斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

和の精神についてその2。欧米文化との比較。

2024年10月27日 | ザ・日本人の気持ち

先週は、縄文時代から脈脈と受け継がれてきた「和」の精神について書いた。

「和」の精神の根本とは「隣人に対する恐怖心」と結論づけた。

これは、日本人独特のものだと思う。

日本人のタテマエとホンネというのも「和」の精神の裏返しと言われるが、これも説明がつく。

タテマエでは「貴方に対して敵意はありませんよ」という友好的な態度で接するが、内心は、相手の悪口、罵詈雑言。そして、家族や親友や、職場の信用できる女子社員なんかにホンネの陰口を叩く。

これも直接相手とのトラブルを防止する為であるが、女子社員が背信したら喧嘩になる。

これも日本人独特なものである。

これは西洋人、東洋人、東南アジア人関係なく、外国人であれば、速攻ホンネを直に相手に、直接的表現で言ってしまう。外国人は、本当に敵意のない相手にはそこそこ友好的に接するが、敵意のある相手には直接敵意を剥き出しに接する。嫌いな人には挨拶をしない。無視するという事がザラである。心にもない挨拶をしたり、社交辞令を言ったり、お世辞を言ったり、相手に興味もないのにエレベーターの中でお天気の話をしたりはしない。

日本人、特に昭和前半世代の方は、自分から話し掛けなければ相手に対して失礼という感覚があるようなので、顔見知りでも何でも無い人間に対しても儀礼的に話し掛ける。「相手に対して失礼」という感覚も古今東西の外国人には存在しない。

(*外国人と一括りにしているが、個体差はある。)

 

外国人は、「日本人はハッタリをよくかます」と言うが、これも「和」の精神、相手に対する畏怖から来るのである。

そこらへんも「日本の常識、世界の非常識」である。中年日本人男性に、軽いエレベータートークをされた英語圏出身の女性ユーチューバーは驚いて、途中でエレベーターを降りてしまったというエピソードがあった。エレベータートークがセクハラに聞こえたらしい。ナンパされたような気がしてとても怖かったという。

自分が思うに、彼は英語圏女性(ガイジン)に個人的には何の興味も無かったと感じる。ただ、慣習的に「これから何処行くの?」と何の気なしに、挨拶程度に聞いてしまったのだと思われる。これは日本人にしか理解出来ないだろう。

(*個体差はある)

 

ガイジンは、ナンパぐらいにしか捉えない頭の中身である。日本文化の洗礼を受けましたね艸としか思えない。

これがもし若いイケメンだったらガイジンの女の態度も違っただろう。多分彼も貴女に興味も関心もないと思います。

日本人は実は外交上手なのかと思える。

しかしバブル崩壊以降、互いに「儀礼トーク」や「ハッタリといわれるトーク」がかませなくなってしまった。タテマエ、ホンネの日本人だったものが、変容してしまった。互いに疎遠になり何かにつけてプライバシー侵害だのハラスメントだの言うようになってしまった。そして、社内の人間との飲みニケーション的な交流も拒否するようになった。企業風土が、無味乾燥で、職場には仕事の為だけに来ている、個人情報を相手に聞いてはいけないというコンプライアンスが出来る。何かにつけて規則。古き良きアットホームな仲の良さは無くなった。

(*全体としての傾向という話で、企業文化による)

 

古き良き企業は、人脈の力で営業が上手く行っていた。しかし現在の令和日本では、人脈の力が企業に影響をあたえるという事はない世知辛い時代である。

現代人が大好きなハラスメントやプライバシーという言葉。

(*人による)

 

高校ときの英語の授業で、とても印象深かった内容がある。「プライバシー」という言葉は、ガソリンスタンドと同様に和製英語である。ネイティブ英語では「ガス・ステーション」という。

「ガソリンスタンド」という和製英語は、日本人だけが日本で使い、ネイティブが使う事はない。

しかし「プライバシー」という言葉は日本で生まれた和製英語だが、欧米に渡り現地では本来とは違う意味で使われ日本に逆輸入されてきた。

そういう語がいくつかあると言っていた。「フレンドリー」も和製英語で、欧米に渡り、これも本来と違った意味で現地で使われ日本に逆輸入された。「バウンダリー」という言葉も和製英語である。

先生はこの3つは元々「和」の精神と関わりが深いと言ってた。

「プライバシー」というのは、英語の「プライベート」という言葉を日本語化した。「プライバシー」の元々の日本語の意味は、「隠居」や「他人に邪魔されない生活」である。この概念を一語に表現したかった日本人は英語を借用し、この言葉を作った。

欧米でのプライバシーの捉え方は「個人情報」という限定的な意味で使われる。

 

「フレンドリー」は「フレンド」という言葉を日本語化した。日本語での本来の意味は「友好的」である。「貴方に敵意はありません」という態度を一語で表したかったのだろう。友好的という本来の意味がありながら、横文字化している。

欧米でのフレンドリーの捉え方は「気さくな」とか「誰とでも友達になる」という友達100人出来るかな?のようなニュアンスだ。欧米は過剰な競争社会で、成功者をはじめとする上流階級では、友達が多い事でマウントをとる。成功者は友達が多い事がステータスである。彼らは盛大な社交パーティーを開き、友達の多さを自慢する。

パーティー参加者は皆仲が良いわけではなく成功者の「友達」というサクラとして利用されている。まるで政治パーティーだ。いわゆる「サクラ」は高級食材などの餌に釣られて参加しているだけである。欧米人は日本人に比べてチョロいので、釣られやすい。雑魚欧米人(平民階級)はこじんまりとホームパーティーをする。

社交界文化(貴族文化)のある欧米諸国では、友達をたくさん作る必要性があるので、フレンドリーが、ズカズカと相手に踏み込み強引に友達になるようなニュアンスになる。どちらかというと「対人積極性」というニュアンス。欧米の貧富格差は凄ましい。しかし欧米人は総じて友達を作ることに「積極的」だ。

(*個体差はあるが、欧米ではそういう風潮がある)

 

