斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

遊牧民 🌹住吉美紀🌹爆誕

2024年04月26日 | ザ・日本人の気持ち

本日4月26日はタタールを代表する詩人トゥカイの誕生日であることにちなみ、タタール世界では母語の日として祝われる🐆

自分が名乗っている、カルガリーという名前はタタール語である。

 

トゥガン・テルという歌についての解説と歌詞

【音楽】Туган тел (母語):タタールなら誰もが知る歌

それにしてもいい曲ですね。タタールの旋律も大好き。

 

 

朝青龍関が4/12から都内の病院で入院している。4/23に手術したそうです。手術は成功し、快方に向かっている。一時はどうなるかと思ったが無事で良かった🦩

 

🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩🦩

 

前回の記事で、あの部落🎪を示す名称が、メルキト部族の言語のようで抵抗感があるという、ナンセンスな事を言ってしまいましたが、後日読み返したらあまりにくだらな過ぎたので撤回します。

 

実際にこの部落🎪は、メルキト部族と何の関係もない。強いて言えば、偶然、予期せずにこんなワードが出来てしまった。メルキト部族の事など眼中に入れず、今まで通りの表記をさせて頂きます。

 

(メルキト部族に対する凶悪なヘイトを貫こうとしたが、無理だった。もう限界。“カナダ”などというワードを糞のように撒き散らしておきながら、「メルキト部族」については敢えて完全に触れない。ニアミスしながら完全に眼中に入れない徹底無視。初めからメルキト部族などこの世に存在していないかのように扱う凶悪ヘイトがしたかった。

ニアミスしたいがためにカナダという語を濫用したわけでも、メルキト部族を意識してこうなったわけでもない。カネダ(金田)という元の地名とモンゴル語の性質のせいでこんな語がこの世に爆誕(メルキト部族完全無視)してしまった。)

 

ルソフォビアみたいに周囲やネットに嫌い嫌い言うヘイトは可愛い。「嫌いな国」なんて言ってるうちはまだ可愛い。国というのは最大単位だ。

 

キライ キライ言ってるうちは、まだ本当に嫌いじゃない。

 

ガチめなヘイトは、“初めから存在していないモノ”として扱う事

 

憎たらしい奴の名前なんて、口にしたくないでしょう。

 

自分は、ルソフォビア(嫌露)など特定の国を嫌い、ボルシチや*イクラの件でワーワー言ってる輩と同じだと反省した。

 

「メルキトフォビア」は嫌いな国どころか、“嫌いな部族”とかいって自分ヤバ過ぎると思った。最小単位の部族ヘイトは血みどろ。歴史上にかつて存在した部族をヘイトするとは、自分でも頭がどうかしていると思う。

 

倭国ではない方の、ロシアのカナダの存在のせいでメルキト部族の現存の可能性が出てきた。(以降ロシアのカナダをもう一つのカナダと呼ぶ)

 

*イクラ: ロシア語で魚卵を意味する。ルソフォビア達は「イクラ」というワードにもイキってて、これを「鮭子」などと言う。本当にしょうもない。日本語もぶっ壊すつもりか…

 

カナダはロシア領内にある……

ルソフォビアにとっては、ロシア領内というだけでこれもアレルギー反応の対象だ。

 

「カナダ!キャー!これロシアやんけ嫌や。」そして蕁麻疹。

 

メルキト部族としてこれをヘイトするのではなく、最大単位の国であるロシアとしてカナダをヘイトする方がマジョリティになってしまうだろう。それを言ったら同じ沿海州に「ネリマ」という村もある。これもネット情報だが、ネリマ川という川の名前から取ったらしい。

練馬区の人どうなる?

嫌いな国ならまだしも、”嫌いな区“にされてしまっては困る。メルキト部族はロシアの属国だが、ロシアのネリマに際しても「もう一つの練馬」というべき?

 

フォビアになると名前だけでアレルギー反応を起こす人が一定数おるので、自分はフォビア属性にならない様に気をつける。

 

東京都魯西亜区なんてあったら、袋叩きにされてしまっていたのか?

 

(それを云ったら「カルガリー」だってロシアにある。ロシア・オレンブルク州・カルガリー市。先日、洪水に見舞われた所である。

カルガリーまでロシア支配下🪆どこからどこまでもロシア支配下💧ロシアから逃れることは出来ない。ロシアおそろしや🇷🇺ヒーッ😱

自分はルソフォビアから忌み嫌われてしまう!*カルガリーは、ロシア語ではなくタタール語である。)

 

ロシア人は、ボルシチだけ食ってるわけじゃない。ロシアでは多種多様なものが食べられている。西側由来の食べ物も食べる。スラヴ由来だけではなく中央アジア由来の料理もある。湖で釣れた魚も食べる。ムース🫎(ヘラジカ)も食べる。

 

ヘラジカ🫎出して「ロシア料理」だと名乗る飲食店があったら、どう叩かれるのだろうか?

 

自分の記事内ではメルキト部族とカナダ🎪は一切関係ない。 おわり。

 

🏹🏹🏹🏹🏹🏹🏹🏹🏹🏹🏹🏹🏹🏹🏹

 

住吉美紀がTokyo FM Blue Oceanで自称「カネディアン🔱」を連呼した。「カネーディアン🔱」

「英語を喋るイングリッシュ・カネーディアン🔱」と連呼していた。何故だか「ネ」を強調していた。

 

一瞬、耳を疑った。住吉さんに「カネディアン🔱牧民」が憑依、降臨したのではないか?と思った。怖かった。憑依現象は本当にあるのか😱

本当に恐怖だった。

 

聴衆はこれを聴いてどう思ったのだろう?

カネディアン🔱という意味不明な名称が聞こえて、放送事故ではないか?と思ったに違いない。自分は、これは完全なる放送事故だと思った。

 

カネディアン🔱とはこんな所にも現れるのか?

