斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

記憶の捏造でなければ凄い事だった話

2024年08月31日 | 日記

この記事は本当にどうでも良いので余力のある人だけ読んで頂きたく存じ上げます。

 

暇なとき、過去の自分のインスタを振り返って見ていたら、レインボーブリッジや晴海埠頭の投稿などの写真が出てきた。一時期、東京へ行く度、晴海埠頭、竹芝桟橋、レインボーブリッジ、ゲートウェイブリッジなどに足を運んでいた。海への憧れ第1期というべきか?港や船などに興味があった時期である。当時は晴海旅客ターミナルに寄って、海が見渡せる展望台で風に当たりながら過ごしたりしていた。このターミナルは寂れていたが、夢のある所で、ここで読書などに費やしたりしていた。2022年2月20日に閉鎖された。

 

そういえば昔、東京湾で*北米のもみじの国🇨🇦の軍艦を見かけたような気がする。と急に思い出す。

 

だいぶ昔だから、見ても無いのに見たように思い込む“記憶の捏造”かも知れない。

 

今更こんな事いったところでブログのネタにもならない。

 

“東京湾にカナダ艦”

 

とググる

 

 

軍艦に関するブログ1

晴海で「ウィニペグ」出港を見てきました - 幕張でポタリング日記

 

軍艦に関するブログ2

加国海軍「ウィニペグ」訪日│鎮守府新聞ワレアオバ

 

確かに北米のもみじ艦は東京、晴海埠頭に来ていた。

 

H.M.C.S フリゲート艦FFH338 WINNIPEG

 

これの就役20周年アニバーサリー東京親善訪問であった。

 

自分が見かけたような気がするのは、晴海埠頭からレインボーブリッジをくぐって大海にに向かっているところだった。

 

これを見た場所は芝浦南ふ頭公園。

 

当時の記憶を辿る。芝浦南ふ頭公園の端、海(河口?)に面した突端を歩いていた。晴天だった。ここからお台場側が見える。向こう側の岸沿いに、外国の軍艦が航行している。外国船であるというのは雰囲気で分かった。客船ならあり得るが、軍艦てどういう事?!自分は本当に軍艦を目にしてるのか?!ただの散歩中に軍艦と出会して良いのか?!レインボーブリッジの近くで軍艦見れるなんてラッキー!!

船尾にもみじ国旗がはためく。

 

こんな所に北米のもみじ艦?!

 

え?!ドッキリか何か?

 

遠路遥々もみじ国からこんなところまでやって来たのか???💥

 

成田・羽田からトロント迄飛行機で12時間掛かるらしいがこの距離をそのままこれで来たのか。もみじ東海岸から来たのか、西海岸から来たのか?

 

東海岸だったらスエズ運河を通ってホルムズ海峡を通って中東回りで日本へ?それかパナマ運河を通って太平洋へ出て日本へ?H.M.C.S フリゲート艦FFH338 WINNIPEGについてググると、もみじ哨戒フリゲート計画により製造されたハリセンボン級フリゲートの9番艦で1995年に就役した。セントジョン造船所で作られた。母港はCFB Esquimalt (エスクィマルト)基地。もみじ国のブリティッシュ・コロンビア州で太平洋側に面している。そのまま太平洋を横断して日本へ来た。

 

知らんけど。

 

 

 

ブログによると、2016年2月3日(水) 晴海埠頭出港 11:00

 

ヒトヒトマルマル。出港が11:00やん

 

その日自分はここ、芝浦南ふ頭公園に来ていたのか?もし来て無ければ完全なる記憶の捏造だ。

 

写真を撮った記憶は無いが、撮っている可能性もあると思って、昔の写真をほじくり返す。2月3日の写真は無かった。しかしこの時期、2016年の前半部分は、港や船の写真が多かった。だからその日、芝浦南ふ頭公園に行ってた可能性がある。晴海埠頭出港が11:00AMだったら、そこにいたのは11:00以降。記憶では午前中だったか昼だったか曖昧であった。ひとつだけ不思議なのは、護衛艦夕霧の記憶が無かったこと。夕霧がいたらもっとこの時のインパクトが強かったはず。夕霧は、先頭を航行していた。夕霧ともみじ国のフリゲート艦ウィニペグの距離は大きく開いてたようである。

 

自分が見たのは、日本滞在期間を終えて帰るところであったようだ。

 

写真撮っておけば良かった!

 

 

BSフジの紀行番組で「北米もみじ国その奥へ🍁オンタリオ編」のカヌーミュージアム🛶の職員が、「世界は水で繋がっている」という言葉が印象的だった。もみじ艦が日本まで来てしまう。来られるに決まっているが、この番組ともみじ艦晴海来航の時間的隔たりが大きい為、不思議な気がした。

 

自衛隊護衛艦夕霧と、もみじ海軍フリゲート艦ウィニペグは2016年1/31に晴海埠頭に入港で2/3に出港。

 

もみじ海軍HMCS(Winnipeg FFH-338)晴海埠頭入港をYouTube にアップした動画

 

 

《動画掲載:松辰》

 

動画内のどこかで撮影者がもみじ艦に向けて

 

「戦争をする人たち」とか言っていた。

 

こういう切り口で外国の軍を見た事は無かった。そのあともみじ海軍が出してる動画を観た。映画みたいで格好良かった。

 

もみじ国兵士は火器を手に、戦地で激闘をしている。

 

よく、自衛隊は実質軍隊と同じだと言う人がいるが自衛隊は戦闘地域に行って、軍事支援をするのみで戦闘は行わないため、戦力にはならないとされている。出動を命ぜられた自衛隊は、わが国を防衛するため必要な武力を行使する事ができる。

