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斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

モンゴルの移動住居🎪を販売している西側の企業

2025年04月12日 | 中央アジアその他

モンゴルの遊牧民の移動住居(ゲル)を販売しているカナダの企業がある。(この場合北米のトルドー国を指す)

 

 

2003年から北米全土及び世界中にゲルを届けている“Groovy Yurts”という企業である。

 

この会社のモットーは「Come Full Circle」

 

日本語訳は「完全な円環を描く」 「一周して来る」

「(円を一周して)元の位置に戻る」

物事が始まりから終わりに達し、再び元の状態に戻るプロセスを表す。

 

これはモンゴル的な思想、哲学なのではないか?と期待したが、英語でこの一文の訳が検索結果に出て来たので英語的な思想、哲学らしい。知らんけどw

 

モンゴルのゲル職人が作ったユルト(ゲル)🎪を輸入し、北米全土及び世界に販売している。

 

モンゴルの職人が作った天窓

 

 

 

ウランバートルの工房にて

 

 

 

このトラックで全世界にお届けに上がる

 

 

 

ゲルのパーツが隙間なく詰められている

 

 

 

 

モンゴル牧民のゲル運搬は、ラクダ2頭🐫🐫かヤク3頭🦬🦬🦬で。

 

 

*私が言うのは“釈迦に説法”だが、ゲルとユルトは別物。これはゲルである。

 

ゲルは主にモンゴルで使われる中心の二本柱により支えている比較的天井の低く、広い円形移動テント住居である。

ユルトは主にカザフスタンやキルギスなどのテュルク語圏で使われる柱のない屋根の梁によって支える比較的天井の高く狭い円形移動テント住居である。

 

🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪

 

グルービー・ユルト宣材投稿

 

 

このアカウントでは

会社の職員の写真

 

ゲル(ユルト)を作る工程動画

 

ゲルを構成する素材についての説明

 

ゲルの用途

 

ゲルを購入した人の記念写真

 

北米の様々な場所に建つゲル

 

モンゴルの行事(ツァガンサル《正月》)(ナーダム《夏の祭り》)

 

モンゴルで関わった家族や周囲の人達

 

モンゴルの景色

 

北米でのイベント等を揚げている。

 

会社の職員は大勢いる。彼らは研究者ではなく、ビジネスなので宣伝PR色が強い。

 

ゲルを売るだけではなく、レンタルも行っている。

 

会社所有のゲルの中

 

 

モンゴルの伝統に則った内装デザインである。

 

最大のゲルは、ヴィヴァン(VIVAN)(2023・夏のドラマ)のテントという組織のゲルぐらいデカいのではなかろうか?

 

それより大きい、クリルタイ(大モンゴル帝国の国会に当たる)が開けるぐらいだったりして。

 

 

 

 

ゲル内装のモデルケースの1つ

 

このアカウントの元の言語は英語である。時々フランス語の表記も見られる。

 

 

 

ゲルの使用目的は多種多様に及ぶ。

 

オタワのホリデーマーケット。冬物を扱っている。内装の一部をアレンジ

 

 

 

オタワ ゲルの中で冬のビールイベントが開催される

 

 

オンタリオ州・ナイアガラのアイスワインイベント開催

 

 

 

プリンス・エドワード島にあるグランピングその他の施設での使用。宿泊棟、その他に使用されている。

 

 

 

ヨガ棟。ゲルにトルコランプを吊るしている。

 

 

 

鶏小屋。扉のみゲルと同じ扉を使用している。

 

 

 

変なホテルではないけれど….その類

 

 

 

シャーマニック直感的なヒーリングツアー

 

 

その他、別荘として購入する人や、住居として購入する人もいる。

 

 

 

ユーコンの森の中にゲルを建て、居住している。

 

🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲

 

色んな場所に建てられたゲル

 

 

アラスカに建てられたゲル

 

 

湖上のゲル

 

 

オーロラ降る夜に建つゲル

Kearney,Ontario

 

 

Ottawaの国会議事堂の敷地内に最大級のゲルを建てその中でクリルタイを開くという用途もありだと思う。

知らんけど🍁

 

 

 

会社所有のゲル、クリスマスバージョン

 

 

 

お客様の購入したクリスマスアレンジゲル外観

 

 

 

そのゲルの中から壁を撮影したもの

 

 

 

 

6月21日の先住民の日を祝うイベント

米 サウス・ダコタ州 Standing Rock Indian Reservation

 

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この企業は、結婚式を主催している。会場としてゲル空間を提供し、ゲストは現場で一晩泊まることが出来る。

 

ゲルを購入したお客さんに対して、窓の取り付けやキッチン、バスルーム、家具、家具装飾、換気装置、屋外リビング空間 等の取り付け工事を提供している。

 

購入したゲルのメンテナンスも行なっている。

 

インスタを書いているのは、多分社長本人だろうと思う。

 

彼の文章からは、モンゴルに対する多大な敬意が伝わる。彼自体の考えが非常にモンゴルの牧民的であるように見える。

 

モンゴルと実際に関わっているうちに、モンゴル的な価値観に移行して行ったのだろうか?

