斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

産鉄地名

2023年11月24日 | 自己満

冬営地にはなかなか行かれない。

冬営地の候補のひとつである愛川町は遠過ぎるのと、休日に用事があるため、遠出出来ない。季節的に熊の問題があるので躊躇している。

 

先日オーロラの記事を書いた後、オーロラを実際に見に行ったことがある人達のブログを読み漁っていた。

 

どうやら「イエローナイフ」というオーロラの観光地があるらしいのだが、「イエローナイフ」って産鉄地名かも?とかテキトーな事考え始めた。

 

勿論、イエローナイフについてはまだ何も検索してないので、ロシア上空を飛べない今、日本からどのぐらい時間が掛かるとか全然解りません。そんな検索する暇もないが、暇人のようにアホな考えが勝手に巡っている。

 

「イエローナイフ」この地名を初めて目にしたが、直感的に「鉄」だと思った。

 

「ナイフ」は刀剣や鏃と同様に鉄器。黄色い刀剣を鍛造していたのではないかと思われる。

黄色の金属ということは黄金色。黄金色の刀剣だ。しかし黄金色なのにゴールドとはならない。

黄金(ゴールド)製ではないから、わざわざ黄色(イエロー)と称した?

 

てことは黄色い鉄🟡

 

これは少し考えた。

 

黄鉄鉱?!

 

黄鉄鉱で刀剣を鍛造していたのではと思われる。

て事は、イエローナイフは黄鉄鉱の産出地で鉱脈もある可能性がある?

 

違うかもしれない。鍛造だけしていた場所かも。

 

と下らない妄想は止まらない。

 

単なる妄想なので多分全然違うと思う。

 

黄金は鍛造には向かない。

 

 

もしかしたら採掘や鍛造ではなく、サーミ人の伝統的呪術みたいなもので「黄色い鉄器」を使用するなどのスピリチュアル的な由来かも知れないし、比喩かも知れない。

 

しかし「鉄器」地名がここにあるという事はここに「鉄」文化があるという証拠だ。

 

以前書いた、産鉄の記事

遊牧民と産鉄について - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

トルコのアナトリア地方で人類初の製鉄が始まった。そしてヒッタイト人へ伝わりスキタイ匈奴と漢に分かれる。

 

アナトリア地方では、「鉄」に関する姓が多く存在する。祖先が製鉄に関わってきたとの由来。

 

サーミ人はフィン・ウゴル系言語を話す。三角テントに住むトナカイ遊牧民である。

 

実際にオーロラを見に行った人のブログの写真によると、オーロラの元でサーミの三角テントが軒を連ている。

 

「かつてサーミ人は夜空に輝くオーロラは、北極ギツネが夜空を猛ダッシュで駆け巡り火花を放つことでできていると信じていたそうです」

 

X参照: Nomadic Soul ノマディックソウル》

 

サーミ諸語は、ウラル・アルタイ語族ウラル語族フィン・ウゴル語派ボルガ・フィン諸語サーミ諸語

 

匈奴の中で北極圏に行った者は現在のフィン人、サーミ人であり、西に向かった者はフン族(マジャール人)になり、現在のハンガリー人であると、昔は言われていた。

 

ハンガリーの「ハン」、つまりフン族の「フン」。これは匈奴(フンヌ)の「フン」由来であるとも昔は言われていた。

 

サーミ人も匈奴の末裔であるとも言われていた。

 

フィン語もサーミ語もハンガリー語(マジャール語)も、ウラル・アルタイ語族のウラル語族である。

そしてかつては匈奴も、ウラル・アルタイ語族のウラル語族と考えられていた。

 

現代では研究が進められている。マジャール、フィン、サーミは匈奴の子孫とする文献もあれば、彼らは匈奴とは全く関係がないとする文献もある。匈奴はそもそもウラル・アルタイ語族ですらなく、デネ・エニセイ語族だったとする説もあった。

 

実際のところ「諸説ある」というのが現代の解釈である。

 

もしこのイエローナイフ=黄鉄鉱という妄想が外れていなかったなら、以下の事が言える。

 