日本の採用人事界隈では、ごく親しい知人が2〜3人いると言えば心象が良い。友達がたくさんいると言うと、八方美人で、信用がない人だという印象がある。更に「友達」という言葉が“マブダチ”のようで心象が悪いと感じる人もいる。

(*採用担当による)

 

元来日本には「友達」という概念が無かった。明治まで、横並びの社会が歴史上全く無く、幼い頃は横並びに付き合うが、一生付き合う事は少ない。「幼馴染」という概念はあるが、年をとり生活段階が進むにつれてその段階に合わせて関わる相手が変わる。そもそも日本には社交界文化がなく、家族や親族との関わりが主であった。武士も農民も職人も縦社会であった。身分制の他にも、武士は言うまでもないが、農民、職人にも一族毎にそれぞれ階級があった、商人以外の日本人は階級社会で暮らしていた。

日本は伝統的に横の繋がりが社会的に存在しなかった為、並列の人間関係が苦手である。学校のクラスなどで友達を作るのが下手糞とよく言われるのもそれに起因する。並列関係の同期(同級生)に警戒をし、互いに距離を置いてしまう。よく、部活に入らなきゃ友達出来ないと言われるが、部活は上下関係がある為、人間関係が構築しやすい。日本人は、自分の友人を「知人」と表現する人が多い。

(*個人差はある)

 

「友達」が少ない、或いはいない人の方が誠実な人間な気がする。この人は誠実で不器用だから友達が出来ないのだと思えて、とても魅力的である。自分と同類だと思えて好もしい。

(*完全に私見)

 

欧米では友達が出来ない人は馬鹿だし、口数が少ない人はつまらない人間だと見做される。

(*そういう風潮はある)

 

ある欧米人が言うには、日本人ほど単純に友達になりやすいのはいないという。日本人はNoとはっきり言わないし、英語で話しかけても無視をせず、誠実に答えてくれる。それに人当たりが優しい。欧米人が言うには、欧米人というのは日本人とは比べ物にならない程、気性が難しく、意地が悪いのだと言う。話し掛けても無視をする人はザラにいる。

(*あくまで欧米人個人の意見なので、信頼性は高くない)

 

日本人は、人に話しかけられる事は大好きである。

 

日本人が最も社交的だった時期は、開国からバブル崩壊までと言われている。「ハッタリトーク」が上手かった時期は長い長い日本の歴史の中でほんの一時期。崩壊後は、本来の日本人らしさに戻りつつある。

開国・文明開花で欧米の社交性が取り入れられ、そこに和の精神が融合、日本人は心にもないハッタリトークをするようになった。戦後アメリカの尻を追う。昭和中それは続いた。

しかし、バブル崩壊でダメージ。経済縮小に伴い内向き指向に。年を追う毎に欧米指向どころではなくなり、意識せずとも本来の日本人らしさを取り戻す。

今後もし、日本の経済が復興しても外向き指向(海外に目が向く)にはならないし、かつてのように欧米の尻を追う事はないと思う。インバウンドもそのうちいなくなってしまうし、移民の顔ぶれも変わる。

 

「バウンダリー」は「バウンド(縛られる)」という英語を日本語化した。「バウンダリー」の日本語での意味は、「境界」。これは物理的な「境界」ではなく、「目には見えないが、侵害してはいけない概念的な境界」である。

先記事の「和の精神」で触れた、縄文人の原初的な「和」の在り方の、「自他の線引き」に近い。

個人を尊重し、他を干渉しない。また、他から干渉されたくはない。という話を連想させられる。先記事の縄文の話は、アフリカのシャーマンが言った、まゆつばな話なので、本当のところは分からないが、「バウンダリー」という言葉がある事によって、この話が本当だったのかも知れないという裏付けになる。

 

ソーシャルワーカーによる、コミュニケーションと心の問題について書かれた記事↓

自分と他者を区別する境界線「バウンダリー」とは?ソーシャルワーカー鴻巣麻里香さんによる解説 | こここ

 

「バウンダリー」は対人支援専門職の間で飛び交う言葉だ。記者はエヴァンゲリオンの内容を専門的な目で解釈している。この記事も、「和」の精神とは「自分と他者との線引き」と言っているようである。非常に深い内容である。

 

「バウンダリー」という言葉も欧米に渡り、日本での「境界」の概念を削ぎ落とされ、物理的な「境界」のみという事で捉えられている。欧米人にはこのような深い日本人特有の心を理解出来るとは到底思えない。例を挙げれば、もみじ ブリティッシュ・コロンビア州 クートニー・バウンダリー地域。

 

 

《掲載:Wikipedia》

もみじの行政が、和製英語を使用しててとても面白い。ここは、アメリカとの国境に接している。国境を指して「バウンダリー」と言っていると考えられるが、国境の訳はボーダー(Border)である。何故ボーダーではなくバウンダリーなのか謎である。よく読めば「バウンダリー“地域”」という。バウンダリーというのは固有名詞の地名ではなく、市とか町というような行政区分のようにも見える。“クートニー”というのが固有名詞の地名だと思う。行政区分で“境界地域“とはどういう事だろう。国境だから境界なのか?別の意図があるのか分からない。もみじの幹部は日本的な、侵害してはならないという概念的な“境界”という意図ではないと思うので、物理的な“境界”だと思う。クートニーという広範囲に渡る地域があり、アメリカともみじに国境で分断。クートニーという地名の地域の国境側の地域という事だと思う。アメリカ側にも同じものがあると思う。

 

国境。

 

国境とは「和」の精神の極みだと思った。海に囲まれ国境を持たない日本人とは相反するが、縄文人は、氏族が国のようなものだったのかも知れない。他人に対しては個々人が概念的な国境を持ち、つまり侵害してはならない目には見えない境界を持ち、各氏族が国のような責任を持って生きていたのではないかと考えられた。他氏族との力関係や均衡を考えながら活動し、交渉していたのではないのかと考えられた。各氏族は、大戦に発展しないように外交努力をしていたのではないかと考えられる。

 

縄文の平和はただ与えられたのではなく、自ら築いていったのだろう。

 

