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ゆるゆると自分に甘い生活

ざっくり生きててあわわな毎日。でも残りの人生シッカリ楽しむ。

母の闘病。「ボルダリング」

2021-07-16 20:53:27 | 父の闘病・母の事
88歳、頭も身体もそれなりに危ない母。

時々、ふと思い出したように顔を洗いに洗面所へ行く。
(ほとんど行かない)

杖無しでは歩けない事を忘れるか、
杖そのものの存在を忘れるのか。

今朝のこと。
杖を持たず洗面所へ行ったようだ。

その帰り道に遭遇した。
柱のへり、冷蔵庫ドアのくぼみ、大型ゴミ箱の蓋、キャビネットの取っ手、カウンター…。
右手左手右手左手と次々に掴まりながら前進していた。

腰を曲げ、伸ばす手も震えている。
危なっかしい。
(と思いながら、つい引き込まれて凝視。笑)

最後、左手カウンターから右手ダイニングチェアの背もたれまでちょっと距離がある。
(彼女なりに)ちょっと勢いつけて「えいっ!」と渡った。驚
無事ゴール(着席)。

ボルダリングか、ってマジに思った。
イケナイかもだけど、実は可笑しかった。

※ ゆで太郎の「冷やし薬味そば」、茄子が良き。


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母の闘病。「ふりだし」

2021-07-12 20:50:52 | 父の闘病・母の事
認知か?いやそうでもないか?のブレブレ88歳母。

ここんとこ何度か、
「私は仕事行くからね。お留守番できるもんね!」
と若干のプレッシャーをかけると、それなりに出来ていた。

作り置いた食事を食べる。薬を飲む。

デイサービスの日は電話を受け、
お迎え時間を覚え、体温を測り、
カギをかけて出る。

ホンのちょっとの事だけど、なんとか出来ていた。
(薬はなぜか飲み忘れる)

とそんな感じだったから、
調子こいて仕事をガンガン入れた。

そしたら昨日。
全てがリセットされていた。

人生ゲームなら、7コマすすんだ辺りで「全て忘れた、ふりだしにもどる」。
ジェンガなら、5段目くらいの超低い所で油断して崩壊。
ジグソーパズルなら、999ピースまでいって最後の1ピースが全然違う。
みたいな虚無感、脱力感。

20時過ぎ、帰宅するなり
「お腹すいてるんだわ!」と言われ、
「冷蔵庫にあるよね」と言うと「???」の表情。

作り置いたプレートは、、、残っている。

万が一の為にと、
目につく所に置いた菓子パンとバナナ、ビスケットは無くなっている。
薬はまるで飲んでいない。

そして「何処行ってたの?ずいぶん遅かったね」と。

がーーーーん。
って感じだ。

仕事を頑張り、久しぶりの友とスペインバルで食を楽しんだ、今日一日の結末がコレ。



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母の闘病。「ラーメンって…」。

2021-07-01 21:29:40 | 父の闘病・母の事
全く、全然、これっぽちも、
身体も頭も改善の兆候なし、88歳母。

今日、チラシを見ながらつぶやいた。
「ラーメンって食べた事ないわぁ…」

って!…(こっそり爆笑)

なハズ無いわ! 
角栄時代、ラーメン作って大儲けしてた人が!

これはもう、私を笑かそうとしてる確信犯かも。

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母の闘病。「虐待疑惑?」

2021-06-16 21:23:47 | 父の闘病・母の事
新年早々に入院。
4カ月半の寝たきり生活で頭も身体も衰えた88歳母。

頑張って、週3回のデイサービスに通い続けている。

施設付の看護師さんから、
「腰、ヒザ裏に変色箇所があります。主治医へ報告してください。」
と連絡帳に記載があったのが、一昨日の月曜。

そして、1日置いて今日。
車で送ってくれた担当ケアさんから、
「先日の連絡帳にも書いてあったと思いますが。
変色があるので病院に行って診てもらってください。」
と、ちょっと厳しめの言い方。

