斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

大いなる勘違い

2022年12月30日 | 中央アジアその他

今から書く事は、悲報過ぎます。以下の事実は打ち明けるか、わざわざ言う必要もないのでそのまま放置して自分の好きな事を続けるか非常に悩みました。

 

それぞれ違う人から5度も同じ事を注意されるって馬鹿ですよね。

なんでここ迄放っておいたのですか?

と非難される内容があります。

 

これは、自身で思い返すのも恥ずかしいです。「恥」に尽きる恥ずかしさなので非常に思い返したくもない。

 

その恥とは「CANADA」です。

 

CANADA=恥とはあまりにも暴力的な言い方かも知れませんね。

 

私は、大いなる恥をかきました!!

 

という事をカミングアウトする装置として今日のブログを書きます。

 

これじゃまるで「CANADA」というのが罵詈雑言の一つのように聞こえますね。

 

これまで5人の人間から、私のコメントに向かって来る3文字カタカナの国の名前が、自分に対するディスりとか、罵詈雑言のように鋭く突き刺すワードに見えてとても恐怖でした。

 

「お前は🍁🍁🍁だ!」と言われてるみたいでその度に蕁麻疹が出たり、頭が非常に痒くなったりしました。

 

関係ない所でも蒙古斑()🍁🍁🍁トロントに一時的に拠点を置いていたとか、ア∬ル・ヴィー≧という歌手が蒙古斑()のリーダーに接近してた事実があったとか、Åン〓ル・⁂ラ▱という🍁🍁🍁人男性グループと長い時間一緒にライブしてたりとか、それも気持ち悪かったです。

簡潔に申し上げますと、カルガリー(Calgary)を始めとする草原の道、ステップロード、アルタイ山脈の一部に関する事柄を中央アジア、カザフスタンとして情報を流していましたが、それらは全て誤りで、実際には.......

カナダでした🇨🇦

無自覚に🇨🇦の内容ばっか発信していたようです。自分でも解ってませんでした。

インスタで、カルガリー動物園のマヌルネコの写真から始まって、ステップロードの延長にある1という道、エドモントン、レジャイナ、ウィニペグ、サスカトゥーン、サスカットチュワン州、アルバータ州、オタワは全てカナダでした。

 

カルガリーを、カザフスタン北東部、旧アルバータ州(現在パブロダル州)にある、地図に載らない経済特区だと思っていました。

 

パブロダルという州都は英語名で(エドモントン)とも呼ぶのかと思っていました。

 

アルバータ州から見える雄大な山脈は、アルタイ山脈だと思っていましたが、実際にはカナディアンロッキーでした。

 

ロシア側からのアルタイ山脈の見え方とカザフスタン側からのアルタイ山脈の見え方が随分と雰囲気が違うなとは思っていましたが、山というのはそういうものかと思っていましたが、実際には全く違う山脈でした。

 

サスカットチュワン州は現在の北カザフスタン州の旧名かと思っていました。

 

ウィニペグはカザフスタン北西部のコスタナイ州にあると思っていました。

 

ウィニペグ湖は国境を跨いで、ロシアのチェリャビンスク州にあると思っていました。

 

ウィニペグから100km前後に国境があります。

カザフスタンとロシアの国境だと思っていて、エマーソン/トロイツクボーダーというのかと思っていました。

エマーソンというのはカザフスタン側、トロイツクというのはロシア側だと思っていました。

 

エマーソンという地名があるように、カザフスタンには英語の地名、エドモントンやブランドンその他がめちゃめちゃいっぱいあるのかと思っていました。何故なら中央アジアはロシアと英国の鬩ぎ合いの地だったからです。

 

カザフスタンにはカザフ語、ロシア語、英語、シベリアタタール語その他の地名が混在しているのかと思っていました。

 

サスカトゥーンの意味はチャチャルガンだと思っていました。

チャチャルガンについてはハワリンバヤルの記事にあります。

 

モンゴルの春祭り・ハワリンバヤルに行ってきた - カルガリーたん

 

ロシアのウクライナ侵攻を機にアルバータ州からパブロダル州に名前が変更されてしまったのかと思っていました。

 

トロント近郊は、アルマトイ近郊だと思っていました。CNタワーがアルマアタタワーに見えていました。

 

オタワは、未承認国家の首都だと思っていました。アスタナでもアルマトイでもないのに、国会議事堂があったからです。

 

メープルリーフの絵が看板や道路標識や列車の側面によく描かれていますが、メープルリーフ柄は今はもう現存していないシビル汗国の国章ではないか?と思っていました。

🇨🇦はカナダの国旗として認知しております。

 

カザフスタンの北部3州だと思っていた所が実際にはカナダのプレーリー3州でした。

 

カザフステップだと思っていた草原は、カナダのプレーリーでした。

 

カザフスタン在住のエヴェンキ族だと思っていた部族は、カナダ在住の北米の先住民クリーネーションでした。

 

これだけ間違えていれば……

 

見るのが怖かったカナダの地図をよくよく見たら、全てありました。

そして長年拒んでいた検索も、ついにしました。

「カルガリー」や「ウィニペグ」など。全てカナダでした。

 

いやー。嫌ぁこれから先、テュル活その他、どうしたらいいんだー!!