探してる時に現れない人たちであり、神出鬼没だ。

 

*カネディアン🔱とは自分が勝手に造語した言葉である。いやいや、そんなワケはなくて、元々ある地名(村の名前)をイジって和製英語のようにしてしまった。

 

《カネディアン🔱: 約400前に日本に渡航して来た蒙古系遊牧民。現在、金田(カネダ)地区に定住している人民の祖先だと考えられる》

 

チバリアン(千葉・地層)というネーミング方式と同じである。だからもし、これが例えば、黒田(クロダ)や赤田(アカダ)村などの名称であれば、クロディアンやアカディアンになる。

オバタリアン(今でいうBBA)やジベタリアンなどという言葉が昔流行ったが、それと同じでカネディアン🔱という名称は少々ダサさを感じる。

 

ここ最近カネディアン🔱出現事例が多い。

 

 

問題の放送は火曜日。3月26日、勿論2024年。メッセージテーマは「ピュアすぎたはなし」

 

住吉美紀氏は、自分とは根本的に真反対の人である。

 

住吉さんが大学卒業してすぐにNHKに就職した時のエピソードを語った時に事が起きた。

 

住吉さんは、お父さんの仕事の関係で海外に転勤し、それに伴い海外に住んでいた事もある。小学生の時、それから高校の時。

 

大学は日本だった。家族が家を海外に購入してしまい、実家が海外にある。

 

そしてNHKに就職。海外と言っても英語圏である。

 

NHKの職場内で頻発する会議。会議の為の会議など意味の分からない会議が横行していた。それが、海外には存在しない日本独自の風習であった。

住吉さんにはそれが到底理解出来ず、この珍妙な出来事について、「何についての会議をするの?」「何故会議をするの?」「Why?」「Why?」「Why?」と都度、先輩に質問していたら、上司に「そんな事を聞く必要はない」と叱られたらしい。

学生を卒業したばかりの住吉さんにはまだNHKの官僚的な企業文化が理解出来ておらず、見境なく質問していた頃の自分に「ピュアすぎた」と回顧していた。

 

 

それのどこがカネーディアン🔱なのか、自分としてはよくわからなかったが、住吉さんが強調したいのは、海外英語圏育ちの頭の中身にとって、意味の分からない会議というモノを知らなかった事と、官僚的な文化の中での空気が読めなかった事に、自称カネーディアン🔱だと言っていたのだと思う。

 

これがもし、ラフな企業文化の会社だったら、質問攻めにしても「空気読めない人間」として叱られなかったのだろう。

 

要するにカネーディアン🔱とは倭人ではない異人を表す物のひとつとして解釈出来る。

 

そこは確かに蒙古出身の牧民、カネディアン🔱とも共通する。

 

イングリッシュ・カネーディアン🔱というのは、英語を話す、倭人ではない異人を表すのではないか?と思う。

 

英語で言うエイリアンと同じ意味なのではないか?とおもうが何故カネ……….🔱???

イングリッシュ・エイリアン👽で良いのではないか?

 

 

モンゴル帝国はかつての世界一の強国。

自称カネディアン🔱と言うからには….

 

 

「イングリッシュカネーディアン🇬🇧🌹🔱🌹」

 

それを文字通り解釈すると、英語が堪能で騎射が得意な400年前日本に渡航した蒙古系牧民。住吉美紀。という事になる。そんなものがこの放送により、爆誕してしまった。

 

流鏑馬カネーディアン🔱

しかし彼はカネーディアン🔱ではなく、モンゴル人🇲🇳である。

 

 

以前はカネディアン🔱=モンゴル人🇲🇳だと考えていた。朝青龍や*The Huがいかにもカネディアン🔱らしい容姿だと思う。

 

カネディアン🔱という呼称は、遊牧民族の呼称にしては特異である。

遊牧民は通常、民族名で〜人と呼ばれる。SUM41でお馴染みのトゥヴァ共和国は、トゥヴァ人(族)という民族名が由来だ。ロシアの属国(構成共和国)にはブリヤート共和国やサハ共和国というのもあるが、ブリヤート人(族)やサハ人(族)が由来。

 

旧ソ連のウズベキスタンやカザフスタンも、ウズベク人、カザフ人が由来である。

 

ブリヤート人もサハ人もトゥバ人も、ウズベク人もカザフ人も元々は遊牧民族である。

 

カネディアン🔱は、冒頭で書いたように、金田(カネダ)という村の名称である。遊牧民の名前が地名由来というのはほとんどと言って良い程ないに等しい。

 

カネディアン🔱は何故地名由来なのか?それは、金田(カネダ)村に定住させられている為である。カネディアン🔱は蒙古系民族だという所迄は分かっているが、それ以上細かい民族名は分からない。この村の人民及びその祖先をカネディアン🔱と呼ぶ。

 

カネディアン🔱は蒙古系だが、モンゴル人とは違う。カネディアン🔱は大陸を離れて400年以上も経つ。その間両者は別々の道を歩んで来た。

 

カネディアン🔱は清帝国支配下も知らなければ、社会主義政権下も知らない。社会主義崩壊後の混乱も知らない。モンゴル人と血を分けたが、途中から別々に生きた為、感覚的に遠くなってしまっている所が多いのではないかと思う。

 

蒙古族の血はあるが、全く違う世界に生きているので、現代のモンゴル国🇲🇳を祖国だと言い切れないのである。時が経ち、モンゴル語も喋れなくなってしまい、別物になってしまった彼らは、モンゴル国と関係があるとは言えないのである。

 

だからカネディアン🔱=モンゴル人とは言えない。

 

カネディアン🔱が400年前のまま止まっているのか?モンゴル国が進んでしまったのか。彼らの望郷の想いはどうなってしまうのか。

 

モンゴル国のモンゴル人に対して、カネディアン🔱というつもりも無い。

 

広義の意味ではカネディアン🔱もモンゴル人と言えるのではないか?という見方もある🇲🇳

ロシアのブリヤート人やカルムイク人や中国の内蒙古人も広義の意味ではモンゴル人と言える。

彼らはモンゴル族のディアスポラである。

カネディアン🔱も日本にいるモンゴル族のディアスポラである。

 

カネディアン🔱は、和製英語みたいなもの。敢えてモンゴル語読みの発音に変える必要がない。

 

《モンゴル語の母音の法則によれば、男性母音(a,o)と女性母音(e,u)は同じ語に共存出来ない。中性母音(i)はどちらとも共存出来るという。島村一平先生が文春の記事で教えてくれた。》

 

和製英語とは、倭人が勝手に造語した英語である。代表作はガソリンスタンドである。ネイティブが絶対言わんだろという英語。

英語圏ネイティブがカネディアン🔱という言葉を口にする用は一生ないだろう。

 

カネディアン🔱が英語なんて喋るわけない筈だが、住吉美紀氏が「イングリッシュ・カネーディアン🔱(英語を喋る牧民)」と言う言葉を造語した。

 

意味分からん……..

