斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

モンゴルカード🇲🇳もう少しで2500!

2024年06月30日 | 自己満

モンゴルカード🇲🇳(カネディアン🔱カード)もうすこしで2500人に達成!!

 

国外のモンゴル系住民に「モンゴル民族カード🪪」を配布し、🇲🇳への移住や就労をスムーズに行えるようにさせて、という嘆願を🇲🇳国家大会議へもちこむための署名らしい。

あなたの声がチカラになります

 

賛同を求めるわけではないがあと少し!

 

モンゴル🇲🇳カード🪪(カネディアン🔱カード🪪)を扱った記事

カネディアン🔱はモンゴル人🇲🇳になれるのか? - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳

6 月の 20 日間で、その数は 20% 増加しました。

 

2024/06/28

 

友達、素晴らしいニュースです! 2024 年 6 月 27 日、change.org 上の「モンゴル地図」を支持する私たちの請願は 2400 署名を超えました!💪

6月の20日間で20%増加しました!🙏🙏🙏

400 人が目標に近づいています!👍👍👍

請願活動の勢いが増していますが、これは良いニュースです!👍

すでに購読していただいている皆様、本当にありがとうございます🙏🙏🙏

 

でも、そこで終わるのはまだ早いです☝️

Но на этом заканчивать еще рано☝️

でも、そこで立ち止まるのはまだ早いです☝️

Но останавливаться на достигнутом еще рано☝️

私たちはあなたに尋ねます:

そこで止まらず、署名を続けてください。

あなたの親戚、愛する人、友人、そしてすべての思いやりのある人々に署名を依頼してください。

ソーシャルメディアで請願についての情報を広めてください。

人数が増えれば増えるほど、私たちの声は強くなります💪

一緒に「モンゴル地図」を実現しましょう!💪💪💪

https://chng.it/PMcXsfqBF7

 

🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳🇲🇳

原文 原文はロシア語ですが、これの筆者がロシア・ブリヤート共和国在住のようでして

 

За 20 дней июня нас стало больше на 20%!🙏🙏🙏

 

2024/06/28

Друзья, отличная новость! 27 июня 2024 года наша петиция в поддержку "Карты Монгола" на сайте change.org преодолела рубеж в 2400 подписей!💪
За 20 дней июня нас стало больше на 20%!🙏🙏🙏
На 400 человек ближе к нашей цели!👍👍👍
Петиция набирает обороты, и это не может не радовать!👍
Огромное спасибо всем, кто уже подписался!🙏🙏🙏
Но на этом останавливаться рано!☝️
Просим вас:
Не останавливайтесь на достигнутом, продолжайте подписывать петицию.

Приглашайте подписать родственников, близких, друзей и всех неравнодушных людей.

Распространяйте информацию о петиции в социальных сетях.

Чем больше нас будет, тем сильнее будет наш голос!💪

Вместе мы сделаем "Карту Монгола" реальностью!💪💪💪

https://chng.it/PMcXsfqBF7

 

🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳

 

モンゴルには「外国部族民」といわれる「在外同胞」は世界中にたくさんいる。代表的な例を挙げると

 

ロシア連邦 ブリヤート共和国

ロシア連邦 カルムイク共和国

中華人民共和国 内蒙古自治区

 

自分のブログによく出てくるカネディアン🔱も「外国部族民」のひとつである。

 

カネディアン🔱とは元帝国滅亡後、チベット仏教を信仰するようになったモンゴル系民族で、約400年前に沿海州の海洋民に船を手配して、身と移動式テント、家財道具一式のみ携えて倭国(当時の日本)に渡来して来た民。

 

これについてはカナダオボーの記事にも書いた。

カナダオボー(金田鄂博)についての考察🪨🔱🔴🔵🟡🟢⚪️🎽 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

話は少し変わって、日本は世界からの寄せ集めの民で成り立っている。元々は血統的にバラバラの民であった。しかし日本は単一民族の非常に珍しい国とされている。江戸時代、幕府は世の平定の為に鎖国し、紛争や有事の芽をつむ為、完膚なきまでの倭人化を行った。幕府による倭人化政策に抵抗する異民族は徹底的にぶっ潰され、潰しにかかっても殲滅出来なかった異民族は、ある頃から特定の場所に強制的に抑留させられ、そこに居住させられ、賎民として扱われる事になった。

 

完膚なきまでの倭人化の末、倭人一色の平和な世が実現し、黒船来航により開国。単一国家日本🇯🇵として開国。現在に至る。

 

先ほどのカネディアン🔱は、奇跡的に生き残った異民族である。

 

カネディアン🔱の末裔の住む金田地区は、近年まで特定小集落だったそうだ。

《神奈川県人権啓発センターのYouTube 動画より一部抜粋》

現在この金田地区は解放されたらしいが、差別などが今だに残るように見受けられる。この住民は差別のせいか、行政の管理によるものかよく分からないが労働時間帯が夜勤時間帯に制限されているように思えた。小集落村民は、そこに住民票を置く以上日勤の仕事に就けないなどという話をよく聞く。夜勤時間帯で日勤と同じかそれ以下の賃金で使われているという話もよく聞く。

 

そのような特定小集落村民は、引っ越しなどの移動は許されない。また、同地区内の人としか婚姻が許されない。国民皆保険制度に加入出来ない為、よほどの金持ちしかまともな医療を受けられないという事も聞く。

 

この地区を観察すると、村内貧富格差がある。村内で事業をするような富裕層が村内の貧困層を雇用しているように見受けられた。村内の倉庫や工場などから同じ村内の自宅への帰宅が目につく。村内富裕層による雇用にありつけなかった貧困層が夜勤で外部に働きに出ている感じに見えた。ほとんど村内で完結しているといった感じだった。結束が強いだろうと思う。

 

特定村民は、事業を始める事は許されているのだろうか?日本の国の制度というのもよく分からないもので、外と関わらなければ、自分自身の責任で生きていく分には国からのお咎めは無しなのだろうか?

 

江戸期に於ける身分制度の影響が残る集落や、在日の半島出身者などは、政府の光が当てられ、この集落よりは大事にされているらしい。

 

カネディアン🔱よりも埼玉川口にたくさん居住しているクルド系移民の方が、とても大事にされている。行政がクルド人に金をエグいほど与えている。戦後からの移民には、移民様様である。

 

ミドルカマー(中世から鎖国までの間)の移民が日本において最も苦労していると思う。カネディアン🔱はミドルカマーに当たる。

 

金田地区という蒙古系特定集落の村民(カネディアン🔱)には自由がない。モンゴルカード🪪はこの蒙古集落の人民の一縷の光かも知れない。彼らは祖国と繋がってるだけでも心強い。

 

と、前の記事に書いた。

 

もしこの法案が通ったら、日本の中で村八分され飼い殺しにされた状況にあるよりは旅券を手に祖国へ帰った方が良いのだろうとは思う。彼らは日本国に日本人として扱われているとは言い切れない為、国民皆保険制度や旅券の問題も抱えている可能性がある。日本の国は江戸期の身分制度の名残りのある人達や在日の半島出身者と違って、このような異民族集落問題については完全に放置している。

江戸時代の身分制度の名残のある人々や在日の半島系は、その数も少数異民族集落に比べて桁違いに多い為、声を上げる人の数も、多い。その為か、日の目を見る事が出来るのだろうと考えられる。

 

この法案が通ったら、カネディアン🔱はモンゴル大使館(モンゴル国)からモンゴル人として認められる。そしてモンゴルのパスポート(旅券)が発行されるはず。カネディアン🔱は祖国に帰り、日本に住むよりは自由に就労し、自由に結婚も出来るのである。

 

 

自由は手に入った。しかしカネディアン🔱は蒙古系だが、モンゴル人とは違う。大陸を離れて400年以上も経つ。その間両者は別々の道を歩んで来た。カネディアン🔱は清帝国支配下も知らなければ、社会主義政権下も知らない。社会主義崩壊後の混乱も知らない。モンゴル人と血を分けたが、途中から別々に生きた為、感覚的に遠くなってしまっている所が多いのではないかと思う。蒙古族の血はあるが、全く違う世界に生きているので、現代のモンゴル国🇲🇳を祖国だと思えるのだろうか?江戸時代に文化断絶をされ、長い年月が経ち、モンゴル語も喋れなくなってしまい、別物になってしまった彼らは、祖国に帰って上手くやっていけるのだろうか?