 

モンゴル的な考えだと思えるキーワードをよく発している。

 

伝統、継続性、自然との調和、対不確実性、逃げ道、文化の尊重 etc…

 

探せば数えきれない程たくさんある。

 

賞賛や慶辞や祝辞の言葉使いが美しい。

 

このアカウントはモンゴルについて非常に詳しい。自身もこのアカウントから知識を拝借した。写真も借用させて頂いている。

 

 

 

 

日本人でこれと同じ事を生業にしている人もいるはずだと考えられる。

災害で家屋を失った人に、ゲルを提供している人もいるのではないかと考えられる。

 

実際にゲルは移動住居である為、定住家屋を失った後安全な場所に移動し、ゲルを建てその中で生活する事は可能だ。ゲルは暑さ、寒さにも強い。

 

キャンプ用のテントよりも快適に生活する事が出来る。

 

避難所や仮説住宅よりは遥かに良いだろうと思われる。

 

 

ご精読ありがとうございます🎪

 

《Groovy Yurts公式アカウント掲載》

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NO MAN‘S LANDと掛けてNOMAD’S LAND

2025年03月21日 | 中央アジアその他

今日は少し面倒くさくて、とても長いので無理して読まなくてもよいです。

 

No Man’s land(ノー・マンズ・ランド)とは“無人地帯”

無人地帯とは、どの勢力からも占領されていない土地のこと。中間地帯ともいう。

 

今回自分の記事で扱うのは、勢力とか法とかいう意味ではない。

 

敢えて“勢力”というのなら、その勢力は“定住農民”である。

 

自分が40年来住んでいる相模原市の大半の部分である平原地帯は、日本では非常に特殊であり”稀有“な土地であると思う。

 

相模原はかつて”NO MAN’S LAND“であった。

 

農民以外は人間ではないというと語弊があるが、この場合の人間、つまりMENとは“定住者”を指す。

 

まず、相模原について。相模原とは、本州の内陸部に位置する地方自治体である。神奈川県に属するが、山梨に割と近く、気候は“寒温帯”に属すると言われている。(芝生などが寒地型のものが植えられている)

 

山岳地帯もあるが、大部分は平原である。風通しが良く、苔なども定着困難らしく、ブロック塀や凹凸のある塀や石垣などに生えていない。その代わり、温暖湿潤な場所での自生例が少ないと言われる外来種の“セイヨウトゲアザミ“がだだっ広い野っぱらに蔓延っている。相模原の植生は、落葉広葉樹や針葉樹が自生する。常緑広葉樹は、庭木に多い。

 

昔は水を得るには井戸を掘る以外無かった為、相模川沿岸以外は、稲作が不可能であった。

 

そこら辺のだだっ広い畑には、桑や栗やクルミや蕎麦やゴボウなど、水を喰わない作物がたくさん植えられている。そして畜産や養鶏が盛んである。乗馬クラブも多い。

 

相模原は内陸性気候である。冬は厳寒だが、夏は涼しい気候であった。しかし近年の酷暑により、フェーン現象で沿岸部より暑くなっている。夏は石焼きビビンバが出来るようなジリジリとした暑さだ。東京などの、しっとりとした肌に優しい蒸し暑さが好もしい。

但し、梅雨どきは蒸し暑い。夏が進むにつれて空気が乾燥してくる。

 

 

まず、こんな内陸の平原を日本国内で探すのは難しいと思う。地元の婆さんが昔々、アメリカのノースダコタ州のペンビーナという、どちらかといえば北部といわれる側に住んでいたらしい。

 

ノースダコタ州の田舎と、相模原の平原は、暑さや寒さと、殺伐としたところがそっくりだという。昔の相模原は家やマンションなどがなく、もっと広く殺伐としていたそうである。現在よりもノースダコタに似ていたという。

 

そんな事を思い出した。ノースダコタ州というものをググってみた。まさにアメリカのど真ん中。北米大陸のど真ん中といっても過言ではない。こんなど内陸に似ているのか。暑さや寒さが似ているのはどういうことだろうか。気候の系統が似ているのだろうか。ノースタコダの方がもっと寒いはずだと思う。相模原が本気出しても、真冬の大寒波が来た時のその冬一番の最低気温でせいぜい氷点下15°ぐらいまでしか下がらない(自宅庭の温度計による)近年は暖冬傾向の為、そこまで下がらない。温暖な気候である。米国に比べればだいぶマイルドだが、気候の系統が似ているらしい。横浜や三浦半島などの沿岸部とは気候の系統が全く異なる。三浦半島の植生は、相模原と異なり、常緑広葉樹や竹が自生しているらしい。

 

ノースダコタ州の写真を見る限りでは、水や土壌に恵まれているようだ。そして、米国内でぶっちぎりで人口密度が低く、米国一田舎…らしい

 

話は戻る。相模原と同じ条件の内陸の平原を日本で探すのは困難である。

 

(グリーンタワーの景色)

 

日本の約70%が山であり、平地はその残りである。

 

日本で平地と言われれば、関東平野や濃尾平野などが挙げられる。関東平野は川がたくさん流れる水田地帯である。かつては湿地帯だったのだろうか。濃尾平野も水田地帯が多い。川を治水して埋め立てて出来た標高0メートル地帯のような平地もたくさんある。アキドチャンネルというYouTube チャンネルは、用水路や上水道を追う動画だ。それには古地図などもでてくる。現在の水田地帯は、かつて湿地帯だった場所が多い。北陸や東北にも平地が広がっているが、水田の広がる米どころである。

 

平地は水田地帯の他に“盆地”と云われるところもある。秦野も甲府も京都も内陸の盆地である。

四方を山に囲まれた平らな土地である。

 

相模原の景色は、ひとつの方向に丹沢という山脈が見えるが、それ以外には何も視界を遮るものなどがない。

 

