姐さん、新憲法の大枠は決まりました。その後は表現の修正や付け足し作業ですね。
そうね、天皇制を放棄したくない日本側としては、GHQ草案を受け入れざるを得ないよね。それにしても、GHQのやり方は強引だと思うね。民主主義憲法にするならば、もっと日本側の話を丁寧に聞くやり方はなかったのかしらね。それが、民主主義のやり方じゃないの。これじゃあ、GHQの押し付け憲法と言われても仕方ないじゃない。
確かにそうですけど、GHQにしてみれば、極東委員会との交渉が控えていましたから、短期間に決着をつけたかったのでしょうね。それに、天皇制の問題は長時間話し合えば、折り合いがつくということでもないですからね。押しつけと言われても、これしかないのなら、大鉈を振るうしかなかったでしょう。
確かにそうかも知れないけど、ちょっと悔しいよね。それで、その後はどうなったの?
3月7日に「憲法改正草案要綱」として、各新聞が発表しました。日本国民にとっても青天の霹靂だったと思います。でも、大方の国民は歓迎したようです。各政党も天皇制の廃止を唱える共産党を除いては殆どが賛成でした。反発したのは極東委員会の代表たちです。特にソ連、中国、オーストラリアですね。彼らは天皇の処刑と、日本が2度と戦争が出来ない憲法を望んでいましたから、簡単には引き下がらなかったようです。
防波堤になってくれたのはマッカーサー?
そうですよ。天皇が象徴として安泰だったのは、ひとえにマッカーサーのお陰ですよ。天皇を守るというのはマッカーサーの信念でしたから、極東委員会の圧力にもうまく対処しました。GHQの人たちもマッカーサーに随いました。極東委員会の要求で貴族院と枢密院の廃止を決めたり、「主権在民」を明記することで、どうにか切り抜けたようです。その為に、GHQのケーディスと法制局の佐藤達夫が何度も徹夜でやり取りを繰り返しました。例えば、「国民の総意が至高なものであることを宣言し」という「至高」が解りにくいから、「主権が国民に存することを宣言し」にしろとか、とにかく細部に渡って詰めに詰めているんですよ。
成程ね。9条の戦争放棄なんかは言い回しが大変だったでしょうね。
その通りです。僕にはどっちでも同じじゃないかと思うくらい細部の表現にこだわった文書で出来ているんですね。後は、衆議院議員による草案修正でもかなり議論されているんですよ。始めに話した「憲法研究会」で活躍した森戸辰男が4月の総選挙で広島から議員になっていたんですよ。森戸はGHQ草案に自分が訴えた「生存権」が消えていたので、追加するよう提起したんです。それが、第25条の「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」になったんです。森戸はドイツで学んだ時、ワイマール憲法に出会い、日本の将来に福祉国家を求めたんですね。その願いが込められているんです。(画:森戸辰男)
あらそう。この憲法には日本人も加わっているんだね。
前年の暮れにGHQに提出された民間人による「憲法研究会」の草案はかなり参考にされていると思いますよ。その他にも義務教育のところで、「初等教育を受けさせる義務を負う」というところを、中学までを義務教育にしたのも全国の青年学校の教師たちが運動を起こした結果なんですよ。こうして、日本国憲法はアジア、太平洋諸国が注視する中で産声を上げることになったんですよ。
短期間だったけれど、日本人も改正には相当関わっていたんだっていうことが解ったよ。まあ、その段階では精一杯な新憲法が作られたと言ってもいいんじゃない。私もあんたの話を聞いて、もう一つの目から鱗が落ちたよ。私はユダヤ人のモーゼさんが書いた「日本人に謝りたい」だけしか読んでいなかったからね。ワイマール憲法だって、ドイツ人が反発した憲法とばかり思っていたところがあったわよ。もっと、別の視点で見ることも大事だよね。
そうですよね。僕こそ目から鱗が落ちましたよ。でも、このままで良いという話じゃありませんよね。
もう一つ疑問があるんだけど、肝心の天皇陛下はこの憲法に関して何と言ったのかしらね。
解りました。この次にお話させて頂きます。
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