斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

カナダホト🎪(金田хот🎪)というものについて

2024年02月23日 | 自己満

幕内力士北青鵬関の暴力事件は誠に遺憾である。

宮城野親方(元白鵬関)の監督責任についても同様である。

北青鵬関の処分は甘いと思うのは自分だけか?暴力は犯罪である。

 

こういう事が起こるとカナダホト🎪の事とか書く気が失せる。

暴力事件のせいで「モンゴル人とはこういうものである。」と多くの日本人から思われたくはない。在日モンゴル人に多大な迷惑と誤解を招く。日本に於いて肩身が狭くなってしまう恐れがある。

 

角界が悪い。

 

🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁

 

牧民の営地選定は、ここ日本では一筋縄には行かない。

 

自分も遊牧遺構探しが非常に難航している。石囲いの映像は本当に有難い。

 

想像しても分かるはずがない。これは本当に石囲いであった。ウェブ上で石囲いについて幾らググったところで、あれは出て来ない。Xの@aribintala氏の投稿が無ければ、知る事は出来なかった。

 

@aribintala氏有難うございました。

 

🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪

 

牧民は身一つとゲルテント、家財道具だけで倭国へ渡航し、土地勘の全くない所で活動範囲を決め、生活を確立しなければならない状況である。

 

自分は倭国在住だから倭国の地理環境を知り、自然環境を知る。

 

倭国人目線で「営地選定はそんなに難しくないよ。だって倭国だもん。」と簡単に言ってしまうかも知れない。

 

しかし、もし自分たちが家財道具以外家畜も何も持たない牧民で、航海技術に長けているはずの女真族の船が、手違いで北米大陸の西岸🇺🇸カルフォルニア辺りに漂着してしまったとする。

 

さて...

 

これからどうする?どう生きて行く?馬は?狩猟対象の獣は?騎馬に使う馬具はどう調達する?

鏃は?武器は?鉄山は?掠奪相手の人民はいるのか?家畜は存在するのか?

 

皆目検討もつかないはず。

 

北米西岸なら、その前にネイティブアメリカン居留地に誤って踏み込んでしまえば皆殺しにされている。

 

そんな感じである。

 

倭国だから何とかなると、私達はおもうけれども、*カネディアン🔱の立場で見れば、我々にとってのアメリカと同じである。。。

 

未知の土地での牧民の営地選定の苦労は計り知れない。

 

 

《カネディアン🔱: 金田(カネダ)地区という蒙古集落の痕跡が残る集落に定住する人達の祖先。》

 

 

カナダホト🎪(金田地区)という立地に*オボー跡(*天神祠)がある。

 

 

《オボー☸️🕉️: モンゴル人が神や先祖を祀る祠のようなもの。》

 

《天神: 牧民が信仰する天の神。テングリと言う。》

 

 

おそらく牧民は、日本海沿岸に着いたのであろう。

カナダホト🎪はどちらかといえば、太平洋側である。

 

カナダホト🎪は夏営地の特徴を有している。

それで、そこは*ゲルテント🎪が集中しやすい一時的な村落共同体的な場所だったのではないか?

と思い込んでいるが、違うという可能性も否定出来ない。

 

 

《ゲルテント🎪: 牧民の移動式住居。》

 

*カナダ地区にゲルを置き夏営する牧民もいたであろう。

 

何故このカナダ地区が宿営地集団(一時的な村落共同体)の地域だと思い込んでしまったのだろう?

 

よく考えたら、カナダ地区にオボー☸️🕉️がある為、そう思えた。という事だった。

 

しかし、オボー(天神祠)と、宿営地集団というゲルが集中しやすい場所との関係が書いてある文献は見当たらなかった。

 

オボーがあるからそこが*ホトだと考えていたが、全てがそうとは限らない。

 

《ホト🎪: ゲルテントが集中する場所。一時的な村落共同体。》

 

ロシアのトゥバ共和国首都、クズルの例を挙げる。

 

 

クズルはかつてクズルホト🎪と言われていた。

 

エニセイ川という大きな川沿いにある。クズルホト🎪も夏営地だったのであろうか?

 

ここにクズルのオボーがある。ここは川沿いの高台に設置されている。

 

 

対岸に街が見える。おそらくこの対岸の街がクズルホト🎪というゲルテントが集中する場所だったのであろう?

憶測の域を出る事を出来ないが。。。

 

実際にカナダ地区に行ってみると、この広大な土地は、ナーダム会場だったのではないか?という気さえする。

 

 

金田神社についての記述にある、中世の長距離競馬神事は金田から上依知だったのではないかと考えられる。カナダオボー☸️🕉️がスタート地点だったと考えている。

 

江戸期になって、依知神社の神事で、それとは逆の上依知から金田までの神輿渡御神事に変わっている。

 

しかし一方、カナダ地区という所は実際にホトで、放牧地だったとしてもおかしくはない。

寧ろ放牧地として非常に適している場所とも言える。

 

カネディアン🔱(モンゴル人)にとってカナダ地区というものがどれぐらいの範囲であるのか正確には分からないが、おそらく直径4-5km圏内だろうと考えられる。これは自分が割り出したのではなく、宿営地選定に関する文献によるもの。

モンゴル牧民は、大体直径4-5km圏内を同じ地区だとみなすようである。

 

何故そこがホトで、良き放牧地なのか?

