はトイレや食堂や更衣室などのあらゆる所で生存競争に負けている。横入り、当たり前。そしてBBAと口論、トラブル多発。実習生に謝罪した日本人のパートが実習生に殴られるなどの暴力事件も多発。調理室にあるバットや四角い金番重などの金物は、定期的に数えると減っている。社内共用スリッパも同じ。エレベーターのボタン🔘の周りにねじ込んであった金属も盗まれていた。会社のあちこちにあるグレーチングという金物も盗まれていた事が多かった。その犯人は全て実習生だった。

 

食堂のテーブルにスマホを置いて席を立ったら秒で無くなっていたと総務に嘆く日本人パートBBAが多数いる。

 

入社当初から懸念していた皮膚感覚は的中していた。外国人が近づいてくると殴られそうで怖いのは入社当初から変わらない。外国人の身体に触れただけでとても面倒臭い事になりそう。因縁付けられそう。この記事を読んで、わたくしカルガリーを差別主義者と決めつけるのは自由だが、これは私の偽らざる皮膚感覚である。実習生はおんなじアジアの仲間。アジアという地域から日本にやって来たおんなじアジア人ということになる。しかし東南アジア人は日本人や中韓などのような平たい顔族とは人種が違う。むしろインド人や白人に似た顔をしている。東南アジア出身でも平たい顔族に似た人もいる。目つきも怖いし、全てにおいて恐ろしい。異人種というだけで恐ろしく思えるのだろうか?人種が違うと身に危険が及ぶかも知れないと思うのは日本人のサガ。しかしそれは日本人だけではなく世界中の人が、異人種に違和感を覚えるのだろうか?

 

 

海外移住して、幸せそうに暮らす日本人に対しても非常に複雑な気持ちになりました。

 

自分だったらこんな事は出来ない。自分にはそんな勇気とか経済力とかがないからしたくないっていうわけではなく、自分が海外移住したら、自分はこのカオス屋にいるこの輩と同類になってしまうのではないか?と考えてしまう。

 

海外移住した日本人家族は、何も悪くない。これだけは始めに言っておく。しかし、彼らは現地人から見れば、輩と同じように見られている可能性がある。海外移住した人は、海外移住を美化するが、あの輩どもと同じではないのか?という疑問が出るようになってしまったし、大変モヤるようになってしまった。

 

彼女らは悪気があって海外移住をしているのではない。もちろん犯罪などはしていない。自分も彼女らの事は好きだ。自分だったら海外移住なんて、移住先の国の人に迷惑をかけるから、極力したくはない。犯罪をしなくても、ただただ不快にさせてしまう。そんな気がしてしまう。

 

現地当国はその何て言うか、移民が踏み込んで人口が増えた国であり、日本と決定的に違うのは、植民地だったのが独立して国になったという事。少数民族以外の現地当国民は、移民である。

自分が言いたい現地人とは200年ほど前に(あってるかどうか分からなくテキトーですまん)西洋が植民地として土地を獲得しその後西洋人が入植し定住した。その西洋人がまさに現地人。

 

入植移民で成り立っている国なので移民をどんどん受け入れているので、現地人は日本人よりも移民に対し寛容であるとされている。しかし、アジア系の移民や、難民などに対してどのように感じているのか?という事を考えれば、輩と似たようなものだったら嫌だなーと思う。

 

ま、当国民は、日本人じゃないんで、日本人とは感覚が違う。一律に移民に対して否定的ではないとは思いますけどね。ま、知らんから何ともいえんけど

 

某ラジオ番組の某パーソナリティも海外移住を経験している。これも、先に挙げた家族の移民先国と同じ国である。この国で父親が家を買い、彼女が高校の時家族で移住し定着したんだが、英語圏で、西岸なので、先に挙げた家族とは全然違った環境であったと思われるが(知らんけど)彼女は“補修校”という所に週に一度だけ通っていた。

 

補習校とは、当国にあっても日本の学校と全く同じ環境で、決まった教室、決まった席などがあり、行事、運動会(体育祭)などが日本と全く同じようにあり、当国のカリキュラムの授業を日本語で行ない、先生も生徒も日本人のみという学校。学校の勉強を補修する所。

 

彼女は補習校を、”日本人だけのユートピア“だと言っていた。

 

補習校の友達とはこの歳になっても家族ぐるみで付き合っているという。

 

東岸寄りのフランス語圏に移住した、先に挙げた家族の子供たちも”補習校“に通っている。日本から家族で移住し、学校の勉強はただでさえ難しいのに、公用語がフランス語の州の、公立の小学校に通って、英語での授業、フランス語での授業を受けさせられていたら授業についていくのが子供のアタマでも難しい。補習校に通わねば到底ついていくのが無理だと思える。子供たちは本当に偉いと思う。

 

 

 

“日本人だけのユートピア”か…..いいなぁ。

 

補習校に通いたい!!

 

日本にいる日本人が補修校に通いたいというのはおかしいが、このカオス屋にいると、日本人の補習校的同志が欲しくなる。

 

自分が補修校に通うのと同じ事をするとなると、日本人だけしかいない職場に副業せえ!という理屈になるのか。

 

本件と関係ない事ををゔぁーっと書いてしまってすみませんでしたz

このブログ文を書いてる途中にインスタ見てたら、海外移住した(当国のフランス語圏)の家族の動画を目にしたので。いきなり始まっちゃってすみません。

 

 

日本に生活しながら、マジョリティである側に属していながら、日本の中では結構激しい外国人率の中に置かれる日本人もいる事を理解して頂けたらと思う。マジョリティにも関わらず、マイノリティの外国人によって隅に追いやられるモヤモヤに共感する人は少ないと思う。日本に住む日本人が苦悩する事自体がおかしい。こんな状況で多様性を是としろと言われて賛同出来る人は偽善者。こんな気持ち解る日本人やってる人間はこの会社に働いてる日本人意外には存在しないのか?

本当に日本人従業員は逃げ場がない。

 

 

実習生は全く日本語が喋れない為、使えない。いくらスキルがあると言っても母国語か英語しか喋れないのではどうしようもない。そして実習生らはよくサボる。トイレに行くと言ったきり30分以上もザラに帰ってこない。その為、いつトイレに行っても輩がいる為安心して用もたせない。輩どもは一人で出来る仕事を2〜3人でやっている。そして常に喋っている。喋る長さは異様で、片時も黙ることはない。男性社員は女の実習生には甘い。日本人には目くじらを立てる事でも女子実習生には目をつむっている。

 

 

男性社員の側から女子実習生を構う。東南アジア系の女性の甘えたような声の出し方が堪らないらしく、構いたくなるそうだ。会社側も実習生様様である。自分が入社した頃は、実習生まみれだが、昔は日本人しかいなかった。しかし日本人が辞めて、応募しても来ない為、実習生を入れるしか無かったらしい。実習生はサボってばかりでロクに働かない。一人で出来る仕事を3人でやるほど余剰人員があるのであれば、余剰な実習生の輩をクビにすればいいのに。治安悪くなるしはっきり言って、会社内が狭くなるばかりだ。

 

自分は女子実習生どもの甘えたような声の出し方が非常に苦手である。私カルガリーを、差別主義者だと決めつけても良いが、東南アジア系全般の言語の声の出し方が非常に苦手である。というより、苦手になってしまった。輩どもの話し声は常時、異様に大きすぎる。うるさい!それは勿論日本人より大きいが、欧米人の話し声よりも、中国人の話し声よりも大きい。東南アジア系の声の出し方は、母音を強調する傾向にある。日本語も人の事笑えないが、日本人のそれよりも更に母音を強調する。日本人女性は甲高い声で喋る傾向があると言われているが、東南アジア系の女性はそれよりも更に高い声で喋る為、異様に映る。これは入社当初から感じていた。

 

 

自分はパーソナルスペースが広大で、不用意に近づかれるのが苦手である。何の断りもなしにぬーっと寄られるのが不快だ。これは相手が外国人であろうが日本人であろうが関係ない。日本人は世界的に見てもパーソナルスペース広大な人が多く、自分と似たような皮膚感覚の人が多いと感じる。しかし、東南アジア系などは我々日本人よりずっとパーソナルスペースが狭く、不用意にヌーっと近づくだけでなく、背中や腕などの身体の一部を何の断り無しに触って来るケースも多い。狭い場所は、他人の身体に接触してゴリゴリ通るケースも多い。これらは非常に不快であり、意気揚々と出勤してもこれをされると朝から萎える。そう感じている日本人は非常に多いのではないかと思う。輩どもの身体の動きや仕草が非常に気持ち悪い。寄るな触るなという感じである。例えるならムカデが戦々恐々と動き回って、自分の側に近寄って来て噛み付くといった行為と同じ事を輩は日本人に対してやっている。

 

輩は妙なところ親切心があって、細かい所を手を出して手伝ってくれる事がある。親切は素直に受け止めなければならないし、細かい気遣いに感謝しなければならないと思う。それは日本人、実習生問わず平等に感謝しなければならない。しかし、それが原因でトラブルになった事があった。言葉が通じない為、意思の疎通が上手く行かなかった為である。それ以来、余計な手を出してくれるなと強く思うようになった。

「手を出すな」と強く言っても、相手には伝わらなかったし、ボディーランゲージも通じなかった。

 

出来ることならこんなバケモノらと関わりたくはない。

 

道徳の授業で「外国人差別はするな」とさんざん教わって来たので、差別はするべきではない。このような考えは差別だから良くない。と頭では理解していて自身に散々言い聞かせているのに、皮膚感覚とか生理的な問題はどうにもならない。

差別的な言動をあからさまにやる日本人はいるが、自分は差別的な言動を故意にしてはいない。

 

“実習生ら”という集団として捉えているから、そういう見方になってしまうのではないかと考えられる。実習生の誰か一人と“個”として付き合っていれば、そんな拒否反応をしなくなると思う。

 

長文のご精読をありがとうございました。今日は感情的にヴァーッと書いてしまい脈絡のない意味が分からない文章だったと思います。

 

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ぼっち活どこまで出来ます?