私:血液サラサラのお薬を飲んでいるので内出血は起きてしまうんです。
ケアさん:でも一昨日より大きくなってますよ。数も増えてます。
私:内出血なので…(そりゃ、大きくなりますよね←ココは心の声)
ケアさん:何ケ所にも同じアザのような物があるんですよ。
私:いつもドコかしらにあります。今もほらココにも(母の手首の内出血を見せる)。
ケアさん:特になにもしていないんですよね。
私:家ではほとんど寝てるので、むしろ背中や腰が圧迫されての内出血だと思います。
ケアさん:とにかく、看護師から病院に行くよう言われていますので。
私:ぁ、はい、分かりました。

家に入って連絡帳に目を通すと、
「臀部全体が変色しています。転んでいないようです。受診を…。」
と、一昨日と似た内容。

もちろん、心配してくれてのアドバイスだろうけど。
ケアさんとのやり取りがちょっと腑に落ちない…。
怒ってる?
私、怒られてるの?
虐待とか思われてる?
もしかして私、疑われてる?

血液サラサラのお薬が原因で血痰やアザができやすくなる事、
看護師さんは知ってるよね…。
薬剤師さんじゃないから知らないのかな?

まぁ、やましい事はないから良いけど。
なんかね…。

※ と、こんな時は過去の美味しい記憶で癒されよう。
  「カプセルモンスター」のバターケーキ。



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母の闘病。「勝手にパンツ」

2021-06-05 21:24:32 | 父の闘病・母の事
んんん~、、

自分、ちょっと疲れたんかな、、

覚悟していたとは言え、
母の介護(介助)が必要になり、
無知だった故とにかく情報を集め、
膨大な中から必要分を取捨選択し、
我が家のケースに当てはめて、
試行錯誤しながら実践していく。

トライしてみて無理ならやらない。

「ムリはしない」
と心がけていたから、
母にも自分にもストレスはないだろうと思っていた。

でも気づいた。

「ムリしない」事はつまり、
また別の方法を見つけなきゃいけない、
という事だった。

情報を集めて、取捨選択して、
またムリなき方法を見つけてトライする。

飽くなき戦い。

それでも何か明るい光が見えるなら良かったが、
そうでもない。

杖を2本使って少し自由がきくようになった。
とたんに、
紙パンツを脱ぎ棄て、
普通の布パンツを履いていた。
いつの間に…だ。

当然、
大も小も、
排泄物があちこちに、、、

これには泣いた。
あ~もう疲れた、、と思った、、

まだまだ前途多難。

※ 庭のブルーベリー、すこやかにお育ち中。


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母の闘病。「長谷川式」

2021-05-19 22:03:26 | 父の闘病・母の事
認知機能を測定するのに「長谷川式」なるテストがあるらしい。

2週間前、デイサービスの看護師さんから電話があり、
「長谷川式で11点だった。去年の夏は20点だったんですよ」
「脳外科での診察を勧めます」と言われていた。

転倒からの足腰の不自由が改善したら行こうかと思っていたが、
その、脳みそ状況が最近なかなか好調な気がする。

朝食のとき、「後で何を食べたか質問するから覚えておいてね」と言っておく。
そして1時間後くらいに聞いてみる。
1週間前は全く覚えていなかったが、最近は1品くらい答えられる事が多くなった。

「デイサービスで何をしてきたの?」と聞くと、
ちょっとしたエピソードを話してくれる。(ホントかどうかは不明)

以前、
「今日は何曜日かなとか、薬飲んだかな、とか自分で何でも考えるように頑張ろうね」と言ったら、
「考えるってどうやるの?」と聞いてきたので、それ以降は質問形式にした。

デイサービスに行っている事も刺激になっているだろう。

今なら「長谷川式」で12点くらいかもしれない…笑

※ 母が入院中、長女と食べた「水まんじゅう」が美味しかった。
  母は喜んで食べるだろうな。買ってこよう。





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母の闘病。「なまくらさん」

2021-05-13 22:14:50 | 父の闘病・母の事
一日ごと確実に認知能力を失っている88歳母。

突然「明日のデイサービスは行かなくて良いんじゃないかな」
と意味不明な事を言い出した。

私;「どうして行かなくて良いの?」
母;「ん~、“どうして”って…。寝てたい…。」
私;「毎日たくさん寝てるよ。まだ寝たい? 動けなくなるよ。寝たきりになっちゃうよ。」
母;「…。ふ~ん、私は怠け者なんだろうね!」(←なげやりな言い方)

おやおや。逆ギレか?

