斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

インパクトの強い音の踏切

2024年09月29日 | 遊牧アディクト

今日は脱力系のネタにしようと思います。

 

脱力系と言っても結局はトゥバ共和国ネタになってしまいます。遊牧アディクト(addict)もここまで来ると静止が効かない🎪

 

先日の鉄音、NHK鉄道研究会 鉄旅音旅 出発進行!のラジオ番組で、ダーリンハニー 吉川正洋さんの持ち込み企画で踏切特集を聞いた。開かずの踏切(横浜市にあるJR東日本「花月園前踏切」と京急「鶴見第4踏切」が並んでる場所)→山手線で唯一現存する「第二中里踏切」→小田急の踏切の音→「打鐘式踏切の音」打鐘式とはゴングを打ち鳴らす音→東京メトロ銀座線の車庫に出入りする所にある踏切→伊予鉄道のダイヤモンドクロスの踏切→近鉄名古屋線 高田本山駅構内踏切 以上。

 

期待していた踏切の音は出て来なかった。

 

箱根登山鉄道の「彫刻の森駅」の昔の踏切音を期待していた🚞

 

これは、だいぶ変わった音の踏切であった。

 

現在はありきたりな踏切音に変わった。

 

NHKに音源ないんだろな?

 

吉川氏のリポートありきの回なので、無理である。箱根登山鉄道のネタは上がったが「牛乳屋踏切」という名前だけは取り沙汰された。

 

変わった音とは、踏切の音の常識を覆した音である。

 

音源を探しまくった。

 

やっとあった!!

 

 

 

衝撃的な音である。

 

源音は弦楽器🎻なのだろう。余韻が弦楽器くさい。

 

《源音: 救急車🚑の音は木管楽器(笛🪈)でピーポー、消防車🚒の音はファン(扇風機のようなもの)でウー》

 

現代の大多数の踏切音は、ゴングを打ち鳴らす音🔔を電子音処理(デジタル化)したもの。

 

このインパクトの強い踏切音はアナログだ。

 

これは14年前に投稿された動画。非常に懐かしい音である。この映像を残しておいてくれて、とても有難い。

 

打鐘式よりも更にレトロという事なのだろうか?どこか牧歌的でもある。

 

箱根登山鉄道の踏切音は昔、全てこの音だったという。箱根湯本駅から現代の音になったらしい。

 

源音は弦楽器🎻といってもバイオリンではなさそう。バイオリンの音色はもっと優しい。

 

このインパクトの強い踏切の楽器には金属的な「キーン」という音が入っている。鋭い音だ。洋楽のオーケストラでは使わない特殊な弦楽器である。エレキギター🎸とも違う。この音をデジタル化したらエレキギターのようになるのだろうか?

 

 

最近、またトゥバ音楽を聴いている。思い込みかも知れないが、トゥバの弦楽器で“イギル”というものがある。

 

トゥバ民族音楽では重要な役割を果たしている。イギルは、非常に音が大きい。楽器自体も大きい。個性の強い鋭い音を出す。そして主旋律を奏でる事が多い。馬のいななく声もこれで弾く事が多い。

 

同じように弓で弾くタイプのブーザンチュは、優しい音色で、比較的小ぶりでバイオリンに近い音色である。主旋律を奏でる事は少なく、バックサウンドなどで活躍する事が多い。

 

イギルは、変な音の踏切に非常に近いと感じる。トゥバ音楽ばっか聴いてるから思い込みかも知れないが、音の鋭さなどが似ている。

 

以下は完全なる妄想だ。

 

箱根登山鉄道がこの音を踏切に導入したのは、昭和の中でも古い時代だ。昭和レトロというよりも昭和ロマンに近い。

 

この鉄道は1919(大正8年)に開業した🚃

 

ある時、箱根登山鉄道の鉄道員の一人が珍しい弦楽器を手にした。

この弦楽器がこの鉄道員の手に渡る迄の経緯は、この鉄道員の友人がソ連を旅行したか、仕事でソ連に渡航したか、はっきりとは分からないがソ連の地方都市、クラスノヤルスクを訪問した。

