僕がランナーとしてのキャリアをスタートさせた時期は、ちょうど日本のサッカーのプロ化(Jリーグの開幕)と重なる。当時は、少しでも流れに遅れまいと(苦笑)サッカーについての雑誌記事や本を読みふけったが、最も面白かったのが佐山一郎氏の作品だった。その佐山氏は1992年に、それまで「Number」誌等に掲載したスポーツ・ノンフィクションを集めた「闘技場の人」を上梓した。
現在は、「サッカーコラムニスト」として知られる佐山氏は、かつては文化情報誌「スタジオ・ボイス」誌の編集長を経て、サッカーのみならず、野球やラグビー、水泳やプロレスについても秀逸な記事を書き残している。'80年代の日本においてはサッカーはマイナーな存在だったせいもあるが、プロレスに転向した元横綱、輪島大士氏のインタビュー場所が松山東映ホテルだったことには驚いた。その夜の、今は無くなった愛媛県民館の試合を僕は生観戦していたからだ。
もちろん、得意のサッカーのついての記事はさすがに読ませる。Jリーグの前身である日本サッカーリーグ初のブラジル出身選手で後に日本に帰化して代表選手となったネルソン吉村氏(故人)へのインタビューや、初めてプロ選手である奥寺康彦氏を擁しながら最終決戦で中国に敗れたソウル五輪アジア代表予選のレポート(佐山氏の別の著書によると、この試合がラモス瑠偉氏に日本への帰化を決意させたのだという。)など、Jリーグ以前の日本サッカーの貴重な記録になっている。
佐山氏は駒沢公園の近くで生まれ育ち、東京五輪をきっかけにサッカーファンとなる以前は、駒沢球場を本拠地としていた東映フライヤーズのファンだったという。(佐山氏は1953年生まれ)タイトルに示されているように、本書のテーマの根底にあるのは「闘技場」である。
「〈よく闘えし者のみが、よく生きられる〉という人生の哲理が最も純粋かつ残酷にたち露われる闘技場。そこで追求されるのは参加者個々人の充実感の問題に尽きる。だが、よく闘った者だけが到達しえた場所とは一体どんな場所なのか。また競技者のみならず観客たちが味わった充実は本当に『贅沢な充実』と言えたのか。」
本書にはマラソン、ないしマラソンランナーについての記事はない。しかし、プロローグに、佐山氏自身が東京シティマラソンを走った経験が書かれている。
「ハーフマラソンゆえに2時間をぎりぎりで切れたが、真の長距離走者らしく〈考えることに忙しくて、走っていることさえ忘れてしまう走り方〉(アラン・シリトー)を示せたかどうかも疑わしい。しかし東京の公道の真ん中をただひたすら走る行為自体が、なんと贅沢で新鮮だったことか。建物の窓は観客用の段地(テラス)に見え、都市それ自体が古代の円形闘技場と化してゆく錯覚さえ覚えた。ゴール地点の大井競馬場が近づいてきたときには、潮風と混じり合う馬糞の匂いまでもがオー・デ・コロンのように感じられた。いささか疲れはしたけれど、無用の用をすることで本当に心が浄められた。」
実は当初は本書を「このマラソン本がすごい」のシリーズの中で採り上げようと想っていたのだ。この数行には、都市の中心で開催されるマラソン大会の「本質」が描かれている。それは、都市空間を年に一度、闘技場に変えるという試みなのだ。
僕が初めて出かけて行った、闘技場化した都市は福岡だった。'93年のシティマラソン福岡というハーフマラソン。スタートはその年に完成されたばかりの福岡ドームで、ゴールはドームの内部にあった。
次に出かけたのは、平安遷都から数えて1200年目の年の京都だった。その日、古都の周回コースは街全体が巨大な闘技場と化したようだった。
札幌に長野。日本における冬季五輪開催地も年に一度、闘技場に変化する。北海道マラソンの旧コースのスタート地点である真駒内の屋外競技場の五輪マークを見て、涙が溢れ出した。長野ではエムウェーブやビッグハットの前を大歓声を浴びながら通り抜けた。野球場に変貌していた五輪スタジアムの人工芝に足を取られそうになりながらゴールした。