私;「そうか。…。」(悲しげに)
私;「元気になって欲しいから今私は仕事を休んで毎日ウチに居るんだよ。」
私;「でも、そんな“ナマクラさん”の為にはもう何にも出来ないな。」

北海道で“なまくら”と言えば「なまけもの」の意味。

以前、「だはんこく」でビビッと刺激を与え、脳を覚醒させた成功例がある。
今回も「なまくらさん」と罵って覚醒を狙ってみた。

75歳まで一生懸命、誠実に働いてきた母だ。
“なまくら”な事を嫌ってきた母だ。
言われてスルーする筈がない。

ハマった!

その後もたくさん話しをし、結局
母;「ホントだ、そんなんじゃダメだね。頑張るわ。」

一件落着。

この会話、今日は2時間ですんだ。

※ 木いちご、庭のあちこちから芽吹く。水栽培にチャレンジ中。
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母の闘病。「写真映え」

2021-05-08 21:55:46 | 父の闘病・母の事
この春、広島県民となった長女から荷物が届いた。

88歳、ベッドが友達、認知著しい母に報告。

孫の存在も名前も忘れていなかった。(ヨカッタ)

でも
「ぁ、ヒロシマ…、ぁぁ…そうだったね」
と札幌を離れた事については何気に話しを合わせてきた。

長女に“祖母の喜び”を送ろうと、
荷物を膝に載せたポーズで母の写真を撮った。

あれれ。

実物より抜群に眼力が強い。
口元をキュッと結んで引き締まった表情。
アゴをシュッとひいてしっかりスマホ目線。

入院前から10キロ痩せて、顔は全然違うけど。
でも、なかなかバエている。

これは…。
なに反射なんだろう。



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母の闘病。「尻もち」

2021-05-04 21:09:47 | 父の闘病・母の事
禁断の、絶対ダメの、それしたら最後でしょ、の「転倒」。
退院してからずっと気をつけていたのに。
やってしまったよ、88歳。

ベッド脇の手すりを捕まえ損ねてドスンと尻もちをついたようだ。
(不幸中の幸いなのか)足は無事、でも腰を痛めた。

私の留守中の出来事。
帰宅した時点で時すでに遅し。
ガマンできなかったようで、おもらし済み。

痛くて動けない、と言う。
トイレも行けない、と言う。
でも病院に行くほどではない、と言う。

さてどうしたもんか。
病院ならどうするだろう、と考えた。

「はい、痛くてもちょっとガマンしてよぉ。はい、ごめんねぇ。」
などと言って紙パンツを穿かせるだろう。
よし、やってみるか。
「はい、完了。よかったね!」

の騒動から1週間経過。
その間、デイサービスは1回休んで1回行った。

「だいぶ良くなったわ」とは言ってるが、
ベッドから出るのはトイレタイムだけ。
トイレへはあちこちにつかまりながら行ってる。

3度の食事と薬はベッド脇に運び、
水を度々補充し、
湿布は6時間ごと張り替える。
失禁その他の粗相もあるので目が離せない。

私のゴールデンウィーク。
そんな理由で「ステイホーム」。

「このまま寝たきりになりたくないよね」
「トイレのついでにちょっとでも歩いてみよう」
「がんばろうよ」
と繰り返し(しつこくしつこく)言っているが、
さてどうなることやら。