その理由のひとつが、崖っぷちではないこと。クズルホト🎪のように川に臨んだ平たい土地であり、広大な土地である。家畜が水を飲みに行くのや、牧民が水を汲むのに都合が良い。

 

その上湿地帯ではない。現在では清掃工場が立ち、将来的にはもう一基建ち、2基稼働予定である。そして化学工場も建ち、巨大倉庫なども建っている。

 

これは地盤が固い事を意味する。軟弱地盤の湿地帯だった場所には通常、このような建物は建てない。

 

対岸の海老名などは川に臨んだ広大な平地だが、湿地帯であった。湿地帯では宿営や放牧は適していない。

 

相模川も中津川も、崖っぷち或いは河原の平地が極端に狭く、河原即崖の場所がほとんどである。平地であっても、湿地帯であった所がほとんどである。

川の増水時に逃げ場が無いような所は放牧地に出来ないし宿営も出来ない。

 

もう一つの理由は草生が良い事。防災マップを見ると、金田地区は水害地域に指定されている。

 

 

 

それは川に臨んだ平地である事と関係している。川の氾濫時に浸水し易いという事。崖っぷちで、高台ならこんな事はない。

 

金田地区は相模川と中津川に挟まれている。川が氾濫するという事は水害であり、一見悪い事のように思えるが、牧民にとってそれはとても良い事である。

 

川の氾濫は、上流からミネラル分を多く含んだ土壌を運び、堆積する。そのような土壌からはとても良質な草が生える。仔畜が良く育ち、牝畜の搾乳をする夏の時期には、この様な土地がとても好まれる。

 

ゲルテントや家畜が多数寄り集まっても問題が起こらなさそうな広大な場所である。

 

牧民は、雨が多く、水害のとても多い梅雨の時期、秋雨の時期は運良く別の場所を拠点にしている。

 

自分は今まで黄金原、上三増、角田を歩き、様々な場所にバスで行ったが、この辺りで金田地区ほど夏の宿営に適した場所はないと思える。

 

 

騎馬民族は、製鋼の拠点を活動圏内に持っていたと考えられる。その拠点は一つの世帯だけではなく、複数世帯の牧民が共有していた。

 

騎馬民族は、銜や蹄鉄などの馬具や、武器などの鉄器を使う。

 

それらをどう調達したのか?という問題が浮上する。

 

図書館の郷土史によると、カナダ地区の金田という土地の由来は、鉄を量産する所という意味が有力である。

 

ネット上では、厚木市金田についての記述は、戦国時代には金田の名はあった。大永年間に愛知県西尾市に移住したという事しか書かれていない。

 

多分だが、鍛治集団が戦国時代の情勢下で逃走と分散を繰り返していたのだろうと考えられる。

厚木市以外の金田という所にも数ヶ所、そのような表記が見られた為、鍛治集団の移動、分散ではないかと考えられる。

 

この厚木市金田地区は、先に書いたように川に臨む広大な平地である。

 

金田という場所が、古代製鉄(タタラ製鉄)の鉄穴(カンナ)地形のように崖や谷戸ではなく、更に言えば絶えず風のある所である。

 

このような非常に風通しの良い場所で産鉄を行う事は、少なくとも古代倭製鉄(タタラ製鉄)ではない。

 

タタラ製鉄は更に言うと、古代に始まり、戦国時代や江戸時代でも行われていた、倭人の伝統的な製鉄方法である。

 

金田は戦国時代から記録のある地名なので、縄文時代からある野ダタラではない。

 

金田地区は、アナトリア(トルコ🇹🇷)の荒野ほどの強風ではないものの、他の場所と比較して、絶えず風のある場所である。

 

それと、この様な風のある場所を製鋼の地に選ぶという発想が、倭人ではないと考えられる。

大陸の荒野や草原の出身の者の発想ではないかと思われてならない。

 

戦国時代に現れた鍛治集団を自分は「金鎧人」と名付けた。

 

カネディアン🔱はチベット仏教&テングリ信仰(天神信仰)の蒙古系牧民だが、金鎧人はどうか?という問題がある。蒙古系の可能性もあるし、違う系統の牧民の可能性もある。牧民ですらない可能性もある。モンゴル帝国には蒙古系以外にも雑多な民族が存在していたので、それはどうとも言えない。ただひとつ言えるのは、大陸から渡来した人達であるということ。

 

カナダオボー☸️🕉️と金鎧人は無関係である可能性がある。

 

カネディアン🔱が初めてあの場所にオボーを作ったという可能性もある。

 

金鎧人は、丹沢山塊の山北町辺りで鉄鉱石を採掘し、丹沢山塊の森林から薪や木炭を入手し、風の強い金田地区で製鋼をしていたのではないか?という可能性がある。

丹沢には鉄鉱石の鉱脈があり、荻野川(厚木市)では砂鉄が採れるという説もある。

大陸の距離感覚で言えば、丹沢・山北町から金田まで、そんなに遠くはない。

 

金鎧人たちは、大永年間(1521〜1528)には厚木の金田からは立ち去っていた。

 

金鎧人が鏃などを量産している様を傍で見てその地区を倭人が「金田」と名付けた可能性もある。ということは製鋼の炉もあったという事か?

 

後にこの地を訪れたカネディアン🔱というモンゴル族は、金鎧人が残した製鋼の炉を見つけ、ここは製鋼に適していると判断した可能性がある。

 

金鎧人が去ってカネディアン🔱が訪れた。

カネディアン🔱は幕藩体制により、土地に縛りつけられ、幕府(藩)による財産没収により製鋼が不可能になる迄はやっていたと考えられる。

 

カネディアン🔱はモンゴル族である。モンゴル族は自らの手で土を掘り起こす事を極端に嫌っていた。そんな彼らがどうやって鉱石を入手していたのだろうか?これは多分、商人から鉱石そのものや、*銑鉄を買っていたのだろうと思われる。

 

市の郷土博物館には、家を建てる際の発掘調査の記録を書いた書物が集落毎にあるが、金田地区の川沿いの広い土地、製鋼の痕跡あってもおかしくはなさそうな場所での発掘調査は行われていないらしかった。だから何とも言えなくて残念。

 

製鋼の場は囲いなどをして、家畜が入れないようにした可能性がある。

 

鉄鉱石、武器、鎖帷子、炉、道具….の一切を幕府(藩)に没収されたとすれば土に炉が埋まっている可能性が低い。スラグや鍛造剥片やカスなどの廃棄物が埋まっている可能性はある。

 

金田地区は、牧民にとって良き夏営地で放牧地であり、ナーダム会場でもあり、製鋼の拠点でもあった。

 

カナダオボー☸️🕉️の聖域は、家畜が入れないように囲いがされていたのだろうか?