 

彼は闇市のような所で、見た事がない弦楽器を市場のおっさんに売りつけられ、断り切れず買わされた。彼はわけも分からず日本に持って帰った。そしてそれを持って友人であるその鉄道員の家へ行く。

 

鉄道員は興味を示し、弓で弾いてみた。すると、驚くほどクソでかい音が鳴るのであった。鉄道員は面白がり、これをねだった。そして、お土産として頂くことが出来た。

鉄道員は会社の飲みの席にこの珍しい弦楽器を持って行く。弦楽器を弓で弾くと、緊迫感のある大きな音が店内に轟く。関係ない客がめちゃくちゃ驚く。

 

会社の偉いさんが冗談で「踏切の警報音にうってつけだ!」と端を発した。周囲は、この楽器の音を踏切にしようというノリになる。

 

踏切音をバイオリンで演奏するのはスギテツの発想だが、楽器音を踏切に転用したがるのは鉄道員の発想であった。

 

この弦楽器の踏切音転用案は通った。

 

そして、演奏者は楽器の持ち主ではなく、バイオリン経験のある者。ラジカセを使ってカセットテープ録音を試みる。

 

試行錯誤の末、目覚まし時計のアラーム、タイマーのようなリズムが踏切音として効果的と判断され、ラジカセに向かって録音。踏切の信号の上下するテンポに合わせて演奏した。2テイクでOKが出た。

 

そしてテープ録音した音源が、箱根登山鉄道の踏切音となる。

 

この偉大なる弦楽器は、トゥバの民族楽器、「イギル」である。

 

昭和は本当に良い時代だった。

 

ソ連まで行かなくとも、満州引揚者が日本に持ち帰った物かも知れないし、イギルではなく、別の民族の弦楽器なのかも知れない。

 

この踏切に、このようなエピソードがあったらめちゃめちゃ感慨深い。

 

遥かシベリアの大地から箱根路へ…..

 

箱根登山鉄道の踏切、シベリア トゥバにルーツ

 

踏切の音は旅情をそそる。異郷への郷愁をそそるのは、ここだけしかない。

 

イギルの金属的な「キーン」というエッセンスは、トゥバの荒涼とした世界を想起させる。

 

残念ながら現在、箱根登山鉄道からこの音は消えてしまった。代わりに、ありきたりのゴング音のデジタル化されたものになった。

 

非常に寂しい。

 

踏切の音がキッカケで、このトゥバ楽器が欲しくなってしまった。

 

この弦楽器で旋律を演奏するとこうなる

 

 

ゆるい文のご精読ありがとうございます。

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ナーダム

2024年07月19日 | 遊牧アディクト

 

今日はモンゴルの国家ナーダム2024について。

 

《引用:mongolempire_インスタ》

この時期、Xではモンゴル在住の人やモンゴル研究者などが

 

”Сайхан Наадаарай”(読み:Saihan Naadaarai)と一斉にツイートしたらしい。この言葉はどうやらお祝いの言葉らしい。

 

ナーダム関連のサイトを見たときにこれがたくさん使用されてた。

 

今年2024年のナーダムは、モンゴル国樹立2233周年、モンゴル大帝国818周年、国民の自由と独立回復113周年、人民革命103周年を祝う。

 

他人のXによれば、今年のナーダム休みはЛхагва,долдугаар сар 10 -Даваа,долдугаар сар 15(7月10日水曜日から7月15日月曜日)モンゴルでの日付、曜日の表記はこうであるらしい。

 

モンゴル国の国家ナーダムは7月11日の革命記念日にちなんで行われる。ナーダムでは、ブフ(蒙古相撲)、競馬、弓射の3つの競技が行われる。ナーダムとは、モンゴルにおいて年に数回行われる国民行事、民族の祭典である。

 

まるで日本の武士の伝統競技みたいでとても親近感が湧く。

 

ナーダムの競技はどれも軍事教練だったものだとも言われている。(抜粋: NPO法人北方アジア文化交流センターしゃがあ @Mikiya_SHAGAA)

 

だから必然的に武士的になってしまう。

 

