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ある日突然『あなたガンです』って言われてビックリ…。
子宮頸ガン0期で円錐切除したkaorieの経過観察中の日記です。

ムーンライトセンセーション…懐かしすぎる

2019-11-23 | 日記

こんにちは。kaorieです。


料理をしているときとか暇なので?鼻歌歌ったりしているんですけど…
普段好きな歌は最近のでも、鼻歌だとビックリするくらいに古い歌を歌ってたりしません?笑

私だけか?


んで、ほぼほぼ無意識に歌っているにも関わらず二番まで歌えちゃってたりするのよ。さすがアラフィフ。


このまえ歌ってた歌がそうで『…なぜ私はこんなにもこの歌を知っているのだ。。。』と思って。


田原俊彦さんが好きだったんですけど、これたぶんアルバムの曲で…アルバム持っていなかったのにどうしてだろう。

曲名もまったく覚えていなかったのでダダッと歌詞を入力してググってみたらヒットした。ありがとうGoogleさん。


ムーンライトセンセーションっていうらしいです。笑
わかっても全然『あ~!!!』ってならなかったので知らなかったのかしらね。いや忘れてしまったのかなぁ。


音源ないかなぁって思ったらYouTubeにあげてくれてる方が。当時のままの声が聴けるとはすばらしい世の中だよマジ。


田原俊彦 1980年の曲全集



最後のほう、1時間21分くらいから入ってます。
画像が月と海のところです。


ひっさしぶりに聴いたら…音の感じが時代だった。笑
そしてトシちゃんは、超絶歌がヘタだった。。。ごめんなさい田原さん。
今はすごくうまくなってるもんね。甘い声はそのままで。40年も歌い続けているなんてすごい。

当時、このへたっぴなところも好きだったんだよなぁ。

いや~この曲はまだいいんだけど、ちょっと前のやつヒドかったわ~。笑
懐かしくて何度も何度も何度も何度も聴いちゃった。

で、思い出した。
ラジオを聴いてたんだ。録音して何度も聴いて覚えたんですねきっと。
ご本人の番組で、アルバムの紹介しながら何曲か流していたんだった。懐かしい~。
イントロのところで声が聞こえるとか…そんな話をしていたような。


なんか懐かしすぎて泣けてきてしまいました。


遠い昔から届いた歌声は、忘れていた時代の空気をたくさん運んできてくれた。


あの時は時間がこんなに早く過ぎるなんて知らなかった。
時代がこんなふうになるなんて知らなかった。


ちょっとだけでも戻れたらいいのにな。ほんのひとときでいいから。

あ、父はときどき戻ってそうだけどね。
でも当時の父はめっちゃ怖かったからな。今はすっかり可愛いおじいちゃんになってしまった。。。


さて、もうちょっと聴こうっと。( ´艸`)

華やかなパレードの中に違うものを見ている父…脳内の混沌を知る

2019-11-13 | 日記
こんにちは。kaorieです。


毎日飛ぶように過ぎていきます。まだ師走じゃないのに…。(´;ω;`)


前回の通院の時はとても冴えたところを見せてくれた実家の父だったのですよ。
でも先日天皇ご夫妻のパレードをテレビで見ていたとき、認識が著しく低下していることがわかり静かに落ち込んでいます。はい。


認知症とかアルツハイマーのことは最近勉強し始めたばかりなのできちんと理解できているかわかりませんが、父の場合はけっこう調子に波があるようです。母がいつも言ってるし。


母が仕事だというので、実家に顔を出したときのこと。
父は、もう散歩を済ませたんだと得意そうに言ってました。
最近は一人で家から2キロほど離れた大きな公園に散歩に行っているというのでちょっと安堵しました。
もう何度も行っているようですが、きちんと迷わずに往復できているようなので…。


ところが、一緒にテレビを見ていたら父の混沌とした脳内の様子を垣間見ることになってしまいました。
記念のパレードを見ようということになってテレビを見ていたのですが…。


まず美智子さまと雅子さまの区別がつかないというか…元号が代わったからパレードするんだよなと言いながらも雅子さまを美智子さまだと思ってしまうのです。
違うんだよって修正しても秒で戻ってしまう。

父の中では今の年齢の両陛下が理解できないみたいなんだよね。

自分の一番知っている年ごろの上皇ご夫妻を、今の天皇ご夫妻に重ねてしまうみたいで。ついでに時代もあいまいになってくるみたい。


あとね、パレードが始まる前からテレビを見ていたんだけどそういうときって画面に字幕が出っぱなしになるじゃない?