今年の冬季五輪開催地であるバンクーバーもマラソンで訪れた。14年前の大会当日は僕がこの世に生を受けてちょうど35年目にあたる日であった。五輪の開会式会場となったドームスタジアムからスタートし、わずか10kmで豊かな緑の溢れる森林公園を通り過ぎる、日本の都市ではおそらくは設定できないコースだった。
東京23区内で開催される初めての公認マラソンという触れ込みで始まった、東京・荒川マラソンには'98年の第一回大会に出場した。荒川の河川敷コースは単調で、東京の中心でマラソンを走るなら、こういう場所でしか無理なのかと諦めに近い感情が芽生えたが、地元の決して多くはない観衆の声援と、ボランティア・スタッフの温かさに救われた。
佐山氏は闘技場について、このようにも記している。
「実際にプレイし、自身のアスリートとしての歴史を築いた場であれば、そこがどんなに汚く老朽化した場所であっても、選手・観客個人の名においては永遠性をはらむ特別な場所なのである。少年少女時代に愛した闘技場であれば、なおの事そこは一生涯の刻印を受けた場所となる。」
目的が施設の維持・管理費を捻出するためと分かってはいるのだが、僕は「ネイミング・ライツ」と称して、誰かさんにとっては「一生涯の刻印を受けた場所」に私企業の名前をつけることには、いまだに抵抗を覚える。箱根駅伝や国内のメジャーマラソン大会が頻繁にコースを変更するのもしかり。
'80年代、マラソン中継が高視聴率を稼いでいた時代に始まった東京国際マラソンも、当初は東京五輪の飛田給折り返しコースが検討されたという。アベベや円谷が走ったコース(闘技場)で瀬古利彦や宗兄弟を走られたいという夢がそこにあった。今の東京マラソン、
「走ってみたいか?」
と問われたら、イエスと答える。
しかし、どうせなら国立競技場からスタートしたかった。折り返しは飛田給でも大森でもかまわないから。
昨年は東京に申し込み、落選通知を受け取った時点で青梅マラソンの30kmの部の申し込み受付が締め切られていた。今年は同時に申し込もうかと思っている。もし、両方当選したら?
多分、青梅を選ぶかもしれない。45年の長きに渡って、年に一度闘技場になっていた町の方を。今回、初めて後半のダイジェストをケーブルテレビで見たが、そこは山間のごくありふれた町の景色だった。そこがいいと想った。
大阪に京都、神戸と都市マラソンを新設するという。それよりも、泉州や福知山、篠山など既存の大会をもっと充実させるように予算を使った方がいいのではないか?国政への転身を巡る勇み足で男を下げた宮崎県知事だが、マラソンに関しての言動は支持できる。既存の大会だった青島太平洋マラソンをリニューアルさせ、旭化成陸上部に本拠地で開催される準エリートマラソンである延岡西日本マラソンで制限時間内に完走して、「マラソンの宮崎」のPRに成功(と言えるだろうか?延岡の大会が陸上専門誌以外で報じられるのは珍しいことだった。)させているからだ。
僕個人の思いいれとしては、新たに都市マラソンを新設するのにふさわしいのは広島だと思う。平和公園(爆心地)を発着点とするヒロシマ国際平和マラソン。五輪誘致よりも少ない予算で実現可能だと思う。
今後、愛媛マラソン以外のフルマラソンにもまた、出かけていきたいと思っている。その際には、長い歴史を持つ大会を選びたいと思っている。
最後は地元のPRになるが、来年、東京マラソンに落選した皆さんには是非、愛媛にも足を運んで欲しい。ちょうど、「坂の上の雲」の第二部の放映直後という時期でもある。コースの中盤からは単調な景色の田園地帯となるが、
「土佐礼子のかつての練習コースだった。」
と言えば、色めき立つランナーもいらっしゃると思う。
マラソンは、日常的な生活空間である都市を闘技場に変貌させるイベントだ。その形は、参加するランナーの頭の中で浮かぶ数だけ存在する。
本書の「エピローグ」では、8世紀の英国の歴史学者ベーダの言葉が引用されている。