(グリーンタワーの景色・丹沢山塊)

 

相模原は“台地”という部類の平地である。台地とは、周囲の平地と比較して台状に盛り上がっている平らな土地である。標高がもっと高ければ高原と云われる。

 

相模原市の領土の大半は、相模野台地に属する。多摩丘陵と相模川に挟まれた非常に広大な台地である。相模原市は相模野台地の北半部に位置する。北半部は、台地を開析する河川が無い為、このような広大な平地が出来てしまった。ここは日本屈指の“水から遠い地域”と称される。(硫黄島とかはカウントしていない)

“水”というのは地上にある水のことであり、地下には豊富な水がある。その為、水を得る為には井戸を掘る以外にはなかった。

 

井戸の水だけでは田は以ての外、畑であっても農業は難しい。昔は、農業が出来ない土地には定住する意味がなかった。相模原に畑作灌漑用水が引かれたのは近世であった。しかし宅地化の為にすぐに廃れてしまった。

 

(グリーンタワーからの景色)

 

相模原は歴史がとても浅い。そのほとんどが、近世(江戸末期や維新頃)から始まっている。稲荷神社一つとして存在しない地域が広範囲に渡る。近世に出来た寺社や近世に移転して来た寺社などはいくつか存在する。

 

勿論相模原市内にも、歴史ある場所は存在する。相模と甲斐の国境にある山城などもある。

 

“台地”と云われる地形の場所はどこも相模原のような感じなのだろうか?

 

自分はそういう土地は相模原しか知らないからどうとも言えない。

 

(グリーンタワーからの景色)

 

“魚米の国、日本”という謳い文句からは完全にかけ離れている。

それだけ日本という国は海が身近であり、水に恵まれているという事であろうか?

“日本は水に恵まれている”というマスコミなどの発言には多少の違和感を覚える。

日本は砂漠や土漠の国ではないから、そういう意味では“水に恵まれている”と思う。

 

相模原は水に恵まれない為に、派手な農産物などは出来ない。派手とは、水分を多く含んだ水々しい農産物を指す。

 

(小規模な桑畑)

 

まずは“米”。次は“果物”。甲州や信州などは、葡萄やりんごなどが獲れる。静岡や湘南などはみかんや湘南ゴールドなどの柑橘がある。きゅうりやトマトや茄子などの“夏野菜”。それらは水を喰うのか、温暖な場所でしか獲れないのかよく分からないが、それもそんな畑は見た事がない。“葉物野菜"も水を喰うのか?畑を見た事がない。“南瓜”や“とうもろこし”の畑は、たまにある。

 

歴史はほとんど近世から。それ以前は”定住者“がいないNO MAN’S LANDだった。法的にはどこかの藩の領土だったのだろうが、台地一帯は人が住んでいなかった。

 

(横浜水道道)

 

現代では考えられないが、江戸以前の中世、古代には、定住者の他に“放浪者”が存在した。英語のNOMAD(ノマド)とは、遊牧民という意味そのものではなく、”流浪者“ 渡り者“など、放浪者全体を指す。

 

鎌倉・室町ぐらい昔に遡ると、農業以外で生活をしていた人たち、つまり、封建社会体制の支配に属さない人たちは差別されていた。

 

定住しない人間は農業をしていない。日本のNOMADとは、封建制度の支配を免れ、農民たちから差別されていた。NOMADは、農民が侵入出来ず、定住出来ない相模原で活動をしていた時期もあると考えられる。日本の農民という人たちは、絶えず他人や誰かを監視していた。

 

一千万総相互監視社会である。*中世の日本全国にそんな人口居たか知らんけど日本列島は元々人口が多く、人口密度も高かったと言われている。

 

農民による干渉や侵害を受けることなく、自由に生きることができる環境。それが中世の相模原だった。

 

(緑道の紅梅)

 

封建社会体制と農民の世界だけが日本ではない。農民側の史観では、封建社会体制や農民は“内”であり、NOMADは“外”の存在であった。昔、「我々は、円(マル)の中で守られている」という表現をきいた事があるが、それは農民史観の名残りであろう。

 

中世日本の農民は魚群のようでもあると思う。群れを作る雑魚は、非常にとても臆病で、弱い。だから群れなければ生きていけない。群れなければ生きていけないと彼らは思い込んでいるのかも知れない。魚群は、1匹がビビると、ビビりが群れ全体に伝播して、集団ヒステリーになる傾向がある。

 

鰻や河豚や蟹などのように肉を喰って単独で生きる生物は、雑魚に比べて頑健であり、群れを嫌う。

 

農民たちは、お上から管理される事が喜びでもあったようだ。管理される事によって、守られていると感じ、お上を信頼する。お上にとって当時の農民は扱い易かったであろう。誰かの歌で「ボクたちは弱虫だ。だから手を繋いで太陽の下で耕そう」というワンフレーズがあった。農民史観の名残りであるように思える。

 

農民史観以外の日本が存在した。

 

アナザー・ジャパン(もうひとつの日本)である。

 

相模原のノースダコタのような景色はアナザー・ジャパニーズが見てきた景色ではないかと考えられる。

 

何十年住んでいてもふと感じる事は、相模原は、どこか開放的な気風があって、日本的情緒ではない。大陸や異国からの風が吹いている数奇なところである。と。他の市町村に比べるとより強く感じる。

*相模原は風が強い日が多い

 