 

日本開国から今まで、集落差別下においてモンゴルと文化的交流も許されていたとは思えない。いきなり飛び込んだところで、日本の環境に馴染んだ彼らは、日本に舞い戻りたいと思うのではないか?とも考えられる。居住地はアレでも実際には日本という環境に住んでいたことに変わりはない。日本の気候は温暖だし、衛生面や交通の利便性や買い物などの生活の利便性や娯楽にも恵まれていた。日本に於いて良い思いをしなかった彼らだが、ここが祖国だと、いざモンゴルへ帰ったところで「・・・・」となってしまわないかが懸念される。

 

モンゴルカード法案は、そもそも、日本なんか相手にしていない、というより眼中に無いのではないか?という懸念もある。

 

日本という国の見られ方。日本は単一民族の国(琉球王国とアイヌ民族、華僑、在日朝鮮・韓国人を除く)という通常概念が世界中に定着していて、モンゴル人から見ても、「日本には日本民族しか元来存在していなかった。」と見做されているのではないかといった懸念もある。この筆者の指すモンゴル・ディアスポラというのは主にロシア、中国国土内にいるモンゴル系部族を指すように見える。この人にとって「まさか日本にカネディアン🔱なんかいる」とは夢にも思わないのだろう。

 

自分はこの法案が通ったら、一番最初に、カネディアン🔱という人たちにこれを知らせたい。

 

大変不謹慎な話、この金田地区から辺境ヒップホップが生まれたら推そうかと考えている。

 

金田地区名称問題だが、この村落名称を少し前までは、蒙古人抑留村落という意味で「カナダ村🎪」という呼称にしていたが、カナダなどという村落名をいつまで使っててもしょうがない。ちゃんとした国の名前をつけたいと考え、以降「カナダ村🎪」を「大元集落🎪」と銘々する事に決定した。暫くは「旧カナダ村🎪」という事はあると思うが、慣れればカナダ🔱などという呼称は使わなくなる。

 

カネディアン🔱の祖国は元帝国(大元ウルス)

 

という事で長文のご精読ありがとうございます。

 

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日本🇯🇵のカエル🐸問題 ロシア🇷🇺のカニ🦀問題

2024年06月22日 | グルメ

先記事は、刺激の強い内容を書いてしまった。これにドン引きする読者が多数存在したと考えられ、大変申し訳ありませんでした。今日の記事は、比較的穏やかなので、安心して見られます。

 

ゲテモノと高級食材は紙一重だ。

 

欧州でカエルは一般的に食べられる。そして高級食材でもある。鶏肉より上品な味と評価する人もいる。

 

ウシガエルは北米原産の特定外来種である。日本の環境はウシガエルにとって天下だった。ウシガエルを捕食するワニガメ🐊🐢やカミツキガメ🐢ワニそのもの🐊などがいなかった為である。しかし近年は多摩川などにウシガエルを捕食する獰猛な外来種を放す輩がいるので、天下ではなくなった。

 

日本には“食用ガエル”としてもたらされた。東京帝国大学の教授であった、動物学者の渡瀬庄三郎が、食用としてアメリカ🇺🇸(ルイジアナ州ニューオーリンズ)から輸入した17匹が1918年あたりに横浜港に到着したのが初輸入である。農商務省(のちに農林省)は貧窮する農村に副業として養殖を奨励したが、定着しなかった。1932年に冷凍肉の対米輸出が始まり、1940年には165トンと戦前のピークに達したものの太平洋戦争で途絶え、大半の養殖場は閉鎖された。アメリカザリガニは、ウシガエルの餌として米国から輸入された。

《引用:Wikipedia》

ウシガエルは閉鎖された養殖場から逃げ出し、繁殖した。ウシガエルの食材利用は、日本では根付くことはなかった。

 

日本では、これからも根付くことはない。

 

法律上の問題で、特定外来種のアメリカザリガニと、ミシシッピアカミミガメ以外は移動を禁止させられている。移動禁止というのは、特定外来種を捕獲して生きたまま、別の池や川に放すのはもってのほかだが、生きたまま家に持ち帰るのも禁止。生きたまま家に持ち帰って、清水で泥抜きも禁止。飼育も禁止。

 

先記事のウシガエルの生き造りの店は、そこら辺で捕獲した、サワガニ喰ってる可能性があるカエルを生で提供している。

 

もちろん養殖も禁止の為、寿司屋などでの安定供給は難しい。魚市場でも生きたウシガエルの販売も許可ならない。

 

日本人はゲテモノ専門料理でしか、カエルを食べる事は出来ない。それか自分でカエルをガサガサなどで獲ってきて自分で料理して食べるしかない。

 

日本でカエル食が定着しなかった理由に、見た目気持ち悪いし、毒がある(日本最大種のヒキガエルが毒があるのでウシガエルにも毒を懸念された)からという意見が多かった。平安時代にはカエル食があったという記載があったらしいが、いつの間にかカエル食は廃れたという意見もあった。カエルを食べなかった理由の一つに、カエルは益獣だからという意見もあった。稲作民族である日本人にとって稲を害虫から守ってくれるいわば仲間です。という意見もあった。

 

日本人はスッポンを食べるのにカエルを食べないのは不思議だ。

 

🫎🇷🇺🦞🦀🫎🇷🇺🦞🦀🫎🇷🇺🦞🦀🫎🇷🇺🦞

先回の記事でも書いた、ロシア人のディアナ氏。彼女のショート動画で「(悲報)ロシア人はカニの味を知らない🦀」というのを見た。

 

 

 

 

カニ味のポテトチップスというものについて、ロシア人が騒いでいる動画を上げたディアナ氏がコメントを言う動画。彼は「大半のロシア人が蟹を食べた事がなく、これからも食べる事のない蟹味のポテチが流行ってる意味が分からん」という。

 

ロシア人の大半は蟹を食べる事なく、生涯を終えていく….

 

カニを食べた事がないので、想像が出来ない、下手をすればカニという動物そのものを見た事もないのに、スーパーで「カニ味」のポテトチップスだけが売っていて、それの味が何がなんだかワケが分からないと思う。だからこんなポテチなんかで国民騙すのは簡単だというのもなんか納得する。

 

しかしこれ、どんな味がするんだろう?

 

コレ作った人は妄想で動物の味を作っているのか?まるでラクロスに馴染みなく、全く知らない人が、妄想でラクロスプレイするのと同じようだ。ロシアでは、ラクロス🥍というのはメジャーなスポーツなのか?どうなんだろう?

 

カニポテチの件を日本人に当て嵌めると、ディアナ氏はエビに例えていたが、ゴリゴリの日本人が例えると、ロブスターなどで例えたくなる。日本人はロブスター(オマール海老)🦞の味を知らない。あと思い出したけどロシア人と違って、ヘラジカ🫎の味も知らない。この2者の食材って、北欧では非常に馴染み深い食材である。いずれにせよ日本人が知らない味。カエル🐸もそう。カエルも北欧では馴染み深そうである。欧州ではカエル食はメジャーな気がする。

 

北欧の料理は日本人にあまり馴染みがない。

 

ヘラジカ味のポテチとか、ロブスター味のポテチ、カエル味のポテチとか突然スーパーに売ってそれを食べてたら本物のヘラジカやロブスターやカエルの味だと思って生涯終えるのだろうか?

 

ディアナ氏は高級食材をポテチにすんなやと言ってたが、そもそも動物味のポテチってどういう事だろうか?かっぱえびせんも動物味のスナックだから人のこと笑えない。しかしこれは人間の妄想の産物ではなく、実際に海老の殻が使われている。バーベキュー味のポテチも未だに理解出来ない。それにしても「エビ童貞」。日本人も考えられない凄い言葉作るな。にゃはは!

 

ロブスターの殻をまるごと使ったロブスターのポテチは出来そうである。ディアナに「高級食材(以下略)」と怒られそうだが。

 

ロシア人にとって蟹はゲテモノや未確認生物の類なのだろうか?

 

 

ロシア人が実際に日本で、生きた野生の蟹が走る姿を目撃したら、非常に不気味な生物に映るのかも知れない。蟹が横歩きするという事をまず理解していない為、やたら脚が多い動物が走る姿はグロテスクに映るのだろう。

 

ロシア人がカニを食べない理由の一つは、ロシアには冷凍技術が無く、カニを内陸に運べない為という意見があった。日本にはタラバガニとズワイガニを輸出しているが、これを食べているロシア人はディアナの言うように、海に近い限られた地域であるようだ。

 

日本人の一人が、ロシア人留学生にカニまるごと一匹を蒸して提供したが、一口も口をつけなかったという。

 

しかし何故カニ味のポテチがロシアで人気になったのだろうか?怖いもの見たさで食べてみたら実際に美味しかったから売れたんとちゃうかな?