サーミ人は匈奴の鉄器文化を受け継いでいる。サーミは世界初の遊牧帝国の後裔!その痕跡が残っている!イメージが両者で余りにも違うからそのギャップがかえってアツい🔥

 


サーミ人写真

《参照:Nomadic Soul ノマディックソウル》

 

 

サーミ人写真

《参照: Wikipedia

 

サーミ人が鍛造する姿。想像出来ない。

 

サーミは見ての通り白人であり、匈奴は東洋人の見た目であっただろうと想像出来る。

サーミは元々匈奴だが西洋人と交雑してこのような見た目になったとしか思えない。

例え東洋語を話してても西に行けば行く程、見た目が白人になる。これはしょうがない。

ロシアにいるタタール人なんて、東洋語であるテュルク語(突厥語)を話していたが、見た目はロシアの白人との違いが全く分からない。

黄鉄鉱写真

《参照: Yahooショッピング》

 

黄鉄鉱についてググると、黄鉄鉱は硫黄と鉄で出来ている。加熱すると亜硫酸ガスが出るのと、硫黄を完全に除去するのが困難なために製鉄の材料としては適してないらしい。

 

硫酸の原料として使用される事は多かったらしい。

 

黄鉄鉱は、製鉄の材料などに適していないが、金属の精錬などに使われていたという記事もある。正確にいえば硫酸が金属の精錬に使われたという。

 

銅の精錬に硫酸が使われていたようです。

 

銅の湿式精錬では、採掘した鉱石を積み上げるなどして、上部から希硫酸を散布することで銅を浸出し、溶媒抽出電解採取というプロセスで銅が生産されてるようですが、匈奴の時代、電解はどういう事なんだろうかと思う。

 

硫酸はチタン鉱石も溶解するという。あとニッケルの湿式精錬。匈奴の時代にニッケルやチタンはどうだったのだろう?

 

銅は鉄より昔から製銅されていた。匈奴にも勿論製銅技術はあった。硫酸を使い銅を浸出させていたという事はありえる。ただ「電解採取」に当たるものは何かしらあったのだろうが、どうやっていたのかは謎。

 

匈奴も、スキタイ人や後の蒙古帝国と同じように地下資源を求めて彷徨っていたのだと思う。製銅に使う硫酸を求めて、オーロラの北極圏のイエローナイフにまで足を伸ばした可能性もある。

 

 

サーミ人は匈奴帝国の中心を担って漢と戦ったりはしなかったのかもしれない。硫酸を求めて彷徨った結果、イエローナイフに辿り着き、採掘し、そのままその匈奴が定着しトナカイ牧民・狩猟民となり西洋人と混交し今に至るのかも知れない。

 

 

黄鉄鉱は硫黄を回収した残りかすを、製鉄の原料としていたこともあったらしい。製鉄の主力はただの鉄鉱石だったが、黄鉄鉱のカスもついでに使おうとなったのかも。だからサーミの経緯については一概にいえない。

 

 

イエローナイフ=黄鉄鉱という妄想はロマンあるけど多分めちゃくちゃ間違いかも知れない。

 

 

でも「ナイフ」という名称が凄く気になる。刃物というと即「鉄」を想像してしまう。

 

今日はオーロラからの、産鉄地名からの、倭国産鉄地名の事まで書こうかと思ったが、結局はイエローナイフと匈奴とサーミ人で終わった。

 

これらはあくまでも、自分が勝手に妄想で言ってるだけなので。

 

サーミと黄鉄鉱(硫酸)は関係あってもサーミと鉄器文化は関係ないかも知れない。匈奴の冒頓単于とサーミ人は遠い血縁関係はあっても、匈奴帝国を築くずっとずっと前に分かれた遠い親戚関係であって、サーミと匈奴帝国は関係無いかも知れない。

 

これらをググる暇が本当になくてテキトーな事を言ってるので鵜呑みにしないで下さい。

 

金属の事ばっかに偏ってしまい、歴史の話が疎かになった。こういう話は長い時間をかけての取り組みがいる。いきなり手を出すとデタラメなことを書いてしまう可能性がある。

 