2024年05月03日 | ザ・日本人の気持ち

前回のイングリッシュ・カネー🌹ディアン🌹について、よくよく考えてみたら

 

イングリッシュ・カネー🌹ディアン🌹とはモンゴル人がイギリス🇬🇧(ブリテン島)をウルス(属領)支配して初めて成立する。

 

イギリスというのも植民地をたくさん持ってる。その植民地はモンゴルの属国の属国という事になる。

 

大英ウルス

 

だからアメリカやオーストラリアはモンゴル帝国の属国の属国。

 

英語を喋るカネ🌹ディアン🌹を量産出来る。

 

モンゴルのウルス(属領)は人民の管理、統制、言語、宗教統制などをせず、納税さえさせていれば良かった。

 

🇬🇧🔱🇬🇧🔱🇬🇧🔱🇬🇧🔱🇬🇧🔱🇬🇧🔱🇬🇧🔱🇬🇧

 

一人ぼっち活動の事を「ぼっち活」というらしい。

自分は常に「ぼっち活」をしている。

 

何故なら自分には友達がいないから。

 

 

何故に自分は友達が出来ないか?とたまに考えるが、その代表的な答えが「察しが悪い」から。でもこれは人間関係の経験値などが左右する。

 

自分は昔から友達が出来なかった為、経験を積む機会が無かった。

 

つまり「察し」を鍛える機会が無かった。

 

友達が出来なかったもう一つの肝心な理由がある。それは、自分から友達を作る努力をして来なかったから。

 

自分は重度の人見知りで、自分からは絶対に人に話しかけられない。

 

人に対してタメ口がきけない。他人と距離が縮まる事に抵抗がある。上司に敬語を使うのは常識だが、同い年、年下、新人にも敬語を使う。

 

敬語とはまさに「和」を持って距離を取る。世界中どこを見廻しても、日本人ほど「距離感」を意識する民族はいない。

 

まさに日本は遠慮・思慮の文化。

 

敬語は相手と一定の距離が保てる為、非常に便利な言葉だ。

 

敬語は、中学の頃からずっと使っている。中学生であれ同期を名前で呼ぶ事は一切無かった。

 

自分の力で人間関係を構築する事が出来ない。しかし、一人で寂しいと感じない。自分は他人の目を全く気にしない方だ。コミュニケーションが出来ない自分にとって独りというのは非常に精神的に楽である。

 

しかし、群れには憧れていた。独りでいるのが一番良いが、群れにいると、何かと依存出来る。初めのうちは群れに金魚のフンみたいについて行くが、いつも村八分にされていた。

 

 

「ぼっち」で外出する事が非常に多い。大半が「ぼっち散歩」

 

年に一度「ぼっちハワリンバヤル」「ぼっちシルクロードバザール」「ぼっちライブ参戦」をする。

来年は「ぼっちライブ参戦」はしないのかも知れない。

 

今年は、ハワリンバヤルに行かれないのかも知れない。

 

 

「ぼっち旅」は、出来る。一人海外バックパッカーなどに憧れる。海外であれば尚良い。海外なので自分に対する見え方は「奇妙な外国人」

 

下手をすれば職質される可能性があるが、ぼっちで撮り鉄とか色々やっても、「日本人だからしょうがない」で片付けられれば良い。

 

日本の観光地レストランと違って、海外では日本人は「レストランという正式な場で、一人ぼっちで食事が出来る」と思われているので、海外での「ぼっちレストラン」は正々堂々とすれば良い。

 

外国人なんて自分にとって全くの他人だから、海外での方が見た目を気にしなくて良い。ただ治安面でぼっち活動が危険という場合もある。

 

*国によっては撮り鉄が見つかり次第、逮捕される場合もあるので要注意⚠️

 

 

「ぼっち映画鑑賞」は、モノによる。ハリウッド映画の話題作や、カップルだらけの恋愛映画は微妙だが、マイナーな映画や、中央アジア映画祭の映画はぼっちで見に行かれる。

 

「ぼっちキャンプ🏕️」

これは出来ない。近年は野生動物が怖い。自分なら多分わざわざ人気のない場所を選ぶだろうから、野生動物との遭遇率高くなる。

 

「ぼっちカラオケ🎤」

これもやった事がある。面白くはなかった。歌の練習をするのには良い。

 

「ぼっち焼肉」

「おひとりさま」専用サービスがあれば出来る。

まだ行った事がない。

 

「ぼっち鍋」

これも上↑と同様。まだ行った事がない。

 

「ぼっちラーメン🍜」

これは出来る。

 

「ぼっち松屋・吉野家・駅そば」

こればっかやっとる。

 

「ぼっち専門店訪問」

むしろぼっちの方が良い。店主と話をしたい。

 

「ぼっち海水浴」

これは出来ない。誰もいない海でポツンと泳ぐのは怖すぎる。

 

「ぼっち登山」

これも出来ない。理由は上↑と同じ。

 

「ぼっちカフェ・喫茶店」は出来る。カフェであろうと喫茶店であろうと関係なく出来る。

稀に、一人客を冷遇する喫茶店などがあるので、冷遇された時点で二度と行かない。今までに3軒、一人客冷遇店に出くわした。

 

一人客(自分)が先に来ても、後から来た4人客を優先的に水を出し、オーダーを取る店があった。その店は経営者が自宅で経営をしている。その客はどうやら常連のようであった。

 

経営者が想定している客は、地元の顔馴染みの人というのがあからさまに分かる。

 

もう一軒は古い純喫茶。この店は自分以外の客は全員集団か、2人連れで入っていた。

この店も上と同じで、後から来た集団客に優先的に対応した。

自分は普段滅多にしないが、この時ばかりは恥を覚悟で大声で店員を呼んだ。その時の店員の態度は考えられないものであった。なんとメニュー表をぶん投げてよこしたのだ。大声で「すいません!」と連呼して、無茶苦茶不愉快だと思われる事は充分承知であった。しかし、店員もこちらをチラ見しながらも無視を決め込んでいた事が見え見えだった。客に対し失礼千万であるのでこちらも、無茶苦茶失礼な事をした迄である。

 

コーヒーは美味しいと評判らしいが、接客態度が糞だったので不味く感じた。床に半分わざとこぼして帰っても良かったと思っている。

 

店員は自分をレジ接客をする気はさらさら無いようだったので、自分は伝票と金をカウンターに置いて店を出た。この際、いっその事タダ喰いしても良かった。本当に自分は良心的である。

 

 

集団客や2人客が多い理由は、一人客を冷遇する店だと分かっているからだろう。例え幼馴染といたとしても、絶対にこの店には入らない。二度と入らない。

 

最後の店も、個人経営の喫茶店だった。

ここは一人客が他にもいた。席には1時間30分以上の滞在は控えて下さいと書かれていた。自分はルールに従って1時間30分以上は滞在するつもりは無かった。しかし、自分が入店して50分ぐらい経過した頃に、店員から「お客様は何時に入店しましたか?」と聞かれたので、愚直に入店時間を申した。すると店員の表情は豹変し、「お客様、ご自身の滞在時間についてどう思われますか?」と聞かれたので、「まだ50分ぐらいしか経っていないんで…..。1時間30分も経過していません。」とまた愚直に答えた。店員は「お客さまは、お一人様が居座ってられる適切な時間を考えたことあります?」と詰めよって来たので、席を立ち、会計に向かった。

 

自分は4人掛け、6人掛けとかに座ったわけではない。2人掛けに座っていた。他の一人客も2人掛けに座っていた。店内は全く混んでなんかいなかった。自分はそこまでKYな行動はしてないはずだと思うが…

 

もう一杯飲み物なり別のものを買えば、言われなかったのだろうか?この店も2度と行かない。

 

自分の考察では、このような待遇をするのは個人経営店。

 

 

チェーン店でこのような待遇に遭った事はない。

 

 

 