縄文人の親が子供に責任というものを叩き込むのも、氏族、つまり国の幹部のようなものの一員として責任を持てという教育だったのかも知れない。

アフリカのシャーマンの言ってた事だから実際どうか知らんけど、嘘でも本当でも凄い話だ。

因みに「フレネミー」という言葉も和製英語で、これはまだ日本でしか使われていない。表面的に友好的に見えるがホンネは敵意を持つ人を指す。その逆もあり、競争相手であるが、協力関係もあるという意味もある。

長文のご精読、ありがとうございます😭

 

もみじブリティッシュ・コロンビア州 クートニー・バウンダリー地域については、もみじ、トレイル市が自分の居所である相模原市のかつての友好都市だったので、検索した。

バウンダリーという名前が出てきた。

これはトンデモな説だが、バスク人やケルト人も縄文人の一部だという説がある。氷河期より前の太古の昔、バスク人、ケルト人の祖はユーラシア大陸の広範囲に渡って居住していた。氷河期に大陸と日本が地続きになり、日本に渡った。その後孫の一部が日本に存在しているという。バスク人、ケルト人の祖は、西洋人ではなく、彫りが深く毛深いアジア人である、古モンゴロイドで、赤毛だったと言われている。ハプログループYアダムR1bタイプがこれに該当。日本人の約2%がこれに属している。西アジア中心に拡散したというが、西ヨーロッパと南ヨーロッパに顕著に分布している系統であり、バスク人やケルト人に80%以上の高頻度で見られる。

大航海時代以降の人の流動に伴って南北アメリカ大陸やオーストラリアにも分布を拡大した。

またバシキール人にも86%の高頻度である。

高頻度民族・地域は西ヨーロッパ、アルメニア、カメルーン、バシコルトスタン、北米東北部等。

また、R1b 系統は赤毛遺伝子とも言われるように、バスク人、ケルト人、バシキール人に赤毛頻度が多く、血液型Rh-遺伝子であるとも言われている。日本人に少ないRh-の人は、赤毛の縄文人(古モンゴロイド)の後裔である可能性が非常に高い。東北地方には、赤毛が多いと言われているが、この影響もあるのかも知れない。

《Wikipedia一部抜粋》

 

その為、一時は「日英同祖論」などというものが流行った。英国人(ブリテン島)には、バスク人、ケルト人に由来のある人が多くを占めているため、日本人と遺伝子が近いのではないか?というトンデモ説が流行った。しかし日ユダヤ同祖論の方が沸いた。

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和の精神について

2024年10月20日 | ザ・日本人の気持ち

さて、今回は、自分が長年考えてきた「和」の精神とは何か?について書きたい。

 

10月11日。今年のノーベル平和賞に日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が選ばれた。受賞理由について「核兵器のない世界を実現するために努力し、核兵器が二度と使われてはならないと証言を行ってきた」と評価している。

 

日本被団協は、広島や長崎で被爆した人たちの全国組織で、およそ70年にわたり被爆の実相を伝え、核兵器廃絶を世界に訴える活動を続けてきました。

 

日本のノーベル平和賞受賞は、非核三原則を表明した佐藤栄作 元総理大臣が1974年に受賞して以来、50年ぶり、2度目です。

《NHK NEWS WEB抜粋》

元記事↓

 

ノーベル平和賞 日本被団協きょう会見 核廃絶など改めて訴えへ | NHK

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“和をもって貴しとなす”

 

この言葉が表すのは、「いさかいを起こさないのが良い。」という事。「和」とは「平和」。「戦争を起こしてはならない。」という聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる。

 

その時代から日本では「平和」について考えられてきた。しかし実際には、更に昔から「平和」が意識されてきた。

 

日本は太古の昔から、国土全体危機に瀕した事は2度しか無かった。一度目は元寇。しかしそれは、壱岐、対馬と九州北部の一部だけであり、日本全土ではない。結果的に失敗に終わった。もう一つの侵攻は第二次世界大戦の米軍による爆撃。原爆の投下。これは日本国土が焦土と化した。それ以外、日本は外敵に晒される事は無かった。この数奇な運命は、世界中の如何なる地域にも見られない。

 

世界中の殆どの島国は、西欧列強の植民地支配に遭い、列強である英国自体が大陸から近い為、太古の昔から侵略されていた。それだけでなく、ヴァイキングという、海からの侵略もあった。大陸にある国は、言うまでもなく、陸続きの為、有事やトラブル続きであった。

 

日本ほど外寇に晒されない平和な国は、他を探してもどこにも存在しない。

 

長い日本の歴史で戦ばっかじゃないか?とも言われるが、日本の戦は、戦場で兵士が戦う事が多かった為、中世ヨーロッパや、中国、中東ほど凄惨な戦争ではなかったと言われる。現地調達。つまり掠奪といっても、現地の農民や漁民が敵味方関係なく自ら食糧を兵士たちに提供していたという。絵に描いたような掠奪は、倭族同士では起こらなかったようだ。

 

倭国の歴史上最も戦争が酷かった時代は、信長、秀吉の2代ぐらいの期間であった。戦場は凄惨だが、戦争に関係のない庶民は自由に暮らしていたといわれる。日本の戦国時代というのは、世界の戦争と比べると、小競り合い程度だと外国人らから言われる。中国やヨーロッパには城塞都市という、都市を壁で包囲した都市が存在するが、日本にはどこを探してもそれが存在しない。それだけ大陸の戦争というのは、外寇が酷かった。日本人は、街に住む一般人を襲撃するという事は歴史上無かった。敵の城を落とす事が目的であって、一般人を襲撃しようという発想は無かったらしい。

 

もう一つ特殊だと言われるのが、川のすぐ近くに定住するという事。外国人の目から見れば、これは不思議な事らしい。川蔦いに敵が船に乗って侵攻する為、近くに定住村などがあると襲撃される危険性が高いので、川の近くには定住しないのが世界の常識だという。

 

それで日本は、世界から「平和ボケ」だの「惑星」だの「日本の常識世界の非常識」だの言われる。

 