 

そもそも住吉美紀氏にとってカネディアン🔱とは何なのか?

 

全っ然意味分からん。やっぱ憑依としか思えん

 

 

カナダホト🎪やカナダオボー☸️🕉️は、カネディアン🔱とは違い、「オボー」も「ホト」もモンゴル語な為、モンゴル語と合わせる時はこれもモンゴル語読みの発音に直すべきだと思った。そしてカネダをカナダにした。

 

 

NHKは風紀に関しては五月蝿くないらしい。住吉美紀氏は夏、ビーチサンダル🩴🩴で毎日出勤していたと本人が言う。

 

官僚文化でありながら、ビーサン🩴出社は認める不思議な会社🏢

 

住吉氏は依然住吉氏である。ビーサン出勤をし、見境なく質問する。

 

SUM41と住吉美紀氏が、今まで頭の中で繋がる事は決してなかった。両者は全く接点がない。

しかし、「英語」というものを介して両者は繋がった。イングリッシュ・カネーディアン🔱(英語を喋る蒙古牧民)の住吉氏と、イングリッシュ・トゥバン(英語を喋るトゥヴァ人)のSUM41

 

両者とも母国語ではない英語が堪能な為、英語で難なく会話が出来るはずである。

 

住吉美紀氏もSUM41もおんなじアジアの仲間。

 

やっぱりアジアが一番!住吉カネー🌹ディアン🌹の爆誕によって、英語というものは、英米ネイティブと喋る為ではなく、アジアのみんなと喋る為に勉強するべきだと思わされた。

 

自分もベトナム人もおんなじアジアの仲間。しかし日本人側からそれを言って実習生に嫌われてしまった社員がいた。

 

住吉美紀氏の自称遊牧民=カネーディアン🔱は意味不明だが、住吉氏が、倭国=日本の集団主義(意味の分からない会議、根回し、春闘など)が無駄だと感じる所が、遊牧民と共通するところなのではないか?と考えられる。

 

集団主義がダサいと思える心が格好いい。で、彼女は実際にフリーランスとして独立して生きている。

 

ちなみに、自分は集団主義をさほど悪い事だとは思わない。人間は一人では生きられない。だから同志などで集まり、手を取り合って生きることは決して無駄だとは思わない。

 

自分には独立して生きていける自信はない。それ故、会社に依存して生活をしている。

 

そして自分はどちらかというと、元来群れを好み、全体を重んじる事を良しとする考えを持ち、“常識”の照準と自分が今どれだけ離れているのか、絶えず絶えず確認をしながら、行動しているのである。常識と少しでもずれていると感じれば反省をし、常識の照準に合わせるように努力をしている。自分は結構、自分軸がない。

 

自分は住吉カネ🌹ディアン🌹なんかよりもNHK的な文化に適していると思う。何もかも彼女と自分は正反対だ。

 

まぁ。そんな偉そうな事を言うが、自分は学校や会社や自治会などで集団の中にぶち込まれると必ず、村八部にされてしまっていた。理由をハッキリ言う人に理由を聞いたら「テメエは察しが悪いから」と言われてしまった。

 

相手の気持ちを慮って慮って、慎重に言葉を選んだ発言を行っているのに、「察しが悪い」という評価だけで、自分の気苦労は無に帰され、そして排除される。自分の思慮が浅はかなんでしょうかね。学校はともかく、会社や自治会では人とトラブルを起こすなどの「和」を乱す事は一度たりともなかった。

 

それらの集団の中では決して“戦史”や“カナダホト🎪”や“ドチン・ドルベン”や“アミール・ティムール”や“製鉄”などの話はしない。

それらのネタは、多数が関心を持たない事だから。しかし自分の何が「察し」が悪いのか。それが全然分からない。そこが「察し」の悪い所なのかも知れない。群れはそれ以上のことは何も教えてはくれない。それも察しろという事なのか?

 

そして自分には小学生の時までに出会った友達しかいない。それ以上の年齢に比較的親しい人はできたが、友達と言えるほど深い関係でもない。知己というのが相応しい。

 

村八分と集団ヒステリーのない集団主義は良い集団主義だと思う。

 

長文のご精読ありがとうございます😊

 

*The Hu: ↓

 

 

同じ曲だが、もっと音がはっきり聞こえる。

 

 

曙関のご冥福をお祈り致します🪷

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厚18系統 上飯山行き

2024年04月19日 | 自己満

少し昔にボルシチがロシア料理かウクライナ料理かで揉めて、料理屋のアカウントを袋叩きにして、削除に追い込み、店名まで変えさせるというナンセンスな事態が起きた。

 

元は「ロシア料理とパンの店 ××」だったものが「スラヴ料理とパンの店 ××」に変わっていた。

この料理店は、スタローヴァヤ(食堂)を意識したという。

 

これは、自分だったら店名について以下のように提案する。

 

特定の国や民族名を出さずに、そこの地名+××(店舗名)にすればいいんです。

 

「西武東伏見 ××食堂」

そうすれば円くおさまると思います。

 

地名というのはそういう意味ではとっても便利である。スタローヴァヤは食堂を意味するので、何の遜色もない。(*伏見というと京都と勘違いする人も出てきて、別の意味でボコされる)

🐦‍🔥🐦‍🔥🐦‍🔥🐦‍🔥🐦‍🔥🐦‍🔥🐦‍🔥🐦‍🔥🐦‍🔥🐦‍🔥🐦‍🔥🐦‍🔥🐦‍🔥🐦‍🔥🐦‍🔥

 

先日は、厚木市の中津川と荻野川にある台地を走る国道412号沿いを実踏してきた。

 

この台地は、冬営に適する場所が幾つかありそうであった。しかし400年前の*カネディアン🔱に直接聞き取り調査した訳ではないので妄想でしかない。

 