「ぼっち国内観光地レストラン」

これも非常に微妙である。喫茶店と同じく、冷遇される可能性もある。その上、観光地レストランという条件では、家族連れやカップルなどが入る事が多く、一人客は自分だけしかいない可能性が高い。ターンテーブルのある中華レストランは場違い感酷い。非常に気まずい。

 

「ぼっちサイゼリヤ」

これは実際にやる。昼間なんかはぼっち客ばかりである。

 

「ぼっち居酒屋」

これは個人経営であろうとチェーンであろうといずれにせよ気まずい。これこそ30分も居られない。

 

「ぼっちディズニー」

これはやろうと思えば出来ると思う。場違いだが、職質はされないと思う。ただし、まだやった事がない。

 

「ぼっち水族館・動物園」

これも出来ると思うが、まだやった事がない。

 

「ぼっち鉄博」

これは出来る。実際にやった事あって、ぼっちライブ参戦と同じぐらいの割合のぼっち客がいる。

 

「ぼっちデパート・イオンモール・ヨーカ堂」

これは出来る

 

「ぼっちプール・ジム」

これも出来る

 

「ぼっち銭湯♨️」

こればっかやってる。

 

「ぼっちスーパー銭湯・サウナ♨️」

こればっかやってる。

 

「ぼっち健康ランド♨️(宿泊施設付き(雑魚寝に近い)温浴施設」

これはたまにやる。もっと頻度を上げたい。

 

 

「ぼっち散歩」

これは出来る

 

「ぼっち西成散歩」

これは出来る自信ある。まだやった事ないけど、是非やってみたい。

 

「ぼっち路線バスの旅」

これは実際にやっていた。

 

「ぼっち国内寝台列車の旅」

これも出来ると思うがまだやった事ない

 

「ぼっち墓参り」

これは怖くて出来ない。必ず誰かと行かなければならない。

 

「ぼっち心霊スポット」

これも怖くて出来ない。

 

「ぼっちお化け屋敷」

これも怖くて出来ない。

 

「ぼっち製鉄所見学」

これはやりたくない。

これはぼっちではなくて誰かと行きたい。喜びをシェアしたい。

 

「ぼっち乗馬クラブ」

これもやりたくない。

これも一人客冷遇乗馬クラブも多数あると言われる。更には一見さま冷遇乗馬クラブも多数あると言われる。

誰かと行って楽しさをシェアしたい。

 

「ぼっちモンゴリアンヴィレッジ・テンゲルでのゲル泊」

これもやりたくない。

喜びをシェアしたい。

 

まとめ。ぼっち冷遇店は、個人経営の飲食店に多数あると思われる。個人経営店でも、一人客に干渉しない良い店もある。

居酒屋は薄利多売の為、オーダー数が命だから一人客は全く歓迎されない。行くなら「一人客歓迎」と書かれている店を選ぶか、値段の高い店を選ぶ事にする。

 

自分が出来るぼっち行動は、「ぼっちライブ参戦」「ぼっちフードイベント・バザールイベント」

「ぼっち散歩」「ぼっち路線バスの旅」「ぼっちデパート・ショッピングモール・スーパー」

「ぼっち専門店訪問」「ぼっちマイナーな映画鑑賞」

「ぼっちラーメン」「ぼっち牛丼チェーン・駅そば」

「ぼっちサイゼリヤ」「ぼっちコーヒーチェーン店」「ぼっち鉄博」「ぼっちプール・ジム」「ぼっち銭湯・サウナ・健康ランドで宿泊」

 

基本自分は他人の目を全く気にしない為、結構なぼっち活動は出来る方だと思う。誰もいない海で泳げるようになる領域に達するまで、あと少し。

 

長文のご精読ありがとうございました。

 

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遊牧民 🌹住吉美紀🌹爆誕

2024年04月26日 | ザ・日本人の気持ち

本日4月26日はタタールを代表する詩人トゥカイの誕生日であることにちなみ、タタール世界では母語の日として祝われる🐆

自分が名乗っている、カルガリーという名前はタタール語である。

 

トゥガン・テルという歌についての解説と歌詞

【音楽】Туган тел (母語):タタールなら誰もが知る歌

それにしてもいい曲ですね。タタールの旋律も大好き。

 

 

朝青龍関が4/12から都内の病院で入院している。4/23に手術したそうです。手術は成功し、快方に向かっている。一時はどうなるかと思ったが無事で良かった🦩

 

🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩

 

前回の記事で、あの部落🎪を示す名称が、メルキト部族の言語のようで抵抗感があるという、ナンセンスな事を言ってしまいましたが、後日読み返したらあまりにくだらな過ぎたので撤回します。

 

実際にこの部落🎪は、メルキト部族と何の関係もない。強いて言えば、偶然、予期せずにこんなワードが出来てしまった。メルキト部族の事など眼中に入れず、今まで通りの表記をさせて頂きます。

 

(メルキト部族に対する凶悪なヘイトを貫こうとしたが、無理だった。もう限界。“カナダ”などというワードを糞のように撒き散らしておきながら、「メルキト部族」については敢えて完全に触れない。ニアミスしながら完全に眼中に入れない徹底無視。初めからメルキト部族などこの世に存在していないかのように扱う凶悪ヘイトがしたかった。

ニアミスしたいがためにカナダという語を濫用したわけでも、メルキト部族を意識してこうなったわけでもない。カネダ(金田)という元の地名とモンゴル語の性質のせいでこんな語がこの世に爆誕(メルキト部族完全無視)してしまった。)

 

ルソフォビアみたいに周囲やネットに嫌い嫌い言うヘイトは可愛い。「嫌いな国」なんて言ってるうちはまだ可愛い。国というのは最大単位だ。

 

キライ キライ言ってるうちは、まだ本当に嫌いじゃない。

 

ガチめなヘイトは、“初めから存在していないモノ”として扱う事

 

憎たらしい奴の名前なんて、口にしたくないでしょう。

 

自分は、ルソフォビア(嫌露)など特定の国を嫌い、ボルシチや*イクラの件でワーワー言ってる輩と同じだと反省した。

 

「メルキトフォビア」は嫌いな国どころか、“嫌いな部族”とかいって自分ヤバ過ぎると思った。最小単位の部族ヘイトは血みどろ。歴史上にかつて存在した部族をヘイトするとは、自分でも頭がどうかしていると思う。

 

倭国ではない方の、ロシアのカナダの存在のせいでメルキト部族の現存の可能性が出てきた。(以降ロシアのカナダをもう一つのカナダと呼ぶ)

 

*イクラ: ロシア語で魚卵を意味する。ルソフォビア達は「イクラ」というワードにもイキってて、これを「鮭子」などと言う。本当にしょうもない。日本語もぶっ壊すつもりか…

 

カナダはロシア領内にある……

ルソフォビアにとっては、ロシア領内というだけでこれもアレルギー反応の対象だ。

 

「カナダ!キャー!これロシアやんけ嫌や。」そして蕁麻疹。

 

メルキト部族としてこれをヘイトするのではなく、最大単位の国であるロシアとしてカナダをヘイトする方がマジョリティになってしまうだろう。それを言ったら同じ沿海州に「ネリマ」という村もある。これもネット情報だが、ネリマ川という川の名前から取ったらしい。

練馬区の人どうなる?

嫌いな国ならまだしも、”嫌いな区“にされてしまっては困る。メルキト部族はロシアの属国だが、ロシアのネリマに際しても「もう一つの練馬」というべき?

 

フォビアになると名前だけでアレルギー反応を起こす人が一定数おるので、自分はフォビア属性にならない様に気をつける。

 

東京都魯西亜区なんてあったら、袋叩きにされてしまっていたのか?

 

(それを云ったら「カルガリー」だってロシアにある。ロシア・オレンブルク州・カルガリー市。先日、洪水に見舞われた所である。

カルガリーまでロシア支配下🪆どこからどこまでもロシア支配下💧ロシアから逃れることは出来ない。ロシアおそろしや🇷🇺ヒーッ😱

自分はルソフォビアから忌み嫌われてしまう!*カルガリーは、ロシア語ではなくタタール語である。)

 

ロシア人は、ボルシチだけ食ってるわけじゃない。ロシアでは多種多様なものが食べられている。西側由来の食べ物も食べる。スラヴ由来だけではなく中央アジア由来の料理もある。湖で釣れた魚も食べる。ムース🫎(ヘラジカ)も食べる。

 

ヘラジカ🫎出して「ロシア料理」だと名乗る飲食店があったら、どう叩かれるのだろうか?

 

自分の記事内ではメルキト部族とカナダ🎪は一切関係ない。 おわり。

 

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住吉美紀がTokyo FM Blue Oceanで自称「カネディアン🔱」を連呼した。「カネーディアン🔱」

「英語を喋るイングリッシュ・カネーディアン🔱」と連呼していた。何故だか「ネ」を強調していた。

 

一瞬、耳を疑った。住吉さんに「カネディアン🔱牧民」が憑依、降臨したのではないか?と思った。怖かった。憑依現象は本当にあるのか😱

本当に恐怖だった。

 

聴衆はこれを聴いてどう思ったのだろう?