たまに近所のご年配たちから耳にするのは、相模原と厚木の人たちの社会は、閉鎖的ではないという。(裏にはその周辺の地域が閉鎖的な社会と言っているような気がした。)

その擦り込みなどもあって、相模原が開放的に思えるのだろうか。

 

過去にこんな記事を書いた。

中央アジア北部の風を感じるもの - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

この記事は、カルガリーちゃんねるの初期に書いた。

 

相模原に40年以上住み続けて、自分は水に困った事も無ければ、凍えて死にそうになった事もない。

 

開放的な気風を感じさせるのは、多分、NOMAD(放浪者)が自由に生きていたゆえであろう。相模原は、素晴らしいところである。ここに縁がある事に感謝している。

 

長文のご精読ありがとうございます♪

 

米軍接収地・米軍住宅

 

米軍接収地・米軍住宅

 

米軍接収地・米軍住宅

 

空地・天然の植生

 

相模川・三段の滝多目的公園から撮影

 

相模川沿岸地域の米穀倉地帯

 

相模川沿岸地域の米穀倉地帯、河津桜

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トルコキリム展2025「暮らしを彩るキリム テュルク系遊牧民の手の技」

2025年03月01日 | 中央アジアその他

場所は代々木上原ハコギャラリー 2/21(木)-24(月)

 

 

店の入り口から、先日書いた“救養草”のような香りがした。

 

トルコ料理に使われる香草か、キリムの布から漂うのか?

 

 

 

雑貨のマルシェノスノスさん他と、トルコ料理のKeyif さんの他のコラボ企画である。マルシェノスノスさん側はキリムを販売している。

 

キリムとは、トルコやイラン、コーカサスなどの中近東の遊牧民の伝統的な平織りの織物

 

遊牧民の女性の手仕事。女性が家族の幸せや健康、繁栄の願いを込めて織る。同じ物は一点として無い

 

 

これはアゼルバイジャン🇦🇿の布である

 

 

 

 

コーカサスキリム 織られた地域と特徴

 

キリムの値段

 

 

チェチェンフェルトの説明

 

 

チェチェンフェルト

 

 

 

 

 

 

 

置いてある真四角の布の中心のまるの中に刺繍されている模様は、腎臓模様といって、豊かさや富の象徴である。

 

人がいて、撮影出来なかったものもある。すまん。

 

読者様はどれが好みですか?

 

 

 

山と羊群の絵は家に飾りたい

 

 

仔羊の皮を剥いだのだろう。リアルな羊毛で触ると気持ち良かった。

 

キリムやカザフ刺繍やフェルトなどの遊牧民の手仕事の柄は、曼荼羅のように、模様ひとつひとつに意味がある。遊牧民の生きる為の智慧や、家族の幸せや繁栄を願って丹精込めて織っている。近いもので言えば、日本の晴れ着であろう。

 

カザフ刺繍のトゥスキーズ布は、全体の構図が曼荼羅に似ている。カザフスタンはイスラム教徒が多い国だが、モンゴルにも近いし、仏教の影響もあるのではないかと思っている。或いは遊牧民が仏教に影響を及ぼしたのか。遊牧民の作るものは、音楽にしても、*トライバルラグ(キリムやギャッベなど)にしても、経典の要素がある。

《トライバル:部族の》

 

遊牧民の作るものに、くだらないものなどない。

 

ところで、自分は仏教だのイスラム教だの書く割に、“宗教”というものがあまり良く理解出来ていない。

 

日本で、所謂”宗教“といえば、カルト教団を連想してしまう。カルト宗教については、詐欺犯罪組織とさえ思っている。カルト教団に入るくらいなら、神や仏を極める人は、自分で修行して、己で悟りを開けば良いとたまに思ったりもする。カルト教団は巧妙な手口で、善良な市民を騙す。その市民が神や仏を求めていなくても関係なく勧誘し、入会させて金を搾りとる。信徒は何も悪くない。

 

檀家や氏子のように先祖代々信仰しているものに漠然と所属する。そんな感じで良いのかも知れません。そういうのが何もない人は、初詣や、地元の神社参拝。先祖のお墓参り。そんな感じでいいような気がします。いかにも、にっぽん人な意見ですみません。自分にはそれしか解りません。信教の自由があるから何も口出し出来ないので何とも言えませんが。イスラム教徒などは、先祖代々信徒をやっているのだろうと思われます。

 

 

ジョージア🇬🇪に某カルト教団の信徒がいない…らしい。その教団は世界的に拡大して布教していたらしいが、ジョージアだけには信徒がいないらしい。一説によるとジョージアでは“人権教育”なるものを公教育で施している為だといわれる。その教団の教義内容と、教団が信者に課すものが、目に余る程の“人権侵害”であるらしい。

ジョージア人に教団の教義を説いても、人権侵害だ訴えるぞ!といわれるだけで、布教出来ない有様だったと、想像に難くない。

 

コーカサスキリムの話から、ジョージアの人権教育の功徳の話になっちゃってすまん。

 

何故ジョージアが国として人権教育をするに至ったのか、どのような歴史的背景が絡んでいるのか、そこに潜むコーカサス事情などがあるのではないかと、漠然と想像しながらコーカサスキリムを見ているととても感慨深い。

 

牛モツのスープ

 

 

トルコ料理教室Keyif さんのスペシャルスープセット

 

スープは日替わりで、モツは、日本でもトルコでも、賛否に分かれるらしい。

 

日本とは違い、臓物はトルコでは放るもん(ホルモン)ではなく、食べるもの。牧畜文化の有無の違いである。

 