競馬の騎手は馬の負担を少なくするために、また通過儀礼的な意味合いもあって、子供と決まっている。(抜粋: NPO法人北方アジア文化交流センターしゃがあ @Mikiya_SHAGAA)

 

モンゴルというか、“遊牧民には通過儀礼という概念が無い“と誰かが力説していたが、実際のところどうなのだろうか?通過儀礼的な概念も社会主義時代にソ連から入って来たのだろうか?モンゴルには、古代からあったもののように見えて実は近年になって出来たものがたくさんある。馬頭琴はそれの代表格である。*カネディアン🔱は馬頭琴などという楽器は知らない。

《カネディアン🔱: 約400前に日本に渡航して来た蒙古系遊牧民。現在、金田(カネダ)地区に定住している人民の祖先だと考えられる》

 

 

ナーダムの始まりは13世紀チンギス=ハン👑時代にまで遡る。当時はモンゴルの建国記念🇲🇳・遊牧民の越冬・家畜の出産、またモンゴル国民にとって一番良い季節である夏が来たことを祝ったことが起源と言われている。

《参照: TECRA株式会社》

 

ある人の話によるとナーダムは匈奴(フンヌ)の時代からあったらしい。

 

ナーダムは元々オボー祭りであった。オボーとは、モンゴル族が石や木で円錐形に作った構造物。山や峠や水辺の近くに建てる事が多い。

 

モンゴル族はこれに天神地祇が降りて宿るとし(オボー自体を地祇とみる考えもある)

 

毎夏オボー祭りを行い、牛馬などの生畜またはその肉、乳製品その他を備え、五畜などの豊穣、息災その他を祈り、オボーのまわりをめぐり、かつ競馬、相撲、弓射を奉納する。(抜粋:コトバンク)

 

これがナーダムの起源とも言われている。

 

自分はモンゴル🇲🇳に行ってないが、他人のXやインスタで楽しんできたものを見ることしか出来ない。

《引用:yurts インスタ》

 

 

ナーダム開会式の様子

ナーダム大祭の開会式

 

 

お馴染みのThe Huも出演した。多分これは閉会式の時だろう?

 

 

 

 

ナーダム 相撲の動画

 

 

 

今年のナーダムではないが、ナライハという所のナーダムの競馬

 

 

弓射。2015年のナーダムの映像

 

 

 

 

いつか本当に現地に行ってナーダムを見てみたい。現実を考えると、それを実現させるのにたくさんの壁が立ちはだかる。円がこれからもっと安くなり、今以上に海外へ行かれなくなる。

 

円の弱体化以前に行けた人は幸いである。

 

最後に、今年ナーダムに行った人の動画

 

《YouTube 転載:shima 旅》

 

長文のご精読ありがとうございました😊

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Сар шинэдээ сайхан шинэлээрэй!

2024年02月10日 | 遊牧アディクト

 

Сар шинэдээ сайхан шинэлээрэй!

 

新年(旧暦)明けましておめでとうございます🪅🎊🎉

今日はモンゴル🇲🇳では旧暦の正月Цагаан сар(ツァガーンサル)です。

 

ツァガーンサルとは、モンゴル語で「白い月」という意味です。

 

モンゴルの旧暦は、毎年、お坊さんが決める。中国の春節とは違う日になる事が多いが、今年は同じ日になった。

 

ツァガーンサルの御馳走は、ボーズ(蒸し餃子)、オーツ(羊の丸茹で)、へヴィンボーヴ(巨大ビスケット)、ウズェムティボダー(モンゴル版赤飯?)、アイラグ(馬乳酒)、シミンアルヒ(乳蒸留酒)、アルヒ(ウォッカ)

 

その日は数多くの儀礼的な挨拶をしなければならない。一年で一番大切な日を祝う為である。

 

ツァガーンサルが近づくとどの家庭でも、ボーズ作りに明け暮れる。

 

ツァガーンサルに備え、一ヶ月も前から準備をする。

 

ツァガーンサルには、白いものが敬われ、黒いものが避けられる。よって、乳製品を食べ、腹黒い考えは口にしない。

 

子供達は、羊のくるぶしの骨(シャガィ)を使った伝統的な遊びをして過ごす。

 

地域によっては太陽が昇る頃に、近くの山のオボーにハダグ(マフラーのような形の布)やイデー(白い食べ物《乳製品》)、アルツ(香草)を奉納する。

 

新年3日目には、新年を祝う競馬をする。

 

🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳

 

日本の正月と比べても、年を越す事が非常に大変である。この事がよく書かれているサイトのリンク🔗を下に貼りつけた。

 

 

今年も良い年になりますように!!