 

もみじの国民は戦争が身近にある。

 

もみじ艦の事で浮き足立っている最中に目にした記事。どうやら7&iが危機らしい

 

もみじの国の大手コンビニチェーンが7&i に買収提案を仕掛けた。

 

東洋経済は、株主を優先的に扱わなければならない決まりかなんかで、買収提案を斥けられない可能性が高いと書いてあった気がする。

 

他の記事では、7&iが提案を受け入れても、国が安全保障の面で精査するので、一筋縄には行かないと書いてあった。

 

全て円安の弊害である。これからも外資系による買収提案が増えると予想される。

 

長文をお読み頂きましてありがとうございます♪

 

《北米のもみじ:自分はこのブログ上ではこの国を正式名称で呼ぶわけにはいかない。自分にとって“カナダ”とはカナダオボー🔱であり、カナダホト🎪であり、カナダ村であり、金田である。馬鹿らしいけど紛らわしさ回避のため、この国を“北米のもみじの国🇨🇦”という事にしている。》

 

自分は日本というのはユーラシア大陸と陸続きだということがアタマの片隅にある。そのためか、*オボー🔱《オボー:モンゴルで建てられる一種の標柱》の跡が日本にも存在すると考えてしまう。

 

そこに集中して、海や水辺からの侵略という概念が無かった。戦争といえばドンパチ戦や民族浄化などの血みどろ戦ばかり考えてしまい、カネの戦争(経済戦争)という概念が抜けてた。

 

戦争が身近にある奴の戦略は、我々平和ボケの立てる戦略よりもしたたかだと思うから、奴らは簡単に引き下がるとは思えない。

 

観ている分には嬉しかったが、実際こちらに向かってくるとなると恐ろしい存在だ。

 

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自分の長所を褒められた事がない

2024年08月24日 | 日記

この歳になると自分がどういう人間か、よく分かるようになる。

 

自分の性格を端的に言うと「大ザッパ」

 

若い頃からザツな性格とか、鷹揚だとかガサツだとかデリカシーに欠けるとか散々言われ続けてきた。ザツな性格だからか知らんけど、学生時代、先生や保健の先生からザツに扱われて来た。保健の先生は、「お前は大丈夫だろ」と言われ、カット絆貼った患部をはたかれ、「我慢しろ!甘えんな!」で終わり。他の普通の人間は、丁寧に扱われ、「痛くない?」「お大事に」と笑顔対応。繊細な人ほど丁重に扱われ、果ては赤ん坊か?と思うような言葉まで掛ける始末。

 

学生時代は医者にかかる事も無かった。成人してからは10年に一度ぐらいは風邪やインフルエンザで体調を崩す事もあった。病院では流石に「我慢しろ!甘えんな!」と言われたことはない。客商売だからそれはないだろうと思う。

 

自分の文章を読んで、ザツな性格はよく理解頂けてると思う。

 

ザツ、ザッパはあまり印象が良くないのは充分理解している。

 

自分の大ザッパな性格は、ズボラともまた違う。もちろん他人から見ればズボラだが、ズボラというのは、計算ずくの上での手抜きだ。自分はその計算が出来ずに、ただキッチリしたことが出来ないだけである。

 

面倒くさがりというのともまた違う。自分は絶対にマメではない。しかし万事に面倒くさいと思う方でもない。

 

ラフな性格というのも全然違う。ラフな性格な人は周囲に敵意や警戒心を抱かせにくく、憎悪やイジメの標的になりにくい。

 

自分の大ザッパさは、不注意とか詰めが甘いとか手先が不器用とか気が利かないという類いである。大ザッパな性格というより大ザッパな性質(セイシツ)といった感じだ。自分ではどうにもならないものである。大ザッパ&無神経と言った方が良い。自分としては真面目にというか普通に取り組んでいるが、他人から見るとザツに見えるらしく、アンタはザツとおもむろに言われてしまう。言う人はBBAが圧倒的に多い。こんなに大ザッパだと長生きするわ。とか言われる。

 

自分の大ザッパさは、周囲に不快感を与えているらしく、今まで色んな会社の同僚にそう言われて来た。今まで、多くの会社で、適性なしと言われクビになってきた。不注意によるミスは、大ザッパな性質の人間でも、やり方次第で克服出来る。問題なのは克服が簡単なケアレスミスより、ふわっとした分かりにくい指示を、自分の都合の良いように解釈して動いた結果、発生するミスの方だ。分かりにくければ、自分が理解出来るまで何度も聞く。その部署の係長は気の短い上司で「何度説明すれば理解出来るんだ!!普通に考えれば分かるだろ?」と怒鳴られたりもした。そしてミスばかりしていた。意思の疎通不能である。普通の察する能力のある人なら1を言えば10出来るらしいが、自分は1を言えば0で3度聞いても3か4らしかった。人前で怒鳴られる続けると、次第に周囲からも軽蔑されるようになった。こんな会社に何年も勤めるのか。と思った時に別室に呼ばれて、総務からクビを宣告され、明日から来んなと言われた。アルバイトだし。しょうがない。まあいっか。この会社居づらくなったし。と思って、次の日にはケロッとしていた。

 

