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斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

これからのブログネタについて。これってネットの落とし穴??デジタルデトックスした方がいいのかも。

2025年03月29日 | 自己満

直近で書こうと思っているネタたちにはいずれも”カナダ“という壁が立ちはだかっている。

 

まるで氷山に囲まれたように行く手を阻まれている

 

カナダを忌避する方向を考えているが、今のところ全然ネタが思いつかない。

 

カナダのせいにしているが、このブログはネタとして書ける内容が枯渇している。

 

 

ネタは3つある

 

・蒙古斑、カナダ音楽の殿堂入り

 

・モンゴルの移動住居を販売する西側企業(カナダ企業)

 

・カナダ人🏹の来た道。(これは北米のドでかい国、トルドー国とは全く関係がなく、カナダ人🏹というのはモンゴル系民族をさす)

 

が、モンゴル集落に「カナダ」という名称が気に喰わない。誠に勝手ながら…自分が銘名した割に気に喰わない。

 

カナダについて↓

カナダ🏹についての説明 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

この集落は問題がある為、モンゴルとの友好関係に亀裂を入れたくなかった。そこの地区名を使用する選択をした。地区特定回避の為、漢字表記を忌避し片仮名表記。その上“読み”を一字変更。

 

結果、カナダとなってしまった。

 

“テムル🏹”という名称も考えたが、この集落は被弾圧集落だったのでモンゴルの王族の名に傷がつくと考え、これも取り消しになった。

 

モンゴル集落を指し「カナダ🏹」とよぶ。ワケがわかんない。

 

一般的にモンゴル国をカナダとは呼ばない。

 

極力カナダと呼びたくない。

 

貴重なモンゴル集落にこんな呼称をつけるとは思ってもいなかった。

 

 

元の地区名を見れば、そりゃ、なるだろう。と分かる。

 

実際に遊牧(モンゴル)遺構があるのがこの地区だからしょうがない。狙ってカナダにしたわけではない。

 

思い通りにいかないものだ。

 

 

 

ネット上SNS上ではモンゴルにカナダが必ずしも付随する。モンゴルの尻を追えば追う程、カナダというものが立ちはだかる。足枷状態だ。

 

なぜそうなる?

 

 

以前からカナダというものにぶち当たる事が多かった。それは、確認を怠ったモノを後から調べたら、実はカナダだったというものが多かった。イエローナイフの件もそうだった。

 

確認を怠ったスキマからカナダが侵入して来る。自分が悪い。そう思っていたが、それだけではない。カナダという大国は、ただ存在しているだけではなく、意思や意識のある人格的な存在なのだと近頃気づき始めた。

 

そう考える他何も考えられない。自分は何も悪くない。

 

 

イエローナイフの記事から遠くない所にカナダの記事を投稿するのは避けたい。

 

自分のブログは元来、遊牧民のネタ中心に書くつもりであった。

 

振り返れば、カナダに汚染されているものがある。

 

カルガリーという名前が良くないのであろうか?

 

この名前が寄せ付けの法則でカナダを寄せ付けてしまうのだろうか?

 

 

しかしカルガリーは、カナダの他に、カザフスタンやロシアにもある。

 

 

そもそも自分とカナダというドでかい国とは縁もゆかりも関係も無い。

 

そして行った事もないので、好きとか嫌いとかキモいとかいう感情もない。西側国だから気に喰わない以外に何の感情も無く関心もない。そこが対ロシアとは違って楽なところではある。西側国など私にはどうでもいい。

 

 

私は何かに操られているのだろうか?

 

結論を言えばネットに操られている

 

 

カナダへの既視感問題は、解決した。

 

ロシアやモンゴルにそれが起こらなかったというのが哀しかった。

 

ネットやSNSが発達してロシアなどの情報が多く入ってきた。今まで妄想するしかなかったものが、知れるようになった。

 

その結果、思ってたのと全然違っていた。

 

ロシアの景色なども思ってたのと全然違っていた。

 

ショックだった。

 

やっぱ… とはならなかった。

 

 

 

カナダの件は日常生活に支障をきたさないので、考えなければ良い。

 

ただ、あまり気持ちのいいものではない。

 

カナダそのものが嫌いとかキモいとかではなく、この事態が気持ち悪い。

 

よく考えれば、ネット、SNSの落とし穴ではなかろうか?と考えられる。

 

ネットやSNSやAIの影響はある。

 

GoogleやYahooショッピングに追わている。気持ち悪く感じる。

 

yahooメールにカナダ関連商品ばかり紹介される。カナディアン・セーターやメープルリーフ金貨、銀貨他数えればキリがなく過剰である。

 

Google 検索結果もカナダに関連する検索結果が上位表示される。

 

モンゴルや旧ソ連などの東側、テュルク関係の検索結果もカナダ関連が必ず入ってくる。

 

 

 

デジタルデトックスをする時ではないかと考えさせられた。

 

モンゴル・デトックスをすれば、カナダは自ずと去って行くのかも知れない。しかしそれは少し違う気がする。

 

カナダという足枷は我慢できる。カナダは人畜無害な存在だ。

 

カナダというリスクの為にモンゴルやブルーオーシャン(ラジオ番組)など好きなものを我慢する事は少々違和感がある。

 

カナダというミスを防止する為にカナダを絶えず意識していなければならないのか。

 

しかし関心のないモノを絶えず念頭において意識しながらネット生活することも負担である。

 