 

ロシア人は*イクラという生の魚卵は食べるのにカニを食べないのが非常に不思議である。鮭はサンクト=ペテルブルク沖でも獲れるから?隣国のフィンランドなどの影響?

 

*イクラはロシア語で魚卵の意味。赤い魚卵は鮭の卵、黒い魚卵はチョウザメの卵(キャビア)

 

ロシア人は、カエル🐸も馴染みのない食材らしいから日本と真逆というわけではない。先記事のディアナ氏と一緒に食事したティナ氏は、カエルの見た目的にコレを食べるのかと思うとキモいと言っていた。

 

 

何かの味を知らずに生涯を終える。それは嫌なので積極的にゲテモノ食材に挑んでいきたいと思う。ディアナ氏は日本語は上手いが元々日本生まれではないので、移住から今までゲテモノ食との闘いだったのかも知れない。別の動画ではホルモンに挑むのもある。ディアナ氏の食に関するコンテンツは面白い。

 

カエル味のポテチで生涯を終えるのではなく、カエルの味噌汁を堪能出来る人生を送れると素晴らしい。

 

ちなみに、ロシアのカニチップスのメーカーLay’s(レイズ)のメーカーには「イクラ味」のチップスも出ているらしい。不味いというわけではないが、やや生臭いという。このメーカーは何で味つけをしてるのだろう?

 

レイズはロシアのメーカーではなく、アメリカのメーカーであった。但しカニ味のポテチはロシア人が監修したらしい。カニの殻は使われているのか??調べているけどそれらしき事は書いてない。カエル味のポテチは、さすがに無いらしい。

 

お読み頂いてありがとうございました。

 

《インスタ引用:_mcstg_》

未確認生物(UMA)のカラッパという動物(ググればすぐわかる)ツチノコよりは簡単に発見できる。

両手で口元を隠してる乙女仕草な、猫のようなカエルのような、すぐ砂に潜っちゃう動物。未確認生物の中では一番可愛いと思う😍

“カラッパ”という名前もいい🐸🐾

つい最近までは知らなかった。めちゃめちゃ可愛いので最近毎日カラッパちゃんの動画見てます艸

 

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ゲテモノ料理

2024年06月14日 | グルメ

未だにウクライナの代表的な食べ物“ボルシチ”をロシアがパクったと騒ぐ人がいる。

そういえば以前自分は、ロシア料理屋を名乗る店で“ヘラジカ🫎”出したらどうなるのか?というアホな事を書いた。調理方法などではなく、ヘラジカ🫎は食材そのものなので、ぐうの音も出ないと思っての事だった。それに対して自分の記事に客は無反応だったが、これと同じ事をXで投稿した日本人がいた。そしたら非難ゴウゴウで

 

「ヘラジカ🫎料理はフィンランド🇫🇮料理やろが!隣国の料理パクるな!」

 

「ヘラジカの🫎ジビエは、国に関係なく、ロシアでも北欧でも中国でも、狩猟に遊びに行った人や農家(害獣駆除)は普通に喰う」

 

との声が多かった。

 

 

ロシア人YouTuberディアナ氏の動画やXをよく閲覧する。彼女は見ていて気持ちが良い。

 

ディアナ氏X:帰れ貯金

 

これだから大好き❤タダでは起きないこの姿勢が大好き💕

 

ディアナ氏見ると本当に前向きになれる。自分もこのぐらいの根性が欲しい。自分の文章もディアナの影響を多少受けている。

 

 

 

YouTube:ディアナのゲテモノ喰い

 

もう1人が、ロシアの田舎で牛の屠畜をやってるのを見て、肉が嫌になったらしい🐂

ロシアでは農家が自分で家畜に手をかける、或いは肉屋が農家から購入した生きた家畜に手をかけるのが一般的で、日本みたいな屠畜専門の業者は稀らしい。

 

そもそもロシアは、狩猟大国である。ロシアの田舎は人から与えられる娯楽はなく、娯楽といえば狩猟や釣りしか存在しないというミームが昔あった。

 

Xで見かけた人で、ソ連時代、ソ連に狩猟しに行った日本人がいた。あのソ連に、狩猟??「ソ連」と「狩猟」というダブルパワーワードに反応し興奮してしまった。ロシアと狩猟は切り離せない。一家に一挺は猟銃があり、銃犯罪も拳銃ではなく、猟銃によるものが多い。

 

ディアナ氏のゲテモノ料理動画の中でカエルの天ぷらがあった気がするが、これは洋食の高級店にもある料理だ。

 

今回紹介するのは、ディアナ氏の行った店などより更に上を行くゲテモノ喰い😱

 

ゲテモノとは、一般的に食べるのを躊躇するような食材である。

 

 

第3位

ウシガエルの生き造り🐸※閲覧注意⚠️

 

 

気分が悪くなる人もいると思うので、閲覧は覚悟⚠️

 

新宿にウシガエルの生き造りを食べられる店がある。ただ一つ気になるのは寄生虫。肺吸虫という非常にやばい寄生虫に寄生されるリスクを伴う。これは自己責任でという他はない。

肺吸虫の寄生症状

肺吸虫症 - 13. 感染性疾患 - MSDマニュアル プロフェッショナル版

 

 

この店はそこら辺で獲った何喰ってるかわからないウシガエル🐮🐸を使ってるのか、人間が食の管理して養殖したものかどうか分からない。

 

ウシガエルを生食する際は、養殖か天然か確認する必要がある。そこらへんのウシガエルはネズミとか沢蟹とか何喰ってるか分からない。ウシガエルは特定外来生物。日本の生態系ぶっ壊すから見つけ次第食べていいらしい。

 

 

第2位

ガネ漬け=カニ漬け🦀※閲覧注意⚠️

 

 

気分が悪くなる人もいると思うので、閲覧は覚悟⚠️

 

これは蟹(ガネ)。屠殺=料理過程が非常にエゲツないグロ珍味☠️これは有明の郷土料理である。ご飯に載せて食べると美味しいし、酒にも合うという。

 

 

第1位

三聴🐀※閲覧注意⚠️

 

気分が悪くなる人もいると思うので、閲覧は覚悟⚠️

※実写動画見つからなくてごめんなさい。

 

これはもうグロを通り越して、ホラー👻ヒョエーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー😱爬虫類ペットの餌レベル。蛇とかイグアナとかウシガエル向きのご馳走である。彼らは生き餌を好む。ガネ漬けの調理過程を口の中でやる。このネズミの赤ちゃんは高級食材で、中国広東省の歴史ある伝統料理。そして酒のつまみとしても重宝される。中国料理奥が深過ぎる😱

 

ウシガエルは何でも喰う🐸

 

 

この3つの中で食べれるものという究極の選択を迫られたら………………………….

 

相当頭抱えて悩む。全てがグロい

 

読者のみんなは、この3つの中で究極の選択を迫られたら、敢えてどれならいけますか?

 

 

3つとも全て生食で、食育として推奨すべきだと思う。料理の原点回帰する教育。

 

 

ゲテモノの概念が分からなくなる。中国人にとって“ゲテモノ”という概念は存在するのだろうか??西洋人にとってカエルは抵抗ない食材だが、日本ではゲテモノ扱い。逆にイカ・タコは日本人にとって抵抗ない食材だが、西洋人にとってはゲテモノ扱い。

 

 

ところで西洋といえば、こんな極端な法律が成立してしまった。

 

・ロブスターが生きたまま茹でる方法が禁止に

ロブスターを生きたままゆでる方法が禁止に、優しくロブスターを殺す方法とは?

 

 

これはスイス🇨🇭での事例。水産業者や料理人が困るではないか😅西洋人が考える事はワケが分からん事だらけだ。

 

こんな法律が日本で成立したらガネ漬けなんか作ったら縄になる。中国で成立したら食文化も伝統も全てがぶっ壊される。アジアでこんなくだらない法律は成立して欲しくはない。少なくとも、アジアには押し付けて欲しくはない。西洋には英国や北米などとは違い、食の歴史と伝統がある。それなのに、こんな法律のせいで色々と面倒くさい事になってしまうのは、少々可哀想にさえ思える。

この法律はだいぶ前に成立している。これは「鶏を平飼いにしましょう」という条例と共通点がありそうで、何だか気味が悪い。

 

欧州各地でこのような例が多発している。偏った法律から自分らの伝統、文化を護らなければと思う。

 

グロ料理、ゲテモノ料理とはいうものの、それらは伝統料理、郷土料理でもある。イルカ漁も日本古来の漁方である。イルカ食が日本全土に広まる風潮になれば良いのかも知れない。イルカ🐬を食べてみたい。どんな味がするのだろうか?