 

暴力的な勘違いです。

 

自分が偶発的に出くわした中央アジアというものが全てカナダだった。運命的な出会いだと思って愛でていたのに

もう、どうしたらいいかわかりません。

せめてハンガリーとかポーランドだったらまだ解るけどなんで大陸自体違うカナダなんだろう。

 

文化人類学者先生や、中央アジア雑貨に関わる仕事をしている方、飲食店関係。

の提供する中央アジアの事柄は、カナダではなく、間違いなく中央アジアだと思います。

 

自分が偶発的に出くわしたもの(カナダ)と中央アジア界隈の提供する情報と、自分が追う中央アジアに関する情報と混同してしまっていた事も、勘違い(カナダだと見抜けない)の原因のひとつだと思います。

 

ほぼ毎朝、挨拶ツイートをしていてそれには中央アジアやロシアなどの地域のインスタ画像のキリトリを載せているのですが、それをやるのが通勤途中。通勤時間はそう長くないので、画像を見つけてツイートするまで短時間で済ませなきゃならない。インスタに書いてある文字を読んでいる暇もなく、上げてしまうのもミスの原因だと思いました。Saskatchewanだからカザフスタンか。上げよう。

 

これはカナダです!と注意されたのは5回。

 

・オタワの事を未承認国家の首都、アターヴァとしてブログに書き、

「オタワはカナダです」と指摘される

 

・ブログにアルマトイ近郊列車のGO鉄の事を書く。これもカナダでした。と指摘される

 

この2つは言われてからすぐに地図で調べたので勘違いから脱却した。

 

・ブログコメントで、挨拶ツイートにカナダの画像が中央アジアとしてツイートされてる。との指摘があり、アルバータ、カルガリーetc….は全てカナダですと指摘される。

 

私はこれに関してはアンチによるディスりなんだと思い、信用しなかった。ただ、この人は私のツイートをいつも見てるので、また言われるのが嫌なので、名所や特定の建物やアルバータとかカルガリーといったカナダとして扱われた地名を出さずに挨拶ツイートを続けた。

 

#アルタイ山脈 として挨拶ツイートをした山脈を、場所を特定して地図までつけて

「これはカナディアンロッキーです」と指摘される。

 

・中央アジアの草原にオーロラが出るという情報をインスタからのキリトリ画像を添付してツイッターに上げたら、

画像検索されて「これはカナダ人がカナダを撮影したもの」です。と指摘された。

 

全く別々の5人にカナダって言われた…..

もう検索しよう。

 

自分の愛でる中央アジアをカナダとしたくはないが、これ以上続けるともっとカナダと言われてしまう。もうカナダって言われたくない!

 

でもこれらのプレーリー地域、私には到底カナダだと認識することは出来なかった。

 

東京FMブルーオーシャンの住吉美紀さんがカナダのバンクーバーに3年間住んでいた事がある。

住吉さんがラジオで教えてくれるカナダは海があって山がある。そして都会である。

 

しーまんさんは、昨年よりカナダ・モントリオールに家族で移住。動画を見て、これがカナダか!凄い!と感激した。

プレーリーカナダと同じ国として認知出来ない。

 

赤毛のアンのプリンスエドワード島。

これと内陸カナダが同じ国として認知出来ない。

 

ヌナブト自治管区。イヌイットが住む北極圏。カナダらしい。これとサスカットチュワンが同じ国だと認知出来ない。

 

カナダに行った事はないが、情報で得られる圏内では内陸カナダという存在を誰も教えてくれなかった。

 

そもそも私のアタマの中にカナダなどという国は存在しない。

 

私の関心は、こないだの民族的ルーツの話じゃないけど常に旧東側諸国とアジア大陸に向いている。だからなのか、北米大陸など眼中には無い。

 

インスタでカルガリーに出くわしたのは、2021年の4月。マヌルネコの写真から、撮影者のアカウントへ、カルガリーという街へ、アルバータへ。

そんな感じで足を引っ張られていく。

 

アルバータの郊外や田舎は、言葉で説明するのが難しいんだけど、自分の心の原風景っていうか、日本的()既視感というか、たまにふとした折によぎる景色というか…..

風の当たった感覚を想い出すっていうか?! めっちゃ不思議なんだけど、

そんな所が実在していると思った。

カルガリーってどこだろう?と思ってググろうとしたが、知ることで影響を受け過ぎてしまうだろう?という怖さもあって「知らぬが仏」という言葉があるように、ググるのを忌避していた部分もある。

 

カルガリーという言葉はテュルク系の語のような響きもあって、多分中央アジアだろう?