 

以前、自分の記事で、「日本は島国で、周辺の大陸や島嶼からの寄せ集め、烏合の衆。元はバラバラだった。それを纏めるたった一つの共通するものが“日本語”と書いたが、それは、大いなると迄は行かなくとも、勘違いであった。

 

日本(倭国)の外国人(非倭族)率については、鎖国直前の江戸初期に於いて、自己が倭人ではないと自認する人が僅か1%にも満たなかったと書かれていた。*但し、琉球王国と蝦夷地を除く。現在と比べると、本当に少ない割合だ。

日本は周辺の大陸や島嶼からの寄せ集めでバラバラだった時代は、飛鳥時代ぐらい迄であった。その時代は、寄せ集めの血統的にバラバラの部族が紛争していた。江戸時代にもなって、それは無かったようだ。

 

過去の自分の記事で、日本人はオールドカマー、ニューカマーなど、いつの時代にも人が渡航して来ていたと書いた。そして、江戸時代の鎖国までは、一日あたりなん人というレベルで常に渡来はあったと書いた。

 

大まかに分けると。

 

アンシェントカマー(太古)

氷河期→石器時代→縄文時代

 

 

オールドカマー(古代)

弥生時代→古墳時代→飛鳥時代→奈良時代→平安時代

*奈良・平安は古代か中世か意見が分かれるが、大和朝廷が絶対権力を握っていた時代までを古代とする説が多い。

 

 

ミドルカマー(中世)

鎌倉時代→(南北朝時代)→室町時代→安土桃山時代→江戸時代、鎖国まで

 

 

ニューカマー

開国・明治維新→大正→昭和、戦前まで

 

 

戦後カマー

昭和戦後→昭和が終わるまで

 

 

近現代カマー

平成→令和

 

 

と書いた。

 

しかし、新しい研究結果の文献をネットなどで読むと、日本人の大半は、アンシェント(太古)カマーである。その次に多いのがオールド(古代)カマーで、鎌倉幕府が政権を握るようになってから、大陸や島嶼など外部からは滅多に渡航して来なくなった。遣唐使を辞めてから、大陸や半島や島嶼からの移住者が激減した。日本に移住する理由が無くなった為である。

 

中世、ミドルカマーの時代では、幕府が許可した中国や朝鮮半島から呼び寄せた陶芸技術者か、幕府が許可した貿易商人などは、幕府が定めた土地に居住する事は許されたが、倭人と血を混ぜる事は許されなかった。彼らは国に帰ってしまうか、独身のまま生涯を終えるかしている。

 

もう一つのケースは、大陸などから日本列島に漂着してしまったというのがある。*カナダ人🏹などは、これに該当する。中世倭国は入国管理がガバガバだったから、カナダ人🏹が倭国に入り込んでしまう事も可能だった。

《カナダ人🏹: 約400前に日本に渡航して来た蒙古系遊牧民。現在、カナダ集落(大元集落)に定住させられている人民の祖先だと考えられる。》

 

学校の日本史は、日本人の由来は縄文人と弥生人だけだと教えるが、新しい文献によれば、大まか合っている。縄文人に該当するのはアンシェントカマー(太古渡航者)。弥生人に該当するのはオールドカマー(古代渡航者)。縄文人も弥生人も単一民族では無かったが、これらを象徴して、縄文、弥生と呼んでいるのかも知れない。

 

日本人は、日本列島の周辺地域から寄せ集まったアンシェントカマーが長い年月を掛けて混ざり合ったグループと、その後の時代、日本に渡航したオールドカマーとが混ざって現在の日本人が遺伝子的に確立した。そして海に護られ、鎌倉幕府成立以降殆ど外から部外者が入って来る事なく純血性が保たれた。「民族」定義は民俗学者も頭を痛める程難しいが、考えようによっては日本は単一民族である。

 

長い年月を掛けて混ざり合い、考え方、生き方が同質、均質になった平和な環境で生きる人民は、平和的になる。しかし、日本人も人間だ。人間としての本能も原始のままである。他者への「警戒心」という本能も、原始時代から殆ど変わっていない。

 

日本人の大半は、アンシェントカマー(太古の渡航者)である。オールドカマー(古代渡航者)との混血も多少あるが、縄文人と言われる太古の人間の血の方が濃い人間の方が圧倒的に多数である。

 

クール・ジャパンと言われる要素のひとつが、日本人の「目つきの悪さ」これは本当で、日本人は、他の東洋人にはない目つきの悪さがある。

東洋人(主に北東アジア人)は切れ長な目が多いが、日本人の目つきは特殊であるという。西洋人から見ると、「サムライ」のようであり「鷹」のようであるという。日本人の目は鋭く、聡明に見えるという。日本人は平和ボケでおっとりして、ただおとなしく見えるが、目つきとのギャップにとても驚くという。日本人女性が西洋人にモテるのは、この目つきの悪さにあると言う人もいる。

 

この、他の東洋人とは違う「目つきの悪さ」も説明がつく。多くのアジア人や、西洋人の目には「蒙古襞」がある。内眼角贅皮(ナイガンカクゼイヒ)とも言う。上まぶたが目頭を覆う部分にある皮膚のひだ。蒙古ひだの形成は、寒冷な気候的要素の、遺伝的要素が原因だと言われる。つまり寒い地域出身の祖先を持つ民族に多く出現する。西洋人の丸っこい目の形は、目頭の蒙古襞に由来する。北東アジア人は、目尻は吊り上がり、切れ長だが、西洋人同様、目頭が丸っこい人が多い。しかし日本人はこの蒙古襞が無い人の方が圧倒的に多く、ある人の方が珍しい。

 

蒙古襞がない人は、キリッとした目の印象になる。日本人が、他のアジア人よりも大人っぽく見えるのは、考え方や生き方の大人っぽさもあるだろうが、このキリッとした印象によるものもある。

 