 

ご精読ありがとうございます😊

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カナダオボー(金田鄂博)についての考察🪨🔱🔴🔵🟡🟢⚪️🎽

2024年06月08日 | 自己満

カナダオボーについての考察🪨🔱🔴🔵🟡🟢⚪️❤️💙💛💚🤍🎽

 

この記事は、遊牧アディクト(addict:中毒)が裏目に出て、在倭国蒙古族遊牧遺構に真摯に向き合う余り、不覚にも、読者の労力と時間を削る長大な物になってしまいました。これは単なる忘備録です。

 

よほどの遊牧民、遊牧国家好きな人でない限り、読むのが苦痛に感じる記事なので、読む事を強いるなどは致しません。

 

 

・カナダオボー🐦‍🔥とは?

 

カナダオボー🐦‍🔥とは、倭国の関東圏の南部、丹沢山塊のよく見える小集落にある、天神祠と云われる天ざらしの一角を指す。この一角は、テングリ(テンゲル)という遊牧民が信仰する天神だと考えられる神と、菅原道真とが相殿にされ、祀られている。この天神祠が元はオボー(Овоо)だったのではないかと読んでいる。オボー(Овоо)とはモンゴルで建てられる一種の標柱である。オボーはおもにチベット仏教の祭礼が行われる場所であるとともに、山岳信仰、テングリ(天神) といった宗教的意味を示す役割を持つが、同時に境界標識や道標としての役割も持つ。オボーが建てられる主な場所は、平原や平原にある小高い丘、あるいは山頂や峠のような高所に建てられることが多い。川や湖や湧水地の近くにも建てられることが多い。

《引用: Wikipedia》

 

 

 

モンゴル本国にあるオボー

 

 

“カナダ”という、この奇妙な名称の成り立ちは、この小集落の名に由来する。この小集落の名称は金田(カネダ)というが、これをモンゴル語の発音に直したら“カナダ”という奇妙な音になってしまった。

《モンゴル語の母音の法則によれば、男性母音(a,o)と女性母音(e,u)は同じ語に共存出来ない。中性母音(i)はどちらとも共存出来るという。島村一平先生が文春の記事で教えてくれた。》

 

この天神祠をモンゴルオボーとして扱う以上は、モンゴル語の読みを充てる。金田(カネダ)地区にあるオボーを、カネダオボーとするよりカナダオボー🐦‍🔥とする方が適切である。

 

カネダとカナダとは、感覚的にはキエフとキーウ、チェルノブイリ原発とチョルノービリ原発のようなものである。

 

両者は“金田”という共通の漢字表記を持つが、言語による棲み分けを意識した為、カネダとカナダとを分けた。モンゴル人らのフィールドでの話に関しては、この記事では金田(カネダ)村ではなくカナダ村🎪と書かせて頂く。

 

 

 

・テングリ(テンゲル)について

 

テングリ信仰では蒼天そのものに対する崇敬から天の神格化が行われた。テングリとは、トルコ、モンゴル族などの北方遊牧民における天の神である。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

トルコ族、モンゴル族における物質的実在としての天。およびシャマニズム神観上の精神的実在としての天神,または天神の下にいる神々をいう。モンゴル語ではtengri,tenggeri とも表記されtängriは古代トルコ語のローマ字表記である。蒼天そのものに対する崇敬から天の神格化が行われた。

《引用:コトバンク 吉田順一著》

 

アジア北方の遊牧民族に共通な、「天上世界」もしくは「天上神」「運命神」「創造神」を意味する概念。中国史の史料上はしばしば「天」と訳されている。

 

「テングリ」は中国史における「天」概念と非常に類似しており、天上世界を指すとともに運命神であることも共通している。ただし中国史において天の人格神である天帝が北極星と同一視されているのに対し、テングリは澄みきった青空のことであると考えられており、その点で相違する。「テングリ」崇拝は匈奴時代から確認されている。また、人格神としての「テングリ」はモンゴルの宇宙創造神話において「テングリ・ハイラハン」という地上を作った創造神として現れ、これも中国には見られない。テングリは男性神であり、女性神である大地に対応する。

 

今日においては、カムチャッカ半島からマルマラ海に至るまで遊牧民の間で、シャーマニズムに基づいてテングリへの祭祀(テングリズム、テングリ信仰、テングリ崇拝)が行われている。

《引用: Wikipedia》

 

 

・何故これが、モンゴルのオボーではないかと考えるに至ってしまったのか。

 

⭐︎カナダオボー🐦‍🔥の立地。大きな川に近い場所にある。

 

⭐︎カナダオボー🐦‍🔥には、カナダ村🎪の人による手記の、この祠についての説明立札がある。その始まりの一文に「国土を守護する天乃神」とある。その信仰観が、ソーハン・ゲレルト氏の論文によると蒙古人のものであるように思えた。

 

⭐︎このオボーがある場所の近くにある神社の、中世に行われていたとされる10km超の長距離競馬神事の記述。

 

この神社は倭人が建てたが、不思議な事に何故か長距離競馬神事がかつて存在した。長距離競馬神事というのがモンゴルのナーダムという夏祭りに行われる競技の一つにある。本番モンゴルでのナーダムは30km強を走る。ナーダムは別名「オボー祭り」とも云われる。

 

 

・カナダオボー🐦‍🔥と出会った経緯

 

2023年始に遡るが、寺社仏閣巡りが流行った。自分も流行りに乗ろうとして、手当たり次第寺社巡りに赴いた。ただ拝むよりは寺社の由来を調べてから巡る方が良いと考えた。その頃行きつけの喫茶店で勉強などをしていた。暗く危険な為バスを利用して駅まで帰る途中の、ある神社が気になっていた。それが金田神社。金田神社についてググルと色々なサイトが出て来たがその中の一つに「中世に“長距離競馬神事”が催されていた」とあった。

上依知から金田までの10km強の競馬。これにはナーダムを連想させられた。それが気になって気になって仕方がなかった。

神社というのは集落毎にあるものなので、金田集落はもしかして…..

 

 

金田、頭文字が「金」、アルタンである。

モンゴルには「アルタン〜」という地名が多数あって、頭文字「金」地名が目についた。

アルタン地名とナーダム的な祭り。それだけで、実踏しよう。となった。それが全ての始まり。

 

以前から、この川の左岸の台地には、昔、牧民が暮らしていたのではなかろうか?という気がなんとなくしていた。牧民が暮らしやすそうな環境であるような気はしていた。川の両岸の台地は、良馬の産地であると聞いていたので、余計にそういうふうに思えていた。金田村(カナダ村🎪)は意外にも川の右岸だった。

 

カナダ村🎪に足を踏み入れる。穀倉地帯の端の方に、松を植えた「天神」を祀る一角があった。天ざらしで、床部分は円形(正確な円ではないが、大体円)であった。

 

 

 

 

カナダ村🎪人民によるテンゲルオボーの説明

 

「天乃神」と学問を奉ずる「天神」とを別々のものとして扱い、相殿にしているという点について違和感を覚えた。

 

何故この天神杜を、テングリ信仰と結びつけられたのかは自分でもよく解らない。多分だが、菅原道真を指す天神以外の天神が出てきたので、違和感を覚え、これはもしかしたら、テングリ信仰の可能性もあるのではないか?と考えたのかもしれない。お天道様説も考えたが、あれは太陽を指すので天乃神ではない。

 

テングリ信仰とは国土を守護するという要素があるのか?という疑問が湧いたので

「テングリとは?」でググった。

 

「モンゴル帝国時代における ハーンたちの世界観について」早稲田大学モンゴル研究所客員研究員 ソーハン・ゲレルト氏の論文に出会う。

 

その中でモンゴル人の宇宙三界観で、天神は地上界に保護と善と幸福をもたらすという。

天神の子とされる英雄は、悪魔を退治し、理想的な国を立て、自らハーンとなって人間社会の秩序を保護し、人びとの幸せな生活を保障する。

 

地上界=人間界=黄金の世界(Altan delkei)の概念しかなかったものが、チンギス・ハーンの即位以降、地上界は、天神の子、ハーンが立てた理想的な国になったと解釈しても良いのだろうか?