「円形闘技場(コロッセオ)が崩れるとき、ローマは滅びる。ローマが滅びるとき、世界も滅びる。」
※参考文献
「闘技場の人」 佐山一郎著 河出書房
現在は、「サッカーコラムニスト」として知られる佐山氏は、かつては文化情報誌「スタジオ・ボイス」誌の編集長を経て、サッカーのみならず、野球やラグビー、水泳やプロレスについても秀逸な記事を書き残している。'80年代の日本においてはサッカーはマイナーな存在だったせいもあるが、プロレスに転向した元横綱、輪島大士氏のインタビュー場所が松山東映ホテルだったことには驚いた。その夜の、今は無くなった愛媛県民館の試合を僕は生観戦していたからだ。
もちろん、得意のサッカーのついての記事はさすがに読ませる。Jリーグの前身である日本サッカーリーグ初のブラジル出身選手で後に日本に帰化して代表選手となったネルソン吉村氏(故人)へのインタビューや、初めてプロ選手である奥寺康彦氏を擁しながら最終決戦で中国に敗れたソウル五輪アジア代表予選のレポート(佐山氏の別の著書によると、この試合がラモス瑠偉氏に日本への帰化を決意させたのだという。)など、Jリーグ以前の日本サッカーの貴重な記録になっている。
佐山氏は駒沢公園の近くで生まれ育ち、東京五輪をきっかけにサッカーファンとなる以前は、駒沢球場を本拠地としていた東映フライヤーズのファンだったという。(佐山氏は1953年生まれ)タイトルに示されているように、本書のテーマの根底にあるのは「闘技場」である。
「〈よく闘えし者のみが、よく生きられる〉という人生の哲理が最も純粋かつ残酷にたち露われる闘技場。そこで追求されるのは参加者個々人の充実感の問題に尽きる。だが、よく闘った者だけが到達しえた場所とは一体どんな場所なのか。また競技者のみならず観客たちが味わった充実は本当に『贅沢な充実』と言えたのか。」
本書にはマラソン、ないしマラソンランナーについての記事はない。しかし、プロローグに、佐山氏自身が東京シティマラソンを走った経験が書かれている。
「ハーフマラソンゆえに2時間をぎりぎりで切れたが、真の長距離走者らしく〈考えることに忙しくて、走っていることさえ忘れてしまう走り方〉(アラン・シリトー)を示せたかどうかも疑わしい。しかし東京の公道の真ん中をただひたすら走る行為自体が、なんと贅沢で新鮮だったことか。建物の窓は観客用の段地(テラス)に見え、都市それ自体が古代の円形闘技場と化してゆく錯覚さえ覚えた。ゴール地点の大井競馬場が近づいてきたときには、潮風と混じり合う馬糞の匂いまでもがオー・デ・コロンのように感じられた。いささか疲れはしたけれど、無用の用をすることで本当に心が浄められた。」
実は当初は本書を「このマラソン本がすごい」のシリーズの中で採り上げようと想っていたのだ。この数行には、都市の中心で開催されるマラソン大会の「本質」が描かれている。それは、都市空間を年に一度、闘技場に変えるという試みなのだ。
僕が初めて出かけて行った、闘技場化した都市は福岡だった。'93年のシティマラソン福岡というハーフマラソン。スタートはその年に完成されたばかりの福岡ドームで、ゴールはドームの内部にあった。
次に出かけたのは、平安遷都から数えて1200年目の年の京都だった。その日、古都の周回コースは街全体が巨大な闘技場と化したようだった。
札幌に長野。日本における冬季五輪開催地も年に一度、闘技場に変化する。北海道マラソンの旧コースのスタート地点である真駒内の屋外競技場の五輪マークを見て、涙が溢れ出した。長野ではエムウェーブやビッグハットの前を大歓声を浴びながら通り抜けた。野球場に変貌していた五輪スタジアムの人工芝に足を取られそうになりながらゴールした。
今年の冬季五輪開催地であるバンクーバーもマラソンで訪れた。14年前の大会当日は僕がこの世に生を受けてちょうど35年目にあたる日であった。五輪の開会式会場となったドームスタジアムからスタートし、わずか10kmで豊かな緑の溢れる森林公園を通り過ぎる、日本の都市ではおそらくは設定できないコースだった。