《カネディアン🔱: 金田(カネダ)地区という蒙古集落に定住する人達の祖先。》

 

 

牧民は基本的に世帯単位で勝手勝手に動き、定住村落などを作らず、離散した形で生活をしている。営地は各世帯主が決めるものである。

 

厚木市内は地図で見た限り冬営地に適した箇所が非常に多く見える。

 

北西の風を防げる山と、その近くに河川などが多い。

 

 

 

バス会社のバスルートを表示して遊んでいた。バス会社の地図を見ると何をどう解釈したら良いのか解らない。

 

iPhone の地図は、高低差は全く描かれていないが、山と川と緑地が省略される事がなく書かれている。

 

バス会社のバスルートマップは、主要な川以外は重要視されておらず、荻野川などは灌漑農業用水並みに細く描かれている。

何処が山なのか解らないほど、山に色が塗っていない。主要な山には山を表す記号と名称が書かれている。緑色の土地は、公園かゴルフ場か墓地などである。しかし、拡大すると等高線があるのが分かる。そして、ランドマーク的なものや目的地が目立つように書かれている。

 

自分は、山と川などを基準に見ており、何の川と何の川の間に何番の国道や県道が走っているのか?道の行き止まりはどこか?地形はどうなっているのか?という目線で地図を見ている。

 

バス会社の等高線は有難い。

 

厚木のバスは面白い。本厚木駅前では様々な行き先のバスがあり何処へ向かうのか。

 

今日は厚18系統の上飯山行きに乗る。小鮎川沿いの県道60号を行くバス🚌。終点、上飯山迄行く。地形などを見てみたいからである。

上飯山は温泉地♨️である。この路線の地域も、田地などではなく、平地、台地である。戸室周辺には小山があり、ここの山陰も冬営出来そうである。橋場のバス停辺りから山勝ちになっていく。

 

 

この道をそのまま行くと清川村に行く。

 

 

猿🐒だの熊🐻だの亥🐽だの、獣被害が凄い地域だ。

 

小鮎川が流れている。鮎が獲れるのだろう。

 

 

 

小山付近の開けた地。ここは小鮎川からも近く、これも冬営には良いような気がする。

 

 

この開けた地から、横断歩道を渡ったすぐ近くに、石がゴロゴロ置いてある。かつて*石囲いだったものの残骸だろうか?

 

《石囲い: 遊牧民の冬営地にあると云われる石囲い。この石囲いは家畜の糞や薪を囲うものである。糞や薪は家畜の防寒用の燃料になる。》

 

 

道祖神の石碑を写真に収めていないが、道祖神があった。道祖神があるという事は「古道」。いつの時代からあるのかは解らないが、近年新規開拓された道ではない。ここには人の往来があった。県道60号は古道だったのか?

 

以前実踏した「上三増」に行く県道65号も道祖神があり、古道である。

 

「道祖神がある道は古道」というのは「アキドチャンネル」のアキド氏から得た情報。

 

牛はどのくらいの勾配迄耐えられるのだろうか?山羊はどんな急斜面でも選り好みせず、歩行出来る。馬は、日本馬(和種馬)は、山岳地帯向きの脚質の種の骨格があれば、山岳地帯も乗り越えられる。モンゴルのモウコウマよりも遥かに日本に適した馬だ。

 

家畜がある程度の勾配に耐えられて、古道というものが有れば、カネディアン🔱は何処にでも行ける。厚木近郊の、水菜(もみじクッキー)の左半分の山のどん詰まりから抜け出る事が出来る。

 

家畜は機関車ではないのでそこまで難しく考えなくて良いのではないか。彼らは、自分が考えるよりも遥かに日本の地形に適している。

木曽馬などは蒙古草原馬だけではなく、*タルバン系高原馬のルーツもあると言われている。

 

《タルバン系高原馬: 現在の中国西部に存在していたと言われる馬で、漢の武帝の頃、汗血馬、千里馬、天馬などの駿馬を得た頃に中国に入ってきたとされている。》

 

高台に登る急な坂を見つけて登る。

 

 

畜舎発見。匂いからして牛。

 

 

敷地内の犬が吠える。大丈夫。犬は繋いである。言いたい事は沢山あるのだろうが、人間(主)に密告したりはしない。自分は牛を泥棒するつもりはない。

 

ここは北西の風を防げるような気はする。この日は南風が強かった。高台に開けた地が広がる。

 

 

 

近くに小鮎川がある。

 

 

高台に広がる土地

 

 

この高台にも石囲いの残骸を妄想させられる石群がある。

 

 

少し高台に神社を見つける。赤いので稲荷神社だと思うが、登って見てみた。狐が祀られていたので稲荷神社だった。

 

ファミマを見つけた。遠出先で出会した自販機やコンビニの存在は本当に嬉しい。

 

しかしこの店良い景観立地にある。

 

 

 

 

これでは太る街道まっしぐらだ。健診で空腹時血糖値が高く糖尿病一歩手前だと言われた。普段から甘いものや穀物をそんなに食べないのに。歳もあるし体質もあるな。

 

 

 

遺構の話に戻る。遊牧遺構との出会いは、超越者による采配が大き過ぎる為、自分の思い通りには行かない。

 

遊牧民もそれと同じで、自分で計画して放牧地、営地を選択するが、モンゴルとは違う日本の自然環境下や社会環境下では自分の思い通りにならない事の方が多かった。以前の記事ではカネディアン🔱牧民の気まぐれに振り回されているように感じていた。しかし、それは逆で、牧民自体が日本の自然環境の気まぐれに振り回されていたのではないかと思える。

 

モンゴルの環境に於ける牧民について書かれた文献は、ほとんどアテにならない。牧民自体がモンゴルと同じにしようとしても、それが叶わなかった事が伺える。

 

だから、遊牧遺構を敢えて探そうとはせずに、そこら辺を散策して、運良く遺構が見つかれば良いという程度にする。カネディアン🔱牧民の判断で全てを決めた事である。

 

自分が考えて、当てられる事などはほとんど無い。

 

言い方を変えると、個人の考えている事を言い当てるのと同じくらい難しい。

 

カネディアン🔱個々人の家庭の事情により、違うのである。

 

カネディアン🔱は一括りに出来る集団ではない。一括りにした方が幕府とか行政にしたら扱い易かっただろう。

 

 

 

ここは「宮の里」という場所に近い。そこへ行ってみる。

 

定牧場がよく見える。牛舎から、牛の声が聞こえた。

 

 

 

普段、ここで牛を放牧しているのだろうか?