カネディアン🔱という意味不明な名称が聞こえて、放送事故ではないか?と思ったに違いない。自分は、これは完全なる放送事故だと思った。

 

カネディアン🔱とはこんな所にも現れるのか?

探してる時に現れない人たちであり、神出鬼没だ。

 

*カネディアン🔱とは自分が勝手に造語した言葉である。いやいや、そんなワケはなくて、元々ある地名(村の名前)をイジって和製英語のようにしてしまった。

 

《カネディアン🔱: 約400前に日本に渡航して来た蒙古系遊牧民。現在、金田(カネダ)地区に定住している人民の祖先だと考えられる》

 

チバリアン(千葉・地層)というネーミング方式と同じである。だからもし、これが例えば、黒田(クロダ)や赤田(アカダ)村などの名称であれば、クロディアンやアカディアンになる。

オバタリアン(今でいうBBA)やジベタリアンなどという言葉が昔流行ったが、それと同じでカネディアン🔱という名称は少々ダサさを感じる。

 

ここ最近カネディアン🔱出現事例が多い。

 

 

問題の放送は火曜日。3月26日、勿論2024年。メッセージテーマは「ピュアすぎたはなし」

 

住吉美紀氏は、自分とは根本的に真反対の人である。

 

住吉さんが大学卒業してすぐにNHKに就職した時のエピソードを語った時に事が起きた。

 

住吉さんは、お父さんの仕事の関係で海外に転勤し、それに伴い海外に住んでいた事もある。小学生の時、それから高校の時。

 

大学は日本だった。家族が家を海外に購入してしまい、実家が海外にある。

 

そしてNHKに就職。海外と言っても英語圏である。

 

NHKの職場内で頻発する会議。会議の為の会議など意味の分からない会議が横行していた。それが、海外には存在しない日本独自の風習であった。

住吉さんにはそれが到底理解出来ず、この珍妙な出来事について、「何についての会議をするの?」「何故会議をするの?」「Why?」「Why?」「Why?」と都度、先輩に質問していたら、上司に「そんな事を聞く必要はない」と叱られたらしい。

学生を卒業したばかりの住吉さんにはまだNHKの官僚的な企業文化が理解出来ておらず、見境なく質問していた頃の自分に「ピュアすぎた」と回顧していた。

 

 

それのどこがカネーディアン🔱なのか、自分としてはよくわからなかったが、住吉さんが強調したいのは、海外英語圏育ちの頭の中身にとって、意味の分からない会議というモノを知らなかった事と、官僚的な文化の中での空気が読めなかった事に、自称カネーディアン🔱だと言っていたのだと思う。

 

これがもし、ラフな企業文化の会社だったら、質問攻めにしても「空気読めない人間」として叱られなかったのだろう。

 

要するにカネーディアン🔱とは倭人ではない異人を表す物のひとつとして解釈出来る。

 

そこは確かに蒙古出身の牧民、カネディアン🔱とも共通する。

 

イングリッシュ・カネーディアン🔱というのは、英語を話す、倭人ではない異人を表すのではないか?と思う。

 

英語で言うエイリアンと同じ意味なのではないか?とおもうが何故カネ……….🔱???

イングリッシュ・エイリアン👽で良いのではないか?

 

 

モンゴル帝国はかつての世界一の強国。

自称カネディアン🔱と言うからには….

 

 

「イングリッシュカネーディアン🇬🇧🌹🔱🌹」

 

それを文字通り解釈すると、英語が堪能で騎射が得意な400年前日本に渡航した蒙古系牧民。住吉美紀。という事になる。そんなものがこの放送により、爆誕してしまった。

 

流鏑馬カネーディアン🔱

しかし彼はカネーディアン🔱ではなく、モンゴル人🇲🇳である。

 

 

以前はカネディアン🔱=モンゴル人🇲🇳だと考えていた。朝青龍や*The Huがいかにもカネディアン🔱らしい容姿だと思う。

 

カネディアン🔱という呼称は、遊牧民族の呼称にしては特異である。

遊牧民は通常、民族名で〜人と呼ばれる。SUM41でお馴染みのトゥヴァ共和国は、トゥヴァ人(族)という民族名が由来だ。ロシアの属国(構成共和国)にはブリヤート共和国やサハ共和国というのもあるが、ブリヤート人(族)やサハ人(族)が由来。

 

旧ソ連のウズベキスタンやカザフスタンも、ウズベク人、カザフ人が由来である。

 

ブリヤート人もサハ人もトゥバ人も、ウズベク人もカザフ人も元々は遊牧民族である。

 

カネディアン🔱は、冒頭で書いたように、金田(カネダ)という村の名称である。遊牧民の名前が地名由来というのはほとんどと言って良い程ないに等しい。

 

カネディアン🔱は何故地名由来なのか?それは、金田(カネダ)村に定住させられている為である。カネディアン🔱は蒙古系民族だという所迄は分かっているが、それ以上細かい民族名は分からない。この村の人民及びその祖先をカネディアン🔱と呼ぶ。

 

カネディアン🔱は蒙古系だが、モンゴル人とは違う。カネディアン🔱は大陸を離れて400年以上も経つ。その間両者は別々の道を歩んで来た。

 

カネディアン🔱は清帝国支配下も知らなければ、社会主義政権下も知らない。社会主義崩壊後の混乱も知らない。モンゴル人と血を分けたが、途中から別々に生きた為、感覚的に遠くなってしまっている所が多いのではないかと思う。

 

蒙古族の血はあるが、全く違う世界に生きているので、現代のモンゴル国🇲🇳を祖国だと言い切れないのである。時が経ち、モンゴル語も喋れなくなってしまい、別物になってしまった彼らは、モンゴル国と関係があるとは言えないのである。

 

だからカネディアン🔱=モンゴル人とは言えない。

 

カネディアン🔱が400年前のまま止まっているのか?モンゴル国が進んでしまったのか。彼らの望郷の想いはどうなってしまうのか。

 

モンゴル国のモンゴル人に対して、カネディアン🔱というつもりも無い。

 

広義の意味ではカネディアン🔱もモンゴル人と言えるのではないか?という見方もある🇲🇳

ロシアのブリヤート人やカルムイク人や中国の内蒙古人も広義の意味ではモンゴル人と言える。

彼らはモンゴル族のディアスポラである。

カネディアン🔱も日本にいるモンゴル族のディアスポラである。

 

カネディアン🔱は、和製英語みたいなもの。敢えてモンゴル語読みの発音に変える必要がない。

 

《モンゴル語の母音の法則によれば、男性母音(a,o)と女性母音(e,u)は同じ語に共存出来ない。中性母音(i)はどちらとも共存出来るという。島村一平先生が文春の記事で教えてくれた。》

 

和製英語とは、倭人が勝手に造語した英語である。代表作はガソリンスタンドである。ネイティブが絶対言わんだろという英語。

英語圏ネイティブがカネディアン🔱という言葉を口にする用は一生ないだろう。

 

カネディアン🔱が英語なんて喋るわけない筈だが、住吉美紀氏が「イングリッシュ・カネーディアン🔱(英語を喋る牧民)」と言う言葉を造語した。

 

意味分からん……..

 

そもそも住吉美紀氏にとってカネディアン🔱とは何なのか?

 

全っ然意味分からん。やっぱ憑依としか思えん

 

 

カナダホト🎪やカナダオボー☸️🕉️は、カネディアン🔱とは違い、「オボー」も「ホト」もモンゴル語な為、モンゴル語と合わせる時はこれもモンゴル語読みの発音に直すべきだと思った。そしてカネダをカナダにした。

 

 

NHKは風紀に関しては五月蝿くないらしい。住吉美紀氏は夏、ビーチサンダル🩴🩴で毎日出勤していたと本人が言う。

 

官僚文化でありながら、ビーサン🩴出社は認める不思議な会社🏢

 

住吉氏は依然住吉氏である。ビーサン出勤をし、見境なく質問する。

 

SUM41と住吉美紀氏が、今まで頭の中で繋がる事は決してなかった。両者は全く接点がない。

しかし、「英語」というものを介して両者は繋がった。イングリッシュ・カネーディアン🔱(英語を喋る蒙古牧民)の住吉氏と、イングリッシュ・トゥバン(英語を喋るトゥヴァ人)のSUM41

 

両者とも母国語ではない英語が堪能な為、英語で難なく会話が出来るはずである。

 

住吉美紀氏もSUM41もおんなじアジアの仲間。

 

やっぱりアジアが一番!住吉カネー🌹ディアン🌹の爆誕によって、英語というものは、英米ネイティブと喋る為ではなく、アジアのみんなと喋る為に勉強するべきだと思わされた。

 

自分もベトナム人もおんなじアジアの仲間。しかし日本人側からそれを言って実習生に嫌われてしまった社員がいた。

 

住吉美紀氏の自称遊牧民=カネーディアン🔱は意味不明だが、住吉氏が、倭国=日本の集団主義(意味の分からない会議、根回し、春闘など)が無駄だと感じる所が、遊牧民と共通するところなのではないか?と考えられる。