白いスープは多分牛骨スープだと思う

 

ほうれん草と何かを切り刻んだものと、少しピリ辛の香辛料の練ったもの。これをパンにつけて食べるとよい

 

スープの味をつけるもの。

 

にんにくと葡萄の酢を混ぜたもの、唐辛子、葡萄の酢、塩

 

料理というものは結局“塩”だと思った

 

 

トルコチャイとデザート。トルコチャイは甘くはなかった。

 

トルコチャイのグラスかわいい😍

 

Keyif の人によると、トルコでは紅茶には砂糖を入れて甘くして飲む文化がないと言っていた。

アラブでは元から紅茶を甘くして出すらしい。

 

白いデザートは、杏仁豆腐にココナッツをまぶしたような感じだった

 

チャイの脇にもデザート。日本に例えると、ゆべしみたいな感じであった。

 

砂糖など入れなくても、デザートの甘味だけで充分足りた。

 

食後感は、全体的に軽かった。トルコ料理、とってもヘルシー。

 

美味しかったです♪ご馳走さまでした😋

 

 

自分はモツが好きなので良かった。

 

過去には“臓器カレー”を作った事もある

 

臓物カレーのレシピ - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

臭みを取るのが面倒くさかった。シーフードカレーみたいに気持ち悪くはなかった。シーフードが苦手な方はお試しあれ。

 

今日はシルクロードのものを堪能出来て良かった。日常では決して触れる事の出来ない貴重なモノたちでした。やっぱ非日常は素晴らしい。自分には、日常を楽しむ事など難しい。

 

長文のご精読ありがとうございます♪

 

カザフ布トゥスキーズ全体図

 

遊牧文化祭 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

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東京散歩と大使館巡り

2025年01月24日 | 中央アジアその他

その日、晴天☀️に恵まれたので遠路遥々東京に散歩に出た🗼

 

東京タワー🗼及び芝公園周辺を散歩した。

 

この日は時間を気にせず散歩する事が出来た。

 

地下鉄六本木駅を六本木交差点側出口から出る。外苑東通りを東京タワー🗼へ向かって歩く

 

このへんは昔、就活で何度も来た事がある。

 

就活の楽しみは、色んな所に行ける事。普段自分が考えつかないような場所に行く機会を得られる事。面接の後、散策するのが楽しみだった。

 

自分が正社員雇用された所はこの近辺ではなく、人事採用というものが全く初心者🔰

の操業年数100年超えの機械製作会社だった。

そこでは“志望動機”などを聞かれる事は無かった。

 

飯倉片町の横断歩道を渡った所に「樺太会館」なるものがあったと思ったが、もう無くなっていた。

 

 

 

外務省関連の建物らしい。

 

麻布台ヒルズだが、就活で来た頃は麻布台郵便局だった。

 

 

塀と白い建物が、あの国の大使館だが、それに対抗するようにエクアドルとどっかの国旗が掲揚され靡いている。

 

某大使館である。国旗広げたらバレる。広げる前からバレているが、これは現在ロシア🇷🇺大使館である。

 

 

ロシア国旗は広げると通常の国旗より長い。長く見えるのかも知れない。横の線の国旗は目の錯覚で長く見える

 

自分が就活で散策していた時は、まだロシア大使館などではなく“*塩爺”の邸宅だった。

 

当時の塩爺邸は、警備がもの凄く厳重で、警察がポリスboxの中に立っていた。装甲車もバリケードもあった。

 

当時、塀に囲われた異様な建物を不審に思い、警官の一人にこれは何なのか聞いてみたら、「塩川正十郎先生の邸宅です」と答えた。

 

随分と物騒な警備ではないか!塩爺のイメージとは裏腹に、警備と建物はめちゃめちゃ厳つい!

 

そのギャップに興奮🤩しました。そして随分金持ちなんだなぁと。

 

《塩爺: 塩川正十郎氏という財務大臣などを務めた政治家》

 

当時のロシア大使館は国道246に面していて赤坂御用地に向き合っていた。赤坂警察署が警備に当たっていたらしく、こんな塀に囲われたものではなく、ただのビルに見えて、まさかロシアとは到底思えないものだったが、警備は厳重だった気がする。

 

赤坂御用地の前にこんな物騒な国の大使館置くなやと思っていました。だって“ソ連”時代もここだったんだろ??物騒やないか!!

 

警備の関係だろうけどw

 

跡地は多分更地にされ、新しいビル🏙️が建ったのだろうと思われる。知らんけど^_^

跡地を探したが、そんなものは見当たらなかった。

 

塩爺が政治を引退し、2012年あたりから“塩爺邸”跡地に“ザ・ロシア🇷🇺”がここへ来て、塩川邸を更地にすることなく、そのまま入り込んだ。警備上の関係でここが都合が良かったのだろうけど、知らんけど、そのまま入り込んだ。正門付近の夏みかんの木もそのままに。

 

駐日ロシア大使館🇷🇺は他の国に駐在しているロシア大使館とは違って、ラクガキのひとつも無かった。さすが日本人はお行儀が良い。だろうと思うが、理由はそうではない。

 

ロシア大使館を警備している警官の顔つきは、塩爺の頃のそれとは違い、非常に厳しいものだった。警備のされ方は、塩爺邸時代と何も変わらなかったが、警官の雰囲気がピリついている。「これは何ですか?」と容易に聞ける雰囲気ではなくなっていた。だから間近で写真が撮れなかった。

 

ロシア国旗が上がっているし、見れば解る。

 

警備が無ければ日本人だって好きなようにラクガキ出来る📝白い画用紙の様に広がる塀があるんだもの。やりたくなるだろ。そこにはロシアへの罵倒語を書いても良く、ポケモンを描いても良い。

 

自分何を書いてんだか….