 

通常、これらが同じ地区に存在する事は、モンゴル本国では非常に珍しいのかも知れないが、狭い倭国の事情から考えると、こうなってしまったのだろう?

 

カナダ地区にオボー☸️🕉️がある事が納得が行く。

 

郷土博物館で特別に見せて貰った本によると「金田地区」の由来は、元々は「金なにがしか」であったと書かれていた。それが、田地にされてしまい、金田となったという。

 

図書館の郷土資料では「鉄を量産する所」と書いてあるものの方が多かった。

 

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カナダ地区: 金田地区。カネダと読むが、これをモンゴル語として扱う為、カネダをカナダにしてしまった。この記事では金田地区が、ホトであると断定出来ないという前提で使用された用語。今後も「カナダ地区」を使う。「金田地区」は倭人の行政が作った区画。「カナダ地区」はモンゴル牧民目線でみた地区の一つ「カナダ」という地区。

 

モンゴル語の母音の法則によればカネダ(Kaneda)という語は存在しない。

 

男性母音(a,o)と女性母音(e,u)は同じ語に共存出来ない。中性母音(i)はどちらとも共存出来るという。島村一平先生が文春の記事で教えてくれた。

モンゴル人に「カネダ」と言わせても「カナダ」或いは「カノダ」と言ってしまう。いずれにせよカネダに違和感があると思う。

金田はカナダ🔱とも読めるので問題はない。

という事で金田の読みは蒙古読み優先で「カナダ」に変更する。

 

銑鉄: (センテツ、pig iron)は高炉や電気炉などで鉄鉱石を還元して取り出した鉄のことである。

銑鉄を生産するプロセスのことを製銑(セイセン)と呼ぶ。

古くは銑(ズク)と呼ばれた。

 

カナダホト🎪について

カネディアンの宿営地について - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

カネディアンの宿営地について2 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

カネディアン宿営地3 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

ご精読ありがとうございました😊

 

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営地探し、他のやり方

2024年02月16日 | 自己満

カネディアン🔱牧民🐄の冬営地探しをしている。

 

その手法は、モンゴル本国🇲🇳にいる牧民の営地選択方法についての論文を読み、それに沿った条件の場所を実踏している。

 

しかしそれらの文献はモンゴル本国が舞台であり、日本に移住したカネディアン🔱にはあまり当てはまらないという事が分かった。

 

何故ならモンゴル本国と日本では、余りにも気候による植生の違いや、地殻変動や地層による地形の違いがあり、また、社会的諸条件の違いにより当てはまらないのである。

 

文献のモンゴル本国牧民の舞台は、主にゴビ(砂漠)地帯である。

 

今後も、もみじクッキー🍁の葉先である、山間部の川沿いの低地を歩き回り、石囲いの跡やオボー跡(天神祠)を探すつもりだが、文献以外にも考慮に入れたいものが出て来た。

 

それは、現在「キャンプ場になっている場所」である。

 

「宿営地」を英訳すると「camp」とあった。

 

キャンプの意味は、宿営地の他にも駐屯地のような軍事的意味合いもある。

 

キャンプ座間などは、米陸軍の駐屯地である。

 

英訳で宿営地だから「キャンプ場」探そう!

 

というのは短絡的に思えるが、キャンプ場側も理由あって固定のキャンプ場の為にこの地を選んだのであって、そこが適している場所だという事を意味する。

 

現代日本人とカネディアン🔱(400年前のモンゴル人)の考える事は違うが、基礎は同じであると思う。

 

カネディアン🔱は家畜を抱えるので、「草生」や「水」や「家畜の数と草生のバランス」を深く考えている。

 

日本は水が豊富で、植生も豊富で、移動の必要性が無いのではないか?とも考えてみた。

しかし日本は祖国モンゴルとは決定的に違い、放牧に使える土地が極端に狭い。

 

家畜を一年間賄えるだけの一ヶ所のまとまった土地が無い。

 

家畜の数が極端に少ない貧困世帯は、移動せずに賄えるかも知れない。

 

農耕民と棲み分けるために、定住農耕民が居座っていない、耕作に不向きな場所で、震災や崖崩れなどの影響が大きくない安全な場所に限られる。

 

移動しなければ、餌が足らなくなる。放牧地が狭くなれば家畜を減らす為に、家畜を売って金に換えていたのかも知れない。

 

それなら農業をすれば良いという声もあると思うが、カネディアン🔱は絶対に農業などをやりたくはない人たちである。モンゴル人は土を掘る事を絶対に良くない事と考えている。井戸を掘っても移動する前には必ず、井戸を埋め戻す。この考えは移住先の倭国でも変わらない。

 

土を掘り起こさなければならない灌漑用水路の工事や、土を耕す作業を絶対にやりたくはない。固定の住宅も建てたくはない。

 

土、土地を神聖なものと考え、掘り起こす事は土地に傷をつける事だと考える。屠殺の際も家畜の血を土に吸わせて土地を穢してはならないと考える為、土に血を大量に流さない屠殺の仕方をする。「天幕のジャードゥーガル」では、子羊の肺動脈を指でぶった斬って殺していた。

 

殺した後は、血抜きをしない。これも同じ考えである事と、血の味(鉄味)のする黒い肉は美味しいという好みにもよる。

 

以上の事から、カネディアン🔱は従来通り移動型牧畜生活を倭国に於いて行っていたのではないかと考えられる。

 

ご精読ありがとうございます💕

この先暫くはカネディアン🔱のネタが続きます。

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Сар шинэдээ сайхан шинэлээрэй!