 

その国はハーンと天神によって守護される。このオボーは少なくとも、チンギス・ハーン即位からこっちの時代に出来たものと思われる。

 

 

 

・天神祠にある“国土”について

 

「国土を守護する天乃神」と表記されているが、「国土」の概念は、殆どのモンゴル帝国のウルス(属領)に当てはまらない。ほとんどのウルスは、国土や国境と言うよりは縄張りという程であった。国境もくっきり引いたのではなく、大体ここら辺ぐらいの認識であった。言語統制や宗教統制などはせず、ウルス内の人民は、納税だけしてればよかった。納税が出来なくなると非常にやばい事になった。

 

これは現代の事だが、遊牧国家のウルス、ハンの影響の強かった国在住の人民に「あなたは何人ですか?」との問いに、定住者であれば町や村などの名前で答え、遊牧民であれば部族名で答える。国の名前で、日本人、アメリカ人などとは言わない。国民国家への帰属意識が希薄である。

 

しかし例外的に、元帝国(大元ウルス)だけは、国土の概念を持ち、国民国家への帰属意識があったらしい。現在のカナダ村人民🎪の手書きの立札には「国土」というワードがある。これは日本(倭国)の国土ではなく、「元帝国」の国土を意味するのではないかと自分は考えている。

元帝国は、モンゴル人君主が中華を倣った専制君主統治をしていたため、このような国民国家の概念が生じたのではないかとも考えている。カナダ村人民🎪の言う”国土“とは“元帝国の国土”を指すのではないか?“元帝国”!”元寇“の“元”である。

 

大元帝国は、漢人の明帝国によって滅亡。その後中原(漢民族の定住農耕地域)より北のモンゴル高原に退いた“元”の残党勢力を北元と称する。北元の首都はカラコルム。黒砂礫という意味の都市。*カネディアン🔱らは、「北元」の後の、ドチン・ドルベンの時代に倭国に渡航したのではないかと考えている。

《カネディアン🔱: 約400前に日本に渡航して来た蒙古系遊牧民。現在、金田(カネダ)地区に定住している人民の祖先だと考えられる 》

 

ウルスでも、国の概念というのはあったのかも知れない。ハーンが存在する以上、国は存在するし、単に縄張り程度の認識でも、ハーンの支配地域である以上、そこは国土であるとも考えられる。天神の子、ハーンが建てた理想的な「国」の「国土」を指すとも考えられる。

 

————————————————————————

元帝国=大元ウルス[モンゴルの国家]

元朝、ダイオン・ウルス、大元大蒙古国とも呼ばれる。第5代皇帝クビライが東アジアに建てた政権であり、以後モンゴル皇帝の称号はクビライの末裔が継承することになる。

 

大元ウルスの「大元」は易経の「大いなるかな、乾元」から採用したもので、乾元は「天、宇宙」を表しモンゴル系、テュルク系が崇める「テングリ」にあたる。

《引用:AIでウマ娘と化したオゴディのX》

 

 

前述したようにカナダオボー🐦‍🔥はモンゴル系遊牧民が作ったものだと考えられる。カネディアン🔱は大元蒙古国に於ける*主流民族であるモンゴル系遊牧民である。他のウルスの被支配民とは認識が異なる。自分は大元蒙古国の国民であり、土地は大元蒙古国の国土であると考えていてもおかしくはないと思うが。

《主流民族: 政権を担う民族》

このスマートフォンで元帝国の国旗の絵文字が出て来たら面白いものである。

 

 

・倭国で信仰されている天神について

 

カナダオボー🐦‍🔥の天神は、倭人の「天神」のひとつではないか?という疑問も持った。自分の勘違いで、倭人の天神信仰と、全く関係のない金田神社の長距離競馬神事を一緒くたにしている可能性もあるとも考えられる。この神事も、倭人の神事かも知れない。当時は武士もいたし、相撲神事と同じで、稲作民族の五穀豊穣を祈願する長距離競馬神事だった可能性もある。

 

これだけモンゴルの事ばかり考えていると、思い込みによる勘違いが生じる場合がある。自分は遊牧アディクトなのでそういう傾向にある。

 

倭人には「国土」を憂うという風習はないと考えられる。何故なら、倭国は「国土」の守護を祈願するほど、倭国国土全体が危機に瀕した事は歴史上あまりにも少なかった。倭国は長い歴史の中でたったの2回しか侵攻された事が無かった。

 

一度目は元寇(紛らわしくて大変申し訳ない)。しかしそれは、壱岐、対馬と九州北部の一部だけであり、倭国全土ではない。結果的に失敗に終わった。

 

もしこれが九州で、国土の守護を祈願する天神を祀る一角があるとすれば、元寇による侵攻からの守護祈願であっても不思議ではない。

 

もう一つの侵攻は第二次世界大戦の米軍による爆撃。これは日本国土が焦土と化した。カナダオボー🐦‍🔥がいつの時代に出来たのかは、正確には分からない。下手をすれば戦時中にただの日本人の村人が戦時中に、爆撃から日本国国土を守護する祈願をし、天神を祀り石を積み始めたのかも知れない。学問を奉ずる天神の方が古い可能性もある。

 

しかし、*金田村の人民の手書きによる天神祠の説明を読む限りではそのような事に起因するものでは無さそうである。

《*金田村(カネダ)と表記するのは、この一文では、倭人(日本人)目線のフィールドでこの村や祠を扱った為》

 

倭人の神観の天神は幾つか存在する。

 

⭐︎学問を奉ずる天神、菅原道真。

 

菅原道真の祟りを鎮める為に、「天の神」として祀った。「天満宮」というお社は、菅原道真を祀ったものである。

 

⭐︎高天原(タカマノハラ)の天の神

 

高天原とは、日本の最高神、天照皇大神(アマテラスオオミカミ)の統治する天界。

“天”の神の系統は高天原の神様。それに対して“地”の神の系統は、元々その土地におられ守護していた土着の神様、或いは、天の神の子孫で地にお住みになった神様を言う。

“天”の系統の神を天津神、“地”の系統の神を国津神という。天津神はヤマト王権の皇族や有力な氏族が信仰していた神。国津神はヤマト王権によって平定された人々(蝦夷・隼人など)が信仰していた神である。漢字で天津神を「天神」(テンジン)、国津神を「地祇」(チギ)とも言う。地祇は、*葦原の中つ国の国土の神とされる。天神は天界を守護し、地祇は国土を守護する。国土を守護するのは天の神などでは決してなく、地の神(地祇)である。

《葦原の中つ国: 高天原と黄泉の国の間にあるとされる世界》

《引用:Wikipedia》

 

⭐︎天照皇大神(アマテラスオオミカミ)

日本の最高神。これは「天」や「空」ではなく、太陽神である為、天神とは別物である。

 

⭐︎空の神、伊邪那岐命(イザナギノミコト)

 

空の神、伊邪那岐命(イザナギノミコト)、大地の神、伊邪那美命(イザナミノミコト)

イザナギノミコトとイザナミノミコトは夫婦で、イザナミノミコトは日本列島を産んでいる。

 

 

⭐︎十二天の「天部」

 

十二天(ジュウニテン)は、仏教の護法善神である。護法善神とは、仏法および仏教徒を守護する主に天部の神々のこと。護法神、あるいは諸天善神などともいう。仏教の法(ダルマ)を守護する者はダルマパーラ、漢訳では護法という。

仏教における「天」あるいは天部像とは、仏教流布以前の古代インド神話やバラモン教の神々が仏教に取り込まれ、護法善神となったものである。十二天とは、八方(東西南北の四方と東北・東南・西北・西南)を護る八方天に、天地の二天と日月の二天を加えて十二天としたものである。

 

帝釈天、火天、焔摩天、羅刹天、水天、風天、毘沙門天、伊舎那天、梵天、地天、日天、月天

《引用:Wikipedia》

 

⭐︎火雷天神(雷神)

 

日本における天神信仰は元々、雷神に対する信仰の事である。特に菅原道真を「天神様」として畏怖・祈願の対象とする神道の信仰のことをいう。本来、天神とは国津神に対する天津神のことであり特定の神の名ではなかったが、道真が没後すぐに、天満大自在天(テンマンダイジザイテン)という神格で祀られ、つづいて清涼殿落雷事件を契機に、道真の怨霊が北野の地に祀られていた火雷神と結びつけて考えられ、火雷天神と呼ばれるようになった。

《引用:Wikipedia》

 

⭐︎田神(火雷大神(ホノイカヅチノオオカミ)

 

田の神様、生産、生成の神様という色彩が強く、生産・生成や地域に貢献し生産の心の支えとなられた方が祀られている。

《引用: NPO法人 基山の歴史と文化を語り継ぐ会》

 

この田神というのも、日本における元々の天神である雷神(火雷大神)である。

雷の猛威に対する畏れや稲妻と共にもたらされる雨の恵みに対する農耕民族であった古代日本人の信仰から生まれた神と考えられている。

雷神、水の神、伊邪那美命の御子神、雨乞い、稲作の守護神。

《引用:Wikipedia》

 

ここでもう一度、金田村(カネダ)の天神祠の立札をおさらいしよう!