合間、世界最小1000ピースパズルに集中し、現実逃避。






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母の闘病。「志村のコント」

2021-04-29 21:15:02 | 父の闘病・母の事
朝食前2粒、朝食後は16粒、昼1粒、夜7粒。
服薬必須。
「食べたら飲む、食べたら飲む、だよ。お薬、頑張ってよ。」と言い続けている。

ダイニングの母の専用席の、その左側にお薬ポケットがある。
食事とセットで服薬できる、ベストポジションだと思う。

が、それはこちらの勝手な思い込み。

どれほど手の届くところにあっても、忘れていればそれまでだ。
まだまだ声がけが必要。

それでもこのお薬ポケットの存在はかなり気になるらしい。
新聞を読む以外の時間はいつもポケットをジッ~と見ている。
そして。

母;「今日は何曜日だったい?」
私;「何曜だと思う?そこにある新聞で見てみたら?」
母;「ぁ、水曜だね。私、薬は飲んだんだったかい…」
私;「そうだね、水曜のお薬、無くなってるもんね」
母;「ぁぁホントだね、飲んだんだね…」

そしてまたお薬ポケットをジッと見つめる。

母;「今日は何曜日だったい?」
私;「何曜だと思う?新聞で確かめるかい?」
母;「ぁ、水曜だね。薬は飲んだんだろうか…」
私;「ポケットにもう入ってないよね、飲んだね。」
母;「ぁぁ、飲んだね…」

しばらくして。

母;「今日は何曜日だったい?」
私;「何曜だと思う?・・・・」
・・・・・・


と、延々と続くこの会話を聞いて“旦さん”が。
「志村のコントみたいで可笑しかった」と。

確かに!
「ドリフ大爆笑!」で志村ばぁさんがこんなコントやってたかも!
会話がひとしきり成立したらまた振り出しに戻って同じ会話が始まっちゃうやつ。
ドリフ思い出してすごく可笑しくなった。
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母の闘病。「紙パンツ」

2021-04-25 21:55:48 | 父の闘病・母の事
入院前、母は自分で洗濯できていたが今は当然ムリ。

という訳で。
「昨日使った肌着は洗濯機に入れてね」
とそれだけ頑張って、のつもりで言っておいた。

洗濯した。終わった。開けた。

ドラム内、小さい粒々だらけ。
側面に散らばった白い粒々とツブツブまみれの洗濯物。

見ると。なんと。
あぁ…紙パンツが…

ウチでは買ってない。
なにより履いていなかった。

のに、なぜ。

そうか、、、退院した時に履いていたのかも。
それがどこかに置いてあったのかも。
それも一緒に入れたのか。

って訳で、散々な目にあい。

「紙パンツってのは赤ちゃんのおむつと同じだよ」
  (パンツって表現が勘違いを生むのか?と思った)

「だから洗うんじゃなくて、ゴミだよ」
と教えた。

「わかったよ」と返してきた。
すぐに忘れるだろうけど…。


…庭の木いちごも育ち始めた…
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母の闘病。「だはんこく」

2021-04-24 21:01:18 | 父の闘病・母の事
「だはんこく」は北海道弁なのかな。
標準語では、ほぼ「駄々をこねる」の意味だろう。

親がよく言ってたので使うべき場面は分かるが私が実際に使った事はない。

しかしこの度初体験。

88歳の母は今年の1月4日から入院続きだった。
2月に一瞬だけ在宅したがまた入院や転院を繰り返した。
そして今月14日にやっと本気の帰宅を成し遂げた。

4カ月に渡る入院は意識がハッキリしない時間が多かった。
せん妄状態も多かったようだ。
なにしろ面会ができないので状況はよく分からなかった。

案の定、帰宅しても辻褄が合わない。
その時その時の会話はできるが、一瞬で忘れていく。

脳の衰えに加え、今回の病原「心臓」、元来の弱点「足腰」の3本立ての弱体化。

帰宅してから毎日、たくさん会話した。
見せたり聞かせたり、ヒントをあげて思い出すようにしたり。
何度も何度も振り出しに戻る会話。
堂々巡りで全く進まない会話。
結局ムダになってしまう私の努力。
時間を割いて無理強いせず、とにかく話した。