 

盛り上がって来た⚡️

 

ロシア大使館の隣に”狸穴坂“(マミアナ)なるものがある

 

 

坂の上から下へ写したものと、在日ロシア連邦大使館。

 

 

狸穴坂の下まで降りる。狸穴坂の由来

 

 

狸穴公園

 

 

 

港区というのは、東京都港区である。

大使館があるぐらいなので東京都内である。

 

公園の真ん中には水場がある。

 

 

就活後、ここのベンチで缶コーヒー片手に☕︎

 

休憩をした覚えがある。

 

公園内にお稲荷さんがある

 

 

狸穴稲荷。御神体は”タヌキ“だという噂がある。

このお稲荷さんには手を合わせなかった。以前*カナダ大使館に手を合わせて、嫌な目に遭った事があり、それ以降無闇やたらに稲荷や石祠などに手を合わせることをしなくなった。

 

《オボー: オボー(Овоо)とはモンゴルで建てられる一種の標柱である。オボーはおもにチベット仏教の祭礼が行われる場所であるとともに、山岳信仰、テングリ(天神) といった宗教的意味を示す役割を持つが、同時に境界標識や道標としての役割も持つ。》

 

この中に祀られているのは狸だろうか?

 

 

狸穴坂を登り、再びロシア連邦大使館の前へ。

 

子供たち数人がロシア大使館から出てくる。ロシア大使館内には、どうやらロシア人の子供が通う学校がある。ロシア人YouTuberあしや氏の動画で言ってた。

 

というワケで、この日は大使館巡りもしようかと考えた。何カ国回れるかは知らん。

 

ロシア大使館の狸穴坂とは反対側の脇道に入る。

 

東京タワー🗼がよく見える映えスポット。

 

 

ロシア大使館のバリケード。これらは塩爺時代から変わっていない。

 

 

 

警察の車

 

 

右翼団体などが通った時に封鎖する為のバリケードだ。知らんけど。

 

東京タワーに向かって歩く。この辺りの地形はエグい!高低差エグいということ。坂多過ぎる

 

永井坂

 

 

 

坂の途中に教会がある。

 

 

日本聖公会、聖アンデレ教会

 

 

隣にも教会がある

 

 

ロシア大使館敷地内に住むロシア人が礼拝をするのだろうか?“日本聖公会”とは“ロシア正教会”と同じ、東方正教会の系統である。ステップロード(アイアンロード)を通って古代日本(平安時代頃)に終着した東方正教会が“日本聖公会”である。東北地方にこの宗派のクリスチャンが多く存在する。青森かどこかに「キリストの墓がある」という言い伝えがあるのもこの為である。

 

ローマン・カトリックのイエズス会よりも遥か昔から日本に根付いている。聖公会をググると“アングリカン”と検索結果が出ると思うが、アングリカンとは“キリスト教ネトリウス派”。唐の時代には“景教”と言われていた。ネトリウス派というのはロシア正教やギリシャ正教やコプト正教などと同じ“東方正教会(オーソドックス)”の流れである。

 

聖アンデレ教会の他に“ニコライ堂”というのもある。これはロシア正教会の宣教師が日本に布教し、日本に根付かせた。ロシア正教会から独立し、日本正教会となった。そしてニコライ堂を建てた。

 

日本には東方正教会(オーソドックス)が2系統存在する。

 

 

ロシア大使館のスマホ📱地図

 

 

ロシア大使館の他に、ロシア大使公邸というものを見た事も聞いたこともない。探しているが見当たらない。ロシア通商部というものは、品川駅からそんなに遠くない所にあった。

ロシア大使館敷地内に大使が住んでいるのだろうか?四角い水場はプールである。知らんけど。ロシア大使館の裏は東京アメリカンクラブ🇺🇸

ヤバいだろ😅狐と狸の化かし合いだ。まさに狸穴パラダイス🦡馬鹿試合

 

 

東京タワーのフットタウン2F

 

インバウンドが沢山いた。インバウンドの方を向いたお土産屋さんが多い。

 

 

 

 

東京タワーを下から見た目線

 

 

東京タワーの隣の芝公園、もみじ谷🍁

 

 

到底、東京都内とは思えない。

 

川が流れていて、風情豊か

 

 

お地蔵さんがある。このお地蔵さんにも手を合わせなかった。お稲荷さんもお地蔵さんも、日本のものだから、大丈夫だとは思うが、闇雲に手を合わせるのは躊躇する。写真ばかり撮って不謹慎だとは思うが。

 

 

滝がある。これは勿論人工物だが風情ある。それを言ってしまえば、日本庭園だって立派な人工物だ。

 

 

”もみじの滝🍁“という。日本初のランドスケープデザイナーの設計により作られた。

 

 

もみじ谷のモミジの説明

 

 

芝公園のこのエリアは、東京に京都を作りたかったんだと思う。もみじ(楓🍁)に囲まれていると、京都にいるような錯覚をおぼえる。

 

救急車の音だ🚑都会の喧騒に出会うと、現実の都会に戻る。(勿論、京都にも救急車はいる)

 