 

「この祠は国土を守護する天乃神と学問を奉ずる天神を祀り、五穀豊穣を祈念して創設された天神杜で*?に天神様という五穀豊穣の達?は天地の恵みと人々の英智努力によって稔るものである」

 

*読めなかった文字

 

この祠の天乃神は、この文章を読む限り、最後の田神=火雷大神=雷神と、菅原道真を祀った祠のようにも見えて来る。五穀豊穣を祈念して建てられた祠であれば、筋が通る。火雷天神(火雷大神)は、同時に学問を奉ずる神、菅原道真をも指す。しかし、もしそうであれば「相殿」という形にして、菅原道真と火雷天神をわざわざ分断する理由が解らないのである。

 

 

この天晒しの円形に形どられた範囲内には、2棟の石祠が建っている。一つは菅原道真で、もう一つは火雷天神なのだろうか?

 

火雷天神は、稲作の守護神である。国土の守護神の概念とは掛け離れている。

 

一つ、この文章から導き出せるのは、「……….学問を奉ずる天神…以下」は、筋が通る。「国土を守護する天乃神」をここから除けば、農耕民である倭人の信仰としての筋が通るのである。

 

問題の「国土を守護する天乃神」

 

これがもし、「国土を守護する地乃神(地祇)」であれば、倭人の神観に沿う。「天地の恵み」というのが、「菅原道真(火雷天神)」と「国土を守護する地乃神(地祇)」の神によるものとされれば、これも倭人の神観としての筋が通る。

 

金田村(カネダ)の人民は、「国土を守護する地乃神」と書くべき所を「天乃神」と誤って書いてしまったのではないか?とも考えた。

 

しかしこの円形の一角を、金田村の人民は「天神杜」と称する。「天地神杜」ではない。

 

「天神」同士を相殿にしてあるから「天神杜」である。だから誤って天乃神と書いたものではないという事がわかる。

 

 

金田村の「国土を守護するという天乃神」は、倭人の信仰する天神の神観のどれにも属さなかった。

 

倭人には天神が国土(地上世界・人間世界)を守護するという天神の概念は存在しない。

 

 

ところで、農民は天神ではなくて地神を信仰する。

 

 

「地神」とは大地を象徴する神様、十二天の一つと言われ、その信仰は神奈川県全域から静岡県東部にかけて顕著に見られます。

《引用:厚木市郷土博物館》

 

地神は農業の神でもある。

 

地神は十二天の地天だとされ、大地をつかさどる女神であって、これが仏教に取り入れられたものである。

《引用:Wikipedia》

 

金田村は神奈川県に存在する。金田村の人民が五穀豊穣を祈念するのであれば、地神を祀っていても良いと考えられる。

 

金田村の人民は、別の所で地祇や地神を祀っているのかも知れない。

 

 

・モンゴル国にあるカナダ型オボー

 

 廣田千恵子先生のインスタで、モンゴル国内で撮影されたオボー🦩がカナダオボー🐦‍🔥と似ていた。

 

 

廣田先生に、このオボー🦩はモンゴル国内の何処にあるのか質問をした。

 

オボーの形には、地域差があるとする文献があった為、カナダオボー🐦‍🔥に似た形状のこのオボー🦩のある場所が分かれば、*カネディアン🔱の出身地がどこだか分かる気がする。

 

《カネディアン🔱: 約400前に日本に渡航して来た蒙古系遊牧民。現在、金田(カネダ)地区に定住している人民の祖先だと考えられる 》

 

・廣田先生の答え

 

「実際この写真は、ウランバートルから車でゴビ方面へ向かい、アルタイ山脈を辿ってバヤン・ウルギーに行くという長旅のどこかで撮影しました。」というご回答を頂いた。

GPS機能がついているカメラではなかったので、正確にどこの場所で撮影したのか分からない状況にあったという。

 

偶然出会ったオボー🦩モンゴルの長旅では、今どこを走っているのか全然分からなくなりそうだが、この答えから推測出来る事は、旅の初めの方(ウランバートル近郊)と終わりの方(バヤン・ウルギー近郊)ではないと考えられる。それともう一つ、アルタイ山脈寄りでもないと考えられる。アルタイ山脈はランドマークになり得る。

 

写真を見る限りでは、ステップ(草原)地帯の、砂に覆われた丘の上にオボーがあるように見える。ステップの度合い(グラデーション)では*土漠よりやや緑の濃い所である。

《土漠: サラサラの砂ではなく、硬い土や石に低木や草が疎らに生える》

 

アバウトな分け方でモンゴル国の北の方か南の方かで分けると、南の方である。北は緑色のステップ地帯や緑に覆われた山岳、タイガ(針葉樹林)地帯。南は茶色寄りのステップ、土漠、ゴビ(砂漠)地帯。廣田先生の写真によれば、緑の濃い地域ではなく、比較的砂漠寄りの植生である。先生の通った道は、モンゴル国の北ゴビである。カネディアン🔱はこのような風土の故地を離れて倭国に渡航したと考えられなくもない。

 

 

・何故両者が似ていると感じるのか?

 

廣田先生が撮影されたモンゴル国内のカナダ型オボー🦩は、綺麗な円錐形ではなく、一番下の段の右端が長く見える。この写真はオボーの左端が切れているので、全貌が見えないが、それでも右端(片側の裾)が長く見える。

 

 

カナダ村🎪のオボー:カナダオボー🐦‍🔥は床部が円形で、直径約7m。スマホの計測アプリで計測。7月、8月に訪れた時、円形の周囲に雑草が生えているのに対して円の中には生えていない。見た限り、踏んだ限りだと、円の下には大きな石が多数埋まっている様子であった。円の中の土から直径15cm-20cm大ぐらいある石の一部がはみ出ていた。松とその他の木が植えられている。松は浅根性で、岩に直接生える事もある。寧ろ松は岩のような場所でなければ生きられない。という事はこの円形の下はどうなっているのか?この円形の下には砂利ではない大きな石がたくさん埋まっている。それも土深くまで。

周囲の雑草が枯れている。この枯れている範囲がこのオボーの本当の大きさだろうと考えられる。このオボーは、円からはみ出し、片側だけが長い。このような特徴から、元の形は廣田先生の撮影したオボーのようであったのではないかと考えた。インスタでたくさんのモンゴルオボー🦩を目にするが、カナダオボー🐦‍🔥の様に片裾だけが長いというものは見た事がなかった。カナダオボー🐦‍🔥は、何故これらの石堆が埋まった状態であるのか。それは長年に渡って川の氾濫により土砂が堆積しオボーの下の部分は土に埋まった。川は現在の水面の位置よりも高かったと考えられる。

川砂利の過剰採取とダム建設による砂利の供給力低下で、橋脚が剥き出しになるほど砂利が少なくなり、川の水位も低下した。

 

 

 

 

・カネディアン🔱が約400年前に倭国に渡航して来たと考えた理由

 

菅原道真が祀られた石祠と、もうひとつの国土を守護するという天乃神様が祀られた石祠。

菅原道真以外の天神の存在、それ自体が異国の神様だと考えられた。

 

何故、カネディアン🔱が約400年前の倭国に渡航したのかと考えられるのかというと、オボーに石堆を使うのはチベット仏教採用後から始まる。石堆を作るのは元々チベットの慣習だった。彼らが倭国に渡航したのは16世紀末から1641年(倭国の鎖国)ではないかと考えられる。元帝国滅亡後、北元の時代を経て、ドチン・ドルベンの時代(1388〜1691)に即位したアルタン・ハーンの在位中にオイラトに侵攻してカラコルムを支配下に置き、チベットやカザフスタン方面にも進出した。

 