 

水が溜まっている所がある。牛が飲む水だろう。

 

宮の里地区は高台にある。こんな事はスマホの地図には書いてない。宮の里は、飯盛山(メシモリヤマ)⛰️と言われた山であった。これは江戸時代から言われ始めた。平安時代には印山と言われていたようである。石碑に書いてあった。

 

飯盛山にしても印山にしても倭人がつけた名前だ。これでは、この世にはまるで倭人しか存在しなかったかのように思える。しかし、カネディアン🔱牧民も実在していて、この山と関わりがあったのかも知れない。

 

まずは公園へ。公園などに入る時、不審者に見られるのではないかと気になる。

 

公園に*テングリ(天神)を祀るオボーがあるだろうと安易に考えている。

《テングリ: 遊牧民が信仰する天の神》

 

 

 

確かに公園のある場所と、テングリを祀るオボーは必ずしも同じではない。寧ろ神社仏閣の方がテングリを祀るオボーがあるに相応しい所だ。

 

この地区(飯盛山)のいちばん高い所を目指す。

 

高い場所からの景色。

 

 

それでも自分は遊牧遺構を探そうとする。無駄な努力。

 

 

 

ここが徒歩で行かれる範囲内での宮の里地区で最も高い場所。先日行ったまつかげ台よりも標高が高そうである。

 

 

 

もしテングリを祀るオボーがあるとすれば、この崖の上である。

 

熊野神社⛩️があった。必ずしも神社仏閣というのは山の一番上にあるとは限らない。

 

 

鳥居の位置。

 

 

参道ではなく、駐車場に面している。

 

すぐ隣の稲荷神社⛩️。由来などが書かれている。

 

 

宮の里地区の山を降りて、荻野運動公園の脇を通る道を通って、荻野川を渡り、国道412号に辿り着く。

 

荻野川を渡る前に、石囲いの残骸のような石群があった。

 

 

国道412号沿いにはこのような石群が全く見当たらなかった。

 

以前訪問した、上三増(カミミマセ)地区にも石がたくさん転がっていた。

 

上三増訪問の記事

冬営地 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

上三増での石は、かつて庭石🪨として使われていたが、住む人がいなくなり、家が解体されて無くなってしまったが庭石だけが残って端に寄せられているという印象を受ける。

 

しかし、この県道60号線にたまにある石群は、敷地のような場所ではなく、ランダムに、そこらへんに転がっているので庭石🪨ではなさそうである。

 

本当にカネディアン🔱が使った、冬営用の燃料を囲う石だったのでは?と思えてしまう。石群がある場所が、冬営に適した、風が避けられて水の近い場所が多かった。

 

今更ながら、カネディアン🔱は本当にここに存在したとしか思えない。

 

石は何百年でもそこに在り続ける。この辺りは、開発が進んでいない地域で、爆撃機の戦火も免れている。

 

かつては綺麗な囲いだったのかも知れないが、他人が持って行ってしまったのだろう。

 

他の場所にも妙な石群があったのかも知れないが、宅地開発などで撤去されてしまった。

 

この石の成分などを調べれば、何処から持ってきた石なのか解るかも知れない。そういう事が出来るのが研究機関である。自分にはどうする事も出来ない。

 

家に帰って一日の散策を振り返った。

 

遊牧遺構は偶然出逢えればそれでいい。と考えていたが、写真を見直して、石群を見て、遊牧遺構に出逢ってたやん。と初めて気がつく。

 

 

 

この散策と何も関係がないが、モンゴルに*カナダ型🏹🔥ではないか?と思われるオボーがあった🇲🇳

(カナダ型オボー:倭国カナダ地区🏹🔥にあるものと同じ型のオボー)

 

 

(🐫本当はダルハン型🏹🔥と書きたいが、このオボーも“ダルハン🏹🔥”という都市も互いにモンゴル国🇲🇳に存在する。紛らわしさを回避する為、“カナダ🏹🔥”という倭国にある地区名称を使う。倭人が作ったわけではないので“カネダ”とはいわない。倭語読み→カネダ、蒙古語読み→カナダ)

 

*カナダ:モンゴル国領土内にこの地名があれば、更に紛らわしさ回避する為に別の名称を考えなければならない。”カナダ(Kanada)”或いは”カナタ(Kanata)”という地名は、ロシアの沿海州に実在する。ネットで得た情報なので信憑性に欠くが、”カナタorカナダ”は、メルキト部族の言語でいう、一時的な近隣共同体、一時的な村落共同体、モンゴル語でいうところの”ホト”と似たような意味である。

 

ホトもカナタも、ゲルなどの移動式住居がある特定の季節に於いて、集中する傾向にある場所を意味する。メルキト部族は、チンギス・ハーンの時代が始まる頃のモンゴル族の怨讐部族である為、自分としてはこの”カナダ”という名称に少なからず抵抗を覚えてきた。

 

金田(カネダ)という倭語名称を、モンゴル語に変えたが、それが怨讐メルキト部族のところの言う”村”のような意味になってしまう事が何とも遺憾である。だから早くカナダというメルキト語に替わる意味の語を見つけたかった。蒙古族も敵が多い。

 

メルキト部族の残党が沿海州にいるような気がしてならない。メルキト語のような地名が残っているということは、その可能性が高い。

 

カナダホトを読みで訳すると、村村という意味になってしまう。

色々とねじれが起こる為、自分も頭の中がごちゃごちゃになる。自分が遊牧民の戦争に巻き込まれているような錯覚に陥る。

 

廣田千恵子先生の続き文章。

 

《引用: chieko_hirotaインスタ》

 

廣田千恵子先生は、『カザフ刺繍』の著者であり、モンゴルのバヤン・ウルギー県などをフィールドワークする。モンゴル国在住のカザフ人と主に関わる。

 