蒙古襞が無い原因も、縄文人(太古の人類)の要素が濃い事も関係していると言われる。本土の日本人の他に、アイヌ民族、沖縄と、台湾の先住民アミ族、中南米の先住民、北米の一部のネイティブアメリカン、北センチネル島の先住民、アマンダン諸島の先住民アマンダン人、オーストラリアの先住民アボリジニなどの、先住民という人たちと、バスク人、ケルト人には蒙古襞がない。ネイティブアメリカンの目つきの悪さも、米国白人の間で言及されている。

 

 

縄文時代は、戦乱の無い平和な時代が1万5000年続いた。現在では縄文時代の研究も進んで色々分かってきた。縄文時代は稲作もなく、鉄器などの武器も無かった。身分や格差も無かったし、主権や土地所有者も、国民という概念も無かった。

気候も温暖で、飢餓なども無かったという。更に分かった事は、縄文人は定住していた。

 

縄文人の民族性について非常に気になる。これはまゆつばな話だが、これもYouTube動画から得た内容。ある画家がアフリカの集落に、絵の修行に行った時の話。その集落のシャーマンが、生前、日本の縄文人をやっていたという人(霊)と霊通した。

 

覚えている限りを書く。

縄文人というのは、第一に、何でもキッチリと線引きをする民族である。個人主義が発達した社会を築いていた。家族や血縁者を何よりも大切にし、他人に対して忖度などをせず、周りを気にせず自由に生きていたという。

 

上下関係という概念が無かった。喋る事を好み、納得するまで徹底的に互いに話し合う為、戦乱に至る前に解決させていた。集団で動くという事が少なく、個と個の勝負であった。口論も殴り合いの喧嘩もよくする。しかし戦乱に発展する前に解決させていた。とてもタフで、孤独耐性に優れていた。協調性は、あまり高く無かったが、自他の線引きがキッチリ出来ていたので、足並みを揃えない人を非難する事が少なかった。協調性は低いが、喜びをシェアする事を良しとする。ノリだけは良かったようだ。

 

縄文人は何よりも「責任」というものを重要視していた。個人の責任を尊重し、他人に干渉する事を好まなかった。その割案外フレンドリーであった。しかし内心、他人に対する警戒心が強かったという。縄文人は、自分のテリトリー侵害される事を嫌った。

 

親は、子供に対して、歩けるようになり、一通り喋れるようになったら、責任を与え、一人の人間として扱った。その為、自分の頭でモノを考える事を幼少時から強いられるので、早く自立し、大人と対等に話をする。全体が一丸となって助け合いをするというより、人脈ネットワークが充実してしていた為、困った人が助かる仕組みになっていた。

 

らしい….

 

国がないって事は税金も納めなくて良いんでしょ?いいなぁ…

 

まぁ。実際どうだったか知らんけど、現在の日本人に共通する所もあると感じた。現在日本と社会構造が違うから、違う部分も多い。

 

線引きと、話し合いを好む事、他人に干渉しない事、家族を大切にする事、孤独耐性が強い事、「責任」というものを重要視している事、他人に対する警戒心の強さなどは、現代日本人そっくりであると思う。

 

やはり日本人は元々、クール・ジャパンである。

 

戦争を回避する重要な手掛かりが縄文人の生き方の中に見出す事が出来るのだろうか?

縄文時代は土地所有の概念はないし、国や主権などは無いし、喧嘩するにしても個人vs個人では戦争にはならない。では、氏族vs氏族になればどうか?口論や殴り合いで解決出来たのであろうか?鉄器でなく石器でも武器になる。

 

気候が温暖な時期だったというのも、戦争に発展する理由を作らないと思う。気候が温暖という事は食糧の奪い合いをすることもない。分け与えることもない。気候の良さは、個人主義でもいける。互いに干渉し合う事もない。

 

もし気候が寒冷になったり厳しくなってきたら、生きる為に一丸となって協調しなければならなくなる。そうなると、互いの対人距離が縮まり、人口密度も濃くなる。互いに干渉するようになり、諍いが増え、食糧の奪い合いが始まる。が、分け与えるというのも始まる。一丸となった助け合いが始まり、互いのテリトリーの侵害も始まる。

 

自分なりに考えた戦争が起こらない単純な結論。縄文時代にはそもそも国というもの自体が存在しなかった。

 

もう一つは「個人主義」が発達した社会で自給自足。集落などの団体を作っていなかった為、氏族vs氏族の抗争に発展する事はあっても、村vs村という構図が無い為、事が大きくならず、戦争まで至らなかった。

 

部族ほど大きくならなかったのも、徹底した個人主義によるものなのか?そこらへんは謎である。

ひとつ思うのは、縄文人は他に干渉しない民族性の為、他人に関心がない。大勢の血の繋がらない人たちを纏めて、連合を作ろうという発想は無かったのかも知れない。

 

せいぜい、氏族vs氏族の殺し合い止まりだったのかも知れない。これ以上エスカレートのしようがない。

 

経済学的な要因もあると思う。自給自足、個人主義経済。その上人口密度も非常に希薄だ。経済的に他と軋轢にならない事も戦争の火種を作らない。

 

自分は経済学には疎いので詳しい事は言えない。

 

家族や血縁と、他人という線引きをキッチリしていたのだろうと思う。他人とはトラブルがつきもの。下らない事で何かと喧嘩を売られてたのかも知れない。

 

日本人の根底にある「隣人に対する恐怖心」はこの頃から始まってたのかも知れない。隣人や他人に対する非常に強い警戒心ゆえに、隣人に対し、それと真逆の態度をとっていたのかも知れない。縄文人は、フレンドリーだったというが、これは「私は貴方に対して敵意はありません」という意味の態度なのかも知れない。

 

その頃から我々日本人は「和」を意識した行動を心掛けていたのかも。

 

物事にキッチリ線引きをするのは、曖昧にしておくと後々トラブルに発展する危険性があり、トラブル回避の為だとも考えられる。

 

納得するまで互いに話し合うというのは、争いを回避する最善の策。

 

喜びをシェアする事を善しとする。竪穴式住居の近隣住民と食事会とかしていたのでしょうかね。現代日本人と同じ事をやってたのかも知れない。

 

ノリが良い。パリピか?!