という知ったつもりで勝手に場所当てゲーム、国当てゲームを始めて、自分なりに特定してしまった。

カルガリーに限らず、ステップロードの街の郊外や田舎はどこも不思議な、時折よぎる風景だった。懐かしいとか、そういうものとも違う。

 

この広範囲に渡るステップ地域は中央アジアを構成する大切な要因と考えるようになった。そうしてうっとりしていると、

 

そのうち「カナダ」と言われる。

 

そして、カルガリーその他を余計にググれなくなる。検索結果がカナダだと怖いから。

カナダの地図も見れなくなる。←そもそも見た事が無かった。

 

5人に同じ事指摘されてググると結果はカナダだった。あれだけ足掻いたものの、この不愉快な事実には勝てなかった。

 

もう終わりだ

 

この地域故に、中央アジアに多大な関心を持てたのに、根本が狂っていた。

自分の身体の半分以上が無くなってしまったように感じた。

私はカナダ故に中央アジアを愛でていたのか。

まだ蒙古斑()が残っているので、完全に死んではいないのだが、蒙古斑()がもしツイッターとかで「実は自分らカナダ人でした!ちゃらーん!」なんて言い出したら完全に死んでしまいます。

 

そうしたらもう、筋金入りという事になってしまいます。

 

そしたら完全に乗り換えた方がいい。

 

まぁ、こっちはあるわけない。

 

今後、中央アジアとの関係性をどうすべきか?

 

しかし何故こんなカナダの内陸なんかに、既視感を感じる事があるのか?とても変で、我ながら理解出来ない。幼少時に目にした本の絵にカナダの内陸っぽい世界観が描かれ過ぎて影響を受けたのか?(←どんな絵本やねん?)私は赤毛のアンを読んだことはない。しかも内陸が舞台の話じゃない。

よく行く、よその家に飾られていた絵がカナダ内陸の絵でそれのせいとか。覚えてないけどそんな事があったのかも知れない。

家に知らぬ間にカナダ製のモノがあって、知らぬ間に自分が普段から身に着けていたらそれから影響を受けてこうなった。そのモノが内陸地域で製造されたモノである。

冗談ではなく、私は普段から持ち歩いているモノの気持ちとかバックボーンとかが分かる。

カナダ内陸を「中央アジア」だと思っていたので、

「中央アジアだから、既視感がある」ような気がしたのかも知れません。

自分のルーツともしかしたら関係があるかもしれない、家族・親戚・身内側の国かも知れない「中央アジア地域🐫」。先代が生きて暮らして風を感じた土地の記憶が遺伝子に刻み込まれているので、既視感があるのかと思ったりもしました。

単なる思い込みに過ぎないと思うが、ひとつ確証がありそうな理由として、考えられるのは東京FMブルーオーシャンのパーソナリティー、住吉美紀さんによる「刷り込み」の可能性がある。

10年近く彼女の声を聞いていると、刷り込まれている部分もあると思う。

 

私は実は異能力の持ち主です。他人の見聞きしたことを自分の記憶として、取り込んでしまっていたという事が時々ある。

私は感受性が非常に強く、人の影響を受けやすい為、そうなってしまうのかも知れない。

 

住吉美紀さんはバンクーバー。私は内陸カナダを勘違い?!住吉美紀さんは、かの地にいる時内陸カナダのあの雰囲気を感じた事があるのかも知れませんね。

 

それがラジオを通して刷り込まれてしまった?!

 

私はカナダには行った事がない。それなのに既視感的なものがあるのはどう考えても理解が出来ない。考えあぐねた結果、一番あり得るのが「刷り込み」

こういう、どう考えても原因が解らない事柄の本当の原因は、人や周りにある。私はそう信じている。人からの影響だったり、モノからの影響だったり、外部から攻撃して来るもの。自分には何も問題はない。だから取り敢えず、住吉さんのせいにでもしてこの件が片付けば円く収まると思っている。それ以上は深掘りしない。

「恥ずかしい」ですが、それは自分の馬鹿さに対して「恥」を感じる。私ってこんなに愚かだったのか。という知りたくもない真実を突きつけられた。出来ればこんな事、本当に早く忘れてしまいたい。

 

ブログコメントで、挨拶ツイートにカナダの画像が中央アジアとしてツイートされてる。との指摘があり、アルバータ、カルガリーetc….は全てカナダですと指摘された方、本当にありがとうございました。

これらのワードをカナダだと指摘してくれなかったら根本的な解決には至りませんでした。カナダを「中央アジア」と混同して誤ツイートを今まで続けてしまい、たくさん誤解を与えてしまいまして、本当に申し訳ありませんでした。

 

中央アジア界隈の方々、特にカザフスタン界隈の方々と、中央アジアを知ろうとされている方には特に謝罪申し上げます。

 

カルガリーという謎な名前について - カルガリーたん

 

中央アジア北部の風を感じるもの - カルガリーたん

 

遊牧文化祭 - カルガリーたん

 

中央アジア北部の写真をみて、日本的に思えるところ - カルガリーたん

↑はすべてカナダでした。この真実を知って心の中がだいぶ荒廃しましたが、今後このようなミスが無いように気をつけます。

荒廃の原因は誰も悪くありません。全て自分の責任でした。

終わり

 

 

 

 

 

 

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日本社会には混血があってはならない?!