1578年 アルタンはチベット仏教ゲルク派の高僧ソナムギャンツォと会見。16世紀末になると、シャマニズムに対するチベット仏教の排斥活動が進み、モンゴルのシャマニズムは衰微に向かった。とくに仏教受容が早かったのは、アルタンが統治した青海からオルドス、山西にかけての地域だった。16世紀の末から17世紀初頭。アルタンとソナムギャンツォとの会見からわずか20年程でモンゴルに仏教が広まった。

 

カネディアン🔱の中には、シャーマンはいなかったと自分は考えている。カネディアン🔱は仏教徒である。しかし、石堆形のオボーを作る。モンゴルの仏教受容後、オボーの祀り方にも仏教様式が取り入れられ、様々な制約が進んだ。テングリ信仰を依然続けながら仏教徒として生きていた。その時代、シャーマンが仏教から弾圧され、ついにいなくなってしまった。現代のカナダ村🎪にもシャーマンは存在しないであろうと思われる。

 

 

かつては石堆が高く積まれ、ルンタ(rungta)(風の馬)と言われる*五色の布が飾られ、木の枝などが刺してあり、そこには青い布が巻かれていたのかも知れない。

 

*⬜️🟦🟥🟩🟨

 

立札は、市の教育委員会ではなく、ここの村人が書いた。もし、市の教育委員会が説明書きを書いたら「国土を守護する天乃神」とは記さないだろうと思う。

 

祠や石祠の置いてある場所で、床の部分が円形になっている時点でそこは、石堆のオボーをどけた跡に見えた。通常そのような場所の床が円形である所は殆ど存在しない。

 

よってカナダオボー🐦‍🔥は、倭人によって建てられたものではない。カナダオボー🐦‍🔥にはモンゴル語の正式名称があるはず。

 

 

・まとめ

 

日本各地の集落には、独自の風習や神社祭祀がある。そのようなものをわざわざ突き詰めていくと、そこ独自のものではなく、日本発祥とも限らずユーラシア大陸の何処かと同じ事をやっている可能性があるという事が分かって来る。ユーラシア大陸から渡航して、ここに根付いている可能性もある、つまり、ユーラシア大陸にルーツがあるという事。日本人は単一民族・一枚岩ではないと私カルガリーは考えている。

 

例を挙げると、埼玉県新座市の新座とは、かつて半島に存在した“新羅”という国を意味する。同じく埼玉県の高麗郡の高麗とは、新羅と同じ時期存在した“高句麗”という国を意味する。古代朝鮮半島人ディアスポラ(オールドカマー)が倭国に存在するなら、中世モンゴル人ディアスポラ(ミドルカマー)が倭国に存在していても不思議ではない。カナダ村🎪も、“カナダ”とかいう珍妙な単語ではなくて、“蒙古”の国の名称を冠した地区名称にすべきかも知れません。新羅、高句麗が国なので、これも“蒙古村”に改名しようと考えている。カナダという単語はメルキト部族の言語で“村”を意味するので、外交問題に発展するのではないかと内心ヒヤヒヤ。幸いカナダと自称する部族などが現在では確認されていない。もしカナダ族なるものが存在したら、外交問題にも発展するだろうし何らかのトラブルが避けられなくなるだろう。

 

カナダオボー🐦‍🔥の説明が終わったので、以後はカナダ村🎪を蒙古村🎪と変更する。

 

 

非常に長い文章で申し訳ないと思いますが、こんな面倒くさい記事のご精読ありがとうございます😊

 

土地の主という意味のThe Delkhii bandの曲

 

 

《参考文献:特集◎モンゴルシャーマニズムの世界から モンゴル帝国時代におけるハーンたちの世界観について ソーハン・ゲレルト・早稲田大学モンゴル研究所客員研究員》

 

《参考文献:東海学院大学紀要 7(2013)  モンゴルのオボーの歴史 今井秀周。》

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宮ヶ瀬 清川村

2024年06月01日 | 自己満

だいぶ前に宮ヶ瀬湖畔園地に行った。

 

今日は本厚木駅5番乗り場から宮ヶ瀬行きのバスに乗り、終点の宮ヶ瀬湖まで行った。先日はその途中の「上飯山」で下車した。

 

牧民の遺構が見つかるか見つからないかは、天の采配が大きいという事で、遺構探しに凝らなくてもいいと思った。

 

*カネディアン🔱が倭人から略奪し、手に入れた和種馬や家畜の脚質は、日本の山勝ちな地形に適していて、山岳地帯を越える事も出来たのではないかと思う。

《カネディアン🔱: 約400前に日本に渡航して来た蒙古系遊牧民。現在、金田(カネダ)地区に定住している人民の祖先だと考えられる》

 

 

倭人は牧畜目的の家畜を飼育しておらず、農耕用か荷運び用の牛🐮や駄馬🐴非常食用の山羊🐐などを飼育していた。

 

峠を越えて、長野、山梨へ足を伸ばしていたのかも知れない。

 

山を登れど登れど更に高い山が現れる。終点の宮ヶ瀬に到着。

 

宮ヶ瀬ダム🦫は、中津川に完成した首都圏最大級の人造湖、ダムである。現在、神奈川県に欠かせない水源地となっている。

 

宮ヶ瀬のバス停を下車後すぐそこに宮ヶ瀬湖畔園地がある。ここは親水地で、芝生広場や、吊り橋、池のある庭園、カヌー🛶や焼き肉などが出来る場所も設けている。カヌー🛶は庭園の池で出来る。遊覧船に乗ってダムを航行する事も出来る。

 

バス停を降りて山と芝生を見渡す景色

なんて雄大な景色なんだろう!

 

宮ヶ瀬ダム🦫

 

宮ヶ瀬の未来を見つめるモミの木

 

説明書

群馬や長野のモミ🌲は、このような温暖で高温多湿な場所では難しいのかも知れない。

カネディアン🔱の家畜も、こんな高温多湿な相模國なんかより、長野・群馬など高原の方が快適なのかも知れない。

 

長野・群馬まで夏営地を求めて移動した年もあったのかも知れない。

牧民はその年の気候に合わせて営地を変更する。ある年はカナダ地区🏹🔥(ダルハン地区🏹🔥)、ある年は信濃國(長野)

 

庭園の池。この時期も良い。切り拓いて人工的に作った空間だが、それも良い。向こう側に見える疎に木がある所に馬を放牧したら絵になる。

 

吊り橋

 

池に浮かぶ島

 

吊り橋からのダム🦫

 

今日は、ダムの水が少ない。ダムの縁の薄い緑色の部分何だろう?鉱物にも見える。

 

吊り橋全景

 

この辺り一帯には元々、モミの木が自生していたらしい

 

自生していたモミの木🌲

ここ宮ヶ瀬は、長野のような寒冷地ではないがモミが自生するような植生であった。

先ほどのモミの木とは違う種類なのかも知れない。

 

モミの木の説明書

 

みやかぜみーや館に入る。ここは、クラフトなどの工房。

 

ネズミ🐭自分にはこのような個体同士の関係性が感じられるモノは作れない。

 

 

清川村・宮ヶ瀬水の郷交流館に入る。ここは歴史的な遺物や逸話などを展示している。

 

宮ヶ瀬の七不思議というコーナーがあった。そのひとつに、おとぼうが淵というものがある。

 

 

「オトボウよオトボウよテンゴボウが負われて連れていかれるぞい」

 

自分はこれを見て一瞬、何これ?と思った。*オトゴンテンゲル山🏔️(エンフ・タイワン)というものを連想してしまった。

《オトゴンテンゲル山🏔️: モンゴル国🇲🇳西部ザブハン県にあり、ハンガイ山脈に属する。標高4,008m。古くから神聖な山として信仰されている。》

 

考えられるのは、カネディアン🔱の父親と「オト坊」などと名付けられた息子との日本語での会話。「テンゴ坊」というのは別の息子ではないかと考えられる。

 

カネディアン🔱という蒙古人🇲🇳アイディンティティーを持ちながら、倭人と共存する複雑な立ち位置を表しているのではないかと考えられる。

家の外では日本語を話し、息子には蒙古名を残したいという想いがありながら、対外的には「倭人」として生きなければならない為、倭人男児にありふれた「坊」という呼称でよんでいると考えられなくもない。そして、山岳信仰のとても強い家族なのではないか?

 

或いは、倭人と共存するカネディアン🔱僧侶(チベット仏教僧(ラマ))は一般家庭よりも更に複雑な立ち位置であった。「〜坊」は僧侶の呼称。オトボウ、テンゴボウは、山岳信仰オトゴンテンゲル山🏔️信仰を彷彿とさせられるが、人名に坊をつけているのだろう。これは僧侶同士の会話という事が考えられる。状況と時代背景を考えると、平穏な話題ではない。彼らは外で日本語ではない言語を喋っているところを倭人に見つかると、身が危険である。江戸時代は異教徒と異民族に対する弾圧が苛烈だった。前者の親子でも、平穏な内容の話題とは限らない。

 

将軍徳川家と言われるが、正確には(征夷大)将軍徳川である。征夷大将軍は平安、鎌倉辺り迄で終わってしまい、蛮族が征服された時点でいなくなってしまったと勘違いする。

 

「征夷大将軍とは、東方の「蝦夷(蛮族)」を征討することを任とする大和朝廷の役職である。 権限の大きさから臨時にしか置かれなかった。 後に、武家の棟梁の称号となり、源頼朝の鎌倉幕府の頃より、武家政権の為政者としての意味を持つようになる。」

《引用: Yahoo JAPAN》

 

しかし、将軍とは、江戸時代になっても(征夷)の意味が含まれていた事が分かった。単にMilitary leaderを意味する武家政権の為政者ではない。

徳川家はMilitary Leaderであり、倭人以外の民族を討伐する役割もあった。倭人以外とは、外国人移住者、倭人化を拒む在倭異民族を意味する。徳川家は、有事の芽を摘む、紛争の芽を摘む為に、異民族を討伐していた。幕府としては天下平定の為、倭人一色にしたかった。

 

倭族とは、日本に於いて、時の主流民族を指した。日本の主流民族とは、戦で政権を勝ち取った民族を指す。邪馬台国の倭族と、大和政権(朝廷)の頃の倭族と、徳川時代の倭族はそれぞれ全く違う血統的種族であった。日本は昔から平和だったと言われるが、戦争ばかりをしている。

 

倭人というのは、ある郷土史資料によれば、倭族化した人を言う。元々血統的には異民族だが、倭族と同じ慣習で生きるようになり、日本語を話すようになり、倭族と同じ宗教に改宗し、倭族に吸収されてしまった人達をいう。

 

自民党一党独裁に通ずるような気もする。

 

オトボウ、テンゴボウの話に戻る

淵の近くで息子に語りかけている男の声が、偶然通りかかった漁師の耳に入り、漁師はこれを、淵の中の魚が、自分の悪口を言っていると勘違いして逃げ出したと解釈できる。

 

或いはそれと同様の会話を僧侶がしていた所を偶然漁師が通り掛かった。(以下同文)

 

淵の中の魚同士の会話で、ある魚が「オトボウ」という名の魚に話し掛けている。「テンゴボウ」という大魚が捕まえられ、背負われて運ばれていくと言う。漁師は、大魚を連れて行くと祟りなどが起きると思い、魚を置いて逃げ出してしまったのかも知れない。

 

昔の倭人には、自然界と密接に共存していると考える精神世界があった。

 

いずれにせよ、日常的に耳覚えが無い言葉なので不気味に聞こえたのであろう。

 

オトゴンテンゲルという言葉を知らなかったら、これを見ても反応できなかったのかも知れない。

 

 

 

昔の倭人は、現代では分かりずらい感覚の中で生きている。

 

遠くに見えるとうもろこし畑が、敵の槍に見えて自決した話などが書かれていた。

勝ち目がない戦だと思えば、敵を探る事や逃げる事を考えず自決する。

 

敵に囲まれた大将は、仲間の為に投降する。自分が犠牲になれば仲間の命を助けてくれると敵を信じる。投降した自身は殺されると分かっている。

自分が死んだ後、仲間がどうなるか責任が持てない。敵は敵だから裏切るに決まっていると思うが、敵も律儀に、自己犠牲の精神を重んじ、仲間を殺す事はなかった。

 

昔の倭人は、そのような精神で生きていた。

 

宮ヶ瀬の歴史

 

鎌倉から江戸の部分を抜き出す。

 

宮ヶ瀬を開墾したと伝承される人物は、井上角之承(イノウエカクノショウ)という。

 

鎌倉時代を過ぎた頃の宮ヶ瀬は足利の領地だった。今までに二度開墾されたという

 

宮ヶ瀬は江戸時代 天領(幕府直轄地)

その為、税収が安定していた。

 

歴史博物館の存在がとても有難い。オトボウ・テンゴボウに出会えた事もそうだが、歴史が調べてあるものがまとめてそこに置いてあるという状態がとても有り難かった。

 

清川村を経て帰る。

カネディアン🔱はこの辺りで狩猟をしていたのだろう。清川村は細長い構造の村である。山間部はどこもそう。

 

 

超越した者が、自分の注意を引こうとする力が働いているような気がする。

カネディアン🔱の行動範囲が限定されていない事や、営地をランダムに選定していた可能性のある事を考えると、どこでカネディアン🔱に出くわすか分からない。

 

普通、点が先に現れてそれを繋ぐ線を考えるものだが、自分には線が先に見えていたが「点」が見つからなかった。最近になって、線上に「点」が現れ始めた。

 

オトボウ、テンゴボウのおとぼうが淵の逸話は、今に伝える暗示を含んでいる。オトゴンテンゲル🏔️に関するメッセージ性がある気がする。

煤ヶ谷や宮ヶ瀬は山岳地帯である。

 

オトゴンテンゲルと直接関係が無くても何かありそうである。

 

この逸話で、自分たちの存在を後世に伝えたかったのでしょうか?

 

実際には謎の声も漁師も無かったのかも知れないけど。オトボウとテンゴボウを連呼する事で人々の注意を引く意図が垣間見える。

 

全く関係ない場所で込み上げて来て、堪えるのが大変だった。他人がいて恥ずかしかった。

 

江戸時代にはこういう話がめちゃくちゃ多い。

 

テンゴボウはどこに連れて行かれてしまったのか?

 

オトボウ、テンゴボウは多岐に渡る解釈が出来る。

 

「オトボウよオトボウよテンゴボウが負われて連れていかれるぞい」

 

韻踏みをしている。ラップの一文にも聞こえる。この歌詞の続きが知りたい。

 

ここ(宮ヶ瀬)迄来て再度カネディアン🔱に真正面から遭遇した。

 

以前、歩き回る事は無駄で馬鹿馬鹿しいと書いたが、歩き回る、出掛けるなどしないと得られない情報もある。これが貴重であったりする。

 

決してネットには載ってない事も多々ある。

 

ここ最近カネディアン🔱🇲🇳が出現する。

 

カネディアン🔱出現事例

 

・厚18系統 飯山行き路線沿線で出会った謎の石群を後で見返したところで、カネディアン🇲🇳は実在したと確信出来た事から始まる。石囲いの跡ではないかと確信。

 

・廣田千恵子先生が上げたインスタで、モンゴル国内🇲🇳で撮影したカナダ型🏹🔥かと考えられるオボー☸️🕉️を上げていた。

 

・ブルーオーシャンというラジオ番組のパーソナリティ住吉美紀氏が、自称「カネーディアン🔱」と連呼していた。

 

・清川村 宮ヶ瀬の観光地の歴史博物館で見た宮ヶ瀬の七不思議のひとつに「オトボウ オトボウ テンゴボウ」という声が聞こえたという話。

 

宮ヶ瀬湖畔園地は、連れや相棒など懇意にしている人と来る事を勧める。宮ヶ瀬界隈はバスより車での移動が良い。

 

オトゴン・テンゲル山。インスタからの引用であるが、その美しさがよくわかる。

長文のご精読ありがとうございます😊

 

《カナダ地区🏹🔥: 倭国にある地区名称。金田地区(カネダ)というものが倭人が定めた行政区画である。カナダ地区というものはモンゴル牧民目線でなんとなく定めた地区のひとつ》

 

*「カナダ(金田)🏹🔥」と使うのは、牧民が鏃などを盛んに鍛造していた事を意味するが、幕府軍や奉行などの火縄銃と牧民らの弓矢🏹と戦ったら戦果は一目瞭然、牧民らは火器の餌食。恐らく牧民らが幕府軍と相対し紛争が起きた時、彼らの約半数は戦死しただろうと考えられる。元寇の頃は「てつはう💥」という火薬型の火器を使ったが、西洋人の開発した銃は持っていなかった。これはモンゴル本国にいる人も同じであった。

 

ロシアのコサック軍とモンゴル軍が戦った時と同じでロシア軍の火縄銃が弓矢のモンゴル軍を打ち破った時のように、鉄器は火器には勝てなかった。

 

ご精読ありがとうございます。

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