『まもなく祝賀御列の儀』とかそういうやつ。


それを見るたびに『あの字はなんて書いてあるんだ?』と聞いてきて『はぁ~しゅくがおんれつのぎ、なんだな…。』
で、この御列の御はなんで『み』とか『ぎょ』とか読まないんだろうっていうのがその日の大きな関心ごとだったみたいで。
濁った音はそぐわないのかなぁとか、おんって読むのは最上級の敬意を払ってるからだろうとか言うの。今日はそこなんか…って思った。


んで…それこそ、その字幕を見るたんびに同じこと言ってたわ~。笑
鬼リピどころの騒ぎではないよ。。。
でも少しずつバリエーションがあったりするので、仕方なくそこを心の中でチェックしたりしました。落胆しながら。

何度も出てくるコメンテーターの人を『あ、この人見たことある』(あたりまえだ…さっきも映ってたから)と言ったかと思えば『おお~〇〇さんか。久しぶりだ。』と数分前に見たばかりの人に向かって言ってみたり。もうめちゃくちゃでした。


これは確かに母がキーッッてなっちゃうのもわかる。


違うでしょ!さっきも出てたでしょ!忘れちゃったの?ダメだよお父さん!

キーッとなりながら叫ぶ姿が目に浮かぶ。。。


でも父は忘れているんじゃないのだ。

さっき見たものがすっかり抜け落ちてしまうから、何度も何度も初めまして…の経験なんだって見ていて深~く納得した。


ああいう動きの少ない映像を見ていると、心に刺さる事項が少ないから余計にすぐ抜け落ちてしまうんだろうか。

なんかイメージとしては、同じところをぐるぐる歩いていて途中て穴に落ちると全部なくなってしまう…穴から出ると最初の場所に戻ってるみたいな。

だから初めに戻ってまた同じものに興味を持ち、似たような感想を繰り返し述べる。無限ループだよね。


あのきらびやかで厳かなパレードを見ながら『これはここに出ている人にとっても一生に一度しかないものすごい体験なわけだよなぁ。一生忘れられないなぁ。』と何度も何度も言ってた。


そうだね。歴史的なすごいできごとだよね。お父さんは一緒にみたことずっと覚えていてくれるかな。
私と一緒に見たなってあとから思い出してくれるかな。
こんな大きなできごとも、全部落ちていってしまうのかな…。


その姿を見ていて父の中の混沌がものすごくすとんと胸に落ちてきました。

そんなふうに、とっちらかった中で困惑しているんだね。


過去の映像とかが入れ替わり立ち代わり流れると混乱し、人物やものごとの認知がおかしくなってしまうみたい。
だから自分のよく知っている昔の映像だとわかるみたいなんだけど、今はこうなっているっていうのがよく理解できないみたい。


これは私が勝手に感じただけなんだけど、父は目に見えるものそのまましか見えなくなっている気がします。


娘が成人式の着物をレンタルしに行ったときのこと。試着したのをスマホで撮った写真をあとから父に見せたんですね。

そしたら

『ああ、着物を見に行ったのか。』
『名前の書いたボードが写ってるから、これはもう契約したんだな。』
『係の人が写真に写りこんでるのが面白いなぁ。』

と感想を話していました。え?なんでそこ?と思いませんか?


同じ写真を母に見せたとき

『あらぁ~!そっか。もう借りに行くような時期だもんね。』
『すごくいい色!よくこんな似合う色見つけたね。』
『〇〇(娘)もすっかり大きくなって…。』

まぁ、母は同じ女性ですから目に入るのがまっさきに着物だったり娘だったりするわけですが。でもこれはしっくりくる反応ですよね。

娘のことは、父も母もそれはそれは可愛がってくれました。

そんな娘が大きくなって晴れ着を着ている姿を見たらまず感じることは名前を書いたボードのことじゃないはずです。
父は写真の中に『着物』『娘』『名前のボード』『係の人』を見つけ、それらが写っている理由を考えて言葉にしただけ。
写真の中から読みとれるはずの『成長を喜ぶ気持ち』『時間の経過を思う気持ち』を感じることができないんだと思います。