2022年12月29日 | ザ・日本人の気持ち

民族アイディンティや血統の事について。旧東側やアジアの人々は自分の民族的血統を明確に知り、それを大切にして生きている。

ロシア人YouTuberの動画見てると、自分の両親がどの民族出身で父の父方、父の母方、母の父方、母の母方、更に祖父母の民族的血統を明確に知っている。とてもとても羨ましい。

ロシアは多民族国家なんだと感服させられる。

ロシア人は自分と友人や、自分と彼氏などが、全く違う血統である事が普通で、だからなのか解らんけど、自他の区別を明確にして「個」の頭で考えているという印象を受ける。一人一人が本当に全然違うという印象を受ける。「個」が誰にも似ていない。

 

それに比べて「日本人」は互いに似ていて、同じ歳ぐらいの若い人だと区別が出来ない事も多い。

私も若い頃がそれだったらしく、学校の先生にいつも名前を間違えられていた。会社でも昔いた若い社員の名前で呼ばれていた。私ってそんなに個性ない?

と思ってたけど今度自分が間違える側に

 

「個性」って何だろう?と考えさせられる。

まず頭に浮かぶのは「自分らしさ」「他人に流されない事」「強い意志」「自己主張」

という正統な意味と

あまり良いニュアンスではない

「癖の強いところ」「協調性のない」「自己中」

「変人」「我」「出る杭」など。

同様に、アイディンティて何?という問いに自分なりに答えると

「自分が人と違うという確証」

でもこれでは、IDやパスワードや携帯番号などと同類になる。

酷い。

 

いくら考えてもこの2つの明確な答えが出ない。

これでは自分がこの先、他人に支配された人生になってしまう可能性大。モラ男と付き合って、生涯奴の顔色を窺って、自分にとって大切なものを犠牲にして人生棒に振る可能性大。

自立した人間にならなきゃ!ちゃんとしなくっちゃ!

どうやら私は「自分」というものはあっても、自己の性とアイディンティが解らないらしい。

 

先程書いたロシア人が民族的血統(ルーツ)を自分でよく知っている事を書いたが、あれは本当にアイディンティであり、個性である。

自分がルーツを知っているという事は同時に強みでもある。自立した人生が送れる第一歩だと思う。

私にはルーツが無いから….と言ったら両親にめちゃくちゃ殴られる。それ以前にめちゃくちゃ失礼。

あり得ない言葉です。

 

ルーツを知る事と「自立」とはどういう相関関係があるのかよく解らないが、何故ロシアやアジアの方々が、一般の日本人に比べて自立してるのか?

ルーツが解っているという事は、気分的に何らかの後ろ楯があるという事で、ましてや他人とは違う自分オリジナルの後ろ楯があるという事は、自他の区別をわざわざする努力をしなくても、自然に出来るという事なのかも知れません。

そういう意味で私は後ろ楯がないからなんて言ったらまた怒られるけど、私には「自立」は難しい。

「自分に自信がない」「自己肯定感が低い」

これめっちゃ私です。

 

日本人に私と同じ様なのが多いのは、自分の民族的ルーツが解らないというのと多少関連があるのかも知れない。

 

自分の民族的ルーツを知らないのは、日本人の中でも私だけなのでしょうか?

自分のそういうの解ってる人の方が大多数ですか?それとも解ってるのが当たり前?

他人に聞く事が出来ないので、今度知恵袋にでも質問してみようと思っています。

 

前記事で書いたように、日本人は多様な遺伝子を持つ可能性があるに関わらず、単一民族として括られてるだけ。なのでしょうか?

昔から「日本人はどこから来たか?」という謎が解けません。

日本に住んでいるから日本人。単にそれだけです。日本人、それだけで完結してる民族なので日本民族、以上。確かにそれも正しい民族定義の仕方である。日本国パスポートも、血統が日本人である事が条件。

自分のルーツをそれ以上追っても意味がない….それは解ってる。

そんなもの、追う意味は何か?日本はロシアとは違う。と言われればそうだが。

自分と他人との区別を明確につけたい。自立した人生を送りたい。他人に支配された人生を送りたくはない。独自の後ろ楯が欲しい。自分がどんな人間か知りたい。これが全て。

同じ日本人というだけで、面識のない全く赤の他人と同じに括られたくはないです。

先記事に書いた「和人」は「和」の精神で渡来人の民族的アイディンティを殲滅させた。の続きになるが、「個性」とはすなわち自分の民族的ルーツ。と仮定すれば

「和人」というのも「何らか」ではあるものの、自分のルーツを隠すなり殺すなりして、すなわち「個」を殺して「和人」となっていった。次々来る渡来人のルーツ()を否定し同化させていく。

 

先記事の「和人」は優しい和人だが、運が悪ければ難民騎馬民族を皆殺しにするような「和人」に出くわしていたかもしれない。

 

先記事の和人も、降伏しない奴は徹底的にぶっ潰すタイプの群れなので難民騎馬民族が従順でなければ、どうなっていたか解らない….という裏設定があります。

 

 

昔から言われてるけど、日本では「個」が否定され、より大切な「全体」の為に仕えよ。という風潮がいつまでも消えない。

日本社会では伝統的に、違う質のものがあってはならない。混血があったとしても、隠したり無かった事にしなければ叩かれる。違う質のものを散々虐めて同質になるまで執拗にやるという事は、そろそろ卒業した方が良い。

言い方を変えれば「自立」する事を許さない。

「自立」しようとする奴を徹底的に叩いて非難して、甘えの構造のムラに閉じ込めて共依存を強要する。と見受けられる。

ムラというのは大きな組織などにも言い換える事ができる。大きな組織に帰属する事が美徳とされるのと同じだと思いました。

 

話変わって遺伝子の話。

ミトコンドリア染色体遺伝子、Y染色体遺伝子のハプログループに関する情報も非常に怪しい。

わかりやすく言えば、日本にとって太古の時代、どこから来たか解らない遺伝子(ハプログループD)とか、南太平洋とか、北米先住民とか、そんなのがいるとネットに書いてあったが、それはいるでしょうね。と思います。遺伝子を調べる業者は本人の顔を知らない。本人がネイティブアメリカンの血を引くアメリカ人との混血だったり、ネイティブハワイアンの血を引くアメリカ人との混血だったりした場合、ありえます。

米白人のハプログループが現れないケースもあると思います。

ハプログループDについては、世界でも珍しい遺伝子のようだが、それが日本にたまたま居た、というだけの話のようです。

 

私はそんなの調べた事がありません。そもそもそれは、父の父方の起源か母の母方の起源だけしか解らない。

現存する非友好地域とは全く関係ないかのような書き方も情報操作な気がします。

 

遺伝子だけでは、民族の特定は出来ないと思います。何故なら上書きされたりするからです。

表面的に現れている遺伝情報の下に潜っている、現れない遺伝情報もあるからです。

 

単一民族日本人としての誇りを持ちたいとも思いますが、自分の一族としての、現存する民族との明確な繋がりの証明が欲しいです。自分の一族はどう生きて来たのか?どういうメンタリティの傾向があるのか?

孤立人種ではなく実際に世界との繋がりの証明が欲しいと思っています。

続く….

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彼らはどこへ行ってしまったのだろうか?

2022年12月28日 | 中央アジアその他

先記事↓

内陸アジアに迷い込んだと錯覚する所を散歩 - カルガリーたん

の相模川中腹の内陸(両岸の穀倉地帯、相模野台地、厚木)に流れついた騎馬民族のその後についての妄想ヒストリーです。

彼らのアイディンティは「和」の精神で浄化されてしまったのだろうか?

ここでいう「和」とは和病でいう「和」です。

 

「和病とは、絆、団結、連帯、信頼といった不可視である「和」に執着し、それを乱すものは悪と捉え、考える力がなくなる。いわゆる思考停止の状態にする、日本人に顕著に見られる精神疾患のこと。」

 

アイディンティの浄化とは、民族浄化のように戦争犯罪で殲滅させるという物理的なものではなく、民族集団の帰属意識を殲滅させること。

(或いは物理的殲滅もあった可能性もあるが…)

 

の話は完全に妄想です。

 

日本列島に長年住む先住の多数いる人間(和人)は、その昔から「和病」の精神構造であった。

 

大陸から日本の相模川中腹、内陸の平原に渡来した騎馬民族は、次第に定住して、開拓し、定住牧畜生活を築いていた。そのうち幕府は、和人村落共同体と騎馬民族のいる地域を行政的に統合する。

 

和人は、渡来騎馬民族との共存のために、不可視である「和」の精神で騎馬民族としての考える力や言語や誇りなどを削いでいった。

決して「力」ではなく、「和」の精神で。

 

肉食をしないキレイずきな和人達は、彼らに肉食を禁じた。

 

牛や馬などはそのまま生かされた。

 

しかし、羊や山羊やラクダなど、和人の生活に馴染みがない家畜はたとえ健康であっても彼ら自身の手によって殺処分させ廃棄させようとした。

キレイずきな和人は自分の手を汚さずにこれをさせようとした。

 

理由は肉食に用がない事と、これらの動物の「衛生面」が心配という事。牧畜に馴染みがない和人は、動物の多い環境に神経がすり減らされた。家畜がいっぱいいるとノミやダニが酷い事と、鳴き声がうるさいこと、ニオイなどや、疫病などの予防の名目で殺処分させたかった可能性もある。

和人達に言わせれば、村のみんなに迷惑をかけるな!という事だろう。

 

和人側は悪意があったわけではない。彼らなりの「正義」と「常識」と村全体を守る「思いやりの精神」で動いたに過ぎなかった。

 

騎馬民族は、解ったと言いながら殺すことはせず和人達の監視のない時に家畜を原野に逃した。

 

家畜達は戦乱中の飢えていた時期、一匹残らず様々な人間に喰われた。

 

「ボクはお肉なんて食べません。」と抜かしてた奴にまで喰われたのである。

 

そして元騎馬民族は、人に頼らなければ餌が手に入れられないシステムである、何でも人中心の、人間だらけの村落和人社会で暮らさなければならなくなる。

 

騎馬民族だった彼らは、和人に言わせれば

「難民」

 

戦争難民か、食糧危機難民。

和人は騎馬民族を「難民」という非常に弱い立場と見なし、世話をしてあげているというつもりだった。

 

「難民」は犯罪をやるはずだと思われるが、それは無かった。とても優しい和人により食べ物に困る事がなかった事と、和人は実際にとても優しかったこと。絶えず村人に監視されてた為、逃げる隙も犯罪をやる隙も与えられていなかったと考えられる。犯罪に走る猶予もない。

和人達の愛によって生かされていた。

和人達からは「かわいそう」という扱いを受けていたが、そこに自由は無かった。

 

元騎馬民族は郷に従うしか生きる道は無くなってしまった。

「郷にいれば郷に従え」いかにも日本らしい諺である。

 

「世界」で生きて来た騎馬民族が「ムラ社会」という非常に狭い世界で生きるようになる。

 

和人達の関心はいつもムラ社会の「世間」に向き、他所者の故郷など自分達に関係のない外の世界にはまるで関心が無かった。

騎馬民族の「生活」や「世界の多様な人々」の話の内容より「他所者」の言葉遣い、仕草、食べ方など非常に細かい事の方が目についた。

他所者だから当然だが、目立つ動きが多い。

女達はそんな彼らにクスクスと笑う者が、正義マンなどは、目につく細々としたどうでも良さそうな事をいちいち非難していた。

「みっともない!」などと言って。

和人達は、この他所者たちの為を思って非難していた。

元騎馬民族はムラ社会の人間との違いを色んな人から非難されたり嗤われるにつれて、次第に人の目や世間を気にする様になり、空気を読む事とか、ムラのみんなに迷惑をかけない事ばかりを考え、民族的誇りを失っていく。

民族的誇りを感じるより、頭の中が人間の事だらけになっていく。

周囲と違っていると虐められる為、常に意識して同化するしか無かった。

「出る杭は打たれる」と常に咎められていたら自分を見失うでしょう。

 

ムラでは自分のルーツや故郷について話す事はあまり喜ばれる事ではない。ムラ人からは

「そんな事よりもっと面白い事あるだろう」と話を逸らされる。

 

この時代は戦争が勃発しやすい不安定な世の中だった為、馬の供給は欠かせなかった。

 

相模野台地は馬の産地。隣は信玄の甲斐国。

その時代、元騎馬民族は馬の仕事を任されていた。自分達が連れて来た馬で仕事をさせて貰っていた。それが唯一新天地で自分の民族的誇りを取り戻せる時だった。

元騎馬民族は和人と混交し、子孫を残した。

 

「和」の精神は、渡来人の民族的誇りを愛でもって溶かしていった。

「和病」は元々和病では無かった。それがいつの間にか何故か良くないことのように捉えられるようになって行った。それがとても悲しい。

民族的プライドなんてどうでもいいじゃん!

みんな和人になって、みんな仲良くね!

「和をもって貴しと為す」聖徳太子の政策です。

和の世界には、民族的プライドなどは必要がない。そんな事より人を中心にものを考え、仲良くする事。

 

の話は完全な妄想なので鵜呑みにしないで下さい。

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内陸アジアに迷い込んだと錯覚する所を散歩

2022年12月24日 | 中央アジアその他

以前の記事「中央アジア北部の風を感じるもの」と、「中央アジア北部の写真を見て、日本的に思えるところ」の2つがあるが、これはそれ系の続き。

 

この中で遊牧生活や遊牧国家に関わりそうなものはありますか?

相模川中腹の内陸(両岸の穀倉地帯、相模野台地、厚木)辺りをよく散歩する。

相模原市(田名 田名塩田 上溝 当麻 下溝 麻溝台 北里 双葉 美園 新磯野 磯部 新戸)

座間市(新田宿 座間 座間入谷 四ツ谷)

海老名市(上今泉 下今泉 泉)

厚木市(上依知 猿ヶ島 山際 関口 中依知 下依知 妻田 金田)

とその周辺。

 

私てきにはヨツヤ(四ツ谷)とキンデン(金田)が関わりがありそうな気がしますね。タナエンデン(田名塩田)のエンデン(塩田)やタイマ(当麻)も関わりがある気がします。

なんにもない所をただただ散歩するのが大好きなのである。自分ではなぜだかよく解っている。ただ快感を覚えるのと、その続きに内陸アジアが存在していると思っている。

なんにもない田舎は日本全国どこでも同じかといえば、そのような事はない。むしろこの辺りの地域は、日本の他の地域のどこにも似ていない特殊な雰囲気がある。内陸アジアに迷い込んだ錯覚をするほど、特殊な空間利用の仕方をしている様にも思える。

 

「中央アジア北部の写真を見て、日本的に思えるところ」という記事の一番最後に書いたこの部分

これは都市伝説と同じで、確証が充分ではない単なる私の憶測なので鵜呑みにしないで下さい。

単なるロマンです。

 

相模川は江戸時代に「馬入川(ばにゅうかわ)」と呼ばれていた。

馬入川は、相模川の河口の呼び名

名前の由来は源頼朝の乗る馬が突然暴れ出し、川に入り込んだことからこの呼び名がついたという伝説と、頼朝が川で落馬した、などの伝説もあります。

 

ジョチ・ウルスの滅亡は1502年か1783年と言われている。

その頃に起きた混乱か、気候変動による家畜の餌不足などで遊牧騎馬民族は、馬や家畜を大きな船に乗せ日本に流れて来た可能性が考えられる。

相模川の河口からその船が大量に入り、相模川中腹の平原に降り立ったという。それで馬入川。勝手な妄想です。

 

相模台地や厚木は、かつて良馬の産地だった。

相模原市麻溝台などには乗馬クラブなどがあり、相模台地にはそのような施設が沢山ある。その名残りかと思われる。

 

現在のあの辺り一帯の風景の誕生は、騎馬民族が紆余曲折を経て次第に定住した跡だった。

 

ここが大陸と地続きだと錯覚させられる。

教科書に載る、日本の大きな歴史にはそのような事は書いてない。

私はここら辺出身ではないので、ここの伝承などは知らない。が、伝承はあるのかも知れない。

ローカルな伝承ぐらいでは歴史にならない。

 

騎馬民族の数もどれ程いたのか解らない。当時は入国管理など全くしていなかった。

これがもし、何百とか何千とかではなく、何十万とかいれば歴史に残っていたのかも知れない。

それでも口頭伝承では歴史にはならない。

 

当時の自治体の役所関係にあった人が、毛筆で移民事例などを編纂していれば、ローカルな歴史としては成り立っていたのかも知れない。

でも日本の大きな歴史には組み込まれない。

 

大きな歴史に組み込むか組み込まないかは、国次第。

 

それにしてもあの人達は何処へ行ってしまったのだろう?

 

相模川両岸の何処かの一画が、元騎馬民族の居留地として今も残っている事も考えられる。

彼らの先祖は元々騎馬民族だったのである….

みたいな展開にはなっていないのであろうか?

そういう人達は自分のルーツを明確に知っているのだろうか?騎馬民族の部族名まで解っているのだろうか?

 

騎馬民族の末裔に限らず、私はそういう日本人に今まで出会った事がない。

 

私は純血種日本人なので、自分のルーツは日本人以外に全く考えられない。

 

他人にはもちろん、相手が言って来ない限り「ご自身のルーツは解っていますか?」なんて事は聞けない。

誰からも、自分のルーツについて話をされた事はないし、そんな話題にもならない。

 

自分では解ってても、他人には絶対に喋らないっていう人は多分いる。

 

私はハーフの人と親しくなった事はないので、よく知らないが、ハーフへの虐めが酷いらしいという事が近年SNSで知るようになった。

私には混血などというものは遠い遠い世界の話でハーフや1/4など、そういう人には全く関心がなかった。

 

ハーフが虐めの被害の話を読んで思った事は

 

「日本社会では混血というものがあってはならない」

という風潮。

フィリピンやベトナムなどアジアのハーフは自分から言わなければ隠せるが、黒人や白人のハーフは隠せない。正直に言って可哀想。

 

日本では人と違う事は良しとしない傾向にあり、ハーフだと、人と同調する努力をしても形が違うから虐めの標的になりやすい。人種差別のようだが、根本的な原因が違う。形が違わないアジアのルーツでも、自分のルーツを隠している人は多いと思う。

 

日本は単一民族とされて来たし、孤立言語を話し、孤立文明である。外国人からよく「精神の孤児」と長年言われて来た。技術や政治や法律を学んでも、その精神は取り入れなかったという。

 

日本の歴史としては、まだ民族意識の確立してない縄文、弥生の昔に人が渡来して、一部地域に於いてのみ混血があった。そのうち、多分騎馬民族出身であろう天皇家が大和朝廷を建て、中央集権が進む。高句麗などからの渡来人が一部存在する。