 

また惰性で長々と書いてしまいました。

 

次回は倭国産鉄地名の事を書きたい。

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草原にオーロラ

2023年11月16日 | 中央アジアその他

There’s not FINLAND

There’s not SWEDEN

There’s not NORWAY

There’s not ICELAND

There’s not GREENLAND,Denmark

There’s not ALASKA,USA

 

 

 

 

 

 

 

 

It’s KAZAKHSTAN

 

115日、ロシア🇷🇺シベリアの北緯50度台の諸都市とカザフスタン🇰🇿でオーロラがついに現れた🪭🎉🎊あっぱれ!

 

この写真はカザフスタンのコスタナイ州という北部の州で撮影されたもの。ロシアと国境を接している。ロシアではチェリャビンスク州やノヴォシビルスク州などでもオーロラが確認された。

 

オーロラは極光とも磁気嵐とも言われる。

シベリア北部では見られるが、シベリア南部や中央アジアでは滅多に見られないらしいです。

このインスタを上げている人は放射線を意識していた。

 

オーロラと放射線☢️関係あるのか?

 

ピンク色🩷の光が磁気嵐🌀と言われているものらしい。

 

 

中央アジアの草原とオーロラのコラボレーション

これ、本当に待ち遠しかった💗

 

中央アジアは意外と、オーロラの穴場だったりして!

アラスカとかグリーンランドとか北欧まで行かなくても、日本から5000km-7000kmぐらいと、割と近い。北欧などに比べると出現率が低いもかも知れないが、中央アジアやロシア・南シベリアの地方都市でのオーロラは、日常生活や都市、郊外などの身近な空の上に現れたオーロラという異次元の魅力がある。

わざわざ、人が滅多に行かないタイガ樹林や氷山などに行かなくても存在する。

 

中央アジアやシベリアの地方都市に磁気嵐、オーロラが現れたというニュースが、日本では余りに知名度が低いのが残念である。

 

 

この曲を聴くと真夜中の草原という情景を想像させられる。

この曲を聴きながら、草原にオーロラが出ている写真を見て下さい。凄い世界に生きているような錯覚をします。オーロラの元を駱駝🐫の商隊が列をなし、オーロラの元の夜の草原で家畜の帰りを待つ牧民。これらの写真にはそんな者は存在しないが、極光の元、そんな映画みたいなワンシーンはどこかに存在する。

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シルクロードバザール2023🐫

2023年11月10日 | 中央アジアその他

11/3()シルクロードバザールに行ってきた。

昨年よりもだいぶ早い時間に着いた。

 

上野宋雲院で行われた。昨年程の馬鹿混みではなかった。

 

ルンタ(タルチョー)がチベット仏教の面影を強く感じた。

 

カルガリー(斑爾里)よ、オマエは何を見てる?

 

お寺そのものがまず興味深い。

 

 

ここへ来て紅茶(トルコチャイ)を召し上がった🫖

無料で、とても美味しかったです😋

 

私はその日蒙古斑のロックTシャツを着てきた。

 

蒙古斑解散の記事

蒙古斑(仮)の解散宣言💔 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

昨年よりも、スタン系の服装率高かった。

 

私はスタン系の柄のワンピース等持っていないので、自分なりにシルクロードだと思える物を着てきた。

 

蒙古斑、ファンが宋雲院内にいたら声掛けられるかな?蒙古斑の認知度はめちゃくちゃ高いようなので。

 

この横断布は多分キルギス🇰🇬産なのではないか?と思える。

 

たくさんの中央アジアの布がお寺の壁に飾られているというのが独特の世界観を産む。

この羊毛ラグの柄ってもしかして銜留(ハミドメ)をあしらったんかな?細長いS字形が*銜留の形を連想させられる。

 

すごくマニアックになるがこの銜留の形は*老河深古墳から出土した馬具の銜留の形に似ている。

どこ産のラグかは、見当がつかなかった。

羊を飼育する騎馬遊牧民が作ったものだと思う。そして細長いS字の銜留を今だに使っているのかも知れないと思っていた。

後で店員さんに聞くと、チェチェン共和国のラグだった。

チェチェン人は馬にも乗る民族だ。しかしチェチェン人がラグに使うデザインは、動物の角などが多いという。

 