はるか昔の私の成人式や結婚式のときには、目を細めて喜んでいた父でした。
こんなに喜んでくれるなんて…と少しだけ親孝行ができたような気持ちになったものです。


あんなに可愛がってくれていた孫のことですから、本来ならその時以上に喜んでくれたはず。


悲しいです。


でも、今は悲しんでばかりいても仕方がないのでこの状態で少しでも両親が幸せになれる方法を模索するしかない。


令和の祝賀御列の儀…私にとっては忘れられないパレードになりそうです。





父は要介護1 こんなにもいろいろなことを知っているのに

2019-11-09 | 日記
こんにちは。kaorieです。


9月末に申請した介護度認定。ようやく出まして…実家の父は要介護1でした。


正直要支援以上にはならないだろうと予測していたのでちょっとショックでした。え?って感じ。
泌尿器科の病気をしているので排尿障害があるためかと思います。今はまったく介護はいらないんだけどね。

まぁ調査の時、全然質問にきちんと答えられていなかったからね~。

受け答えは一見しっかりしているんだけど、質問の意図をくんだ答えを返せない。

…にしても要介護か。サービスが受けられる範囲広がるので喜ばしいことではあるんでしょうが。


そんな要介護1の父ですが、先日かかりつけのお医者さんの診察を受けてきました。
私もパートを休んで一緒に行ってます。
父は脳とか認知症の薬は飲んでいませんが、高血圧の薬と認知症用のサプリでフェルガードというのをもらってるんです。
母によると父は日によって状態が違うらしいんだけど…この日はとても意識がクリアだなと感じました。

思い込みをしてしまったりとかものごとがすっかり抜け落ちるとか、そういうことはいっぱいあるんだけど…。
でも、もともと父は人一倍知識欲がある人で本当に物知りなんです。とても悔しい。


診察は特に何かをするわけではなく
『〇〇さん、どうですか。身体の調子はいいですか?』
『まぁ、そうですね。変わらずです。』
こんな感じで…それこそ秒で終了でした。
高血圧は良くないからもう少し薬を変えて様子を見ましょう、くらいで。
患者の家族としては思いっきり物足りないですけど、この場合変化があるということは悪化するということなので…。


あっという間に終わったのはいいけれど…送迎バスが終わってしまったのでバス停まで歩くことになりました。
ここ、駅から離れているのがちょっとね。

バス停に着いたけど、バスはまだしばらく来ない。
母は疲れたと言ってちょっと離れた場所で軽く腰かけていたので、父と二人でバス停でしばしのんびり。
けっこう大きな道なので、いろいろな車が切れることなく通り過ぎていきます。

すると父が

『あのトラックの会社知ってるか?』と突然言い出します。
『あ~よく見るけどね…。』そのトラック、ちょっと読み方に迷う会社名が書いてあったんですね。
『あれは〇〇運送っていうんだ。この辺の地元の会社でな、たくさんトラック持ってるんだよ。』
『へぇ、そうなんだ。知らなかった。』
仕事をしているころ、頼んだことがあってよく知っているそうです。

後で調べてみたら、確かに地元の会社で読み方も合っていました。
それに関連した仕事の話をよどみなく話してた。それだけを聞いていると認知症なんて思えないんだけどな…。


天気のいい日で、バス停からは丹沢の山々がよく見えました。


父はそれを見て目を細めながら
『あの山のこっちがわに公園があるんだよ。厚木の方から来る川と、東京の方から来る川と、地元の川が流れ込んで来る川のそばにあるから三川公園っていうんだ。』
『あ~そうなの?だから三川公園(さんせんこうえん)っていうのか。物知りだねぇ。』
『じゃあ、一つは相模川だね。あとの二つはなんだろうなぁ…わかんないなぁ。』
『ハハハ…そうだな~。わかんねぇなぁ。』わりとあっさりしてますね。笑

これも後から調べてみました。

父が言っていたのは海老名市にある県立相模三川公園のことです。
三川の一つは相模川。もう一つは中津川。最後の一つは小鮎川です。
東京っていうのはちょっと違うみたいだけど、三川公園の由来はその通りでした。

意外だったのは、相模川の源流が山中湖だったことです。知らなかった…。
丹沢から来ているものだとばっかり思ってた。そんな遠くから来ていたとは。
ちなみに丹沢山系を源流にしているのは中津川と小鮎川でした。


たわいもない話だけど私にとっては大事なひとときでした。
父の過ごしてきたいろいろなことを知るための断片がそこにあったから。
身近な人こそ、本当には知らないんですよね。
今までどんなふうに生きて来たか、何を考えて来たか。