その時点でもう単一民族ではないが、何故か日本は単一民族として括られている。

日本は、日本民族。それだけでアイディンティ的悩みは全くない。それはそれで良い事だと思う。

でも、世界中でこれだけ自己完結している国は日本しか存在しない。

 

コロナ禍前は外国やら世界にあまり関心が無かったが、コロナ禍以降、遊牧世界やアジアに覚醒して解った事だが、日本以外のヨソの国は他国と歴史的な深い繋がりがあり、同じ語族としての血縁関係がある。身内意識もある。

国境なんてものは、単なる国の境ではなく、軍事境界線、休戦ラインである事が殆どである。民族の境目ではなく国家当局の都合によるもの。だからディアスポラが世界中に存在している。

 

韓国人でさえ、自分達の祖先はツングース系遊牧民だという事を知っている。

 

日本人は、自分達の祖先は縄文人か弥生人か?そのどちらか。縄文人も弥生人も、何処から来たのかさっぱりわからない。天皇家さえも、自分らはルーツを知っているのだろうが、表向き外国から渡って来た事にはなっていない。高句麗などの半島からの渡来人については、殆どが他人事で埼玉県の高麗郡の人以外は、自分のルーツが半島に有るかも知れないと考えもしない。

 

日本人の大半は、現存する外国のどの民族とも実際に繋がりのない非常に独特な孤立人種なのである。

という事をわきまえて、私は日本民族。ただの日本人という事を誇りに思って生きて行きたい。

 

世界と繋がりのある他民族を羨ましいと思いながら、良い考えは真似をしようと思うが、気質や精神は外国人の真似は出来ない。

やはり私は外国人とは違う。全くをもって日本人の気質である。どう努力したところで気質や精神構造は外国人にはなれない。

 

遺伝子が精神構造などの内面にも影響しているという考えは持ってはいけない。思ってもいけない。

 

 

といつも自分に言い聞かせているが、うすうす遺伝子の影響もあるんじゃないかと思ってしまう。これは差別に繋がるから本当に良くないのだが、民族性は遺伝子で決まっているのではないか思える節もある。もちろん慣習や環境や歴史なんかもあるのだろうが、それらのものが遺伝子に刻み込まれていると、薄々思う。動物はそうなので、人間が例外という事ではないと思います。

人間は理性でそれを抑えたり出来るというだけの事。

 

などと、なんにもない所を考えに耽りながら歩く。

 

続く

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スフバートルコーヒーというお気に入りのカフェについて

2022年12月22日 | 日記

パソコンに向き合わないと小難しい記事は書けない。

勉強もそう。仕事作業中に頭の中で勉強が出来ない。勉強なんか自宅で出来ない。ネット環境やテレビがあるし、本はあるし、好きな音楽を聴いても人に迷惑にならないので、蒙古斑(仮)等のガチャガチャした曲を聴いて集中出来ない。

 

図書館でも勉強出来ない。これはできるようになるように努力するが、図書館は無駄に本が多いので、勉強なんかどうでもよくなって読書に耽りそうである。

ドトールやなんかの駅前カフェでも出来ない。店員の接客のせわしさ、隣客の雑談。マクドにいるのと同じである。長いするとやな顔されそうで、最大30分しかいられん。なんせ小心者なので。

 

スフバートルコーヒーというカフェが猛勉強に最も適している。

神奈川県県央の原野のどまんなかにある、超ド田舎で外の世界に逃げ場がない、ネット環境もない、無駄に本など、そもそも本などといふものはない。そこまで自分を追い込まないと、私は猛勉強など出来ない。

なんにもない、隣席とのスペースが充分にとってある為隣の雑談がそんな気にならん。客がその時間帯少ないので店員も別のテーブルで仕事などしている。あるのは暖かい暖炉と快適な空間、広い机、隣に木工作業場がある。とても雰囲気の良いカフェである。

 

自分が、カフェで目的があるととても居心地のよい環境である。スフバートルといふに相応しい。

というのは、モンゴルという国はそんな気がする。なんにもない、しかし目的さえあれば自由でとても濃い生き方が出来る。何もかも自分次第だ。そんな気がする。

実際にスフバートルコーヒーというワケではないので、モンゴルとは何の関係もない。店内がゴルかったら逆に気が散って勉強には適さない。店内音楽があたりさわりのない洋楽なので、気にさわらない。

 

散歩の中途にスフバートルコーヒーがあり、寄って猛勉強をし、帰りも明るければ歩いて戻る。時間の使い方が有効に出来るのでとても好都合過ぎる位置関係にある。

そもそも神奈川県央の原野に行かなければ、スフバートルと出会う事は無かった。何故勝手にこの店にスフバートルと名付けているのか、お察しがつくかと思われます。酷いよな。てめえは何でもゴル化したいのか?と笑ってもかまわん。

何故そうなる?多分あの原野一帯がそういった空気というか世界を持っているからそうなる。



 

 

 

 

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