 

集団主義がダサいと思える心が格好いい。で、彼女は実際にフリーランスとして独立して生きている。

 

ちなみに、自分は集団主義をさほど悪い事だとは思わない。人間は一人では生きられない。だから同志などで集まり、手を取り合って生きることは決して無駄だとは思わない。

 

自分には独立して生きていける自信はない。それ故、会社に依存して生活をしている。

 

そして自分はどちらかというと、元来群れを好み、全体を重んじる事を良しとする考えを持ち、“常識”の照準と自分が今どれだけ離れているのか、絶えず絶えず確認をしながら、行動しているのである。常識と少しでもずれていると感じれば反省をし、常識の照準に合わせるように努力をしている。自分は結構、自分軸がない。

 

自分は住吉カネ🌹ディアン🌹なんかよりもNHK的な文化に適していると思う。何もかも彼女と自分は正反対だ。

 

まぁ。そんな偉そうな事を言うが、自分は学校や会社や自治会などで集団の中にぶち込まれると必ず、村八部にされてしまっていた。理由をハッキリ言う人に理由を聞いたら「テメエは察しが悪いから」と言われてしまった。

 

相手の気持ちを慮って慮って、慎重に言葉を選んだ発言を行っているのに、「察しが悪い」という評価だけで、自分の気苦労は無に帰され、そして排除される。自分の思慮が浅はかなんでしょうかね。学校はともかく、会社や自治会では人とトラブルを起こすなどの「和」を乱す事は一度たりともなかった。

 

それらの集団の中では決して“戦史”や“カナダホト🎪”や“ドチン・ドルベン”や“アミール・ティムール”や“製鉄”などの話はしない。

それらのネタは、多数が関心を持たない事だから。しかし自分の何が「察し」が悪いのか。それが全然分からない。そこが「察し」の悪い所なのかも知れない。群れはそれ以上のことは何も教えてはくれない。それも察しろという事なのか?

 

そして自分には小学生の時までに出会った友達しかいない。それ以上の年齢に比較的親しい人はできたが、友達と言えるほど深い関係でもない。知己というのが相応しい。

 

村八分と集団ヒステリーのない集団主義は良い集団主義だと思う。

 

長文のご精読ありがとうございます😊

 

*The Hu: ↓

 

 

同じ曲だが、もっと音がはっきり聞こえる。

 

 

曙関のご冥福をお祈り致します🪷

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ミスコンの件

2024年02月02日 | ザ・日本人の気持ち

ミスコンの件

 

ミス日本に選ばれた人、日本人とのハーフですらないウクライナ人だった🇺🇦

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/db7144b9e6cba5dfa7491c1afad1b612977fe5d8

 

「日本女性に相応しい心と健康的な美しさを競う」と謳うミス日本コンテスト。

 

彼女は椎野カロリーナ氏といい、現在26歳。

 

「多様性や人を見た目で判断しない社会づくりに貢献したい」と言っている。

 

しかしこれは一週間程前に物議になっていた。

 

国籍的には日本国籍だから、「日本人」である事に間違いはない。

 

カロリーナ氏は何も悪くはない。「多様性の社会づくりに貢献したい」という考えで参加する事は良い事だと思う。

 

ミスコン側がもしカロリーナ氏の出場を拒否したら差別行為になる。ミスコンは出場を許可した。

 

物議になったが、誰もカロリーナ氏を責める人はいなかった。ミスコン側に100%,120%責任があると言う

 

出場を許可した事に対して苦言を呈する人もいれば、ミスコンが彼女を選んだ事に対して苦言を呈する人もいる。

 

後者が圧倒的に多かった。後者の言い分は「不平等」であるとのこと。

 

後者の言い分の最も多い「不平等」は、カロリーナ氏が西洋人である事。

 

多くの日本人参加者が努力して努力して手に入れるスタイルや美貌を、カロリーナ氏はウクライナ人であるために、生まれながらにして美貌であり、努力無くそれらを手にしているという意見が多かった。

 

カロリーナ氏だって、努力して手に入れた美貌や品格かも知れない。

 

これがミスコンではなく「陸上競技」だと黒人などに比べてアジア人は筋肉量が劣り、骨格も陸上向きではないため、黒人の数倍の努力が必要である。

 

「不平等」以外の不満意見があって、それはアイディンティーの問題。

 

日本人の血が入っていない人に対して、選んだミスコン側の神経が理解出来ないという意見も多かった。そして、「日本人らしさとは?」という問題に発展していった。

 

いずれにしても、彼女に対して失礼過ぎるだろう。

 

ラグビーなどのスポーツだと、日本代表の選手は外国人だらけである。

それも、日本国籍など有していない選手ばかりである。

彼らはラグビー日本代表にもこんな苦言を呈するのだろうか?

 

スポーツは勝たなければならない。戦力になる者に対して、外国人だから排除しようなどと言ってる場合ではない。

 

ミスコン側が「日本人女性に相応しい」と謳わなけらば物議にはならなかったと思う。

 

和と洋は見た目が違う。自分でも洋を見て日本らしい容姿だとは思わない。

 

日本人の8割型、東洋(和)顔である以上は、日本人らしい容姿といえば、和だろうと一般的には思う。差別とかそういう問題ではなく、数の問題。

 

ミスコンも毎年、謳い文句を変えるべきだと思う。

 

 

ということで、ご精読ありがとうございます。

 

 

ここから先の記事は、日本人のアイデンティティーについてくだらない長文をダラダラと書くので、忙しい方や、読むのが面倒くさい方や、民族的なアイデンティティーという物をさほど重要ではないと思われる方は、時間を割くだけなので読まなくても構いません。

 

🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧

 

こんなツイート(ポスト)を見かけた。

「国籍が日本であるにもかかわらず生まれ育ちや「血」の要素で純度100%の「日本人」を要求するの、端的に言ってニュンベルグ法と紙一重であり最悪だが、それはそれとして「血」や民族的な日本人らしさに回収されない「日本らしさ」って何なんだろう、ということをずっと考えている。」

《引用: 副主席氏ツイート》

 

このツイートにリプはしなかったが、自分はこう答える。

 

「教育」と「制度」

 

西欧の教育を受けた人間は、日本人であっても西欧的な考え方になる。

国の制度は国民の行動や生き方に多大な影響を及ぼす。制度も日本在住の人間が考えたとも限らず、外国の制度をそのまま真似して施行する事もあり得る。

 

これらは「血」でも「民族性」でも何でもない。

 

ほとんどの国の国民性は国家戦略の「教育」と「制度」の影響を受ける。その他にもプロバガンダや情報統制やマーケティングの影響も受ける。

 

寧ろこれらの方が大きく「日本らしさ」に貢献していると思う。

 

副主席氏のツイートのリプに最も多いと感じたものは「日本語・言語」

 

確かに、国の公用言語と民族・部族は全員が一致するとは限らないが、日本が一つの「日本民族」として定義する為に「言語」というのは最も重要な条件である。

 

「日本語」を話すので「日本民族」である。人間というのは言語によって自分の帰属を決める。

 

民族定義というのは非常に難しい。これは学者でも頭を痛める問題のようだ。

 

中東や旧ソ連圏や東欧や遊牧民族や欧米などに比べると、日本人は「民族的アイデンティティ」という概念はないのか?と思える事がある。

 

旧ソ連圏出身のYouTuberの話などを聞いていると、日本では考えられない程、民族的アイデンティティを持っている。

 

戦時中の日本も国民に対して、民族教育をしていたらしいが、現在では戦争の反省もあって、日本人としての民族教育を排除してきたらしい。

《参照: 今西きんじ氏ツイート》

 

海外在住の日本人のSNSを見ていると、海外の日本人コミュニティーはあっても存在しないようなもの。と高頻度で書かれている。

 

日本人の結束が弱いどころの問題ではなく日本人同士、同調圧力、足の引っ張り合い、マウントの取り合い、仲間ハズレばかりが横行し、タワマンのママ友がやっている事と同じで糞の役にも立たない。大の男ですら、タワマンのママ友化している。挨拶しても返さない人が多いらしい。

 

日本人同士なのにとっても意地悪な人が多いらしい。

 

意地悪な日本人は、現地の白人などにはヘラヘラして外面が良いようだ。

 

そういう日本人は、タワマンに住む感覚で海外移住し、日本本国にいる人にマウントを取るような人種ではないかと。

 

日本人同士の軋轢はなくとも、世間での薄っぺらい付き合いに留まり、緊急時や本当に困った時などは徹底した「我関せず」の態度を取られ、完全に無視されるケースもとても多くあるという。

 

一人の頼れる日本人に一方的に、過度に依存する日本人もいるという。頼られた側はある程度までは許容出来ても、許容範囲を超えて負担になっているという。

 

せっかく日本人同士の友達が出来ても、相手がやたら自分に対して支配的だったりする事が多いらしい。

 