廣田千恵子先生、このオボーと出会ってくれて、撮影してインスタに掲載して頂きありがとうございます。

 

オボーの形にはある程度の地域性があるらしい。

だから“ダルハン型オボー”と言ってしまうと、ダルハン地域型のオボーという解釈が出来る為、問題になる。

 

このオボーのある場所が分かれば、カネディアン🔱の故郷がある程度特定出来るかも知れない。

 

 

床部が円形で、周囲に雑草が生えているのに円の中には生えていない。実際円の下には大きな石が複数埋まっている様であった。

 

松とその他の木が植えられているが、松は浅根性で、岩に直接生える事もある。寧ろ松は岩のような場所でなければ生きられない。

周囲の雑草が枯れている。この枯れている範囲がこのオボーの本当の大きさ。

 

往時は石堆が高く積まれていたのかも知れない。

 

廣田千恵子先生が撮影したオボーを見た瞬間、カナダオボーと似てると直感した。

 

似ていると考えた理由を後日書くつもりである。先生は自分とは違い、モンゴルをフィールドワークしている研究者である。

 

自分は廣田先生のインスタの文章をモンゴルを知る手がかりとしている。

 

しかしこのオボーが”カナダ”などというメルキト部族の言葉と丸被りする名前で呼ばれてしまう事は不憫である。

カネディアンという名称も考えものである。まるでメルキト人のように思えなくもない。

 

長文のご精読ありがとうございました😊

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソ連アニメチェブラーシカГолубой вагон(青い客車)

2024年04月12日 | 中央アジアその他

自分のブログを見返してみてよく分かった事がある。自分は遊牧民かソ連の事ばかりを書いている。このブログは、中央アジアやロシアなどの文化や情報について発信する目的で作った。だから仕方がなかった。

 

チェブラーシカのDVD📀を鑑賞して

 

Голубой вагон(ガルボイ ワゴン《青い客車》)というソ連映画🎞️チェブラーシカの第3話のエンディングシーンの曲が頭から暫く離れなかった。

 

 

 

 

とても感慨深いソ連の曲調。チェブラーシカの映画の中の世界の空が、いつもどんよりとしている。

 

ソビエトアニメは日本にはない味わいがある。そして、日本のアニメとは違い、子供向けにしては世知辛い内容だったりする。登場人物の人当たりがキツかったりもする。

 

Голубой вагонの哀愁が中毒性高い。

 

“チェブラーシカ”は、物語の中でこのような哀愁溢れる曲を、ワニがガルモーシカという楽器(アコーディオンに似た楽器)で弾きながら歌う場面が時々ある。

 

この列車はモスクワ発*ヤルタ行きの設定である。

 

《ヤルタ: クリミア半島南端に位置し、黒海に臨む。1945年連合国側の主要3ヶ国の首脳によるヤルタ会談が行われた。また、帝政ロシア時代からはリゾート地だった。》

 

登場人物は主人公のチェブラーシカというワケのわからん動物。これは青果店のオレンジの段ボール箱📦に入っていた。チェブラーシカ自身、自身が何の動物なのか分からないという。その設定に切なさを感じた。

 

ワニはゲーナといい、チェブラーシカの友達。チェブラーシカよりめちゃくちゃ歳上だが、対等に扱ってくれる。ガルモーシカの弾き語りが得意なおっさんワニ。

 

シャパクリャクという婆さん。イタズラが大好きな婆さんで、ネズミをカバンの中に入れて持ち歩いている。ネズミの動きと形がやたらリアルで、見てて気持ち悪いが、どこか憎めない存在。

 

 

チェブラーシカ達が載っている列車はひたすら、下手をすれば何日間も針葉樹林の中を走っていると思う。モスクワからヤルタだからそれはないと思うが、シベリア鉄道だと明けても暮れても3日間くらいずっとこんな状態である。駅間も日本では考えられない距離で、駅に停まればバカ停と言われる30分以上の停車をする。旅客はその間、駅のホームに出て、外の空気を吸いに行く。

 

車窓はモミ自生の針葉樹海の真っ只中。ロシアの木はとても背が高い。シベリアの樹海はどれだけ鬱蒼としているのか。

噂で聞いただけだが、シベリア鉄道(旅客)とシベリア貨物の機関士は運転部屋には必ず、猟銃を携えている。事故で汽車が動かなくなった時、或いは外に投げ出された時などに野生動物から身を守る為であるらしい。

 

 

 

相鉄線(相模鉄道)の濃い青色の列車の最後尾を映し、それとチェブラーシカ、ゲーナ、シャパクリャクの人形を撮影した画像を切り取り、貼り付けをしようと考えた。

 

映画🎞️チェブラーシカのこの感慨深いシーンに、全面展望の景色をつけたいという勝手な発想から始まった。

 

相鉄線の青い車両を見かけた時に偶然、チェブラーシカのГолубой вагонが思い出された。これがきっかけだった。

 

2018年秋🍂🍁頃は、相鉄線(相模鉄道)ではヨコハマネイビーブルーという濃い青色の車両がまだ珍しい頃だった。ほとんどが、白地に青とオレンジ色の線が上と下に引いてある車両だった。

 

 

実際には、シャパクリャク婆さんの人形が何処にも売っていなかった為これが実現しなかった。

 

これが完成したらインスタに上げようと考えていたが、それも実現せず。

 

シャパクリャク婆さんが手に入って、同じぐらいの大きさのチェブラーシカやゲーナが手に入ったら、人形を撮影した画像を切り取り、貼り付けをし、インスタ公開するつもりだったが、相鉄線の写真撮影が思ったよりも長く時間が掛かり、いつまで経ってもシャパクリャク婆さんが手に入らなかった。

 

そうこうしているうちにコロナ禍に突入。それどころでは無くなり、全て断念した。

 

予定では2019年11月30日迄に上げるつもりであった。

 

この日は相鉄線・JR直通開業日であった。

 

Голубой вагонの歌詞からして、当時はこれに相応しいと考えた。

 

自分たちは過去に戻る事は出来ないが、きっと素晴らしい未来が待っているであろう。

 

というメッセージと、青い客車(ヨコハマネイビーブルー)という組み合わせが、当時、アツかった。

 