2024年02月10日 | 遊牧アディクト

 

Сар шинэдээ сайхан шинэлээрэй!

 

新年(旧暦)明けましておめでとうございます🪅🎊🎉

今日はモンゴル🇲🇳では旧暦の正月Цагаан сар(ツァガーンサル)です。

 

ツァガーンサルとは、モンゴル語で「白い月」という意味です。

 

モンゴルの旧暦は、毎年、お坊さんが決める。中国の春節とは違う日になる事が多いが、今年は同じ日になった。

 

ツァガーンサルの御馳走は、ボーズ(蒸し餃子)、オーツ(羊の丸茹で)、へヴィンボーヴ(巨大ビスケット)、ウズェムティボダー(モンゴル版赤飯?)、アイラグ(馬乳酒)、シミンアルヒ(乳蒸留酒)、アルヒ(ウォッカ)

 

その日は数多くの儀礼的な挨拶をしなければならない。一年で一番大切な日を祝う為である。

 

ツァガーンサルが近づくとどの家庭でも、ボーズ作りに明け暮れる。

 

ツァガーンサルに備え、一ヶ月も前から準備をする。

 

ツァガーンサルには、白いものが敬われ、黒いものが避けられる。よって、乳製品を食べ、腹黒い考えは口にしない。

 

子供達は、羊のくるぶしの骨(シャガィ)を使った伝統的な遊びをして過ごす。

 

地域によっては太陽が昇る頃に、近くの山のオボーにハダグ(マフラーのような形の布)やイデー(白い食べ物《乳製品》)、アルツ(香草)を奉納する。

 

新年3日目には、新年を祝う競馬をする。

 

🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳

 

日本の正月と比べても、年を越す事が非常に大変である。この事がよく書かれているサイトのリンク🔗を下に貼りつけた。

 

 

今年も良い年になりますように!!

 

今年の目標は、積読をしているこれらの本を読む事!!

 

旧歴の昨年はありがとうございました!

本年も宜しくお願い致します。

 

 

ツァガーンサル|ウンドゥルシレッドリバーサイドキャンプ

 

ツァガーンサル

1.  ビトゥーン(大晦日) 日本と同じようにゲルの大掃除が始まる。トーノを拭き、ゲル中のゴミを出し、お正月に備えて自分で刺繍を施したものを飾りつけたりもする。...

ウンドゥルシレットリバーサイドキャンプ

 

 

 

 

モンゴルの新年、ツァガーンサル

 

モンゴルの新年、ツァガーンサル - モンゴルで理学療法士

そろそろモンゴルの記事を期待して、いらして下さった方がガッカリされているような気がしてきたので、 モンゴルのことについて書きます。 随分経ってしまいましたが、モン...

モンゴルで理学療法士

 

 

 

ツァガーンサルの起源

(シリーズ)モンゴル・つれづれ日記(6)-旧正月を祝う-

岡山畜産便り2004年2月号 〔シリーズ〕モンゴル・つれづれの記(6) −旧正月を祝う− 三秋 尚

 

 

風の旅行者

 

モンゴルの旧正月 ツァガーンサル豆知識 | ツアー関連情報 モンゴル | 風の旅行社

ツァガーンサル(2024年は2月10日) モンゴルのお正月は旧正月で「ツァガーンサル(白い月)」と呼ばれます。

風の旅行社

 

 

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ミスコンの件

2024年02月02日 | ザ・日本人の気持ち

ミスコンの件

 

ミス日本に選ばれた人、日本人とのハーフですらないウクライナ人だった🇺🇦

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/db7144b9e6cba5dfa7491c1afad1b612977fe5d8

 

「日本女性に相応しい心と健康的な美しさを競う」と謳うミス日本コンテスト。

 

彼女は椎野カロリーナ氏といい、現在26歳。

 

「多様性や人を見た目で判断しない社会づくりに貢献したい」と言っている。

 

しかしこれは一週間程前に物議になっていた。

 

国籍的には日本国籍だから、「日本人」である事に間違いはない。

 

カロリーナ氏は何も悪くはない。「多様性の社会づくりに貢献したい」という考えで参加する事は良い事だと思う。

 

ミスコン側がもしカロリーナ氏の出場を拒否したら差別行為になる。ミスコンは出場を許可した。

 

物議になったが、誰もカロリーナ氏を責める人はいなかった。ミスコン側に100%,120%責任があると言う

 

出場を許可した事に対して苦言を呈する人もいれば、ミスコンが彼女を選んだ事に対して苦言を呈する人もいる。

 

後者が圧倒的に多かった。後者の言い分は「不平等」であるとのこと。

 

後者の言い分の最も多い「不平等」は、カロリーナ氏が西洋人である事。

 

多くの日本人参加者が努力して努力して手に入れるスタイルや美貌を、カロリーナ氏はウクライナ人であるために、生まれながらにして美貌であり、努力無くそれらを手にしているという意見が多かった。

 

カロリーナ氏だって、努力して手に入れた美貌や品格かも知れない。

 

これがミスコンではなく「陸上競技」だと黒人などに比べてアジア人は筋肉量が劣り、骨格も陸上向きではないため、黒人の数倍の努力が必要である。

 

「不平等」以外の不満意見があって、それはアイディンティーの問題。

 

日本人の血が入っていない人に対して、選んだミスコン側の神経が理解出来ないという意見も多かった。そして、「日本人らしさとは?」という問題に発展していった。

 

いずれにしても、彼女に対して失礼過ぎるだろう。

 

ラグビーなどのスポーツだと、日本代表の選手は外国人だらけである。

それも、日本国籍など有していない選手ばかりである。

彼らはラグビー日本代表にもこんな苦言を呈するのだろうか?