: 馬を操る為に、口にくわえさせるくつわ。

銜留: 銜の一部の金具。

老河深古墳: 中国吉林省にある古墳。

 

逆に中国で出土した物が、チェチェンあたりでも使われていたとすればこれは凄い!陸続きだからありえない事はないが。

先月末で小田急相模原のウイグル料理「天山」が閉店してしまい、その食器を引き取って、ここで売っているということだったので、購入しました。

 

お茶用の茶碗と、これと同じ形で倍以上も大きい、お蕎麦とかラグマンなどの汁ものをこれで食べたくなる器を購入。

ウイグル製で、内側の縁の金属で描かれた模様などがいかにも「天山」らしい。

 

自宅からオダサガのウイグル料理「天山」は何度か足を運んだ事があって、閉店されるのはとても残念です。100歩譲って移転ならまだ良かった。

 

 

昼ご飯はこのお弁当と、少し塩味のする飲むヨーグルトと、デザート。ほうれん草のピロシキ。

 

トルコ🇹🇷料理のようで、クミンなどのスパイスが効いていた。

 

《ツイッター(X)参照: Keyif ケイフ氏のツイート》

15:00から歌のショー。トラぺ座さんのコーカサス民謡特集。バグパイプの原型のような楽器を演奏していた。山羊🐐の皮で作った高い音の出るバグパイプ的なものと、羊🐏の皮で作った倍以上大きい低い音の出るバグパイプ的もの、両方での演奏があった。この音は、夕刻の時間に聴くのに適している。

 

アルメニア🇦🇲の民謡がどことなく哀しく、美しかった。ナゴルノ=カラバフの件を想いながら聴くとより哀しく聞こえます。

 

客席の中をチンドン屋の楽隊のように入って来た。

 

 

めちゃめちゃおもろかった🌈

北コーカサス地方の民謡で上がる⤴️上がる

帰りに、トラペ座さんのCDを購入。

やっぱり生演奏は良いですね。

 

昨年に比べて随分と穏やかな雰囲気だった。昨年に比べて客層がとても大人しい感じがした。その為か、和を以て尊しとする*倭国人な私でもとても居やすかった。

昨年の馬鹿混みのように、人を掻き分けてズカズカズカズカ前に出ないといけないという事はなく、人口密度が低いせいか、各ブースの前が空く状態が多く、お座敷の低い売り場でも精神的苦痛は無かった。

倭国: 日本の古い呼称。自身のブログで何度「倭国」という言葉を使ってきたか。

 

まぁ、言って見れば昨年の方がシルクロード的で、今年の方がステップロード的だと思った。

シルクロードの過当競争は、私には無理

やっぱステップロードに逃げたい。

 

中華街並の、超レッドオーシャンの過当競争を連想させられてしまう。私はあの中では生きられないおとなしい日本人だから

日本人は昔から、レッドオーシャンで生きる事は不得意とされてきた

シルクロードは物理的にも、シルクロードクラスタの守備範囲的にも過密だ。*レッドオーシャンである。

レッドオーシャン: 競争相手が多く存在している市場を指す。逆に競争相手がほとんどいない市場をブルーオーシャンという。

 

シルクロードは、ステップロードとは違い大都市がいっぱいあり華やかでエキサイティングなキラキラした世界です。

今年は店員さんたちも、人によるが、客層が穏やかだった為か、表情も穏やかであった。

 

ネクラで心象の悪い自分でさえ、店員さんと会話する事が可能なくらい自分にも余裕があったシルクロードバザール神回であった。

 

本当にコミュニケーションが上手い店員さんは、私のような無愛想な客にも、声を掛け会話をエスコートする。本当のプロの接客業現役なのではないか?と思った。

昨年とは違って本当のシルクロード・ステップロード・旧ソ連Loverだけの客層のような気がした。

昨年は馬鹿混みで渋谷駅とか新宿駅などのような大規模駅の民度だった為、自分「場」違いな気がした。

 

