皆様、こんばんは。
事務局です。
7日の一宮市内は、終日、曇り空の、涼しい天気となりました。
午後は、和食「ひさや」様(一宮市瀬部)の2階、大広間で開催されました、「ひさや寄席」を楽しんできました。
ひさや様謹製のお弁当を食べた後、天狗連(素人落語家の総称)の皆様による落語5席、マジック1席を堪能してきました。
参加者80名全員には、「小関園芸」様(一宮市浅井町)から、ペチュニアの苗を、3ポットづつ、お土産として手渡されました。
ありがとうございます。
ひさや様は、うなぎ料理を得意としています。
小関園芸様は、ニンニク栽培で知られています。
前回の続きでございます。
「木綿街道探訪帖」について書いています。
ミニツアー第五の巻、(5)木綿屋「木綿の歴史と機織り体験の巻」に参加しています。
機織り体験にチャレンジしています。
写真は、機織り機の座席に座って、織った布などを見ているところです。
糸と糸の間に隙間ができています。
暑い季節は風通しの良い布が好まれることから、隙間をわざと作るそうです。
東北地方などでは、寒い期間が長いことから、隙間がない布が良いとされるそうです。
そのため、機織り機の、筬(おさ)を引っ張り叩いて、糸と糸の隙間ができないように、機を織る、とのことです。
高橋様の、機織りのご指導が終わりますと、平田の木綿産業の「栄枯盛衰」についてのお話がありました。
宍道湖の西岸、平田船川と斐伊川の挟まれた河口付近に位置する平田は、江戸時代、宍道湖の湖岸にあったそうです。
時代が進むにつれて、斐伊川の上流から流されてきた土砂で、河口部が沖積され、加えて新田開発により、湖岸は平田から約4キロ東まで移動した、とのことです。
宍道湖は汽水湖(きっすいこ)のため、水には塩分が含まれています。
新田は、塩分が含まれており、加えて栄養が不足しており、稲作に使えない。
そこで、塩分を含んだ土地でも育つ作物を捜したところ、綿花にたどりついたそうです。
江戸時代末期、新田では綿花の栽培が盛んになりました。
その栽培した綿花を、綿(ワタ)から糸へ、糸から布へ加工することによって、平田に木綿製造の産業が発達しました。
次回に続きます。
ブログに関するご感想・ご意見・クレーム等は、ブログのコメントや携帯電話にお願いします。
事務局です。
7日の一宮市内は、終日、曇り空の、涼しい天気となりました。
午後は、和食「ひさや」様(一宮市瀬部)の2階、大広間で開催されました、「ひさや寄席」を楽しんできました。
ひさや様謹製のお弁当を食べた後、天狗連(素人落語家の総称)の皆様による落語5席、マジック1席を堪能してきました。
参加者80名全員には、「小関園芸」様(一宮市浅井町)から、ペチュニアの苗を、3ポットづつ、お土産として手渡されました。
ありがとうございます。
ひさや様は、うなぎ料理を得意としています。
小関園芸様は、ニンニク栽培で知られています。
前回の続きでございます。
「木綿街道探訪帖」について書いています。
ミニツアー第五の巻、(5)木綿屋「木綿の歴史と機織り体験の巻」に参加しています。
機織り体験にチャレンジしています。
写真は、機織り機の座席に座って、織った布などを見ているところです。
糸と糸の間に隙間ができています。
暑い季節は風通しの良い布が好まれることから、隙間をわざと作るそうです。
東北地方などでは、寒い期間が長いことから、隙間がない布が良いとされるそうです。
そのため、機織り機の、筬(おさ)を引っ張り叩いて、糸と糸の隙間ができないように、機を織る、とのことです。
高橋様の、機織りのご指導が終わりますと、平田の木綿産業の「栄枯盛衰」についてのお話がありました。
宍道湖の西岸、平田船川と斐伊川の挟まれた河口付近に位置する平田は、江戸時代、宍道湖の湖岸にあったそうです。
時代が進むにつれて、斐伊川の上流から流されてきた土砂で、河口部が沖積され、加えて新田開発により、湖岸は平田から約4キロ東まで移動した、とのことです。
宍道湖は汽水湖(きっすいこ)のため、水には塩分が含まれています。
新田は、塩分が含まれており、加えて栄養が不足しており、稲作に使えない。
そこで、塩分を含んだ土地でも育つ作物を捜したところ、綿花にたどりついたそうです。
江戸時代末期、新田では綿花の栽培が盛んになりました。
その栽培した綿花を、綿(ワタ)から糸へ、糸から布へ加工することによって、平田に木綿製造の産業が発達しました。
次回に続きます。
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