 

スポーツは勝たなければならない。戦力になる者に対して、外国人だから排除しようなどと言ってる場合ではない。

 

ミスコン側が「日本人女性に相応しい」と謳わなけらば物議にはならなかったと思う。

 

和と洋は見た目が違う。自分でも洋を見て日本らしい容姿だとは思わない。

 

日本人の8割型、東洋(和)顔である以上は、日本人らしい容姿といえば、和だろうと一般的には思う。差別とかそういう問題ではなく、数の問題。

 

ミスコンも毎年、謳い文句を変えるべきだと思う。

 

 

ということで、ご精読ありがとうございます。

 

 

ここから先の記事は、日本人のアイデンティティーについてくだらない長文をダラダラと書くので、忙しい方や、読むのが面倒くさい方や、民族的なアイデンティティーという物をさほど重要ではないと思われる方は、時間を割くだけなので読まなくても構いません。

 

🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧🫧

 

こんなツイート(ポスト)を見かけた。

「国籍が日本であるにもかかわらず生まれ育ちや「血」の要素で純度100%の「日本人」を要求するの、端的に言ってニュンベルグ法と紙一重であり最悪だが、それはそれとして「血」や民族的な日本人らしさに回収されない「日本らしさ」って何なんだろう、ということをずっと考えている。」

《引用: 副主席氏ツイート》

 

このツイートにリプはしなかったが、自分はこう答える。

 

「教育」と「制度」

 

西欧の教育を受けた人間は、日本人であっても西欧的な考え方になる。

国の制度は国民の行動や生き方に多大な影響を及ぼす。制度も日本在住の人間が考えたとも限らず、外国の制度をそのまま真似して施行する事もあり得る。

 

これらは「血」でも「民族性」でも何でもない。

 

ほとんどの国の国民性は国家戦略の「教育」と「制度」の影響を受ける。その他にもプロバガンダや情報統制やマーケティングの影響も受ける。

 

寧ろこれらの方が大きく「日本らしさ」に貢献していると思う。

 

副主席氏のツイートのリプに最も多いと感じたものは「日本語・言語」

 

確かに、国の公用言語と民族・部族は全員が一致するとは限らないが、日本が一つの「日本民族」として定義する為に「言語」というのは最も重要な条件である。

 

「日本語」を話すので「日本民族」である。人間というのは言語によって自分の帰属を決める。

 

民族定義というのは非常に難しい。これは学者でも頭を痛める問題のようだ。

 

中東や旧ソ連圏や東欧や遊牧民族や欧米などに比べると、日本人は「民族的アイデンティティ」という概念はないのか?と思える事がある。

 

旧ソ連圏出身のYouTuberの話などを聞いていると、日本では考えられない程、民族的アイデンティティを持っている。

 

戦時中の日本も国民に対して、民族教育をしていたらしいが、現在では戦争の反省もあって、日本人としての民族教育を排除してきたらしい。

《参照: 今西きんじ氏ツイート》

 

海外在住の日本人のSNSを見ていると、海外の日本人コミュニティーはあっても存在しないようなもの。と高頻度で書かれている。

 

日本人の結束が弱いどころの問題ではなく日本人同士、同調圧力、足の引っ張り合い、マウントの取り合い、仲間ハズレばかりが横行し、タワマンのママ友がやっている事と同じで糞の役にも立たない。大の男ですら、タワマンのママ友化している。挨拶しても返さない人が多いらしい。

 

日本人同士なのにとっても意地悪な人が多いらしい。

 

意地悪な日本人は、現地の白人などにはヘラヘラして外面が良いようだ。

 

そういう日本人は、タワマンに住む感覚で海外移住し、日本本国にいる人にマウントを取るような人種ではないかと。

 

日本人同士の軋轢はなくとも、世間での薄っぺらい付き合いに留まり、緊急時や本当に困った時などは徹底した「我関せず」の態度を取られ、完全に無視されるケースもとても多くあるという。

 

一人の頼れる日本人に一方的に、過度に依存する日本人もいるという。頼られた側はある程度までは許容出来ても、許容範囲を超えて負担になっているという。

 

せっかく日本人同士の友達が出来ても、相手がやたら自分に対して支配的だったりする事が多いらしい。

 

日本人海外移住者は、同じ海外移住の日本人と適切な距離で付き合えなくて非常に悩んでいるという人が多くいる。

 

それでいて日本企業で働く日本人は、プライベートは無関係でも、組織では非常に団結力があるという。

 

日本にいる日本人とは全く違うという。

 

だからといって日本人は外国人コミュニティーに入れてもらえない。外国人同士は、よほど仲が悪い民族や国でなければ入れてくれるらしいが、何故か日本人は入れてくれないらしい。外国人同士といっても、国は違えど同じ言語圏や同じ語族圏はつるむと言っていた。

 

そこで海外移住者の日本人だけポツンとなる。日本人はおかしい奴ばかりだ。かといって色んな外国人の群れには入れてくれない。特にアメリカではそういう傾向が強いらしい。

 

英語が流暢に喋れても、非英語圏にしてみれば、母国語で話せる人やそれと近い語族の人と付き合いたい。母国語英語話者は、日本の拙い英語の人と話すより、細かいニュアンスまで意思疎通の出来る母国語英語話者同士と付き合いたいと考えるらしい。

 

どこの国の人も、細かいニュアンスまで意思疎通が出来る人と付き合った方が楽である。

 

そこで日本人は、自分のアイディンティを自覚する事が多い。日本人だけは独特だと。日本人同士で日本語が通じるはずなのに、意思疎通が難しい人が海外移住者には多いと聞く。