東京23区内で開催される初めての公認マラソンという触れ込みで始まった、東京・荒川マラソンには'98年の第一回大会に出場した。荒川の河川敷コースは単調で、東京の中心でマラソンを走るなら、こういう場所でしか無理なのかと諦めに近い感情が芽生えたが、地元の決して多くはない観衆の声援と、ボランティア・スタッフの温かさに救われた。
佐山氏は闘技場について、このようにも記している。
「実際にプレイし、自身のアスリートとしての歴史を築いた場であれば、そこがどんなに汚く老朽化した場所であっても、選手・観客個人の名においては永遠性をはらむ特別な場所なのである。少年少女時代に愛した闘技場であれば、なおの事そこは一生涯の刻印を受けた場所となる。」
目的が施設の維持・管理費を捻出するためと分かってはいるのだが、僕は「ネイミング・ライツ」と称して、誰かさんにとっては「一生涯の刻印を受けた場所」に私企業の名前をつけることには、いまだに抵抗を覚える。箱根駅伝や国内のメジャーマラソン大会が頻繁にコースを変更するのもしかり。
'80年代、マラソン中継が高視聴率を稼いでいた時代に始まった東京国際マラソンも、当初は東京五輪の飛田給折り返しコースが検討されたという。アベベや円谷が走ったコース(闘技場)で瀬古利彦や宗兄弟を走られたいという夢がそこにあった。今の東京マラソン、
「走ってみたいか?」
と問われたら、イエスと答える。
しかし、どうせなら国立競技場からスタートしたかった。折り返しは飛田給でも大森でもかまわないから。
昨年は東京に申し込み、落選通知を受け取った時点で青梅マラソンの30kmの部の申し込み受付が締め切られていた。今年は同時に申し込もうかと思っている。もし、両方当選したら?
多分、青梅を選ぶかもしれない。45年の長きに渡って、年に一度闘技場になっていた町の方を。今回、初めて後半のダイジェストをケーブルテレビで見たが、そこは山間のごくありふれた町の景色だった。そこがいいと想った。
大阪に京都、神戸と都市マラソンを新設するという。それよりも、泉州や福知山、篠山など既存の大会をもっと充実させるように予算を使った方がいいのではないか?国政への転身を巡る勇み足で男を下げた宮崎県知事だが、マラソンに関しての言動は支持できる。既存の大会だった青島太平洋マラソンをリニューアルさせ、旭化成陸上部に本拠地で開催される準エリートマラソンである延岡西日本マラソンで制限時間内に完走して、「マラソンの宮崎」のPRに成功(と言えるだろうか?延岡の大会が陸上専門誌以外で報じられるのは珍しいことだった。)させているからだ。
僕個人の思いいれとしては、新たに都市マラソンを新設するのにふさわしいのは広島だと思う。平和公園(爆心地)を発着点とするヒロシマ国際平和マラソン。五輪誘致よりも少ない予算で実現可能だと思う。
今後、愛媛マラソン以外のフルマラソンにもまた、出かけていきたいと思っている。その際には、長い歴史を持つ大会を選びたいと思っている。
最後は地元のPRになるが、来年、東京マラソンに落選した皆さんには是非、愛媛にも足を運んで欲しい。ちょうど、「坂の上の雲」の第二部の放映直後という時期でもある。コースの中盤からは単調な景色の田園地帯となるが、
「土佐礼子のかつての練習コースだった。」
と言えば、色めき立つランナーもいらっしゃると思う。
マラソンは、日常的な生活空間である都市を闘技場に変貌させるイベントだ。その形は、参加するランナーの頭の中で浮かぶ数だけ存在する。
本書の「エピローグ」では、8世紀の英国の歴史学者ベーダの言葉が引用されている。
「円形闘技場(コロッセオ)が崩れるとき、ローマは滅びる。ローマが滅びるとき、世界も滅びる。」
※参考文献
「闘技場の人」 佐山一郎著 河出書房
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