日本人海外移住者は、同じ海外移住の日本人と適切な距離で付き合えなくて非常に悩んでいるという人が多くいる。

 

それでいて日本企業で働く日本人は、プライベートは無関係でも、組織では非常に団結力があるという。

 

日本にいる日本人とは全く違うという。

 

だからといって日本人は外国人コミュニティーに入れてもらえない。外国人同士は、よほど仲が悪い民族や国でなければ入れてくれるらしいが、何故か日本人は入れてくれないらしい。外国人同士といっても、国は違えど同じ言語圏や同じ語族圏はつるむと言っていた。

 

そこで海外移住者の日本人だけポツンとなる。日本人はおかしい奴ばかりだ。かといって色んな外国人の群れには入れてくれない。特にアメリカではそういう傾向が強いらしい。

 

英語が流暢に喋れても、非英語圏にしてみれば、母国語で話せる人やそれと近い語族の人と付き合いたい。母国語英語話者は、日本の拙い英語の人と話すより、細かいニュアンスまで意思疎通の出来る母国語英語話者同士と付き合いたいと考えるらしい。

 

どこの国の人も、細かいニュアンスまで意思疎通が出来る人と付き合った方が楽である。

 

そこで日本人は、自分のアイディンティを自覚する事が多い。日本人だけは独特だと。日本人同士で日本語が通じるはずなのに、意思疎通が難しい人が海外移住者には多いと聞く。

 

他の外国人コミュニティー、例えば中国人、インド人、アフガン、中央アジアなどのコミュニティーは結束が非常に強く、中央アジアコミュニティーは、住居から車から就職から何から何まで世話をする。そしてたまに広い公園などでプロフ(中央アジアのピラフ)パーティーなどをやったりしている。

 

日本人コミュニティーではそういう事はまずあり得ないという。

 

中央アジアの人は、古来より民族ベースで動く事が多かった為、このようであると考えられる。

 

中央アジアのタタールは、この戦争中、ロシアとウクライナのタタールに中央アジアに来られるように手を差し伸べる。

 

テュルク系民族は同胞には優先的に手を差し伸べる。日本人はこの仲間には入れない。例え手を差し伸べられたとしても、日本人側が拒否する可能性がある。日本人はこの手の付き合い方には慣れていない為、距離を置いて自ら離れていくだろうと思われる。

 

日本人は「日本民族」という民族ベースで動く事は歴史上あり得なかった。

 

日本は島国で、周辺の大陸や島嶼からの寄せ集め、烏合の衆。だから海外での日本人コミュニティーの意味が無いのはしょうがない。

 

元はバラバラだった。それを纏めるたった一つの共通するものが「日本語」。

 

それに比べ、大陸では国を持たなくても民族ベースで動いていた。日本とはまるで違う。

 

日本語には、英語の「ネイティブ」に相当する言葉は存在しない。これはロシア語にもタタール語にも存在する。

この「ネイティブ」というのは、「祖先の故郷を想う。」 「血に刻まれた懐かしさ。」 「遠祖から自分に伝わる想い」などのニュアンスである。日本語にはこの概念がなく、日本人にもこの概念は無い。

 

日本人の多くは自分の民族的ルーツに関心がない。眼中にないというか、発想にない。

 

自分の両親をはじめとして、幼馴染みや、懇意にしていた人などに、民族的ルーツについて話をした事があるが、返答が「カルガリー氏はとっても変わった事を考える人だね」と鼻であしらわれたり、それに答える事なく、違う流れに変えられたりした。

 

真面目に答えてくれた人でも、家業の話をしたり、田舎の話をする。日本人に民族的ルーツについて話すのは意味がないのである。

 

そもそもそんなものはない。そんなものは日本人には理解出来ない。自分も旧ソ連圏や、遊牧民族に興味関心を持つ迄、そんな概念は無かった。

そういうものに触れてみて、目新しい概念だったので初めの頃は面白かった。

 

自分が異国と血縁的な繋がりがあるのではないか?という事を大半の日本人は考えもしないのでそれは仕方のない事だ。

 

「国が破滅や追い込まれると自分たちのアイデンティティを確立するのは、バビロン捕囚のユダヤ人もそうだし、南宋での朱子学成立もそう。タタールのくびき後のモスクワ大公国が第三のローマ論もそうよね」

《引用: 耶律阿保機氏ツイート》

 

「日本民族」として、国が破滅に追い込まれた事は第二次世界大戦で敗戦した事以外にはかつて無かった。

 

「日本人らしさ」を形づくっているのは「民族性」などではなく、「教育」や「制度」や「情報統制」や「マーケティング戦略」ではなかろうか?と考えている。

 

日本に移民して来た様々な民族は、国を追われた経験がある者が多いと思う。彼らの民族的アイデンティティや、文化や慣習、精神性など、それこそ「ネイティブ」があったはずだが、日本にはそれらの面影や痕跡が全く見当たらない。

 

欧州や英米諸国から日本は「孤立文明」と言われ惑星扱いをされ馬鹿にされている。

 

日本には大陸に影響を受けた文物、建築物はあるが、世界と共通する慣習などの痕跡がないと言う。

 

よく、「日本の常識、世界の非常識」と言われるのは、世界と共通する慣習などがなく、日本独自の慣習で生きているからである。

 

これは以前からとても不思議に思っていた。

 

 

ミスコンは、毎年決まって日本人らしい容姿の女性と表向き謳うが、実際にいかにも日本人の容姿が選ばれた試しがない。

 

日本人が考える日本人らしい容姿。ミスコンは160cmから出られる。

 

身長160cmでミスコンの中で一番背の低い、短足で直毛黒髪、一重瞼、下ぶくれの顔形、まるで源氏絵巻きから出てきたような顔立ち。

 

そんなにくびれてもいないし、貧乳であるが、努力してシェイプアップのおかげで身体が引き締まっていて姿勢も良い。

 

馬に例えると「日本古馬」といった感じ。

 

知性も品性もあり、内面の美しさも滲み出ている完璧な女性であるが、ミスコンには選ばれないと思う。

 

ミスコン側としては、日本古馬より「サラブレッド」のような女性ばかりを選ぶ。

 

ミスコンは、表向きとはだいぶ違うように思う。

 

女性本人の努力以外の部分の、身長や瞼やプロポーションなどの、どうにもならない特徴がある。

 

それが、日本人が考える日本人の特徴である。特に西洋人と比べた場合に顕著にでる。

 

結局、ミスコン側の美意識に当てはまる女性が選考される。その美意識というのが、西洋の美意識。

 

だから「日本人女性として相応しい」と謳う以上は、ミスコンの美意識を改めなければならないと思う。

 

いつか「日本古馬」ばかりが優勝するミスコンを見てみたいものだ。

 

この「日本古馬」のような女性、日本人男性から見ると、安心出来る女性のような気がします。

 

知らんけど。

 

そして教養も品格もある。最高じゃないですか。

 

*普通、やまとなでしこというが…..

 

自分が思うに、ミスコン自体が馬の品評会のようだ。

 

馬の品評会みたいな事を女に対してやる事自体が、非常に田舎くさく、今の時代に適してはいない。

 

 

椎野カロリーナ氏は日本人である。

詳しく言えば、ウクライナ系日本人である。

 

ツイッターXでバズっていたのが、「日本人らしさ」とは何か?国籍(制度)以外で、何をもって「日本人」と判断するか?という議論ばかりが流れて来た。

 

それが、どうやら「日本人」という品種の外見、内面的特徴とはなんぞや?

 

から始まって「日本人」という品種は他の東洋人と顔立ちの区別は出来るか?出来ないだろう?

 

という話になり、「日本人」は周辺の色んな民族が渡来して出来上がった品種だから、様々な種が交雑して現在に至っている為、「日本人」という固有の種は元々存在していなかった(日本人の原種は存在しない)というツイート(ポスト)も見かけるようになる。

 

これを要約すると「日本」は「アメリカ」っていうものと同じだと言っているようである。この人はどうやらアメリカ在住である。

 

アメリカは言うまでもなく、多民族国家である。そして公用語は英語(事実上)である。

ロシアや中国も多民族である。

 

ロシア、中国は地続きで包括的に支配している為、結果的に多民族国家になってしまった。

 

アメリカは、色んな所からの渡航者による寄せ集めでアメリカという国が成り立っている。ロシアや中国と違うのは、大陸(ユーラシア大陸)と地続きではなく、海を渡り、理屈上「島」のような環境の大陸に渡り、先住民と移民で出来上がった多民族国家である。

 

その点、日本も米国と似たような環境であった。日本との決定的な違いは、米国が植民地であった事。

 

学校🏫の教科書が言うのには、日本人のアイデンティティは、縄文人と弥生人が交雑して現在に至るという設定である。

 

これは冷静に考えなくても、明らかにおかしいデタラメであると分かる。

 

それを信じる大人が多い。縄文顔、弥生顔という冗談を本気で言う大人が多い。酷い話になると関東は縄文で関西は大陸と二分する人までいる。

関西は関東よりも比較的、大陸的な文化の特徴が強いように思えるが。

 