そして、最寄り駅に着いてからの帰り道。
歩きながら、母と小学生だったころの同級生の消息を話していたんです。

『○○ちゃん(同級生)は埼玉から帰ってきて新幹線のガードの近くに家を建てたんだよ。』と母が言います。
『そうなんだ!今の会社の取引先がすぐ近くにあるよ。あと別の同級生も近くに実家があると思うんだけど。』
『ああ、あの道の向かいにある会社か。あの近くに同級生いたんだっけ?』
『いた。二軒並んでるうちの道路側の家で、△△さん(姓)っていうおうちだよ。』

すると父が『△△ゆり』って言うんですよ。
『え?』
『△△ゆりだよな。』

もう一度父が言うのでギョッとしました。
そうなんです。同級生の名前は△△ゆりさんなんですけどね…。
仲良しではあったけど、いつも一緒にいた人ではなくてそこまで家で話をしたわけでもない。
母は当時は名前を知っていたかもしれないけど、もうとっくに忘れてる。


でも父は覚えてた…。40年も前のことを。何度か聞いただけの娘の同級生を。


こんなにいろいろ覚えてるのに、ゴミの日は覚えられない父。
たくさんのことを知ろうとしていたのに、さっき聞いたアイロン台の場所はもうわからない。
一度減った海馬はもう戻らないんだろうか。それに代わるものはないんだろうか。


でもね、こうやって新旧取り混ぜいっぱい話をして刺激を続けるのってすごくいいと思うんです。
何度も何度も話をして、情報と記憶を繋いでいきたいと思うんです。
若くたって年取っていたって、貴重な今に変わりはない。老化したからしょうがないなんて思いたくない。


改善できるなら少しでも…あきらめずに続けたい。

ただ力は入りすぎないようにと思うんですけどね。


アルツハイマーを改善できる特効薬、早くできないかな。。。





記憶ってなんだ…感情は残ってくれたらいいと思う

2019-11-04 | 日記
こんにちは。kaorieです。


父が認知症になってしまったので、最近『認知』『記憶』とかの言葉に敏感になっています。笑

そもそも記憶ってどういう仕組みになっているんだろう。
よく考えると、自分自身の記憶もかなり怪しいことに最近気づいた。マジで。


私がアルツハイマーだとかそういうことじゃなくって、かなり自分に都合よくというか…人間って自分仕様に
記憶に色をつけているのかも、とそういうことを思ったんですよ。


昔の歌を思い出して歌っているときに、『この人はしゃくりあげるみたいに歌うんだよね~!』と話していて
どれどれってYouTubeで当時の歌声を聞いてみたら全然違った…とかよくある。笑


あ、それから私の場合は強烈な心配ごとがあると認知機能が著しく低下してしまうみたいなんです。
娘に聞いたらけっこう『大丈夫か?』と青ざめるレベルだったみたいで。
娘が高校、息子が大学のダブル受験だったときは、心配しすぎて自分でもちょっと気づくくらいには変でした。

でも、人から見るとちょっとどころじゃないほど変だったみたい。笑

買った記憶はないのに同じものが恐ろしい数ストックされていたりとか、ティッシュ買ったのにすっかり忘れて店を出ようとして声かけられるとか…。

食べ物じゃないものを冷蔵庫に入れて忘れてしまったり、とんでもないもの(お弁当を止めるゴムとか!)をレンジにかけようとして寸前で気づくとか。コワ…。


最近はこういう明らかに変なところからは回復しましたから大丈夫ですよ。笑


先日娘の成人式の着物を選びに行ったんですけどね。
あ、レンタルにしました。購入してもきちんと保管できないのわかってるんで。いい年して情けないですけど。
気に入ったものが見つかったので良かったんだけど…その後娘は部活に行き、私は翌日実家に行くときの頼まれものを
買いに行ったんですね。


で、休日でたくさんの人が行きかう中、娘の成人式のことボ~ッと想像しながら歩いていたんですけど…


父は娘の成人式のとき、ちゃんとわかってくれるだろうか。


晴れ姿を見て笑ってくれるだろうか。


覚えていてくれるだろうか。


そんなことをつらつらと考えていたら泣けてきました。
娘の成人式まであと1年2ヶ月。
父はどうなっているんだろう…。


見たもの聞いたものがもしきれいさっぱり記憶から消えてしまうんだとしても、感情だけは残っていてほしい。
心のどこかに残っていてほしい。