相鉄線・JR直通のコマーシャルにこの曲が使われてもおかしくはないと思った。

 

チェブラーシカたちは、客車に後ろ向きで座っている。過去を見ながら進んでいく所が、えぐられる。

 

 

 

 

 

 

これは、チェブラーシカやシャパクリャク婆さんが来て全員揃うシーンに使いたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初のГолубой вагонのタイトルと、最後尾にゲーナを載せたものは、早朝に撮影。

 

ゲーナが載っているものは、これを真似た

 

 

 

とにかく架線邪魔だと思った。

 

この写真は、撮影した後に、色や明るさや彩度を調整したりしている。チェブラーシカの世界観を意識した色遣いを目指した。

 

相鉄線の濃青の色は非常に難しい色であった。

車用の塗料で塗装してあるらしい。スマホカメラで撮影すると、光の加減で色が変わってしまう。

 

Голубой вагонのГолубой とは、紺色ではなく水色を意味する。

 

逆光をわざと狙った。撮り鉄ではなく、チェブラーシカの世界観に少しでも近づけたいと考えていたので、雲を入れたり、逆光を利用して哀愁を演出しようとしていた。

 

この撮影は海老名駅から、瀬谷-三ツ境間の踏切までで、海老名から横浜方面へ、相鉄線を追って曲が進むに従って進んでいく。

 

歌詞の内容と景色の関連性も考慮に入れた箇所もある。

 

オープニングのГолубой вагонのタイトルと、ゲーナだけを載せた写真と、ゲーナ、チェブラーシカ、シャパクリャク婆さんの3人が揃うシーンの予定だったところと、最後の「見てくれてありがとう」だけは、例外的に、大和市内のふれあいの森公園と、*相鉄貨物線の廃線跡の線路上で撮影をした。

 

瀬谷-三ツ境のこの踏切から見える横浜方面(全面展望)は、映画チェブラーシカのこのシーンが終わり、暗くなって列車が遠ざかっていくシーンの全面展望に似ているから、この場所を選んだ。

 

スマホ📱カメラで撮影したから画像ガタガタになった。撮り鉄が本格的な機材を欲しがるわけが分かるような気がする。

 

 

当時、まだ濃青色(ヨコハマネイビーブルー)塗装が珍しかった頃は、濃青色同士がすれ違う事が貴重な時間だった。

 

「過ぎたことは取り戻せない」

の歌詞にちなんで、この貴重な時間は過ぎ去ってゆくので、この写真を選択。

 

「過去は少し惜しくても もちろん進んだ方がいいんだ」

相模鉄道の本来の土地であるJR相模線に対する未練を捨てきれない。これは相模鉄道にとって非常に惜しい過去である。

 

戦時中、相模鉄道は、現在のJR相模線の土地を国から略奪された。相鉄会報誌にも「土地返せ!」と耳にタコが出来る程(目だとどう表現すれば良いのか)書いてあった。

 

そのような過去に縋りながらも、JRと直通運転し都心に出て行かなければならない。

 

JR相模線沿線の象徴として、大山や丹沢がよく見える後面展望にした。

 

「新しい冒険にいそごう友よおい先を進めてくれ機関士」

 

ここは*相鉄貨物線が見える所。

 

《相鉄貨物線: 相鉄厚木線。本路線を経由し本線の相模大塚駅構内から専用線にて在日米軍厚木基地へのタンク車を使用した航空燃料輸送が行われていた。1998年9月を以て廃止された。》

 

この線路は既に撤去されてしまった。撮影した当時は、この線路も遠くない将来、撤去されてしまうのだろう。という想いで撮影した。

 

これも相鉄の過去の遺物で、思い入れの深い線路である。

 

この遺物を目の前に「先を進めてくれ機関士」というようにしたかった。

 

チェブラーシカとゲーナが線路上で「見てくれてありがとう」という最後のシーンは、相鉄貨物線の廃線の線路上に2体を置いて撮影した。

 

この線路はもう既に撤去されてしまった。

 

ヌイグルミ、人形関係は全てメルカリで購入した。

 

 

列車やその他の写真は、色々なパターンを撮影した。チェブラーシカ、ゲーナ、シャパクリャクの3人が、後ろ向きに映る画も入れる予定であった。

 

*動画と、自分が撮影した写真につけたテロップの訳と異なるのは、昔見たГолубой вагонの動画の和訳とこの動画の和訳が違うものになっている為。

 

🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊

 

この後チェブラーシカ達はヤルタでバカンスを楽しむのでしょう⛱️

 

長文のご精読をありがとうございました😊

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東西冷戦について思う事

2024年04月05日 | 中央アジアその他

先の、パンク春の祭典も終わり、SUM41(蒙古斑)の最終日本公演も終わった。

 

「蒙古斑Live」の記事で、内容が重くなるため、「前世トゥバ人かも」と誤魔化してしまったが、 Underclass Heroのイントロの繰り返し繰り返しを生演奏で聞いて感じた事

 

「自分たち観客は娯楽や趣味でこれらに関わっているが、彼らは人生をかけてこれをやっている」

という事が実感された。

 

彼らの、音楽に割く労力や時間やその他様々犠牲にしてきたものの重さを肌で感じてしまった。健康面であったり、親との関係であったり….

それら全ての犠牲が価値となって現れている。

 

生演奏を聴いたマウントをとっているようにも見えるかも知れないが、スマホやCDなどのデジタル音源でこれを感じる事は出来ないのではないかと思えた。本人達と同じ空間に存在していた事も関係している。

 

この記事で、SUM41キャップの件で、カナダ嫌いだけど(以下略)」と書いた。カナダというのは北米の迦奈陀を指す。(漢字表記だと仏像のようである)

 

これを見て何で?と思った人もいると思う。

カナダが嫌いな理由。

 

初期NATO加盟国だから。

 

それだけ。

 

 

80年代に嫌いな国とその理由のアンケート書かされた。

 

自分は当時、世界情勢など余り詳しくはなかったのでキライな国は白紙回答をし、好きな国は日本と書いた。

 

嫌いな国が中国、北朝鮮、ソ連、ハンガリーやルーマニアなどの東欧、東南アジアなどが多く、理由は「共産国だから。」と書いた人が多かった

 