 

責任のなすりつけ合いは戦争の火種になる。自分の責任で生きることは争いの芽を摘む。そう思う。

 

他人のテリトリーを尊重し、干渉しない。この場合の干渉は、余計な口出しをしないという事でしょうか。干渉は、縄張り侵犯。縄張りを闇雲に侵犯しない事はトラブルの防止になる。

 

子供に責任を与え、自立させる。人格の肯定。子供の自信や自己肯定感、責任感に繋がり、その後の人生に好い影響を与える。

 

人脈ネットワークが充実してしていた為、困った人が助かる仕組みになっていた。程よい距離感での助け合い。

 

縄文人は、行動原理が「和」。トラブルが起こる事前提に物事を考えて行動している。この考えの礎となるものが、隣人や他人への過剰なまでの警戒心。トラブルが起こると、殺されると考え、最悪、自分の一族が取り返しのつかない事になると考えるのだろうか。ここまで徹底した「和」にこだわるというのは、何があってこうなったのだろう?

 

当時は国がないという事は言うまでもなく、警察もない。自分の身は自分で護らなくてはならない。

 

という事は、勝ち目がない人と闇雲に闘って殺されるよりも初めから勝ち目の無い相手とは闘わないというのが日本人的な考え方だろう。「逃げる勝ち」というのも「和」の精神。

 

初めからトラブルの原因を排除しようという事で、縄文人たちはこのようになったと考えられる。

 

縄文時代の平和は、漫然と与えられた数奇な平和ではない。縄文人は自ら平和を作り出していたのではないかと考えられる。

 

現在日本人の行動原理も「和」。縄文人同様、トラブルが起こる事前提に物事を考えて行動している。日本人の精神の根本には「他人への警戒心」というものがあるように思え、これは縄文の昔から脈脈と受け継がれている。

 

現代日本人の、他人への配慮も警戒心から来ているし、礼儀正しさも、警戒心から来ている。縄文人と形は違えど、根本は同じである。

 

トラブルや犯罪などに巻き込まれることを未然に防止する為に、フレンドリーになる。これが「和」の精神の根本だと考えた。

 

これは外国人には千年経っても万年経っても理解出来ないだろうな。

 

西洋人には人に対する警戒心というものが存在しない。他人に干渉し、自分が殺したければ殺し、奪いたければ奪う。フレンドリーという概念もなく、人を簡単に蹴落とす。そして人を利用する事しか考えない。日本人とは根本的に違う意味での個人主義を持つ。個人主義ではなく、利己主義。それを象徴するのが「銃社会」。拳銃とは、人から掠奪する為の文明の利器として開発された。西欧列強や常任理事国の戦争犯罪を見ていると、こう思わざるを得ない。

 

YouTube動画で、しかもアフリカのシャーマンが縄文霊と交流して得た情報というまゆつばな話なので、実際どうだったのか知りません。でもこれが本当でも嘘でも、凄いことである。

 

自分が縄文系の家系である事に誇りが持てた。私の先代は、日本の大地に元々住んでいた。この日本という天地は私のものであるという歓びが込み上がる。

 

世界には、これを羨ましいと思う人がとてもたくさん存在します。

 

今年のノーベル平和賞の日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会は、長年、被爆を訴えてきた。

日本は外寇を知らない平和な国だったが、世界唯一の被爆国となってしまった。

 

被爆体験を訴えることによって、被爆の現実が知れ渡り、ノーベル賞によって世界に影響が出て、核兵器廃絶へ向かう事を切に願う。

 

日本人は縄文人同様、自らの手で世界平和を築いて行くべきだと思った。

 

長文のご精読ありがとうございました😭

 

アフリカのシャーマンの話を聞いたという画家の動画は、探しても見当たらなくなりました。消してしまったのでしょうか?

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ドンキの四川カップ麺とメリケンのジュースと朝青龍その他

2024年10月13日 | グルメ

先日ドンキで購入したカップ麺とジュースの感想。

 

四川の会社で販売してる。

 

カップの中身。フォークがついている。

 

 

 

 

 

 

 

 

なかなか癖のあるアジアの香辛料の匂いだ。八角かな。スターアニスっていうか。

 

きしめんのぶっといの。

そして胡麻胡麻胡麻胡麻

 

色ほどは辛くない。しかし、多少は辛い。

後から、香辛料の強さを思い知る。これ強えわw

 

 

 

パッションフルーツジュース🍹

 

メリケンのハワイ産のジュース。

パッションフルーツと言われればそんな気がするが、何も言われなければ、漢方ではない西洋ハーブ系の液体を滅茶苦茶甘くした飲料に思える。さすがアメリカ製、100mlあたり炭水化物12g。これは340ml。この缶とっておきたい。底にいくに従って濃くなっていく。

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自分近頃、ゴマばっか喰ってる。先日は胡麻豆乳鍋。セブンでは胡麻とブロッコリーの和え物みたいなカップデリ的なやつ。その夕飯、担々麺を食した。タンタンメンのスープにも白ごまをすり潰したものが組み込まれている。ゴマからは逃れられない。

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前回の記事で、大元集落在住の人民を「カナダ人🏹」と称してしまった。通常なら彼らを「カネディアン🔱」と称するところだが、先記事では大元集落の場所を特定される恐れがある為、そうよぶ事ができなかったため、例外的にカナダ人🏹と呼ぶことにした。

 

カナダ人🏹というと、お相撲さんやレスラー🤼のような種類の人間を想像するが。まぁ、それで良い。例えるなら朝青龍的な男性が頭に浮かぶ。彼の本名は「ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ」という。ドルゴルスレンというのは彼のお父さんの名前で、〜ギーンというのは、〜の息子・娘。ダグワドルジというのは、本人の名前。ドルジの意味は、金剛石(ダイヤモンド💎)チベット語でこれをドルジェ💎という。モンゴル語に直すとドルジになる。モンゴル人は鉱物の名がつく人が多い。ファンからは「ドルジさん」と呼ばれている。モンゴル人は、昔は姓を名乗っていたが、社会主義政権の時代から姓を名乗る事が禁止された。そして、姓の代わりに父親の名前を名乗ることになった。遊牧民には「氏族」という括りがあるので、姓が無い事はありえない。