 

他の外国人コミュニティー、例えば中国人、インド人、アフガン、中央アジアなどのコミュニティーは結束が非常に強く、中央アジアコミュニティーは、住居から車から就職から何から何まで世話をする。そしてたまに広い公園などでプロフ(中央アジアのピラフ)パーティーなどをやったりしている。

 

日本人コミュニティーではそういう事はまずあり得ないという。

 

中央アジアの人は、古来より民族ベースで動く事が多かった為、このようであると考えられる。

 

中央アジアのタタールは、この戦争中、ロシアとウクライナのタタールに中央アジアに来られるように手を差し伸べる。

 

テュルク系民族は同胞には優先的に手を差し伸べる。日本人はこの仲間には入れない。例え手を差し伸べられたとしても、日本人側が拒否する可能性がある。日本人はこの手の付き合い方には慣れていない為、距離を置いて自ら離れていくだろうと思われる。

 

日本人は「日本民族」という民族ベースで動く事は歴史上あり得なかった。

 

日本は島国で、周辺の大陸や島嶼からの寄せ集め、烏合の衆。だから海外での日本人コミュニティーの意味が無いのはしょうがない。

 

元はバラバラだった。それを纏めるたった一つの共通するものが「日本語」。

 

それに比べ、大陸では国を持たなくても民族ベースで動いていた。日本とはまるで違う。

 

日本語には、英語の「ネイティブ」に相当する言葉は存在しない。これはロシア語にもタタール語にも存在する。

この「ネイティブ」というのは、「祖先の故郷を想う。」 「血に刻まれた懐かしさ。」 「遠祖から自分に伝わる想い」などのニュアンスである。日本語にはこの概念がなく、日本人にもこの概念は無い。

 

日本人の多くは自分の民族的ルーツに関心がない。眼中にないというか、発想にない。

 

自分の両親をはじめとして、幼馴染みや、懇意にしていた人などに、民族的ルーツについて話をした事があるが、返答が「カルガリー氏はとっても変わった事を考える人だね」と鼻であしらわれたり、それに答える事なく、違う流れに変えられたりした。

 

真面目に答えてくれた人でも、家業の話をしたり、田舎の話をする。日本人に民族的ルーツについて話すのは意味がないのである。

 

そもそもそんなものはない。そんなものは日本人には理解出来ない。自分も旧ソ連圏や、遊牧民族に興味関心を持つ迄、そんな概念は無かった。

そういうものに触れてみて、目新しい概念だったので初めの頃は面白かった。

 

自分が異国と血縁的な繋がりがあるのではないか?という事を大半の日本人は考えもしないのでそれは仕方のない事だ。

 

「国が破滅や追い込まれると自分たちのアイデンティティを確立するのは、バビロン捕囚のユダヤ人もそうだし、南宋での朱子学成立もそう。タタールのくびき後のモスクワ大公国が第三のローマ論もそうよね」

《引用: 耶律阿保機氏ツイート》

 

「日本民族」として、国が破滅に追い込まれた事は第二次世界大戦で敗戦した事以外にはかつて無かった。

 

「日本人らしさ」を形づくっているのは「民族性」などではなく、「教育」や「制度」や「情報統制」や「マーケティング戦略」ではなかろうか?と考えている。

 

日本に移民して来た様々な民族は、国を追われた経験がある者が多いと思う。彼らの民族的アイデンティティや、文化や慣習、精神性など、それこそ「ネイティブ」があったはずだが、日本にはそれらの面影や痕跡が全く見当たらない。

 

欧州や英米諸国から日本は「孤立文明」と言われ惑星扱いをされ馬鹿にされている。

 

日本には大陸に影響を受けた文物、建築物はあるが、世界と共通する慣習などの痕跡がないと言う。

 

よく、「日本の常識、世界の非常識」と言われるのは、世界と共通する慣習などがなく、日本独自の慣習で生きているからである。

 

これは以前からとても不思議に思っていた。

 

 

ミスコンは、毎年決まって日本人らしい容姿の女性と表向き謳うが、実際にいかにも日本人の容姿が選ばれた試しがない。

 

日本人が考える日本人らしい容姿。ミスコンは160cmから出られる。

 

身長160cmでミスコンの中で一番背の低い、短足で直毛黒髪、一重瞼、下ぶくれの顔形、まるで源氏絵巻きから出てきたような顔立ち。

 

そんなにくびれてもいないし、貧乳であるが、努力してシェイプアップのおかげで身体が引き締まっていて姿勢も良い。

 

馬に例えると「日本古馬」といった感じ。

 

知性も品性もあり、内面の美しさも滲み出ている完璧な女性であるが、ミスコンには選ばれないと思う。

 

ミスコン側としては、日本古馬より「サラブレッド」のような女性ばかりを選ぶ。

 

ミスコンは、表向きとはだいぶ違うように思う。

 

女性本人の努力以外の部分の、身長や瞼やプロポーションなどの、どうにもならない特徴がある。

 

それが、日本人が考える日本人の特徴である。特に西洋人と比べた場合に顕著にでる。

 

結局、ミスコン側の美意識に当てはまる女性が選考される。その美意識というのが、西洋の美意識。

 

だから「日本人女性として相応しい」と謳う以上は、ミスコンの美意識を改めなければならないと思う。

 

いつか「日本古馬」ばかりが優勝するミスコンを見てみたいものだ。

 

この「日本古馬」のような女性、日本人男性から見ると、安心出来る女性のような気がします。

 

知らんけど。

 

そして教養も品格もある。最高じゃないですか。

 

*普通、やまとなでしこというが…..