別の会社でも、派遣でオフィスに入って仕事をしたが3ヶ月でクビになった。派遣だからクビになるのはしょうがないが、クビを宣告された時に理由を聞いたらア然とするものだった。他の女子派遣社員と和が保てないためだと言われた。業務と関係ない理由だった。和が保てないと言われると、喧嘩やトラブルなど和を乱す行動をしたかのように思われるが、そんな事をした覚えはない。心当たりがあるのは、女子派遣社員たちから村八分を喰らっていた事。トラブルメーカーだったから村八分を喰らっていたわけではなくて、自分でも理由が分からない。業務に支障は無かった。私が派遣社員の中で異様で浮いた存在だったのが鼻についたのだろう。その他にも色々な会社で適性なしとか、協調性に欠けるなどという適当な理由でクビになっている。ミスが多いとか、言っても治らないとか、仕事が遅いとかもっと具体的な理由が欲しかったが、協調性がないというのは、会社にとって支障だったのだろう。

 

母に昔々から言われているのが、「アンタの大ザッパな性格が人生の全てをぶち壊してる。」それは当たっていると思う。

 

周囲や上司から大ザッパな件で指摘を受けるのは、勿論ミスが非常に多い事もそうだが、それ以上に、察しの悪さや空気の読めなさや、協調性に欠けるところなどが多い。

 

ミスとか作業のザツさ以上に、周囲の女性たちから神経が図太いと言われる事は「空気の読めなさや察しの悪さ」だと思う。言うのは決まって女性。

 

キッチリとした性質(セイシツ)の人から見れば、詰めの甘さとかザツさは、非常に許せないということは分かる。ザツさは改善しようと努力してきた。空気の読めなさや察しの問題も改善しようと努力してきた。しかし、空気読むのと察しの問題を克服するのに限界を感じている。ザツさ改善も限界あるけど。

 

この歳になって自分についてやっと分かったこと。

 

空気読むことやチームワークが非常に苦手である。自分の独断で周りを見ないで暴走したりする事が多々あった。あと、自分の人生観に、完璧の概念が無いということ。完璧主義者の心は全くわからない。

 

自分は協調性が無さすぎるわけではない。人とトラブル起こしたりはしない。寧ろ、温和な部類だ。チームワークは本当に苦手だ。だから球技が大嫌いだ。

 

察しが鋭い人は、些細な事でも精神的にダメージを受けやすくストレスが溜まりやすいらしい。察しの鋭い人には優秀な人が多いが、優秀な人ほどデリケートである。察しが鈍い人は、メンタルがタフで、体も頑健である。自分は本当に頑健だ。

 

察しの良し悪しは天性のものがあると思う。察しが悪いから治そうと努力しなかったわけではない。でも無理なものは無理。

 

酷い扱いを受けた時に傷ついたり、悲しかったり、ストレスが溜まったり、疲れたりする事はいくら頑健な自分でもある。しかし普通の人間や察しの鋭い人間は自分のような鈍感の比ではない程のダメージだろうとは思う。

 

自分はザツで鈍感なため、学校を含む社会から絶えず非難を受けて来た。自分としては普通に生きているだけで何故そこまで非難されなければならないのか、常にモヤモヤしていた。母に言わせれば、丈夫で大人しく、扱いやすくて、育てやすい子供だったと言う。しかし社会では全然ダメだった。学校で自分がイジメられたときも、イジメた側を大人たちは擁護していた。イジメた張本人の子というのは、普段強がっているが、しかし彼女はとても繊細な性質だという事で、彼女の生い立ちなども考慮され、彼女のイジメの行為は弱さの裏返しだと学校側は擁護していた。イジメる側は徒党を組んでいる。徒党を組むことは弱さゆえの事だ。自分は基本的に一匹狼だ。そういう意味では彼女は弱い人間だ。イジメられた自分は、担任から“図太いから大丈夫だろ”と思われ、「気にすんな。」の一言で終わり。彼女は誰からも非難されなかった。40年以上経った今でも、見つけ出して復讐してやろうとふと思う時がある。いくら図太くても、傷つくことはある。図太く無神経な性質だと、大人たちからは痛覚さえ無いと思われ勝ちだ。

 

人の社会(世)では常に繊細な性質の者が擁護され、協調性の高い者が重宝され、手先が器用な者がもてはやされる。それに対して自分は、空気が読めなくて協調性がない。人の社会(世間)では、その時点で人として終わっている。

 

イジメられても、自殺する勇気はない。飛び降りるのは怖いし、首を吊るのもさんざん苦しんで、力尽きて死ぬので、苦しむ勇気もない。そういう面では自分は弱い。

 

散々イジメられても解決した途端、寝たら次の日にケロッと忘れてちゃってた。でも時々復讐したい感情が湧き起こる事がある。

 

自分は落ち込んで夜が寝られないということは今までの人生で無かったし、イライラしてご飯が喉を通らないという事もなかった。全ての物事は寝たら次の日にはケロッと忘れてしまう。図太い精神のせいか、肉体的にも頑健で、肩こりを経験した事がない。胃もたれ、二日酔いも経験した事がない。大ザッパだと長生きするというのも一理ある。

 

マスコミの情報にも踊らされず、地震や台風の件でも適度に恐れられる。先日の関東を直撃すると言われた台風7号(アンビル)の件でも自分はパニック買いなど何もしなかった。スーパーで米や水や缶詰めが棚から売れてなくなっていた。普通に考えれば、台風7号は沿岸部にしか接近しない。内陸部まで暴風の影響はない。と言われているに関わらず近所のスーパーの棚に何も無くなっていた。みんなパニック買いしたのかも知れない。

 

