kirakira-kirara

ある日突然『あなたガンです』って言われてビックリ…。
子宮頸ガン0期で円錐切除したkaorieの経過観察中の日記です。

華やかなパレードの中に違うものを見ている父…脳内の混沌を知る

2019-11-13 | 日記
こんにちは。kaorieです。


毎日飛ぶように過ぎていきます。まだ師走じゃないのに…。(´;ω;`)


前回の通院の時はとても冴えたところを見せてくれた実家の父だったのですよ。
でも先日天皇ご夫妻のパレードをテレビで見ていたとき、認識が著しく低下していることがわかり静かに落ち込んでいます。はい。


認知症とかアルツハイマーのことは最近勉強し始めたばかりなのできちんと理解できているかわかりませんが、父の場合はけっこう調子に波があるようです。母がいつも言ってるし。


母が仕事だというので、実家に顔を出したときのこと。
父は、もう散歩を済ませたんだと得意そうに言ってました。
最近は一人で家から2キロほど離れた大きな公園に散歩に行っているというのでちょっと安堵しました。
もう何度も行っているようですが、きちんと迷わずに往復できているようなので…。


ところが、一緒にテレビを見ていたら父の混沌とした脳内の様子を垣間見ることになってしまいました。
記念のパレードを見ようということになってテレビを見ていたのですが…。


まず美智子さまと雅子さまの区別がつかないというか…元号が代わったからパレードするんだよなと言いながらも雅子さまを美智子さまだと思ってしまうのです。
違うんだよって修正しても秒で戻ってしまう。

父の中では今の年齢の両陛下が理解できないみたいなんだよね。

自分の一番知っている年ごろの上皇ご夫妻を、今の天皇ご夫妻に重ねてしまうみたいで。ついでに時代もあいまいになってくるみたい。


あとね、パレードが始まる前からテレビを見ていたんだけどそういうときって画面に字幕が出っぱなしになるじゃない?

『まもなく祝賀御列の儀』とかそういうやつ。


それを見るたびに『あの字はなんて書いてあるんだ?』と聞いてきて『はぁ~しゅくがおんれつのぎ、なんだな…。』
で、この御列の御はなんで『み』とか『ぎょ』とか読まないんだろうっていうのがその日の大きな関心ごとだったみたいで。
濁った音はそぐわないのかなぁとか、おんって読むのは最上級の敬意を払ってるからだろうとか言うの。今日はそこなんか…って思った。


んで…それこそ、その字幕を見るたんびに同じこと言ってたわ~。笑
鬼リピどころの騒ぎではないよ。。。
でも少しずつバリエーションがあったりするので、仕方なくそこを心の中でチェックしたりしました。落胆しながら。

何度も出てくるコメンテーターの人を『あ、この人見たことある』(あたりまえだ…さっきも映ってたから)と言ったかと思えば『おお~〇〇さんか。久しぶりだ。』と数分前に見たばかりの人に向かって言ってみたり。もうめちゃくちゃでした。


これは確かに母がキーッッてなっちゃうのもわかる。


違うでしょ!さっきも出てたでしょ!忘れちゃったの?ダメだよお父さん!

キーッとなりながら叫ぶ姿が目に浮かぶ。。。


でも父は忘れているんじゃないのだ。

さっき見たものがすっかり抜け落ちてしまうから、何度も何度も初めまして…の経験なんだって見ていて深~く納得した。


ああいう動きの少ない映像を見ていると、心に刺さる事項が少ないから余計にすぐ抜け落ちてしまうんだろうか。

なんかイメージとしては、同じところをぐるぐる歩いていて途中て穴に落ちると全部なくなってしまう…穴から出ると最初の場所に戻ってるみたいな。

だから初めに戻ってまた同じものに興味を持ち、似たような感想を繰り返し述べる。無限ループだよね。


あのきらびやかで厳かなパレードを見ながら『これはここに出ている人にとっても一生に一度しかないものすごい体験なわけだよなぁ。一生忘れられないなぁ。』と何度も何度も言ってた。


そうだね。歴史的なすごいできごとだよね。お父さんは一緒にみたことずっと覚えていてくれるかな。
私と一緒に見たなってあとから思い出してくれるかな。
こんな大きなできごとも、全部落ちていってしまうのかな…。


その姿を見ていて父の中の混沌がものすごくすとんと胸に落ちてきました。

そんなふうに、とっちらかった中で困惑しているんだね。


過去の映像とかが入れ替わり立ち代わり流れると混乱し、人物やものごとの認知がおかしくなってしまうみたい。
だから自分のよく知っている昔の映像だとわかるみたいなんだけど、今はこうなっているっていうのがよく理解できないみたい。


これは私が勝手に感じただけなんだけど、父は目に見えるものそのまましか見えなくなっている気がします。


娘が成人式の着物をレンタルしに行ったときのこと。試着したのをスマホで撮った写真をあとから父に見せたんですね。

そしたら

『ああ、着物を見に行ったのか。』
『名前の書いたボードが写ってるから、これはもう契約したんだな。』
『係の人が写真に写りこんでるのが面白いなぁ。』

と感想を話していました。え?なんでそこ?と思いませんか?


同じ写真を母に見せたとき

『あらぁ~!そっか。もう借りに行くような時期だもんね。』
『すごくいい色!よくこんな似合う色見つけたね。』
『〇〇(娘)もすっかり大きくなって…。』

まぁ、母は同じ女性ですから目に入るのがまっさきに着物だったり娘だったりするわけですが。でもこれはしっくりくる反応ですよね。

娘のことは、父も母もそれはそれは可愛がってくれました。

そんな娘が大きくなって晴れ着を着ている姿を見たらまず感じることは名前を書いたボードのことじゃないはずです。
父は写真の中に『着物』『娘』『名前のボード』『係の人』を見つけ、それらが写っている理由を考えて言葉にしただけ。
写真の中から読みとれるはずの『成長を喜ぶ気持ち』『時間の経過を思う気持ち』を感じることができないんだと思います。

はるか昔の私の成人式や結婚式のときには、目を細めて喜んでいた父でした。
こんなに喜んでくれるなんて…と少しだけ親孝行ができたような気持ちになったものです。


あんなに可愛がってくれていた孫のことですから、本来ならその時以上に喜んでくれたはず。


悲しいです。


でも、今は悲しんでばかりいても仕方がないのでこの状態で少しでも両親が幸せになれる方法を模索するしかない。


令和の祝賀御列の儀…私にとっては忘れられないパレードになりそうです。