 

自分が思うに、ミスコン自体が馬の品評会のようだ。

 

馬の品評会みたいな事を女に対してやる事自体が、非常に田舎くさく、今の時代に適してはいない。

 

 

椎野カロリーナ氏は日本人である。

詳しく言えば、ウクライナ系日本人である。

 

ツイッターXでバズっていたのが、「日本人らしさ」とは何か?国籍(制度)以外で、何をもって「日本人」と判断するか?という議論ばかりが流れて来た。

 

それが、どうやら「日本人」という品種の外見、内面的特徴とはなんぞや?

 

から始まって「日本人」という品種は他の東洋人と顔立ちの区別は出来るか?出来ないだろう?

 

という話になり、「日本人」は周辺の色んな民族が渡来して出来上がった品種だから、様々な種が交雑して現在に至っている為、「日本人」という固有の種は元々存在していなかった(日本人の原種は存在しない)というツイート(ポスト)も見かけるようになる。

 

これを要約すると「日本」は「アメリカ」っていうものと同じだと言っているようである。この人はどうやらアメリカ在住である。

 

アメリカは言うまでもなく、多民族国家である。そして公用語は英語(事実上)である。

ロシアや中国も多民族である。

 

ロシア、中国は地続きで包括的に支配している為、結果的に多民族国家になってしまった。

 

アメリカは、色んな所からの渡航者による寄せ集めでアメリカという国が成り立っている。ロシアや中国と違うのは、大陸(ユーラシア大陸)と地続きではなく、海を渡り、理屈上「島」のような環境の大陸に渡り、先住民と移民で出来上がった多民族国家である。

 

その点、日本も米国と似たような環境であった。日本との決定的な違いは、米国が植民地であった事。

 

学校🏫の教科書が言うのには、日本人のアイデンティティは、縄文人と弥生人が交雑して現在に至るという設定である。

 

これは冷静に考えなくても、明らかにおかしいデタラメであると分かる。

 

それを信じる大人が多い。縄文顔、弥生顔という冗談を本気で言う大人が多い。酷い話になると関東は縄文で関西は大陸と二分する人までいる。

関西は関東よりも比較的、大陸的な文化の特徴が強いように思えるが。

 

日本人はオールドカマー、ニューカマーなど、いつの時代にも人が渡航して来ていた。

 

大まかに分けると。

 

アンシェントカマー(太古)

氷河期→石器時代→縄文時代

 

オールドカマー(古代)

弥生時代→古墳時代→飛鳥時代→奈良時代→平安時代

*奈良・平安は古代か中世か意見が分かれるが、大和朝廷が絶対権力を握っていた時代までを古代とする説が多い。

 

ミドルカマー(中世)

鎌倉時代→(南北朝時代)→室町時代→安土桃山時代→江戸時代、鎖国まで

 

ニューカマー

開国・明治維新→大正→昭和、戦前まで

 

戦後カマー

昭和戦後→昭和が終わるまで

 

近現代カマー

平成→令和

 

カロリーナ氏は、近現代カマーのウクライナ系日本人という定義づけで宜しいかと思います。

 

縄文人自体が単一民族であるはずがない。縄文時代にも、一日あたりなん人かは分からないが絶えず外から渡来していたと考えられる。

 

あまり信憑性は無いが、ある人のYouTube では縄文時代で一番人口が多かった時期は日本全土で26万人いたという話をしている。

 

江戸時代の鎖国までは、一日あたりなん人というレベルで常に渡来はあったと言われる。

 

それを考えると「本当の日本人とは何か?」という質問がアホらしく思える。

 

縄文人と弥生人が交雑して、現在に至るとは?縄文人を先住民、弥生人を移民とする概念で語れば、その通りである。人種的な違いではない。

 

縄文人も弥生人もそれぞれ単一民族ではない。縄文時代は15,000年程続いた平和な時代だった。それは人種的な遺伝子のせいではなく、自然環境のせいである。縄文時代は温暖な気候で、食物が豊富で、土地の所有もなく、人口も過密ではない為、戦争をする理由が無かった。

 

弥生時代に入ると、気候がやや寒冷になり、食物が安定的に手に入らなくなる。そこで大陸からの移民で稲作に詳しい人間が食糧問題の解決の為、米作りを始めたらしい。

稲作にあたって土地の所有が始まり、大陸から鉄器文化が入って来た。つまり、武器が入って来たのである。農具は鉄の平和利用であったが領地を所有して武器を手にすれば人は戦争を始める。

 

縄文人だったものが、弥生人になったと考えた方が自然であると近頃言われはじめている。

 

縄文人が先住民、弥生人が移民という概念で語れば、日本にはそれだけしか存在しない設定になる。

 

日本はいつの世も、次の移民が入って来れば、かつての移民は先住民になり、さらに移民が来ればまたかつての移民は先住民になる繰り返しの歴史である。

 

 

そんな偉そうな事ばかりを書く自身は昔、英国白人から「カルガリー氏は大陸のアジア人と顔立ちが全然違う、まさに日本人の顔立ちをしている!」

と日本語で言われた。だから日本人特有の骨格はあると思う。

 

日本人からは「東南アジア」とか「ポリネシア」寄りの顔をしていると言われる。

 

確かに、ベトナム人かインドネシア人で、総務が自分とその人をよく間違える人がいる。

 

昨年、マイ・ヘリテージ社のキットで興味本位で自分の先祖のルーツを調べた。

 

自分は100%日本人でした - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

純度100%の日本人である事を自慢するわけではない。自分は全く他の現存するいかなる民族とも血縁関係に無いと断言されてしまった。

 

自分はどうやら純度100%のアンシェントカマーの日本人。つまり「日本固有種」「日本人の原種」「日本の原住民」であるようである。5万年から3万年前に日本に渡航し、全くその後の移民とは交雑をせず、現在に至るという。

 

純度100%の日本人である事のメリットは何もない。第一自分の家系は王族でも皇族でも何でもなく、なんにもない家系である。ただの無能な原始人である。これのどこが人様に誇れるものがあるのか?