 

今年の目標は、積読をしているこれらの本を読む事!!

 

旧歴の昨年はありがとうございました!

本年も宜しくお願い致します。

 

 

ツァガーンサル|ウンドゥルシレッドリバーサイドキャンプ

 

ツァガーンサル

1.  ビトゥーン(大晦日) 日本と同じようにゲルの大掃除が始まる。トーノを拭き、ゲル中のゴミを出し、お正月に備えて自分で刺繍を施したものを飾りつけたりもする。...

ウンドゥルシレットリバーサイドキャンプ

 

 

 

 

モンゴルの新年、ツァガーンサル

 

モンゴルの新年、ツァガーンサル - モンゴルで理学療法士

そろそろモンゴルの記事を期待して、いらして下さった方がガッカリされているような気がしてきたので、 モンゴルのことについて書きます。 随分経ってしまいましたが、モン...

モンゴルで理学療法士

 

 

 

ツァガーンサルの起源

(シリーズ)モンゴル・つれづれ日記(6)-旧正月を祝う-

岡山畜産便り2004年2月号 〔シリーズ〕モンゴル・つれづれの記(6) −旧正月を祝う− 三秋 尚

 

 

風の旅行者

 

モンゴルの旧正月 ツァガーンサル豆知識 | ツアー関連情報 モンゴル | 風の旅行社

ツァガーンサル(2024年は2月10日) モンゴルのお正月は旧正月で「ツァガーンサル(白い月)」と呼ばれます。

風の旅行社

 

 

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元寇の船

2023年10月24日 | 遊牧アディクト

鎌倉時代の“元寇の船”の一部か?長崎沖で新たに見つかる〜水深15mの海底

 

 

鎌倉時代の“元寇の船”の一部か?長崎沖で新たに見つかる~水深15メートルの海底(RKB毎日放送) - Yahoo!ニュース

鎌倉時代に九州北部に襲来した「元寇の船」が、これまで2隻見つかっている長崎県・伊万里湾で、新たな船体の一部とみられる木材などが見つかった。

Yahoo!ニュース

 

元寇を簡単に説明すると、1274(文永)1281(弘安)の二度に渡ってモンゴル軍、当時の元帝国による倭国(日本)への侵攻である。

 

その頃の倭国は鎌倉時代。北条時宗政権下だった。

 

これは弘安の役で元軍が撤退する際、日蓮が祈って起こしたいわゆる”神風”によって沈んだ元寇の船のようです。

 

学校の教科書では台風🌀”により戦わずして運に恵まれたとされていたが、実際には鎌倉武士による奮闘と、武士と島民の犠牲により倭国が侵略から守られたのである。

 

神風について、台風🌀という説と季節的に台風ではなく暴風雨との説がある。

弘安の役は7月であった。季節的に台風というのは、不自然という解釈で良いと考える。

 

これが神風になった経緯は、実際には武士の活躍によって撃退したのだが「武士が大活躍して国を守った」ことを絶対に認めたくない公家連中が「我ら公家が祈祷をしたお陰で神風が吹いて敵を撃退したでおじゃる」

「ほんに、そのとおり!全く武家共がバカ騒ぎをしおったが無駄な事でおじゃったなあ」

として広めたらしいとする説もある。

jok******さんのコメントより引用》

 

 

日蓮の祈祷説はいったい何処から来たのか?

