老麗・美しく老いる

「美しく老いる」を余生の目標として、そのあり方を探る。

金子兜太先生を祝い会

2009-05-03 09:35:12 | Weblog
「金子さんは、兜太さんと親戚ですか」
と真剣に尋ねられることがある。
共に熊谷に住み、
俳句と短歌という、
詩歌に無関心の人には区別がつかないような
文芸の世界にいるからだろう。

2日、熊谷の八木橋百貨店で
「金子兜太先生のお喜びを熊谷で祝う会」という、
俳人の会とは思えない長たらしい名前の祝賀会があった。

発起人に歌人の佐佐木幸綱、
NHKテレビ小説「つばさ」のお婆ちゃんを演じている
女優の吉行和子などが名を連ね、
吉行さんや俳優の小沢昭一さんらの祝辞があった。
中でも日本画家の大野百樹さんが
「風のような付き合いをしよう」
と言われたというエピソードが印象的だった。
 
兜太さんは、大正8年生まれの九十歳。
明確な長寿の意志を持って生きている方だ。
現代俳句協会名誉会長、日本芸術院会員であり、
今も作句や講演などでなど八面六臂の活躍をしている。
次の一句は今の心境だという。

  よく眠る夢の枯野が青むまで  兜太

貧乏削り一鉛筆

2009-05-03 07:26:50 | Weblog
5月2日は「えんぴつの日」だという。
木の香りが好きで今でも日常的に愛用している。

また、絵を描くために、
9Hから8Bまで19種類の鉛筆と
100種類の色鉛筆を持っている。
別に自慢するほどの事ではないし、
今は「使っている」
と言えない所に歯切れの悪さがある。
 
日本で最初に鉛筆を使ったのは、
伊達政宗だという。
但し、
先端に黒鉛の塊を詰めるもの。
現在のように削る方式の鉛筆では、
徳川家康の鉛筆が久能山東照宮で、
硯箱に入った状態で発見されている。
 
ところで、
鉛筆の軸は六角形で、
色鉛筆は丸が多いのは何故だろうか。
理由は諸説あるようだが、
鉛筆は三本の指で握って書くのに対して、
色鉛筆は様々な持ち方で使われるからという説が、
私には最も納得できる。
 
小学生の頃は、
一本の鉛筆を両端から削って使っていた。
あれは、
ケチくさいので「貧乏削り」というらしいが、
握る部分が真ん中に残ってしまって、
最も無駄な使い方だったようだ。