日本人はオールドカマー、ニューカマーなど、いつの時代にも人が渡航して来ていた。

 

大まかに分けると。

 

アンシェントカマー(太古)

氷河期→石器時代→縄文時代

 

オールドカマー(古代)

弥生時代→古墳時代→飛鳥時代→奈良時代→平安時代

*奈良・平安は古代か中世か意見が分かれるが、大和朝廷が絶対権力を握っていた時代までを古代とする説が多い。

 

ミドルカマー(中世)

鎌倉時代→(南北朝時代)→室町時代→安土桃山時代→江戸時代、鎖国まで

 

ニューカマー

開国・明治維新→大正→昭和、戦前まで

 

戦後カマー

昭和戦後→昭和が終わるまで

 

近現代カマー

平成→令和

 

カロリーナ氏は、近現代カマーのウクライナ系日本人という定義づけで宜しいかと思います。

 

縄文人自体が単一民族であるはずがない。縄文時代にも、一日あたりなん人かは分からないが絶えず外から渡来していたと考えられる。

 

あまり信憑性は無いが、ある人のYouTube では縄文時代で一番人口が多かった時期は日本全土で26万人いたという話をしている。

 

江戸時代の鎖国までは、一日あたりなん人というレベルで常に渡来はあったと言われる。

 

それを考えると「本当の日本人とは何か?」という質問がアホらしく思える。

 

縄文人と弥生人が交雑して、現在に至るとは?縄文人を先住民、弥生人を移民とする概念で語れば、その通りである。人種的な違いではない。

 

縄文人も弥生人もそれぞれ単一民族ではない。縄文時代は15,000年程続いた平和な時代だった。それは人種的な遺伝子のせいではなく、自然環境のせいである。縄文時代は温暖な気候で、食物が豊富で、土地の所有もなく、人口も過密ではない為、戦争をする理由が無かった。

 

弥生時代に入ると、気候がやや寒冷になり、食物が安定的に手に入らなくなる。そこで大陸からの移民で稲作に詳しい人間が食糧問題の解決の為、米作りを始めたらしい。

稲作にあたって土地の所有が始まり、大陸から鉄器文化が入って来た。つまり、武器が入って来たのである。農具は鉄の平和利用であったが領地を所有して武器を手にすれば人は戦争を始める。

 

縄文人だったものが、弥生人になったと考えた方が自然であると近頃言われはじめている。

 

縄文人が先住民、弥生人が移民という概念で語れば、日本にはそれだけしか存在しない設定になる。

 

日本はいつの世も、次の移民が入って来れば、かつての移民は先住民になり、さらに移民が来ればまたかつての移民は先住民になる繰り返しの歴史である。

 

 

そんな偉そうな事ばかりを書く自身は昔、英国白人から「カルガリー氏は大陸のアジア人と顔立ちが全然違う、まさに日本人の顔立ちをしている!」

と日本語で言われた。だから日本人特有の骨格はあると思う。

 

日本人からは「東南アジア」とか「ポリネシア」寄りの顔をしていると言われる。

 

確かに、ベトナム人かインドネシア人で、総務が自分とその人をよく間違える人がいる。

 

昨年、マイ・ヘリテージ社のキットで興味本位で自分の先祖のルーツを調べた。

 

自分は100%日本人でした - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

純度100%の日本人である事を自慢するわけではない。自分は全く他の現存するいかなる民族とも血縁関係に無いと断言されてしまった。

 

自分はどうやら純度100%のアンシェントカマーの日本人。つまり「日本固有種」「日本人の原種」「日本の原住民」であるようである。5万年から3万年前に日本に渡航し、全くその後の移民とは交雑をせず、現在に至るという。

 

純度100%の日本人である事のメリットは何もない。第一自分の家系は王族でも皇族でも何でもなく、なんにもない家系である。ただの無能な原始人である。これのどこが人様に誇れるものがあるのか?

 

純血より混血の方が優秀な子孫が出来ると思う。様々な複雑な要素を人格の中に取り入れる事が出来る。複雑な要素を持つ人は性格が複雑な人が多いかも知れないが、優秀であり、懐も深いと思う。多様な歴史の歩みが刻まれているのだから。

それが羨ましい。

 

単血って、面白くもなんともない。原始的な順風満帆な歴史を延々歩んで来ただけであって、人格が薄っぺらい気がする。人の苦労も分からなければ、深みもない。

 

そんな事を書くと人種差別だと言われそうであるが。

 

ここまでの単血は日本ぐらいにしか残っていないとも書類に書いてあった。

 

これは冗談ではない。初め、マイ・ヘリテージ社が冗談を言っているのかと思った。

 

信じたくはない!!

 

不愉快な真実を突きつけられてしまった😱

 

その後日談。役所や寺などに一人で赴き、戸籍などを調べて家系図を作った。衝撃‼️の事実が分かった。

 

辿れる範囲内のご先祖様の全てが、氏族内婚である。(親戚同士でしか結婚をしていない)

父と母は両方とも違う内陸県の出身だが、両親の家系とも氏族内婚しかしていない!!!

 

皇族でなくてもこんな事あるのか?!

 

両親の出身地は、両方とも深い山の中の隔絶的な孤立集落である。そしてそれを更に深掘りしてみた。両方ともかつては被差別部落であったとネットに書いてあった。

 

自分は両親の田舎に行った事があるが、被差別部落の独特な雰囲気を肌身で覚えたのではないだろうか?と思う。

 

だから自分と全く無関係な被差別部落に足を踏み入れる事があっても、ここは部落だとすぐ解るのではないか?

 

部落民は部落民としか結婚出来ないとよく聞くが、部落の垣根を超えても被差別部落民同士であれば婚姻は可能なのか?

 

今は両方とも解放され、部落婚の制度から解き放れている。いつ制度から解放されたのか、それが明確にわからない。

 

それとも「差別」などがまだ酷い時代だった為、部落解放後も移民日本人との結婚を自らしなかったのか?

 

移民日本人と結婚しても差別されるから。

 

しかしそれらはネット上の情報であって郷土資料などに依るものではないので、「部落」という事が事実かどうか分からない。

 

被差別部落でも何でもなく、日本の歴史とも世界の歴史とも全く関係なく、山奥で外との接触も皆無でただただ順風満帆に生きて来た家系だとすれば、本物の「平和ボケ」である。

 

だから自分の両親は、順風満帆で何も問題のない家庭が築けたのではないか?と思える。他人の家庭の内情を聞くと複雑で色々あるなーと思う。

 

自分は両親の口から直接、自分は「部落民」だったという話を一度も聞いた事がないが、自分は親戚の顔をろくに知らない。父方の実家は山深過ぎて非常に遠い為、最後に行ったのは自分が小学2年の時以来である。

 

母は実家と絶縁しているので、自分が知らない間に祖母が亡くなっていたらしい。

 

正月や盆に親戚全員で集まるという感覚が自分には全く分からないのである。親戚とか、血縁同士という感覚が全く理解出来ない。親戚との繋がりが全く無い。

 

孤立核家族家庭で育ったが、家庭環境は順風満帆だった。両親と自分と妹の4人家族だが、父は定年まで平社員だったが、問題も起こさず勤勉に働き続け退職し、現在は静かに穏やかに余生を送っている。母は自分達が高校を卒業するまで専業主婦だった。母はやたら世間の目を気にする。妹は兎に角糞マジメで、真っ直ぐな性格で、曲がった事は大嫌いで冗談も通じない。妹とはふざけた話は出来なかった。自分としては大ザッパで、他人からはおっとりしてる。マイペース、気が効かないと言われている。変に愚直でマニュアル的なものがあればそれに従順に従う。義務的な事さえ終わればあとはどうでも良い性格である。

 

家族全員、誰も特定の宗教など信じてなく、だからと言って無神論者というわけでもなく、彼岸には墓参りに行くし、正月にはイベント感覚で初詣に行く。クリスマスなども普通にやる。

とにかく順風満帆だった。それで今でも実家が居心地が良い。逆に実家にしか自分の居場所がない。

家から一歩でも外へ出ると敵ばかりの人生だったので、家族と本当の幼馴染以外誰にも心を開けない。だから身内がもっと欲しい。親戚が欲しい。

 

欲を言えば、大陸や島嶼に血縁があって、大陸の人間のように氏族同士が密な環境下に生まれたかった。

 

自分が他人とのコミュニケーションが、幼い時から全く上手く出来ないというのも、孤立核家族家庭という生育環境の影響もあると思う。

 

大陸に憧れがあるものの、自分は全くそれに相応しくはない。

 

大陸と自分との違いが、逆にとても新鮮で面白い為、大陸に魅了されるのではないか?と思う。

 

大陸や島嶼との血縁に恵まれた多くの日本人は、先祖帰りをすべきだ。自分のルーツを知り、自分のルーツのある国を訪れる事や、その国を愛でる事を勧める。

 

自分はそういう理由で特定の国を訪れるなどという事は不可能なのだから。

 

大陸とか島嶼など異国にルーツがある人が非常に羨ましい。

 

マイ・ヘリテージから送られて来た書類やDVD、何処かにしまいこんで、探しているが出て来ない。

 

先日、その懇意にしていた人から

 

「チャットGPTと会話してるみたい。」

 

と言われたきり、連絡が取れなくなりました。

 

 

長文の駄文のご精読、本当にありがとうございました。私事をつまびらかにしてしまい、デリカシーなく申し訳ございませんでした。

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職場での発言の線引きと色々思う事

2023年12月15日 | ザ・日本人の気持ち

先日ラジオで、どこからどこ迄がセクハラ・パワハラなどのハラスメント要素を含んだ発言の境界線か?