 

それは取り敢えずおいといて

 

元軍の船は中国製(南宋製)の特徴があり、造船はモンゴル人によって作られたのではなく中国人に作らせていたらしい。

兵士は高麗朝鮮人で、モンゴル人は幹部や隊長のみだったらしい。

 

総大将はモンゴル人のヒンドゥとクドゥンといったらしい。

《阪急沿線民さんのコメントより引用》

 

元帝国の支配層はモンゴル人だが、国民の大半は中国人や韓国人やその他だった。モンゴル族の一般国民というのは、元帝国領土内のモンゴル高原と、中国大陸に遊牧していた。

 

元寇から750年も経っているのに3隻も構造物の特徴を留めているというのは奇跡だ!

 

海中に関わらず木材が朽ちておらず、遺物も含めて、潮に流されずそこにとどまっているというのも本当に奇跡中の奇跡である。

 

 

元寇というのは文献や教科書の中だけの物語などでは決してなく、本当に元帝国に侵攻され、武士が奮闘し、武士や島民の犠牲があったという実感が湧いた。

平和というのは、沢山の人の犠牲の上に成り立っているということを考えさせられた。

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ご精読ありがとうございました。

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遊牧民と産鉄について

2023年09月06日 | 遊牧アディクト

タタラ製鉄について、とても不思議に思うことがある。タタラ製鉄のタタラの語源とは何だろう?

 

タタラ製鉄について

タタラ製鉄とは、日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法。炉に空気を送りこむのに使われる鞴(フイゴ)が「タタラ」と呼ばれていたために付けられた名称である。

 

タタラという呼称そのものの語源については不明であり、確実なことはわかっていない。

 

一説によれば、サンスクリット語で熱を意味する「タータラ」に由来すると言い、他にもタタール族を介して日本にもたらされたためとする説がある。

 

他にも大和言葉に語源を求める説もあり「叩き有り」からの訛化、簡略化であり「踏み轟かす」の意、とする文献が存在する。

《参照: Wikipedia

 

自分的には最後の大和言葉説が最も有力だと思うが、浪漫を追うなら「タタール族」説を推したいと思っている。

 

騎馬遊牧民には製鉄技術を持つ民族がいる。

NHKオンデマンドで過去のNHKスペシャル「アイアンロード〜知られざる古代文明の道」を見た。

 

ユーラシア大陸には東西を結ぶ道がある。ひとつは「シルクロード〜絹の道」と言われるローマから日本列島に至る道である。

 

シルクロードは紀元前2世紀から15世紀半ばまで活躍したユーラシア大陸の交易路網。ひたすら砂漠地帯を通る道である。オアシスロードとも言われる。

 

 

もう一つは「アイアンロード〜鉄の道」と言われるトルコ🇹🇷アナトリアから日本列島に至る道である。ここは草原地帯を通るため、ステップロード、草原の道と呼ばれている。シルクロードよりも古く紀元前24世紀頃から始まり、紀元2-3世紀に鉄の製造技術が日本に到達した。製鉄技術が通った道である。

 

シルクロードは文化の通り道に対し、アイアンロードは鉄器、つまり武器。

国家間の争い、国の興亡に直結する。

 

トルコ🇹🇷アナトリア地方カマン・カレホユック遺跡で紀元前24-23世紀、人類初の鉄の製造が始まり、ヒッタイトスキタイ匈奴(キョウド・フンヌ)と製鉄技術が伝播して行った。

 

万里の長城を挟んで

スキタイ朝鮮日本

 

と日本に伝わってきた。日本はまだまだその頃弥生時代。

 

紀元前17世紀にアナトリアの荒野にヒッタイト人が建国し、鉄を量産する。この荒野がかえって鉄を作るのに適した気候条件であった。絶えず強風が吹き、炉の高温を保つのに都合が良かった。

 

*人類初で製鉄を行ったのはヒッタイト人ではないとする説もある。

 

当時、鉄は青銅製の武器よりも硬く青銅を簡単に折り砕く最強の武器だった。

鉄は戦略兵器と言っても過言ではなかった。

ヒッタイト人は当時最強の大国エジプトと核外交のような外交戦略で鉄を利用し、平和条約を結んでいる。

 