 

モンゴル人の名前についての長い長い話が始まるのでこの辺りで打ち切り。大元集落には朝青龍に非常によく似た初老の人がいて、彼は耕運機で田を耕していた。やはり大元集落。

 

何故、フビライ汗の元帝国の末裔をカナダ人🏹などというこんな奇妙な呼称をするのか?問題。

 

これは現代の事だが、遊牧国家のウルス、ハンの影響の強かった国在住の人民に「あなたは何人ですか?」との問いに、定住者であれば町や村などの名前で答え、遊牧民であれば部族名で答える。国の名前で、日本人、アメリカ人などとは言わない。国民国家への帰属意識が希薄である。

大元集落の人民はどの部族出身であるのか、よく分かっていない。その上、定住者である。この集落を国の名称に変えたかったから、「カナダ」を「大元」に変更した。しかし大元帝国の人民を「大元人」とは呼ばない。旧カナダ村の定住者なので、この集落に定住する人民は、カナダ人🏹という事になってしまった。遊牧国家流では国の名前をつけられないのでややこしい。せっかくカナダを大元に変更したのにそこら辺は無に帰する。国の名前を冠した方が格好がつく。しかし、遊牧国家流やモンゴル語の発音を極めた顛末が、こうなる。

 

カナダ村のカナダとは、倭人が名付けたここの元々の集落名を、モンゴル人が発音しやすいように母音調和した結果こうなった。

 

元々の集落の名称が違っていれば、違う結果になる。

 

特定される危険性の薄い記事であれば、通常通り大元集落在住の人民をカネディアン🔱と呼ぶ。

カネディアン🔱のほうが倭人が名付けた元々の名称に近い。

 

敢えてカナディアン🔱にしたくはない。カナディアン・キャンプ(Kanadian Camp)という乗馬クラブと被るから、忌避してきた。Kanadian Campは流鏑馬レクチャーがあり、信玄棒道を馬に乗って通る山梨県にある乗馬クラブだ。Kanadian Campにはモウコウマ(蒙古馬)もいる。ゲル宿泊施設はあるのか無いのかわからない。YouTubeとホームページでしか知らない。なんでカナディアン・キャンプといyのかは謎。創業者の名前だろうか?創業者が金田というのだろうか?普通に考えればそうなる。

カナディアンキャンプ🐎🏇行ってみたいけど、乗馬クラブってお一人様冷遇するところが多いって聞く。自分には友達なんかいないから多分行かれない。友達が欲しい。(←こういう時だけ友達が欲しい都合の良い奴)乗馬の料金がめちゃくちゃ高い😱乗馬は金持ちの趣味だ。レンタルフレンドをしてここ行ったら一日10万じゃ足らない。

自分も何か良い趣味作ろうかと考えているが、趣味というのは何でも金がかかる。

 

 

ゲル:遊牧民の移動式住居🎪

カナダ人🏹というと何故レスラー🤼を想うのか?大元集落在住で、昼間からウロウロしている男性は、レスラーのようにいかつい人が多い。

 

長文をお読み頂きありがとうございます😊

 

 

 

 

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散歩

2024年10月05日 | 日記

涼しくて歩きやすい感じだったので、久しぶりに遠路遥々、大元集落(旧カナダ村)のカナダオボーに立ち寄る兼、相模大堰を見てくるという散歩に出た。

 

*カナダ:モンゴル人が発音しやすいように、そこの集落名を母音調和した形。

 

大元集落がどこにあるのか特定されると非常にまずいので、詳しい場所は伏せる。大元集落の大元とは、大元ウルスという国、元寇でお馴染みの元帝国。

 

一番初めに大元集落とカナダオボーの様子から。

 

大元集落入口。草が結んである。これはイタズラなのか?なんかの儀式なのか慣習なのかは分からん。

 

 

ここら辺は温暖なので、二期作が盛んな地である。

 

一方でカナダ人はりんごを栽培する人もいる。

 

*初見がみたら何の変哲もない字面の一文だが、それで良い。できるだけ特定出来ないように。

 

寄る度に思うのが、大元集落は、横並びの同調圧集落ではないように見える。

 

野菜、果物の産地でもなんでもないのに、集落全体が横並びに同じ野菜を栽培している状態を多く見る。ここはそんな事は全くない。二期作が出来るほど物凄い温暖な土地で、りんご栽培などをしたら、地域コミュニティの農民たちが干渉し、「こんな暖かい所でりんごなんか難しいから、やらない方が無難」「周りでこんなことやってる人いないでしょ」「常識的に考えて、これはおかしいでしょ?」などと口出しをする事が多くの農村ではあるというが、大元集落では個々が勝手勝手に好きなものを栽培しているように見えた。個人の作物を写真には撮っていない。数年前の冬、初めて大元集落に足を踏み入れた時に綿花を栽培している人もいた。

起業したい人は自分の土地でやっているし、勝手勝手に生きている感じである。

 

集落も一長一短ある。

 

 

カナダオボー。昨年夏とは様子が違う。オボーの後ろ側を通っている灌漑用水路は比較的新しいようである。用水路引く為にオボーの石堆を削った感じだ。以前から、オボーの円の後ろ側が欠けているのが気になっていた。

 

モンゴルにある石堆オボー

 

大元集落については、この記事の一番最後に書いた。

カナダオボーの石堆は、山積の上の方は工業用の砂利として何処かに持って行かれたのかも知れない。山積の下の方は土中に埋まっている。

大元集落の大元は、ダイゲンではなく、ダイオンと読む。正確にはこの国の名前をダイオンウルスとよんでいた。

 

今日の散歩は海老名駅から。1年半ぶりにドクターペッパーを自販機で買う。

 

この穀倉地帯も、開発が進んで数年後にはマンション群や宅地群に変わる。もうすぐ見られなくなる。

 

Tokyo FMブルーオーシャンの生放送を聴きながら散歩していた。ゲストは高いところが無茶苦茶苦手なシンガーソングライターのEill さんをお迎えしていた。彼女の健康の秘訣はサウナ。おすすめのサウナとして草加健康センターの名が出た。

系列の東名厚木健康センターもある。自分はここ推しなのでブルーオーシャンで報道してくれて嬉しかった。

これは何の木だろう?