自分は台風や地震など災害情報を聞き流してしまう。地震や災害を恐れない傾向にある。その理由として自身が激甚災害に見舞われたことはなく、甘く考える傾向にあるため。まあいっか。台風でも家の中にいれば何とかなるだろう。缶詰めもあるし。でも一応ベランダの竿やモノは家の中に入れておいた。懐中電灯も探して、点くか一応確認して、自分の近くに置いておいた。まあ、一応。何事も無いとは思うけど。そんな感じ。実際に何事も無かった。また外に出す作業をする。

 

良好な人間関係や、仲間とわちゃわちゃやるのに憧れている。ドロドロの人間関係や修羅場にも憧れている。しかしそこまで行く前に、空気読めない、察し悪いというだけで仲間からはじかれ、その先に進めない。大ザッパな性質が不快だという感性の人も多いのかも知れない。自分は1対1で付き合っても、ナイーヴな悩みに全く共感出来ないため、自分は解決策を提案するのみ。その人は、徐々に距離を置き結果的に自分から離れていった。流石にその時は反省した。彼は共感を求めていたのではないかと気づいた。

 

自分は無駄に親切ではない。基本的に人に関心が無いため、人が困っていても気がつかないことが多い。細やかで優しい人は絶えず困っている人がいないか探しているようである。そして心の底から相手を思いやる。しかし自分は優しい人でもいい人でもなんでもない。しかし、いくら気が利かない自分でも困ってる人を見殺しにするのはどうかと思うことはある。気が利かない人間特有の対策だが、自分でこういう時には手助けしようと決めている。踏切で立ち往生している人や車、車椅子。階段の前で大きな手荷物を置いて立ち往生しているシニア。電車から降りるのに苦戦しているベビーカー。倒れている人。それ以外にも直感的にこれはヤバいだろう!という場合には例外的に手助けする。気が利かない人間なので、自分が決めた事以外眼中になくなってしまうことが多々ある。人助けは自分の場合、決して思いやりや愛によるものではなく、義務としてやる。そもそも気の利かない人間で、いい人ではないのだから。

 

大ザッパな性質ということは悪いことばかりではなく、反面、寛容や大らかという良き側面もあると思う。神経が鈍感なため、人のやることなすことが気にならない。というよりこれにも気がつかない。自分はどこででも寝られる。そしてぼっち行動をどこでも出来てしまう程、人の目なんか全く気にしない。自己肯定感はめちゃめちゃ高い。

 

自分は小学校期から社会に於いて絶えず非難に晒されて来たため、極力、人に干渉や非難をしないようにと努めている。世の中には自分のように、どうしてもキッチリ出来ない人間がいる。自分がそれだから、そういう人間を攻撃しない。出来なくてもしょうがない。と大目にみてしまう。

 

人の世(世間)は、大ザッパ者の良き側面、おおらか、寛容であることを称賛する傾向にないと常に自分は感じている。いつも何で自分は“おおらかだ”と褒められないのだろう?とモヤモヤしている。

 

“小心者”たちは群れをなし、徒党を組み、大ザッパで空気が読めない、不完全な者を排除してきた。

 

しかし、小心である事は緻密な思考にも繋がる。人間社会の、高い技術力やサービスなどにも貢献しているので否定は出来ない。

 

 

これを読み返すと自分いかに気遣いがない人間かという事が浮き彫りになった。

 

長文をお読み頂き、ありがとうございます。

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ジャッカ・ドフニ 大切なものを収める家 展に行ってきた

2024年08月17日 | 中央アジアその他


日本橋髙島屋資料館で、ジャッカ・ドフニ 大切なものを収める家展がやってたので、遠路遥々東京へ。

 

 

 

東京駅は人でごった返していた。これは東京駅にあるカニの化石という有名なものらしい。写真で見ると25cmぐらいに思えるかも知れないが、実際には10cm程度。東京駅の構内についてググってたら偶然見つけた情報。新幹線南乗り換え口を出てすぐの手荷物預かり場の前の柱。“ごまたまご”の広告がある面の左側のスイッチだか非常用ボタンの上方、大理石のマス目の境目である直線の僅か下辺りにあるらしい。

指示通りに確かめてみたら本当にあった。

 

このカニは約3000年前に絶滅したカニの祖先らしい。同じ石柱に貨幣石という生物の化石もあるためその時代(古第三紀)のカニなのでは?ということらしい。

《抜粋:ROCKET NEWS24》

 

化石は生きた証。今からどれくらい昔なのか想像がつかないが、億単位の昔に生きていた彼と現在の自分とが対面している。化石というものが残っていなければ、この種は決して知られる事はなかった。何かを威嚇したポーズのまま彼は息を引き取ったようにも見える。この大理石は何処から来たのだろう?残念なことに彼らは絶滅してしまった。化石とは、なんて重大な意味を持つのだろうかと思った。

 

カニといえば前記事に掲載した、ナショナル・ジオグラフィックの孤立したカニの群れの記事の続きを読んだ。

 

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そのカニとは、ポタモン・フルビアティレ(Potamon fluviatile)という、イタリア固有種で唯一の大型淡水ガニの、孤立した群れ。古代ローマ帝国時代の下水道工事が原因で、テベレ川から切り離され、仲間から隔離されて都市のまんなかに取り残された。

 

「彼らは古代からずっとローマの中心部から動けずにいたのです。今われわれが目にしているのはかつて生息していた古代の群れの生き残りです。」

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これの続き。

 

群れの数は急激に減少している。

 

2005年の発掘作業により、群れの規模が明らかになるとともに、カニたちをずっと守ってきた地下運河のネットワークの発掘も行われた。これによってカモメやカラスなどの捕食者に狙われることになった。加えて気候変動での地表の温度が上がり、湿度が下がっているせいで、カニたちは涼しさと平穏を求めてさらに地下深くまで潜るようになった。