このモミジの説明書きの左下の黄色モミジ”イタヤカエデ“というモミジがある。

”イタヤカエデ“別名”ハードメープル“という。

これは“楓材”という材木。体育館の床や民家のフローリング材、スケボー🛹の板などに使われる事が多く、とても硬い材質。

 

イタヤカエデは、日本の北海道、樺太、ロシア沿海州、シベリア南部、中央アジア北部などに自生している。寒い地域にあるもの程、密度が濃く、硬くなる。ハードメープル材(イタヤカエデ)をはじめとするメープル材は“北洋材”というシベリア産の材木に、専売特許のように占められており、主にロシアから輸入されている。

 

しかし近年はウクライナ侵攻の影響で、日本にメープル材というものが入って来なくなってしまった😢日本だけではない。欧米などの西側諸国でもメープル材が手に入らなくなっている。建築業界が多大な影響を被っている。石油や鉱物などの地下資源と同じだ。ロシアは材木と地下資源と穀物の国なのに。全てロシアのせいだ。今更非難するのもあれだが、ロシアは自国による世界への影響など何も鑑みずに戦争をはじめてしまった。ロシア大使館の塀に、皮肉を込めてもみじ🍁の絵を描きまくったら、悟って頂けるのだろうか?

 

馬鹿とか色々書くよりは美しい色とりどりのもみじを描く事は諸外国より上品なのだろうか?

ロシア大使館で働く関係者に「美しい絵をありがとう😊」と感謝されるのだろうか?

 

まぁ。もみじ🍁という美意識は日本の美意識の押し付けに過ぎず、警備に当たる警官に止められるだろうからそもそも無理である。

 

塀が色とりどりのもみじ🍁🍁

 

京都大使館か????

 

芸者も書いてみようか。

 

知らんけどw

 

 

 

京都の話だったものが、結局ロシアになってしまって、大変申し訳ない。

 

戦争が早く終息する事を願う。

 

 

もみじ谷🍁領域を出て道路を渡り、別の領域の芝公園に入る

 

 

坂を登り、芝生の領域に出る

 

 

ここにはインバウンドがたくさんいた。芝生には3月まで入る事が出来ない。

 

芝生とタワー🗼の組み合わせは格好良い。流石芝公園というだけはある。

 

 

大使館巡りを再開。オランダ🇳🇱大使館

 

 

ここは、ロシア大使館とは違い物騒ではない。警備も無く、バリケードも無く平和🕊️だ

 

オランダの国章。知らんけどw

 

 

大使館というより、お屋敷といった佇まい。どんな富豪が住んでいるんだろう?建物は多分洋館だろう。

 

 

 

オランダ大使館も、東京タワーから近い場所にあるが、坂を降った場所にある。本当にこの辺は地形の高低差エグい。

 

これ以上、大きな坂を完登するのは嫌なので、谷底(平坦な道)を歩いて大使館探し。

 

キルギス共和国🇰🇬の大使館があるらしいので、行ってみた。

 

少し坂を上るが、許容範囲。

東京都港区三田にある、キルギス大使館

 

 

キルギスの国旗開いてくれ‼️

この大使館は、中産階級の中では上流の部類の家🏠といった佇まい。

 

 

神明坂

 

 

 

麻布十番駅を降りて古川を渡った所にかつて存在した、寂れた地区があった。昭和のまま時が止まり、人も住んでいないようなもぬけの殻に見える、異世界のような狭い一角があった。それが一掃され、再開発されようとしている。都の重要文化財として残すという着想はないのかと、寂しくなりました。

 

 

消えゆく景色として写真に残しておきたかったが、遅かった。

 

大使館は、国力をそのまま反映しているように見える。但しロシア大使館は、元塩爺の邸宅だったから例外的だとは思う。塩爺が偉大だった。塩爺を称賛すべきである。と思う。この日は疲れたので帰途についた。

 

今回のブログは、自分とロシアの対話のようになってしまい、大変申し訳ない。

 

長文のご精読ありがとうございました。お付き合い頂きありがとうございました♪

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同志が欲しかったけど…

2024年12月13日 | 中央アジアその他

だいぶ前の記事(繰り返し書いてしまうネタ)の記事で、同志欲しい。テュルク友の会なら同志出来るかもしれない。と書いたような気がする。

 

テュルク友の会について“後日読む”という事になって読んでみた。

 

⚜️🇹🇷⚜️🇹🇷⚜️🇹🇷⚜️🇹🇷⚜️🇹🇷⚜️🇹🇷⚜️🇹🇷⚜️

テュルク友の会とは

 

2020年11月に有志で結成された任意団体「テュルク友の会」のアカウントです。ユーラシアに広がるテュルク世界各地の言語・文化・社会の研究調査と成果の発信、各種語学講座、テュルク諸語の語学教材作成などのさまざまな活動を行います。noteではメンバーが様々な記事・情報発信を行います。

《テュルク友の会より引用》

 

との事でした。

 

以前の記事では、「テュルク好きな同志募集」の部活のような広範囲に渡るコミュニティーだと勝手に解釈、思い込みで突っ走ろうとしていた。

 

そんな筈はない。

 

2020年11月の時点でメンバー(有志・同志)は締め切られている。私達に出来る事はnote を読んで、コメント📝やいいね🩷をする事。

 

同志と連絡先などが交換出来るわけではない。別に同志の連絡先なんか要らねえ。

 

部活というモノが好きではない。上下関係があり、教室なんかのフラットな関係よりも関係は構築しやすいが、部活のノリが大っ嫌い。不良、ヤンキーみたいで嫌だ。先輩によるパワハラなんかもあるだろうから尚更だ。部活というより「学校文化」それ自体が大嫌いだ。

 

部活と書いてしまった事を後悔し反省している。サークル活動と書くべきだった。

 

それか、*サロン。

 

《サロン:①社交的な集まり〈貴族文化のひとつ。邸宅で開いた社交的な集まりで、教養ある人々が集まり会話などを楽しむところ〉

②地域住民の交流の場〈住民同士が企画・運営を行い、交流する場〉

 

その他、美容室や美術の展覧会や洋風の客間などがある。》

 

自分が書いたサロンというのは、①である。

 

自分に教養なんか全く相応しくはないが、テュルク友の会などは教養がある人ばかりなので①でもいける。

 

教養がある事自体、部活とは全然違う。

 

部活の方が「同志愛」は育まれやすいのかも知れない。

 

「善き上下関係」と「同志愛」「良きライバル」その他は、部活の華々しい側面。

 

でも自分は「部活」は嫌い。学校文化も嫌い。

 

 

20年ほど前、ホリエモンがホリエモンチャンネルという動画で、サロンをやると良い。などと言っていた。それの意味は①だった。

 

ホリエモンは趣味を実践的に行なっている仲間のみならず、趣味に関心のある人間同士が集まり、会話などを楽しむ場所を設ける事が大切だと言っていた。趣味に限らず、モノでも良い。テュルクに関することでも、SUM41でも天体観測でも鉱物でも超常現象でも何でも良い。

 

サロンに“所属”しなければならないという事はない。興味ある人は自由に交流出来る。

 

しかし、ホリエモンの提案した①のサロンは根付く事は無かった。

 

①のサロンの代わりに、ネット上での5ちゃんねる掲示板のようなものやSNSなどの、実体で会う事のない空間でそういうものが次々沸き起こった。

ネット上の趣味カテゴリーだとネット・カースト上層部の人たちだけが会話して、それ以外の人が発言し続けてもスルーされるという事象が絶えない。結局は内輪会議のようになる。

 

世間では②の地域密着型のサロンが主流である。チームワーク型の、村の井戸端のようなもの。

 

テュルクの文化を堪能する民をテュル活民と言う。

 

また、テュルクに関するものなら何でもとびつく困った人をテュル活民というらしい。

 

自分は、テュルクに関するものと直接関係なくてもとびつく。更に困った奴だとは思うがw

 

テュル活民である事には、テュルクに興味関心のある者なら何でも良いと表向きでは言うが、暗黙の条件というのがあって、それはテュルク系の言語を学習している事と、現地に足を踏み入れた事のある人。それ以外は話にならない。テュルク系のSUM41が好きだと言っても相手にされないのである。

 

何故ならSUM41はテュルク語で歌ってはいない。それにインタビューの受け答えも、英語でしかやっていない。SNSの発信も全て英語で行なっている為、テュルクとは見做されないのである。

パンクロックという、仕事でやってる事だからしょうがない。SUMが好きなら英語勉強しろと言われそうである。パンクロック好きな人は英語が喋れる人が多いが、自分はパンクロックが好きというわけではない。あまりよく知らないジャンルだ。

 

デリックよ。何故お前は英語でしか喋らないのだ。(フランス語だけで歌っている曲もある)

 

それには“英語至上主義”なるモノを感じる

 

 

テュル活民になりたければ、大学に入学して、テュルク系言語を専攻する学徒になるか、トルコ語などを学習する教室に入学するかしかない。

 

必ずしも何かに”所属“していなければならない。

 

自分は“所属”などに縛られていたくはない。

 

ホリエモンの言う①の文化サロンのような、自由で縛りのない“同志”が欲しいと思ったがその考えは甘いのだろうか。

 

“同志”という言葉の意味合いとしては「戦友」という色が強い。やはり、「部活」に舞い戻ってしまう。スポーツとか武の世界だ。それは、社会主義時代の軍国主義支配の影響による。

 

自分が甘かった。SUM41の古参は、本当に「戦友・同志」であると思う。自分はニワカなのでそれとは関係がない。古参にしか理解出来ない世界がある。順を追ってライブ映像を集め、古いライブ音源を集めてはいるが、古参の気持ちは理解出来ない。

 

自分が本当に欲しいのは同じ知識を持つ「知り合い」であった。

 

知り合いだったら無限に作りたい。友達のような同調圧や束縛がないから。知り合いには自分の意見を言える。友達のように、自分の意見を言ったら口をきいてくれなくなるような事はない。

「私達、お友達だよね」という煩わしい確認もされない。その代わり、自分の意見を言って、気に食わなくなれば、容赦なく関わりを断絶される。それで良い。その人とはそれまでなんだと割り切れる。

 

 

テュル活を本気でやろうと思うなら、

 

ウズベキスタンダンス、トルコ語教室、トルコ料理教室、カザフ刺繍。

 

ダンス、トルコ語教室、料理教室のなどは主に土日である。たまに平日もあるが、自分の休みの曜日とは被っていない。自分は平日休みである。

 

ゆるいテュル活なら、トルコ語独学か、カザフ刺繍を独学で縫うかクックパッドをみてトルコ料理を作るなどをする。

 

同志を求めるなら、きちんと部活のように”所属“して、みんなで一丸となって足並みを揃えて目標に向かって戦うこと。それしか道はない。同志というのは甘い環境では作れない。

 

長文のご精読ありがとうございます.

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