デイサービスに行ければ少しか活性化するんじゃ…と思った。

仲間に会う事で脳に刺激。
わずかな距離でも歩行運動。
簡単な手遊びで楽しい気分。
温かいお風呂でリフレッシュ。

そして。やっと。

コロナ対応やら病院からの病状引き継ぎやらが完了し、いよいよデイサービスの日。

朝、母は「だはんこいた」。
全然動けない。歩けない。行きたくない。
あと4~5日は家に居たい。
ウチで運動するから。
などなど。

4~5日居たところで状況が好転する筈がない。
実際、翌日にはそう言った事すら覚えていなかった。

後日、「デイサービスに行きたくないって言い張ったんだよ。」
と教えたが「?」とピンとこない様子。

とそこで、母が昔言ってたセリフ「だはんこいたんだよ!」と教えたら。
「え、そうなのかい!!それは大変だ。」と返してきた。
自分が何をしでかしたのか、一瞬で理解したようだ。

「だはんこく」
それから、ちょこちょこ使っている。

…ブルーベリーが今年も元気に育ちそう…

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その後。

2015-03-05 16:38:13 | 父の闘病・母の事
父が他界してからの3週間。


お仏壇のあれこれ、初七日のあれこれ、親族へのあれこれ等々。
ご多分に漏れず、何かと一筋縄にはいかず苦労と苦悩の連続期間。

案の定、心労重なり風邪をひき体調は絶不調。
それでも受けていた派遣の仕事はほぼ全うした。
事情が事情、とは言えドタキャンをするつもりはなかった。

四十九日の準備も完了間近になり、昨日くらいからやっとノーマルな日常。

長女が「きんかんのタルト」を買ってきてくれた。
美味しかった。

ホッと一息。
そして、あとちょっと頑張る。
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終。

2015-02-22 18:45:49 | 父の闘病・母の事
他界いたしました。


昨年6月から闘病生活となった父。
先週、静かに息をひきとった。

前日昼、病院より「急を要する事態ではないが興奮状態が強い」との連絡があった。
仕事中だったため‘旦さん’が様子を見に行った。
「急変という程ではないだろう」との報告を受け、翌日の仕事終了後に行く事に決めた。
が、念のためその夜は‘旦さん’が付き添ってくれた。

翌早朝3時42分、病院にいる‘旦さん’より電話。
「血圧が下がってきた、来て欲しい」との事。

家族とともに駆けつけた。

が、既に永い眠りについていた。

最期の時、声をかけたかったな。。。

ごめんなさい。

辛かったよね。でもすごく頑張ったね。
この一ヶ月、面会させてくれなかったね。
最期まで優しく気遣ってくれたね。
プライドを捨てなかったよね。
気丈に、本当にがんばったね。
お疲れさまでした。


ありがとう、お父さん。
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父の闘病・14。

2015-01-21 15:36:50 | 父の闘病・母の事
面会拒否。


1週間前、1月15日(木)。

仕事を終えた長女が父の見舞いに行った。
ベッドの周りにはグルリとカーテンがかかり、「面会の方は詰所まで」の札が下がっていた。

詰所に行くと。
「もう誰にも会いたくないらしいです」との事。
詳しく聞けば。
「自分はもう回復の見込みも無くどうにもならないので今後は見舞いに来ないで欲しい」と言っているらしい。

自宅から病院まで片道でも40分以上を要する。
冬道となれば1時間はかかる。
病院での滞在時間を僅かで済ませたとしても半日ほどを費やす事になる。

確かに、仕事をしながらの、家事をしながらの病院通いは楽ではなかった。

父も。
「ちゃんと帰れたのかどうか、いつも心配なんだ」と言っていた。

面会を拒否=大変だろうから、もうわざわざ来なくても良いんだぞ。
の意味なんだろうな。
父らしい。。。

この1週間、時々行ってみたが決心は変わらない。
「正気」の状態での決意なんだと確信した。

さて、これからどうしたもんか。。。

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