 

現在の個体数を把握するために作業を行なっていたが、結果は芳しいものではなく、過去3年間で新たに確認された個体は6匹だけだった。

 

「これまでのローマの発展の経緯や、テベレ川がもはやカニにとって幹線道路として利用できるものではないこと、さらには気候変動のことなどを考えると、この群れに明るい未来が待っているとは到底言えません。」

 

彼らを生き延びさせるには、彼らについて研究する資金を集め、また、市から許可を得て運河の露出した部分に鉄格子を設置して鳥による捕食を防ぐことが必要となる。

 

「我々が詳しい研究を望むのは、彼らについて知るためではなく、救うためなのです。」

 

「この群れを消滅させるわけには行きません。」

 

市はこれまでのところ、鉄格子と通行人にカニの存在を知らせる看板を設置したいというダミアーニ氏らの要請を却下している。

 

「彼らはカニのことなど気にしていません。彼らにとって大切なのはコロッセオを見に来る観光客なのです。」

 

今のところ、このカニを気にかけている者たちにできるのは、ローマ遺跡の地下深くで彼らが生き延びられるかどうかを見守ることだけだ。

《抜粋:NATIONAL GEOGRAPHIC》

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この群れが背負っているものは大きい。カニにとっての工事、発掘作業、気候変動などは有事と同じである。有事によってダメージを受けた群れは元のような状態に戻ることが非常に難しい。先日の記事で、彼らを川に戻せば良いなどと簡単に書いたが、故郷の川に戻ったところで2600年前と同じ生活に戻れるとは限らない。川に馴染めず死んでしまうかも知れない。彼らに関係なく、帝国主義や行政の都合によって運命が翻弄されることを思うと心苦しい。カニは、人間社会に対して何の力も持たないのだという事を充分解っていてもいたたまれない気持ちになる。成れの果てには、個体数が激減してしまった。古代ローマ時代に始まった、帝国による下水道工事(カニにとっての大きな有事)から始まって、仲間と切り離され、地下に残留してしまった。それから、ローマ市行政による発掘という激動を経た。その上、気候変動などにより、明るい未来が待っているとは到底言えないという。この群れはいつまで苦難しなければならないのか?全て、力を持つ人間によって分断され、されるがままで、なすすべが無かった。

大切なのは、この群れの存在を知れ渡らせる事と、群れが存続するように守り続ける事だと思う。カニたちはそれでも不遇な環境の中で逞しく生きている。

 

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ジャッカ・ドフニ展をみるべく日本橋髙島屋へ向かう。資料館の入り口の模型と広告は撮影して良いが、中は撮影禁止である。勿論、貼ってある文章をスマホのメモに書き写す事も禁止である。

この展示会は、とても情報量が多く、ブログとしてまとめる事が困難であった。

今日の記事は、自分が読んだ内容の記憶と、行った人のX投稿記事情報と、頂いた資料を頼りに書く。展示会を文章だけで説明するのは難しい。

 

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かつて北海道の網走の地に「ジャッカ・ドフニ」と呼ばれたサハリン小数民族の資料館があった。「ジャッカ・ドフニ」とは、ウイルタ語で「大切なものを収める家」を意味し、ウイルタ民族を中心に、ニブフ族、樺太アイヌといった、サハリンに暮らした少数民族の生活文化を伝えた稀有な私設資料館。

 

 

この「ジャッカ・ドフニ」は2012年に35年間にわたる活動に終止符を打つ。その後、そこで所蔵されていた北海道立北方民族博物館に引き継がれた。この展示会は「ジャッカ・ドフニ」の所蔵資料をまとまって東京で展示公開するはじめての機会となる。

 

1905年、それまでロシア領だったサハリン島は、日露戦争後のポーツマス条約締結により、北緯50度以南が日本領と定められます。このことは、サハリン島に暮らした少数民族に大きな影響を与え、それまでの生活習慣一変させました。また、サハリン少数民族はアジア・太平洋戦争にも巻き込まれ、なかには終戦後にシベリアへ抑留される人もいました。さらには、さまざまな事情から、住み慣れた地を離れて日本への移住を決断せざるを得ない人もいたのです。「ジャッカ・ドフニ」設立に尽力したウイルタのゲンダーヌ(日本名:北川源太郎)さんはその一人です。このようにウイルタをはじめとするサハリン少数民族は、自らの意思とは無関係に、近代が設定した国境や国籍といった枠組みの中に取り込まれてきました。しかし、そうしたサハリン少数民族の歴史や文化が、今日、十分に知られているとは言い難いでしょう。

 

本展は、前述のゲンダーヌさんが初代館長として残した「ジャッカ・ドフニ」を通して、ウイルタとその文化に出会う場にしたいと思います。そして、ウイルタと「出会う」ことが、他者あるいは自らの文化に対してより一層理解を深め、さらに、私たちが生きる世界が多元的で、複雑な交差性のもとにあるというということを再認識する一助となれば幸いです。

《引用:髙島屋資料館TOKYO》

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狭い空間に多くの展示物。樺太・サハリン情勢から始まり、ウイルタ族について。ジャッカ・ドフニの設立に貢献したウイルタ族のゲンダーヌ氏(和名:北川源太郎)氏について。それから、ジャッカ・ドフニ設立の理由や、貢献した人、協力した人について。隣の部屋には、ウイルタ族のシャーマンが祈祷に使った物や、民族的な衣類、日用品、伝統的な刺繍模様(イルガ)。ウイルタの他に、樺太アイヌやニブフの所蔵品、樺太先住民の映像など。

 

