~ゆるゆると自分に甘い生活~

ざっくり生きててあわわな毎日。でも残りの人生シッカリ楽しむ。

父の闘病・2.

2014-06-27 18:19:49 | 父の闘病・母の事
父の病状、その後。


6月20日(金)10時。
予定通り手術が始まった。
病棟内の面会室で母と二人で待機。

1時間後、終了の連絡。
説明をするからと言われ、母を置いて独りで主治医のもとへ向かった。

左脇腹に2つの穴をあけ、内視鏡での手術。
内視鏡カメラで撮影した動画を見ながら説明を受けた。

胸壁にはポロンポロンと丸みのあるガン細胞がたくさん巣食っている。
肺にもしっかりと付着しているガン細胞、モコモコと不気味な大きな塊となっていて、
切除する段階はとうに超していると、私でも分かる。
そして水がピチャピチャと波打っているのも見える。
最初の排水から1週間で1200mlがまた溜まっていたようだ。

水を吸い取り、悪玉細胞の一部を切り取り、出血部の処置をした。
その後、全体に3種類の接着剤(血液製剤)をスプレーした。
肺がどんどん膨らんで胸壁まで届くくらいになった。
胸水が溜まるスペースを潰した。

手術はこれで完了。

あとは癒着の程度を見ながら、1日に溜まる水の量が200mlを下回るのを待つ、との事。

全身麻酔からとりあえず意識だけが醒めた父は、割と元気だった。
夢をみた、と言っていた。

既に他界している自分の兄が、きれいな洋服を着て少し遠いところに立っていた。
でもこっちにおいでの手招きはしていなかった。
まだなんだな、って思った。 てな事を言っていた。

その日の午後、麻酔からの完全な覚醒に苦しんだ。
でも夕方には元気になった。
翌日から普通食をフツーに食べていた。

6月23日(月)
体調は良いが、点滴はまだ外せない。
癒着療法の手術から3日が経ち、一日に出る胸水が300mlまで減った。
しかしまだ多い。
なので、病室のベッドに寝たままで接着剤散布を再度実行。

6月24日(火)
点滴終了。

6月25日(水)
胸水の量が200mlを下回ったので、身体についていた管を取った。
身軽になって喜んでいた。

6月26日(木)
完璧に元気になっていた。
「ぃゃぁ、良かった良かった」と、病気を克服した喜びで表情がとにかく明るい。
告知しなくて良かったと、本当に思った。
喜んでいる幸せそうな表情はきっとずっと忘れられない。

来週には退院ができるだろうと思う。

明日、主治医からの話しがあるらしい。






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父の闘病。

2014-06-19 13:09:41 | 父の闘病・母の事
遂にこの日がやってきた。


父が患った。
85歳の高齢とは思えないほどに元気でシャキシャキ動いていた父。
私なんかよりも全然ハツラツと生活できていた父。

数ヶ月前から夜中に咳が少し出始めた。
日中はそうでもないし、夜中の咳も眠れないほどじゃなかった。
そのせいか、病院に行こうとしなかった。

6月10日(火)。
年に1回、インフルエンザワクチンの時だけ利用している内科にやっと行った。
レントゲン検査の結果、即入院。
それでも「ちょっと考える」と言い張る父。
説得してなんとか大病院に入院させた。

入院手続きの際、私と夫にだけ知らされた「肺がん末期」の事実。
本人に告知するか。
治療の余地は無く、今後の処置はどうするか。
副作用等を考慮し、対処はどの程度するか。
本人の意思を聞いたことはあるか。

そんなような事を即決断してくださいと迫られた。

告知を拒否した。
母にも言わない事を選んだ。
健康である事を誇りにしていた父に告知の道は考えられなかった。

手術で肺の中に抗がん剤を振りまく処置を選んだ。
わずかでも延命できれば、と思った。
手術後に帰宅して、できるだけ普通に生活する事を希望した。
帰宅ができるかどうかは分からないが、とにかくこのまま2ヶ月で見送るのは絶対に避けたかった。

6月11日(水)。
左肺に溜まった1.8リットルの水を抜いた。
身体がラクになったようで、大喜びだった。
「また5年は寿命が伸びたぞー!」と張り切っていた。

6月12日(木)。
手術のための検査をしている時に容体は急変した。
血圧急低下、呼吸不全、体温低下、嘔吐、意識喪失。

私だけに呼び出しが来た。

一命は取り留めたが想定外の事が起きてしまい、
手術ができるかどうか分からなくなった。
仮にできても綱渡りの手術になる。
帰宅ができなくなるかもしれない。

と担当医から言われた。

父は弱気になっていた。
泣いて「家の枕の下にある黒いかばんを持ってきてくれ」と言った。
覚悟をしたらしかった。

6月13日(金)。
一転、父は元気を取り戻した。
熱もあり胸の苦しさや咳はあるものの、前日の弱気の虫はいなくなっていた。

その後も日を追うごとにいつもの父になって行った。

6月17日(火)。
面談の約束があり、父にわからないように担当医と会った。
検査の詳しい結果が出た。

胸水から悪性細胞は見つからなかった。
水から出ない事は十分にあり得る。
しかし、右肺に転移が見られる点からステージ4は間違いない。
手術の時に腫瘍細胞を採取して正式に病名を明らかにする。
癒着療法で肺に水が溜まりづらい状態にするが、まったく溜まらなくなる事はない。
一日で溜まる量によってその後の動向を決める。
肺に溜まる水が止められなくなるか、
他の臓器等に転移が始まるか、どちらかの状態で再入院になる。
その時にはもう退院はない。
そして今のウソに破綻をきたす事になる。

と言われた。

手術は6月20日(金)。

まずは無事に終わってくれることをただ祈るだけ。


こんな日がいつか来るんだろうと去年のうちに仕事を辞めた。
責任を全うして退職しておいて本当に良かった、と本当に思う。









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「ネルソン・マンデラ」。

2014-06-03 14:10:52 | ライブ&映画
「マンデラ 自由への長い道」


久しぶりに映画館へ足を運んだ。

黒人差別、虐待。

平和な日本で暮らしていると、
世界中が近代化して平和になったなぁとか思いがちだけれど、
1994年にマンデラ氏が大統領になるまではアパルトヘイト体制が当然だった南ア。

国家が国民を殺す世界。
自由を求めて闘いつづける非白人たち。
そして得た「1人に1票」の権利。

ノーベル平和賞を受賞したマンデラ氏が、
決して最初から非暴力主義では無かったと知り、
若い頃から柔和で誠実な人格者だった訳じゃないと知る。

自伝に基づいたマンデラ氏の映画なのでデクラーク大統領の扱いが小さいのは仕方がない。
でも、アパルトヘイト撤廃のきっかけを作った彼の功績もしっかり胸に刻む。

良い映画でした。










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