 

という話題をやっていた。昨今では○○ハラという言葉が次々と出来て、大変窮屈になってるということでした。

 

この回を聞いた感想-

 

随分世知辛い世の中になった。そして今の日本狂ってる。と思った。

 

太ったはハラスメントだけど反対にダイエットして「やせたね!」はハラスメントに当たりますか?

女性から女性でも何らかのハラスメントになりますか?

 

更に極端な例を挙げると、髪を切った同僚がいて「髪切ったんだ。似合うね」も言ってはいけないのか?

こちらは男性から女性だ。セクハラにならないかとても心配している。

 

ラジオへの意見で、自称太りたくても太れない男性がいて彼の言い分によると、「やせたね」とか身体の事は絶対に言ってはいけません。というのもあった。

 

ひとつだけラジオパーソナリティがパワハラを指摘していたものがある。

 

それはこれから有給を取ろうとしている部下にわざわざ「有給取って何するの?」と聞く。

こんな事を言って部下に有給を取りにくくする圧をかけている。

 

パーソナリティは北米暮らしをしたことがあり、米国では宗教と性的趣向は絶対に聞いてはいけないが、それ以外は大丈夫という。銃社会だからなのか、良い事と悪い事の白黒がハッキリとしている。

 

ラジオパーソナリティが言うには日本社会は、「和」を大切にしたいと思っている。

 

日本社会は「察し」を和の精神のひとつとしている。基準を明確にせず、なんとなく空気読んで「察し」てね。という。

 

その為、線引きや境界線が定まらないらしい。

 

日本でもかつては「政治」と「宗教」と「野球」の話はするなと言われていた。

 

日本の「和」の精神について長く考えているが、それも明確な答えが出ない。

 

私が考える日本の古くからの和の精神は、「和を持って距離を取る」に行き着くんですが↓まで行き着くと人と人とのコミュニケーションが出来なくなる。

 

ラジオの内容で、「ある会社では「トラブル防止の為、互いに最寄駅、生年月日、血液型、家族構成、趣味、推しの球団(スポーツチーム)などを聞いてはいけません」という趣旨の規則があるという。

 

その為、派遣は話の輪に入れません。どのようにコミュニケーション取って良いか分かりません。」

 

 

この会社。。。コンプライアンスを意識し過ぎて結構なところまで行ってしまった。そこまでやるなら「氏名」や「顔」なども伏せたら良いと思う。話題が上司の悪口か一緒に働く人の悪口しか無くなる。名前も顔も分からんならポジション名で言う。

 

トラブルってどんなトラブルを懸念しているのだろう?個人情報を全て隠せばトラブルにならないのかしら。

仮にトラブルが起きた時に対処したくないから、よくわからない「トラブル防止」を掲げる。

 

和の精神と基礎は同じだが、何事もやり過ぎると、及ばざるが如し。

 

日本人の古くからの「和を持って距離を取る」

というのは、「個人の責任やプライドや信条を尊重して、闇雲に手出しや口出しをしない。」

 

本人を信頼して「任せる」という精神。

 

そういうのを「我関せず」という。日本人独自の美徳の一つです。

 

「我関せず」には他人の目や世間体を意識しないという意味合いもある。

 

↑の会社は、トラブルを未然に防止するために互いのプライバシーに踏み込まないように個々に境界線を引いたケースだと思う。境界線を引けば確かに喧嘩は起こりにくい。互いに距離を置くように会社側から仕向けたのか。日本人はそこまでされなくても、自然に境界線を引き、距離を取り、トラブルを未然に防止するタチなので、そこまで気にしなくても良い。

 

「和を持って距離をとる」の「距離」の意味を履き違えたケースだと思います。○○ハラとかコンプライアンスに引っかかるとか言われると、今まで出来ていても、些細な事にも異常に注意深くなってしまう会社があっても、今の時代おかしくはない。

 

「我関せず」もまた、履き違えやすい言葉だ。

目の前で溺れている人を見殺しにする事に美徳を感じる人はいない。

 

自分には関係ない人なので助けません。という意味ではない。

 

日本人はまた、「個」の領分を尊重したがる。逆に言えば他人の「個」の領分を極力侵害したくはない。それで「自分の頭で考えてね。」文化になって、トップからの線引きが曖昧になる。まぁ、ヘンな気遣いだと思われるものの一つ。

 

日本人は他人からあれこれ指図されるのが大嫌いなので、お上もそれが分かっていて口出しをしない。上から言われなきゃ分かんない米国人のように、お上が白黒決めなくてもよい。

 

 

ラジオの内容ではなくて、半年程前ツイッターで「うちの会社はパワハラなのか?」という記事を読んだ覚えがある。結構印象深かった。それは誰かの引用リツイート「こう言う奴に限って結局会社を辞めない。」のコメントと一緒にあった。その人のツイートをつぶさに読んでみた。覚えている限り書く。

 

その会社はコネ会社で零細企業でアットホーム。人数も少ない。コネ会社というと聞こえが悪いが、ツイートを読む限りでは悪徳企業では無さそうだし、待遇面でもブラックでは無さそう。上司の暴言・暴力等、無さそう。コネとは、一般求人を一切行っておらず、100%知人、友人などによる紹介のみのようだ。

 

そして彼女は何が気に食わないかというと、従業員の誕生日パーティー、企業内パーティーなどと口実をつけては飲みの席へ強制参加させられる事。これがパワハラ。もう一つは、毎週月曜日に、「休みの日何してた?」と聞かれる事や、時々「家族はどう?」と聞かれる事も干渉だしパワハラだと言い、仕事とプライベートをキッチリ分けたい人はこんな会社で働かない方が良いという言葉で締め括っていた。

 

随分と昭和な会社だなーと思った。年中○○パーティーという名の飲み会だの食事会だのをやってるバブリーさ(羽振りのよさ)

 

ここは都内なのか?地方なのか?彼女自体今どこに住んでいるかの情報は「日本。以上。」

 

この会社をジャッジするのは難しい。

 

一つ目の「飲み会(食事会)への強制参加」は強制力を伴うので、パワハラである。強制力は無くとも、親しき仲にも礼儀ありというような同調圧力が働く。まぁ、パワハラの類いでしょう。。。

飲酒を強要されたらアルハラだし🍺

 

もう一つの、休みの日の件と「家族はどう?」という声掛けについて。

 

これは、挨拶のひとつだろうと思うので、パワハラというには無理があり過ぎる。

 

休みの日🎌の件は、休みが終わった後だし、有給休暇と関係のない土日とか三連休、ゴールデンウイーク、お盆、年末年始などの事ではないかと思われる。有給休暇明けたらそれはそれで、どうだった?と聞かれると思うし、それは至って普通の会話だとしか思えない。

 

家族はどう?というのも、コネ会社のアットホームな非常に近しい関係性においては当然の挨拶であって、これをパワハラだの干渉だのと言うのは、どうなんですかね。

 

干渉という言葉の定義がよく分かりません。

 

彼女にしたら「干渉」に思えるのでしょうか。

 

こういう声を耳にする機会が増えたから、多くの企業や、上司が色々悩んだり考え込んだりするようになったかと思える。

 

しかし彼女はZ世代でもなんでもない。けっこういい歳。

 

Z世代ぐらいなら、「干渉」と言ってもおかしくない気がします。

 

こういうのは当人にしか分からないのでしょう。

 

上司が迂闊に休日や家族のことを言ったら、会社側からお叱りを受けたり、説教される時代になっていくのでしょうか。

 

世知辛い。。。

 

その彼女というのは、自称隠キャと言い、「人との交流」を「納税」や「加齢」と同じように苦痛だと感じているそうです。

 

もともと人との交流が苦手なのか、それとも飲み会や食事会の強制参加によって人との交流が苦痛になってしまったのでしょうか。

 

度重なる飲み会や食事会を苦痛。面倒くさいと感じているのは他の人も同じだと思うが。

 

彼女は距離感が近過ぎるのが苦手な性分なのでしょう。知らんけど。ガチの昭和世代なら、もっともっと近い距離感だった。社員旅行とかもあったし、社内恋愛、結婚もあった。上司が仲人を勤めて嫁を紹介したなどの話もあった。あの時代にセクハラだの干渉だのと言っていたら何も成立しなかった。

 

時代は変わりゆくものだ。

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