ゲンダーヌ氏(北川源太郎)はウイルタの本当のことを伝えるために資料館ジャッカ・ドフニを作り、彼を支えたウイルタ協会もそれを重要な使命とみなしていた。

 

また、ジャッカ・ドフニは彼が民族復権を目指して活動した結晶である。

 

 

樺太の少数民族はウイルタ族や樺太アイヌやニブフ族などがいる。彼らは言語も生活様式もバラバラでった。ウイルタはトナカイを飼育する民族で、言語系統はウラル=アルタイ語族のアルタイ語派ツングース系統に属する。ニブフ族はウイルタと違い、孤立言語の民族。アイヌ語も孤立言語とされる。

 

ウイルタ語は、野生のトナカイと飼育トナカイを分けて違う単語で呼んでいる。夏は木造の定住住宅に住み、漁労などで生計を立て、冬はトナカイを連れて移動式三角テントに住み、遊牧で生計を立てる。トナカイは食用の他に、荷駄家畜としても利用された。

 

彼らは大自然の中で、自然とともに生き、自然界全てのものに神が宿るというアミニズム信仰と、呪術と祈祷によって病気を治す、予言をするなどのシャーマニズム信仰であった。

 

ウイルタは、大陸や日本と交易があった。シャーマンが祈祷する時に腰に巻くベルトのようなものに、日本刀の鍔(ツバ)が使われていた。日本とウイルタには、繋がりがあった。

 

ウイルタには鉛で砲弾を作る技術があった。銃は狩猟の為に使用された。

 

ウイルタの衣類はトナカイの皮や毛皮、アザラシの毛皮を使う。とても暖かそうである。

 

 

史実に関する自分の感想は書かない。先住民問題は非常にデリケートな為、控える。この展示会で最も衝撃を受けた史実は、戦後補償の差別待遇。

 

樺太アイヌには国籍が与えられたのに対してウイルタには日露共に、国籍が与えられなかった。そのためなのか、ウイルタは戦後補償を受けられなかった。ジャッカ・ドフニの設立に貢献したウイルタ族のゲンダーヌ氏(日本名北川源太郎)も戦中に日本の特務機関に呼ばれてロシアとの国境付近での諜報活動に従事したが、戦後、ソ連にスパイ容疑をかけられシベリア抑留。帰国後、正式な召集令状ではないとして補償請求は退けられている。

 

 

先住民は国を持たない人たちであるがゆえ、日露両国によって人生が凄まじく振り回された。アイヌ、ウイルタ、ニブフなどは、先住民といえども、決して好戦的な部族ではなかった。

 

 

ジャッカ・ドフニで収められていた所蔵品と対面していると、文字に起こされない多くの史実がそれらから語りかけてくるようにも思えた。

 

この展示会は、民族の所蔵品に留まらず、メッセージ性の強いものだった。ゲンダーヌ氏やウイルタ協会が残した結晶は、遠く離れた自分というただの日本人も知る事が出来たし、多くの人が知る機会を得ることが出来た。ジャッカ・ドフニは非常に重要な意味を持つものだと思った。樺太の少数民族は今後、トナカイを飼育し、森で狩猟し、自然とともに豊かで伝統的な生活と全く同じに戻ることは出来ないのかも知れない。私たちに出来ることは、樺太の少数民族の存続をただ願う事である。それは文化や言語の継承あってのことだと思う。

 

自分は先住民問題について疎いので、何ひとつとして勝手な事は書けない。樺太先住民問題については、この展示会に一度足を運んだだけでは足りない。ゲンダーヌ氏の伝記などを読まなければ深いところまでは分からないと思った。

 

今日の文章はギコチなくて申し訳なかった。

 

長文のご精読ありがとうございます。

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動物のディアスポラ問題

2024年08月08日 | 自己満

動物の世界にも人間と同じくディアスポラが存在する。ディアスポラとは民族離散。故地を離れ、別の土地に移り住んだ人間を指す。

 

これは動物にも当てはまる。

 

動物がディアスポラになる理由は大きく、以下のようなものがある。

 

・人間によって故意に持ち込まれるケース(害獣駆除や食用家畜(ペット)やゲームフィッシング)

 

・自然環境の変化で移動したケース

 

・人間の活動によって自然環境が変化し、離散、孤立してしまったケース

 

・人間の移動に付随したケース

 

 

 

1. 人間によって故意に持ち込まれるケース

 

人間によって持ち込まれた所謂「特定外来生物」は幅広く、上げればキリがない。

 

・ウシガエル ・アメリカザリガニ ・コクチバス(ブラックバス)    ・ブルーギル ・アリゲーターガー ・アメリカナマズ ・ミシシッピアカミミガメ(緑亀)   ・カミツキガメ ・ワニガメ ・アライグマ ・マングース 等

 

 

食用家畜

ウシガエル コクチバス(ブラックバス)   ブルーギル アメリカナマズ

 

愛玩家畜(ペット)

アリゲーターガー ミシシッピアカミミガメ(緑亀)    ワニガメ カミツキガメ アライグマ

 

害獣などの駆除

マングース。

 

これはインドから、ハブやネズミ駆除の為に日本の沖縄に持ち込まれた。1910年であった。しかしハブ駆除には役に立たなかった。

 

その他

アメリカザリガニ。ウシガエルの餌として持ち込まれた。

 

特定外来生物は、捕食性が高く(肉食で大食い)日本在来種の魚や昆虫などを無限に食べてしまう。それらには日本に天敵がいない。食物連鎖の頂点になる為、手がつけられない。

 

この中で、日本の生態系に比較的馴染んでいるのはザリガニと緑亀ぐらいだ。あとはバケモノばかりだ。

 

法律上の問題で、特定外来種のアメリカザリガニと、ミシシッピアカミミガメ以外は移動を禁止させられている。移動禁止というのは、特定外来種を捕獲して生きたまま、別の池や川に放すのはもってのほかだが、生きたまま家に持ち帰るのも禁止。生きたまま家に持ち帰って、清水で泥抜きも禁止。飼育も禁止。

 

特定外来生物をただ駆除するのはもったいないというか、タダでは起き上がらない根性で、これらを捕獲して食べようという動きもある。こんな記事を見つけた。カミツキガメを捕まえて食べたらしい。これらは上の法律故、捕獲した場所で〆なければならない。〆れば自宅で調理しても良い。

 

 

カミツキガメを捕まえて食べた記事。カミツキガメとはとある人のあだ名にもなったが…

カミツキガメを捕まえて食べた

《掲載:デイリーポータルZ》

 

ゲテモノ喰いの記事をぶり返すが、凄いバケモノなのに調理されるととても美味しそうになるから不思議だ。そして実際には鼈(スッポン)より美味いらしい。

 

ゲテモノ喰いの記事(これは刺激が強いので閲覧は自己責任)

ゲテモノ料理 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

今読み返して思った事だが、ソ連時代に日本人が狩猟したら「密猟」に当たらないかが気になる。「密猟」がバレて捕まったらシベリア送りじゃ済まされないかも。ましてや日本人なんてどんな扱いうけるものやら。それ想うとこの人の度胸に感服。エリアによって猟禁止の動物は違うんだろうけど。

 

特定外来生物の各々のエピソードを見るとどれもドラマのあるストーリーだ。Wikipediaに書いてある事しか読んでないがそれでもリアルな現実が描かれていた。

 

特定外来生物に罪は無い。自分の意志でもないのに、食害や、外来種と在来種が交雑する遺伝子汚染などの理由で生態系を壊すという名目で駆除されていく。無念でならない。

 

人間の身勝手な理由で持ち込んだのだから、罪は人間にある。

 

人間の世界でも移民は環境を破壊する。自国でもない国土に好き放題傷をつける。森林伐採や水質汚染など。日本人を駆逐する。土地や水源を買い漁る。政界や財界を乗っ取る。移民らのエゴで日本の良き伝統がぶっ壊される。移民の輩は結局自分の国ではないから日本などどうでも良いと心底思っている。これを教訓に、自分は趣味で外国に永住権とって移住する事は絶対にすべきではないと思った。自分も、自分と全く関係ない他国に永住したら結局自分と関係ないからやりたい放題しないとは限らない。日本にいるよりも気が大きくなり、現地の人の気持ちも考えないで、馬鹿をやるかもしれない。いくらやらないと誓っても、それを忘れてしまうくらい気が大きくなるらしい。

🐊🐢🕷️🦂🦞🐸🐍🦜🦝🦨🦫🐐🐏🐎🐄

 

 

2. 自然環境の変化で移動したケース

 

南の海の生き物が三陸に!?

 

 

《動画掲載:日テレNEWSのYouTube 》

 

動画と同じ内容が書いてある記事

https://news.ntv.co.jp/n/mmt/category/society/mma1f3de43ff95470d88a94fea2896032f

《掲載:ミヤテレNEWS NNN》

 

カラッパという、丸っこい体型で、両手で口元を隠しているようなこの海の動物は、本来東京湾から南に生息し、三陸にはいなかった。大きさは10cmほどで、手乗りサイズである(ハムスターぐらい)。今まで見たこともないこの小さな動物を手に乗せて、つぶらな瞳でウインクなんかされたら漁師はどう感じるのであろうか?

海の温暖化に伴い、伊勢エビや暖かい海の魚なども増えているという。黒潮に乗って流れて来て、冬になっても生き残り、そのまま居着いてしまったのだろう。温暖化の深刻さを考えさせられる。

カラッパとか熱帯魚が北の海で死滅せず定着する代わりに、ホタテやズワイガニが死滅する。気候変動のダメージは寒い地域ほど強く受ける。

 

以前からカラッパブームはあったらしいが、自分がその存在を知ったのは今年の6月頃。アクアリウムやってる人が海水魚などを飼育している動画をみていた。そのチャンネルの動画のひとつに、メガネカラッパ👓🐈🐸という不思議な動物が珊瑚と砂の水槽にいた。猫みたいなカエルみたいな今まで見た事のない顔。ブタみたいな鼻を持ち、水が少ない所に持っていくと、鼻から水を吹き出し、カラッパ噴水をやる。爪でアサリを割って器用に食べていた。水槽の中に猫がいるような癒される空間であった。カラッパにネコミミつけてネコ吸いしたくなる。カラッパは夜行性で昼間は砂に潜っている。夜でも砂から目だけ出している事が多いらしい。砂に潜る姿が可愛い。

 

これは別の家のカラッパだが、シッタカ貝を食べるシーン

 

 

《動画掲載:マリンキープchのYouTube 》

 

カラッパが砂に潜るシーン

 

 

《動画掲載:すさみ町立エビとカニの水族館YouTubeチャンネル》

🐾🐸🐈🐸🐈🐸🐈🐸🐈🐸🐈🐸🐈🐸🐾

 

 

3. 人間の活動によって自然環境が変化し、離散、孤立してしまったケース

 

古代ローマ遺跡の下巨大蟹の孤立した群れ

古代ローマの遺跡の下、当時からすむ「巨大」なカニが急速に減少

《掲載:NATIONAL GEOGRAPHIC》

 

イタリア固有種で唯一の大型淡水ガニの孤立した群れ。古代ローマ帝国時代の下水道工事が原因で、テベレ川から切り離され、仲間から隔離されて都市のまんなかに取り残された。

 

「彼らは古代からずっとローマの中心部から動けずにいたのです。今われわれが目にしているのはかつて生息していた古代の群れの生き残りです。」

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自分はこの記事のこのページしか読んでいないので、このカニについては何も分からない。自分がこのブログで「動物のディアスポラ」をネタにしようと思いついたきっかけになったのは、約2600年の間、仲間から隔離されて孤立しているカニの問題のこの記事を読んだ事である。この問題に目が留まった原因は、自分が過去記事に書いた、蒙古族ディアスポラが約400年前に日本に渡航し、徳川幕府の政策が原因で300年以上もずっと同じ集落から動けずにいて、彼らは元帝国の生き残りであるという内容と非常によく似ていた為である。自分はローマのカニの記事から、言葉には表し難い衝撃を受けた。こんな事もあり得るのか?!というのが率直な感想である。

 

移民族ディアスポラの問題を取り扱っていると、甲殻類に過ぎない、食材に過ぎない動物の問題にも深刻にショックを受ける。動物も、人間と同じ境遇に置かれてしまう事がある。動物の方がもっと過酷で、徳川のような戦争犯罪ではなく、下水道工事という人間の何気ない活動によって隔離、孤立を余儀なくされるという事が起こり得るという事が衝撃的だった。この下水道工事が、カニにとって戦争と同じ悲劇を生んでしまった。人間と動物は生存を懸けた戦争を続けており、共生の糸口は見つかっていないのかもしれないと思った。環境破壊と言うと、森林伐採、宅地化、農地化、焼畑農業、大気汚染、水質汚染、ダム建設、核実験、採掘調査、兵器を使用した戦争などが挙げられる。下水道工事は、現代の「温暖化」や「汚染」に繋がる「環境破壊」と言われる活動ではないと考えられてきた。古代ローマ時代の人は環境破壊などという概念は無かった。

 

もしカニに人間のような意識があれば、自分らが何処から来た何者であるのか?どのような経緯で地下でずっと動けずにいる状態になってしまったのか?故郷に帰りたいと思っているのか?カニと言葉が通じる人がいれば聞き取り調査をして頂きたいとさえ思った。カニを故郷に戻す動きが出てもおかしくはないと思う。この記事には色々と考えさせられる。

🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀

 

 

 

4. 人間の移動に付随したケース

 

これにはネズミやヒアリなどが当てはまる。人間の運ぶ荷物に混ざって、故地から世界各地へ移動し拡散して行った。

 

ドブネズミの原産は、東アジアや中央アジア、シベリア南部の湿地帯と考えられている。或いはインド原産とも考えられている。

ドブネズミの世界への拡散の経緯については諸説ある。

ドブネズミは、野ネズミに対して人家やその周辺に棲息する家ネズミと言われる。下水の周りや河川、海岸、湖畔や湿地など水辺や湿った土地に棲息している。

ドブネズミの拡散についての諸説ある中の一つに、ドブネズミの拡散は、インド文化の伝播に伴い拡散して行ったという説がある。ユーラシア大陸と陸続きの東アジアには一桁世紀にドブネズミが入って来たと言われている。1300年代半ば(14世紀)にはヨーロッパにドブネズミが入って来て、ペストが大流行したらしい。日本に初めてドブネズミが渡って来たのは、大正時代にヨーロッパから来たと言われている。それも船に積んだ荷物に紛れて来た。

 

動物の侵入時期で、人間の流入時期が割り出せるようにも思える。日本の文物、芸術、建築技法は、インドをも含むシルクロードを通って、瀬戸内海を通って、終着点の奈良に天平年間(729-749)に辿り着いた物が多いとされている。シルクロードを経て日本に来たと言われれば、同時にシルクロード沿線の人間も日本に流入して来たと考えるのが普通だ。自分は、シルクロードから流入した人の影響で現在の日本が形作られていると考えてきたが、この「ドブネズミ、インド文化伝播付随説」を読む限りだと、どうやらシルクロード沿線から日本への人の流入は無かったようである。先日、トゥラン主義の主張を思い上がって書いたが、今思えば随分と短絡的だったと思う。

 

ヒアリは、2017年5月に中国広東省広州市から神戸港への貨物船で運ばれた海上コンテナの中から発見された。同年7月14日には横浜本牧埠頭のコンテナヤード内のアスファルトの割れ目から700匹以上のヒアリが見つかった。

ヒアリは南米大陸原産の世界の侵略的外来種ワースト100選定種である。主にアルカロイド系の毒と強力な針を持つが、人間が刺されても死ぬことは稀で、痛み、痒み等の軽度の症状や、体質によりアレルギー反応や蕁麻疹等の思い症状が出る場合もある。アレルギー症状の中でも特にアナフラキシーショックが起きた場合は、命の危険がある。そのため殺人アリと呼ばれることもある。

《抜粋:Wikipedia》

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5.国内外来種

国内外来種の代表的な生物といえば、ドンコという純淡水魚。本来は新潟県、愛知県以西の本州、四国、九州、大韓民国巨済島に棲息していたが、近年では相模川(神奈川県)や東北地方(福島県)にも棲息している。国内でも本来棲息していない所に、人の手によって持ち込まれた種を国内外来種という。

 

長文のご精読ありがとうございました。

 

 

 

《写真:旬の食材百科》

 

コメント
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