 

純血より混血の方が優秀な子孫が出来ると思う。様々な複雑な要素を人格の中に取り入れる事が出来る。複雑な要素を持つ人は性格が複雑な人が多いかも知れないが、優秀であり、懐も深いと思う。多様な歴史の歩みが刻まれているのだから。

それが羨ましい。

 

単血って、面白くもなんともない。原始的な順風満帆な歴史を延々歩んで来ただけであって、人格が薄っぺらい気がする。人の苦労も分からなければ、深みもない。

 

そんな事を書くと人種差別だと言われそうであるが。

 

ここまでの単血は日本ぐらいにしか残っていないとも書類に書いてあった。

 

これは冗談ではない。初め、マイ・ヘリテージ社が冗談を言っているのかと思った。

 

信じたくはない!!

 

不愉快な真実を突きつけられてしまった😱

 

その後日談。役所や寺などに一人で赴き、戸籍などを調べて家系図を作った。衝撃‼️の事実が分かった。

 

辿れる範囲内のご先祖様の全てが、氏族内婚である。(親戚同士でしか結婚をしていない)

父と母は両方とも違う内陸県の出身だが、両親の家系とも氏族内婚しかしていない!!!

 

皇族でなくてもこんな事あるのか?!

 

両親の出身地は、両方とも深い山の中の隔絶的な孤立集落である。そしてそれを更に深掘りしてみた。両方ともかつては被差別部落であったとネットに書いてあった。

 

自分は両親の田舎に行った事があるが、被差別部落の独特な雰囲気を肌身で覚えたのではないだろうか?と思う。

 

だから自分と全く無関係な被差別部落に足を踏み入れる事があっても、ここは部落だとすぐ解るのではないか?

 

部落民は部落民としか結婚出来ないとよく聞くが、部落の垣根を超えても被差別部落民同士であれば婚姻は可能なのか?

 

今は両方とも解放され、部落婚の制度から解き放れている。いつ制度から解放されたのか、それが明確にわからない。

 

それとも「差別」などがまだ酷い時代だった為、部落解放後も移民日本人との結婚を自らしなかったのか?

 

移民日本人と結婚しても差別されるから。

 

しかしそれらはネット上の情報であって郷土資料などに依るものではないので、「部落」という事が事実かどうか分からない。

 

被差別部落でも何でもなく、日本の歴史とも世界の歴史とも全く関係なく、山奥で外との接触も皆無でただただ順風満帆に生きて来た家系だとすれば、本物の「平和ボケ」である。

 

だから自分の両親は、順風満帆で何も問題のない家庭が築けたのではないか?と思える。他人の家庭の内情を聞くと複雑で色々あるなーと思う。

 

自分は両親の口から直接、自分は「部落民」だったという話を一度も聞いた事がないが、自分は親戚の顔をろくに知らない。父方の実家は山深過ぎて非常に遠い為、最後に行ったのは自分が小学2年の時以来である。

 

母は実家と絶縁しているので、自分が知らない間に祖母が亡くなっていたらしい。

 

正月や盆に親戚全員で集まるという感覚が自分には全く分からないのである。親戚とか、血縁同士という感覚が全く理解出来ない。親戚との繋がりが全く無い。

 

孤立核家族家庭で育ったが、家庭環境は順風満帆だった。両親と自分と妹の4人家族だが、父は定年まで平社員だったが、問題も起こさず勤勉に働き続け退職し、現在は静かに穏やかに余生を送っている。母は自分達が高校を卒業するまで専業主婦だった。母はやたら世間の目を気にする。妹は兎に角糞マジメで、真っ直ぐな性格で、曲がった事は大嫌いで冗談も通じない。妹とはふざけた話は出来なかった。自分としては大ザッパで、他人からはおっとりしてる。マイペース、気が効かないと言われている。変に愚直でマニュアル的なものがあればそれに従順に従う。義務的な事さえ終わればあとはどうでも良い性格である。

 

家族全員、誰も特定の宗教など信じてなく、だからと言って無神論者というわけでもなく、彼岸には墓参りに行くし、正月にはイベント感覚で初詣に行く。クリスマスなども普通にやる。

とにかく順風満帆だった。それで今でも実家が居心地が良い。逆に実家にしか自分の居場所がない。

家から一歩でも外へ出ると敵ばかりの人生だったので、家族と本当の幼馴染以外誰にも心を開けない。だから身内がもっと欲しい。親戚が欲しい。

 

欲を言えば、大陸や島嶼に血縁があって、大陸の人間のように氏族同士が密な環境下に生まれたかった。

 

自分が他人とのコミュニケーションが、幼い時から全く上手く出来ないというのも、孤立核家族家庭という生育環境の影響もあると思う。

 

大陸に憧れがあるものの、自分は全くそれに相応しくはない。

 

大陸と自分との違いが、逆にとても新鮮で面白い為、大陸に魅了されるのではないか?と思う。

 

大陸や島嶼との血縁に恵まれた多くの日本人は、先祖帰りをすべきだ。自分のルーツを知り、自分のルーツのある国を訪れる事や、その国を愛でる事を勧める。

 

自分はそういう理由で特定の国を訪れるなどという事は不可能なのだから。

 

大陸とか島嶼など異国にルーツがある人が非常に羨ましい。

 

マイ・ヘリテージから送られて来た書類やDVD、何処かにしまいこんで、探しているが出て来ない。

 

先日、その懇意にしていた人から

 

「チャットGPTと会話してるみたい。」

 

と言われたきり、連絡が取れなくなりました。

 

 

長文の駄文のご精読、本当にありがとうございました。私事をつまびらかにしてしまい、デリカシーなく申し訳ございませんでした。

コメント
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