 

 

木の名前多分これ。

 

マスジド・モスク

 

 

相模川

釣り人がちらほらいる。

中津川

 

ひたすらに国道沿いを歩く。ここらへんの地方は国道に文化が集中している。同じ国道でも、周囲に工場しか無い所とか、役所・ホテル・病院・不動産屋・コンビニしか無いスポットもあり、中古車販売店・タイヤ店・ガソリンスタンドなどの車関係ばっかの区間や、自販機が全く無い区間もある。

 

国道沿いのドンキホーテに寄る。この店には別館があり、外国から輸入した食材が売っている。自分は珍妙なシロモノが大好き❤

ドンキで購入した物

中国から直輸入したココナッツミルク飲料🥛

初めは甘っ!と思ったけど、甘くないやん。みたいな感じ。以外と味薄い。ココナッツの味はするが牛乳の味はしない。寧ろフレッシュの味に近い。

 

これも中国から直輸入した王老吉という飲料

 

老吉。王老吉草本原料を使用したハーブ飲料。苦くはないが、薬のような味。ガチの漢方味。スーパー銭湯などの薬湯の香りを味にしたようなものにも思えるし、未完成のドクターペッパーという感じにも思える。天然の甘味なのかと思ったが、砂糖入ってる。炭酸が入ってるといい。味を説明するのは難しい🫗

 

これもまた、中国の紅油面皮

まだ食べていないので、後日感想を書く。

本場中国では、ラーメンを“拉麺”とは書かず、“方便”と書く📝

 

アメリカから輸入したパッションフルーツジュース🍹

 

これもまだなので後日。

 

中国の飲料は、電車の中吊り広告のように情報量が多い。

小鮎川

曼珠沙華が綺麗

 

湯乃泉 東名厚木健康センターが見えてきた。

先ほど書いた、Tokyo FM ブルーオーシャンのゲスト、シンガーソングライターのEill さんをお迎えしていた時、おすすめのサウナとして草加健康センターの名が出た。

これの系列の東名厚木健康センターである。この系列は湯乃泉 健康センターグループ。1980年湯治体験ができる日本で初めて創業した。

サウナが熱熱で、水風呂がカキンカキンに冷たい。ビンゴ大会や、水曜歌謡ショーなどもある。健康ランドなので宿泊も可。雰囲気が旅館みたいである。

 

健康センター併設のラーメン屋 らーめんぎょうてん屋GOLD

ここでラーメン🍜

ラーメンぎ郎。

ここは、食券制で提出時には、麺の量や味の濃さ、にんにくの量などが選択出来、食券に赤ペンで丸をつけられる。

ぶ厚くジューシーなチャーシュー、四角い断面のこしのある麺と、にんにくが美味しかった😋濃厚な豚骨スープだった。

自分は全くラーメンに詳しくないが、どうやらここは、二郎系インスパイアのメニューと、吉村家の吉村氏伝授の本格家系とんこつ醤油と、大きく2つのらーめんから選べるらしい。

 

ラーメン屋を出たら雨☔が降っていた。

 

国道のこの辺りの一角は、日本全国の国道沿いの雰囲気に共通している。国道文化圏で最も文明的なスポットである。マクドあり、ユニクロあり、Aoki あり丸亀製麺あり、おたから屋あり、魂心屋あり、すき屋あり、セブンあり、BMWあり、ヨークマートあり。東名のインター付近。

高速インターの付近にはどういうワケか?ヘンなホテルが多い。

雨の中、相模大堰という所を目指す。

 

YouTube のアキドチャンネルで相模大堰を見て、行きたくなった。アキドチャンネルとは、水マニアチャンネル。神奈川県内の全ての上水道と灌漑用水を踏破するつもりらしい。

相模大堰とは、横須賀水道有馬系統の取水口。相模大堰はそれの取水堰。その中でも最大級の規模である。

 

この日は水位が高く、魚道がナイアガラ地獄のように見える。水が果てしなく落ちていきそう(落差56-58m)さくの中危険過ぎる⚠️

 

最も右岸寄りの水門だけが開いていた。

 

晴れている時に来たかった。

社家駅まで行き、そこから帰った。

長文お読み頂き、ありがとうございました。

 

大元集落について

《*元帝国滅亡後、チベット仏教を信仰するようになったモンゴル系民族が、約400年前に日本に渡航した。

 

彼らが定住させられているこの集落名をモンゴル人が発音しやすいように母音調和した結果、カナダとかいう奇妙な名前になってしまった。

 

母音調和とは、モンゴル語の母音の法則によれば、男性母音(a,o)と女性母音(e,u)は同じ語に共存出来ない。中性母音(i)はどちらとも共存出来るという。島村一平先生が文春の記事で教えてくれた。

このカナダ村を、国の名前にしたいということで、彼らの祖国は元帝国である為(大元帝国)、これを大元集落とした。

 

オボー(Овоо)とはモンゴルで建てられる一種の標柱である。オボーはおもにチベット仏教の祭礼が行われる場所であるとともに、山岳信仰、テングリ(天神) といった宗教的意味を示す役割を持つが、同時に境界標識や道標としての役割も持つ。オボーが建てられる主な場所は、平原や平原にある小高い丘、あるいは山頂や峠のような高所に建てられることが多い。川や湖や湧水地の近くにも建てられることが多い。

 

大元オボーにすると、範囲が大きすぎるためこれに関しては国ではない、村落単位の“カナダ”とする。》

 

大元ウルスは同時にフビライ(クビライ)帝国でもある。

*フビライ・ハーンが君臨する帝国を指さして、「これはカナダです」というほど私はアホではありません。笑わないで下さい。真面目に言ってます。

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