~ゆるゆると自分に甘い生活~

ざっくり生きててあわわな毎日。でも残りの人生シッカリ楽しむ。

父の闘病・3。

2014-07-05 00:00:31 | 父の闘病・母の事
帰る。


6月28日(土)
咳がひどく出ていた。
苦しそうだった。
「なーんかまだ咳が出るんだよなぁ」と腑に落ちない風の表情で言ってきた。
「まぁ、これから少しずつだよ」と言うしかない。

主治医と話した。

もうあまり長くはない。
一日でも多く、一日でも早く自宅に帰りましょう。
咳も痰も薬で抑えるしか方法はない。
効果が薄れれば強くしていくしかない。
麻薬だからかなりの段階まで強くできる。
でも元凶を断ったわけじゃないから、それにも限界がある。

と言われた。
翌週火曜に退院する事にした。
父に言ったら喜んでいた。


6月29日(日)
熱を出した。37.8度。
息が荒く、辛そうだった。
「実は、病棟の廊下を2往復した。 だからかもしれない。」と父が暴露した。
退院が決まって嬉しくて、ちょっとリハビリのつもりだったんだろう。
が、無理は禁物って事が身にしみた筈。

6月30日(月)
熱が下がらない。 37.9度。
明日の午後まで下がらなければ退院は延期になる。
リハビリのウォーキングが悔やまれる、、、

7月1日(火)
熱も下がり無事に退院。
熱が下がったのは薬の投与のおかげ。
咳と痰と熱を抑える薬、7種類を抱えて退院した。

7月2日(水)
手術の時にポロリと取れた差し歯を治しに歯医者に連れて行った。
パジャマに上着をはおるだけの病人感まる出しで行った。
着替える元気もない。
でも歯を治さなきゃ、食事ができない。
すると栄養が取れない、つまり元気になれない。
「歯」は大切。

車の運転を禁止された。
薬が麻薬性だって理由だと思う。
突然睡魔に襲われたりするのかな。

車の運転が好きな父だったから、すごく可哀想だ。
「それでも、薬が無くなればまた乗れるしな!」って言っていた。
元気になれば薬も減って、そうなれば運転もできるって信じているらしい。

私の胸がすごく苦しくなった。
告知をしない、ウソを言う、 って事はこういう事だ。
これからもこんな胸の痛みがあるんだろうな…。
でも、それでも言わない。

コメント
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