嫌いな国がソ連や中国なら、解らないでもない。

しかし、日本から遠く離れた東欧も少なくはなかった。

 

東欧諸国が嫌いな理由は「共産国である。それだけ。」

 

西側の自分たちからして見れば、違和感が無かった。当時は冷戦でその様な意見は至極当然な気がしていた。

 

しかし、冷静に考えると先程、自分が書いた「カナダ(北米)が嫌いである。理由は「初期NATO加盟国だから。それだけ。」と書いた事と何も違いはない。

 

西側陣営の目線で見れば、可笑しい事の様に感じるが、東側陣営の目線で見ればこの意見、至極当然である。

 

カナダ(北米)を嫌う理由としては薄っぺらく、内容が無さすぎると思う。

 

共産国だから、東欧諸国を嫌う事もこれと全く同じで内容なんてない。

 

東西冷戦には、互いに憎しみ合う真っ当な理由などない。

 

西側が作った映画のソ連人の描き方が、今でも不快に思える。007にしてもロッキーにしても、ソ連人が鬼、悪魔のように描かれている。ソ連の独裁者ではなく、一般市民のキャラクターが鬼・悪魔として扱われている。

 

日本人目線でみれば非常に不愉快でモヤる。

 

あれは西側のプロバガンダではないのか?

 

作品のダイナミックな構成やアクションはとても良いのに、差別を煽る人物描写の為、大なしである。

 

更に不快に思えた事は、ソ連崩壊後にも関わらず、ロシア人をいつまでもソ連人扱いする事。ソ連なんか崩壊したのだからもういいじゃないかと思う。いつまで差別を煽るのか。

 

西側によるソ連人を馬鹿にする映画に不快に思う人は、自分と家族以外には見当たらなかった。

学校の同期の輩は、その件に関しては「考えた事が無かった」と言っていた。

 

こいつらとは友達になれない。オマエみたいな奴と仲良くしてやってるという態度がいつも鼻についていた。そしてお前は変わり者だといつも糾弾されていた。

 

西側の初期NATO加盟国らは、ソ連人に親を殺されたように憎む。

 

自分が学校の同期らを憎悪する理由の方が深い。

 

西側がソ連を嫌う理由は、自分がカナダ🇨🇦(北米)を嫌う理由と同じで実に内容が無い。

 

寧ろ自身の戦争体験や、身内の戦争体験などでソ連を嫌いになった日本人の方が余程ソ連嫌いである。領土問題なども関係して、日本人がロシア・ソ連を憎むには真っ当な理由がある。

 

ロシアビヨンドも、初期NATO加盟国が作る映画作品に対しては非常に遺憾であると書いていた。当事者の立場としては、遺憾を通り越して憎悪になるだろう。

 

 

西側がやたらロシア・ソ連を悪魔というので、逆に興味を掻き立てられた。

 

ロシアやソ連の人ってどんな人達なんだろう?と異常に気に障り出した。

 

ロシアは、とても寒い北国であり、顔の薄い、色白の長身美人、容姿もそうだが、気の強い所なども含め、自分と非常に掛け離れてるので余計、魅了された。

 

ロシアは謎の国という僻地感がとても自分を魅惑する。

 

北欧やカナダ(北米)やアラスカやグリーンランドも自分とは正反対で非常にかけ離れた生き方をしているようだが、何よりもロシアだった。何故ロシア?その理由が分かれば、今でもこんなにロシアに縛られずに済む。

 

ロシアに縛られ過ぎて、切実に辛い。

 

取り憑かれてんな本当に。

 

自分は南洋ネシア系の顔つきで彫りが深く、濃く派手な顔立ちである。肌色も褐色である。性格が柔和で大ざっぱ。愛想が良い訳ではないが不機嫌でもカドが立たず、自分の意見を言っても相手は怒ったり傷ついたりしない。発言に影響がない。人徳だと言われるが、自分ではそれが嫌だ。怒れない性格で、報復も出来ないので、よく虐めにも遭う。

 

一番自分に似合わない国。それがロシア。そしてそれがロシアの魅力だ。

 

もし自分が今、嫌いな国は?と街頭でインタビューされたら「今はロシア」或いは「今はイスラエル」と答えると思う。だから非常に複雑である。

 

嫌いな国でいの一番に「カナダ(北米)」とはまず答えないだろう。これはたまたま、SUM41のカナダ(北米)ツアー記念の帽子が手元にあったから、しょうがなかった。しかし、カナダ(北米)嫌いの理由は本当である。

 

とはいえ人に言う程カナダ🇨🇦(北米)を嫌いでもない。正直なところ別にどうでも良い

 

 

共産主義の対義語はなんだろう?と考えた。民主主義?資本主義?EU?NATO?

 

答えは解らない。

 

では共産圏の対義語はなんなんだろう?

西側?EU?NATO?

 

共産圏という言葉には、軍事的な意味合いも含まれる。

 

共産圏の対義語は、NATOという結論が出た。西側の自分らにとって「共産圏」というのはパワーワードだが、東側の彼らにしてみれば「NATO」というのがパワーワードなのだろう。

 

共産圏にしてみればNATOが脅威なのだろう。

 

だからといって隣国を侵攻して良いという理由にはならない。

 

ウクライナ侵攻よりも5年以上前の、プという禿爺の「熊と同志」というスローガンが大好きだったが、それはもう昔の事になってしまった。その頃の熊は呆れて消滅してしまった。

 

プ爺というボケ老人の身勝手な暴走。だれかこれを引き留めてくれと思うが誰も止められない。

 

先日のコンサートホール・テロ事件の犠牲者の近親者が、テレビのインタビューに答えていたが、彼女は、プ爺=国営メディアの言うようにウクライナの仕業だと信じていて、米国や英国が裏でテロ支援をしていると本気で信じているように答えていた。

 

テレビインタビュー用の、プ爺政権向けの台詞だったのか、彼女の本音だったのかは分からない。

しかしこれを見て思ったのは、人というのは近親者をテロや戦争で失う程の、非常に哀しい体験をすればする程、このようなプロパガンダに洗脳されやすくなってしまうのではないかと思われた。

長文のご精読をありがとうございました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする