斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

給湯器のリモコンの呼び出し音が突然鳴り出した

2023年09月28日 | 日記

約一週間前の深夜24:30頃、ガスの給湯器のリモコンが突然鳴り出した。

 

始め何の音かよく分からなかった。何か変な音が鳴ったような気がするが、スマホのSNS音だろうと思ってまた寝た。

 

30分後くらいに今まで聞いた事がない音が台所の方で急に鳴った。音の出所は解った。ガス関係の機器の音だ。ガス漏れの可能性がある!!

ヤバい🔥

 

寝ぼけ頭で、そのまま毛布を持って給湯器リモコンの側、音の出所に急行。給湯器のガス漏れ警報音だ🚨その3分位後に、そのリモコンから鳴った。表示には呼び出し中とあったが、これは警報なのではないか?

 

しかしガス台の上にあるガス警報器は鳴っていない。

 

ガス漏れはここではなく、風呂場🛁だ!!!

 

風呂場に急行。毛布でガスを扇ぐつもりであった。寝起きで頭がおかしくなっていた。

覚悟をして風呂の戸を開けたが、ガス臭は無かった。

 

この瞬間が一番怖かった。

 

ガス臭はなくても、放っておくと家の中に充満して一酸化炭素中毒になりかねない。

 

風呂場の換気扇を回した。

 

30分後くらいにまた警報音が鳴った。

 

ガス漏れ車呼ぶべきだが、ガス車の番号分からない🚨

 

どうしよう😨

 

そして3分後、また警報音。今度はひどい鳴り方だった。もしかして、これガス漏れ関係なく電気機器の単なるぶっ壊れ?

 

だと良いんだが

 

そしてスマホでググる。

 

定期的に警報が鳴るという現象は、電池切れ🔋の可能性がある?!

 

機器の電池切れか。

 

それにしてもうるさい。近隣に鳴り響いてないか?

 

隣や上の階から今すぐに苦情来るかも。

 

朝、警報音一晩中響いてて眠れませんでしたの張り紙があったら怖い。

 

ドア開けて外に出ようとした瞬間殴られるとか考えてしまう。

 

電池はどこに入れてあるのかわからない。

 

その形式をググると、それは電池式ではなかった。

 

やっぱガス?もしガスや一酸化炭素漏れだったら、台所にあるガス漏れ警報器が作動しても良いはずだが、リモコンの呼び出し音しか鳴らず、警報器として存在する台所の警報器が無反応だった。

 

どういう事だろう?なんで呼び出し音が鳴るんだ?

 

リモコンも呼び出し音兼警報という事にせず、警報は警報という事にして欲しい。意味わかんない。

 

しかし、そういう設計かどうかも知らない。

 

本当に意味わからん。呼び出し音は、意味無かったりして。それにしてもうるさい。

 

でも全くガス臭さなどないし、その時は真夜中なのでガスの使用をしていない。

 

呼び出し音は、スマホの地震速報のような怖い音ではなく相鉄線が駅に接近する時のメロディーのように穏やかだったが、定期的に鳴られてはうるさい。

 

寝られない。

 

朝になっても定期的に鳴る警報音は止まらなかった。

 

明るくなったので空気の入れ替えをした。

 

その後そのままこの状況で会社に行ったが、会社なんかに来て良かったのか?

 

と思い始めるようになった。

 

会社に行ったは行ったけど、昼までで帰ってきた。

 

帰ったら何事もなく、家は無事だった。

 

冷静に考えればガス給湯器は家の外にある。昨晩換気扇回したり毛布持ち歩いたりアホな事ばっかしてた。

 

台所のガス漏れ警報器も作動するはずもない。

 

ガス会社にお客様窓口経由で電話した。

 

ガス会社の人が来た。

 

ガス会社の人に調べて貰ったらガス漏れも水漏れも無かった。

 

リモコンの誤作動だと言う。リモコンはノーリツ製であった。お風呂が沸いたときメロディーが流れて「お風呂が沸きました♨️」と言うやつ。

 

ガス漏れじゃなくて本当に良かった。

 

リモコンの誤作動の原因は経年劣化との事。

 

この給湯器は製造から26年も経っている。リモコンも当然経年劣化をしている。それで誤作動が始まったのだと。これはリモコンだけの問題だったと言う。

 

給湯器は26年経っても、危ないとかおっかないとかは無いと言う。26年前の給湯器も現在の給湯器も、安全装置の数は同じだという。

壊れて止まってしまって、お湯が出なくなるという事はあるらしい。

 

更にガス会社の人は、リモコンが勝手に呼び出し音が鳴る現象について、超常現象とかオバケとか言う客が多いと言っていた。

 

音の応急処置として、親機(風呂場にあるリモコン)の配線を抜けば鳴らなくなるという事で配線を抜く作業をして貰った。

 

ガス会社の人が帰った後、昨日寝てないので爆睡しようかと思って横になってウトウトしていると突然、鳴らないと言われたはずのリモコンが鳴り出した。

それで目が覚めた。

 

ガス屋何やってんだよ!

 

睡眠妨害されてめちゃくちゃ腹が立ちました。

それで即攻さっき来た業者の携帯に電話☎️

 

お前何しに来たんだよ!!

 

と怒鳴りたかったが、それが出来ずに状況を淡々と話す。

 

明日の午前中、親機の配線を入れて子機の配線を抜きに来ると言う話になった。

 

親機(風呂場)が先に呼び出し音が鳴って子機(台所)が連動して鳴るという仕組みなので親機を黙らせれば子機も黙るという事になると思ったらしかった。しかし26年も昔の設計だと現在の設計とは違ったらしい。

 

安全装置の数が同じでも安全装置も劣化してるって事ですよね。

 

給湯器26年以上使ってるのでこれから先、ガス漏れが絶対にないとも限らない。

 

普通10-15年で寿命という。

 

マンションの前の住人が購入した。

 

26年。給湯器が老朽化しているのは本当に怖い。

 

リモコンの親機が鳴らないのに子機が勝手に鳴ってる。

 

なんで勝手に鳴るんだろう?相変わらず定期的に30-3-30-3分。

 

今夜も寝られない。やかましいナイト🌃

 

ガス漏れではないと分かっただけでも安心して眠れるが今度はただただうるさいだけで眠れん。

 

しょうもない😣

 

親機も子機も給湯器に連動している。親機を電気的に寸断したとしても、通電している子機が給湯器に連動している以上、延々と鳴り続ける。

 

やかましい!

 

よく考えるとこれは給湯器自体に問題があるから鳴るのではないか?やっぱり警報と同じ。

 

決してリモコンの誤作動ではない。

 

誤作動だったらいつまでも定期的に鳴るわけがない。

 

これ以上給湯器でお湯♨️を使うのは危険だという警報のような気がしてきた。

 

シャワー🚿浴びるのが怖い。

 

 

 

単なるリモコンの誤作動という事で片付けられてしまった。

 

また何かで電話したら、今度は超常現象とかオバケとかで片付けられるのだろうか?

 

ずいぶんと舐められたものだ。

 

自分て結構、なあなあに丸め込まれたり、穏便に済ませられたり何かと舐められやすいと思う事が多々ある。真摯に向き合う事なく片付けられる事が多い。

 

良い人ぶってる訳ではないけど、自分の物腰の柔らかさとか当たりの良さが舐められる一因ではないかと思える。馬鹿のお人好しっていうか。

 

こちらがもっと真剣にヤバさを伝えなければ笑って済まされる。怒号を上げても良かったはずだ。

 

リモコンの音の鳴るスピーカーに防音として布テープを5重にして耳栓をして寝た。

 

鳴っているのは分かったが、うるさくはないので眠れた。

 

給湯器自体取り替える事に決めた。冬になってお湯が出なくなるのは嫌や🤢それにガストラブルが怖過ぎてマトモに生活が出来ない。

 

翌日の昼にガス会社にまた電話。今まで書いてきた内容を全部話して、ガス給湯器を一式取り替えたい旨を話した。

 

明日の午前中に伺いますとの事。

 

警報音はおさまって全く鳴らなくなった。

 

翌日、ガス会社の人が来た。一昨日とは違う作業員。

 

見積もりを頼んで持ってきて貰い、注文した。

恐ろしい金額だった😱ヒョエー

 

給湯器を調べて貰い、問題のある箇所の部品を交換して貰った。

 

やっぱヤバかったんやん!!!

 

給湯器一式交換という条件のもと、今日の作業費は免じて貰えた。

 

お風呂を沸かしてもお湯を使っても大丈夫だと言われ、その日はそれを信用して風呂に入った。

 

ガス臭さや、爆発音のような異音は一切無かった。

 

後日、ガス会社から連絡があり来週工事に来るとの事。

 

給湯器の件は一安心♨️

 

しかしこの恐ろしい金額💰安全には替えられない。

 

ガス緊急車の電話番号を探したら辺鄙な所に貼ってあった。普段目に付かない側の冷蔵庫の側面にあった。掛かっているエプロンの下になっていた。

 

それを目につく場所に貼りかえた。

 

ガス漏れ、自分だけは大丈夫だと思っていたからだと思いました。

 

平和ボケなんだなぁ

 

日々緊張感を持って生きなきゃなぁー

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遊牧民と産鉄について

2023年09月06日 | 遊牧アディクト

タタラ製鉄について、とても不思議に思うことがある。タタラ製鉄のタタラの語源とは何だろう?

 

タタラ製鉄について

タタラ製鉄とは、日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法。炉に空気を送りこむのに使われる鞴(フイゴ)が「タタラ」と呼ばれていたために付けられた名称である。

 

タタラという呼称そのものの語源については不明であり、確実なことはわかっていない。

 

一説によれば、サンスクリット語で熱を意味する「タータラ」に由来すると言い、他にもタタール族を介して日本にもたらされたためとする説がある。

 

他にも大和言葉に語源を求める説もあり「叩き有り」からの訛化、簡略化であり「踏み轟かす」の意、とする文献が存在する。

《参照: Wikipedia

 

自分的には最後の大和言葉説が最も有力だと思うが、浪漫を追うなら「タタール族」説を推したいと思っている。

 

騎馬遊牧民には製鉄技術を持つ民族がいる。

NHKオンデマンドで過去のNHKスペシャル「アイアンロード〜知られざる古代文明の道」を見た。

 

ユーラシア大陸には東西を結ぶ道がある。ひとつは「シルクロード〜絹の道」と言われるローマから日本列島に至る道である。

 

シルクロードは紀元前2世紀から15世紀半ばまで活躍したユーラシア大陸の交易路網。ひたすら砂漠地帯を通る道である。オアシスロードとも言われる。

 

 

もう一つは「アイアンロード〜鉄の道」と言われるトルコ🇹🇷アナトリアから日本列島に至る道である。ここは草原地帯を通るため、ステップロード、草原の道と呼ばれている。シルクロードよりも古く紀元前24世紀頃から始まり、紀元2-3世紀に鉄の製造技術が日本に到達した。製鉄技術が通った道である。

 

シルクロードは文化の通り道に対し、アイアンロードは鉄器、つまり武器。

国家間の争い、国の興亡に直結する。

 

トルコ🇹🇷アナトリア地方カマン・カレホユック遺跡で紀元前24-23世紀、人類初の鉄の製造が始まり、ヒッタイトスキタイ匈奴(キョウド・フンヌ)と製鉄技術が伝播して行った。

 

万里の長城を挟んで

スキタイ朝鮮日本

 

と日本に伝わってきた。日本はまだまだその頃弥生時代。

 

紀元前17世紀にアナトリアの荒野にヒッタイト人が建国し、鉄を量産する。この荒野がかえって鉄を作るのに適した気候条件であった。絶えず強風が吹き、炉の高温を保つのに都合が良かった。

 

*人類初で製鉄を行ったのはヒッタイト人ではないとする説もある。

 

当時、鉄は青銅製の武器よりも硬く青銅を簡単に折り砕く最強の武器だった。

鉄は戦略兵器と言っても過言ではなかった。

ヒッタイト人は当時最強の大国エジプトと核外交のような外交戦略で鉄を利用し、平和条約を結んでいる。

 

紀元前12世紀、鉄の量産はスキタイ人へと移る。スキタイはアルタイ地域という、現在のロシア🇷🇺カザフスタン🇰🇿中国🇨🇳モンゴル🇲🇳4つの国が交わる地域にある。

 

スキタイの人々は金工を得意とし、金工装飾馬具や金工装身具などの芸術を残している。

鉄も熟知し、鉄の薄い刃、槍なども鉄器化していた。

 

そして最も優れた発明は、戦いの機動力を上げ移動革命を起こした馬具の銜(ハミ)

馬の口に装着し、馬をコントロールし、長距離の移動を可能とし、戦闘を有利にさせた。

これを利用した騎馬スキタイ軍は当時の歩兵強大国ギリシャ帝国を撃退した。

 

紀元前3世紀、産鉄技術は万里の長城を挟んで匈奴と漢に分かれる。

匈奴は冒頓単于(ボクトツゼンウ)の時代に12基の製鉄炉を持ち、漢を圧倒し前漢の初代皇帝劉邦を苦しめた。弓矢🏹の鏃(ヤジリ)に強靭な鉄を用いていた。

鏃は製鉄炉にて量産していた。鏃は甲冑を貫き、一度刺さると抜けにくい形をしている。

 

その後漢は、前漢全盛時代の武帝の時に高炉、そして強靭な鉄を生む炒鋼炉を作り出した。そして対匈奴戦争を開始し、匈奴に勝つ。

 

日本では朝鮮半島から稲作が伝わり、鉄器が入って来て農具や武器になった。その頃日本に伝わった製鉄技法が「タタラ製鉄」と呼ばれる。じきに村同士の戦争が起こるようになり、国が出来ていった。

《参照: クマケア治療院日記》

 

騎馬民族は製鉄と切っても切り離せないという事が解る。

 

鉄を制するものは世界を制する。

 

中央アジアのウズベキスタン🇺🇿やカザフスタン🇰🇿などでは、金工アクセサリーや銀工アクセサリーの制作が現在でも盛んだ。

モンゴルにおいても、女性が金属で飾り立てている。遊牧民と金属の関係の深さが窺える一端である。

 

それらは装飾馬具文化と元が同じだということも想起出来る。

 

 

 

話は始めに戻って、タタラ製鉄の語源の話。

 

前前回のブログに、テムジン(チンギスハーン👑の本名)という名前は「産鉄」を意味する。と書いた。

 

テムジンはテムルチ、すなわちモンゴル語で「鉄を作る人」「鍛治職人」の省略形になる。

《参照: AI技術でウマ娘と化したオゴイ》

 

実際にチンギス=ハーン🐺🦌は鍛治職人だという🔥🗡️⚒️🔨🛠️🔥

 

チンギスハーンを表す言葉として「鉄の音」と称する書簡も存在している。

 

対外文書の中からモンゴル帝国の首都ハラホルム(カラコルム)を訪れた修道士ブルクが12547月に帰国する際、当時の大ハーンであったムンケ=ハーンからフランス王ルイ9世に宛てた服属呼びかけの文書の中にそれはあった。

 

「永遠なる神の命なり。天上には唯一の永遠なる神いまし、地上には唯一の君主チンギス=カン、神のみ子、テムジン=ツィンゲイすなわち「鉄の音」あり……

《参照: モンゴル帝国時代におけるハーンたちの世界観について ソーハン・ゲレルト》

 

これから見ても解るように、モンゴルの遊牧民の間でも産鉄が盛んであった。やはり鉄を制するものは世界を制する。

 

満蒙およびシベリアの鉄器文化も極めて古い。

製鉄技術の源流地とされる中央アジアで鍛鉄奴隷であったトルコ系民族の*突厥(トッケツ)、いわゆるダッタン人が、放浪のままに鉄冶を広めていったと言われている。このダッタンの語源であるタタールが転化して倭国の製鉄炉を「タタラ」と呼ぶようになったとも言われている。

《参照: 「たたら製鉄」と「鉄穴流し」による山地の荒廃と土砂災害 一般財団法人 砂防フロンティア整備推進機構 砂防フロンティア研究所長 森俊勇》

 

 

突厥: 6世紀頃に強大となったアルタイ山脈を本拠地とするトルコ系騎馬遊牧民の国家。

突厥ははじめ柔然に服属していたが、優れた製鉄技術(アルタイ山脈は鉄鉱の産地であった。)や「草原の道(アイアンロード)」の交易の利によって力を蓄え木汗可汗(ボクカンカガン)のとき柔然を滅ぼし(555)、ササン朝のホスロー1世と結んでエフタルを滅ぼして(567)、モンゴル高原からカスピ海に至る大帝国を樹立した。

《参照: 世界の歴史まっぷ 内陸アジアの新動向》

 

ちなみにカザン・タタール人が話すタタール語というのもテュルク系言語だ。

テュルク語というのは突厥語を指す。カザン・タタール人は自称タタールの集団であると言われていて、本物のタタールは東タタール、つまり現在のモンゴル族を指す。

しかし、突厥はダッタン人=タタール人という事は、カザン・タタール人はまんざら自称タタールでもない。

 

西タタール(カザン・タタール)と東タタール(モンゴル族)との関係とは。

 

「タタラ製鉄」の語源はやはり「タタール製鉄!」

 

大和言葉によるものではなく、これであると信じていたい!

 

タタール人はやはり産鉄民族だったのか!

 

今までタタールとタタラ製鉄というのが、私の頭の中で繋がらなかったが、NHKや様々な人のブログや論文の助けもあって繋がることが出来た。

 

この複雑な内容を分かりやすく纏めるNHKの凄さ。

 

草原の道(ステップロード)がアイアンロード(鉄の道)とも言われている事も分かっていたが、その繋がりも良く解らなかった。

 

なるほど!そういう事なのか。

 

中央アジアに金工モノがやたら多い事や、タタラ製鉄という呼称、テムジン=産鉄、金田ホト(カネダ=カナダ)の宿営地集団、馬塚の埋葬品(金属性の装飾馬具)…..

 

これらの関係が全て関連していた。もしかしたらモンゴルの「アルタン」人名・地名の由来も遠くない理由かも知れない。

 

「草原の道」は奥が深い。

 

自分が遊牧ネタに足を染めた頃、「草原の道」を自分の守備範囲にしていた。

「カルガリー」という北緯50度前後にある経済特区とその周辺の大平原と美しい岩山のインスタ写真が全ての始まり。

 

私はそれを突厥の故地と呼び、理由もなく愛でていた。

 

しかし昨年の今頃、5人ぐらいから指摘を受け、「カルガリー」とその周辺、アルバータ草原及び岩山は「全て北米のもみじ国🍁」と言われ、自分の勘違いに気づき、それ以降「草原の道(ステップロード)」から遠ざかってしまいました。当時自分がステップロード(草原の道)だと思い込んでいた道は北米のもみじ国🍁の(Trans もみじ  Highway 1号線🍁)のアルバータ州からマニトバ州間(プレイリー(草原)3州という北米のもみじ国🍁内陸)でした。

 

北米大陸には産鉄の歴史はありません(現在はあるが、ここでいう産鉄の歴史とは、北米先住民の歴史を指す)

北米だけでなく中南米にも、先住民による産鉄の歴史は存在しない。

 

北米先住民にはアジア系の顔の部族もいる。先住民とユーラシア遊牧民、顔がよく似ていて、先住部族によってはシャーマンの姿など遊牧民に酷似している者もいる。

 

どこでファーストネーションズなどと遊牧民の区別をつければ良いのか?

それは、金工装飾の有無。ファーストネーションズ(北米先住民)の民族衣装には金工装飾が皆無である。

 

一旦草原の道から離れたが、紆余曲折を経て、色々な要因が重なり結局「草原の道(ステップロード、アイアンロード)」に帰って来ることが出来た。

 

やっぱ文献読み漁りは面白い。これからも文献をいっぱい読み漁りたい!

 

結局私の守備範囲はステップロード。

 

という事で長文のご精読ありがとうございました。

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「被差別部落の人権侵害投稿が最多」だそうです。これ、自分も抵触しないか心配

2023年09月04日 | 自己満

「被差別部落の人権侵害投稿が最多」

という記事がYahoo!ニュースで上がりました。自分のブログ記事も抵触しているのかとても心配になりました。

 

自分としては「被差別部落」そのものをネタにするつもりで「部落」に触れたのではなく、江戸期の鎖国以前からある歴史的な異民族による移民集落について調べていたらそこが「被差別部落」でした。

 

別に「被差別部落」をわざわざ探していたわけではありません。

記事によると、

「ネット上で被差別地名や個人宅などをさらす投稿が後を絶たない........」

 

 

被差別部落の人権侵害 投稿が最多 - Yahoo!ニュース

 インターネット上で被差別部落の地名や個人宅などをさらす投稿が後を絶たない。法務省によると、ネット上で被差別部落などを示し、人権を侵害する事案は増え続けており、...

