トラカリコン!

「虎・借り・コン!」。虎の威を借りた狐。虎の威を借りて吠える狐が私…。虎が何であるかは、本人にもわからない。

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矢部宏治著「日本人はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」を読んだ方からの、憲法改正についてのコメントをお待ちしています。 コメント受付用記事 のアドレス http://blog.goo.ne.jp/kanra-toriko/e/a08c500525a4ba2e568012c53edbaa6f

ちょっと模様替え

2015-03-21 15:51:55 | このブログについて
ブログのテンプレートを色違いに変更(春らしいテンプレートに一瞬変えたが、文字が読みにくくなるかもしれないのでやめておいた。文字下の透け具合もきれいだったので残念)。穏やかな色になったなー。

カレンダーなどの位置も変更。
見る頻度が高そうな順にした(基準は自分)。また、今のところコメントは受け付けていないので、コメント一覧の欄は消す。ブックマーク欄は自分では何も入れていないが、そのうち活かしたい。

始めると止まらない。
やっとプロフィール欄に記入。そういえば、自分の名前は紹介記事くらいにしか載せていなかった。甘楽鳥子(というここでの名前)です。「人気ブログランキング」への投票バナーなどの欄が初期設定のままだったのも編集。ああいう積極的な呼びかけでも効果がないので、こういう消極的なものに変えてもかまわないだろう。ほんとは、バナーももっと地味なもの(緑色でもっと小さい)に変えたいが。向こうのサイトに行って画像のアドレスを持ってきたりするのかな? 後日にでも。

初の模様替え。いろんなテンプレートを見るだけで眼福なので、凝りだしたらもう大変。今日はこれくらいにしとく・・・。


(以下、こっそりとここに書いてしまう)

gooブログ、11周年おめでとうございます。
こんなに簡単にとても楽しく模様替えできる機能に心から感謝しております。

使ったことも見てもいない機能はまだまだたくさんあります。余裕ができたら試したいな~。

「例のドレス」論争(「と政治」、ですよ結局)

2015-03-21 14:46:52 | 政治や経済
<1.「例のドレス」論争>

「例のドレス」は有名だろうか?
「青地に黒いレースが付いているワンピース」なのだが、個人のfacebookに載せたその服の写真で騒ぎになった。「白地に金色のレースが付いている」ように見える人達も多いという。

facebookのその写真のページを表示させたタブレットなどを誰か1人に見せる。その人は「青と黒の服だ」と言う。・・・見る人が1人ならここで終わり。
だが、全く同じ条件で別の1人に見せたら、その人は、「白と金の服」と答えるかもしれない。

テレビ番組で何例か試していたが、2人揃って「青と黒」・2人揃って「白と金」・1人が「青と黒」でもう1人が「白と金」、というくらいにばらばら。5人いれば2対3とか、実物が青と黒であるのが信じられないほどに、分かれてしまう。
私がテレビ番組の録画を見せた中には、子ども時代にやや色弱と判定された人がいて、警戒心を発動させた気配。しかし、そういう体質とも無関係な現象なのだ。

番組では、脳の解釈の差であることを説明していた。「見る」のは目と脳の共同作業で、目から伝えられた情報を脳がどう解釈するかで見え方が違ってくる。
この場合、そのワンピースの背景の雑踏の色合いが作用しているという。脳は、「雑踏の色合いによってその場の光と影がワンピースの色合いにどう作用するか」を経験的に判断する。その結果、青なのに白だと解釈する(ある番組では美大生2人にも見せていたが、2人とも「白と金」と断言していた・・・まあ、絵画ではなく彫刻の人という可能性もあるので、色彩感覚の優劣かどうかはわからないが)。

そんな情報を念頭に置いて、「白と金」に見えるかどうか意識してみた。その結果、「青と金」に見えなくもない・・・という域には達した。

「青と黒」にしか見えない人が、ハフィントンポストが転載している写真は「白と金」にしか見えない、ということなので試す。
どちらでもなく「水色と茶」だな・デジタル写真も複製や転載で色情報が変わったりするのかな・いやいやパソコンのせいか・・・などと思いながら人に見せた。すると、その人は今までと同じで、全く迷わず「青と黒!」と断言したのであった。



<2. と政治>

他人のフィルターはできるだけ通さないように、今の国会は中継を見るようにしている。
で、「今日の安倍首相はないわ~。いくら支持者でも失望しただろうなあ」と検索してみると、むしろ議論相手の野党議員が批判されていたりする。逆に、もともと安倍首相が大っ嫌いである人は、もちろん首相を批判している。
ネット上で私が見る範囲では、安倍首相支持者の方が支離滅裂度が高いが、反・安倍首相の人の中には更に高い例もある(もちろん、反・安倍首相であって穏やかに筋道立てて論じている方々もいるし、そういうブログやツイッターを読みふけるのが、私にとって本来は最も快いのだが。時間が限られているので、私とは逆に安倍首相支持者であり、かつ穏やかに筋道立てて論じているようなブログやツイッターを読んで、自問自答したい)。
(1) 単に、発言の内容ではなく発言者によって評価を決める。そういう人達?
(2) 評価項目が私と違う人達? 話の内容ではなく、相手に対する圧倒感(言い回し・野次・はぐらかし・尋問めいたやり方の成功など)で優劣を決める。
(3) 自分が好きな言葉(「日本は優れている」とか「自民党は金権政治(いまどきこんなセリフはないか)」とか)を言った人を、高く評価したい人達?
・・・というのが、これまでの考えだった。

だが、「例のドレス」論争を振り返ると、事態はもっと複雑かつ根源的なのではないか、と。

目が伝える情報を脳が個性を持って解釈するように、耳が伝える発言も、脳は個性的に解釈する。
もちろん、経験によって解釈や判断が違うのは、当たり前だ。例えば。私は父から「馬鹿」と言われることは多かったが、父の口癖だとわかっていたし、父が家族を大事にしているのを確信しながら育ったので、「馬鹿」という言葉への警戒心はたぶん人より低い(ちなみに、「阿呆」も、新米社会人時代の関西人上司のおかげで同じような感じ。どんだけ馬鹿で阿呆なんだか)。

上の(1)~(3)なら、越えるべき壁は低い。例えば「発言内容だけで評価してみる」というルールで判定してもらえばいい(それでやっと、例えば「集団的自衛権の行使で日本と中東の関係はどう変わるか?」というような項目の判定に移れる)。
しかし、そんな表層のレベルではなくて、もっと本能的というか生化学的なレベルか何かで、脳ごとに解釈が分かれてくるのかも。

青地に黒いレースが付いたワンピース。世の中にこれを「白と金」と思う人が多いとは、全く想像しなかった。
写真のトリック(見る角度で色が変わるとか)・環境の違い(光が当たる角度とか)・見る人の体質(目とか)によって左右されるのだろうとたかをくくりながら番組を見ていた。それが、脳みそにとっては「白地に金色のレースが付いたワンピース」と見えてしまう調整があり得る、というのは。
世の中、「確信できること」は、予想以上に少ないのかもしれない。