いやぁ。昨年の記事を読み返してみると自分随分と酷い事を書いていたな。多分駅民度の客層のせいであそこまで荒んだ。

それにしても駅員は大変だな。

 

毎日あいつらと接していなければいけないのか。可哀想に。

 

シルクロードの要衝とは、言い換えれば駅。だからシルクロードである以上は超過密都市になるのは当然である。

超過密都市の歴史がまだまだ浅い日本人は、高い人口密度や面識の無い他人との、近い身体的パーソナルスペースが苦手である。

来年も機会があれば行くつもりである。

 

蒙古斑の知名度は皆無だったのか、自分の発する

 

「話掛けるなオーラ」が強かった為、話しかけれなかったのか。

とある店員さんと「蒙古斑」の話をしたが、蒙古斑なんて全く知らないと言う。

 

それか知らないわけではなく、蒙古斑が一斉を風靡してから23年程経つのでそんな昔の事忘れてしまったのかも知れなかった。

蒙古斑の話をするためにシルクロードバザールに行ったわけではないが、蒙古斑の話が出来て良かった。

 

蒙古斑の事を生身の人間に吐き出す場所が無かったから丁度良かった。

 

いつか蒙古斑の話を吐き出す専門の中央アジアイベントに行ってみたい。

蒙古斑の認知度はどれくらいあるのか?

 

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カネディアン宿営地3

2023年11月03日 | 自己満

400年以上昔に日本に来た蒙古族の足跡を推測している。

カナダホト🎪とは、その蒙古族らが集合的に宿営していた金田地区という集落に、その蒙古族らが定住されられ、そのまま今に至っているのではないか?と思われる

ホトというのはモンゴル語である。宿営地が集中化する所というニュアンスの意味である。

「ホト」という単語がモンゴル語なので、カネダという名前もそれに合わせるべく、モンゴル語化。発音の法則により「カネダ」から「カナダ」になってしまった💧申し訳ございませんでした。

カネディアンとは、カネダ地区に定住させられているのでそれからとり、カネディアンとする。チバリアンというネーミング法則と同じである。

カネディアンというのは和製英語のようなものなのでわざわざカナディアンにする必要がないためカネディアンのまま。

 

カナダホト🎪の場所が夏営地だとして、冬営地の候補がカナダホト🎪から20km-30kmの愛川町の山あい、山中の南斜面。10km-20kmの厚木市上荻野の山あい及びその周辺、山中の南斜面。5km-10kmの厚木市飯山の山あい及びその周辺、山中の南斜面。

 

その他にも冬営地の候補になり得る所が沢山あるのである。

 

伊勢原市や秦野市にもそういった、山脈の南麓の、冬の北西から吹く寒波を避けられる山あいが多数存在する。

 

以前の記事

「カネディアン宿営地1

カネディアンの宿営地について - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

で書いたように、夏季は集合し春・秋・冬は分散するのであれば、彼らは夏以外の季節、これら丹沢山塊や近接する小山塊の山中や南麓で各々過ごし、夏季にはカナダホト🎪に集合し、秋にはまた冬営地へ向かって分散するのであろう。

 

厚木市の形は、水菜の葉の左半分のような特殊な形をしている。

 

水菜の葉を想像して頂くと、葉の右端が、大きな川に近い草地。葉の中央部が平原、葉の先の方が山あい。

 

左半分の形というのが重要な鍵で、北を上にしたとき、北西に山塊があるという事が遊牧にとってとても都合が良いのではないかと思える。

 

日本では「西高東低」の気圧配置を冬型と言われるが、これは遠く離れたモンゴルでも同じなのではないかと思う。北西から強く寒い風が吹く。

 

しかし実際には、夏営地というのはカナダホト🎪に限らず他にも夏営地があると考えられる。夏だからとカナダホト🎪に全員集合しなければならないという事はない。カナダホト🎪は集合化しやすい営地だったという事は考えられる。

 

しかし、あくまでカナダホト🎪は夏営地のひとつにすぎない。

 

「夏営地の必要条件も草と水であるが、家畜囲いは重要ではない。夏の草原は泉や融雪のような水源の近くに位置している。一般的に夏の放牧に冬営地を使用するのは好まれず、ほとんどの家族はこれを行わない。」

 

「牧民の話によると営地の場所は、水の状態によって変化し、昨年の場所が、今年は「水が悪い」つまり水の確保が難しいのだという。またここで言う水とは、主に家畜用の水である。

牧民は、雨が多ければ草生が良く、家畜に飲ませる水源と湖が増えるため、旱魃の夏よりも「良い夏」である、という認識を持っていた。」

 

「昨年の訪問箇所と数100メートルしか離れていない。地名は勿論ドゥルブンホダグ前年と全く同じ場所には設営しないものだ。とツェベグは述べていた。」

 

「アサルマーは隣県のノルドゴビ県の出身である。また、アサルマーは、夏営地の場所というのは大体決まっており、慣れた場所からあまり遠くへ出かけないものだ、と語った。」

《参照: モンゴル遊牧民の移動ルート選定の安定性-モンゴル国スフバートル県の事例- 尾崎孝宏》

 

 

スフバートル県オンゴン郡の牧民のホト構成員は家族世帯のゲルと、友人の家族世帯のゲルなど、近しい間柄である事が多いようである。

 

カネディアン牧民も多分、これと同じような感じで、現代よりもより氏族性が強かったのではないか?

 

しかし実際に自分は400年前のカネディアン牧民世帯から直接聞き取り調査をしたわけではないので、何も言えることはないが、歩きまわりながら妄想するのは面白い。

 

カナダホト🎪は親族、友人に限らず、色々な世帯が集合してしまって、近隣協働体:一時的な村落共同体のようになる傾向があったのか?

可なり大きい石堆型オボーが出来ていた事からそれが伺い知れる。カナダホト🎪のゲル数は可変であったと思われる。

 

カナダホト🎪に宿営しないカネディアンもいるというなんともややこしい。

 

カネ🌹ディアン🌹とは、チベット仏教とテングリ信仰を併せ持つ蒙古系遊牧民をさす。

 

このカテゴリーの人達はどこで動き回っていてもカネ🌹ディアン🌹という。

 

カネディアンとは、蒙古系遊牧民の後裔が定住させられている金田地区の名称から取った。いわば金田という名称のひとり歩きである。

 

 

「冬営地の最低必要条件は、高い山の南麓と川沿いの低地の近辺が最も満たしていたようである。(中略)ホトアイルは普通、そのような冬営地を幾つか持っており、それぞれに石囲いと糞の堆積がある。例えば、インフォーマント(情報提供者)の家族は寺の周り、1/23マイルの距離に45箇所の冬営地を持っていた。同じ年に全ての営地が使用されるわけではないが、適当そうなものを選んで二つ使うことはしばしばある。」

《参照: モンゴル遊牧民の移動ルート選定の安定性-モンゴル国スフバートル県の事例- 尾崎孝宏》

 

 

カネディアンたちの冬営地の候補が、冒頭の丹沢の山中や、愛川町や厚木市上荻野、厚木市飯山、伊勢原市、秦野市などの丹沢の南麓の山あいの川沿いの低地などが適しているのではないかと考えられる。

冒頭の水菜の葉の先の方に当たる。

 

 

ここにもみじクッキー🍁があります。先日KALDIで大量にあったから買った。めちゃめちゃ美味しかった😋から食べ終わったらまた買おう。

 

これを見て思った。冬営地&平原&夏営地の可視化のようだ。

 

葉の先が高い山の南麓の山あい。クッキーの葉脈に当たるものが、川。どまんなかの縦断する葉脈が相模川。CANADAの文字の左半分のANの下部と葉脈の間の三角地帯がカナダホト🎪

(左半分というのが鍵。右半分の草地を隈なく探したが遊牧遺構は今のところ見つかってない。)

 

正確にはこのクッキーのように線対称にはなっていないが、丹沢山塊の山あいには必ず川がある。このクッキーは丹沢界隈の牧地の可視化のように見えた。

 