Yahoo!ニュース

 

カルガルちゃんねるとしては、被差別部落地名をふんだんに入れ過ぎていたという自覚があり、部落の場所を晒していたという自覚もあります。

 

このブログはまだ人権団体からの摘発を受けておらず運営からの警告もまだされていません。

 

この記事を受けて、その被差別部落のある都道府県と市町村などの自治体を削除しました。

 

この部落の地名は幸いそんなに珍しい地名ではないので、都道府県・市町村を晒さなければ非常に特定の難しいものとなります。

 

この集落は被差別部落であるような示唆を一部行っていたので、その内容の文章も削除しました。

 

何度も言うように、自分は「被差別部落」というネタで書いたものではありません。

 

歴史的異民族集落を実踏した結果、そこが被差別部落である事が判明しました。そういう場合には、被差別部落の人権問題に抵触するのでしょうか?そしてそこは「同和部落」ではありません。

 

この集落を実踏するまでは、ここが実際被差別部落である事が解りませんでした。

 

被差別部落というのは同和部落だけかと考えていましたが、それ以外にも様々な被差別部落の種類が存在するという事実も知る事が出来ました。

普通に生活していれば知ることが出来ない問題に気づく事が出来ました。

 

江戸期の鎖国以前から続く異民族の移民の集落という事で、それがどういう事か深く考えず、半ば興味本位で首を突っ込んでしまいました。

 

その様な民は幸せに、周囲の日本人と調和して暮らしているものと勝手に考えていました。

しかし実際に見てみると、現実はそうではない。

 

衝撃的な事実を突きつけられたというのが正直な感想。

 

集落の民が外側からは見えない制度に縛られる生活を余儀なくされているのかもしれない。

 

鎖国以降、この集落の民はどのような歴史的経緯を辿って、果てには被差別部落という形になってしまったのか、想像に難くはない。

 

この集落の話は東南アジアや中東などの話ではなく、日本でこういう事が起きているのかと非常に衝撃的だった。

 

この部落は解放されているのか、いまだに開放されていないのか、私などには判断がつかないが、

 

解放されたからと言ってすぐに変わるわけではないと感じた。正直な話、日本の深い深い闇が垣間見えた。

 

日本に人種差別はないと思っていた。日本の人種差別は関東大震災から始まったと思っていた。

 

「日本は単一民族の平和な国」という本当の意味が解った。

日本は単一民族だから平和なのである。正確にいえば日本は単一民族だという事になっているから平和なのである。

異民族に、倭人である事を強いたのである。というか倭人にしてしまった。

 

徳川時代が長く続いたのは、反骨分子と異分子をことごとく粛清したから。

徳川を頂点とする世を築く世では「神」を頂点とする異分子、キリシタンを大虐殺した。

これと同じように、倭国全土に住む異民族をことごとく浄化していた。という事実もある。

異民族は徳川にとってそれだけで反骨分子と見なされていた。

倭人の政権が気に食わない異民族に政権を取って変わられる事を徳川幕府は恐れていた。

 

倭人である徳川家が天下を取ったから、現在の倭人は主流民族として存在出来ている。それを忘れてはならない。

徳川家は当時なりの倭人の平和の為に尽力した。まさに平和の為の戦争。

私達は倭人として徳川家に感謝すべきか?

極論すれば、徳川家のやっていた事は現在の中共が新疆ウイグル自治区や内蒙古やチベットにやっているような弾圧と同じ事を

倭国内の異民族にやっていた。

 

日本の平和とはどこから来たのか?日本の平和は虚像なのか?

それらをよく考える機会が、この被差別部落との出会いによって与えられた。

 

戦国期以前の日本は、倭勢力だけではなく、様々な民族的勢力がそこらへんで抗争していた。

大名と言われる勢力は覇権主義の戦争をしていた。至る所で戦をしていた。

 

当然異民族集落というものはそこら辺に存在していて、未だにその残骸があっても不思議ではない。

学校教育では、日本人は縄文人と弥生人の交雑で、それ以降は混血のない単一民族のまま現在に至ると言っている。

最近の本では、日本人の遺伝子検査の結果、縄文時代から何も変わっていないという事を言っている。

 

私は、この手の気持ちの悪さをどうする事も出来ない。

 

被差別部落の中には、異民族部落もあって

徳川時代の途中から内蒙古などのように弾圧され、浄化され、倒幕後の新政府になれば「部落」として平民として扱われず

未だに当局から様々な制度で縛られ、行政からも不当な扱いを受けている所が多々ある。

 

だからそのような部落に対して「知らぬが仏」という問題ではなく、知るべきだと思う。だからと言ってむやみにそのような部落を晒して良いというものではない。

 

このブログにて、晒し過ぎた事を反省している。

 

これからも歴史的遊牧ホトを探していくつもりではあるが、あの部落同様、この問題とぶち当たる事は覚悟しなければならない。

これからも、場所の特定などが出来ないように気をつけて書きます。

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