最短の解決策は、ネット、SNSデトックスである。

 

禁煙より簡単だ。

 

ネットに繋がらなければ、カナダなどと関わる事など完全にない。

 

現代は、カナダに限らず人と人、情報もネットに繋がらなければ、繋がれない時代になって来ている。

 

ネットという足枷。

 

こちらは深刻である。

 

カナダの情報など、得たいとは考えていない。

 

フィルターを活用すればいいのではないか。

 

カナダに効くフィルターw

 

なんか笑っちゃう話だけど、フィルターとは不適切な情報(エロなど)や詐欺の疑いのあるもの、誹謗中傷などに対して行うものであり、人畜無害な情報には通常、かけられないと思うw

 

自分なりに分かってきたカナダに感染した原因。

 

そのひとつが、魅力的なコンテンツに潜むカナダw

 

自分にとって魅力的な画像や音楽などに確認をせず迂闊に手を出した事が原因のひとつ。

 

これは自分の中に投資詐欺に引っ掛かる要素があることを示している。

 

モンゴルの移動住居を販売する外国企業というのが、実はカナダの企業。長年、ジョージアの企業だと思っていた。先日、このインスタを読んでいたら、“Ontario”という不都合な事実を示す文字を発見。この会社はオンタリオ州に本拠地を構えるようであった。ジョージアにオンタリオという州は存在していない。

 

西側の奴が運営してるのか…

 

ショック

 

カナダを見分けるコツを少しばかり覚えた。カナダの景色は、一見すると、旧ソ連や東欧、モンゴルに見える。

 

しかし、現地の人が不自然なくらい英語が堪能だったり(インスタの表記や音声、動画の音声など)

 

インスタの文章で、英語の他にフランス語の表記がある。

 

4k動画などでは、英語表記の看板がある。こんな旧ソ連のような雪原の寒冷地に英語話者など生息していないと思うようなところに英語表記があったら要注意である。

 

旧東側のような自然環境に見えても、西側のようなヘラヘラチャラチャラした街並みの要素がある。

 

蒙古斑=SUM41の件は、このバンドが初めてレーベル契約を結んだ所がトロントだった為、カナダ(北米)のバンドとして扱われている。パンクロックという仕事柄、英語が堪能になったと考えていたが、歌い手のデリック氏“以外”はカナダ人(北米)であった。

 

Ajaxの高校・母校の件で明らかになった。メタルギターのデイヴ氏はそこの出で、もう一人のトゥヴァ人だと思っていたベースの長身で碧眼で天パーのコーン氏も、Ajax育ちでそこの出であった。デリック氏は、Ajax育ちではなかったがそこの出であった。

 

デリック氏は紆余曲折の境遇を経て、16か17迄にモンゴルのエルデネトからカナダ(北米)に辿り着き、この高校に入った。

 

デリック氏は紛れもなくトゥヴァ人だろう。トゥヴァ人は色んな人種がいるせいで、カナダ人(北米)との判別がつかない。

 

カナダに効くフィルターwと言ったが、XなどにはNGワードを表示しないフィルターがある。

そこに“カナダ”“Canada”と入れても、カナディアンコンテンツはすり抜けてくる。

 

直にCanadaと書いてあるモノは表示されないが、始めからCanadaとは書いていないコンテンツは堂々とすり抜ける。

 

ネットは巧妙で、私が直に“カナダ”と書いてあるものには手をつけない性質であることを見抜いているようだ。そして私が釣られ易い内容も把握している。表面的には全くカナダであることが現れないインスタコンテンツや、Youtube動画が夥しい数提供されていた。殆どが現地のカナダ人が発信したものである。カナダ人はわざわざ自国の当たり前の空間にカナダとはつけない。我々日本人がわざわざここは日本だと言わないようなものである。

 

ネットは私に、カナダのコンテンツに課金させ、カナディアン商品を購入させたがっている。

 

 

いつまでも陥落しないので、ネットは更に巧妙化している。

 

その結果がこの有り様。

 

モンゴルにカナダが必ず付随するという構図が出来上がった。蓋を開けたらカナダ🇨🇦

 

 

カナダを防止する為には、逐一、文字、文章を念入りに読む事。

 

それでも入り込んで来た時は、見つけ次第駆除する。それの繰り返し。いたちごっこである。

 

自分が発信する内容にも気をつけなければならない。デジタルタトゥーを、常にネットワークが監視していて、追いかけて来る。

 

厭な時代だ。

 

ネットと関係ない、ラジオなどからカナダが入り込んで来る事には我慢するしかない。

 

そこまでカナダに対してアレルギー反応を起こすのは労力の無駄である。

 

カナダがキモいのではなく、この事態がキモい。

 

ヤフーメールでカナディアン商品が紹介されたら逐一削除

 

Google検索を控える

 

 

ご精読ありがとうございます。

 

*この記事を投稿した事によって更にカナダに追われる可能性がある。正確にはネットに追われる

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NO MAN‘S LANDと掛けてNOMAD’S LAND

2025年03月21日 | 中央アジアその他

今日は少し面倒くさくて、とても長いので無理して読まなくてもよいです。

 

No Man’s land(ノー・マンズ・ランド)とは“無人地帯”

無人地帯とは、どの勢力からも占領されていない土地のこと。中間地帯ともいう。

 

今回自分の記事で扱うのは、勢力とか法とかいう意味ではない。

 

敢えて“勢力”というのなら、その勢力は“定住農民”である。

 

自分が40年来住んでいる相模原市の大半の部分である平原地帯は、日本では非常に特殊であり”稀有“な土地であると思う。

 

相模原はかつて”NO MAN’S LAND“であった。

 

農民以外は人間ではないというと語弊があるが、この場合の人間、つまりMENとは“定住者”を指す。

 

まず、相模原について。相模原とは、本州の内陸部に位置する地方自治体である。神奈川県に属するが、山梨に割と近く、気候は“寒温帯”に属すると言われている。(芝生などが寒地型のものが植えられている)

 

山岳地帯もあるが、大部分は平原である。風通しが良く、苔なども定着困難らしく、ブロック塀や凹凸のある塀や石垣などに生えていない。その代わり、温暖湿潤な場所での自生例が少ないと言われる外来種の“セイヨウトゲアザミ“がだだっ広い野っぱらに蔓延っている。相模原の植生は、落葉広葉樹や針葉樹が自生する。常緑広葉樹は、庭木に多い。

 

昔は水を得るには井戸を掘る以外無かった為、相模川沿岸以外は、稲作が不可能であった。

 

そこら辺のだだっ広い畑には、桑や栗やクルミや蕎麦やゴボウなど、水を喰わない作物がたくさん植えられている。そして畜産や養鶏が盛んである。乗馬クラブも多い。

 

相模原は内陸性気候である。冬は厳寒だが、夏は涼しい気候であった。しかし近年の酷暑により、フェーン現象で沿岸部より暑くなっている。夏は石焼きビビンバが出来るようなジリジリとした暑さだ。東京などの、しっとりとした肌に優しい蒸し暑さが好もしい。

但し、梅雨どきは蒸し暑い。夏が進むにつれて空気が乾燥してくる。

 

 

まず、こんな内陸の平原を日本国内で探すのは難しいと思う。地元の婆さんが昔々、アメリカのノースダコタ州のペンビーナという、どちらかといえば北部といわれる側に住んでいたらしい。

 

ノースダコタ州の田舎と、相模原の平原は、暑さや寒さと、殺伐としたところがそっくりだという。昔の相模原は家やマンションなどがなく、もっと広く殺伐としていたそうである。現在よりもノースダコタに似ていたという。

 

そんな事を思い出した。ノースダコタ州というものをググってみた。まさにアメリカのど真ん中。北米大陸のど真ん中といっても過言ではない。こんなど内陸に似ているのか。暑さや寒さが似ているのはどういうことだろうか。気候の系統が似ているのだろうか。ノースタコダの方がもっと寒いはずだと思う。相模原が本気出しても、真冬の大寒波が来た時のその冬一番の最低気温でせいぜい氷点下15°ぐらいまでしか下がらない(自宅庭の温度計による)近年は暖冬傾向の為、そこまで下がらない。温暖な気候である。米国に比べればだいぶマイルドだが、気候の系統が似ているらしい。横浜や三浦半島などの沿岸部とは気候の系統が全く異なる。三浦半島の植生は、相模原と異なり、常緑広葉樹や竹が自生しているらしい。

 

ノースダコタ州の写真を見る限りでは、水や土壌に恵まれているようだ。そして、米国内でぶっちぎりで人口密度が低く、米国一田舎…らしい

 

話は戻る。相模原と同じ条件の内陸の平原を日本で探すのは困難である。

 

(グリーンタワーの景色)

 

日本の約70%が山であり、平地はその残りである。

 

日本で平地と言われれば、関東平野や濃尾平野などが挙げられる。関東平野は川がたくさん流れる水田地帯である。かつては湿地帯だったのだろうか。濃尾平野も水田地帯が多い。川を治水して埋め立てて出来た標高0メートル地帯のような平地もたくさんある。アキドチャンネルというYouTube チャンネルは、用水路や上水道を追う動画だ。それには古地図などもでてくる。現在の水田地帯は、かつて湿地帯だった場所が多い。北陸や東北にも平地が広がっているが、水田の広がる米どころである。

 

平地は水田地帯の他に“盆地”と云われるところもある。秦野も甲府も京都も内陸の盆地である。

四方を山に囲まれた平らな土地である。

 

相模原の景色は、ひとつの方向に丹沢という山脈が見えるが、それ以外には何も視界を遮るものなどがない。

 

(グリーンタワーの景色・丹沢山塊)

 

相模原は“台地”という部類の平地である。台地とは、周囲の平地と比較して台状に盛り上がっている平らな土地である。標高がもっと高ければ高原と云われる。

 

相模原市の領土の大半は、相模野台地に属する。多摩丘陵と相模川に挟まれた非常に広大な台地である。相模原市は相模野台地の北半部に位置する。北半部は、台地を開析する河川が無い為、このような広大な平地が出来てしまった。ここは日本屈指の“水から遠い地域”と称される。(硫黄島とかはカウントしていない)

“水”というのは地上にある水のことであり、地下には豊富な水がある。その為、水を得る為には井戸を掘る以外にはなかった。

 

井戸の水だけでは田は以ての外、畑であっても農業は難しい。昔は、農業が出来ない土地には定住する意味がなかった。相模原に畑作灌漑用水が引かれたのは近世であった。しかし宅地化の為にすぐに廃れてしまった。

 

(グリーンタワーからの景色)

 

相模原は歴史がとても浅い。そのほとんどが、近世(江戸末期や維新頃)から始まっている。稲荷神社一つとして存在しない地域が広範囲に渡る。近世に出来た寺社や近世に移転して来た寺社などはいくつか存在する。

 

勿論相模原市内にも、歴史ある場所は存在する。相模と甲斐の国境にある山城などもある。

 

“台地”と云われる地形の場所はどこも相模原のような感じなのだろうか?

 

自分はそういう土地は相模原しか知らないからどうとも言えない。

 

(グリーンタワーからの景色)

 

“魚米の国、日本”という謳い文句からは完全にかけ離れている。

それだけ日本という国は海が身近であり、水に恵まれているという事であろうか?

“日本は水に恵まれている”というマスコミなどの発言には多少の違和感を覚える。

日本は砂漠や土漠の国ではないから、そういう意味では“水に恵まれている”と思う。

 

相模原は水に恵まれない為に、派手な農産物などは出来ない。派手とは、水分を多く含んだ水々しい農産物を指す。

 

(小規模な桑畑)

 

まずは“米”。次は“果物”。甲州や信州などは、葡萄やりんごなどが獲れる。静岡や湘南などはみかんや湘南ゴールドなどの柑橘がある。きゅうりやトマトや茄子などの“夏野菜”。それらは水を喰うのか、温暖な場所でしか獲れないのかよく分からないが、それもそんな畑は見た事がない。“葉物野菜"も水を喰うのか?畑を見た事がない。“南瓜”や“とうもろこし”の畑は、たまにある。

 

歴史はほとんど近世から。それ以前は”定住者“がいないNO MAN’S LANDだった。法的にはどこかの藩の領土だったのだろうが、台地一帯は人が住んでいなかった。

 

(横浜水道道)

 

現代では考えられないが、江戸以前の中世、古代には、定住者の他に“放浪者”が存在した。英語のNOMAD(ノマド)とは、遊牧民という意味そのものではなく、”流浪者“ 渡り者“など、放浪者全体を指す。

 

鎌倉・室町ぐらい昔に遡ると、農業以外で生活をしていた人たち、つまり、封建社会体制の支配に属さない人たちは差別されていた。

 

定住しない人間は農業をしていない。日本のNOMADとは、封建制度の支配を免れ、農民たちから差別されていた。NOMADは、農民が侵入出来ず、定住出来ない相模原で活動をしていた時期もあると考えられる。日本の農民という人たちは、絶えず他人や誰かを監視していた。

 

一千万総相互監視社会である。*中世の日本全国にそんな人口居たか知らんけど日本列島は元々人口が多く、人口密度も高かったと言われている。

 

農民による干渉や侵害を受けることなく、自由に生きることができる環境。それが中世の相模原だった。

 

(緑道の紅梅)

 

封建社会体制と農民の世界だけが日本ではない。農民側の史観では、封建社会体制や農民は“内”であり、NOMADは“外”の存在であった。昔、「我々は、円(マル)の中で守られている」という表現をきいた事があるが、それは農民史観の名残りであろう。

 

中世日本の農民は魚群のようでもあると思う。群れを作る雑魚は、非常にとても臆病で、弱い。だから群れなければ生きていけない。群れなければ生きていけないと彼らは思い込んでいるのかも知れない。魚群は、1匹がビビると、ビビりが群れ全体に伝播して、集団ヒステリーになる傾向がある。

 

鰻や河豚や蟹などのように肉を喰って単独で生きる生物は、雑魚に比べて頑健であり、群れを嫌う。

 

農民たちは、お上から管理される事が喜びでもあったようだ。管理される事によって、守られていると感じ、お上を信頼する。お上にとって当時の農民は扱い易かったであろう。誰かの歌で「ボクたちは弱虫だ。だから手を繋いで太陽の下で耕そう」というワンフレーズがあった。農民史観の名残りであるように思える。

 

農民史観以外の日本が存在した。

 

アナザー・ジャパン(もうひとつの日本)である。

 

相模原のノースダコタのような景色はアナザー・ジャパニーズが見てきた景色ではないかと考えられる。

 

何十年住んでいてもふと感じる事は、相模原は、どこか開放的な気風があって、日本的情緒ではない。大陸や異国からの風が吹いている数奇なところである。と。他の市町村に比べるとより強く感じる。

*相模原は風が強い日が多い

 

たまに近所のご年配たちから耳にするのは、相模原と厚木の人たちの社会は、閉鎖的ではないという。(裏にはその周辺の地域が閉鎖的な社会と言っているような気がした。)

その擦り込みなどもあって、相模原が開放的に思えるのだろうか。

 

過去にこんな記事を書いた。

中央アジア北部の風を感じるもの - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

この記事は、カルガリーちゃんねるの初期に書いた。

 

相模原に40年以上住み続けて、自分は水に困った事も無ければ、凍えて死にそうになった事もない。

 

開放的な気風を感じさせるのは、多分、NOMAD(放浪者)が自由に生きていたゆえであろう。相模原は、素晴らしいところである。ここに縁がある事に感謝している。

 

長文のご精読ありがとうございます♪

 

米軍接収地・米軍住宅

 

米軍接収地・米軍住宅

 

米軍接収地・米軍住宅

 

空地・天然の植生

 

相模川・三段の滝多目的公園から撮影

 

相模川沿岸地域の米穀倉地帯

 

相模川沿岸地域の米穀倉地帯、河津桜

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大いなる謝罪&イエローナイフについて調べてみたら妄想以上に面白かった

2025年03月14日 | 自己満

昨年、このブログの“産鉄地名”の記事で、オーロラの景勝地“イエローナイフ”という場所のネタを書いた。

 

“イエローナイフ”とは、“北欧”ではなくて、“北米”でした。北欧だと勝手に思い込んで、勘違いしたまま、記事を書いてしまいました。

 

大変申し訳ございませんでした。

 

“イエローナイフ”の正確な場所を検索する暇もないまま時が経ち、完全に忘れ去っていた。誤ちに気づいたのが2025年1月

 

 

イエローナイフとは、黄鉄鉱ではなく、黄銅だった。これはイエローナイフの地名から妄想して、黄鉄鉱と勝手に決めつけてしまった

 

あの記事は“妄想”が作りあげた“作品”、ドラマみたいなものだと思われても構わない

 

 

イエローナイフに“サーミ人”などという先住民は存在しない。さらに言えば“イエローナイフ”と匈奴も直接の関係はない

 

“イエローナイフ”はオーロラの出る場所なのは事実だ。この記事を読むと、イエローナイフは、モンゴル高原やハンガリーと地続きの、オーロラの出るユーラシア大陸の北極圏である

 

自分はイエローナイフは北欧ラップランドのフィンランドだと確信していた。だからロシア上空が飛べないと書いた

 

他人の記事でバンクーバーでLCCに乗り換えイエローナイフに行った人もいて、フィンランドに行くのに、あの国の上空を飛べないのは不便だと思った

 

 

イエローナイフを扱った記事

産鉄地名 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

ウィキペディア記事によると、イエローナイフとは北米に位置するが、正確には北極圏ですらない。北極圏からはおよそ400km南である。カダのノースウエスト州の州都であり公用語が11言語あるらしい。

 

 

写真だけ見るとどう見てもフィンランドなんだけどな。

 

都市名は先住民のイエローナイフ族(英語版)に因む。

 

*ドグリブ語では、「お金のある場所」を意味する

 

20世紀1930年代に金の鉱脈が発見されるとゴールドラッシュで人口が増えて街になったらしい。その後も鉱脈は次々と見つかり、街は発展。1978年1月24日にソ連の軍事衛星コスモス954号が近くの湖付近に破片が落下した。破片は回収された。

1991年にはイエローナイフ市北300kmの地点でダイヤモンドの鉱脈が見つかり、1998年に操業を開始した。

2004年には最後の金鉱が閉鎖した。

 

《ドグリブ語: 部族言語。デネ・エニセイ語族→ナ・デネ語族→アサバスカ諸語→北部アサバスカ諸語→ドグリブ語》

 

“イエローナイフ 地名 由来”とyahooでググった。

 

周辺に住むインディアンが黄銅製の道具を用いていたことに由来する。

 

「イエローナイフの名は19世紀初頭から、この地の移り住んでいた先住民デネ族に由来します。彼らは日常生活に銅を使い、鉱山採掘にも銅製の火薬用ナイフを使っていました。その銅製ナイフの色からイエローナイフと名付けられたそうです。(引用 : Northwest Territories Tourism 2019)」

《引用: 北海道留学センター》

 

デネ族とは、デネ・エニセイ語族の部族、ドグリブ語話者を指すのだろう。

 

デネ族には銅製錬技術があったのだろうか?

 

これは大変興味深い!!

 

デネ族は彼の地に移住する前はどこにいたのだろう?

 

彼の地には、採掘の為移り住み、これを「お金のある場所」と名付けていた。

 

そこは金銀ダイヤモンド💎の鉱脈の眠る宝庫だった。地下資源を求めて掘り漁る様子は、匈奴と何も変わらない。

 

“先住民”といわれる者は採掘をせず、金属製造も行わないものと思い込んでいた。

 

しかし彼らは銅を日常的に使い、火薬用ナイフを使いこなす。彼らは何処で、採掘や銅製錬技術を覚えたのだろう。

 

製鉄の技術は、トルコ・アナトリアで生まれ、ヒッタイトに伝わり、その後、ステップロード(草原の道)を通じて北方遊牧民が世界を掻き回す事によって世界中に広まった。ユーラシア大陸とその周辺、日本やアフリカや東南アジアなどにも間接的に伝播していった。

 

ステップロードは別名“アイアンロード”とも称される。

 

遊牧民と金属技術は切っても切り離せない。

 

製鉄技術だけでなく、金属製造全般や、冶金技術も遊牧民の動きによって、直接、或いは間接的に世界に広まった。

 

しかし、新大陸といわれる南北米大陸には金属製造技術が伝わらなかった。

 

自分が昔書いた“遊牧民と産鉄”の記事で、ネイティブアメリカンや中南米のインディオには、銅製錬、製鋼、冶金などの金属技術は存在しないと書いた覚えがある。

遊牧民と産鉄について - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

アメリカや中南米ではなく、*トルドー=ウルス辺りなら、シベリアや極東やカムチャッカや樺太や沿海州や北海道や千島列島などから渡航して来た、金属製造技術を持つ移民が存在するのかも知れない。

 

デネ族は、採掘や金属製造技術を白人などから教わったというより、古来より彼らに伝わる伝統技術の可能性がある。デネ・エニセイ語族は極めてその可能性が高い。

 

「1770年頃、英国人のサミュエル=ハーンが会社(往時の会社という組織)で毛皮貿易をしながら、銅鉱山を求めてカナダ北極の各地を彷徨った。

 

当時この付近に住み、銅製の器具を使用していたネイティブ・カディアンのことを“イエローナイフ族”と名付けたことから、この地名になった。」

《抜粋 :  note イエローナイフ country hunter》

 

note記事の情報によると、どうやら本当にそうらしい。他記事の情報も同様の事が書いてあった。

 

デネ・エニセイ語族についてだが、ウィキペディア記事によると、2008年にエドワード=ヴァイダが発表した説に基づく語族名。既存のナ・デネ語族とエニセイ語族からなる。両者には共通点が多い。

 

 

エニセイ語族は、シベリアのエニセイ川流域に分布する語族。ケット語のみが現存する。

 

 

ケット人はエニセイ語族の言語を話すシベリアの唯一の民族集団である。

 

エニセイ語族のデータに基づくと、サヤン山脈周辺とバイカル湖の南端に起源を持っている。

エニセイ系民族は北方へ移住した可能性が高いと考えられており、現代のケット人はエニセイ系民族の分布拡大の最北端とされる。

 

この移住は匈奴連合の崩壊として起こった可能性があり、アレクサンダー=ボビンによれば、匈奴はエニセイ語族の言語を話す支配階級のエリート層がいた可能性が高い。

 

中国で後趙(319.AC〜351.AC)を樹立した匈奴の支部である羯(ケツ)の起源はエニセイ系民族であった可能性が高い。

《引用:ウィキペディア記事》

 

「羯とはJie と読み、4世紀の中国北部の山西に存在した匈奴又は小月氏の派生とされる小部族。五胡十六国(319)に石勒(羯の人)が匈奴の前趙から独立し、後趙を建国。内紛により351年に滅亡した。

 

五胡(Wuhu)とは3〜4世紀ごろに北方、西方から移住した五つの非漢民族、匈奴、鮮卑、氐、羯、羌のこと。

晋で八王の乱が起こった際、それぞれの王がこれらを兵力として使ったことをきっかけに南下し、五胡十六国時代には五胡やその他少数民族などが多くの国を次々と建てた。」

《引用 : 白海豚 X @46iruka464》

 

エニセイ系民族は、匈奴、五胡十六国時代に活躍したが、現在では、ユーラシア大陸にはケット人しか生き残っていない。残りは激動の歴史の中、戦争などで消滅した。

 

しかし、一部生き残った人もいて、彼らがカナダに移住したのだろうか?

 

ブログの冒頭近くで書いた、イエローナイフの地を「お金のある場所」とよんだ、ドグリブ語という部族言語を話す、デネ族の一派トリチョ族(ドグリブ族)には、Y染色体ハプログループNもみられる。これは現在のところ、アメリカ大陸におけるハプログループNの唯一の検出例である。

 

ハプログループNの発生地(推定)は北東アジア。

高頻度民族・地域は北アジア、ヨーロッパ北東部。ウラル系民族(サモエード系民族、フィン・ウゴル系民族)、ユカギール人、ヤクート人

 

これらは何を意味するのだろうか?

 

トリチョ族(ドグリブ族)は、匈奴の支部、羯であったのか?

 

匈奴(フンヌ)は、ウラル系民族だと言われている。羯は、エニセイ系民族であると言われている。トリチョ族はエニセイ系言語に近い言語を話し、ウラル系民族と同じ血が流れている。

 

自分が昨年妄想ドラマ的な記事を書いたが、そんなにかけ離れてはいない気がする。

 

イエローナイフの民は、世界初の遊牧帝国の後裔

 

 

ステップロード(アイアンロード)の終着地は、幾つか存在すると言われていて、みちのく(日本の東北地方)もそのひとつである。

 

ステップロードは、ユーラシア大陸を越えて、北米大陸にまで伸びていたのだろうか?

 

ネイティブアメリカン。ファーストネーションズ。インディアン。インディオ。などと一括りにされているが、各々成り立ちが異なり、系統・分岐がある。歴史があり、祖先がいる。

 

匈奴、五胡十六国時代に活躍し、力を持ち栄華を極めても栄枯盛衰の理に逆らえず、東へ東へ逃れ、終にカナダに移り住んでしまった。

 

そこで金属製造という伝統技術を続けながら生活をしていたらいつの間にか白人が来て“インディアン”と呼ばれ、白人以外の全ての人間は一括りにされてしまった。”遊牧民“といって一括りにするようなものだ。

 

彼らは、自分たちをインディアンだなどと思った事は一度たりともない。彼らは自分らを部族名で自称する。

 

白人らは、インディアンを野蛮や低知能と決めつけ、アルファベットを理解出来ないと決めつけた。そして”先住民文字“を作り、”インディアン“という人々に同じ文字を押し付けた。これは英語の速記記号である。

 

白人らはインディアンの為だとは言うが。そんな英語至上主義の文字より、契丹文字を押しつけられた方が多少まし。

 

(先住民文字、異世界感があって可愛い。とても複雑な気持ちになる)

 

彼らは誇り高く生きている。千年後ぐらいには天変地異が起こり、インフラ等が全て壊滅し、トルドー=ウルスや米国などに現在住んでいる人は”インディアン“と同じ生活をしていることだろう。

 

長文のご精読ありがとうございました♪

 

 

*トルドー=ウルス: 北米の“Canada ”といわれる国

 

*首相がトルドーからカニちゃんに代わって日が浅い。まだトルドーの余韻が濃いので、まだトルドー=ウルスで良いと思う。知らんけど。自由党が実権を握ってるので、引き続き、トルドー=ウルスでいいと思います。知らんけど。カニちゃん=ウルスにすると違う世界観妄想するから引き続きトルドーでいいのではないか。

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和種馬について(食用編)🐴

2025年03月08日 | グルメ

先日、馬肉煮込みを食べた。

ホルホグ - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

あれは最強に身体が温まる組み合わせであった。羊肉ほど臭みはなかったものの、馬肉特有の臭み・味はある。馬肉には、程良い硬さがあった。霜降りでも何でもなく、赤身だけであった。

 

阿蘇で生まれ、阿蘇の大自然を歩きまわって育った

 

スーパー産の馬肉の方が比較的、臭みが強く硬かった。

 

馬肉はコンビーフのように、手で裂け、煮込めば煮込む程柔らかくなるらしい。

 

ドンキ産の方がどちらかというと、手で裂けそうな縦に亀裂がある(東尋坊の岩みたいな感じ)柔らかく味が淡白だった。

 

馬肉の部位が気になる。

 

馬肉料理といえば九州・熊本の郷土料理、馬刺しというのがあるが、東北・秋田でも馬肉を食べる文化があるらしい。

 

馬刺しというよりは、煮込みに使うことが多く、肉うどんの肉として馬肉が使われたりもする。

 

秋田の民間療法で、熱が出たとき身体に馬肉を貼ると熱が下がるらしい。

 

ドンキとスーパーで馬肉を買ったときから、火を通そうと考えてはいた。生食は気が引ける。それは、肉に限った事ではない。魚もだ。自分は基本的に魚介は苦手である。

 

自分はどんな馬を食べてしまったのだろう。生前の姿を想像するのはグロテスクだが、多少、気にはなった。牛や豚ではそんな事考えない。

 

馬刺しになる馬は、成績が振るわないドベ馬や、競馬を引退した馬、脚を骨折して銃殺(安楽死ではない)された馬だという俗説が蔓延っているが、食肉用の馬は牛や豚と同じように、食用として育てられている。食肉用サラブレッドという部類として生まれた時から競走馬とは違う道を生きる。

 

熊本の伝統・郷土料理になるぐらいで、非常に高価な食材だから、さぞかし格式のある血統の食肉用の和種馬だろうかと思われた。ブランド黒毛和牛のような。

 

熊本と福島・会津には、馬肉食文化は昔からあるらしい。熊本と福島では、違う馬種を使っている。熊本の馬肉はしっかりと馬肉に入った脂肪分。口に入れたらとろけるような脂の甘みと旨味。これに使用される馬は800kg〜1tにもなる「重馬種」農用馬として利用されていた馬である。荷駄や耕作家畜であった。

 

ばんえい競馬などで車とかを引いて競争する馬。あれが農用馬。

 

食用になる主な重馬種はフランスのブルターニュ地方が原産の「ブルトン種」・ベルギーのブラバント地方が原産の「ベルジャン種」・フランスのノルマンディーが原産の「ペルシュロン種」・これらを交雑させて生まれた「ペルブルジャン」種の4種類がある。ペルブルジャン種が最も肉質が良いとされている。

 

 

福島の馬肉は赤身で脂が少なくさっぱりとしていて、食感はやわらかくしっとりとしている。これに使用される馬は、600kg前後の「サラブレッド」や「アラブ種」などの「軽馬種」

 

 

《抜粋:肉の大栄公式。馬肉総論》

 

 

いづれにせよ「和種馬」ではなかった。

 

スーパー産の堅い肉は、冷蔵庫で数日置けばコンビーフのようになるらしい。が、スーパー産の馬は歳が行ってるのかもしれない。歳をとるほど肉が堅くなるらしい。

 

馬は生産コストが掛かるので、高価になってしまう。

 

 

 

和種馬には合計8種類の馬がいるらしい。和種馬は品種を保全しなければならないので、食べるわけない。

 

俗説通りでなくて安心。

 

長文のご精読ありがとうございます😊

 

 

参考サイト↓

肉の大栄 熊本 馬刺し・くまもとあか牛専門店

どんな馬が馬刺しになるの?馬の種類によって馬肉の見た目や味が変わるのは本当?

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トルコキリム展2025「暮らしを彩るキリム テュルク系遊牧民の手の技」

2025年03月01日 | 中央アジアその他

場所は代々木上原ハコギャラリー 2/21(木)-24(月)

 

 

店の入り口から、先日書いた“救養草”のような香りがした。

 

トルコ料理に使われる香草か、キリムの布から漂うのか?

 

 

 

雑貨のマルシェノスノスさん他と、トルコ料理のKeyif さんの他のコラボ企画である。マルシェノスノスさん側はキリムを販売している。

 

キリムとは、トルコやイラン、コーカサスなどの中近東の遊牧民の伝統的な平織りの織物

 

遊牧民の女性の手仕事。女性が家族の幸せや健康、繁栄の願いを込めて織る。同じ物は一点として無い

 

 

これはアゼルバイジャン🇦🇿の布である

 

 

 

 

コーカサスキリム 織られた地域と特徴

 

キリムの値段

 

 

チェチェンフェルトの説明

 

 

チェチェンフェルト

 

 

 

 

 

 

 

置いてある真四角の布の中心のまるの中に刺繍されている模様は、腎臓模様といって、豊かさや富の象徴である。

 

人がいて、撮影出来なかったものもある。すまん。

 

読者様はどれが好みですか?

 

 

 

山と羊群の絵は家に飾りたい

 

 

仔羊の皮を剥いだのだろう。リアルな羊毛で触ると気持ち良かった。

 

キリムやカザフ刺繍やフェルトなどの遊牧民の手仕事の柄は、曼荼羅のように、模様ひとつひとつに意味がある。遊牧民の生きる為の智慧や、家族の幸せや繁栄を願って丹精込めて織っている。近いもので言えば、日本の晴れ着であろう。

 

カザフ刺繍のトゥスキーズ布は、全体の構図が曼荼羅に似ている。カザフスタンはイスラム教徒が多い国だが、モンゴルにも近いし、仏教の影響もあるのではないかと思っている。或いは遊牧民が仏教に影響を及ぼしたのか。遊牧民の作るものは、音楽にしても、*トライバルラグ(キリムやギャッベなど)にしても、経典の要素がある。

《トライバル:部族の》

 

遊牧民の作るものに、くだらないものなどない。

 

ところで、自分は仏教だのイスラム教だの書く割に、“宗教”というものがあまり良く理解出来ていない。

 

日本で、所謂”宗教“といえば、カルト教団を連想してしまう。カルト宗教については、詐欺犯罪組織とさえ思っている。カルト教団に入るくらいなら、神や仏を極める人は、自分で修行して、己で悟りを開けば良いとたまに思ったりもする。カルト教団は巧妙な手口で、善良な市民を騙す。その市民が神や仏を求めていなくても関係なく勧誘し、入会させて金を搾りとる。信徒は何も悪くない。

 

檀家や氏子のように先祖代々信仰しているものに漠然と所属する。そんな感じで良いのかも知れません。そういうのが何もない人は、初詣や、地元の神社参拝。先祖のお墓参り。そんな感じでいいような気がします。いかにも、にっぽん人な意見ですみません。自分にはそれしか解りません。信教の自由があるから何も口出し出来ないので何とも言えませんが。イスラム教徒などは、先祖代々信徒をやっているのだろうと思われます。

 

 

ジョージア🇬🇪に某カルト教団の信徒がいない…らしい。その教団は世界的に拡大して布教していたらしいが、ジョージアだけには信徒がいないらしい。一説によるとジョージアでは“人権教育”なるものを公教育で施している為だといわれる。その教団の教義内容と、教団が信者に課すものが、目に余る程の“人権侵害”であるらしい。

ジョージア人に教団の教義を説いても、人権侵害だ訴えるぞ!といわれるだけで、布教出来ない有様だったと、想像に難くない。

 

コーカサスキリムの話から、ジョージアの人権教育の功徳の話になっちゃってすまん。

 

何故ジョージアが国として人権教育をするに至ったのか、どのような歴史的背景が絡んでいるのか、そこに潜むコーカサス事情などがあるのではないかと、漠然と想像しながらコーカサスキリムを見ているととても感慨深い。

 

牛モツのスープ

 

 

トルコ料理教室Keyif さんのスペシャルスープセット

 

スープは日替わりで、モツは、日本でもトルコでも、賛否に分かれるらしい。

 

日本とは違い、臓物はトルコでは放るもん(ホルモン)ではなく、食べるもの。牧畜文化の有無の違いである。

 

白いスープは多分牛骨スープだと思う

 

ほうれん草と何かを切り刻んだものと、少しピリ辛の香辛料の練ったもの。これをパンにつけて食べるとよい

 

スープの味をつけるもの。

 

にんにくと葡萄の酢を混ぜたもの、唐辛子、葡萄の酢、塩

 

料理というものは結局“塩”だと思った

 

 

トルコチャイとデザート。トルコチャイは甘くはなかった。

 

トルコチャイのグラスかわいい😍

 

Keyif の人によると、トルコでは紅茶には砂糖を入れて甘くして飲む文化がないと言っていた。

アラブでは元から紅茶を甘くして出すらしい。

 

白いデザートは、杏仁豆腐にココナッツをまぶしたような感じだった

 

チャイの脇にもデザート。日本に例えると、ゆべしみたいな感じであった。

 

砂糖など入れなくても、デザートの甘味だけで充分足りた。

 

食後感は、全体的に軽かった。トルコ料理、とってもヘルシー。

 

美味しかったです♪ご馳走さまでした😋

 

 

自分はモツが好きなので良かった。

 

過去には“臓器カレー”を作った事もある

 

臓物カレーのレシピ - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

臭みを取るのが面倒くさかった。シーフードカレーみたいに気持ち悪くはなかった。シーフードが苦手な方はお試しあれ。

 

今日はシルクロードのものを堪能出来て良かった。日常では決して触れる事の出来ない貴重なモノたちでした。やっぱ非日常は素晴らしい。自分には、日常を楽しむ事など難しい。

 

長文のご精読ありがとうございます♪

 

カザフ布トゥスキーズ全体図

 

遊牧文化祭 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

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