紀元前12世紀、鉄の量産はスキタイ人へと移る。スキタイはアルタイ地域という、現在のロシア🇷🇺カザフスタン🇰🇿中国🇨🇳モンゴル🇲🇳4つの国が交わる地域にある。

 

スキタイの人々は金工を得意とし、金工装飾馬具や金工装身具などの芸術を残している。

鉄も熟知し、鉄の薄い刃、槍なども鉄器化していた。

 

そして最も優れた発明は、戦いの機動力を上げ移動革命を起こした馬具の銜(ハミ)

馬の口に装着し、馬をコントロールし、長距離の移動を可能とし、戦闘を有利にさせた。

これを利用した騎馬スキタイ軍は当時の歩兵強大国ギリシャ帝国を撃退した。

 

紀元前3世紀、産鉄技術は万里の長城を挟んで匈奴と漢に分かれる。

匈奴は冒頓単于(ボクトツゼンウ)の時代に12基の製鉄炉を持ち、漢を圧倒し前漢の初代皇帝劉邦を苦しめた。弓矢🏹の鏃(ヤジリ)に強靭な鉄を用いていた。

鏃は製鉄炉にて量産していた。鏃は甲冑を貫き、一度刺さると抜けにくい形をしている。

 

その後漢は、前漢全盛時代の武帝の時に高炉、そして強靭な鉄を生む炒鋼炉を作り出した。そして対匈奴戦争を開始し、匈奴に勝つ。

 

日本では朝鮮半島から稲作が伝わり、鉄器が入って来て農具や武器になった。その頃日本に伝わった製鉄技法が「タタラ製鉄」と呼ばれる。じきに村同士の戦争が起こるようになり、国が出来ていった。

《参照: クマケア治療院日記》

 

騎馬民族は製鉄と切っても切り離せないという事が解る。

 

鉄を制するものは世界を制する。

 

中央アジアのウズベキスタン🇺🇿やカザフスタン🇰🇿などでは、金工アクセサリーや銀工アクセサリーの制作が現在でも盛んだ。

モンゴルにおいても、女性が金属で飾り立てている。遊牧民と金属の関係の深さが窺える一端である。

 

それらは装飾馬具文化と元が同じだということも想起出来る。

 

 

 

話は始めに戻って、タタラ製鉄の語源の話。

 

前前回のブログに、テムジン(チンギスハーン👑の本名)という名前は「産鉄」を意味する。と書いた。

 

テムジンはテムルチ、すなわちモンゴル語で「鉄を作る人」「鍛治職人」の省略形になる。

《参照: AI技術でウマ娘と化したオゴイ》

 

実際にチンギス=ハーン🐺🦌は鍛治職人だという🔥🗡️⚒️🔨🛠️🔥

 

チンギスハーンを表す言葉として「鉄の音」と称する書簡も存在している。

 

対外文書の中からモンゴル帝国の首都ハラホルム(カラコルム)を訪れた修道士ブルクが12547月に帰国する際、当時の大ハーンであったムンケ=ハーンからフランス王ルイ9世に宛てた服属呼びかけの文書の中にそれはあった。

 

「永遠なる神の命なり。天上には唯一の永遠なる神いまし、地上には唯一の君主チンギス=カン、神のみ子、テムジン=ツィンゲイすなわち「鉄の音」あり……

《参照: モンゴル帝国時代におけるハーンたちの世界観について ソーハン・ゲレルト》

 

これから見ても解るように、モンゴルの遊牧民の間でも産鉄が盛んであった。やはり鉄を制するものは世界を制する。

 

満蒙およびシベリアの鉄器文化も極めて古い。

製鉄技術の源流地とされる中央アジアで鍛鉄奴隷であったトルコ系民族の*突厥(トッケツ)、いわゆるダッタン人が、放浪のままに鉄冶を広めていったと言われている。このダッタンの語源であるタタールが転化して倭国の製鉄炉を「タタラ」と呼ぶようになったとも言われている。

《参照: 「たたら製鉄」と「鉄穴流し」による山地の荒廃と土砂災害 一般財団法人 砂防フロンティア整備推進機構 砂防フロンティア研究所長 森俊勇》

 