これらの山あいは冬営地に非常に適しているという事を意味している。

このクッキーの地形は高低差が激しいわけではなく、平原である。このクッキーはカネディアンの為に作られたわけではないが、説明するに丁度良かった。

 

冬営地の可能性の高いこれらの地域で見つけたい遊牧遺構石囲い

家畜を囲うために使ったであろうと思われる。

 

遊牧民宿営地探しをするに当たって、考慮に入れなければならないのが、水の問題。水の確保や水害の問題。

 

参考にするのは

 

・アキドチャンネル

 

アキドチャンネルは灌漑用水や上水道、水道管や逆サイフォンなどの遺構や水源をひたすら調べて実踏して解説するYouTube 動画。

 

このチャンネルとの出会いは上郷水管橋について調べた事がきっかけ。アキド氏は色んな所を歩き回って撮影してるので、視聴しながらこちらも遊牧民の生活の手掛かりを探している。水についてとても勉強になる。

2度目、3度目を見る時は遊牧目線で見るようにしている。

アキド氏が作った動画をカルガリーは遊牧目線で視聴する。

 

遊牧生活も、結局は水か!と気付かされた。

 

この動画は中の人の顔や声などは一切出て来ないが、動画中に現れるテロップの文体や影や使用する音楽など、アキド氏の人となりが分かりそうな気がするし、アキド氏の水そのものや、現存する土木建造物、土木遺構や田畑、かつての人の生活、ネコなどへの愛がアツい、なかなか刺さる動画である。

 

 

アキド氏は地蔵や祠や道祖神などがあれば気に留める。そういうものに敬意を持っている人なんだなとか思いながら、こちらもテングリ祭祀跡がないか探している。

 

自身もアキド氏に影響を受けているところもある。妄想が止まらないとか、解る。

調べて実踏していると、自分の妄想でも、そうにしか思えない。見えないという現象は解る。

アキド氏は念入りに調べてから歩くので歴史を考慮しながらの旅は色々見えて来るという事を言っており、感慨深い。

 

動画のオープニング曲が哀愁漂う。灌漑用水編の動画のオープニングは欧州の農民のダンスのような曲で、農民の生活の中での憂いや喜びが伝わってくるようだ。この選曲もアキド氏の意図が入っていると思う。

 

横須賀水道道5日目

 

 

この回ではカナダホト地区を通る。

自分のトラス橋についての過去記事で上郷水管橋について書いた。この動画の一文をそのまま使用させて頂きました。

 

動画を撮影した時のカナダホト地区の河原の散乱ゴミは綺麗に片付いていた。

 

カナダホト地区には、トラス橋の遺構がある。

 

ここがいわゆる蒙古系ディアスポラ集落だったと踏んでいる。

 

この集落にはテングリを祀るオボーの痕跡と、金田神社の中世に行われた祭祀に、ナーダムのような長距離競馬神事があった。

これはおそらく、オボー祭りの一部ではないかと踏んでいる。

金田という名称は、カネダと読もうがカナダと読もうが、中世以降の産鉄名称である。以前「産鉄と遊牧」という記事を書いた。

遊牧と産鉄は深い関わりがあるという事がよく解った。

オボー、ナーダム、産鉄地名。この3つを考慮するとどうしても蒙古系ディアスポラ集落だったと思わざるを得ない。

 

過去に自分は金田を「アルタンなんとか」というものだと確信していたが、どうやら「アルタンなんとか」は大清帝国(中国・清時代)以降に蒙古人の人名や地名に増えたと言われているらしい。

カネディアンが倭国に移り住んだのは400年以上前なので、まだ大清帝国支配以前である。

 

次は冬営地。なかなか実踏する機会が無くて。冬営地の可能性のある場所は遠い。

400年前のカネディアン牧民はどれぐらいの範囲で動いていたのだろう?

 

400年前の日本(倭国)は現在では考えられない程、広かったのだろう。

 

長文のご精読ありがとうございます。

 

前の記事

カネディアンの宿営地について2 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

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