 

突厥: 6世紀頃に強大となったアルタイ山脈を本拠地とするトルコ系騎馬遊牧民の国家。

突厥ははじめ柔然に服属していたが、優れた製鉄技術(アルタイ山脈は鉄鉱の産地であった。)や「草原の道(アイアンロード)」の交易の利によって力を蓄え木汗可汗(ボクカンカガン)のとき柔然を滅ぼし(555)、ササン朝のホスロー1世と結んでエフタルを滅ぼして(567)、モンゴル高原からカスピ海に至る大帝国を樹立した。

《参照: 世界の歴史まっぷ 内陸アジアの新動向》

 

ちなみにカザン・タタール人が話すタタール語というのもテュルク系言語だ。

テュルク語というのは突厥語を指す。カザン・タタール人は自称タタールの集団であると言われていて、本物のタタールは東タタール、つまり現在のモンゴル族を指す。

しかし、突厥はダッタン人=タタール人という事は、カザン・タタール人はまんざら自称タタールでもない。

 

西タタール(カザン・タタール)と東タタール(モンゴル族)との関係とは。

 

「タタラ製鉄」の語源はやはり「タタール製鉄!」

 

大和言葉によるものではなく、これであると信じていたい!

 

タタール人はやはり産鉄民族だったのか!

 

今までタタールとタタラ製鉄というのが、私の頭の中で繋がらなかったが、NHKや様々な人のブログや論文の助けもあって繋がることが出来た。

 

この複雑な内容を分かりやすく纏めるNHKの凄さ。

 

草原の道(ステップロード)がアイアンロード(鉄の道)とも言われている事も分かっていたが、その繋がりも良く解らなかった。

 

なるほど!そういう事なのか。

 

中央アジアに金工モノがやたら多い事や、タタラ製鉄という呼称、テムジン=産鉄、金田ホト(カネダ=カナダ)の宿営地集団、馬塚の埋葬品(金属性の装飾馬具)…..

 

これらの関係が全て関連していた。もしかしたらモンゴルの「アルタン」人名・地名の由来も遠くない理由かも知れない。

 

「草原の道」は奥が深い。

 

自分が遊牧ネタに足を染めた頃、「草原の道」を自分の守備範囲にしていた。

「カルガリー」という北緯50度前後にある経済特区とその周辺の大平原と美しい岩山のインスタ写真が全ての始まり。

 

私はそれを突厥の故地と呼び、理由もなく愛でていた。

 

しかし昨年の今頃、5人ぐらいから指摘を受け、「カルガリー」とその周辺、アルバータ草原及び岩山は「全て北米のもみじ国🍁」と言われ、自分の勘違いに気づき、それ以降「草原の道(ステップロード)」から遠ざかってしまいました。当時自分がステップロード(草原の道)だと思い込んでいた道は北米のもみじ国🍁の(Trans もみじ  Highway 1号線🍁)のアルバータ州からマニトバ州間(プレイリー(草原)3州という北米のもみじ国🍁内陸)でした。

 

北米大陸には産鉄の歴史はありません(現在はあるが、ここでいう産鉄の歴史とは、北米先住民の歴史を指す)

北米だけでなく中南米にも、先住民による産鉄の歴史は存在しない。

 

北米先住民にはアジア系の顔の部族もいる。先住民とユーラシア遊牧民、顔がよく似ていて、先住部族によってはシャーマンの姿など遊牧民に酷似している者もいる。

 

どこでファーストネーションズなどと遊牧民の区別をつければ良いのか?

それは、金工装飾の有無。ファーストネーションズ(北米先住民)の民族衣装には金工装飾が皆無である。

 

一旦草原の道から離れたが、紆余曲折を経て、色々な要因が重なり結局「草原の道(ステップロード、アイアンロード)」に帰って来ることが出来た。

 

やっぱ文献読み漁りは面白い。これからも文献をいっぱい読み漁りたい!

 

結局私の守備範囲はステップロード。

 

という事で長文のご精読ありがとうございました。

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